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 ルルド
 の
 奇跡 1

   Un miracle de Lourdes

◆日本から40時間===================
 
▲成田エクスプレスで空港へ。


▲パリのシャルルドゴール空港。

 5月17日、5時起床。今日は「ルルド・ヌヴェールへの旅」の出発日だ。これは「ルルド巡礼センター」が企画しているツアーで、フランス南部にあるルルドの泉を訪ね、少女ベルナデッタに起きた「聖母出現」の奇跡を黙想する巡礼。カトリック信者に限らず一般の人も参加自由というので、申し込んだ。

 新宿に出て、成田エクスプレスで空港へ。9時30分、集合場所の成田空港第1ターミナル北ウイング4F・中央案内所前に行く。
 集まったのは17名。名簿では関空発の組が12名いるので合計29名のツアーになる。うち、神父さま3人、スタッフ1人。今回の巡礼旅は神父さまが同行してくださるツアーなのだ。

 成田からパリのシャルルドゴール空港を経由し、フランス北西部のトゥールーズに飛ぶ。そこで一泊して、翌朝バスでルルドへ。日本を発って40時間、ようやくルルドに到着。長いなが〜い旅だった。
 バスが着いたのはルルドの修道院――SOEURS DE L'AMOUR DE DIEU だ。

◆修道院=======================
 
▲修道院の外観。


▲3階の201号室がわたしの部屋だ。

 修道院というと、俗世間から隔離された、いかめしい学校のようなイメージがあった。しかし、それは何の変哲もない3階建ての建物。ちょっと見は、こじんまりしたアパートかな、と思うほど。
 中に入ると、すぐ右手にフロントがあり、それほど広くないスペースにソファが配置されている。ここも修道院というよりはプチホテルの印象だ。

 わたしの部屋は201号。行ってみるとシングルの小さな部屋だった。ちなみに201号は2階ではなく3階。フランスでは階数が0から始まるとのこと。滞在中は何度も間違った。

 部屋は質素だ。ベッドがひとつに小机ひとつ。小さなクローゼット、洗面台、トイレ、シャワー。壁に、十字架のキリスト像とマリアの絵(たぶんシスターの手作りだろう。木片に描かれている)がかけられている。装飾はそれだけ。
 もちろんテレビもないし、電話もない。修道院は、修道士が祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)をするための施設だというが、祈りの家に必要なのは静謐のみということか。

◆初体験のミサ====================
 
▲ルルドに着いて初めてのミサ。


▲ミサを執り行う神父さま。



▲ルルド小教区教会。
 おっと、もう12時になる。ミサの時間だ。わたしが参加した「ルルド・ヌヴェールへの旅」は、カトリック信者を対象にしたツアーだ。
 一般の人も参加自由となっているが、基本はカトリック信者の聖地巡礼が目的なだけに、ミサは欠かせない行事。わたしにとっては生まれて初めての体験だ。修道院1階の「御聖堂(おみどう)」に行く。

 4、5人が掛けられる木製のベンチが、中央の通路をはさんでそれぞれ4脚、御聖堂の左右に並んでいる。
 正面には白布で覆われた台。壁にはキリスト像がかけられ、気持ちが引き締まる。初めてのことだけに緊張する。

 祈りの言葉、聖歌、説教、そして聖体拝領……。細かな内容はよくわからない。しかし、ミサが教会で行う一番大切な祈りだということは、参加している人たちの真摯な態度がよく示していた。

 そこには、やはり日常とは違う時間が流れている。特別な場、特別な時間、という感じだ。よくはわからないが、信者になるとは、それを仲間と共有したり、あるいは神と共有することなのかもしれない。門外漢のわたしにしてみれば、日常の穢れがミサによって浄化されるような気もする。

◆ルルド小教区教会==================
 ミサが終わって昼食。しばらく休んだあと、いよいよルルドの聖域に出発。まず立ち寄ったのが、修道院からほんの2、3分歩いたところにあるルルド小教区教会(サクレ・クール教会)だ。
 ここはベルナデッタが洗礼を受けた教会。1844年1月9日のことだという(ただし、当時の教会は火災にあって1905年に壊され、その後、再建されたのが現在の教会)。

 中に入る。まず目につくのは、正面奥の色鮮やかなステンドグラスだ。そして、アーチで区切られた広大な空間。とにかく天井が高い。見上げると自然に口があいてしまう。
 教会の中なんて映画でしか見たことがないが、まさにそのとおりの光景だった。自然に身が引き締まる。

