Fly Up! 91

モドル | ススム | モクジ
「さて、今日は皆、よく頑張った」

 試合が全て終了し、表彰式も済ませて体育館は明かりを消した。時刻は午後五時半を回り、日の光も細くなってきたことで辺りも暗くなっている。他校もミーティングをしているのかそこここに点在し、顧問の声が武達の耳に届いていた。
 入り口を出て邪魔にならない場所へ移動したところで、庄司が部員達を見回して言う。男女はそれぞれ長かった一日を振り返り、疲れた身体に顔を曇らせる。
 一つの試合が終わったのみで、これからも部活は続いていく。その流れの中での言わば谷間。一息つくことでまた登らなければいけない山を思うと気が滅入ってくる。
 そんな心情も庄司は理解したのか、続けて言葉を放つ。

「三年はこれで引退だ。次の部活で挨拶をすれば本当に終わる。次の部活は二日後だが、それまでに一人一言くらいは考えておけ。時間の関係で省略するかもしれないが」

 二日経てば、三年生は部活とは異なる戦場に足を運ぶ。高校入試という戦場に。文武両道を掲げている浅葉中だからか、心配されるほど学力に問題がある部員はいない。大抵は志望校に合格できる学力を持っていた。
 しかし、今までは部活と勉強の両輪で過ごしてきたのだ。両輪とも勉強となった時、一体どうなるのか三年でも不安になるはずだった。
 その不安を、庄司は見事に取り除く。

「お前達の培ってきたものは無駄じゃない。車の両輪で言えば、半年だけタイヤが変わるだけだ。何も恐れることはない。今まで通り、目標に向かっていけばいい」
『はい』

 庄司の言葉に部員達も緊張をほぐす。そのまま最後のまとめに入る姿は武達に大人の頼りがいを感じさせた。

「さて、今日の結果だが、改めて。まず男子は金田・笠井ペアがベスト八」

 拍手がまばらに起こる。金田達との対戦の後、橘兄弟はそのまま優勝していた。第一シードをほぼ完封し、一番てこずったのは武に語った通り金田と笠井ということになった。
 別の場所に配置されていたならば、またトーナメントの結果は変わっていただろう。その思いが皆の中にあるのか、勢いがない。

「次に、女子は早坂がシングルスで二位となった。早坂は今度の全道大会に出場する。皆、引き続き応援してやってくれ」

 金田と笠井に遠慮してか、少しだけ拍手は大きく鳴った。早坂は照れて顔を少し俯かせたまま視線をかわしている。
 シードを二人破り、決勝まで進んだ早坂。敗れた試合も、最後までどちらが勝つか分からなかった。
 早坂は着々と成長している。武も吉田も、自分達の成長を確信していたが、早坂のそれは群を抜いていた。今までもある程度高いレベルで完成していた早坂の技量は、更なる実力者に触れたことで内なる扉を開いて一気に開放されたという表現が正しいようにも思える。

「なあ、今の早坂に、吉田勝てる?」
「分かんないな」

 自分で「勝てないかもしれない」という言葉を期待するような聞き方をしていても、実際に言葉を濁されて武は戸惑う。カウンターを得意とした早坂が自分から攻める力を身につけた。それは攻守共に隙がないプレイヤーへ成長する第一歩となる。未完成だが、確実にその力を広げていけるだろう。元々持っていた才能がここにきて居場所を見つけたかのように、生き生きとして羽ばたいた。

「折角勝てるようになってたのに、また負けるのか……」
「ならまた勝てるよう練習すればいいよ」

 当たり前の回答。悲嘆もなく、気負いもない。一歩ずつ前に進んでいくこと。そのように存在する吉田に武は心から感謝する。恥ずかしく、言葉には出さなかったが。

(お前がいるから、俺はどんどん前にいけるよ)

 吉田と会話している間にミーティングも早坂の話題からずれ、終わりの時が来た。庄司の号令と共に一度姿勢を正す。

「これでミーティングを終わる! はぐれない様に付いて来いよ」
『はい!』

 庄司の背中に集団となって着いていく。
 長かった一日。高い場所を知った一日。
 そして、また一つ成長できた一日。
 武の中でいくつもの一日の意義が過ぎていく。
 月がかすかに見え始めている空を眺めながら、今日の終わりと新たな日々の幕開けを期待して、武は胸を躍らせた。

