モドル | モクジ

● SkyDrive! --- 第百十話 ●

 賢斗のラケットが右から左へと振られて、シャトルが白帯を通り過ぎて落ちていく。だが、すぐに藤井のラケットヘッドがシャトルの軌道上に入り込んで再びクロスに打ち返された。
 目の前を斜めによぎったシャトルが再び逆方向から飛んでくる光景にも、賢斗は同様にラケットを出し、クロスに柔らかく打つ。藤井も再びクロスに打つことで、奇妙なヘアピンのラリーは六回、七回と数を重ねていった。

(ストレートに……打てない……)

 奇妙に思えるのは打っている賢斗自身が分かっていた。
 しかし、変化を付けてストレートに打とうとすると打ち損じてしまう光景が浮かんでしまい、プッシュの餌食になるというところまでのビジョンが頭から離れず、前と同じ軌道をなぞることのほうが容易と判断していた。おそらくは藤井も同じで、ストレートへのヘアピンでタイミングを外すには、きっかけが必要だった。
 決まったテンポでヘアピンを打ち合う二人。賢斗も藤井も意識を研ぎ澄ませて、ほんのわずかでもヘアピンに誤差が出ないかを探していく。

(……そんなの無理だ。俺には隙なんて探せない)

 賢斗は即座に方針転換する。膠着状態が解けないのならば、むしろこのまま続ければいい。
 同じ動作を繰り返す。誤差の範囲を保ち続ける。
 ラケットを出してクロスに打っては足を戻し、また前に踏み出す。
 リズミカルな息遣いと体を使って、目の前のシャトルを返していく。
 覚悟を決めたことからか、シャトルの動きがスローモーションに見えてくる。
 集中力が高まった世界の中で、賢斗は息遣いが徐々に荒くなっていくのが分かった。いくらギリギリの軌道でシャトルを打ち返すことができていても、体力は徐々に減っていく。このままだと、藤井より先に音を上げてしまうかもしれない。

(それでも、俺は打つ!)

 一度呼吸を止めての踏み込みは、賢斗の動きを微妙に狂わせていた。シャトルに向けて差し出したラケット面。本来ならば、中央に当たるはずのシャトルが今はより先に近い場所に当たる。同じラケットワークで当たる場所が変わったならば、シャトルの軌道が変わるのも必然。
 シャトルはクロスではなくストレートに近づく軌道で返っていた。

「はあっ!」

 ストレートヘアピンが打たれる瞬間を狙っていたのか、藤井はバックハンドでシャトルにラケット面を叩きつける。即座に体を反転させて振ったラケットは面の中心から横にずれた場所にシャトルコックを当てる。

「うああああ!」

 賢斗はとっさにラケットを藤井のラケットの前に掲げていた。シャトルをどこに打たれるとしても、よほど外されなければどこかに当たるはず。ここで打ちこまれてポイントを取られれば相手へと行きかねないという試合の流れを、賢斗は肌で感じていた。

(当たって――)

 藤井のラケットがブレて、賢斗は思わず目を瞑る。暗くなった視界には、賢斗のラケットにシャトルが当たった音も感触も伝わってこなかった。
 自分なりに捨て身で出したラケットがシャトルを捕えることができなかったことに、賢斗の脳裏に後悔が広がる。だが、シャトルが弾かれる音は遅れてやってきた。瞼を開いて前を見ると、藤井の表情が強張っている。逆サイドへと動こうとしても体が言うことを聞かずにその場に縫いとめられていて、目線だけが賢斗の左から右へとずれていく。

(これは……)

 賢斗が事情を理解した時には、賢斗の背中を通って肩口を通過したシャトルがネットを越えて落ちていた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「――ナイスショット、高羽!」

 背後を振り向いて隼人に向けた言葉に、賢斗は自分で吼えたにも拘わらず驚いていた。手を上げてハイタッチの体勢を整えたところで固まったことに隼人は一瞬首を傾げたが、すぐに微笑んで近づくと乾いた音を立てた。

