昼休みの食堂。
 昼食を取りながら友人と談笑する声、購買でもパンでの取り合いで響く怒号などなど、騒がしくも賑やかな場所だ。
 そんな中、もはや特等席になっている空間では、いつもの如く一つの集団が集まっていた。
「謙吾。俺のキャベツとお前のカツを交換しようぜっ!」
「馬鹿かお前は。そう肉ばかり食べて、野菜を食べないから、貴様は脳筋と馬鹿にされるんだ」
「おおぉぉぉ! とうとう俺は脳まで筋肉になってたのか。流石は俺の筋肉さんだぜっ! 聞いたかよ、お前ら!」
「言っとくけど、褒められてないからね、真人?」
「こいつ、くちゃくちゃ馬鹿だな」
「まぁいいんじゃねぇか? それが真人の良さって奴さ」
 リトルバスターズ。
 学校ではそれなりに認知されている集団であった。今集まっているのは幼馴染の五人。他のメンバーは屋上やら裏庭。それぞれが好きな場所で過ごしているはずだった。
 楽しく平和で、笑顔が絶えることがない日常。
 だけど今日は少しだけ違ったようだ。その変化に気づいたのは、頼れる兄貴的な存在である恭介。
「……あれは能美じゃないのか?」
 恭介の視線の方に、四人の視線が集中する。
 特徴的な帽子に、マント。なにより煌く長い亜麻色の髪が一際、彼女の存在を知らせていた。
「蹲っているが……何かあったのか?」
「変なもんでも拾い食いして腹でも壊したとかか?」
「うるさい馬鹿。そんなのお前ぐらいじゃっ」
「どうしたんだろうね?」
 一通り感想を告げる四人。
 その言葉の通り、クドリャフカの様子は明らかに不審だった。地面に蹲るようにして身体を左右に動かしている。
「理樹。どうやら能美はお困りのようだ。助けに行ってやれ」
「恭介達は?」
「大人数で動いても邪魔になるだけだ。理樹一人でどうにも出来なかったら、その時は俺達を呼べばいいさ」
「まぁいいけど……」
 行って来い、と顎で示す恭介に、理樹は判ったよ、と返事をすると立ち上がった。
 別にクドリャフカを助けるのが嫌だったわけじゃない。純粋な疑問からの問いかけ。それは理樹の行動を見れば判る。心配そうにクドリャフカの元へ駆け寄っているから。
 そのまま人の波を抜けて、理樹はクドリャフカに辿りついた。
「どうかしたの、クド?」
「あっリキ?! いつからそこにいたのですかっ!」
「そんな驚かなくても。クドが困ってるように見えたから、助けにきたんだよ。何があったの?」
「えと、小銭がサイフからローリングしちゃったのです。困りました」
 通りで蹲るようにして左右に動いてるわけだ。
 事情を聞いた理樹は苦笑しながらも、一緒に小銭を探してあげる。クドリャフカは申し訳なさそうな表情をするが、有り難く好意を受ける。
 そのまま軽く探す事五分。
「全部回収できたかな?」
「ちょっと待ってください。百円、五十円……は大丈夫。五百円はなかったはずですから……十に五に一は……ハイッ! 全部あると思います、助かりました、リキ!」
 べり〜べり〜さんきゅーなのですっとクドリャフカは華が咲くような笑顔を浮かべる。
 その笑顔に少し頬が赤くなりながらも、理樹も笑顔を浮かべた。
「でもクドが食堂を使うなんて珍しいね?」
「はい。今日はお弁当を忘れちゃったのです」
 慣れない食堂。人の多さに慌てたクドリャフカは、財布から小銭を転がしてしまったようだ。
「良かったら、僕達と一緒に食べない? 席なら何故か空いてるからさ」
「ごめんなさいなのです、リキ。ご一緒したいのですが、ストレルカとヴェルカが待っていますから、パンだけ買っていこうと思います」
「そんな泣きそうな顔しなくていいから、クド。次は一緒に食べよう?」
「は、ハイッ! その時は是非一緒にお願いしますっ! ……えと、」
 嬉しそうに首を縦に振っていたクドチャフカは、少しだけ躊躇うように声を濁す。
 伝えたい。でも言葉にするのは恥ずかしい。そんな想い。
 それを察した理樹は、優しく訊いた。
「まだ僕に協力できることはある?」
「……リキは次の日曜日は都合が空いてますか?」
「日曜か。うん、大丈夫だと思うよ」
「それでしたらっ! さっきのお礼も含めて、日曜日に付き合って欲しいとこがあるのですっ!」
 顔を赤らめ、若干声が震えてもいたが。間違いなくハッキリと言い切った。
「お礼なんかいいのに。日曜日だね、判った。予定を空けとくよ。楽しみにしてる」
 もはや顔に馴染みつつある苦笑を張り付かせながらも承諾する。その返事にクドリャフカは安堵したように息を漏らした。
 そのまま二人は約束をして別れの挨拶を交わす。
 早くしなければ、せっかくの昼休みが終わってしまうから。
 若干の名残押しを両名は感じながらも、クドリャフカはパンを買って愛犬達の元へ。理樹は恭介達の元へ。
 理樹は指定席に戻ると、四人分の挨拶を受けながら座りなおした。
 若干冷めた昼食。でも妙に火照ってしまった身体には不思議と美味しく感じられて、気持ちが良かった。
 ふと視線を感じて、意識をそちらに向ける。
「……なにかな、恭介?」
「いんや。気にするな。ちょっと良い雰囲気だな、っと思っただけだよ」
 わけわかんない、と理樹は漏らしながらも、食事は続けた。
 そこから先は日常通り。
 真人と謙吾が馬鹿をして、鈴がハイキック。理樹はツッコミに忙しく、恭介が場を更にかき回す。
 そんなことをしながら、昼休みの終了を知らせる、鐘の音が鳴った。




   ●



 約束の日の前日。時刻は午前六時半。
 クドリャフカは余裕を持った時間で、朝を起きた。
 同居人である佳奈多は、ベッドでグッスリと就寝中。
 普段ならクドリャフカはまず思うのは同居人の佳奈多の事。意外にも低血圧な彼女は朝に弱いらしい。だから起こしてあげるのが日課なのだが今日は違った。
 真っ先に思い浮かぶのは――明日の約束であり、約束をした少年の事。
「リキ……」
 クドリャフカは理樹に密かな恋想いを抱いていた。
 日に日に膨らんで行く想い。
 理樹の笑顔、理樹の行動、理樹の仕種、理樹の声、理樹の、理樹の……。
 理樹に関わる全てに心臓を走らせ、白く透き通った肌に、心と同じ朱の色が浮かび上がる。
 本当にどこまでもクドリャフカは少年が好きだった。
「はふぅ……。勢いに任せて約束しちゃいましたが、どうしましょう」
 思い出す食堂の一件。
 理樹が助けてくれたのが嬉しくて、勢いだけに身を任せてしまった。
 ちょっと後悔する。でもワクワクとする感情があるのも事実。
 二律離反する心。
 でも勝っているのは後悔よりも、もう一つの感情だった。
 きっと普段のクドリャフカなら、いつまでも躊躇して理樹を誘えずに、ズルズルとこの気持ちを抱え込んでしまっていただろうから。
「ポジティブシンキングハイッなのです! リキも喜んでくれていましたし、きっと大丈夫です」
 不安になる心を叱咤する。
 負けない、負けたくない、負けられない。
「えーと、明日の天気は」
 携帯を操作し、天気予報を確認する。
 出来たら見やすくて判りやすいテレビが良いが、テレビは食堂にしかないから諦める。
「快晴。降水確率ゼロパーセント。これで明日の取って置きは大丈夫ですね」
 明日の約束を、最高の結果で締めるための準備を入念に確認するクドリャフカ。
 完璧だ。不安要素は限りなくゼロに近い。後は自分が失敗しなければ、きっと理樹にも楽しんで貰える筈。
 明日の約束ばかりに想いを馳せるクドリャフカ。
 そんな彼女に幸先が良くない出来事が降りかかった。
 手に持っている携帯。天気予報を確認してからは、全然意識を向けていなかったソレから、メロディーが鳴り出す。単調な音だけど、温かさと和やかな音だが、問題はそこではない。この音が鳴り出す事自体が問題なのだ。
「いいいいい、いつのまにこんな時間なのですかっ!?」
 タイムスリップ!? と仰天するクドリャフカ。
 時間は午前七時半。
 あのメロディーはこの時間を知らせるアラームであり、最終防衛時間だった。
 この最終防衛時間とは、朝の最低限だけの準備をし、朝食を抜いて、教室に駆け込めば間に合う時間である。
 朝食が抜くことを決定したお腹は、空腹感を示すが無視。慌てて準備に入る。真っ先にしたのは横を見て――、
「ま、まだグッスリとオネムしてますっ!? 佳奈多さん、佳奈多さん! スリープタイプは終わりです、急がないと遅刻しちゃいます――っ!」
 なんだかんだ言いつつ、約束の前日は慌しく始まった。
 このまま一日は進んでいき、約束の日が始まっていく。
 明日どうなるかは判らない。でも何かが変わる一日にはなるはずだった。
「いい加減起きやがれですっ――っ!? 本当に遅刻しちゃいますよ――っ!!」




