バーバラ・アンダーソンの発見(2)  
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19.ゆっくりした反応

20.抜け道と2人の証人のルール

21.最終的に幻滅する

22.ビル・ボーエン氏とサイレント・ラム(沈黙する小羊)

23.排斥される

24.異なる献身

■更新記事

19.ゆっくりした反応
私の属する会衆に、エホバの証人の娘に性的いたずらをしたと告白した長老がいた。
その男は、被害を受けた娘の父親がエホバの証人ではなかったことから、警察に訴えて騒ぎとなったため、長老の役割を下ろされていたが、数年の内に、会衆の中で見逃してもらうよう巧みに立ち回った。   
彼は野外奉仕のプログラムで、一人の女性と子供と一緒にまわっているにも関わらず、他の長老達に自分は悔い改めたと信じ込ませていた。   そして、その子供達の何人かに性的いたずらをしていたのである。   
私は、ものみの塔本部に、この現状について手紙を送り、また統治体メンバーのロイド・バリー氏(今は亡くなったが)に1993年7月21日付けである懇願の手紙を送った。
私は手紙で、私の属している会衆において、性的虐待の加害者は、子供を見つけるのに、家から家へ訪問する野外活動を利用している事実を訴え、そして加害者を野外活動に参加させないように要請した。
加えて、さらに心配な状況があった。   
会衆の中では、加害者の―悔い改めた人を含めてー名前が公表されることは一切なかったので、数年後には、これら加害者の多くは長老に復帰していた。   従って、この加害者達は、子供に性的虐待ができる状態のままに放置されており、実際にその恐れ通りの結果になってしまっていた。   1994年に、私はものみの塔本部を訪問し、ロイド・バリー氏に簡単に状況を説明したが、彼は私の手紙を受取らなかった。

野外宣教に参加する性的虐待の加害者に対する対応方針が出されるのを、長いこと待つ間に、加害者が悔い改めれば、会衆の責任ある立場に復帰してしまって、何も変わらない。 
しかし、私は、これらに判断を下すのは難しくて、付随する問題がいくつもあると理解していた。   
ものみの塔の組織内の児童性的虐待の問題は、範囲が広く、また複雑であった。   
私が知っている限り、子供達は、エホバの証人の加害者から性的虐待を受け続けており、私はこの状況を変えたいと思っていたのである。
私は、児童性的虐待の被害者が後遺症に苦しんでいるのに、専門家の助けを求めることが、1992年、1993年のように、考慮されなかった状況ではなくなったことに、満足した。   しかし、1994年12月までに、大きな揺り戻しがあった。   1994年中の王国宣教学校の教えの中に以前より厳しい見方が教えられたのである。   
加えて、王国宣教学校において、長老達は、“抑圧された記憶”の理由によって、エホバの証人を訴えることは、許しがたく、裁きであると教えられたのであった。   長老達は、児童性的虐待について2人の証人がいなかったなら、そして訴えが否定されたなら、制裁や排斥につながる審理は行われないと念押しをされたのである。

1993年-1997年の間、私は秘密保持のルールについて、大変、心配していた。   
私は自分の属する会衆において、悔い改めたとされている性的虐待の加害者が、子供を自分のひざに、そして赤ん坊は腕に抱いていて、他の長老がそれに対して何も言わないし、その両親に注意するようにも言わない状況であることを、ものみの塔本部の著作部の友人にオープンに話していた。   
なぜなら、1995年8月1日付で、長老団に出された手紙において、過去に児童に性的虐待を行った者が、“子供を抱擁したり、ひざの上に抱いたりすることの危険性、そして他の大人のいないところで子供と一緒にしないように” と各長老は警告を受けていたから、私は心配をしたのである。

私は、ハリーやかっての仲間がものみの塔本部の中心にいたなら、ちゃんと理解してくれると思っていた。
1997年になり、最終的にものみの塔本部は、1997年1月1日付け「ものみの塔」誌に“邪悪なことは憎悪しましょう” 及び、“子供にわいせつなことをした人は,会衆内の責任ある立場に就く資格がありません。” との記事を発表した。   さらに、“わいせつ行為をする人は,住んでいる国や地域の法律によっても違うが,恐らく,懲役刑に服するか,国から他の刑罰を科されることは避けられないでしょう。 会衆は,そうした事態に至らないよう当人をかばうことはしません。”と述べられた。   
ハリーは私に電話で、5年間の本当に骨の折れる努力の結果、今回の新しい方針が出されて、悔い改めたエホバの証人でも、会衆の中において、責任ある立場に復帰することが禁じられたことを、大変、喜んでいた。    

