英雄伝説

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 5.――まであと十分。




 そして。
 世界から、人々は消えた。




 1.――まであと一年。


 アリオスがその手で初めてモンスターを殺したのは、生まれてから年数を十数えた頃だった。
 世界を統治する大帝国の首都。その皇帝にも一目置かれた戦士の息子。
 生まれた時から積み上げられた教育と、それ以上の研鑽によって磨かれた力は、並み居る屈強な戦士達を打ち倒して、誰も届かない領域へと彼を押し上げた。輝く瞳は空で燦燦と光を放つ太陽のごとく。小柄ではあったが、その存在感は人々の全てを優しく包み、その場にいるだけで皆の頬を緩めて笑みを浮かべさせる。
 武力。知力。そしてその身に持つ穏やかな雰囲気。いざという時の焔のような激情。
 それらを併せ持つ者を、人は英雄と呼んだ。
 魔族と呼ばれる、人と相容れない生物に平和を脅かされている中で、アリオスは一つの希望となっていく。彼が成長することと合わせるように魔族の侵攻も激しくなり、人間の小国は次々と滅んでいく。世界を守る軍を持つ大帝国も人の理から外れているわけではなく、人外の力によって徐々にだが、後退を余儀なくされた。
 皇帝の声がアリオスに届いたのは、生まれてから十五を数えた時だった。
「アリオス。お前の力を存分に振るってもらいたい」
 そうアリオスに告げる皇帝は、以前見たときよりも老け込んでいるとアリオスは思った。確か、半年前に父親の戦死の報告を直々に賜った時だったと記憶を遡って答えを出す。その時の顔はもう少し生気が通ったものだったはずだ。わずか半年の間に髭は伸び、髪には白髪が混じり、顔は青白くなっている。それでもまとう気配の強さは変わらずにアリオスを押さえつけていた。
「お前の父が失われたことで、我が軍は徐々に押されてきている。魔王の軍勢もまた、被害は甚大のはずだが、その気配を少しも出さない……情け無いことだが、このまま消耗戦となれば先に兵士達の精神が疲弊する」
 皇帝はそこで一度言葉を切り、アリオスの瞳をまっすぐに見据えて言った。
「我々には英雄が必要だ」
 この国を統べる、英雄であるはずの人間からの言葉に、アリオスは想像以上に劣勢なのだと悟った。旧来の英雄だけではもう希望を与えることが出来なくなってきている。今まで国を守ることが出来ていても、未来を守ることが出来なければ容赦なく人は見限る。体を、魂を張って魔王から人々を守ってきた皇帝の姿。その姿を改めて確認して。
「分かりました。私の力で人々が救われるのならば」
 心に深く刻まれる、男の姿。
 常に厳しく自分を鍛え、母を。民衆を守り、散っていった父親。
 今、目の前で自分の英雄の座を廃してでも新たなる風に任せるまで戦い続けた皇帝。
 偉大な男達の意志を受け継ぐのだと、アリオスは自らの気迫に体を震わせた。
「私の命を賭けて。魔王を倒してみせます」
「ありがとう。頼んだぞ、アリオス」
 重く響く皇帝の言葉。その威厳を背にアリオスは歩き出す。人々の笑顔を曇らせる元凶を刈り取るために。
 皇帝がいた部屋を出て、まっすぐに来た道を戻る。近衛兵達はアリオスを見て、畏まって頭を垂れていく。敬意の表れか。あるいは、自分の力を恐れているのか。
 この王都には、アリオスに勝てる者は存在しない。齢十五にして、それは人間の世界では最強の力を持つことを意味する。同年代の仲間達からも最近は疎遠になっていた。自分のいる領域に立つものはなく、誰からも頼られていく。自分の親ほどの大人からも。生まれたばかりの幼子からさえも。
「それが強者の役目ならば、受ける」
 それでも耐えられると思ったのは、先を歩いていた男達の背中を見ていたからだった。



