漆は当地方には野生のものもあったが、明治の初年にはその有利な植物たるを知り多少植栽する者もあった。明治年間は漆掻業専門の人が時々廻村して所有主から買って掻き取った。「養生掻き」と称し、成長に害を及ぼさぬ程度に掻くものと「掻き殺し」といって、一時に全部を掻いて枯死せしむるとの二方法があった。大正年代以後には漆掻きの廻村も絶えてからは無用の長物となって、之に触れると「かせる」ために人々から恐れられていた。
 然るに此処に偶然の機会から漆の大樹が、昭和二年今上天皇が御即位の御大典を取り行わるるに際して、陛下御佩用の太刀、その他の塗料に供せらるることとなった。それは、大字深山須田富松氏の所有地に在った樹齢74年生のもので、目通周囲や樹高は不明だがすこぶる大木で、無疵の良木が献上されることになった。その筋から漆掻きが来て足場を組み全部漆汁を採取した。二年後にその木は枯死したが、所有者に紫地に菊桐の御紋章染め抜きの風呂敷が御下賜され、所有者は之を記念して幹を伐採し盆や柱掛け等を作って各方面に贈ったことがあった。樹にしてもしも霊あらば、身を殺して皇室のお役に立ったことを喜んだであろう。



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