しかしながら、私は、喜んだのもつかの間、続く文章に至ったとき、がっかりした。
悔い改めたように思われるのであれば,その人(児童性的虐待者)には,霊的な進歩を遂げることや,野外奉仕(エホバの証人の家から家への訪問活動)に参加すること,さらには神権宣教学校での話や奉仕会のプログラムの中の演壇から教えるのではない部分を扱うことも勧められるでしょう。”  これは、私が求めたものと正反対である。


20.抜け道と2人の証人のルール
最初、読んだ時、統治体は、児童性的虐待の加害者となった者は、組織において、責任ある地位につくことはできないことを制定するよう動き出したと思われたが。   最終的に、過去に児童性的虐待の罪を犯した者は、再び同じ罪を犯すのに都合のよい機会があったと認めた。   今後は、児童性的虐待の前科のある者は組織の責任ある地位から排除されることになる。
エホバの証人達は、もはや児童性的虐待の前歴のある者は、会衆の中で責任ある地位に付くことは許されなくなることを信じ、又、国中の教会が悩まされている児童性的虐待事件の渦中でエホバの証人の統治体は、一番正しい判断をしたのだと受け止めて、この新しい方針を熱狂的に受けとめた。

しかし、この新しい方針には、抜け道があることが分かってきた。   この文言“子供にわいせつなことをしてきたことが知られている人は,会衆内の責任ある立場に就く資格がありません。”は、誤解を招くもので危険な表現である。   なぜか?  
問題は、児童性的虐待の前科のある者が、組織の責任ある地位に留まる方法にある。   
これは、1997年3月14日付けで、長老団宛に送られた手紙(通達)に、“知られている児童性的虐待者とは誰のことか?”という質問に対して、次のような説明がなされている。

“児童性的虐待者として、社会において、そしてクリスチャン会衆において、その前科が知られている個人のこと。”
新しい方針によれば、“もし、会衆や社会が、その者が児童性的虐待者の前科があることを知っていたら、その者は、会衆の責任ある地位につく資格はありませんし、また責任ある地位に留まることもできません。”ということである。  
しかしながら、社会において、児童性的虐待者と知られるには、事件が警察に届けられることが、主な方法となるが、エホバの証人の場合、警察に届けることはめったにない。 その上、ものみの塔の組織の秘密保持のルール、つまり審理委員会が被害者に対して、秘密を漏らさないように圧力をかけるため、会衆内のメンバーは、その前科があるのはいったい誰なのかを知ることはできない。
 従って、長老達は誰々は児童性的虐待者として知られていないからと主張でき、実際にそうであるが、加害者はその職に留まってしまうのである。

当然、ここに言う“知られた”に込められた意味を知る普通のエホバの証人はほとんどいない。
また、多くの会衆の長老達も、1997年1月1日付け「ものみの塔」誌、および1997年3月14日付け長老団あての手紙の意味することを見過ごしている。
  過去において組織が児童性的虐待の前科のある者を責任ある地位に付かせていることを知ったら、彼ら普通のエホバの証人、長老達はどんな反応をしたであろうか。(強調斜線文字は筆者)

1997年3月14日付け長老団あての手紙の中で、“次のようなケースを偶然にも知りえた場合、長老団は、ものみの塔本部に報告しなければならない”という指示が書かれている。
その指示とは“もしあなたの会衆の中に、過去、児童性的虐待の前科がある人が責任ある地位に任命されたことがあるか、もしくはかってその職にあったことを知りえた場合、長老団は、ものみの塔本部に報告しなければならない。”というものである。  これは、ものみの塔の組織が、児童性的虐待の前科を知りながら、責任ある地位に任命した者がいることを、図らずも認めたことになっている。

さらにこのはからずも、実態を暗示する手紙は続けて、“他にも、バプテスマを受ける前に、児童性的虐待の前科のある者がいるかも知れない。 長老団は個々人に問いただしてはならない。”(強調の斜線文字は筆者)
世俗の組織や他の宗教団体が、子供達と接触する立場にある従業員や、ボランティアの過去の経歴を調べているのにも拘わらず、統治体は、長老達に対して、責任ある地位に任命する人を、その過去から見て、ふさわしいかどうかのチェックをさえ行わせたくないのである。  これは、少なくとも無責任であり、もし捜査当局の厳しい目から見れば、犯罪行為を見逃すことにつながるか、あるいはもっと悪いと見なされるものである。