「ナイスヘアピンだった。おかげで良いところ打てたよ」
「……でも、もっと俺が頑張らないと」
「いいさ。俺たちはダブルスだぞ?」

 賢斗の胸元を右手で拳を作って軽く叩く。隼人から伝わってくるのは柔らかく、暖かい思い。叩かれただけで体の力がほどよく抜けていく。

「鈴風の気持ちは嬉しい。だから思い切り動いてくれ。それでも抜けてきたなら、それは俺が打つべきシャトルだ」

 賢斗の献身を否定せず、更に鼓舞する隼人の言葉に賢斗は全身に力が漲っていく。仲間に必要とされることが賢斗に与える力は、想像をはるかに超えていた。
 気分が高揚し、何でもできるのではないかと思わせる。

「よし、一本だ!」
「一本行こうぜ!」

 サーブ位置についたところでシャトルが放られてくる。中空でラケットを使ってからめとった賢斗は自然な動きでバックハンドの体勢を取り、サーブを放つ準備を整える。斜め前には再び沖浦がラケットを掲げて山として立ち塞がった。だが、最初の時よりも姿が小さく見える。

(身長が変わるはずはないのにな)

 気の持ちようでいくらでも相手の存在感は変わる。けして侮るわけでもない。いくら打てるようになっても初心者である賢斗から見れば誰もが格上で、侮ることなどできるはずもなかった。
 変わったのは自分の意識で、そこにマイナスの感情などない。

(高羽に期待されることが、やっぱり嬉しい。それにやっと応えられる、自分も)

 相手の構えが整ったところでシャトルを打つ。
 サインをすることを忘れていたが、ショートサーブしか打つ気配がないことは残る三人にも伝わっていただろう。
 まだフェイクを入れられるほど器用ではないが、賢斗のサーブは白帯すれすれを飛んで簡単にプッシュを打たせなかった。沖浦が打ち返したシャトルを賢斗がしっかりロブを上げる。シャトルが奥へと向かったのを見て悠々とサイドに移動した賢斗は、腰を落としてシャトルが来るのを待った。
 沖浦ではなく藤井が追いついてハイクリアをクロスに打ってくる。
 シャトルは頭上を通り過ぎるように飛んできたため、賢斗は自分も飛ぶように軽快なステップで後を追う。

「高羽!」

 叫んだ後で飛び上がり、ラケットを身構える賢斗。その動きは明らかにジャンピングスマッシュで、沖浦と藤井だけではなく隼人まで驚きに目を見開いていた。
 タイミングは完璧で、沖浦と藤井は直後に来るであろうスマッシュに備えて腰を落とす。中央か左右どちらに来ても打ち返す気迫は十分。
 そんな二人の気迫を外すように、シャトルは高い位置からコートに平行の軌道を進んでいった。慌てて追おうとした二人だったが、腰をしっかりと落とした影響で動きだすことができず、シャトルがギリギリライン際に落ちたのを見送るしかなかった。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」
「しゃあ!」

 賢斗は着地してシャトルの軌道を目で追っていき、誰にも触れられないままコート内に落ちたところで拳を掲げた。ジャンピングスマッシュを打たなかったことに疑問符を浮かべる相手二人には当然答えることなく、隼人とハイタッチを交わした。

「まさかあそこでフェイントかけるなんてな」
「んー。ジャンピングスマッシュ。打ったら失敗しそうだったから、打つように見せかけたんだ」

 スマッシュを打とうとしてドロップ。
 ロブを上げようとしてヘアピン。
 真比呂や隼人。他の仲間達も素直にラケットを振るのではなく、何かしらタイミングを外して予測できるショットとは異なるショットを打っていた。今のは、賢斗なりに考えた結果のフェイントだったのだ。

「そっか……合わせるから、どんどん行ってくれ」
「おっけ!」

 サーブ位置に着き、飛んできたシャトルを受け取った賢斗は意気揚々とサーブ体勢を取る。決勝戦にきて、次々とできることが増えていく。集中するのは体力を消費するが、気持ちよい疲れが体を包んでいく。
 それは例えば、過度の力を抜いた体勢から綺麗な声を出すことができた時。
 合唱で理想的とも呼べる音程と音量を出せた時の達成感にも似ていた。流れを作り出す歯車がうまく噛み合っていると、自分には何でもできそうな気がしてくる。