   ●



 約束の日。
 時刻は午前十時。集合場所は校門。
 そして現在時刻は午前九時だった。
「うん、可愛いわよクドリャフカ」
「本当に、本当ですかぁ……?」
 ルームメイトの佳奈多が頷きながら褒めるが、少しだけ懐疑的なクドリャフカは不安そうに自分の格好を見る。
 ピンク色のスカート。トップスにはホワイトのセーターにいつものマント。そして季節的にも合うお花の髪飾り。
 この約束の日の為に――ではなく、ずっと前から機会を狙って準備していた物。でもなかなか使う機会がなくて、今日やっと使われる機会が巡ってきたわけだ。
 いつもの自分と違った格好。どこかくすぐったい違和感に包まれてしまう。
 本当に似合っているのか、佳奈多の言う通り可愛いのか、クドリャフカは凄く不安になってしまう。今にでも普段の私服に着替えようかと思ってしまうぐらい。
「そんな不安そうにしないの。凄く似合ってるわよ。私の事、信じられない?」
「佳奈多さんの事は信じてします! でも、その……」
「でももそのもあのも無し。私が保証するわよ。今のクドリャフカだったら直枝理樹なんて一発で堕ちるわよ」
 だからその格好で出かけなさい、と頭を撫でてくる佳奈多。
 クドは成すがままに頭を撫でられ言葉がない。
 ――直枝理樹なんて一発で堕ちる。
 その言葉が頭にリピート。堕ちる、つまりふしだらな悪女さんですか、っと妄想。どこまで妄想は走っていくのか、頬に朱の色が広がっていく。
 それを見て、佳奈多は本当に可愛いなーっと更にスキンシップとして頭を撫でに撫でる。
「良いこと教えてあげる。私の保証だけじゃ安心できないなら、こう思いなさい」
 妄想に耽るクドリャフカの耳に、佳奈多の声が届く。
「はい?」
「今日の私は可愛いのよ! って。人ってね不思議なものなの。自分に自信がある人はカッコよく見えたり、可愛く見えるの。反面、自信が無い人が表面だけを整えたって意味がないわ。だから自分を信じなさい、クドリャフカ」
 私も人からの受け折りだけど、と佳奈多はそっぽを向きながら付け足した。どうやら自分の発言に照れてしまったようだ。
「思うですか……」
 クドリャフカは実行する。
「……今日の私はかわいいのよっです」
「だーめ。声が小さい、気合が入ってない、もっと気持ちを籠めて」
「……今日の私はかわいいのよっです!」
「まだまだ。もう一回」
「――今日の私はかわいいのよっです!」
「声の大きさは合格。でも気持ちが足りないわよっ」
 何故か演劇の芝居みたいな状況になってきたが、二人は気にしない。
 クドリャフカは全身を写す鏡を見た。
 ……やっぱりいつもと違う自分。
 でもこれは自分で。佳奈多はそのいつもと違った自分を褒めてくれて。この姿なら理樹を堕とせると保証してくる。
 負けない、負けたくない、負けられない。
 弱い自分に負けない。そんな自分に負けたくない。そんな弱い自分には負けられない。
 だから、
「――今日のわたしはかわいいのよっです!」
 鏡に写るクドリャフカは微笑んでいた。可愛らしく、照れくさげに、でも気合充実の最高の笑顔。
 それは少年がいつか好きだといってくれた笑み。
「いってらっしゃい、クドリャフカ。あまり遅くならないようにね」
「はい、佳奈多さんも色々ありがとうなのですっ!」
 小動物のように佳奈多に抱きつくクドリャフカ。危ないでしょう、と嗜めながらも満更でもない佳奈多。
 時刻は九時半。丁度良い時間帯だ。
「ほら、遅れるわよ? 早く行ってきなさい」
「はい、行ってきますです!」
 クドリャフカは右手を頭上に振り上げると、背を向けて走り去っていく。
 ドタドタと床を走る音がして、扉が閉められる音がした。
「まったく世話が焼けるわ。これでクドリャフカを泣かしてみなさい、直枝理樹。その時は……」
 剣呑な台詞だが、表情は優しげだ。
 それはクドリャフカに言った保証そのものだろう。
 今日の彼女は本当に可愛いくて、鈍感な理樹でも堕とせると本当に思っていたから。