▲ルルド小教区教会の内部。 

 
▲洗礼盤。


▲ステンドグラスからそそぐ光。


▲左側の建物がカショー。

 中に入ったツアーの一行は左手の壁に沿って通路を進んでいく。わたしもそのあとに続く。入ってすぐのところに、大きな石臼のようなものが展示されていた。
 なんだ、これは? えっ、洗礼盤?
 信者の皆さんはとっくにご存じらしいが、ベルナデッタが洗礼を受けたときのものらしい。洗礼がどんなに大切なものかもよくわからないわたしは、ほう、当時のものがよく残っていましたね、と感心するだけだ。ちなみにベルナデッタの受洗の証明書がそばの壁に貼ってあった。

 この教会で忘れてならないのは、教会地下の墓に眠る司祭ペイラマルだそうだ。というのも、彼はベルナデッタに起きた出来事を「真実」として受け入れた当時の神父。
 今でこそ奇跡として認定されているが、「聖母マリアの出現」という途方もない出来事は、そう簡単に信じられるものではない。ペイラマル神父も最初は大いに疑っていたという。だが、葛藤の末、のちにはベルナデッタの擁護者になった。
 たぶん、当時の多くの人が神父と同じような経緯をたどり、最後にはマリア出現を受け入れたのだろう。

◆カショー(牢獄跡)==================
 教会を出て大通りを渡り、ペラマール広場の前を通りすぎる。時計を見るとまだ3時前。日差しはまぶしく輝き、いい天気だ。5月にしてはちょっと暑いかな。シャツの袖をまくりあげる。これなら半袖で十分だった。
 はぐれないようにかたまって歩く。人のあとについていけばいいので楽だ。あなたまかせで、ものの10分も歩かないうちに「カショー」に着いた。入り口の上のほうに「LE CACHOT」と彫った小さな石板が貼りつけられている。フランス語のCACHOTを翻訳サイトで調べると、刑務所とある。知らなければ普通の家だと思って通りすぎるだろうが、その昔、ここは刑務所、すなわち牢獄だったのだ。

 資料によれば、この牢獄は不衛生極まりないという理由で使われなくなり、町でいちばん悲惨な場所とされていたという。そんな予備知識があったのでこわごわ中に入り、ベルナデッタ一家が暮らしたという一室にたたずむ。それほど広くはない。1メートル四方の岩床が16枚敷かれているというから、和室でいえば10畳ぐらいのものだ。

 狭いことは狭い。だけど、想像力が乏しいせいか、それほど汚いとも思えない。ツルッとした岩床は、汚れてもモップで水拭きすればすぐにきれいになりそう……。などと愚にもつかないことを思ったりもするが、この場所が重要なのは、ベルナデッタが聖母出現を受けた時期、この家に暮らしていたということだ。
 一家は1857年の冬から一年ほどこのカショーで暮らした。ベルナデッタが聖母出現を受けたのは1858年2月のことだ。
 
▲グロット通りのお土産屋。


▲ベルナデッタ。


▲一家が住んでいた当時の水車小屋。


▲復元された小屋。

◆生家(水車小屋)===================
 カショーを出てしばらく北に歩くと、両側にお店がずらりと並んだにぎやかな通りに出る。なんとも派手な店が軒を連ねている。地図を見るとグロット通りとある。GROTT――地下洞窟だ。これは間違いなく聖母出現の洞窟に通じる道だ。
 そうか、ルルドに来た人は皆この道を通る。ということは、東京・浅草の浅草寺と仲見世の関係。お参りが目的だけど、参道に並ぶお店でついお土産に手が伸びる。それと同じだな。

 人込みを縫って歩いていると、先頭が左に折れて細い道に入っていく。ベルナデット・スペルー通り。車が通れるのかな。とにかく狭い下り坂の道だ。そしてすぐにベルナデッタの生家があった。

 階段をとんとんと3段ほど上がって中に入ると、そこは壁にいろいろなパネルが貼られた部屋だった。ベルナデッタの家系やルルドの歴史をパネルで紹介しているようだ。一巡するほどの広さでもない。さっと見たあと外階段で2階に上がる。

 入るとすぐの部屋には、窓際に小さなベッドが置かれていた。生まれたばかりのベルナデッタが寝かされていたベッドか。案内の表示はあるのだが、フランス語はわからないので勝手に想像するだけだ。