ものみの塔の公式見解のひとつとして、2002年6月に、ものみの塔スポークスマンであるJ.R.ブラウン氏がドイツのメディアに語ったことに注目したい。
これによると、“もし、ある者(エホバの証人)が、児童性的虐待者であることが分かったら、彼はいかなる場合(筆者強調)においても、長老となることはできない。” しかし、2001年6月1日付けの英国の長老団あての手紙には、“これには例外がある。”と明記されている。

この例外とは次の通りの文面である。

“もし英国支部が、あるエホバの証人の児童性的虐待の前科が何年も前のもので、それ以来、模範的な生活を続けてきたので、会衆の信頼できる地位に留まること、もしくは新たに任命することを決定した場合は、その者が他の会衆に異動する場合において、英国支部が特に指示しない限り、、その者の名前は前科者のリストに載せる必要はなく、又、その者の前科について
の情報を伝える必要もない。(リストは、会衆によって作成されるもので、表題は”子供の保護―詩篇127:3)

このリストには、児童性的虐待の罪を告白した者で、会衆が2人以上の証人によってその罪が確認された人、そして裁判所によって有罪判決を受けた人のデータが記載されている。

さらにこの手紙は続けてこのように書かれている。
“しかしながら、この他、児童性的虐待には多くの異なる状況がある。   例えば、一人の証人だけで、告発された者が罪を否定している場合、(申命記19:15、ヨハネ8:17) もしくは、世俗の警察と取調べを受けていて、まだ容疑が確定していない場合等。  これらの場合、あるいは同様の場合は、子供の保護のリストに記載しないこととする。”

私が、初めてものみの塔の組織内における児童性的虐待事件に気付いた時には、聖書の教えでは、児童性的虐待の罪を証明するためには、2人の証人が必要であることを知らなかった。
1997年になって、児童性的虐待の罪に対して2人以上の証人が要求されることが、子供達にとって、どんなに危険なことであるかを知った。
上記の2001年6月1日付けの手紙から分かるように、もし児童性的虐待を告発された者について2人目の証人によってその罪が立証されなくて、且つ、告発された者が容疑を否認した場合には、その告発は行き場がなくなってしまい、子供の保護リストにも載らないことになる。  且つ、秘密保持のルールが適用され、被害者は誰に対しても、沈黙を守るように命じられ、これに反すれば、逆に組織から排斥処分を受けることとなる。

これこそが、現在でもなお、ものみの塔の組織内において、児童に対する性的虐待者をひた隠しにし、同時に児童をこれら狼どもの餌食にさらしている組織のやり方なのである。
そしてこれこそ、改革が必要とされている主要教義の秘密主義及び、“2人の証人”の方針なのである。


21.最終的に幻滅する。
私は、大きく言って、メンバー達は、同じように見える組織に属していた。
しかし、水面下の現実においては、一人ひとりの生活に対する姿勢、生き方は大きく違っている。  なぜなら、エホバの証人はエホバ神が組織を導いてくださると信じる、自己告白の信仰だからである。   そして、個々のエホバの証人を外部からの影響から守るために、群れのメンバーの生活のすべての面において規則を作るのは、エホバの証人の教義の指導者たちである。
指導者達は、その意図するところは良いのであるが、群れのすべての社会的条件について、指示を出すというパリサイ派になってしまったのである。   

児童性的虐待に関する複雑な状況―2人の証人ルール
1997年1月1日付け「ものみの塔」誌の抜け穴のある新しい方針
・長老のテキスト「あなたとあなたの群れに注意を払いなさい」における関係箇所の助言
1997年3月14日付け長老団に対する手紙(通達)
・その他すべての関連の手紙(通達)
・王国宣教学校のすべての関連指示
これらはすべて問題の多いものである。
これらの指示は、会衆を保護する意図でなされたものであるが、かえって児童性的虐待者を保護する結果に終わっている。  私は、これらが、意図的でなかったことを望むばかりである。

1992年以降、私はものみの塔の児童性的虐待についての問題の多い取扱について大変、心配していた。   私は、ものみの塔の指導者達が、児童性的虐待の訴えについて、姦通や酔っ払いと同じようにしか取り扱っていないとしか思えなかったのである。
私は、長老達は児童性的虐待の訴えについて取り調べるべきではなくて、児童性的虐待は犯罪であり、強姦の一種であるから、この訴えすべては、警察に任せるべきだと思うに至った。   しかし組織はこの点をきちんと理解していなかった。
警察は犯罪を取り扱い、長老は罪を取り扱う!   
もし長老が、児童性的虐待者を組織から排斥処分するに当って、指針が必要なら、この点を明確にすべきである。   
長老は判事ではない。    もし、告発された者を組織から排斥するに当っては、2人の証人が必要なら、そうすればよい。  ただし、訴えと関係者すべてについて警察に届けられてからの話である。

