ついおくのざんし
追憶の残滓

著: 電気狼        




 部屋の中は荒れ放題で薄暗く、ところどころの電球が切れているのに家主は代えるつもりがないのか、チカチカと目障りに点滅を繰り返している。部屋にはつんとした酒の臭いとすえた様な悪臭がこもっていて、ここ何ヶ月か、いやひょっとすると何年も掃除されていないのはあきらかだ。
 そこいら中に転がっている空の酒瓶が、切れかけた電球の明かりに照らし出されて、部屋の中をよけいに廃墟じみて見せている。
 ゴミの山のただなかにはしっかりとしたテーブルがひとつ置いてあり、その横にはソファーがある。掃除がされていないせいでテーブルもソファーも粗大ゴミにしか見えないが、どちらもそれなりに高級そうなものだった。
 ソファーのうえでは男がひとり、コップも使わず酒瓶から直接、酒をあおっていた。顔は酒焼けで浅黒く変色し、無精ひげは伸び放題で、風呂にも入っていないのか体からは悪臭が漂っている。
 男は完全に泥酔していた。 

「フレンリィ……。フレンリィ……」

 男はテーブルに突っ伏したまま、うわごとのように誰かの名前らしき単語を繰り返していた。
 埃の溜まったテーブルの上で、唯一片付けられた一角には小さな写真立てが置いてあった。中には一枚の写真が入っている。
 写真には幸せそうなふたりの男女が映っていた。
 よく観れば、男性の方にはこの浮浪者じみた男の面影が見て取れた。写真の隅に書き込まれた年号を見えれば、およそ7年前に写されたものということが分る。それにしては男の容貌はあまりに変わりすぎていたが。
 実年齢で言えば20と半分ほどのはずだが、観ようによっては老人にすら見える。
 写真にはサインペンで「ピーター&フレンリィ」という文字が書かれていた。

 泥酔しているこの男の名はピーター・ブレッドという。
 彼は7年前に恋人をなくしていた。
 悲しみのあまり酒に逃げ、こうして日々を追憶の中で過ごしている。それがピーター・ブレッドのいまの日常だった。
 写真の中では恋人がいまでも微笑んでくれている。
 紫がかった短めの髪に、紫水晶のような綺麗な瞳。世界で一番愛していたフレンリィ・ダーリング。
 もともと大人しい性格だった彼女の口元には彼女に似合った優しげな微笑みが浮かんでいた。

 フレンリィとの幸せな日々に思いをはせていたピーターの耳朶を、ふいに馬鹿でかいサイレンが引っ叩いた。しかし酒で麻痺した神経は緩慢な反応しか見せず、ピーターはのろのろとソファーから身体を起こした。
 部屋中に、いや街中に響き渡る警戒警報。
 ”奴ら”が来たのだ。
 掛け替えのない恋人の敵が。フレンリィを奪った憎き相手が。
 奴らは『G』と呼ばれている。
 巨大な昆虫のような外見をしたそいつらは人を喰らう。
 恐ろしい勢いで数を増やし、殺しても殺しても根絶やしにすることは敵わず、次々と町を襲っては自らのテリトリーを広げていた。
 ここルージア大陸も半分近くが『G』の版図として侵略され、ピーターの故郷、エテルネ公国もGの侵略の危機に瀕していた。しかもこの町は公国の中でも大陸の中心よりで、Gの版図にほど近い危険区域だ。
 だから警戒警報などめずらしくもない。
 いずれはここもGどもに飲み込まれることだろう。
 
 ピーターは酒瓶をぐいっとあおった。
 口の端から大半がこぼれ落ちたが、気にせず胃の中に流し込む。
 彼女が殺されたときもGどもの大規模な侵略があった。
 奴らは群れで行動する。
 餌場と定めた町を取り囲み、いっせいに襲い掛かるのだ。
 黒光りする甲殻は銃弾をも跳ね返し、棘が林立した脚は壁だろうが天井だろうが関係なしに移動できる。おまけに羽を広げれば飛行すら可能で、並の軍隊程度では相手にもならない。金属すらも噛み砕く奴らの強靭なアゴは、戦車の複合装甲すらまるで紙くずのごとくだ。
 
