Fly Up! 185

モドル | ススム | モクジ
(なんとか、取った……)

 武は相手に悟られないように安堵のため息をついた。どこか自分ではないプレイを繰り返して、何とか取った第一ゲーム。相手にも不調は伝わっているだろうが、それでも余裕があるところを見せなければと思ったからだった。
 問題は原因不明の不調だ。

(なんとなく、原因は南原だってことは分かってる。でも、どうしてか分からない……小学生の時に、一番最後に負けた相手だから? 何か萎縮してるのか?)

 橋本が早坂達の前で口にしたことは、武も既に思い至っていた。しかし、それがどうしてミスに繋がるのか分からない。自分のことなのに。
 悩んでいる間にセカンドゲーム開始の時間はすぐやってきた。武はシャトルを手に取り、どこか上の空のままコートに入る。そこで、背中を軽く叩かれた。

「え?」

 いたのはパートナーの林。その顔は不思議そうに武を見ている。

「相沢。とりあえず、庄司先生の言ったとおりしよう」
「庄司先生の?」

 林の言葉に武は思い浮かべようとする。しかし審判も促したためひとまずサーブ姿勢をとった。目の前にはレシーブのために前傾姿勢になっている南原がいる。武は一つだけ深呼吸をすると、ショートサーブを打った。
 ネットすれすれに飛んだシャトルを南原は軽くプッシュした。ネットに触れそうになるのを恐れて強打しなかったためにシャトルはゆるやかにコートに向かう。そこを林はロブで相手コートの奥へと飛ばした。すかさずサイドに広がる武は、生まれた時間の中で思い返す。

(そうだ。俺達が組んだのは、俺が前で林が後ろ。よほどのことがない限りこの陣形は崩さない。俺は……)

 第一ゲームの自分の戦いぶりを振り返る。ミスを取り返そうとチャンス球が上がればスマッシュを打ち込む。ミスを恐れて少しでも危険があればハイクリアを飛ばす。自分しか見えなくなり、目的は完全に頭から抜けていた。
 加洲からのスマッシュが武へと飛ぶ。第一ゲームならば更にロブを上げていたが、武はバックハンドで威力を殺し、ネット前にシャトルを落とす。前で構えていた南原が、いきなりのヘアピンに反応しきれず、シャトルが落ちるのを見送った。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「っし!」

 武は右腕を掲げてガッツポーズをとった。その様子に林も一緒に手を上げる。

「ナイスショット! もう一本!」
「おう!」

 武はシャトルを手に取り、サーブ位置に戻る。
 後ろには林の気配。静かに腰を落としている。そんな様子を感じ取れたことで、武は自分の感覚が鋭敏になっていることに気づいた。

(いつもの自分が戻ってきてる。なんでだ? 南原に萎縮する理由も分からなかったけど、こうして戻る理由も分からない)

 武は一度息を吐き、ショートサーブを打つ。加洲はプッシュを諦めてヘアピンを打った。多少浮いたところを武はラケットを差し出し、下から上にラケットヘッドを振った。シャトルコックがラケットヘッドに触れて不規則に落ちていく。武のスピンヘアピンは成功して連続してポイントを得た。

(よく見える。シャトルがゆっくりに見えるから、いろいろラケットを振れるんだ)

 加洲からシャトルをもらい、羽を手で整えながら林のそばに戻る。林は笑顔で武に呟く。

「ほら、いつもの相沢に戻っただろ」
「ありがと。でも何でだ?」
「難しく考えすぎってことさ。相沢は真面目だからね。そういう時は逆に自分がやることだけを思いだせばいい」

 考えた意識はなかったが、南原については実際、気付かぬうちに意識して、原因をいろいろと考えていたのだろう。その結果、体が萎縮し、失敗を繰り返した。
 だから林は武にやるべきことを意識させた。

「さ、一本」
「ああ……」

 サーブ姿勢に入りながら、武は少しだけ後悔する。吉田と離れ、林にアドバイスをもらって立ち直った。それはつまり、自分は精神的なものはあまり成長していないという証明ではないかと。
 全道大会で決勝まで行った。準決勝で強敵の橘兄弟を破った。そのことで心技体全てが今までよりも成長できたと思っていた。

(でも、そんなことはなかったんだ。俺は結局、精神的なものは成長してない)