1998年、私は組織を正式に離れたが、その前、約1年間は組織からだんだん距離をおいていった。   私は、不安を退けようとして地元の大学に行き、いくつか試験を受けて、奨学金を受取ることになった。   これにより、私は世界中のエホバの証人の友達がいなくてもやっていける強さを得られた。 ( 彼らエホバの証人が、もはや私は仲間ではないと知れば、彼らは間違いなく私を避けるだろうことを、知っていた。)   
私は、大学に行くことによって、ものみの塔の外に生活があることを知った。   
このとき、私の夫と私は結婚して39年であった。   私たちはお互いに秘密にすることは何もなかった。   
信頼と尊敬が私たちの結婚がうまくいったことの基本である。
夫ジョーは、私がものみの塔の児童性的虐待に関する方針 (私は害悪であると考えていた。)について私が今までやってきたことを知っており、私がものみの塔の組織の中で大変な困難を抱えていたことを、充分、承知していた。   
そのため、夫は私がこの宗教を離れることを受入れてくれた。    
私は一人の女性として、この悪弊に沈黙するか、又は排斥されるかしかなかった。
私は子供達を児童性的虐待から守るために、全くの無力であることから来る怒りと挫折感に、これ以上、耐えることはできなかった。

エホバの証人になっている私の家族と、親しい友達は、私を見捨てなかった。
はじめは、私が組織を離れたことにびっくりしたが、私の権利を尊重してくれた。
事実、彼らのうちの2人は、その後、組織を離れることになった。   
1997年に、16年間、ベテルにいた私の息子とその妻は、子供を生みたいという希望から、ものみの塔本部を離れた。

1999年、私たちの孫、ルカが生まれて、息子夫婦は赤ん坊と共に私たちの家にやって来た。
息子夫婦は、私たちの家に、そして、私たちは、息子夫婦の家に行き来していた。
私は排斥されていなかったからである。    私の夫は、引き続き、長老をつとめていたが、他の長老達は、私がどうしてエホバの証人をやめたのか不思議に思っていた。   しかし、彼らは、夫にも私にもあえて質問することをしなかった。    
いずれにせよ、私はものみの塔について否定的なことは一切、言っていなかったので、彼らにとっても私は、危険分子とは見なされなかったのである。


22.ビル・ボーエン氏とサイレント・ラム(沈黙の小羊)
2000年の終りごろ、ものみの塔の元巡回代表である私の友達が、ウエブ・サイト上で、「エホバの証人に関する対話のグループ」に参加していることを知った。  それは、ある長老が投稿した記事で、その長老は、同じ会衆の地域監督が何年も前に、子供に性的いたずらをしたことを認めた事実を知ったが、どなたか他の長老の方で同じようなケースに出会ったことはありますかとたずねる内容であった。   会衆とその地域の人は、そんな犯罪の事実があることを全く知らなかったが、(もっとも2人の長老は知っていたのだが)その地域監督はその地位に留まっていた。
投稿者は、彼の子供を含めて会衆の子供達のことを心配しているとのことであった。

はじめに、私の友達が、次に私が、その長老に連絡をした。   私が彼にものみの塔の組織内の児童性的虐待について話したことは、事実を暴露することに他ならなかった。
まもなくして、私と友達は、ものみの塔の組織は無責任な、犯罪行為を無視する方針によって、児童性的虐待の犯罪を揉み消しており、国際的にみても有罪であることを、社会に明らかにする必要があることと、そして統治体に方針の変更させる必要があることをお互いに確信した。    しかし、どうすればよいのだろうか?

