「三百五十光年のスピカ、五百光年のアンタレス…」
「真琴?お前が本読んでるなんて珍しいな」
ひょいっと千昭は真琴の手元を覗き込みますと、開かれたページには星々をぬって駆ける夜汽車が描かれています。
「なんだ、絵本かよ」
やっぱりな、真琴が本なんか読むはずないと思った、失礼なことを言いながら、千昭はカーペットにじかに座っている真琴の隣に腰を下ろしました。
「絵本でも有名なんだから。まだ途中だけど、色々変な人出てきて面白いよ」
あのね、親友の二人が列車に乗って銀河を何処までも何処までもずっとずーっと一緒に旅してくの。
弾んだ声で真琴は説明をはじめました。 それでね、あとチョコレートも食べたくなる話なの!それでねと続いてゆく、とりとめない話に頷きながら、千昭は静かに真琴を見つめています。
「星なんか掴めちゃう感じがしてさ。すごいプラネタリウムに行きたくなっちゃった。ねえ、一緒に行こうよ」
「ああ、きっとな」
千昭は正面からじっと真琴の目をのぞきこみました。
「プラネタリウムの流れ星でも願いを叶えてくれるかなあ、なんて。やっぱし本物じゃなきゃダメだよね」
「……」
「?、なに?」
千昭は首の後ろに手を置くと、あさっての方角を見ながら言いました。
「星を、やろうか?」
「えー、星って…」
意味がわかんないと言おうとした真琴は、あっという間に目の前に迫る顔が読めない瞳をしていて、少しだけ怖くなりました。
(キ ス さ れ る !?)
はくはく、と口を動かしますが音にはなりません。 なんて言っていいかわからなかったのです。
(そんなムードじゃなかったじゃない!)
焦点の合った瞳が、千昭の鼓動をも伝え、真琴は赤くなりました。
「ちょっと待って!」
「待てない」
絞りだした声はあっさり却下です。 そんなぁと情けない声をあげる真琴に影が被さり、ぎゅっと目を閉じました。
唇に息がかかったかと思うと、すっと離れていきます。
(……あれ……っ)
次に熱を感じた場所は鎖骨でした。 チリっと肌をさす痛みに驚いて目を開けると、満足そうに千昭は言いました。
「ほら、星みたいだろ」
赤い印は蠍の尾の様です。 思わず真琴は印をなぞり、一瞬置いて我に返りました。
「バっカじゃないの!」
なんてことをするんだ、と。 唇にされるよりよっぽど恥ずかしかったのです。
真っ赤になって怒鳴る真琴に、ハハハハ、と千昭は声をあげました。 愛おしくてたまらない、そんな表情です。 茶化してしまわないと、少し泣きそうだったのかもしれません。
「なんかお前って、ずっとからかってたくなる」
「あたしの心臓が持ちません!」
ドキドキしすぎて死んじゃうよ、真琴は真顔で言いました。 今度は、虚をつかれた千昭の顔に朱が走ります。
「お前さぁ…」
予想もしなかった可愛らしい言動に、やられた!と白旗を振りました。
「ほんと、お前相手だと分が悪い」
無邪気な真琴に振り回されるのはいつものことです。
「??、変なことしたのは千昭でしょ」
裏の無い言葉に思わず千昭はうつむくと、長めの前髪が表情を隠すように落ち、くしゃくしゃと何も分かっていない真琴の頭をなぜました。
それはそれはひどくゆっくりとした、乱暴なのに優しい動作でした。
「……ごめんな」
好きな相手に苦しそうな顔をさせてしまった真琴は、バツが悪くなってもう一度絵本に目を落としながら言いました。
「そんな真剣に謝らなくても良いけどさ」
と実は嬉しかった照れ隠しに、意味もなくページを捲(めく)ってみたりします。
(千昭とするなら、ぜんぶ嬉しい)
何処までも一緒に行こうと、そう親友に向かって言った絵本の主人公の気持ちは、今の真琴そのままでした。
「ねえ千昭、きっと星を見に行こうね」
真琴がこう云(い)いながらふりかえって見ましたら、そのいままで千昭の座っていた場所にもう千昭の形は見えず、真琴はまるで鉄砲玉のように立ち上がりました。
そして真琴は眼をひらきました。 いつの間にかねむっていたのでした。 胸は何だかおかしくほてり、頬にはつめたい涙がながれていました。
机の上には美しい装丁の絵本が開きっぱなしになっています。 開かれたページには星々をぬって駆ける夜汽車が描かれていました。
慌てて顔を上げると、窓枠に切り取られた藍よりも深い空の中、丸く大きな月と燦爛ときらめく星たちは、まるで絵本から飛び出してきたかのようです。
「―あ」
ふと、窓ガラスに反射して映る小さな赤い星を、自分の胸元に見付けました。 少しでも跡が長く残るよう爪をたてると、また微かに甘い痛みが走ります。
「…うそつき」
胸の奥、叶えられなかったたくさんの約束が煌めいて、「わすれないで」と叫びます。 胸に咲いた名も無き星は、いつまでも消えることなく真琴の胸を焼き焦がすのです。
(ねえお星様。もしも叶うならば)
約束は見果てぬ夢のままでかまわないから、と。 一つだけどうしても叶えたいことを祈りました。
金剛石や草や露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河を星が一筋。 夢の余韻のように声も形もあとかたもなく流れて消えゆきました。
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