悪夢を見ない方法


不意に訪れた感覚を、ジューダスは目を閉じていつものようにやり過ごす。
やがて、頬を柔らかく撫でる風に、うっすらと瞳を開ければ。

其処には一瞬前までには無かった、眩しい程の蒼い空と鮮やかな緑の丘陵が広がっていた。

…こんな風に、自らの意志とは関係なくあらゆる時空を彷徨うようになってから、一体どれ程の時間が経つのだろう。


仲間達と共に、自らを蘇らせた神に刃を向けた。あの戦いの後、消える筈だった自分は、気が付けばこうして時空の狭間を彷徨うようになっていた。
どうやらその都度訪れる世界の時間の流れに、この身は影響されないらしく、成長しない身体では時間の流れを自ら推し計ることも出来ない。

そしてありとあらゆる時空へと飛ばされては、また違う場所へ、ということを繰り返し、その場所も、時代も、滞在出来る時間さえ全て一定ではないようだった。

今度はどの時代の何処へ飛ばされたのやら、とジューダスが大きく息を吐いた瞬間。

微かに耳に届いた、小さく泣き啜る声。視線を彷徨わせれば、大きな木の陰に身を隠すようにして蹲る、五、六歳程の明るい金髪の少年。

「…どうした?…怪我でもしたのか?」

何処か懐かしさを感じさせるその髪の色に惹かれ、思わず少年へとゆっくりと歩み寄り、気付けばそう問い掛けていた。

都合が良過ぎる、とは思いつつも、その覚えのある金髪に期待する心を抑えることは出来ない。弾かれたように顔を上げた少年の、涙に濡れた瞳が自分の予想通りの深い蒼であったことに、跳ねる心臓を必死で押し隠した。

「…お兄ちゃん、誰?」

「…ただの通りすがりだ。お前こそ、どうしてこんなところで泣いているんだ?」

ぼーっ、と呆けたようにジューダスを見上げていた少年は、問われた言葉に、慌てて手の甲で目尻や頬の涙をごしごしと拭う。

「なっ、泣いてない!泣いてないよ、俺!」

「…無理には聞かないが。…通りすがりの僕にだから、話せることもあるんじゃないか?」

頑なに首を振って否定する少年に、ジューダスは穏やかな口調で言葉を紡ぎながら、そっとその隣へと腰を下ろした。強く擦った所為で、仄かに赤くなってしまった目尻へと、白い指先を伸ばす。

少年は、未だ目尻に溢れる涙を優しく拭う、自分を見つめる紫電の瞳に思わず見惚れる。深い紫は慈愛に満ちていて、そして何処か深い憂いを帯びているような気がした。

暫くの間、二人の間を沈黙が支配し、柔らかく頬を撫でる風だけがさわさわと梢を揺らして吹き抜けていく。



やがて、俯いて自分の足元を見つめていた少年が、膝を抱えたままでぽつり、と話し出した。

「…父さんと母さんが…病気で遠い処へ行っちゃったんだ。もう二度と会えない、って…!」

話すうちに、再びその瞳から透明な雫が溢れ出す。

「…でも、俺は…!絶対泣いちゃダメなんだ…!リリスを…妹を、守らなきゃいけないから…!!」

だから誰にも言わないで、と懇願する少年に、ジューダスは安心させるように微笑みながら、静かに頷いた。

漸く表情を緩めた少年が、心底安堵したかのように微笑む。

「…ありがと!…母さんとの約束なんだ!大切な人を守りなさい、って!」

だから、両親を失った幼い妹の前では決して涙を見せないのだと。…祖父に心配を掛けない為に、ずっと笑ってみせるのだと。そう語る少年の柔らかな金髪にジューダスは掌を伸ばし、指で梳くようにそっと撫でる。

「…強いな、スタンは…。」

まるで少女のような容貌の、美しい少年に酷く優しげに微笑まれ。思わずスタンの頬が熱を帯びたように一瞬で熱くなる。

しかし、慌てて顔を逸らした少年は、再び自分の足元へと視線を落とし、自身を掻き抱くように蹲る。

「…でも。夜に眠るときだけ、まだほんの少し怖いんだ。…時々、怖い夢を見るから…」

ぎゅう、と強く拳を握り締める姿は、まだ充分に保護の対象である、幼い子供なのに。それなのに、この子供は自分が家族を守らなければ、と必死で歯を食いしばるのだ。

その悲痛なまでの強さに、ジューダスの胸が酷く締め付けられる。

「…なら、悪い夢を見ない方法を教えてやる。」

えっ、とジューダスの方へとスタンが顔を上げた瞬間。さら、と白い指先がその癖のある前髪を掻き分け、薄い唇が額へと落とされる。

「人の受け売りだがな。…こうすると、悪い夢を見なくなるんだそうだ。」

「…知ってる!それ、俺の母さんもやってくれたから!!」

ありがとう!と満面の笑顔を向けられ、ジューダスは漸く自分の良く知るその笑顔が少年に戻ったことに、胸が熱くなる。

「…ねぇ!お兄ちゃんの名前は!?」

そういえば自分はいつ名乗っただろう、とスタンは隣りに座る黒髪の少年を見上げながら思う。

「…僕、の名前…は、……」

紡ぎかけた言葉の途中で、ジューダスは自身を襲う慣れた感覚に、どうやらこの時空でのタイムリミットがすぐ其処まで迫っていることを知る。

「…いずれ、…知ることになる。」

そう微笑んで、最後にもう一度、自分を見上げる少年の柔らかな髪にそっと触れた。それを合図にするかのように、ジューダスの姿はスタンの目の前で大気に溶けるように、消えた。






















「…思えば、あれが俺の初恋だったような気がするんだよなぁ…」

「…何?」

ひとつのベッドで抱き合うようにして、寄り添って眠るスタンの呟きに、リオンは聞き捨てならない、とばかりに眉を顰めて問い質す。

「いや、今にして思えば、俺が見てた夢だったのかもしれないんだけど。…そういえば、リオンに似てたような気もするよ。」

そんな台詞で誤魔化そうとするな、と怒る恋人を腕の中に抱き込んで、スタンはくすくすと笑う。

「…そうだ。リオン、怖い夢を見ないおまじないをしてあげるよ!…昨夜、少し魘されてただろ?」

言うや、スタンは腕の中のリオンの前髪をさらり、と掻き上げ白い額へと口付ける。

「…これでもう大丈夫だよ。」

そう耳元に優しく囁かれ、リオンはスタンの胸に熱くなる頬を埋めながら頷いた。

…この温かな心臓の鼓動の傍にさえ居られれば、もう二度と悪夢に襲われることはない。



そう確信して、酷く安らかな気持ちでゆっくりと瞳を閉じた。













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