まもなくして、その長老、ビル・ボーエン氏は、その地位を退いて、児童性的虐待について公にする決心をした。   それは、2001年1月1日の出来事であった。    ビルの故郷ケンタッキーの地元メディアで、ビルが児童性的虐待問題を巡り、長老を辞任したと報じられ、驚きを持って受けとめられた。    まもなく、ビルと私は、ビルが立ち上げたインターネットのウエブ・サイトを「サイレント・ラム(沈黙の小羊)機関」と名付けて、そこにエホバの証人で、同じエホバの証人から児童性的虐待の被害を受けた人達が、被害の経験談を投稿できるようにすることで意見が一致した。
数週間の間に約1,000件の記事が投稿された。   5年後には、投稿された記事は6,000を超えた。    

ビルは自分の身分を公けにしたが、私はまだであった。 しかし、数週間後にビルと私は、NBCテレビの番組プロデユーサーのインタビューに応じるために、ニューヨーク行きの同じ飛行機に乗った。 NBCは全米で放映される“デイト・ライン”でものみの塔の児童性的虐待事件のドキュメンタリー番組を企画していたからである。    
NBC番組制作スタッフは、この問題を集中的に調査した結果、私たちの言い分が本当であることを確認したので、私たちは、テレビ番組放映のためのインタビューを受けることになったのである。     
同じ頃、番組制作スタッフの一人が、ものみの塔の担当責任者に対して、私たちの言い分について問いただしたが、きっぱりと否定された。

番組は2001年11月に放映される予定であったが、同年の9月11日のテロリストによるニューヨークのワールド・トレイド・センタービルへの襲撃事件が起こったため、放映は中止された。


23.排斥される
ものみの塔の担当責任者がNBCを訪問し、番組の放映時期が何時になるかを問い質したところ、ものみの塔本部は、その番組が2002年5月28日に予定されていることを知った。
直ちに、ものみの塔は担当地区の長老に対し、私たちを裁く審理委員会を開くよう通知した。
5月のはじめ、私は長老達に、私にかけられた嫌疑に対して無罪であると申し立てた。
数日の間に、長老達は、別のでっち上げの容疑で審理委員会を開く計画を立てた。
私は、それは無駄であると思われたので出席を断った。 ――なぜなら、私がこれらの容疑を否定すれば、彼らはまた別の容疑を持ってくるのは明らかであったからである。
いずれにしても、私は2002年5月19日に、組織に分裂を起したことによって、排斥されることになった。

同じ頃、その番組に出て、組織に対して警告したエホバの証人の何人かも、同じく排斥された。
ものみの塔は、排斥されたメンバーは、悔い改めない罪人であって、信じるに価しない、よってものみの塔に対して悪知恵を働く者と見なした。    私が排斥されたのは、“デイト・ライン”が放映される直前であり、ものみの塔の意図は、番組を見るエホバの証人達が、私の言うことを信じないようにするためであることは、明らかであった。
その後、驚いたことが起こった。   ものみの塔本部は、全米の会衆に2002年5月24日付けで手紙(通達)を送って、“デイト・ライン”の番組放映の1週間前までに、その手紙の内容を、すべてのエホバの証人に対して読み上げるように指示がなされた。

夫ジョーは、この手紙が読み上げられ、内容について半信半疑ながら、王国会館の鍵を手渡して、長老を辞任した。  彼は辞任届けを出すように言われて、数日後にその通りにした。
ジョーは、各長老にその写しを一枚づつ渡し、同時に統治体のメンバーであるダン・シドリック氏、ジャック・バー氏にもその写しを送った。    
また彼は、ものみの塔本部サービス部にいる友達ロ
バート・ジョンソン氏にも辞任届けの写しを送った。    一週間後、ジョーはボブ(ロバート)との電話で、奥さん(私)を管理するようにと、又、奥さん(私)はものみの塔の方針を誤解していると告げられた。  ジョーがボブ(ロバート)に対して、その方針について質問したところ、ボブの回答は、秘密であるとの答えであった。   ジョーは、失望し、ボブ(ロバート)を訪問し話し合いを持ったが、不満足な結果に終わった。

ジョーは、その後2002年7月に、分裂を引き起こしたとの理由によって、排斥された。
私を弁護し、児童性的虐待問題について、ものみの塔とは明らかに異なる意見を述べることによって、彼はもはや組織人間ではなくなった。
ジョーは、ビル・ボーエンや私と同じように、児童性的虐待の訴えが報告された場合に、長老が要求される取り扱い方に批判的になっていた。    彼は、児童性的虐待は犯罪であり、長老はその訴えがあった場合には、内容について調査すべきではなく、彼ら長老がどの州に住んでいようと、仮に法律で定められてなくても、すべて警察に届け出るべきであると信じていた。