 7年前、恋人を殺されたピーターはすぐさま軍に志願した。
 入隊しわずか一年ほどで幸運なことに、念願のやつらGと相対することに成功し、そして、
 完膚なきまでに叩きつぶられた。
 ピーターの右腕が、ぎぎぎと不協和音を発する。
 やつらに食われた右腕は、いまでは出来の悪い金属製の義手へと姿を変えていた。
 生き残れただけで幸運だったような、それはそれはひどい戦いだった。
 当時はまだ現在のクロッセル連合ような連合国形態をとっていなかったエテルネ公国は独力でGに挑んだ。結果は無残なものだった。国土はなんとか守りきったものの、軍はほとんど壊滅状態で他国と共闘せざる得ない状況にまで追い込まれてしまった。
 
 いや、果たして生き残ってしまったのは幸運だったのだろうか?
 ピーターは最近そんなことばかり考えている。
 あの戦場で死ねていたら、フレンリィに再び会えたのではないだろうか。
 もうこの世にいない人間に会う方法はそう多くない。
 彼女の亡骸はひどく綺麗だった。
 Gどもの襲撃があった際、ビルの倒壊に巻き込まれて頭を強く打ったのだ。
 ピーターが抱き起こしたときにはすでに彼女の呼吸は止まっていた。
 しばらくすると軍の連中が来て、遺体を親族に返すのだといってフレンリィの亡骸を持っていってしまったけれど、死んだなどと信じられないまるで眠っているようだった彼女の安らかな顔は今でも忘れられない。
 確実なのは彼女はもうこの世に居ないこと。
 思い出の中だけで彼女は生きていた。
 ピーターの口元が皮肉げにゆがみ、やがて正気を失ったような笑い声が漏れ出した。
 どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
 追憶に沈む必要なんかない。彼女の写真を眺めるだけの毎日など必要ない。
 ピーターはふらつく足取りで、よたよたと歩き出すと部屋の隅のロッカーを開いた。中には古びた年代モノの猟銃が立てかけてあった。

「……死ぬなら、ころあいだ」

 猟銃を手に取り、ありったけの弾を込める。
 ろくに手入れもしていないから暴発するかもしれないし、火薬がしけっているかもしれない。だが、それがどうした。どうせこんなものはGどもにとっては豆鉄砲みたいなものだ。
 ”永遠の国”にいるであろう彼女に会うためには自分も現世を離れなければならない。
 いいだろう。どうせ一度は捨てた命だ。彼女のいないこの世になど、もはや未練は欠片もない。彼女にもう一度会うためならば、こんな命のひとつやふたつ安いものだ。
 だが、死ぬにしても奴らの一匹でも道連れにしなくては収まりが付かない。
 殺ってやる。たとえ足の先から内臓までを食いつくされたとしても、必ず一匹は仕留めてやる。




 ピーターは猟銃片手に外に飛び出し、空を見上げると高らかに笑った。
 夜空を埋め尽くすのは百近いGの群れ。
 楕円形の腹を下に、黒い影が空を覆いつくしている。
 この町の終わりを告げる、終末の光景だった。
 
「ははっ、はははは! こりゃいい。これだけいりゃ、一匹くらい付き合ってくれるだろうよっ」

 銃身の下のグリップを満足に動かない義手でポンプし、初弾を薬室に送り込むと空へ向けて一発ぶっ放した。
 Gたちにはなんの変化もない。
 狩猟用の散弾など奴らにとっては脅威ですらないのだろう。

「こっちだバケモノども! 俺を食えるモンなら喰ってみやがれっ!!」

 それでもピーターは撃ちまくった。
 ダンダンダーンッ! とう銃声が続けざまに響き渡る。
 やがてピーターは周囲のただならぬ気配に気づいた。
 路地の先、建物の影、そこかしこになにかの気配を感じる。カサカサと乾いた音が街中のいたるところから聞こえてきていた。
 見知った気配だ。
 奴らは暗がりを好んで動く。
 