▲窓際にぽつんと置かれたベビーベッド。
 

 
▲小屋の2階にある石臼。
 先に進むと、鉄の網で囲われた一角に出た。どうやら水車を使った粉引きの場所らしい。大きな石臼があるので間違いないだろう。その網の中で数人の人が何かやっている。修理をしているようだ。
 かつてはベルナデッタの父親もこうやって水車を修理し、平穏な生活を営んでいたのだろうな。ベルナデッタは10歳までこの水車小屋で暮らしたというが、そのころが彼女のいちばん幸せな時期だったようだ。
 水車小屋というから小さな建屋を想像していたが、ちゃんとした住居だった。

◆無原罪の御宿り===================
 元のグロット通りに戻り、先へ進む。ほどなく橋のたもとに出る。ガブ川にかかるサン・ミシェル橋。そこからはひときわ高くそびえる尖塔が真正面に見える。聖堂の鐘楼だ。高さ70メートルとか。
 橋を渡ってサン・ミシェル門をぬける。ここから先がルルドの聖域だ。
 聖域には4つの聖堂がある。橋を渡るときから目に入っていたのが上部聖堂。正式には「無原罪の御宿り大聖堂」という。
 聖母が出現した洞窟の真上に建てられているそうだ。それで上部聖堂と通称されるのだろう。

▲70メートルの鐘楼がひときわ目立つ無原罪の御宿り大聖堂。ルルドの象徴ともいえる聖堂だ。手前はロザリオ大聖堂。

 
▲サン・ミシェル橋から見たガブ川。


▲冠の聖母像。


▲聖域の北側を流れるガブ川。


▲ロザリオ大聖堂前の広場。



 しかし、正式名の「無原罪の御宿り」という意味がさっぱりわからない。だいたい「原罪」という概念がぴんとこないのだ。

 「人類の始祖アダムとイブの堕罪の結果,マリアを除く全人類が生まれながらに負っているとされる罪」(マイペディアの解説)といわれても、わたしはそれを肌身で感じたことはない。
 もちろん、原罪意識とでもいうようなものを、なんとなく感じることはある。たとえば「悪へ傾く心」をもてあまして自分がいやになったりする。そんなことはだれにでもあるのだろうが、これを、原罪に悩む、といえるのどうか。

 ちょっと違うだろうな。ま、それはわきにおいて、聖母マリアだけは「罪無くして(すなわち原罪を受け継がずに→無原罪)母アンナの胎内に宿り生まれた」とされ、これはカトリックの正式な教義になっているそうだ。

 興味深いのは「聖母マリアの無原罪の宿りの教義」が公認されたのは1854年。そしてルルドの洞窟に聖母が出現し、名前を問うベルナデッタに「私は無原罪の御宿りです」と答えたのが1858年3月28日、すなわち4年後だということ。
 ベルナデッタ自身は、まったくの無学のため、そんな言葉自体を知らなかったといっている。知らないにもかかわらず、その名を口にした。それが聖母出現を事実とするひとつの決め手にもなっているのだが、4年あれば新しい教義も広く流布されるだろう。
 もともとこの地方はマリア信仰がさかんだという。ベルナデッタが何かのおりに「無原罪の御宿り」という言葉を聞き知っていた可能性は捨てきれないような気がする。

◆聖水========================
 聖域は緑の空間だった。季節は5月。天気もいい。サン・ミシェル門から奥に進むにつれ、木々の緑がいっそう鮮やかになる。聖堂の背後に見える山も緑一色だし、ガブ川のほとりにも緑豊かな木立が連なって水面に影を落としている。

 ツアーの一行にまじって歩いていくと、冠の聖母像、そしてロザリオ大聖堂前の広場に出る。ここまでくると、もはや俗界の穢れはどこにもない。たしかに聖域という言葉がぴったりの空間だ。ルルドの空気、ルルドの霊性、ルルドの平穏、それらにひたりきるのもいいなあ。
 とはいえ、今日は聖域の全体を見て歩くのが目的だから、だれかがはぐれないように一行の最後尾には神父さまが見張っている。あまりのんびりしてはいられない。

 ロザリオ大聖堂の右側を通りぬけると、その先の壁にずらりと水栓が並んでいる。ルルドの聖水だ。多くの人が競って水を飲んだり、くんだりしている。どこかあいている水栓はないか。見わたすと端のほうは人出が少ない。走ることはないのに、それでも小走りに近づき、あいた瞬間に水栓の前に立つ。