この番組が放映される前に、NBCのレポーターはものみの塔に対して、もしこれが事実ならば、ビルと私は、予定されているテレビ番組に出演した理由によって、審理委員会に呼び出されることになるのかと質問した。   
ものみの塔のスポークスマン、J.R.ブラウン氏は、これを否定して、審
理委員会は、各地区の会衆の問題であること、そして私達(ビルと私)は罪人であるから、地元会衆の審理委員会への出席を求められるのであって、テレビ番組“デイト・ライン”に出演するからではないとコメントしたと報道された。   
また、ブラウン氏は、ものみの塔の指導者は、一体誰がその番組に出
演するのか知らないとさえ言った。 
これは明らかに事実と異なる。   
また、レポーターが、もの
みの塔は、メンバーを排斥処分にする場合、聖書のどの箇所を根拠としているのかと質問したのに対して、ものみの塔のスポークスマンは、Tコリント5:11,12を引用して、会衆は、淫行の者,貪欲な者,偶像を礼拝する者,ののしる者,大酒飲み,あるいはゆすり取る者がいれば,彼らを取り除かなければならないと言った。   

私は、1998年の中ごろから、会衆にはいなかったし(メンバーではな
いので排斥の対象にはなりえない)、またこれら粗野な罪の一つだって犯したことはないので、2002年11月に、ゆっくりと審理手続きを進めていたものみの塔に対して、名誉毀損の訴訟を起した。    これらのことが起きてから、ビル・ボーエン氏と私は、マスコミの取材を何度も受けたが、そのつど、小児性愛行為をかばうことになっているものみの塔の方針を、社会に明らかにしようと努めた。   


話は戻るが、1993年8月8日付けで、私たちの息子が、私たち両親の美徳を賞賛した美しい手紙を送ってきたが、それから10年もたっていないのに、私たちがものみの塔の組織内の隠された児童性的虐待問題を公けにしたことによって、排斥されてからは、完全に私たちを見捨てる決心をした。
彼は、新聞のインタビューに答えて、私(母親)はエホバの証人の子供達を守ろうとして、尊いことをした;しかしながら、これを公にすることは正しいとは思わないと。(明らかに、私は、11番目の命令、これはエホバの証人にとって最も重要なもので、“組織についての悪い評判を広めてはならない。“ に違反した。)

2002年5月28日にNBCデイト・ラインにおいて、この番組が放映されてから、私の息子とその妻は、ものみの塔本部の担当責任者に、組織側の言い分を聞くためにニューヨークに行った。
彼は、母(私)はものみの塔の方針を誤解していること、そして母(私)の行動によって、数千人のエホバの証人が組織を、聖書を、そして神を離れてしまったと告げられた。   従って、これらエホバの証人を離れた人達は、ハルマゲドンで死ぬことになって、母(私)は、彼らの死に責任があるだろうと言われた。    彼は、告げられたことを信じて、それ以降、一切、私に話しかけることはない。
私達が息子、その妻、そして彼らの息子、つまり私達のただ一人の孫に3年以上も会っていない。
私達が、孫に手紙と贈り物を送っても、開封されずに返されてきてしまう。


24.異なる献身
私はエホバの証人としてバプテスマを受けた14歳の時から、自分の生涯を思い返してみた時、どこで最初の一歩を踏み出したか、ただ驚くばかりである。   その時は、エホバの証人に教えられた命の不思議について、他の人達が理解できるよう助けたいという思いだけであった。
私は、命の不思議が説明できるものであるとか、エホバの証人は情け深い優しい宗教であるといった妄想にもはや縛られていないことに喜んでいる。

かっての私の親しい友人のハリー・ペロヤンは、私が、ものみの塔の組織内の児童性的虐待問題を公表した“ユダ”であると言っているが、私は残された人生を“内部”の目撃証人の経験を分かち合うことに捧げることにした。   願わくば、私の書簡が、1881年以降、統治体によって巧みに運営されてきたこの宗教団体の隠された秘密を理解するのに役立てばと思う次第である。
この方法で、私は事実を知らせている。  そして私の経験した事実によって、他の誠実な人達が、私を欺瞞の目撃証人に導いたようなこの不幸な選択をしないように、助けとなれば幸いと思う次第である。

