夜も遅い深夜の時間。
 生徒達の大部分は寝静まっているのを報せるように、学寮にある部屋のほとんどの明かりは消灯されていた。起きている者もいるからもしれないが、それは極少数に属される。
 物静かな静寂に包まれた学寮。
 そこに一つだけ極少数に属する部屋があった。
 ルームメイトの睡眠の邪魔にならぬように気を使うためにか、部屋に取り付けられた照明を付けずに、勉強机に座ったままの彼女はデスクスタンドの灯りだけを頼りにしていた。念には念をいれてか、デスクスタンドの灯りが漏れぬよう、周囲を黒いカーテンで覆ってまでして、徹底的に光を遮断している。
「わふぅ……」
 彼女――クドは憂鬱な溜息を吐きながら、机の上に広がっているものを恨まし気に睨み付けた。それも長くは続かず、二回目の溜息を吐いてしまう。
「やっぱり難しいです、ぜんぜん解けません……」
 机の上に広がるのは、クドがもっとも苦手な科目とされる英語の参考書の数々。学生の誰もが経験する、課題を一日前になって必死で片付けているわけでなく、自分のために自主勉強をしているだけだった。
「もうこんな時間ですか……そろそろ寝ないと明日に響いちゃうです」
 参考書に支配された机の片隅に置かれた時計が示すのは、午前二時前。これ以上の無理をすれば睡眠不足で、授業中に寝てしまうのは想像に難くない、とクドは思う。予定の半分も進んでなかったが、仕方なしに参考書を片付けていくことにした。
 ……それに正直に白状すれば、凄く眠たいです。
 意味不明なスペルや文法に侵された頭は、鈍い痛みを訴え、身体は重い倦怠感と吐き気に襲われている。流石に体調不良は拙い。そんなことになってしまっては、ルームメイトの佳奈多が朝に驚くだろうし、リトルバスターズの皆にも迷惑がかかってしまうから良くない、とクドは机を片付けつつ先ほどまでの自分を反省。無茶は控えよう、と。
「うぅ〜……お布団さん〜……お布団さん〜」
 どんどん理性が眠気に押し流されつつあるクドは、やっと片付けが終わり綺麗になった机から身を離す。向う先は欲求を満たすべき対象――砂漠のオアシスのように目に映るベッド。
 もはや半分寝てしまっているクドは、寝惚け眼に身体をフラフラと揺らす様は、まるでゲームに出てくるゾンビのようだ。本能の欲求に従う行動も似ていて、あながち否定できないとこかもしれないが。
「…………」
 言葉もなく、辿り着いたベッドに身を沈ませていくクド。柔らかいクッションは、ふんわりと身体を包み込んでくれて気持ち良く、頭痛や吐き気が少し収まる。安堵からか、吐息が漏れて身体の力が抜けていく。何故か普段のベッドよりも安らぐ温もりと心地よさを不思議に感じながらも、眠気に負けた思考はそれを捨て置き、寝ろネロ、とアラームを打ち鳴らしてくる。素直に従ったクドは、
「おやすみなさいなのです……」
 おぼろげに映る天井に呟くと、目を瞑り、眠りの世界にへとクドは落ちていった。






 眩しい朝日の光が、カーテンの隙間を滑りながらクドの寝ているベッドを照らし出す。
「……ぅぅ……」
 至福の眠りを邪魔しようとする朝日から、クドは小さく身動ぎしながら、掛け布団の中に顔を埋めて、光を遮断した。そのまま朝のまどろみ漂う空気に身を任せ、再び至福の時間を過ごそうとする。
 中途半端に覚醒する場合が一番辛いのは人間誰しも同じで、クドとて例外ではない。
 身動ぎした際に横向きになった右手に、なにかが触れた。感触は一言で表すなら柔らかい。手の平に馴染む吸い付きと、確かな弾力を伝えてくる。
 クドは身体全体を柔らかさの源に寄せ付けていく。寝惚けた頭は難しいことを考えず、単純に気持ち良いからの行動。右手をなにかに固定したまま、抱き枕にしがみつく要領で、細く健康的な右脚を絡めていく。
「……っん」
 全身をしっかりと固定し終えたクドは懐かしい想いを胸に染みこませていた。ずっと、ずっと昔に似たようなことがあった気がするけど、眠たくて思い出せない。
「……んんっ……う、ぅあ?」
 半ば機械的な動作で、クドは右手を捏ね繰り回し続けている。激しくも、乱暴でもなく、ゆったりと繊細な壊れ物を愛でるかのような手付きで。