 2.――まであと九ヶ月



 皇帝から言葉を受けた三日後。
 アリオスは信頼に足る仲間三人を供にして、旅立った。
 人々の顔に笑顔を取り戻すために。世界を救うために。
 旅立ちには残された母親も含み、たくさんの人々がアリオスに声をかけた。そのどれもが「世界を救ってほしい」「魔王を倒して欲しい」という願い。自分達の力が届かない、天災と言っても過言ではない理不尽な暴風を断ち切って欲しいという思いだ。アリオスは何度も頷き、言葉をかける。
『大丈夫』『必ず魔王を倒してくる』『安心して待っていて』
 辿りつく街ごとにも同じ言葉を紡いでいく。言葉を発しては、外にいる魔族を殺す。返り血を綺麗に拭い、防壁を築いた街の中へと戻り、湯を浴びて寝る。ある程度の違いはあるにせよ、本質的には同じことを繰り返して、アリオスは進みながらため息をつく。
「なんだ。勇者様はお疲れかい?」
「からかわないでくれよ、レイフリー。さすがに同じ言葉を言い続けると口が疲れる」
「仕方が無いさ。お前はあの人達の、俺達の希望なんだから」
 幼い時から一緒に切磋琢磨してきた戦士レイフリー。逆立った赤い髪を兜の中に隠し、隆々とした筋肉も赤色の鎧に隠した接近戦のエキスパート。アリオスの最も信頼する仲間の一人。他、魔法使いに僧侶という編成。いずれも幼馴染で、この厳しい旅の中でもアリオスの心を癒す貴重な仲間。
 自分に追いつけずに離れていった多くの友人達。その中から、何とか自分について来てくれた三人。
 英雄たるアリオスが、一人の青年に戻れる場所だ。
「俺達が揃っていれば、無敵だな」
「並みのモンスターなんて問題ないし、強くなっても俺達が力を合わせれば」
「勝てない敵はいない!」
 同じ時を共有してきた仲間。英雄としての自分以外の、素の自分を見てくれる仲間達。本当ならば、そんな大切な仲間達をこの危険な旅路に連れて行くのは嫌だった。自分一人が傷ついて、最後に魔王を倒せればそれで良いと考えていた。
 だが、皇帝は言った。
『一人では、危機に陥った時に助ける者がいない。誰か一人の力だけで世界の全てが救えることは、ないのだ』
 皇帝の言葉はそのまま、自分が歩んできた道を照らしているとアリオスは思う。自らが太陽ならば、足元にはその光によって出来た影がある。栄光に隠れた暗部。華やかな外見と比べて汚く傷ついた内面。
 皇帝は分かっているのだろう。アリオスの進む道が深く自身を切り刻むということを。それでも、歩みを止めるわけには行かなかったのだ。



 3.――まであと四ヶ月



 雨が血の匂いを消していることが救いなのかもしれないと、アリオスは思う。
 頭部を伝い降りてくる雫が目に入り、痛みを伴っても。開いた瞼は閉じなかった。自分の足元で倒れている盟友レイフリーの死に様から目を離せなかった。
 四肢を折られてその場から動けなくされたところで、モンスターがその身に暴行を加えた。鍛え上げられた肉体も攻撃を受け続ければ限界が来る。レイフリーが絶命するのも当然だった。だからこそ、アリオスは率直な疑問を村人達に提示した。モンスターの襲撃にあった所を救い、招き入れられた村で、アリオスが目を放した隙に村人はレイフリーを魔物の群れの中に差し出したのだ。両手足を折って何も出来なくさせた上で。
「なぜ、レイフリーの両手足を、折ったんですか?」
 アリオスから発せられる言葉。戸惑いと怒りを交えた言葉はしかし、雨に滲んで村人には届かなかったらしい。
「そ、そいつが、食料をよこせと我々に言うからじゃ」
 村人の中で一歩前に出た老人が言った。雨は徐々に強さを増して地面へと当たり、小さな流れを形作っている。顔を埋めたレイフリーの顔も泥にまみれているだろう。
「お前達は、魔王を倒すために旅をしているというが……山賊と同じじゃないのか? 自分達が魔王を倒してやるから代わりに自分達に尽くせとでもいうんじゃないか?」
「誰が、それを言ったんですか? レイフリーが?」
「いや。誰も言っていない。こいつも言っていない。でも、その可能性はある」
「可能性、ですか」
 一度疑えば、それを覆すのは難しい。レイフリーも自分に軽口を言うような口調で村人達に言ったのだろう。それを悪意に敏感になっている村人達は、悪いほうに考えた。それが、この事故に繋がった。
「事故、か」
 事故。これはすれ違いが生んだ事故。けして悪気があったわけではないのだ。
「分かりました。私達はもう行きます。レイフリーの遺体を、弔わせてくれませんか?」
 地面と冷たくなった体の間に手を入れて、抱き上げる。生前がどんな表情だったのか分からないほどに顔は潰れていた。そして傷口を見て確信する。
 これは、モンスターではなく、疑心暗鬼にかられた村の人々が殺したのだと。



