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終章 〜悠久のオーバーチュア〜

 

「終わったんだね・・・全て・・・。」

白き霧の中を、ただ漂うように浮かぶ二人の乙女。 彼女らは満足そうな、心地よさそうな笑みを浮かべて

目を瞑りながら訪れた静寂に身を任せていた。 こんな静かで穏やかな空気に触れるのはいつ振りだろう。

シャニーの口から漏れたのは安堵だった。 もう、マイソシアが闇の脅威に震える日々は終わりを迎えたのである。

「ええ・・・ハデスは封印された。」

彼女の安堵を証明するかのように、エルピスもまた静かで柔らかな口調で掴み取った勝利を喜ぶ。

手を繋いで離れ離れにならないようにしながら、彼女達は闘いで傷ついた体を癒すかのようだ。

「これで、人間界が正しき道を歩む邪魔をする者はいなくなった。」

数千年前に食い止められなかった闇の侵食、そして均衡の崩壊。

それを自分の力はもちろん、相棒やそして愛した多くの人間達の祈りによって跳ね除け封じることができたのだ。

感無量の顔にはゆっくりと瞳が開き、二人見つめ合って笑顔を見せ合った。

「あとは・・・みんな次第ってわけなんだね。」

人間の進化を邪魔する破滅と腐敗の王はこの封印の中に閉じ込めた。

彼は警告を発していた、人間に悪しき心がある限り再び蘇るだろうと。 だが、そんな事はさせないし、そんな事はないとシャニーは確信していた。

自分に力を与えてくれた人々の祈り、あれだけの強い想いがあれば、きっと。

「そうよ。 私は彼らを信じるわ。 ハデスを倒したあの光を。」

シャニーとエルピスも同じ考えだった。 ハデスを倒したのは自分達の力ではない。

夢を描き、それを実現できる未来を渇望した人間一人ひとりの祈りの結晶。 彼らが咲かせた光の花は決してまやかしなんかではないと。

一度は人間に絶望した粛清のエルピスが、こうしてまた人間を信じるとはっきりと言ってくれて、シャニーの顔にはさらに笑顔が浮かんでいった。

「そうだね。 いや、きっと為すんだ! 私達の手で!」

太陽のような笑顔を顔中から溢れさせながら強く拳を突き上げて見せるシャニー。

その笑顔を見せられて、エルピスもまたいつもの淑やかな微笑とは違う、本来の彼女らしいニカっと白い歯を見せた笑顔を相棒に返す。

もうこれからは熾天使としてではなく、一人の人として生きていける。 やるべきことは変わらずとも、何だか重責が降りた気がしていた。

「ねぇ・・・私たちはどこまで落ちて行くの?」

勝利の余韻も少しずつ収まってくると、シャニーはふと宙に浮かぶ自分の体の下を覗き込み始めた。

何も見えない。 ただ白い空間がどこまでも広がっている。 だが、周りの白き霧は頬をなぞっては視界の遥か先へと消えていく。

霧が上空を目指しているわけではない、自分達が落下しているのだ。 何かに吸い込まれるかのように。

「ここは結界の中よ。 終わりなんてない。 いつまでも・・・このまま。」

どうやってシャニーに説明しようか悩んでいたのか、エルピスはしばらく下を覗き込むシャニーの顔をじっと見つめていた。

だが、彼女が自分の視線に気付いて目線を合わせてきたものだから、もうストレートに言うしかなくなってしまう。

「私達も・・・封印に巻き込まれちゃったんだね・・・。」

どういう状況か、シャニーも分からないわけではなかった。 まるで見たこともない真っ白な空間は

なんともいえない強大なマナがあたりを包んで、どれだけこの銀翼を羽ばたこうとも抜け出せそうにはない。

「ええ・・・。 ・・・分かってて、あなたも突っ込んできたんでしょう?」

自ら銀の矢となって闇の守りを貫き、悪神をその光で縛り上げては引きずって

大きな口を開ける封印の入り口を目指して光の軌跡を描いた。 ハデスと一緒に封印に飛び込めばどうなるか

そんなことは百も承知であったはずだ。 それでも希望の守護者達に迷いなどなかったのだ。

「みんなの想いが私に勇気をくれたんだ。」

あの時は無我夢中だった。 ようやくにハデスをアストレアが貫き、縛り上げた。

一度きりのチャンスを逃したら、もうマイソシアに明日はない。 その想いだけが頭を支配し、銀の矢は封印へ向けて突っ込んだ。

あの時胸に湧き上がり、零れそうになるほどの勇気は今も忘れられない。 人々の祈る声は今も耳に残っている。

「あれがアストレアの真の姿だったなんて。 私も知らなかったわ。」

希望を司る熾天使として、アストレアの全てを知ったつもりになっていた。

結局一人でしかその光を扱えなかった彼女は見せかけの光しか知らなかったのだ。

だが今、人々を愛し、その祈りと共に放ったアストレアの真の光を見た。 その眼差しはとても幸せそうであった。

「うん・・・すごい力だった。」

自ら金の弓と銀の矢となったあの時はまるで自分が自分ではないような感覚で、回想するシャニーの口調は恍惚としている。