▲ルルドの聖水。1メートル間隔ほどに設けられた水栓から、だれでも自由に飲めるようになっている。

 
▲水栓はロザリオ大聖堂の側壁にある。


▲聖水を容器にくんでいる人も多い。

 蛇口の上にあるボタンを押す。水が流れだした。手のひらで水を受け、ていねいに洗う。そして、両手で受けた水を口に運ぶ。
 二口、三口、聖水がのどを通る。うまい。汗ばむほどの陽気だからおいしいのか、聖水だから特別なのか、実際のところはよくわからない。
 落ち着いてもう一度手に受けて飲んでみる。これが、ルルドの泉の奇跡の水、癒しの水だ。のどの渇きがおさまったせいか、いつも飲む水とそれほど変わらない。それでも、よかった、よかった、これで夢がかなった、という思いがわいてくる。

 癒しを求める巡礼の旅で、この水はわたしが初めて出合った「効き目が保証された特効薬」だ。いまだがんに効く薬ができていない以上、効き目が保証されているというのは、どれほど価値のあることか普通の人にはわからないだろう。
 この水で難病が治ったという報告例は数多くある。医学的な検証を経て公認された事例もある。それならがんになったわたしにも……。

◆グロット=======================
 聖水は体内にしみわたった。これでよし、と。
 水栓の場所から数分歩くと、大勢の人が集まっている広場があった。広場はロープで区切られ、上部聖堂の土台になっている岩壁に沿って長い列ができている。わけもわからずその後ろに並ぶ。広場に並べられたベンチにも大勢の人が座っている。祈りをささげている人もいる。ちょうどミサが行われているのだ。ここがグロットか。

▲聖母が出現したマッサビエルの洞窟。ベルナデッタは、左端のボランティアの男性のいる位置あたりから聖母を目撃したという。

  ▲水栓はロザリオ    大聖堂の側壁にある。





 少しずつ列が前進し、前の人が岩肌に触れている。わたしも真似をして、そっと岩に手を当ててみた。見ると手の届く範囲の岩肌はツルツルに磨かれている。何百万もの人の手がそこに触れたのだろう。
 人の列に押されながら数歩歩くと、岩がえぐれて洞窟のようになった場所にくる。ロープでさえぎられ、洞窟内に行くことはできない。ロープの内側にはいかめしいおじさんも立っている。
 奥まったところにいくつもの花束がささげられている。そこが泉のようだが、近寄れずに前に進むしかない。

▲ルルドの泉はこの洞窟の左奥にある。聖母の指示により、ベルナデッタが地面を掘ったら湧出したという。

 
▲ベルナデッタが「あれ=アケロー」と呼んだ聖母の像。
 このあたりはどうも記憶があいまいだ。泉を見てはいると思うのだが、人並みに押されて立ち止まるわけにもいかない。それに、下を見るよりも斜め上の岩の窪みに立っているマリア像に目がいって、その姿しかよく覚えていないのだ。

 1858年の2月11日、今、わたしが目にしている場所に「あれ」が出現した。どうにも不思議なのだが、ベルナデッタは自分が目撃したものを「あれ」と言い、「あれは少女の形をしています」と語ったというのだ。
 わたしの言語感覚では「あれ」と「聖母マリア」とは、どうしても結びつかない。

 ルルドにくる前に一冊だけ資料本を読んできた。『ルルドの奇跡――聖母の出現と病気の治癒』(エリザベート・クラヴリ著/創元社刊)。
 その本によれば「あれ」という言葉は「アケロー[Aquero]」というルルド地方の方言だという。尋問した警察署長ジャコメがそれを記録しているというから、ベルナデッタが「あれ」という言葉を使ったのは間違いないのだろう。
 だけど、あの人、とか、あの少女、
  ▲聖母が出現した1858年当時のグロット。今と違い洞窟のすぐ前を川が流れており、ベルナデッタが最初に聖母を見たのはこの川をはさんでのことだった。


あの女の人、あの美しい人など、14歳ともなればいくらでも表現のしようがあると思える。なのになぜ「あれ」なのか。

 もうひとつ、大きな疑問がある。同書によれば「あれ」の出現は18回にもおよび、回を追うごとに見物の人が増え、ベルナデッタが「あれ」の出現を受けている様子を多くの人が見ている。にもかかわらず、ベルナデッタ以外、だれひとりとして「あれ」を見ていない。つまり、「あれ」が見えるのはベルナデッタだけということだ。