 4.――まであと四十九分



「さあ、これがお前が見てきた事実だ。どう思うかね?」
 玉座に座る魔王と、床に血まみれで倒れ伏す自分達。レイフリーを埋葬したあとで旅を続けてきた三人。何とか魔王の城にたどり着いて命を賭けて突き進んだのだ。あと一歩で皆の表情に笑みを浮かべさせられる。満身創痍になりながらも三人はようやく魔王の部屋へとたどり着き、そして急に光に包まれた。
 次の瞬間には体中から血を流して倒れていた。激痛に耐えて周りを見ると、魔法使いと僧侶が仰向けで倒れている。口や目から血を流し、胸の上下は止まっている。命が、また二つ零れ落ちた。
「二人にも、幻覚を見せたのか」
 ふらつきながらも立ち上がるアリオスに魔王は感嘆の息を漏らす。常人なら死んでもおかしくないダメージを蓄積した体でも、起こすことが出来る。その様子に満足したようで魔王も口を開く。
「幻覚じゃない。お前達が辿った軌跡だ。人々の希望という言葉に乗せられて、ここまで来るのはさぞ辛い日々だっただろう。誤解から仲間を殺されたり、泥のように全身に絡みつかれながら命を救ってくれと乞われたりしたのだろう? お前は、それで幸せだったのか?」
 アリオスは剣を両手で持ち、魔王に突きつけた。体力の消費により剣先がぶらつく。
 それでも目を見開き、震えを止めて、アリオスは魔王へと突き進む。
「おぉおおお!」
 咆哮に力を込めて。
 その手を魔王の命へと届かせるために。
 英雄として世界を救うために。
 人々の頭の上に煌く太陽光を注がせるために。
 心に影など落とさぬように。
「お前を倒す! そして人々の心も救う!」
 魂の一撃。振り下ろした渾身の一撃は。
 剣が粉々に砕け散ったことでその意味を無くした。
「なっ……」
「お前のやったことは無意味なのだよ。アリオス」
 魔王は突っ込んできたアリオスの反動を利用して、胸部に衝撃を与えて吹き飛ばす。血を吐いて床に叩きつけられたアリオスは激痛にのた打ち回りながら、しかし魔王へと視線を向け続ける。
「人間が一人で何かをなそうとしても。それは届かないのだ。誰か一人の力だけで世界の全てが救えることは、ないのだ」
 その言葉は奇しくも、皇帝がアリオスに向けた言葉と同じ。それを人間の対極の位置にいる魔王が呟く事実。無傷で立つ魔王と、体中傷だらけで瀕死の自分。第三者がいれば勝敗は明らかだった。第三者足りえる二人は無残な死体を晒している。
「遊びにも飽きたところだ。さあ、お前も見るが良い。この世界の終焉を」
「ま、て……まって、くれ……おれと、たたか」
「死ね」
 魔王がその言葉を呟き、指を鳴らしたところで。
 世界中が炎に包まれていた。
 その映像が直接、アリオスの脳裏に浮かぶ。光景だけではなく、人々の断末魔までも。世界中に悲鳴が集中したことでアリオスは頭を抑えて絶叫する。
「――――うぅああああ!」
「よい退屈しのぎになった。人間の皇帝とやらもたいしたことは無かったな。我々にとって陣を侵略することも、お前との戦いも。すべて遊びなのだよ。飽きたなら、もうやる必要は無い」
 魔王の言葉と断末魔。両方が等しく脳に叩き込まれて、アリオスは意識を失った。