 ショートサーブを南原はヘアピンで返す。シャトルが高く上がってしまったところに、武がバックハンドでコートへプッシュを叩きつける。得点を重ねても思考は続く。

(あいつがパートナーだったから、支えられてただけだ。俺があいつを支えてるとも思ってたけど、きっと、そんなことはない)

 一つ息を吐いて次のサーブを打とうとした瞬間、林がタイムをかけた。思わず前につんのめる武だが、何とか踏み止まる。視線を林に移すと、靴紐を結んでいた。

「おい。大丈夫か?」
「大丈夫。それよりまた雑念入ってるよ」
「え、分かるのか?」
「あてずっぽう」

 林の答えに拍子抜けした武だったが、次の言葉でその弛緩も固まる。

「相手がミスしてくれるから得点になってるけど、集中しないと」
「……分かってる、けど」

 武の呟きに林は靴紐を直して立ち上がり、小さく返した。

「相沢に必要なのは自信だよ」
「自信……?」
「そ」

 林はタイムを止めて、武にもサーブを打つように促した。武は続きを聞きたかったが、あまり試合を長い時間止めるのもまずい。ひとまず息を吐いて目の前の加洲に対して意識を集中する。

(前に意識が集中してる……なら)

 武は林へと弾道の低いドライブサーブのサインを送る。林は了解の返事として「一本!」と吼える。ショートサーブを打つ気持ちで、ラケットを素早く手首のスナップだけで振りぬくと、シャトルが加洲の顔の傍を通るように飛んでいく。ラケットを前に出していてもその弾道に反応できず、ダブルスサーブライン上に落ちるシャトルを振り向いて見るしか出来ない。

「ポイント。フォーラブ(4対0)」

 得点を重ねるごとに武の中に積み重ねられていく何か。それは林の言う自信なのか。
 武は考えようとするが、サーブを促されてまた構える。南原の顔に浮かぶ焦りを見ながら、ショートサーブを打つ。腰を落として構えながら林の次手を想像しつつ、体を少し左寄りにする。林は左利き。今の位置から打つならば、武の右側を貫いていくドライブだ。
 実際、ラケットガットがシャトルを弾く音と共にシャトルが武の右側を抜けていく。南原は武の動きにつられて移動したためにがら空きの右側を簡単に陥れた。加洲が追いついてドライブでストレートで返したが、武がそれに追いついてプッシュで落としていた。

「ポイント。ファイブラブ(5対0)」
「ナイッシュー!」

 武に向かって手を掲げた林。その手に軽く武は右手を打ちつけた。
 何かを考える前に体が自然と動いていた。シャトルに向けてラケットを差出して打つ。それはもう体に染み付いた感覚になっている。

(これが、俺が身に着けてきた力か)

 吉田と共に進んだ道。そこで得たものが自分の糧になっている。それは紛れもない事実。

「悩むなよ。悩むのは試合の後にしよう。今は、まず勝つことだ」
「……そうだな。反省するために、まずは勝つ」

 武の顔に笑みが浮かぶ。第一ゲームでは考えられなかった余裕。

「一本だ!」

 武はシャトルを構えて、斜め前の加洲に向き合う。相手の様子を読み取りながら、最善手を打つことに意識を集中する。余計なことなど考えず、どこに打てば隙が生まれ、シャトルを打ち込めるか。それだけを考えるように先鋭化していく。

 そのまま、武達はラブゲームで勝利した。
 武、林組。一回戦突破。


 * * * * *


「なんとか勝ったな」

 武と林はフロアから出て、自動販売機で買ったスポーツ飲料を飲んでいた。休息のスペース――試合前に大地と話していた場所は今も、何人かが椅子に座りながらくつろいでいる。試合の熱にも当てられない、正に休息のための場所なのだろう。
 武と林もまずは一回戦を突破したということでクールダウンの意味合いも込めてここにいた。

「ああ。林のおかげだよ、ありがとう」
「いいって。俺も勝ちたかったしね。でも、なんで調子悪かったのかな」

 林の何気ない問いに、武は試合後に考えたことを言ってみる。なんとなく、橋本や吉田には気恥ずかしくて言えないことだったが、林には自然と伝えていた。

「多分、俺が小六の時に負けた相手だからだと思う」
「小六ってことは、最後の大会ってやつ?」
「ああ。なんかトラウマだったのかな」

 そこから口が次々と言葉を紡いでいく。
 吉田と試合を重ねて強くなったと思っていた自分。しかし、こうして弱さを見せてしまったことへの羞恥心。情けないと思う気持ち。近い存在には明かせないことも少し遠い林にならば話せるということなのだろう。