   ●



 集合場所にクドリャフカは到着。
 約束の十五分前。なかなかベストな時間だ。
「まだリキはきてないです。良かった……今のうちに落ち着くのですっ」
 暴れる心臓。走ってここに来た以外の要因で。
 深く深呼吸。一回、二回、三回。
 表面上は落ち着く。深くではやっぱり燻ったまま。でも不快ではなく、この先の事を考えると楽しくなるぐらい、の余裕はある。
 待ち人がきた。初めは歩いていたが、クドリャフカの姿を見て慌てて駆け寄ってくる。
「お待たせ、クドっ。十分前に来たんだけど、クドに先を越されちゃったか……」
「私も少し前に着たばかりですので、グッドタイミングなのです。……リキ?」
「…………」
「あのリキ、ひょっとして……似合ってませんでしたか?」
 理樹が無言で見詰めていたのはクドリャフカの格好。
 口をポカンと開けて、ジィーっと見る姿は心ここに有らず。その視線は見詰めるというよりは、見惚れるが正解だが、彼女は間違った解釈をしてしまったみたいだ。
 落ち込むクドリャフカ。やはり失敗だった。自分にこんな格好は似合わないのは判ってたのだから、やはり普段通りの格好をするべきだった。もし理樹に嫌われたら、とネガティプ思考全開である。
「……ち、違うよ! そんなことないからっ!」
 力一杯の否定。首が左右に連動してブルンブルンと揺れる。
 揺れる顔は真っ青になっている。クドリャフカの目尻に透明の雫が見えた気がして。
 涙に動揺する。動揺して、思ったことを勢いに任せて口から飛ばした。
「凄く似合ってる! そ、そのボーッとしたのは、クドの格好が普段と違くて、珍しくて新鮮で、ピンク色ってこの季節に合うなぁとか思ったりしたり、それで……」
「それで……?」
 上目遣いで続きを催促するクドリャフカ。
 目尻に浮かぶ涙に上目遣いに、何かを期待したのか上気させる頬。
 理樹は自分の勢いに任せた発言で同じように頬を染めていたのを、更に加速させた。
 普段は幼い子が見せる可愛らしさが目立つが、これは反則だ。
 あまり意識させない女性として色香を匂わせ、その妖艶さに心が取り込まれてしまいそうになる。でも娼婦のような妖艶さではない。どこか未成熟な果実を思わせる、禁忌的な魅力があるのだ。
 圧倒的なギャップによる魅力。
 理樹は完全にそのギャップにやられながらも、必死に言葉を紡いだ。
「それで……凄く可愛い」
 限界を超えた理樹は顔を俯かせた。
 もう顔は桜色から赤一色になり、凄く熱いのを感じている。クドリャフカを真正面から見据えれないぐらい。
「わふぅ〜……」
 クドリャフカも似たような者だ。
 おでこにジンワリとした汗を浮かべて、朱一点に変化させている。
 期待した一言。どこまでも理樹の言葉は、胸の奥深くへと浸透していって心地よい火照りを与えてくれる。
「…………」
「…………」
 鏡合わせのように、二人は俯いたまま無言。
 それを珍しい気に、微笑ましさやら嫉妬が籠められた視線が降り注ぐ。クドリャフカ達と同じように、外へ遊びに行くもの達の視線だった。
「……リキ、行きましょうか?」
「そ、そうだね。取り合えず移動しよう、そうしよう」
 自分達が目立っている、とやっと気付けた二人はどちらからと言わず、移動し始めた。
 目的地は駅。そこから電車の乗り、町の中心街にでる。その頃には昼時にも良い時間帯になっているはずだった。
 テクテクと等間隔に歩を進める。
 離れすぎず、でも密着には至らない距離。
「今日はありがとうなのです、リキ」
「ううん、僕の方こそ誘ってくれてありがとう。まだ詳しい予定は聞いてないけど、楽しみにしてるから」
「はいっ! きっと感動すること間違いなしなのですっ! でも何かは内緒なのです」
「サプライズイベントか。うん、楽しみに待とうかな。あっ、駅が見えてきたね」
 駅には日曜日にも通勤のサラリーマンや、遊びに出掛ける人により、人の行き交いが多い。人の流れに飲み込まれないように注意しないと行けない。
「――リキッ?!」
「はぐれたら危ないし、嫌かな?」
 咄嗟の理樹の行動に、驚きと恥ずかしくさで言葉が出てこない。
 だから言葉の変わりに、行動で示した。
 包み込んでくれる温かさに、己の温かさを加えるように、ギュッと強く握り返す。一本、一本が噛み合い、離れる事がないように。
 周りの視線なんて知らない。
 そんなのに構うぐらいなら、この幸せ一杯の気持ちを満喫したいから。
 二人は心で同じ気持ちになりつつ、またテクテクと駅にへと入っていった。




   ●



 電車に乗って市街地に到着。
 そこからは巡るましく時間が過ぎていった。
 市街地でまずは昼食。ファミレスに似た店舗に入って、軽い物を注文。午後はひたすら歩き回る予定だから、重いものは回避した。その後は商店街やスーパーをウィンドーショッピング。店員さんには申し訳ないけど、二人して色々な店舗を巡ったりもした。買う気はなかったのに買ってしまった物もある。その後も数件梯子して、少し休憩しようと理樹が提案し、その辺のベンチに座ってる所だった。理樹は自販機に飲み物を買いに行っている。
「リキからプレゼントされちゃいました……」
 軽く腕を掲げるようにすれば、ジャランと手首から音が鳴った。
 そこにはブレスレットが。
 デザインは凝った物ではない。変に大人を意識したものではなく、淡い翡翠色をペースにした、シンプルな物。日常で着けていても違和感はない程の物だ。値段も相応の物。でもジュースを買うような気軽さで出せる金額でも無かった。
 たまたま寄った店舗で、クドリャフカが気に入った素振りを見せていたのに気付いた理樹がプレゼントしたのだった。そんなの悪いです、と断るクドリャフカに、良いから良いからと笑顔でレジに持っていく理樹。強引だったけど、嬉しい。
 ぼんやりとブレスレットを見る。
 緩む頬。抑えたくても抑えられない感情。
 好きと云う感情が、また一滴、一滴と追加されていく。
 追加される器は表面張力で一杯。そこに追加された分だけ、雫が零れ落ちていく。
 零れた雫はジンワリと染みこんで行く。
 ……トクン……トクン。
 また零れ落ち、染み渡っていく気持ち。
 ……トクン……トクン。
 心臓の鼓動が共鳴し、静かな地響きを刻む。
 怖いぐらいの幸せ。その幸せに溶けてしまいそうになる。
 止まらない気持ち。幸せの源である、好きという気持ちは、ただ加速のビートを刻み込んでいく。
 溶かされた自分こころは言ってくる。
 好きと告白しろ、と。
 それに残った微かな自分こころが返す。
 ……好きだなんて、絶対にいえない。
 だけど……そう、今はまだ、と最後に付け足して。
「お待たせ、クド。疲れたろうから糖分多めのコーヒーで良かったかな?」
「それで大丈夫ですっ。お金は……」
「そんなの良いから。僕が好きでやってることだから、ね?」
 戻ってきた理樹に缶コーヒを手渡される。
 その時にお金を返そうとしたが、たまには甲斐性を見せさせてください、と断られた。普段にない強引さ。
「これ飲んだら、次は僕の用事に付き合って貰っていいかな?」
「理樹のですか? 何処に行くんです?」
「本屋にちょっとね。恭介に頼まれた単行本を買わないとなんだ」
 自分で買えばいいのに、と愚痴を漏らす理樹。
 それにクドリャフカは笑い返しながら、自分も料理の本を見たかったから丁度良いです、と調子を合わせた。
 目的地も新たに決まった。
 二人は缶コーヒーを啜りながら、暫しの休憩を楽しむ。
 隣に座る人の温かさを感じながら。




   ●



 二人はそれからも色々な場所を巡っていた。
 本屋の用事を済ませると、次はゲームセンター。体感ゲームや射撃ゲーム。最新のゲームを遊んで、対戦したりした。その後はクドリャフカが部活で使うお茶の葉を購入しに、専門店へ。
 クドリャフカの幸せは止まらない。
 メルト。英語のスペルでmelt。
 溶けてしまうと云う意味。幸せすぎて溶けてしまう。
 理樹と色々な場所を巡って、想いは強くなるばかり。
 その想いに、恥ずかしくて照れて、目が合わせられなくなる。
 でも、目を避けると不自然に思われるから、頑張って逸らさない様にする。
 クドリャフカの初恋は、目の前の少年だ。
 初恋は実らないという。
 年頃の思春期独特の“恋に恋をする”と言う症状だ。
 そして大体は、いつのまにかその時期を過ぎて、本当の恋を見つけるのである。
 でもクドリャフカは否定した。
 この気持ちは本物。初恋は否定しないけど、この気持ちは“恋に恋する”なんて紛い物じゃないから。
 だって、リキのことが……こんなにも好きだから。
 だから頑張ろう。
 もう時間は迫っている。
 自分が理樹に見せたかった光景が。佳奈多に教えて貰った、この時期には名スポットになる秘密の場所を。
 ……リキは喜んでくれるでしょうか?
 喜んでくれるはずだ。
 弱い自分には負けない。捨てるんじゃない。それを認めて勝ってしまうと決めたはずだから。




