インスタントのコーヒー、市販のクッキー。男の一人暮らしなのだからこんなものでいいだろうと思いつつ、でもなんだか味気ないような気もする。もう少しお高い茶菓子はなかったかと一瞬戸棚に目をやったが、元々菓子を好んで食べる性質ではない。ないものねだりをしてもしょうがないかと思い直し、理樹はリビングへ向かった。

「砂糖とかミルク、いる?」
「ううん、いらない」

 私、大人の女だから。
 そう言って小毬は胸を張ったが、変わらぬ舌足らずな口調なせいか、子供らしい印象が拭えない。これで二十八歳だもんなぁと苦笑を浮かべつつ、理樹はコーヒーを差し出す。小毬はそれを受け取ると、おすまし顔でコーヒーをすすった。

「うぇー、にがいー……」
「子供だ!」
「うぅ、久しぶりに理樹くんと会ったから、成長した私を見せたかったのにぃ……」
「そんな背伸びしなくても」

 口直しにとクッキーを渡せば、すぐさま口に放り込む。苦い顔が瞬く間にほころんだ。

「あまくておいしいよぉ」
「……なんていうか」
「ん?」
「小毬さん、変わらないね」
「そう、かな?」

 えへへ、そうかもしれないと小毬は笑う。随分昔のように感じる掛け合いが今こうして行われていることに違和感を覚えなくもなかったが、とりあえずやはり小毬には笑顔が似合うなということにして、理樹も笑った。そして、その流れのまま理樹は聞いた。

「で? 家に来たいなんて言い出して、いきなりどうしたの?」
「うん、実はね。恭介さんと別れてきたの」
「へー、そうなんだー……はっ?」

 理樹の笑顔が凍った。小毬は絶えず笑う。でもなんだろう、どことなく目が据わっているように見えるのは気のせいだろうか。
 
「私、これでもいい彼女してきたつもりなんだ。恭介さんのしたいことがあれば応援したし、手伝ったりもした。大変だなぁっていっつも思ってたけど、でも一緒にいて楽しかったから、恭介さんの奔放さにも頑張って着いてきた……でもね、私にも我慢の限界って、あるんだ」
「……」
「だからね、言ってやったの」
「な、なんて?」
「私、実は五年前から理樹くんと浮気してました。これからは理樹くんと一緒にいます。今まで裏切っててごめんなさい……って」

 嘘だッ!
 声を上げようとしたその刹那、部屋にインターフォンが鳴り響く。おもむろにドアに理樹は目を向ける。ものすごい嫌な予感が体中を駆け巡った。
 まさかね、そんな素晴らしいタイミングでなんてありえるわけな『小毬いるんだろ!? 俺が悪かった許してくれ理樹テメェー小毬に何かしたらただじゃおかねぇーっ!』……はは、そういうもんだよね。

「――って言ってるけど、どうする?」
「うーん、理樹くんの家は落ち着くなぁ、もう少しいたいなぁ」
「まぁ僕は構わないけど、その前に、あの情けなく泣き叫ぶ男を何とかしてほしいんですが」

 あれでも一応、親友なもので。
 へりくだってお願いしてみれば、小毬は何食わぬ顔でコーヒー――砂糖もミルクも入れていない――を飲みながら言った。

「振り回されるのは嫌いじゃないけど、たまには振り回してみたくなるんだ。心配されたい、やきもち焼かれたい。私は恭介さんに好きでいてもらえてるんだって、もっとはっきり見たい。そう思うのは、いけないことかな?」
「……いや、いいと思うよ」
「ありがとう。理樹くんならわかってくれると思った」

 いい相談相手が見つかって、私嬉しいよ。
 そう言って、小毬はうきうきと二個目のクッキーを手に取る。玄関の方から聞こえる殴打の音には、一切耳に入れていないようだった。
 ――なんだかなぁ。
 小毬はいいかもしれないが、自分としてはご近所さんに妙な噂を建てられては困る。そろそろ収拾をつけなければならない。
  
「ドア開けるけど、いい?」
「チェーン、お願いします」
「……了解」

 どんな言いがかりをつけられるんだろうなぁとげんなりする気持ちをコーヒーと一緒に流し込み、理樹はリビングへと向かう。口の中に広がる慣れ親しんだインスタントコーヒーの味は、苦くて水っぽい。まるで淡い想い出がセピア色に染まっていくかのように切ない味だなぁなんて思いつつ、理樹はしっかりとチェーンロックをかけてから、ドアのカギを開けた。




 戻る