「一本!」

 自分を中心に気合いが波紋として広がっていく。斜め前にショートサーブを放ってそのままラケットを差し出すと、藤井から返ってきたシャトルが吸い込まれるようにラケットヘッドの中央へとぶつかる。ラケットを中空に固定するだけの力で相手コートにシャトルが返り、四点目があっという間に入っていた。

「っし!」
「ナイスインターセプト!」

 自分が何をしたのかはコートの外からの声で悟る。声を出してきた真比呂に拳を掲げてガッツポーズを見せる。自分らしくない動作を次々としていくのは、バドミントン選手としての自信が結実していくのと比例していた。

「今の調子で、もう一本行こう」
「おう!」

 隼人に促されて四点目のサーブ位置に立つ。沖浦も藤井も、連続得点を止めるべく意識を研ぎ澄ませていくのが分かったが、賢斗は必要以上に恐れずにサインを出す。少ないながらも積み重ねてきた経験と、仲間達との思い出を胸に、今度のサーブはロングで飛ばしていた。

 * * *

 シャトルが高く舞い上がり、ダブルスコートの最奥へと飛んでいく。落下していく先にはダブルスラインがあり、ちょうど真上に落ちるように調整されていた。
 賢斗は自分の打ったシャトルの軌跡を視界に入れつつ、コートの右半分をケアできるように腰を落とす。ゲームを通して体重がかかる膝への負担は大きく悲鳴を上げていたが、歯を食いしばって堪えた。シャトルが厳しい場所へと落ちていくのは自分の意志で意図的に狙ったものではなく偶然の産物。しかし、理想以上の軌道を描くことができたのは気力を充填して体力を補う。

「おああああああ!」

 落下点に移動した沖浦は、声を張り上げた時の賢斗に匹敵する音量で吼えながらシャトルを打つ。野球のボールを投げるような腕の軌道でシャトルを叩くと一直線に賢斗へと突き進んでくる。真正面から迫ってくるシャトルは遠近が狂って、遠くにあったシャトルが一瞬で目の前に移動してくるように見える。だが、既に賢斗は対処法を理解していて、ラケットをただ目の前に掲げた。
 勢いよくぶつかったシャトルは跳ね返り、ネット前へと落ちていく。沖浦とちょうど逆になる動きでネット前へと詰めた藤井はシャトルをヘアピンで返す。賢斗の前ではなく、クロスに逃げるように打つと賢斗も追うことができなかった。

「はっ!」

 代わりに前に出たのは隼人だ。白帯から離れていき、ネットの中腹まできたところでラケット面をこすらせてストレートにヘアピンを返す。白帯から離れていくと共に打ち返す難易度は増していくが、隼人のヘアピンは綺麗に白帯を越える。藤井はラケットがネットに触れないようにしてシャトルを叩いたが、勢いはなく隼人の頭を越えていくだけ。背後に移動していた賢斗は藤井が定位置に戻る前に逆サイドへとドライブを放っていた。

「ふっ!」

 藤井がラケットを伸ばすよりも前に、シャトルがドライブで突き進む。後方にいた沖浦はストレートドライブを放つが、軌道を完全に読み切った隼人が白帯を越えた瞬間にシャトルを叩きつけていた。

「ポイント! ナインティーンシックスティーン(19対16)」

 審判のコールに呼応して隼人は吼える。左拳を突き上げて自分が上げたポイントから力を吸い取っているように賢斗には見えた。そんな隼人に駆け足で近づいてから左手を掲げてハイタッチを交わした。

「ラスト二点!」
「っし! 行くぞ、鈴風!」

 隼人の気合いと流れている汗の量を見ていると、賢斗は少しだけ情けなく思う。体力の続く限り隼人に無理をさせずに自分は燃え尽きようと決めていたが、第二ゲームの終盤までくると疲れているのは自分のほうだった。決勝まで隼人たちに比べれば体力には余裕があるはずなのにと悩みかけたが、ネットの穴を越えて伝わってくる沖浦たちの闘志を感じて気を引き締める。

(危ない……最後まで集中しないと。ファイナルゲームに突入すると、危ないかもしれない)