 ――だが、まだ一日は終わらなかった。


 * * *


「はぁ、一つ終わって一難か……」
「ほんとにね」

 向かいに座る早坂がため息をつく。窓枠に肘を上手く引っ掛けて、顔を支えながら外の景色を見ていた。といっても、すでに日は落ちていて民家の明かり以外は畑が広がっているために、ほとんど見えない。鏡となった窓ガラスに映る顔が早坂を見返している。

(ほんと、災難だった)

 武は周囲を見回してみる。知り合いは誰もいない。今は空いている時間帯なのか客自体まばらだ。

(人ごみ苦手だからいいけど。でもそれ以上にこの二人だけというのは……)

 心の中で冷や汗をかきながら、武は視線を早坂に向けすぎないように外す。気まずい雰囲気を出しているのは武だけなのか、早坂は気にする素振りなく外を見ている。

(二人して乗り遅れるとは、不覚だ)

 事の顛末を思い起こして、武はため息をつく。といっても単純で、電車が出る間際に武が駅内のトイレに行っていただけだ。電車内にも備え付けられていることを失念して。

(早坂も、トイレだったのかな)

 考えても、それを聞こうとはしない。早坂の強い気配が武の口を封じる。
 結局、電車の時間に間に合わず庄司も二人の不在に気づいて降りようとした時にはドアが閉まってしまった。
 残された二人のうち、先に動いたのは早坂。

『別になんともないわ。次の電車で帰りましょ』

 確かに問題ない。ただ、電車で遠出をしたことが皆無だった武にとって取り残されたという状況は頭を混乱させるのに十分だっただけ。早坂が冷静に当たり前のことを言ったことは武の頭を落ち着かせる。

『ああ、そうだな』

 取り乱したみっともない姿を見せてしまったことに頭を抱えながら、武は早坂と並んで電車を待った。
 それが二十分前のこと。今はお互い向かい合わせに座り、車輪が線路をこする音を聞いている。
 ゆったりと流れる時間。張り詰めていたように感じていた空気も、いつしか消えている。あるのは試合が終わったことでの倦怠感。緊張が途切れたことで武の瞼も徐々に下がっていく。

「眠いの?」

 急に早坂から話しかけられ、武の身体がはねる。更に座席から落ちそうになった身体を支えたことで音は大きくなり、周囲の注目を集めてしまう。
 先ほどまでなごやかだった空気が冷えていく。武は視線を早坂に向けないように姿勢を戻し、縮こまる。

(いきなり話しかけてくるから崩れたのに、俺のせいかよ……)

 上目使いに視線を向けてみると、既に武に興味を失ったのか腕を組んで目を閉じていた。

(お前も眠くなったのか)

 悪態をつこうとして、止める。考えてみれば早坂が最も疲れているのだ。
 団体戦に個人戦。今日、一番試合をこなしたのは武でも金田達でもなく、早坂だ。序盤で負けていく同じ地区の代表選手の中でただ一人、トップに肉薄した。誰よりも、動き、打ち、結果を出した。
 疲れていないはずはない。
 耳をすませば、微かに寝息が武の耳に聞こえてくる。

「さすがだよな、早坂。凄いよ」

 寝ていることを確信して、呟く。二人きりでいることで、小学校時代の憧れの感情が素直に浮かんできたのか、言葉を紡ぐ。

「お前に憧れて、良かった」
「……なかなか恥ずかしいこと言ってくれるわね」

 返答があるとは思わず、武は身体をびくりと震わせた。言葉には疲れからであろうきつさがあったこと。武自身、自分の台詞の恥ずかしさを追及されたくなかったことで想像以上に怯える形となっていた。早坂は目を開け、腕組みを解く。
 心なしか頬が赤く染まっているように、武には見えていた。

「相沢もかっこよかったじゃん。由奈がいたらきっと顔の緩みが取れなかったわね」

 ちょっと妬けるかも、と呟いて早坂はまた外を向く。そこに何かが映っているとでも言うように、見続ける。
 呟きは武の耳にも入ったが、どう反応していいのか分からない。

(ここは「お前、好きな男とかいないの?」とか言うべきなのか……それともスルーがいいのか。でもスルーしたらしたで怒りそうだしな)