「ぇっ……――、ちょっ、とくどりゃふかぁっ……や、やめ――ぅぁっ」
 無意識の行動なのか、その手付きはクドが本来持ちえる技ではなかった。きっとKY氏がこの場に居れば、目を瞠る熟練の手捌きに、感嘆の溜息を漏らしただろう。それでは飽き足らず乱入してくるかもしれない。早く病院に行っ……むしろ病院が来い。
「いい加減にっ……ふぁ、あ……それ、だめぇっ……この子、なんでこっ、ちぃっ……にぃ?!」
 クドの小柄な身体が動くたびに、連動して悩ましげな声が部屋に蔓延していく。だけどクドは無意識だから気付かない。気付いていたら、きっと驚きに目を回し、飛び跳ねているだろうから。でも無意識だから仕方ない、許されるはずだ。
 クドの無意識は留まらず、悩ましげな声は甘く切なそうな声に変化していき……。
 ………………プチンッ。
 何かが盛大に切れる音が、部屋一杯に木霊した。
「い・い・か・げ・ん・に――しなさいぃぃぃっ!! クドリャフカアァァァ!!!」
 起床したクドが待つのは、顔を真っ赤にし、怪獣の如く肩を怒らせ、仁王立ちした佳奈多に決定したようだった。
 どうやら無意識でも、許されないことは存在するらしい。







 授業の終了を知らせる鐘の音が学園に鳴り響いている。
 午前の授業が終わり、学生お待ちかねタイムの昼休み。腹を空かせた猛獣共が我先にと食堂に突撃するのを尻目に、お弁当を持参した学生は仲の良い友人同士と固まり、おばちゃん宜しく井戸端会議を開こうとしている。
「まだ痛いです……おっきなタンコブさんのせいで帽子が被れません」
 弁当持参組みであるクドは、頭部の頂に抱いたタンコブを気にしていた。朝起きた際に佳奈多から貰ってしまったものだ。
「佳奈多さんは酷いのです。いくらベッドを間違ったからと言って、コレは横暴なのです」
 何度も一緒のベッドで寝たこともあるし、恥ずかしいけど抱き枕みたいに佳奈多に引っ付いてしまうこともあった。そういえば昔の懐かしい想いは、今日も寝惚けて抱きついていたのかもしれない。だけどここまで怒る必要はないはずだ。前は許してくれたし、今回はだめなのはシックリこない、とクドはしきりに怒られた理由に頭を捻らせるも、
「やはり解りません。理由を聞いても真っ赤になって黙り込みますし……ひょっとして私は嫌われてしまったのでしょうか?」
 真実を知らないクドはサクランボ色の唇を突き出しながらしょげる。
「ふむ、どうしたのかね?」
「……来ヶ谷さん?」
「ああ、お姉さんだ。お姉さん以外に、小毬君もいるぞ」
「だよ〜。何かあったのかな、クーちゃん?」
 いつの間にか傍にいた来ヶ谷と小毬。クドはまったく気付かずに目で驚きながらも、何でもないです、と首を横に振りながら元気一杯に笑う。佳奈多に怒られたのはショックだが、後で謝れば許してくれるはずだから。冷たく、きつい言動から誤解を与えがちだが、佳奈多は凄く優しいのだ。
「何事も無いのならばそれで良い。必要なら相談してくれさえすれば協力しよう。私は可愛らしい女の子の味方だからね」
「そうだよ〜、クーちゃん。いつでも頼ってくれればいいから」
「はい、ありがとうなのですっ!」
「それより昼食はもう済ませたのかね? よければ一緒にどうだろうか」
 来ヶ谷がクドの顔高さまで右手を掲げる。握られていたのは食堂で購入したのだろうと推測される菓子パン。横では小毬がニコニコとしながらお菓子の数々を抱き抱えている。
 お昼はそれぞれ違う場所にいる来ヶ谷と小毬が、教室にいるのは稀だった。きっとクドが朝から調子が悪いのを察してくれたのだろう。好意に甘える形でクドもカバンから昼食を取り出す。
 ちょっと珍しい組み合わせのお昼ご飯が開始された。





「そこの文法が間違っているな。正しい解釈は――」
「ちなみに簡単な覚え方だとね〜――」
 来ヶ谷が腕組みしながら、正しい解釈を懇切丁寧に教えていく。その横から補足するのは小毬。さながら来ヶ谷は先生役で、小毬はその助手。そして教えられる立場のクドは教え子役というとこか。
 教えを受けている教科は当然のように、クドの日課になりつつある英語の勉強だった。