「ようやくおいでなすったか……。待ちわびたぜ、クソ野郎ども」

 建物の影からのそりと現れたのは、まさに虫そのものだった。
 平べったい体躯と脂ぎったように黒くぎらぎらした甲殻。いく本もの脚を持ち、頭の上では二本の触覚が気味悪く蠢いている。そしてその巨体は軽く軽トラックほどもあった。
 これが『G』だ。
 フレンリィを殺し、自分の右腕を喰らった敵。
 そしてこれから自分を喰い殺すであろう異形のバケモノだ。

「くらいやがれ、害虫どもっ」

 手近なGに向かって撃つ。
 しかし当然のように弾丸は、盛大な火花と共に弾き飛ばされた。
 装甲車並かそれ以上の外装だ。
 死ね!死ね!死ね!死ね!と何度も何度も銃弾を放つが、あがるのは相手の血しぶきではなく火花ばかりで、最後の弾丸がなくなるまでそれは変わることがなかった。軍に志願し、Gどもと戦った7年前と同じ光景だ。
 非力な人間。無力な人間。食物連鎖の頂点はすでに人類のものではなく、こいつらGのものへと成り下がってしまったのはありきらかだった。
 
「……ちくしょうめ」

 残弾がなくなりただの骨董品と成り果てた猟銃を足元へ転がしてピーターは吐き捨てた。
 恋人の敵も討てず、それどころか雑魚一匹を道連れにすら出来ない。
 自嘲するような力ない笑みがピーターの口元に上った。
 
「いいさ、殺せよ。こんな俺など生きてる価値もない」

 ピーターの言葉が通じたわけではないだろうが、Gどもはぎちぎちと金属すらも噛み千切るアゴを開閉させながら近づいてくる。
 生きながら喰われるというのはどういう感覚なのだろうか。少なくとも相当に痛そうだ。
 だが、恋人を失い胸に穿たれた穴の痛みにさらされ続けたピーターには、その程度の痛みなどどうということはないように思われた。

(これで、ようやくフレンリィに会いにいける)

 善行を行ったひとが死ぬと天の上にある”永遠の国”へ行けるらしい。
 エテルネ公国の首都から離れたこの片田舎では、そういったおとぎ話が信じられていた。宗教までは届かない、子供が信じる類のまさしくおとぎ話ではあったが、Gどもに家族を殺された者が大勢いるこの地では、殺された人間が少しでも安らげる場所がどこかにあるのだと信じていたかったのかもしれない。
 
(俺は、善行を行ったとはいえないだろうが、べつだん悪行をしてきたわけでもないから、神様も少しぐらいは大目にみてくれるだろうさ)

 俺はただ、恋人にもう一度会いたいだけなんだから。それくらいはサービスしてくれたっていいだろう、ええ神様よ? 心の中でそう続け、ありとあらゆる物陰から姿を現したGどもの凶悪なアゴを見つめる。
 出てきたGは十匹を越えていた。これを殲滅しようと思ったら強固な軍隊が一連隊は必要になるだろう。

 すべてをあきらめ目をつむりかけたピーターの視界の端、一番後方にいたGの身体がなんに前触れもなく弾け飛んだ。
 
「…………え?」

 被害はそれだけには止まらず、次々とGの身体が爆散したようにバラバラに吹き飛び、クリーム状の白い内臓があたり一面に飛び散ってゆく。驚愕したのはGどもが我を忘れたようにパニックに陥っていることだった。食物連鎖の頂点にいるはずの生物が怖れる天敵。ピーターにはそんなものの存在がまったく想像できなかった。
 Gどもがピーターの存在など忘れ去ったかのように近くの暗がりへと逃げてゆく。
 しかし襲撃者は逃亡者を見逃すようなことはなかった。
 逃げる者から優先的に破壊されてゆくようにGが壊されてゆく。殺されてゆく。駆除されてゆく。
 ここにきてピーターはそれが何者かの銃撃によるものだと解った。いまさらのように空気を震わす射撃音が耳の届いたのだ。