バーバラ・アンダーソン
2006年5月1日




更新
2009年1月27日

私は、2006年に“バーバラ・アンダーソンの発見”を発表した後も、ものみの塔の宗教組織内において子供達に危害を加えることになる隠された秘密を明らかにしてきた。

ものみの塔によって用心深く隠されてきた事実とは、児童性的虐待にかかる訴訟を、「秘密裏」、又、静かに、裁判所外の和解で解決してきたことである。   しかしながら、2003年以降、特にカルフォルニアにおいて、何十人かの原告は弁護士を通じて、20件以上の児童性的虐待の訴訟を裁判所に提訴した。   その間、私は弁護士に対して、児童性的虐待に関して、エホバの証人はどんな方針によって、どのような行動を起すのかを、理解してもらえるように、積極的に支援をした。
残念なことに、私の知る限り、これらの訴訟事件のどれも、公表されることはなかった。  
大半の訴訟が、原告側の弁護士によって、訴訟取り下げとなっていたのである。
2007年の初冬、カルフォルニア州の7件、オレゴン州の1件、テキサス州の1件が、エホバの証人の組織の指導者の判断によって、裁判所外で数百万ドルの和解金を支払うことによって解決がなされた。

しかし、それでは終らなかった。   同じ年の3月に、私は、これらの訴訟に関わる5,000ページ以上にのぼる裁判所記録を買った。   そして私は、被告のエホバの証人の組織が、全く、前例のない数百万ドルの和解金を払って裁判所外での解決を図ったことについて、100ページ以上の論評を書いた。    彼らの目的は、エホバの証人の内部で起きた児童性的虐待被害者の訴えを「管理」するために、エホバの証人の指導者が持っている隠された方針と手続きが素晴らしいものであると、宣伝し栄光の輝きのイメージを与えることにある。


私は、この目的を達成できたことを嬉しく思う。   すべての裁判記録の書類と、私の論評は、“アメリカの宗教における児童性的虐待の秘密―危機にあるエホバの証人”の題名でCDに収められている。   このCDは、2007年8月からルル社という出版社から販売されている。
この論評は、非常に多くのエホバの証人の子供達を児童性的虐待の被害に会わせてしまった、エホバの証人の指導者達の責任を告発している個別具体的な裁判記録が含まれている。
例えば、これら書類の一つに、エホバの証人の地域監督のドナルド・アミー氏から、ものみの塔協会に送られた手紙がある。 ドン・アミー氏は、この手紙の中で、エホバの証人のカルフォルニア会衆の児童性的虐待の加害者について書いている。

この手紙は、他の呪うべき資料と共に、2007年11月21日のNBCの夜のニュースで、ブラウン・ウイリアム氏が、2007年2月にエホバの証人(ものみの塔)側と児童性的虐待被害者との間の裁判所外の秘密裏に行われた和解を明らかにした番組の中で、何百万人もの人々が目にしている。

私が2007年の春に、裁判記録を買ったとき、裁判所がうかつにも裁判記録ファイルの中に残してしまった裁判所の印が押された書類を見て、頭をガーンと殴られたようなショックを受けた。    
そこには、ある一人の被害者がエホバの証人側と781,250米ドル(約70,312,500円:@90円で換算)で示談に応じたと書かれてあった。    NBCの夜のニュース製作者も、当然その書類に目を留めた。

私は、2007年9月にテネシー州ナッシュビルで、NBC夜のニュース番組のインタビューを、受けた。  そして2007年10月下旬になって、私はワシントンDCのNBC本社に招かれて、NBCニュースの調査部のリサ・マイヤー女史のインタビューを受けた。
なお、リサ・マイヤー氏と番組制作者のリチャード・グリーンバーグ氏は、“エホバの証人を告発する新しい証拠”というやや長い題名で、記事を書いている。  この記事は、2007年11月21日付けのNBCウエブ・サイトに出ている。
http://www.msnbc.msn.com/id/21917798 )
同じ日に、ナッシュビルにおいてNBCのチャンネルを提供しているMSMVテレビのレポーターが、私の家に来てインタビューをした。    これらのインタビューの記録は、私のウエブ・サイトを通じてリンクできる。(www.watchtowerdocuments.com

2008年1月17日、私は、“アメリカの宗教における児童性的虐待の秘密―危機にあるエホバの証人”のCDの内容を、私の上記のウエブ・サイトから、無料でダウンロード又は閲覧できるよう、公開した。   なぜなら、このCDを作成するために、費やした時間は除いて、5,000米ドル以上の費用がかかってが、その後、2つの寄付とCDの販売によって、この費用が回収できたからである。

この“アメリカの宗教における児童性的虐待の秘密―危機にあるエホバの証人”の作品が完成したのは、私とエホバの証人の指導者によって児童性的虐待の被害を受けた人達の暖かい愛情に満ちた助けによるものである。   

エホバ神は我々エホバの証人だけを導いておられると主張するものみの塔の指導者達が、何十年にもわたってひた隠しにしていたことの張本人であることの事実を、今や誰でも、見ることができるようになった。