 最近のクドは時間があれば英語の勉強に勤しんでいる。夜はもちろん、ちょっとした休憩時間や、そして今みたいにお昼休みにも欠かさず。それを知っていた来ヶ谷と小毬が教師役を買ってでたと言う訳だ。
「なるほど……。ここはこうすれば良かったのですか、これはもうてんでしたっ!」
 深夜遅くまで独り頑張り続けても解けなかった問題が解けて、クドは人懐っこい笑顔を浮かべる。教えられた甲斐もあり成果は上々なのだが、そこでクドは少し苦味が混じった微笑を浮かべた。
「でも来ヶ谷さんも小毬さんも凄いです。こんな難しい問題が解けて」
「クーちゃんも頑張ってるから、これぐらいならすぐ出来るようになるよ〜」
「そうでしょうか……そうだといいんですが」
 小毬の励ましにも、クドの苦味は溶けきらず、自分を納得させる独白の言葉だけが虚しく響く。
 小毬もクドが外国人でありながら、英語が苦手なのにコンプレックスを抱えているのは把握しているから返答に窮する。小毬にとってクドはそんなことは関係なく親友だけど、コンプレックスとは本人にとっては重要で、下手な慰めは心を傷つける刃物になるのを、小毬は痛いほど理解できてしまうから。
 暫しの間、周囲の賑やかで騒がしい喧騒とは無縁とばかりに、重苦しい沈黙が横たわるが、それを打ち砕いたのは会話に参加していなかった来ヶ谷の一声だった。
「能美女史。一つ不躾な質問なのだが良いだろうか?」
「なんでしょうか?」
「ふむ。私は――もちろん私以外のリトルバスターズの皆もそうだろうが、そこまで気にすることだろうか? 英語ができない理由だけで、私たちの関係は変わらないし、君は頑張っている。その努力を嘲笑う輩がいるのなら、お姉さんに任せたまえ。きっちりと成敗してやろう」
 それだけでは不服だろうか? と来ヶ谷は首を傾げてクドに問いかけると、「私も人のことを言えないが。気分を害したらすまない」と最後に付け加え頭を下げた。
 表情に浮かんでいたのは二つの感情をブレンドさせたもの。クドに説教臭い薀蓄を垂れながらも、来ヶ谷自身が、自分の言葉が当て嵌まってしまったからの苦笑と、文字通りの不躾な質問に対する申し訳なさの二つ。
「ほわぁ、ほわぁあ〜……」
 横で見守っていた小毬はオロオロハラハラしていた。伝えたかった想いを的確に伝えてくれた来ヶ谷に感謝したい気持ちはあるが、もう少しオブラートと云うか、婉曲的にそう、ドーナツで例えるなら、口どけよい柔らか甘みた〜ぷり生地に、ほんのりビターなチョコソースと抹茶の渋みをコーティングする要領でアレは美味しかった〜…………とくかく大絶賛混乱中だった。
 自分の言葉で物思いに耽る来ヶ谷と、どこか遠い場所に羽ばたいてしまいそうな小毬。怪しい雰囲気になってきた空模様の中、置いてけぼりにされたクドは所在なさげに頬を引き攣らせる。
「お、お二人はなにかそうだいな誤解をされているかもしれませんです……?」
「――な、なに、違ったというのかね?」
「ふえぇぇぇ〜っ?!」
「そ、そこは驚く場所なのですかっ?!」
 心外だぁー、とばかりに頬をぷくぅと膨らませたクドは、やおら座席から立ち上がると、これぞクオリティの無駄遣い?! とばかりに希代の演説者が醸し出す厳格な雰囲気を演出しつつ、世界の中心で愛を叫ぶように訴えはじめた。
「二人とも勘違いしていますっ! 確かに昔はそういったことで悩んだ時期もありましたが、今の私はそうではありませんっ! 見た目のギャップがなんなんですかっもはや諦めからのきょくちから悟りのごくいに至ったニュークドリャフカに恐いものはないのですっ! 可憐で愛しいマスコット? ドンッとコイですっ! 胸が小さい?! ロシアの血を舐めるなですっ将来はボン・キュッ・バンッが約束された――、……胸なんて脂肪の塊なのです貧乳はステータスだ、きしょうかt――」
「ほわわわぁぁぁぁ〜??!!?! クーちゃん、落ち着こう落ち着こう〜! 誰もそこまで言ってないし、変なのが混ざってドバドバ漏れすぎだよぉッ――!!」
 背後に黒炎纏いし西洋の竜を従えたクドは、大魔王降臨いざ参らんと、平和な世を蹂躙の大波なりて踏み進んでいく。クドをそこまで駆り立てる衝動を追究する間もなく、立場的に勇者側に追いやられてしまった村人K、もとい小毬は止めようと必死だが、