   ●



「……わふぅ〜……」
「あちゃー……」
 意気消沈するクドリャフカ。理樹も空を見上げて嘆いた。
 曇り空。
 少し前までの快晴の青空が嘘のようにドンヨリとしている。それだけならマシだが、雨が降ってきている。
 天気予報がウソをついた。
 もうエイプリルフールの日は過ぎたはずなのに、酷い話だ。
 それとも自分が雨女だと言うのだろうか? と落ち込むクドリャフカ。
 雨の勢いは土砂降りと云うわけではない。それでも濡れて歩けば、すぐにズボ濡れだ。
 この空模様だと、止むほうに期待するのは難しい。なにより止むのを待つ時間の余裕なんて無いから。
 土砂降りの雨が降る。
 外にではなく内側に。クドリャフカの内側はここにきて暗雲立ち込める、雨模様だった。
「クド。行かないの?」
「リキ……?」
「そんなに落ち込む事ないよ。クドは僕に見せたかった物があるんでしょう? じゃあ見に行こうよ。雨なんて関係ないし、ひょっとしたら向ってる間に止むかもしれないしさ」
「でも……」
 見せたかった光景は、雨が降っていると感動が半減してしまう。
 理樹には内緒にしているから励ましてくれるけど、何を見せたいか知っていたら、こんな風に励ましてくれただろうか。
「クド。雨の日には雨の良さがあるんだ」
「はい?」
「恭介が僕に教えてくれた。僕にとって小さい頃の雨は、外で遊ぶ事ができなくて憂鬱な一日でさ。それで子供だった僕は凄くしょぼくれててね。そんな僕を見て、恭介が不思議そうに言うんだ。遊べばいいじゃん、って」
 昔を思い出しているのか、遠い目をしながら空を眺める理樹。
「っで無理やり外に連れ出されたんだ。根城にしてた公園で泥塗れになるまで遊んで。普段の砂場が泥沼になってるのに、そこにジャンプしたり、後から鈴や真人に謙吾も連れ出してさ。皆で普段とは違う公園で遊んで回ったよ」
 思い出して理樹は笑う。
「ぬかるむ足場は走るだけで滑って転んでしまう。でも普段と違う遊び場は新鮮で、服をドロドロに汚していくけど、しょぼくれていた心は青空みたいに晴れたんだ」
 理樹は優しく首を傾げる。
 僕の言いたい事判るかな? と。
「だから雨の日には雨の良さがあるよ。普段の公園が、全然違う遊び場になるみたいに。クドが連れて行ってくれる場所も、きっとそうなってるから」
 気休めの言葉ではなく、本心の言葉。
 それは間違いなくクドリャフカに届いていて、
「リキを信じます! では、改めてれっつごーなのですよっ」
 落ち込みから立ち直った。全開までとは言わなくても、その場所に行こうと思えるぐらいは。
 理樹は伝わって良かったと微笑む。
「その前に、さっきはああ言ったけど、雨に濡れたままだと風邪引いちゃうから、どうしよっか?」
「傘なら実は……」
 クドリャフカはカバンから折り畳み傘を出す。
 いつでもカバンの中に準備されている物だ。普段なら不測の事態に役に立つと嬉しいものだが、今日ほどうれしくないと思うのも稀だ。
 そして当然ながら一本しか準備されていない。理樹の分などあろうはずがなかった。
「待ってね。ちょっと近くのコンビニでビニール傘でも買ってくるから」
「いえっ! 良かったら理樹がコレを使ってください。私が自分の分を購入しますのでっ」
「いやいや、クドが準備してたんだから、それはクドは使ってよ」
「いいえ、そうは行きません! 今日はリキに日頃の感謝を返そうと思っていたのに、思い返せばお世話になりっぱなしですっ! ですのでプレゼント・フォーユーなのですっ」
「いやいやいや、日頃からお世話になってるのは僕だから。じゃあ妥協して僕がクドの傘を買ってあげると言うのは……?」
「それじゃ意味ないのです――っ!?」
 譲り合いの精神、ここに極めれり。
 その遣り取りはもう明らかに、恋人同士の犬も食わないなんちゃらの会話で、付き合ってないのが不思議なぐらいだった。
 事実、道歩く人たちから、やってるなーっと視線を集中しているから。
 でも二人も慣れたものだ。
 今日一日でこんな事はザラにあったから。別段気にする事なく、譲り合いの精神発揮中。
 その時、一つの解決策が横を通り過ぎた。
 大人のカップルが二人。雨が降り注ぐ道を楽しげな雰囲気を残しつつ、歩き去っていく。
「…………」
 それを食い入る様に見る。次は自分の手に持つ折り畳み傘。最後に理樹を。
 決心がついたのか、緊張しながらも口を開いた。
「良かったら一緒に使いませんか?」
「ぇっ――」
 唐突な申し出に理樹の思考は停止した。
 クドリャフカの申し出の意味は――相合傘。
 相合傘の意味を思い出し――今日何度目になるのか数えるのも馬鹿らしい――顔を真っ赤にした。
 別に傘は一個しかないのだから、それを一緒に使うだけの話。
 なのに、何故こんなに恥ずかしいと感じてしまうのだろうか?
 提案したクドリャフカも、提案された理樹は同時に思う。
 断ろうと思う理樹だが、これを断ると、絶対にクドリャフカは自分の傘を購入して、折り畳み傘を渡してくるのは想像に難くない。
 そこまで考えると逃げ道は無くなっていた。
「二人で使うと濡れちゃうよ?」
「ちょっとぐらいなら大丈夫ですし、一本の傘を二人で使うと新鮮かもしれませんっ」
 意志は固く、どうやら撤回する気はないクドリャフカ。その癖、彼女も表情は理樹と同じように真っ赤だ。
「判りました。クドの提案を採用で」
 恥ずかしくて溜まらない。
 でも逃げ道はないから、赤い顔にいつもの苦笑を張り付かせ、理樹はクドリャフカのお願いを受け入れる。
 その様は「しょうがないから入ってやる」なんて、誰もが青春の一ページで刻む光景そのものだった。
 折り畳み傘が開かれる。
 そして左側にクドリャフカが、右側に理樹が並び立ち、左右の手をそっとクリップ部分に這わせられ重なった。
「……」
「……」
 無言で進んでいく二人。
 お互いの体温が手から伝わり、混じりあっていく。
 そのまま二人は言葉で会話するのではなく、お互いに感じあう体温と、心臓の鼓動で意思を疎通しあっていった。
 進む、道。
 向う場所はクドリャフカが見せたいと思った光景。




   ●



 夕暮れを過ぎ、漆黒が空を多い尽くしていた。
 闇を彩るべき星と月の存在は、雨雲に隠されてしまい存在を発見することができない。
 そんな寂しげな印象を与えられながらも、登りの坂を二人は歩いていた。中心街から外れた、ひっそりとした山道に続く上り坂を。
 降り続ける雨に、隠し切れなかった身体の半分は雨で濡れてしまっている。
 でも不快じゃない。もう半分の部分から常に熱さが押し寄せてくるから。
 クドリャフカは熱さに朦朧とする頭で音を聴く。
 ……トクン……トクン。
 好きという感情が止まらず、溢れ出す音。
 ……トクン……トクン。
 これはきっと、恋に落ちる音。
 どこまでも深く、深く落ちていく音。
 息がつまりそうになる。
 クドリャフカと理樹の中心。そこに触れている右手が震えているのが判る。
 ……トクン……トクン。
 この音が聴こえていないか不安になる。
 高鳴る胸の音が、はんぶんを預けたこの傘を通して、重なり合う理樹に伝わりそうで。
 手を伸ばせば届く距離。
 反対に言えば、伸ばしてしまえば届く距離。
 ……どうしよう。もし聴かれていて、その意味に気付かれていたら。
 もし想いが破れたら、自分はきっと泣く。それだけは確実だと思う。
 だから伝わってなければ良いと、臆病な自分は思い。
 溶かされたままの自分は、やはりこう思ってる。
 もし想いが受け入れられたら。その時は、やっぱり泣く。嬉しくて、きっと我慢できずに。
 ……どっちでも泣いちゃうんですね。
 でも、どうせ泣くのなら――
 正しく、自分の想いが叶うように――リキに、想いよ届け。
 ――と心から願った。