 6.終わりまであと――



 アリオスが次に意識を取り戻した時、手の中には血まみれの魔王がいた。
 へし折られた首にかけられた手。表情は元の形が分からないほどに窪んでいる。ついていたはずの目や鼻、口や耳といった顔を構成するものは周囲に散らされている。いったい何が起こったのかアリオスには分からない。
 自分の怪我は元のまま。でも、腕の中の魔王は命を感じない。結果だけ見れば魔王を倒して旅の目的は達成したことになる。
 だが、これからどうしたらいいのか誰も示してくれない。
 仲間は死に、目的だった魔王もいつの間にか死んでいた。かすかに、自分の中から溢れ出た力が勝手に自分を操り、魔王を血祭りに上げたということを覚えている。それでも、夢だと錯覚するほどの意識への残り具合。
 一つの目標を完了させれば、当然次の目標が待っている。
 だが、それもいつの間にか終わったことで達成した感覚もなければ、次にどうすればいいかというのも分からない。
 意識を失う前に、世界から人が消えたのだから。
「なあ、教えてくれよ。俺は、これからどうすればいい? 皆のために戦ったのに。力をつけたのに。英雄になったのに。皆がいないなら、俺はこれからどうすればいいんだ!」
 魔王の亡骸に怒鳴る。その衝撃で、首から頭が落ちて転がった。
 もう誰も答えてくれる者はいないと、ゆっくりとだが理解していく。
 旅をしてきた仲間も。レイフリーを殺した村人も。自分達を送り出してくれた国民も。家で帰りを待っているはずの母親も。英雄を託した皇帝も。
 だれも、いない。
 自分がよく分からないうちにいなくなってしまった。
「間に合わなかった、んだな」
 自分の内に眠っていた力の、なんと理不尽なことか。
 一番欲しい時の、ほんの少し後で発動するということへの怒りをぶつけたいと思っても、その力は残滓を残すだけ。
 誰か一人の力で救えると、多少は思っていた。
 自分が事柄の中心にいて、自分が何かをすれば何かが動き、結果が生まれるはずだと思っていた。
 しかし、レイフリーは勝手に村人に殺され。残りの仲間も部屋に入った瞬間に魔王に殺され。自分は意識を失い。世界は滅ぼされ。そして魔王はアリオスの中の『力』が勝手に殺した。
 大事なところには、彼の意思が関与する術が全くなかった。
「ごめんなさい」
 床に刺さっていた、折れた剣の欠片を掴み、自分の喉に突き立てる。
 激痛とは裏腹にゆっくりと意識が暗闇に沈んでいくようにアリオスは倒れた。
 英雄になれなかった、英雄の最後だった。



 7.終わりから七万年後



「隊長! ここに人骨が! これが伝えられている『英雄』のものでしょうか?」
「そうかもしれないな……こんなところに人間の化石があるとすれば、それしかあるまい」
「今でも信じられません。我らの祖先が一度滅んだことも……七万年前に魔王と人間が戦ったなんてことがあったとは。でも、これを見たら信憑性が出てきますね」
「そうだな……きっと人々を愛し、人々に愛されて正義のために戦ったんだなぁ」
「そうですよ。きっと。魔王を倒してめでたしめでたしですね。その後、どうして滅んだのかは記録が残っていませんが」
「その秘密もまた分かるかもしれないぞ。よし、丁寧に保存して持ち帰るぞ! 我らがご先祖の、英雄の化石だからな」
『はい!』
 そして、これまでの『英雄伝説』に新たな一ページが刻まれる。
 人々に愛され、魔王の脅威から人々を救ったという伝説が、時と共に増えていく。
 その始まりが、どうであれ。


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