 そして、ピーターの目の前でさらに信じがたい事態が起こる。
 上空から、というよりは遥か彼方から投石器か何かで投擲されたようにピーターの眼前にひとりの人間が落ちてきたのだ。
 あろうことかその人物は、砲弾のようなその勢いを両の脚であっさりと吸収してみせた。いや、あまった衝撃が余波となり、”彼女”の足元が、ずんっと音をたてて陥没したとこをみると、吸収したというには語弊があるかもしれない。まるで空を飛ぶ飛行機のうえから投げ落とされてきたような衝撃に”耐えて”みせたのだ。
 人間業ではなかった。
 それでも落ちてきた彼女は人間以外の何者にも見えなかった。
 ひるがえる紺色のエプロンドレスに白いカチューシャ。両の手は清潔そうな白い手袋に包まれていて、極め細やかな肌は白磁のごとく。さらりとした髪は紫がかったショートヘアーで、その瞳はまるで紫水晶のよう。そして、ああ、そして……。

 彼女は身長ほどもある巨大なライフルを携えていた。
 大の男が片手どころか両手で持ち上げることすら困難そうなライフルが、彼女の手の中で軽々と回転し、肩に乗せるとそのまま引き金を引いた。弾丸は彼女の背後に向かって発射され、彼女に襲い掛かろうとしたGの頭部を木っ端微塵に吹き飛ばす。
 どうやらGどもは逃げ切れぬと判断し、この襲撃者を殲滅することに方針を変えたようだ。
 残った6匹ほどのGが一斉に彼女に襲い掛かった。
 彼女はまたも軽々と、まるでバトンでも回すようにして手首の力だけで長大なライフルを回転させると、どう見ても発射体制にはみえないような姿勢のまま引き金を引いた。引き続けた。

 それはまるで演舞ようだった。
 前に向かってライフルを撃つと銃身が跳ね上がる、その反動を使って今度は頭上の敵を排除し、さらにそのまま左右へと銃口を走らせて発砲。最後に後方へ銃身を振り上げて後ろの敵を葬った。一連の動作すべてがあらかじめ決められていたような精緻さを誇り、彼女はその場を動くことなくほとんど一瞬でGども5匹を殲滅してみせた。
 そして最後の一匹が大きく羽を広げ空へと舞い上がる。
 迂回するように空を駆けたそいつは、彼女の横合いから凄まじい速度で襲い掛かってきた。
 対する彼女は、銃口を向けるでもなく落ち着いた様子でライフルの銃体から弾そうを外している。あれほど火力のある銃器だ。弾丸もさぞかし大きいのだろう。それほど装弾数が多いとは思わなかったがまさかこの状況で弾切れを起こすとは。
 ピーターには絶体絶命のピンチのようにしかみえなかった。

 しかし彼女はなにを思ったのかおもむろに腰に手をやると、すらりと腰に差した剣を抜き放った。
 手にしたのは一本の軍刀。
 Gに対するにはあまりに貧弱。Gの巨体と比較してみると彼女の軍刀は爪楊枝のようだ。
 空飛ぶ装甲車のようなGを両断するにはその刀身はあまりに細すぎる。たとえ突いたとしても弾き返されるか剣が折れてしまうだろう。ここにきて彼女は戦術を誤った。ピーターはそう思った。
 だが、結果としてピーターの考えはすべて外れることとなった。

 彼女は細身の軍刀の腹をGに向け掲げると、Gの突進を剣の腹で受け止めたのだ。
 いや、ちがう。受け止めたのではないとすぐに間違いに気づいた。なぜなら彼女めがけて突撃してきたGは刃の上を滑るようにして彼女の頭上へと抜けてしまったからだ。
 
(突進の衝撃を、すべてうしろへ受け流した!)
 
 さらに彼女はGを追撃した。
 見た目には非力そうにしか見えない細い脚を振り上げると真下からGのドテっ腹めがけて蹴りを叩き込んだ。軽トラ並の巨体が九の字に曲がり、Gは空へと弾きかえされた。
 そして彼女は悠々軍刀を納め、ライフルへ、腰のポーチから取り出した新しいマガジンを差し込むと銃口を真上へと向けて一度だけ引き金を引いた。
 空の彼方。遥か上空で、蹴り上げられたGが爆発、四散する。
 しばしのち、空から大量のGの白い内臓や体液が降り注いできた。
 不思議なことに、Gの汚れた体液の一滴すらも彼女の身体を汚すことはなかった。

(こいつは、誰だ。こいつは……”何”だ)
 