   ●



「ここが僕に見せたかった場所?」
「そうなのです、リキ」
 登りきった坂道。
 その先には最低限の街灯しか設置されていない、ひっそりとした場所。
 誰も滅多に寄り付かないだろう場所に、クドリャフカは理樹と降り立った。
「そっか。結構町外れまで行く理由に納得できたよ。これが僕に見せたかった物か」
 嬉しそうに目尻を下げる理樹。
 でもクドリャフカは乗り気になれなかった。
 降り続く雨。
 そして遠目ながらも、自分が思っていた光景とは違うと判ってしまったから。
 理樹が言ってくれた新鮮さや新しさとは違う、悪い意味の方向で。
「じゃあもっと近くに寄ってみようか。案内してよ、クド」
「はいっ! 任せてくださいなのですっ!」
 でもクドは今度は表に出さずに明るく返事をする。
 理樹は嬉しそうに微笑んでいたから良いと思えた。見せたかった光景は最高の状態とは行かなかったが、自分と理樹の二人だけで見るからこそ価値があるのだから。
 様は気の持ちよう。
 だから明るく行こう。これ以上、見せたかった光景を色褪せるのは忍びない。
 舗装された道から、泥道にぬかるんだ道に変わった。
 扱けないように、ゆっくりと慎重に進んでいく。
 街灯の明かりが急に遠くなり、足元が暗闇に閉ざさるが、気にせず前へ。
 そして開けた先には――
「うわ〜、これは」
「ほ、本当に凄いのです」
 四方八方をこの季節の名物詩――桜の木に囲まれていた。
 左を見ても桜。右を見ても桜。前も、後ろも、更には上にも伸びた枝から桜が。
 本来なら舞い上がるはずの桜が、雨に打たれ水分を吸収することにより、そのまま落下するのは悲しいが、それでも十分。
「どうですか、リキ? 私が見せたかった光景は」
「うん、ビックリした。本当に綺麗だよ。ここを教えてくれてありがとう、クド」
「皆に教える前に、リキと二人きりで見たいと思ってたのです」
 桜の世界に包まれるクドリャフカと理樹。
 お世辞にも雨が降り、月の明かりがない夜桜は綺麗とは言えないかもしれなかった。
 でも包まれた二人は綺麗だと思うのと、どこか達成感を感じる。
 だから満足した。この達成感と綺麗と思える心は真実だから。
「リキ……」
「クド……」
 言葉数少なく、二人は桜の世界を堪能する。
 重なり合う手のひらを強く握り締め、お互いの熱を実感しながら。
 そんな二人に横薙ぎの突風が襲い掛かる。
 飛ばされる事はなかったが、その拍子にクドリャフカの花の髪飾りが外れてしまった。
 風に誘われるように、少し遠くまで飛んでいく。
「あっ……」
 咄嗟にクドリャフカは追いかけた。
 右手から伝わる熱がなくなり、隠れた身体はんぶんも外に飛び出す。雨に濡れるのも気にせず。
 先ほどよりも断然強い突風が吹いた。
 巻き上げられる風の勢いは、追いかけようとした理樹を足止めして、

 それは偶然に偶然が重なった、ひょっとしたら奇跡の光景だったのかもしれない。

 夜空を覆いつくす雨雲から、闇夜を煌々と照らす月が姿を見せた。
 久方ぶりに姿を見せた月が、月光を地上にへと降り注かせる。
 激しく強い突風は、濡れている桜を強引に夜空にへと巻き上げて、
 月光と重なって振る雨の雫が、舞う桜と絡み合い、
 絡み合った桜と雫は月光により乱反射され、桜の色が空間全体を煌めき染め上げていく。
 咲き誇る。咲き乱れる。咲き狂う。
 その中心で髪飾りを拾うためにしゃがんでいたクドリャフカは、この世界の存在から外れていた。
 見上げる表情はどこか儚げで、憂いに満ちていて、
 ピンクのスカート、花の髪飾り、ホワイトのセーターにマント、そして桜の乱反射を浴びる髪は、桃色とプラチナの輝きを放つ姿は、
 まるで桜の妖精けしん
 この奇跡の瞬間に産み落とされた、桜の妖精を幻想させた。
 奇跡の中心で、桜の妖精はいつまでも空を見上げていた。




   ●



 クドリャフカは放心していた。
 いつまでそうしていたのか。
 そこまで長い時間ではなかったはずだ。
 月が再び雨雲に隠されてしまうのは一分もなかったはず。なのに、あまりの光景にクドリャフカは心を虜にされ、短い時間を何度も繰り返し体験したかのように感じていた。
 身体は雨に濡れている。
 しゃがみこんでいた体勢から立ち上がり、理樹の場所に向った。
「リキ、さっきの光景を見ましたかっ。リキの言葉は本当だったのです! 雨の日にしか見れない光景もありましたっ!」
 クドリャフカは傘に戻ると、興奮した調子で理樹に問いかける。この気持ちを早く共有したかった。目の前でこちらを見ながら放心している少年も、同じ光景を見ていたはずなのだから。
「凄かったのです! 桜と雨が重なって、月の光でキラキラと光ってました! イッツビュウ〜ティフルワールドなのですっ!」
「…………」
「……もう、聞いてますかリキ!」
 理樹がこちらを見ながらも返事をしてくれない。
 それにちょっと怒ったクドリャフカは全身で訴える。
 具体的には、正面から身体を摺り寄せ、柔らかい肢体を擦り付ける。
 両者の距離はゼロではなく、マイナスになった。
「……、――く、クドッ?! ってうわあぁ!」
 放心していた理樹が回復すると、濡れた肢体を擦り付けるクドリャフカに驚き、後ずさった。
 一歩分の距離が瞬時に開く。
「こ、こら、リキ! 突然離れられたら、私が雨に濡れちゃいます!」
「――ごごご、ごめん! 突然でビックリしてっ?!」
「もう、リキはアワテンボウさんなのですっ、次からは気をつけてくださいっ! それよりも、さっきの光景見てましたか!」
 再度同じ質問をぶつけるクドリャフカ。
 同じように興奮が続いてるのか、またもや身体を理樹に密着させていた。
 理樹は再度、後ずさりそうになるが我慢した。さっきのクドリャフカの言葉は脳裏を駆け巡って。
「何で私から顔を背けるんですか? 何かリキ……怪しいです。ひょっとして、さっきの光景を見てなかったですか?」
「いや、違うよ。うん、さっきの光景は見てたよ」
「……怪しいです。じゃあ答えてください。ウソついたらダメですからねっ!」
 理樹は反応に困る。
 きっと理樹とクドリャフカが見ていた光景は似ているようで、まったくの別物だったろうから。
 幻視したのは桜の妖精。
 その姿が今も詰め寄ってくる彼女とダブって見えて、正常に言葉を紡げなくなってしまう。少年の脳の許容量を見事に粉砕していた。
「…………」
「なんていったですか? 聞こえなかったのです」
「だから……」
 必死に理樹は言葉にするが、掠れてしまい、届く前に霧散してしまう。
 少年が最後に取った行動は、腰を屈めてクドリャフカの耳元で囁くことだった。
「――――」
 掠れた言葉は、次は届いたようだ。
 甘い言葉は彼女の耳に浸透していき、心の奥底にへと流れ込んでいった。
「…………」
 キョトン、と無言になった彼女に、少年はまだ言葉を囁きこんでいく。
 さっきの光景を見て感じた想いを余すことなく必死に紡いで。
 紡がれる言葉の一つ一つに対して、キョトンとした表情から、頬が緩んでいき、桜色の数が増えていく。
 ……トクン……トクン。
 また想いが溢れて零れた。
 ……トクン……トクン。
「…………?」
「…………」
 溢れ出す音が止まらない。
 その中にクドリャフカはもう一つの音を見つけた。
 ……トクン……トクン。
 自分の胸の高鳴る音に、もう一つ似た音が重なっている。
 ……ひょっとしてリキも同じなのですか?
 盗み見る理樹の表情は、今日何度も見た表情と同じ、真っ赤だ。
 判らない。判るのは、この心音が同じということだけ。
 だから踏み出せない。
 臆病なクドリャフカは、最後の最後で一歩を踏み出せなかった。
 神様がいるのなら、時間を止めてとお願いしたい。
 この似た心音を聴けなくなると泣きそうになるから。
 でも、もし時間が止まったら、自分は嬉しくて死んでしまうかもしれない、とも思う。
 ずっと、ずっと、この安らぎを与えてくれる心音を聴いていられるから。
 それでも時間は止まらず、刻々と過ぎていく。
 強くもなく、弱くもない雨は止まず、振り続けている。