自身の創造の力と人々の祈りの融合の結果が、まさかアストレアそのものだったなんて。

そしてそれを引いたのは熾天使ではない。 希望を握り締めて人間の憎悪によって膨らんだ悪を射ったのは、結局人間だったのだ。

「神界最強の光・・・そりゃそうさ、みんなの力の結晶なんだもの。」

一人で輝く光はいずれ枯れてしまう、かつてのエルピスがそうであったように。

だが、生まれ変わったエルピスの光は決して途絶えることはないだろう。 人々が夢を描き、祈り続ける限り。

シャニーには、描いた夢が、目指した未来が必ず訪れると確信していた。 見える、描いた理想郷、その中で笑い合う人々の顔が。

「そうね、一人では決して扱えない力。 あの光が振り撒かれた芽はきっと花になるわ。」

未来を思ってその顔に笑顔と涙を浮かべるシャニーに、エルピスもひとつ頷くと上を見上げて

マイソシアに生きる全ての魂へ向けて祈りを捧げ始めた。 決して、今日のことを、皆で未来を守ったということを忘れないで欲しいと。

「ゲイル達が・・・きっと花へと育ててくれる。 私達が命をかけて守ったつぼみを。」

相棒の祈りに、シャニーもまた祈り始め、そっと瞑ったまぶたの裏に真っ先に浮かんだのはあの青年だった。

最初に思い描いていた白馬の王子とは似ても似つかないような脳筋だが、世界で一番信じられる、誰よりも頼りになる味方。

シャニーはしきりに彼の名を心の中で呼び、そして祈り続けた。 世界を、ルケシオンを、きっと守っていってくれと。

「これから私たちも大変よ! ハデスの封印を見守っていなくちゃ!」

静かに瞑られた瞳、震えるまぶたの隙間から零れ堕ちていく涙の意味をエルピスは汲み取っていた。

そんな悲しい雰囲気を吹き飛ばすために、エルピスはあえて弾んだ口調で相棒の手を引く。

これからは自分達も封印を守る精霊としての重責が待っているのだから。

「そうだね・・・ゲイル・・・。」

もちろん彼女だって頭の中では理解していた。 封印の中でなにをしなければならないのか。

だが、頭は理解してもどうしても心が受け入れられなかった。 さよならも言えずに突然引き裂かれた絆。

彼の顔を思い出せば思い出すほどに、想いは溢れて来る。

「やっぱり・・・寂しいわよね。」

相棒が自分の目を気にしてもそれでも目を真っ赤にしてぽろぽろと紅涙を絞る様に、エルピスももらい泣きしていた。

彼女だってずっと堪えていたのだ。 束の間の再開、そして突然の別れ。

これが熾天使としての使命、そして必然なる運命だったとしても、悲しいものは悲しいし、受け入れられない想いは今もある。

「うん・・・やっと二人で暮らしていけると思ってた。」

今までの辛く、苦しい旅をそれでも乗り越えてくることができたのは、ひとつには見つけた幸せのためでもあった。

世界でたった一人愛した青年と、これから二人力を合わせて故郷を太陽の町に。

いつでも受け入れてくれるあの熱い胸の中で幸せに包まれる自分の姿をいつも思い描いた日は数え切れない。 今それが・・・絶たれてしまったのだ。

「私だってようやくアリアンと、元のアリアンと一緒になれたのに。」

愛し合う気持ちは相棒にだって負けているつもりはない。 この永遠の続く封印の中でだって

アリアンとならば・・・そう思っていた。 まさか相棒をこの封印の中に巻き込んでしまうなんて思ってもおらず

最愛との別れ、そして相棒への申し訳なさ、その二重の悲しみが彼女を襲って覆いつくそうとしてくる。

「でも! 離れ離れになっても想いはずっと・・・ずっと・・・。」

何とか泣き叫びたくなりそうな心を抑え込もうと、自分に言い聞かせるようにしてシャニーは無理に笑顔を作ってみせる。

だが、今回ばかりはどうしようもない。 涙で喉が詰まって咽び、いつもなら作れる笑みも後から後から崩れてくる。

そのあまりにも悲しげな眼差しと悲痛な声に、エルピスがついに止めに入る。

「シャニー・・・ガマンしなくていいわ。 もう目が真っ赤よ。」

もうこの場には自分しかないのである。 希望の守護者として涙を堪える必要は、もうないのである。

彼女はシャニーをしっかりと抱き包むと、まるで妹をあやすように静かに語りかけた。

「エルピスだって・・・もう溢れてるじゃない。」

シャニーもまた気付いていた。 エルピスが今なお熾天使としての責任感からぐっと悲しみを抑えていることが。

だが、さすがの熾天使も引き裂かれた愛の前では堪えきれず溢れ出しかけていた涙は相棒の言葉で一気に決壊する。

「独りじゃないのが・・・せめてもの救いよね・・・。」

こんな中に一人でいたら、きっと発狂してしまうだろう。 寂しくて、辛くて。

だが幸いなのか不幸なのか、今は傍に親友がいる。 二人はしっかりと抱きしめあい、互いの寂しさを分かち合って紅涙を絞り続けた。

 

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