 疲労度によって錯覚していたが、まだ第二ゲームの終盤だった。自分の想定以上に体力が減っている事実は、試合前に亜里菜から聞かされたことを思い起こさせる。

(沖浦君と藤井君のダブルスのピークは、セカンドゲームの十八点目から二十一点目みたいだよ。もし、ファーストゲームを取っても油断しないで。できればセカンドゲームで決めてね)

 実際に沖浦も藤井も、動きは良くなっている。がむしゃらにラケットをシャトルへと伸ばすだけの賢斗では越えられない動き。スマッシュやドロップのキレだけではなく、フェイントとしてハイクリアを打つタイミングも巧みになっていくことで調子が上がっているのは明らかだった。
 点差はまだあるが、実は追いつめられているのだと気を引き締める。

(それでも、高羽のおかげで先回りしてるんだ)

 調子が上向きの二人をこれまで抑え込んでいるのは、ひとえに隼人の存在が理由だった。隼人にはシャトルが放たれる場所が分かっているかのように、一瞬早くラケットが動く。結果、沖浦たちが追いつく前に相手コートへとシャトルが返り、チャンス球が上がる。

「よし、ラスト二本。いこう」
「ああ!」

 隼人がサーブ権を持っているため、ラインギリギリにサーブ体勢を取る。レシーバーは沖浦で、プッシュで打ち返そうという気迫を前面に押し出していた。その気迫を上手く躱すように隼人は鋭くロングサーブを放つ。左側かつ低い軌道で沖浦のラケットの高さでは打ち辛い軌道に、針の穴を通すかのようなコントロールで通す。体を強引にシャトル側に入れた沖浦はラケットを振るも、フレームショットになってしまった。シャトルはネットを越えず、白帯にぶつかってから沖浦の前へと落ちていた。

「ポイント。トゥエンティマッチポイントシックスティーン(20対16)」

 遂にマッチポイントを迎えた、その瞬間。賢斗は相手コートから噴き出す闘志にあてられてよろめいていた。隼人が眼前にいたことで二人の様子ははっきりとは見えない。すぐに隼人が避けると、障害物がなくなって次々と鋭い視線が賢斗の体を串刺しにしてくる。

(これが……最後のプレッシャー)

 賢斗は自然と練習試合で始めて勝利した時を思い返そうとする。だが、一年も経っていないのに、もう思い出すことは出来なかった。まだシャトルに触れるのが精いっぱいでほとんど隼人に任せていたからかもしれないが、覚えているのは最後のプッシュを隼人が決めたことだけ。

「鈴風。ラスト一本」
「……うん。一本行こう!」

 隼人の言葉に我に返り、賢斗は腰を落とす。過去を思い返しても意味はない。隼人のサーブに反応し、プッシュで返されてくるシャトルを賢斗自身が返すだけ。一連の流れは反射的な行動で、賢斗も自分が打ったシャトルと共に前に出たことで現状を悟る。
 ネットを挟んで相対するのは藤井。賢斗にタイミングを合わせて藤井もシャトルを打ちに前に出ていた。賢斗も藤井に重なるようにして移動する。少しでも打つコースを防ごうとラケットを掲げながら。
 藤井は賢斗の動きを冷静に見て、クロスヘアピンで賢斗のラケットの範囲から外すようにシャトルを打った。賢斗が反応できるギリギリのタイミングを狙っていて、本来ならばそこでシャトルはコートに沈む、はずだった。

「ああああああああ!」

 自分でも理解できない動きで、賢斗はラケットを振り切っていた。どう動いて、どう打ったのか。それを後になっても賢斗は説明をすることはできなかった。
 藤井が打ったシャトルを、賢斗がプッシュで相手コートへと叩き付けた現実だけが、目の前にあった。

「ぽ、ポイント……トゥエンティワンシックスティーン(21対16)。マッチウォンバイ、高羽・鈴風。栄水第一!」

 全国選抜バドミントン選手権大会、神奈川県大会団体戦決勝、第一試合。
 高羽、鈴風ペアの勝利。
モドル | モクジ
Copyright (c) 2017 sekiya akatsuki All rights reserved.