   ●



 行きと同じく、帰りも口数少なく二人は歩いていた。
 違いは二人の手のひらから伝わる互いの心音。
 今も規則正しく、溢れた想いを身に染み込ませていた。
「……」
「……」
 もう駅に着いてしまう。
 そこで終わるわけじゃなく、寮に戻るまではずっと一緒にいられる。
 でも駄目だと、クドリャフカは思う。
 駅に着くと、確実に終わる。
 普段は臆病なクドリャフカが、勇気を振り絞って理樹をここまで誘った、自分自身が。
 この勇気を振り絞り、理樹と恥ずかしくて照れながらも、一緒に楽しんだクドリャフカは居なくなってしまう。
 居なくなるとは、もう会えないと云うこと。
 明日も理樹とはクラスメートだから教室で出会えるだろう。でもそれは臆病なクドリャフカで、このクドリャフカではなくなってしまう。
 ……怖い。
 距離だけは近くて、心は遠い場所に理樹が行ってしまう。
 ……それが凄く怖い。
 今日一日を理樹と過ごして判った。胸の高鳴りは抑えきれない場所まで来ている。きっと、今日何かしらの決着をつけてしまわないと、この先クドリャフカは壊れてしまう。
 ……トクン……トクン。
 二つの心音は重なり合っている。
 道路を走る車のエンジン音や、雨の音が邪魔しようとも、間違いなくクドリャフカには聴こえていた。
 ……この音を信じてもいいでしょうか?
 自分自身に問いかける。
 返ってくる答えは無い。
 だから――、

 ――負けない、負けたくない、負けられない。
 自分自身に誓った言葉。
 ――今のクドリャフカなら直枝理樹なんて、一発で堕とせるわよ。
 佳奈多が保証してくれた言葉。
 ――今日の私はかわいいのよっです!
 決意の言葉に、更に上乗せした言葉。
 ――凄く可愛い。
 初めての洋服を褒めてくれた理樹の言葉。
 ――桜の妖精が見えたよ。
 奇跡の光景を説明してくれた理樹の言葉。

 ――クドリャフカは今日一日の事を思い出す。
 それは自分自身に問いかけた答えの代わりに、確かな力を与えてくれる気がして。
 次にこれからどうしたい、と思う。
 クドリャフカは理樹にどうしてもらいたいのか、と問いかけた。
 その問いかけには、すぐに答えが返ってきた。

 ――今日みたいに手を繋いで歩きたい。お店で一緒にご飯を食べて、一緒にウィンドーショッピングをしたり、本屋に行ったり、ゲームセンターに行ったり、雨の日には相合傘をして、晴れの日には、もう一度あの場所に行って桜を見たい。

 湧き上がる願望の数々。自分でも呆れてしまうぐらい現金的だ。
 そうなるにはどうしたらいいの?
 もう一人の自分から問いかけがきた。
 問う立場だった自分が、もう一人の自分からの問いかけに、逆の立場に立たされる。
 その問いかけは、今まで何度も考えて、その度に意識的に先延ばしにしていた答え。
 でも今なら答えれる気がした。
 今日一日を過ごしたもう一人の自分が、後ろから頑張れと背を押してくれる気がするから。

 ――勇気を振り絞ればいいだけなのです。

 簡単な答え。
 こんな答えに悩みに悩み、苦しんだ自分。
 でも先延ばしにしていた答えは導き出させてくれた。
 本当は今も怖い。
 でも、クドリャフカは思うのだ。
 ……もうバイバイまたねはしたくない、と。
 臆病なクドリャフカが浮かべる、辛さを隠した微笑で、理樹とバイバイをしたくない。
 次にバイバイと言う時は、勇気を振り絞ったクドリャフカで、バイバイと満面の笑顔で言いたいのだ。
 ……トクン……トクン。
 聴こえる。
 混じりあい、溶かしあう安らぐ心音。
 ……トクン……トクン。
 信じる。
 この音を信じてみせる。
 臆病なクドリャフカは、勇気を振り絞ったクドリャフカになってみせるのだ。
 覚悟を。どんな過酷な現実が、目の前を阻もうとも、信じられるだけの覚悟を。
 ――私にくださいっ!
 ジャランと右手首から音が鳴った。
 目に映ったのは、淡い翡翠色の――。