 ピーターは愕然と目の前に下りてきた人物を凝視する。
 軍隊が一連隊いても相手になるかどうかというGどもをたったひとりで殲滅してしまった妙技。しかも損害は皆無でだ。まともなことではない。あきらかに異常な戦闘能力だった。
 そして、ああ、どうして。どうして彼女の顔は、こんなにも……。
 ピーターの顔が泣く寸前のように引き歪んだ。

(こんなにもフレンリィと酷似しているのだろうか)

 結婚の約束をしていた。
 ふたりでいっしょに幸せになろうと誓い合った。 
 式はまだだったけれど新居も手に入れて、町のみんなも祝福してくれた。
 ふたりの未来は明るく照らし出されていたはずだった。
 7年間、彼女のことだけを考え続けて生きてきた。
 彼女のことしか考えられなかった。
 その愛らしい顔が目の前にある。
 死んだはすの彼女が目の前にいる。
 突如目の前に現れた奇蹟に、ピーターの両目から滂沱のごとく涙が溢れ出した。

「フレンリィ……。ああ、そんなっ、フレンリィ生きていたなんて! ぼ、僕だよピーターだよ」

 しかし、ピーターの声は思いもよらぬ一言で否定された。

「ネガティヴ。わたしの固有名称は『ウェンディ』。”フレンリィ”なる名称は記録にありません。また、記憶領内にピーターという人物データの存在も認められないため、我々は初対面かと判断します」

 愕然と絶句するピーターに、ウェンディと名乗った彼女はなんの感情もうかがわせない空虚の瞳を向けると、あとを続けた。

「我ら対G決戦兵士MAID(メード)の任務は、民間人の保護よりもGの殲滅が優先されます。危険回避のため民間人はすぐにこの場を撤退、避難することを推奨いたします。また、対G戦闘におけるいかなる被害も当局は一切関知しないものと……」

 淡々と必要事項を報告する役所の事務員みたいなウェンディを呆然と眺めながら、ピーターはおのれの確信が揺らぐのを感じた。
 彼女の容姿はあまりに死んだ恋人に似すぎている。
 確かに、7年前とまったく変わらない彼女の姿は7年という歳月を感じさせない不自然さはあるものの、容姿に関してはフレンリィそのものといってよかった。
 しかし、中身はまるで別人だった。
 誰に対しても親身になって優しく接していたフレンリィはこんな事務的な喋り方は一度たりともしなかった。常に笑顔を絶やさなかったフレンリィの能面のような顔など見たことがない。そういった意味では確かのこのウェンディはフレンリィ・ダーリングとは別人に相違なかった。

(そうだ。まるでフレンリィの中身がそっくり別の何かと入れ替わってしまったような)

 それでも容易には信じられない。7年間、思い出の中で生きていたフレンリィの容姿と、このウェンディの顔かたちはあまりに似すぎている。もう一度、確認せずにはいられないほどに。

「フレンリィ、じゃ、ないのか?」
「はい。さきほど申し上げたように、わたしの固有名称はウェンディです。フレンリィおよびピーターなる人物のデータはわたしのなかには存在いたしません」
 
 長口上の途中で口を挟んだにもかかわらず、ウェンディはとくに気分を害したようでもなく応えてくれた。
 頭上を見上げれば百以上のGに占領されていたはずの空は一変していた。閃光があがるたびに飛んでいるGが燃え上がり落ちてゆく。おろらくこのウェンディと同じメードとかいう特殊な兵士が複数投入されているのだろう。だとすればこの町は救われた。ウェンディの異常な強さを目の当たりにしたピーターにはそれが確信できた。
 ふと目を戻せばウェンディがこちらに背を向け歩き去ろうとしているのが見えた。
 
「ま、待ってくれっ。もう少し話を」
「すでに大局は決しました。この町は救われました。ただし敵勢力の完全殲滅が確認できるまで安全のため民間人は速やかに自家にて待機してください」

 口早にそれだけ告げるとウェンディはこちらに背を向けたまま地を蹴った。人間では決して不可能なほど高く跳び上がり、屋根伝いに走り去ってしまう。
 ピーターはただ見送ることしか出来なかった。