「やっぱり考えすぎだよな、相沢って」
「そうだよな、やっぱり。分かってるんだけど」

 落ち込む武にも、林は笑って言う。そこまで重いことではないと言うように。

「まあ、それが相沢のいいところでもあるし。そのままでいいんじゃないか?」
「そのまま、っていってもなぁ」
「吉田は十分支えられてるって。あいつの力だけで全道二位とかなれないよ。見てないけど、それくらい厳しいところだって言うことは想像できるし」

 林の言葉は、武とはまた違った視点で吉田のことを信頼していることから発言しているようだった。
 それはバドミントンプレイヤーとしての吉田というよりも、一人の友達としての吉田の側からの発言。
 吉田の性格を分かっているからこそ言える言葉。

「そうなのかな」
「言ったろ。相沢に必要なのは自信さ。実力がそれだけついたなら、もっと自信持っていいはずなんだけど、まだ吉田に助けられてるって考えのほうが強いんだろうさ」

 正しいだけに何も反論できない。
 武の反応にまたも笑いつつ、林は続ける。

「そういうところに不安になっちゃうのはむしろ、相沢が慎重だからだろ。自信持って油断したら勝てる試合も勝てないしな。だから不安なら不安でいいんじゃない?」
「それって……」
「そうやって不安でも、結局やることは一つだってわかったじゃん」

 林の言葉に、試合の間のことが思い返される。
 言葉の意味を考えようとしても、結局試合が始まると相手の動きやシャトルの打ち込む先について思考していた。自分の状況はさほど変わっていない。精神的に弱いと思っていた自分と。しかし、それでも相手の隙を生み出してシャトルを叩き込むことに集中すれば、次々と点を取れた。
 実力がある相手とは言いがたいが、それでもそれまでは苦戦していた相手。
 いかに自分の意識が他のことに向いていたか分かった。

「ようは相沢が普通に実力を出せば勝てるものは勝てる。負けるときは負けるんだ。精神の強さって、その実力を出すことを持続できることって思うんだよね。相沢はそれが出来たから、吉田と一緒に全道大会を戦えたんだと思う」
「それは、吉田がいたから」
「なら、いいじゃん。ダブルスは二人でやるもんだし。あと、シングルスは一人でやるものだけど、一人でやるもんじゃないみたいだよ。吉田の受け売りだけど」
「吉田が?」

 シングルスをやらない武には言っていなかっただけなのか。初めて聞く言葉。
 その意味のはっきりしたことは分からないが、全道大会を経た武には何か判る気がしていた。

(確かに。一人でやるものじゃないかも)

 思い浮かべたのは小島や早坂の姿。
 杉田や刈田も思い起こせる。
 例え一人でコートに降りても、自分達の応援で背中を押していた。コートの中には一人でも、誰かが必ず傍にいる。
 どこにいても、自分は一人じゃない。

「長くなったけど。いろいろ一人で悩む必要はないし、弱ければ助けてもらえばいいだろさ。な、吉田」
「そうだな」

 急に入ってきた第三者の声に驚いて振り返ると、吉田が笑って立っていた。気恥ずかしくなって目を逸らすと更によしだが近づいてきて武の肩を叩く。

「まだまだ相沢には負けてないな。もっともっと強くなってくれよ。この学年別でも」
「ここで優勝して、次の大会のダブルスは俺達二人になったらどうする?」
「困るな、それは。でも、林もそれくらい欲持ってやってほしい」
「結構本気で狙うぞ」

 林と吉田の会話に横たわるのは、確実に繋がった友達関係。
 じゃあ自分と吉田の間にあるものは何か。

「吉田。決勝は、俺達でやろうぜ」

 武の強気の発言を聞いた吉田の顔に驚きと、次の瞬間には喜びの笑みが生まれる。

(俺と吉田の間にあるのは、パートナーとしての信頼だ。互いに支えあってる。それだけ、俺達は……俺は、強くなった。少しは自信を持とう)

 武の顔にようやく、心からの笑みが戻った。
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