 自分の中の早坂との記憶を探ってみても、この局面で言うべき言葉は見つからない。そもそも二人きりというシチュエーションはどこにもなかったのだ。加えてかすかに恋愛色も混ざっている。小学生の時にそんな浮いた話は早坂の外で行われていた。

(分からない時は、直感に従うほうがいい、か。いや、バドミントンみたいに相手の隙を探して……ってそんなバドミントンと会話は違うだろうに)

 一人で悶々ともだえていると、早坂から先に言葉が出ていた。

「相沢は、由奈と問題なく付き合ってる?」
「ぅえ?」

 武の声が半ば裏返る。早坂から聞いてくるとは思わない質問に武の動揺も広がっていく。何か返さなければいけないと慌てふためく脳に過ぎった答えは、現状を正確に伝えるだけ。

「いや、まだ付き合ってないよ」

 きょとんとする早坂の顔を見て、更に武は動揺する。

(もしかして俺と由奈の話でも聞きたかったのか? どういう風の吹き回し?)

 緊張が上限を超えたところで、ふと武は由奈からのメールを思い出した。早坂がいつも通りの力を出して試合をしているか心配する文面。武ですらそこまで一緒にいて遊んでいる印象がない二人の絆をどこか感じさせる。
 話題に窮した際の切り札を、武は持っていた。

「あ、早坂。これ、由奈からメールきてたぞ」

 武は手馴れた動作でメールを見つけると、液晶画面を早坂へと向けた。翳された文章を早坂は一読し、微笑む。心底安心したような笑み。
 ようやく試合が終わったのだと安心するような。

「ほんと、由奈と仲がいいよな、早坂」
「そうね」

 早坂の返答に揺るぎはない。当たり前のことを聞いているのだと武は悟る。自分にとっての由奈と早坂にとっての彼女。それは同じようでいて違う。
 武から見れば、早坂のように多少きつい性格をしているような女子と由奈のようにおっとりとした女子は水と油で合わないようにも思えた。しかし、実際は小学生の時から――町内会のバドミントンサークルで初めて顔を合わせてから二人は同じように関係を続けている。

「由奈は私の憧れだしね」
「……え」

 この時間は幾度意外に思える言葉を聞かされるのかと、武は思う。試合の後の疲労は早坂の口を軽くしているのか。
 どちらかといえばかっこいいと呼ばれるだろう早坂。酷ければトロくさいと陰口を叩かれそうなほどの由奈。そんな由奈に彼女は憧れるという。

「由奈って女の子らしいじゃない。私みたいになんか男子敵に回してるような女じゃなくてさ」
「いや、早坂は別に敵に回してるわけじゃないだろ……」
「当たり前よ。ただ、そう思うことと見えてしまうことは違うでしょ? 男子が私をどう言ってるかなんて女子のネットワーク伝わってくるんだから」

 今後は女子への陰口は止めようと武は誓っている間、早坂は武をじっと見ていた。少ししてその視線に気づき、尋ねる。

「な、なに?」
「相沢はさ、由奈と付き合ってないのよね」
「妙に拘るよな。ああ、そうだよ」

 付き合うなら由奈だけど、と心の中で付け加える。吉田ならばその声を拾えただろう。しかし、相手は早坂だった。

「なら、もし私が付き合ってって言ったら付き合う?」
「いや、どうだろ」

 反射的に呟いた言葉は武も驚くほど冷静に、早坂を否定した。その事にショックを受けている様子は早坂にはない。むしろ嬉しそうに笑いながら言葉を続ける。

「そうよね。それでこそ、相沢よ。分かりやすい」
「……それはからかってる?」
「誉めてるのよ」

 それを最後に、早坂は会話をすることを止めた。電車が揺れる音と振動が武を心地よくし、やがて眠りにつける。
 終点である地元駅に着くまでの、最後の時。かすかにだが、早坂の声が届いていた。

「そういう分かりやすいところ、嫌いじゃないわよ」

 その言葉は、次に目覚めた時には武の中から零れ落ちている。紡がれた事実は、そのまま時の流れに消えていった。

 一つの試合が終わり、新たな時代が始まる。
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