 ウェンディが自分の小隊と合流を果たしたときには、街に入り込んだGはそのほとんどが全滅させられていた。
 同僚、というかまだメードとして経験が浅いためウェンディが世話しているMAID、ライラが陽気な声を響かせる。

「ああ! ウェンディウェンディっ。んーとね、ライラねぇ、いーっぱいゴッキーを燃やしたんだよぅっ」

 彼女の容姿は左目に派手な眼帯をつけた、ちょっとゴスロリ風の女の子だから、幼い仕草がいやに似合う。ここが戦場でなければの話だが。
 まとわりついてくる幼稚なライラに軽く眉をひそめながらウェンディは聞き返した。

「ゴッキー?」
「うん! ライラがつけたのー」

 ウェンディは首を捻りながらも、おそらくこの町を襲ったワモン級Gのことではないかと見当をつけた。それに勝手に名前を付けて喜んでいるのだろう。確かにワモン級は生理的に嫌悪感をもよおす容貌をしていて、なんとなく”ゴッキー”といった感じだったが、正直くだらない。あいかわらずライラには精神的な成長が見られない。
 ウェンディは上層部からライラの教育担当を任命されていた。
 身体も小さく幼女のような姿をしているライラは、その外見と違い、恐ろしいまでのポテンシャルを秘めていた。状況によっては一騎当千のウェンディすらも危うい、そんな能力だ。
 ただ、その頭の中身に関しては外見とまったく同じで、とても部隊を率いてGと戦うのは無理だと上層部に判断されて、そのお目付け役に任じられたのがウェンディだった。
 
「いいですかライラ。いまは戦闘中です。遊んでいいときではないのは分かっていますね?」
「はーい、分っていまーすっ」

 元気いっぱい両手を上げて大きな声で返事をしたライラは、ちっとも分かっていないように見え、ウェンディはそっと溜め息をついた。彼女が成長するのはまだまだずっと先のことのようだ。
 
「第13索敵分隊から報告が入っています。敵本体がグレートウォールを越え接近中とのこと。その数およそ、ワモン級3000。フライ級2000。ヨロイモグラ級130!」

 通信兵の無線機に飛び込んできた報告にウェンディの顔が引き締まった。
 周りを見回し、自分の小隊がひとりも欠けることなく集まっていることを確認するとウェンディは声を張り上げた。

「これよりクロッセル連合国ウェンディ小隊はエントリヒ帝国皇室親衛隊と合流し、共同戦線を張りますっ。今度の侵攻はかつてない苛烈さが予想されますが、ひとりとして欠ける事は許しません。我々メード隊は国の所有物だということを忘れぬよう、心してください。
 ―――勝利は我らにっ!!」

 勝利は我らに。全員の唱和の声を背に、ウェンディは地を蹴った。常人離れした速度で走り出す。
 小隊の面々が遅れることなくそのあとに続き、あとには一陣の風が吹きぬけた。

 風を切り、走りながらもウェンディの心に僅かな焦りが浮かぶ。
 敵の数があまりに多過ぎる。
 たとえ隣国のとの共同戦線とはいえ果たして敵の攻勢を退けられるだろうか。
 さきほと出会ったピーターという民間人にはこの町は救われたなどと言ってしまったが、実際のところ本番はこれからなのだ。ワモン級100匹程度などほんの前哨戦に過ぎない。
 それでも、この町は。
 この町だけはなんとしてでも守りきらなければならない。
 ふとウェンディはこの町に固執している自分に驚いた。
 メードとなった7年前。それ以前の記憶の一切はウェンディのなかから失われている。初めて着たはずのこの町にこだわる理由などないはずだった。
 Gに対抗するための力を手に入れるそれが代償だった。たとえ本人が望むと望まざるとに関わらず。
 となりで併走していたライラがウェンディの顔を覗き込むと怪訝な表情をみせた。走りながら器用に首を傾げると、本当に不思議そうに訊いてきた。

「ねぇ、ウェンディ。……どうして泣いてるの?」

 ウェンディには一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。ライラに目を向け、自分に対して言われたことだと初めて気づく。
 ライラと同じように眉をひそめて、自分の頬を触れてみれば、
 指先はほんのりと湿っていた。