   ●



「――リキッ!」
 雨が降る町に、クドリャフカの叫びが駆け巡った。
 叫びと同時に、雨の中に身を投げていく。
 ここから先に進むのは嫌だと拒絶を示した行動。
「突然どうしたのさ、クドッ?! 雨に濡れちゃうよ!」
 慌てて駆けようとする理樹。
 それを静止させたのは、クドリャフカの落ち着いた声だった。
「雨に濡れてもいいのです。だから、その場で聞いてください。私がリキに伝えたい想いを……」
「せめて雨に濡れない駅にでも――」
「それじゃ駄目なのです。お願いです、リキ。私の話を聞いてくださいっ」
 理樹の言葉に被せられる声は、必死で切なかった。
 クドリャフカは止まらない。だから理樹に出来たのは、折り畳み傘を自分の上から退けて、地面に下ろすことだけだった。
 話を聞くよ。でも一緒に濡れさせて、と。
 雨に打たれる二人は、期せずして無言の間を挟んで、
「リキ……私は凄く臆病です。そして嫌な子です。今もリキに迷惑をかけてるのに、これからもっと困らしちゃうかもしれません」
 泣きそうに、でも精一杯の笑みに似た表情を浮かべるクドリャフカ。
 その心中では何を思うのか。理樹には判らなかったけど、
「……うん」
 最後まで続けて、と頷きだけを返した。
「今日一日を、リキとずっと一緒に居て、気付いちゃいました。嘘です……本当はもっと前から気付いてました。でもそれをリキに伝えるのが怖くて」
「……」
「私の胸の奥から溢れ漏れていた音があるんです。どんどん……どんどん溢れて、止まらなくて」
 聴こえてましたか? とクドリャフカは首を傾げる。
「この音は、リキの事を考えるだけで溢れてくるのです」
 今も溢れ続けてます、と囁く。
「本当はこんな事思っちゃいけないのです。私は歯車になりたかったから。どこかの誰かの為に。だから、この音はきっと縛り付けちゃいます……」
 歯車になりたいと願いつつも、クドリャフカが選び望んだのは、錆びた鎖の束縛だったと自嘲する。
「でもですね……もし私の我儘が許されるなら、この音に縛り付けられて欲しいと望んでしまうのです」
 クドリャフカは身体を小刻みに震わせた。
 それは己の根本を自分で否定してしまったための、後悔の自責のせいかもしれない。
 それでもクドリャフカは踏み出す。
 この望みが間違いかどうかを決めるのは、クドリャフカではなく、目の前の少年だったから。
「こんな私を迷惑だなんて思わず、受け入れてくれるのなら――」
 溢れた想いの全てが、次の言葉に集約されて――
「……リキ。私はリキのことが――わふぅっ?!」
 ――最後まで言葉にすることはできなかった。
 クドリャフカの顔が、温かい何かに抱き込むように包まれたから。
 一瞬なんだが判らなかった。
 強い衝撃と、濡れて震える身体を包み込んでくれる温かさ。
 その感覚が同時に襲い掛かってきて、クドリャフカが気付いたのは、理樹の胸の中にスッポリと納まった後だった。
「え〜と、あの、リキ?」
「……ごめん」
「え……?」
「最後まで聴けなくて。僕が不甲斐無くて。だからごめん」
 抱かれる力が強くなるのを感じるクドリャフカ。
 後頭部に添えられた手から、ギュッと理樹の胸に押し付けられる。
 だからクドリャフカには理樹がどんな表情を浮かべてるのか確認できない。見えるのは眼前一杯に広がる想い人の胸板だけだ。
「あのさ……途中で悪いんだけど、僕の話をさせてもらっていいかな」
 それは疑問系じゃなくて、ほとんど断定に近い形だった。
 実際、理樹は返事も聞かずに、口を開き始める。
「今日の朝ね。恭介達にからかわれたんだ。クドとのデート、楽しんでこいよって。そんなんじゃないよ、って何故か僕はムキになって返してたんだけど、皆全然取り合ってくれなくてさ。そこから僕も妙に意識しちゃって」
 でさ、と一つ間を置くと、
「校門で会ったクドがいつもより可愛くて、もっと意識しちゃって。買い物の時とかも緊張して、普段の僕らしくない行動をしたりしてね」
 おかしくなかったかな僕、と恥ずかしそうに身動ぎする少年。
「っで気付いたんだ。自分の気持ちを。いや気付けたのかな? 本当はもっと前からあったはずなのに、どこか意識しないようにしててね」
 クドと同じだね、と苦笑した。
「っで気付いたらさ……もう駄目だった。最近は成長したと自分でも思ってたのに、全然そんな事なくて。ねぇ……聴こえる?」
 はい? とクドリャフカは少年の胸の中で首を傾げる。
「……っあ」
「やっぱり判るよね。僕にもクドのが伝わってきてた」
 ……トクン……トクン。
 ……トクン……トクン。
「卑怯だよね。気付いてたのに、踏ん切りがつかなくて踏み出せなかったんだ。この音の向こう側に」
 クドリャフカは思う。
 理樹も自分と同じように怖かったのだろうかと。
「怖かった。きっと、この関係が壊れるのが怖かったんだ。だけどね、気付いたから、このままじゃ駄目だと思ってる時に」
 悔しい気持ちと、申し訳ない気持ちが同居した口調で、理樹は言った。
「クドに先を越されちゃった。本当に今日はクドに先を越されてばかりで、男なのに良い事なしばっかりだよね」
 だから、
「これだけは僕に言わせて。我儘だけど、僕も男だから。クドが先にとった順番だったのに、先回りして卑怯だけど」

 僕は、とクドリャフカの耳元で囁かれる言葉は――
「……クドの事が、君のことが好きです。こんな卑怯な僕でいいなら付き合ってくれませんか?」
 ――震えながらも、何かを願う気持ちに溢れていた。

 一筋の雫が、少女の頬を伝い落ちる。
「……っ……っぅ……」
「クド……」
「……ぐすっ……ッリキは卑怯なんかじゃないです。わたしは……りっ……リキに言ってもらえて凄くっ……ですっ! 私もリキの事が大好きです!!」
 喉が巧く回らない。それでも伝えたい言葉を捻り出す。
 ――やっぱり泣いてしまった。
 嬉しくて我慢できない。本当は涙じゃなくて、笑顔を浮かべたいのに。出てくるのは涙ばっかり。
 雨で良かった、と思う。
 きっと上から覗いてるだろう少年に、涙を見られなくて済むから。
 早く心を落ち着かせよう。泣き止んで、満面の笑みを見せるために。
 なのに、少年は更に少女の心を揺さぶる言葉を囁いてきた。
「ねぇクド……。僕もクドが大好きだよ。さっきクドは言ったよね? 今も聴こえる音が僕を縛り付けちゃうって」
 そんな悲しい事を言わないでよ、と少年は少女の頭を撫でる。
「この音は縛り上げるんじゃなくて、絡み合って、二人で歯車を回していける音なんだから」
「……絡み合って、二人で回す?」
「うん。知ってる? 歯車は一つだけじゃ回らないんだよ。もう一つの相方が居て、初めて正しく回るんだから」
 歯車は一つでは動かない。
 対となる歯車が絡み合い、歯を噛み合わせ、車を回転させていくのだ。
 回転の速度は速すぎても、遅すぎても駄目。同じテンポで刻み続けないと壊れてしまう。
「だから一緒に回そう。こんなにも似ている僕達なら、うまく回せるだろうからさ」
「……やっぱりリキは卑怯かもしれません。こんな風に言われたら、信じてしまいたくなるじゃないですか」
「ははっ、言ったでしょ。僕は卑怯だよって。だから信じてよ」
「じゃあ……信じさせてください、リキ」
 少女は目を瞑ると、可愛らしくチョコンと顎を上に突き出す。
「…………クド」
 もう言葉は必要なかった。
 お互いに必要なのは、たった一つの行為だけ。
 少年も目を瞑ると、そっと少女に近づけて――、