 聖母出現の現場にいた多くの人は、なぜ自分には聖母が見えないのか疑問に思わなかったのだろうか。わたしが見物人のひとりだったなら、ベルナデッタは幻覚を見ているに違いない、と決めつけただろう。だって自分には何も見えないのだから。

 今、聖母出現の現場に立っても、疑問は疑問のままだ。いったい何があったのだろう。「あれ」が本当に聖母マリアだったして、聖母は特別な人にしかその姿を見せないのだろうか。……わからない。
 マッサビエルの洞窟に現われた「あれ」は、今ではだれの目にも見える像としてたたずんでいる。

 グロットから沐浴場まで歩く。このあたりが聖域の西のはずれのようだ。Uターン。今日の聖域めぐりはここまで。夕方の5時30分から「わかちあいの集い」をするという。今は4時30分だから、まだ少し時間がある。買い物をしてもいいし、初めての自由時間だ。

◆ノートルダム施療院==================
 
▲ガブ川のほとりで憩う人。


▲ノートルダム施療院。
 みんなが買い物をしている間にガブ川のほとりを歩く。聖域のメインの通りとは川をはさんだ反対側。観光の人はほとんどいない。
 ただ、こちらのほうが癒しという雰囲気を強く感じる。というのも川のほとりにはノートルダム施療院があり、白衣の女性たちが車いすを押したり、あるいは何かの用で足早に歩いていたりするからだ。
 この川沿いの道ですれ違う車いすの人たちは、たぶんほとんどが病人だ。癒しは彼らの切実な願いだろう。

 ふと思ったんだけど、もしも人生の最後を病院で過ごさなくてはならなくなったときは、ここを選ぶというのはどうだろう。……いいだろうなあ。ここなら死との対話ができそうな気がする。それも、こころを乱されることもなく。

 ガブ川の流れは水量豊かで速い。澱むいとまもなく水が激しく流れる。お遍路で四国路を歩いていたときに、吉野川の雄大な流れにみほれたことがある。あのゆったりとおだかな流れもいいが、目の前の急流もまたいい。これだけの量の水がドドッと音立てて流れると、どんな穢れも一気に洗い流されそうだ。5月という時期はピレネーの雪解け水が流れこんでいるのかもしれないな。

▲あらゆる穢れを洗い流してくれそうなガブ川の急流。

 







▲▼修道院の夕食。


 そんな川のほとりのベンチで、どうやらアル中らしき老人が奇声を発していた。彼とはちょっと離れたベンチに座り、聖域にだってアル中はいるさ、それが現実というものさ、などとぼんやり思いながら、真っ黒い雲が広がってきた空を眺める。やがてこの黒雲が雨になるような気もする。
 水音にまじって聞こえる鳥の鳴き声、さえずりは日本とおんなじだ。

 5時28分。修道院に帰ってきてベッドでくつろぐ。ポツリポツリ雨が降りだしたときに修道院着。ぎりぎり間にあった。今、雷がゴロゴロ鳴って雨も激しく窓ガラスをたたいている。
 5時30分から御聖堂でわかちあいの集い。
 7時から夕食。食事が終わると、9時からのろうそく行列に参加するため8時30分集合、といわれて解散。

 部屋に戻るとどっと疲れが出てくる。少し時間があるのでベッドに横になっていたら動くのがいやになった。雨もまだ降っている。どうしようか。……行くしかないでしょう。……でも行きたくないなあ。
 ぐずぐずと迷ったあげく、ろうろく行列はパス。疲れていて気力が完全に失せている。他人に迷惑をかけないならば、やりたくないことはやらない。場合によっては他人に迷惑をかけてもやらない、というのが、がんになってからのわたしのワガママだ。

 ベッドにもぐりこんだが、修道院の夜だ、すぐに寝るのはもったいないと思い、一度は雨戸を開けてみた。雨はやんでいる。空には不気味な黒い雲が一面に広がり、昼間のさわやかさはまるでない。明るいと思ったのは街灯のせいか。やはりこれは寝るしかないな。頭も孫悟空の鉢巻みたいな締めつけ感がある。わたしにとってこれは、寝不足のサイン。寝よう、寝よう。


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