私の論評“アメリカの宗教における児童性的虐待の秘密―危機にあるエホバの証人”が、好評を頂いたのを見て、2008年12月には、同じCDの中に収めた5,000ページ以上の裁判記録のすべてを、ただで公開することに決めた。   
私のウエブ・サイト (
www.watchtowerdocuments.comからアクセスして、ダウンロードが可能である。



変わらない「ものみの塔」
現時点において、ものみの塔協会の指導者は、児童性的虐待についての方針を変更したと宣言しているが、私の知る限り、そうではない。   私が、最近、エホバの証人である関係者と話したところ、エホバの証人の会衆では、集会に参加している“兄弟”の中に、小児性愛、性的虐待で告発されたか、告白したか、あるいは有罪と宣告された者たちについて、いまだに何も知らされていないとのことである。   

最近、米国内のあるエホバの会衆の中に児童性的虐待の前科のある3人がいることを知った。
もし、読者であるあなたが、その会衆の仲間の一人であったとして、長老がその事実を知っていながら、組織の上部からの指示によって会衆に対して注意することが禁じられていることを、知ったとしたら、あなたはどうするであろうか?
あなたは失望するであろう。    実際、その会衆ではその通りの事が起こった。
子供を持つエホバの証人の両親は怒ると同時に恐れた。
これが、エホバの証人の子供達を犠牲にしても、悔い改めた小児性愛加害者を守るエホバの証人の“秘密保持”の方針である。

私はいまだに、被害者が警察に届けた結果、エホバの証人の性的虐待者が逮捕されるニュースを耳にする。   被害届けが義務付けられていない州では、エホバの証人が、児童性的虐待で訴えても、長老たちは警察に届けていないなど、状況は変わっていない。   さらに、2人の証人がいなくて、容疑者が否定した場合は、何も起こらない。


身体への虐待
多くの元エホバの証人の方から、彼らが子供の時に両親から受けた肉体への虐待について、私のウエブ・サイトを通じて、メールを頂く。   その内の一つを紹介しよう。

「私の母は、1948年から、信仰深いエホバの証人として仲間からも、愛らしく、チャーミングな姉妹として見られていましたが、子供である私は、ひどく肉体的に虐待を受けていました。  それは私が自分で身を守ることができるようになった11歳まで続きました。 母は、エホバの証人ではない父に向かい、口汚くののしり、父は、しばしば“聖書のどこに書いてあるのか?”とか、あるいは辛らつに“仲間の信者は、それについて何と言っているのか?”と、自己を制しながら言っていたが、惨めにもノイローゼに追い込まれた。

母は、ときどき病的なほどの怒りに襲われた時、言い訳を見つけては、私を徹底的に打ちのめして、疲れて息が切れるまでやめなかった。  母は怒りで顔をゆがめて、真っ赤になっていて、向かってくるので、私はいつも殺されてしまうと思った。   私は逃げようとして、母にやめるようにと懇願し、私を殺そうとするのかと叫んだりするが、母は自分を制御できずに、私を床に引きづりまわし、蹴っ飛ばしたり、殴ったりした。  私の体は全身、真っ赤になって、その後。何時間も動悸が収まらなかった。   

しかし、私は他の子供達と交わることなく、孤立していたことから、私は、むしろ、これが普通の子供の状態なのだと思っていた。    悪いことに、私は、“真実”について教えられたこと、そしてエホバの証人だけが正しい行いをすると信じ込んでいたので、大人になるまで、母親の本当の性質に気づく事ができなかった。

私は、激しい神経衰弱の発作、不安、自殺未遂、自傷行為などと共に、アルコール中毒となったが、幸い、早い時期に回復する事ができた。   あなたは既にお気づきの通り、これらすべては性的虐待だけでなく、特に子供に対する身体的虐待が原因で起こるトラウマの症状です。」

私は、上記のような経験が、私がエホバの組織から離れた後に聞いた一つの事例だけであったなら、これを公表することはなかった。  しかし事実はそうでなかったので、これを無視することはできなかった。   エホバの証人のなかには、子供の時に、身体的虐待を受けた経験を証言する人達が実に多くいるのである。

私は、この終りのない物語(ネバー・エンディング・ストーリー)を定期的に更新する予定である。
2009年の末には、私は、ものみの塔の不適切な方針が、児童性的虐待を擁護する結果になっていて、エホバの証人の子供達が被害に晒されている状況から、子供たちを守ろうとする今年の活動についてのまとめを書く予定である。



敬具

バーバラ・アンダーソン

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