 ……トクン……トクン。

 歯車がカチリと、綺麗に噛み合う音色が謳いあげられた。



   ●



「わふぅ〜。一杯濡れちゃいましたね、リキ」
「本当にね。あっ、まだタオル余ってるから、こっちも使って」
 あれから二人は、屋根のある駅に移動していた。
 駅の中にあるコンビニに理樹が走ると、購入したのは大量の真っ白いタオル。ついでにコインロッカーで預けていた荷物を回収。そして近くに設置されていたペンチに腰掛けると、お互いの姿に苦笑しながらタオルで濡れた身体を拭っていた。
「取り合えず、これで電車に乗っても、周りに迷惑にはならないかな……?」
「リキ、リキ。現実逃避は駄目です。きっと周囲から煙たげに見られること請け負いですっ!」
「いやいや、何でそこで胸張って自信気なのかが意味わかんないからっ!」
「リキと一緒なら、私は恥ずかしくないですっ!」
「僕は恥ずかしいから! ああっ、どうやって帰ろう……」
 ハイテンション絶頂期のクドリャフカに、頭を抱える理樹。
 見事に噛み合っている二人と言えた。対比的な意味で。
「しかも完全に門限は過ぎちゃってるし……。まぁそれはいいけど、問題は……」
「わ、わふぅ〜……」
 これにはクドリャフカも苦笑い。
 二人の視線が向う先には、理樹の携帯が。その液晶表示に映し出されたのは、一つの文章が。
 恭介からのメール。
 内容は簡潔に記載されていた。
 ――鬼の風紀委員長がお前らの行方を聞きに来た。知らんと答えたら暴れ始めた。さっさと帰ってきてくれ、割りとマジで。
 ちなみにクドリャフカの携帯にもメールが届いていた。
 今暴れているだろう人物――佳奈多から。
 内容……軽く見て1千文字は超えていて、読み飛ばしたのを要約すると、
 ――クドリャフカ大丈夫?! まさか直枝理樹に襲われてないでしょうね!? 男は皆、下種なケダモノなんだから気をつけないと! クドリャフカもクドリャフカよ?! 戻ってきたら覚悟してなさいっ!
 っと始まり、以降は理樹を罵倒する内容から、クドリャフカを心配する内容、最後に学生の間は云々、と説教に入ったりと、どこのお母さんですか? と訊ね返したいぐらいだった。
 これをクドリャフカから見せられた理樹は、自分ってどんな風に思われてるの?! と涙目になり落ち込んだが、まぁ現状では回復している。
「……帰りたくなくなってきた」
「そんな風に言ったら、心配してくれてる佳奈多さんに申し訳ないのです!」
「そんな事言ってるクドも、頬が引き攣ってるけどね?」
「ち、違いますっ! 帰ったら佳奈多さんのお説教が怖いわけじゃないのですっ!」
「やっぱりクドもそう思ってるんじゃないか」
「わふぅ〜っ! どうしてわかったですかっ?!」
 自然な遣り取り。
 それはお互いの想いが結ばれて、無理をしなくても良くなったから。
 結ばれたから、と今までの関係が激変するわけじゃない。
 ただ、自然に。そして今までよりも、ちょっとだけ深くなっただけ。
「まぁ愚痴を言っても仕方ないし、そろそろ行こうか。流石にどこかで一泊するわけにも行かないしね」
「はいなのですっ!」 
 理樹は立ち上がると、クドリャフカに左手を差し出した。
 クドリャフカは喜んで、その手を握り返す。
 仲良く手を握る二人。
 まだ気恥ずかしいけど、それ以上に嬉しかった。
 切符売り場で、キップを購入。そのまま駅のホームに二人は連れ添い歩く。
 ホームへの階段を登りきった所で、クドリャフカはさらりと、とんでもないことを発言した。
「でも私はリキとなら良いと思えました。どこかで一泊するのも」
「えっ――」
 とんでも発言に理樹の脳内に様々なノイズが入り込んできた。そのノイズは、ちょっと人様に何を考えたのか説明するのは憚られる内容。
 そして今日何度目かの脳の処理数を大きく超えて緊急停止。
 そこにクドリャフカのトドメの一言が。
「……リキのえっち」
 緊急停止していた脳が、その一言に強制起動した。正常に起動したわけではない脳は、緊急停止した際に残っていた断片的な記憶を拾い上げていき、欠けた断片については妙に高性能なスペックが推測して構築しなおし、統合してくれた。
 その結果、
「ボドドドドゥドオー――」
 口から飛び出す奇声は、PCのCPUがショートした際に噴出する煙に似ていた。なのに無理に動作しようとするから煙の量は増えていくばかりである。
 人はそれをこう表現する。図星を刺されたと。
「……佳奈多さんの言ってた通り、ケダモノさんなのです」
「ボドドド、ド、ド、ド……ドドッ……ピィーピィー」
 本格的に拙くなりつつある理樹。
 それをマジマジと見ていたクドリャフカは、彼女にしては珍しい悪戯気な光を瞳に宿すと、愛しき少年の耳元に背伸びして蕾のような唇を近づけると、
「私もリキと同じで……えっちなのです。だから――」
 ホームに電車が走りこんでくる。
 走りこんでくる音はうるさい程の騒音を撒き散らし、余波で発生した風がクドリャフカの囁きを吹き飛ばしていきそうだった。
「…………」
 ちょっと大胆すぎる発言だったかもと少し後悔。
 おそらく電車のせいで、最後まで言葉は届ききってないはずだけど、前半の言葉と、少年の表情を見れば容易に想像がつく。
 早くしなければ電車に乗り遅れてしまう。でもクドリャフカと理樹はそれぞれに思考に嵌ってしまい、突っ立ったまま微動だにせず、
 ……
 ………
 …………
 ……………
 電車が発車するアナウンスが流れたと同時に、
 理樹より先に復活したクドリャフカが行動に移った。
 愛しき少年に頬っぺたに唇を押し付けて、繋がった手を振りほどき電車内に走り去った。
「――冗談なんてね、なのですっ!」
 走りさる際に張り上げた声。
 無茶苦茶言ってます! と内心で思ったが、もう恥ずかしすぎて駄目なクドリャフカは逃げるように電車内に飛び込んだ。
「ええっ、ちょっ――」
 取り残された理樹も、クドリャフカの行動で復活。
 復活すると同時に、どこからどこまでが冗談なのか問いただしたい気持ちや、頬に柔らかい感触ウハハっや、何か電車が出発しそうだよねっ! と思ったが、取り合えず最後の選択肢を優先した。
 向けた視線の先には――閉まろうとしてる扉。
「うわあぁぁぁぁ! 何でこうなるのさ――っ?!」
 ホームに響き渡る泣きそうな、どこか哀愁漂う声と叫び。
 そして地面を叩きつける音が、人のいなくなったホームに響き渡った。






 歯車ふたりは回っていく。
 ……トクン……トクン、と同じ音を刻みながら。
 楽しい事も、辛い事も、嬉しい事も、泣きたい事も。
 どんな出来事が起きても、同じ音を刻み続ける歯車は、きっと立ち止る事はない。
 同じ音を刻み続ける限り、時に挫けても、最後には乗り越えるだろうから。
 ……トクン……トクン。
 溶けて、溶かされ、絡み合い、噛み合う。
 ……トクン……トクン。
 ――恋の旋律の音。
















 あとがき
 
 遅筆な私にしては珍しく二日で書きあがってしまった作品。
 っというわけで初めまして、最近このリトバスSS界にやってきましたトリガーです。よろしくお願いします。
 この祭りにはどむとむさんのHPから飛んできました。彼のファンですので。っでこんな祭りもあるのかと知り、まだまだ技術不足でこんな祭りに参加しても良い物か悩んだのですが、楽しそうなふいんき(何故かへんかry)に惹かれて参加することにしました。主催者の幹事男さんにも喜んで参加してくださいと返事を頂けましたので。本当にありがとうございます(エントリー時に名前を間違う失礼な行動、申し訳ありませんでした)
 一応、題材にしたのはボーカロイドが好きな人なら有名な曲である、「メルト」から頂きました。この歌が大好きで、この企画を知った時に、瞬時に組み合わさった感じです。
 っでどうせ歌詞縛りをするのなら、徹底的に歌詞縛りをやろうと無茶な発想で、ほとんどの歌詞を作品中に散りばめています。でも可能な限りは強引さや不自然さを消しつつ、歌詞縛りの結果、作品自体の面白さを殺さないように気を配ったつもりではあります。具体的にはピンクのスカート(略)の場所とかですね。普段着ない服装ってだけで、想いを伝えたい相手にドギマギをさせられるでしょうが、それだけじゃ何か嫌だな、別に無理に着せなくてもいいんだし、と思い。だったらこの設定を生かせないか?と考えた結果が、桜のシーンだったりします。他にも色々作中でやっていますが、蛇足なので省略。
 まぁ……成功してるかは判りませんがっ!(汗
 後は文章描写は丁寧に、丁寧に書いたつもりです。反面、物語の進行スピードが遅い気がしないでもないですが。登場人物の理樹とクドリャフカも人物像が壊れてる気がしないでもないですが……ええい、言い訳は見苦しいから中止!
 色々言いたいことは多いのだけど、自分的にはかなり頑張った作品です。読んでくれて面白かったなーっと少しでも思われて祭りが賑わえば嬉しいですよっと。
 ではこんな感じで!ここまでお読み頂きありがとうございましたっ。