◆◆◆



 ピーター・ブレッドは掃除のゆきとどいた部屋を見回して満足そうに頷いた。
 彼自身も風呂に入ってさっぱりして、ヒゲも剃られ別人のようになっている。顔色はまだ優れなかったが、”あの日”以来、酒も飲んでいないので、まだ若い身体はほどなく調子を取り戻すだろう。
 この町に対するGの大侵攻から一週間ほどたっていた。
 なんでもここから半日ほど歩いた先のグレーウォール山脈のあたりでも大規模な戦闘が起こったようで、そこでの戦闘も終わり、戦渦が完全に過ぎ去った先日、町はまるでお祭りのような騒ぎとなった。
 グレートウォールを越えられたらこの町などあっという間にGどもに飲み込まれてしまうだろうから当然といえば当然だったろう。あの山はいわば自然の防護壁のようなものなのだ。

 そんなお祭り騒ぎにも加わらず、ピーターはといえば黙々と部屋の掃除をしていた。
 フレンリィとふたりで住む予定だった、ひとりでは広すぎる新居はすっかりゴミ溜めのようになっていて、掃除にはひどい手間と時間が掛かってしまった。
 酒を絶ったいまだから分るが、壁や床に染み込んだ酒の腐った臭いが想像を絶する悪臭を放っており、床壁掃除に時間のほとんどを費やしてしまったほどだ。良くこんな所で平気で暮らしていたものだと、我ながら呆れた。
  足元に置いておいた旅をするのに必要ないっさいがっさいが入った大きなバッグを背負い、整備しなおした猟銃を肩に掛けた。右手の義手も整備しなおして、多少はスムーズに動く。足元も長旅に耐えられるように頑強なブーツで固められていた。
 そう、今度の旅はきっと長くなるだろう。
 そして帰ってきたときには二人になっているはずだ。二人でなければ二度とこの家には帰ってくるつもりはない。
 
 先日出会ったウェンディという兵士。
 あの出会いは果たして偶然だったのか。
 ピーターはそうは思わない。
 偶然のひと言で片付けるにはあまりに出来すぎていた。
 彼女は言っていた。メードの任務における優先順位は民間人の保護よりもGの殲滅が優先すると。
 それならば何故、町のいたるところにいる他のGを無視してまで、真っ先にこの家の前へと現れたのか。
 何故、まだ町のGが残っている段階で彼女はピーターの近くに留まっていたのか。
 何故、まだ本番ともいえるグレートウォールの戦いが終わっていない段階で、ピーターを安心させるように、この町は救われたなどといったのか。
 ピーターは確信する。

(彼女は、フレンリィだ)

 もはやこの確信が揺らぐことはない。
 彼女はピーターのことを忘れてしまっているかもしれない。それでもいいと思った。
 彼女は生きて、ピーターと同じこの世界いる事実だけで十分だった。
 だから彼女を探す旅に出ようと思った。決意など必要なかった。
 自然といつ彼女が帰って来てもいいように家を清め、旅の支度をしていた。
 たとえ彼女に再び会えたとしても、ピーターのことを思い出してもらえないかもしれない。それどころかひどく拒絶されるかもしれない。
 だが、そんなことは彼女を見つけたそのあとで、思い悩めばいいことだ。素直にそう思えた。

 玄関に向かい外へ出る。
 外はこれからの旅路を祝福してくれるように快晴だった。
 後ろでに扉を閉める際「いってきます」と言いそうになり、慌てて口をつぐんだ。
 彼の愛するものはこの家にはいない。
 むろん”永遠の国”などにもいやしない。
 彼女はこの広大な世界のどこかにいるのだ。
 世界はたったひとりの人間を探すにはあまりに広すぎるかもしれない。
 それでも家に閉じこもっている限り、永遠に見つからないことは確かだ。

 だから出かけよう。
 彼女を探す旅に出よう。

 再び帰るその日まで、この玄関の扉が開かれることはないだろう。
 ふたりそろって声を合わせ「ただいま」というその日まで。
 











―――おわり―――







※この物語はフィクションです
想像した架空の過去のひとつに過ぎず、実際の人物設定における過去とはいっさい関係がありません
公式設定ではありませんのでご注意ください

関連項目
ウェンディ
ライラ




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モドル