「うわぁぁ〜ん。クーちゃん全然落ち着いてくれないよ〜――」
 憐れかな。
 元より理性を手放し反転衝動した者と、片や常識に縛られた一般人が太刀打ちするなど叶うはずがないのだ。RPGのプロローグで始まる前座の生贄のように蹴散らされた小毬は、このクロリャフカを打倒することが可能だろう人物に視線を走らせ救援要請をしようとするが、
「ゆいちゃんも見てないでてつだっ、……て、よ〜?」
 助けを求めた先に飛び込んできたのは、赤色の惨劇空間。
 色鮮やかな紅い飛沫舞い散る中心に、恍惚とした変態KYが宙を見上げ逝っている。ハァハァと鼻息荒く痙攣する姿は、孤高の子猫の言葉を借りるなら、くちゃくちゃ恐いわ! と引くこと請負である。やはり病院に行k、病院が迅速に来るべきだ。
「もう誰でもいいから、私を助けてよ〜〜〜!!!」
 カオスとなった教室に、小毬の悲痛な叫び声が轟いた。








「では英語を頑張る理由はなんだったのだね?」
 流石にあのテンションを維持するのはクロリャフカにとっても至難の業だったらしく、数分後にはクドリャフカにへと落ち着き、それと同時に現世に舞い戻った変態KY……頼れる姉御が改めて尋ねた一言。その隣には、困りMAXとならざるお得なかった小毬は色んな意味での疲労から真っ白な灰になっている。健気にも虚ろな瞳を持ち上げ、会話に参加する意思を見せてはいるが。
「実は……佳奈多さん以外にお話するのは初めてなのですが、私には夢があるのです」
 恥ずかしげに、でもキッパリと力強くクドは宣言する。
 クドの夢。
 宇宙飛行士になるという大切な、大切な夢が。だけどその道程は険しく、ともすれば挫けてしまいそうになることもあった。その度にクドは歯を食いしばり、空を仰ぎながら心を叱咤する。
 諦めません。必ず掴んでみせます、と小さな胸を精一杯に張って。
 深夜まで続いた英語の勉強もその一環。昨日だけが特別だったわけじゃなく、その努力は時間が許されるたびにこなしている。辛くても、苦しくても、泣きそうになっても、いつか誓った日を支えにして、まだ得ぬ自分が、過去を振り返った際に、自信を持って頑張ったと誇れる自分であれるように。
 一瞬だが、いつか誓った日を思い出し、チクッと心臓に棘が刺さった痛みを得る。クドはその痛みを今は無視する。
「――というわけなのです。それと、さっきはご迷惑おかけしましたです」
 そう在りたいとクドは願いつつも、時に弱さが滲んでしまう。
 それはクドが来ヶ谷と小毬に漏らした弱音の言葉。
 誰だって思い通りにはいかないのに、自分勝手で浅はかな内面は、嫉妬心から酷く醜い唾を吐き捨ててしまうことがある。他人の努力を否定し、自分だけが違うのだと、我儘な駄々っ子みたいに面を泣きはらして。
 そんな自分が許せない、とクドは自己嫌悪。せっかく親切に教えてくれたのに、これでは恩を仇で返す最低の行為。
 だから、こんなことで許されるかわからないけどクドは頭を下げたのだった。
「そんな風に謝られてもお姉さんは困ってしまうわけだが……」
 苦笑するように、口元を歪ましてみせる来ヶ谷。それから静かに右腕を上げて、クドの髪を掬いあげるように手を近づける。
 突然の感触に、身を折っていたクドは飛び跳ねるように背筋を伸ばす。
「わふぅっ! なななんですか」
「いや、なに。可愛い女の子にそんな表情は似合わないと思ってね。クドリャフカ君には愛らしい表情の方がやはり似合う」
「褒められているのかさっぱりわからないのですっ?!」
「はっはっは。気にしたら負けだよ。クドリャフカ君がこすもふーとなーを目指しているのはわかった。素晴らしい夢だと思うよ、私は。そんな素晴らしい夢を持つ子の、可愛らしい嫉妬心なら喜んで受け入れるから、悲しそうな顔をしないでくれたまえ」
「来ヶ谷さん……」
「もしクドリャフカ君がそれでも納得できないのなら……謝ってもらうよりも」
 まるで口説き落とすように、来ヶ谷はクドの耳元に、吐息が吹きかかるほど唇を近づけていく。外部に聞こえぬように、耳元で囁く来ヶ谷は真摯的で、クドのことを気遣っているんだな、と思わせた。
「……はい?」
 囁かれた言葉の意味が理解できなかったのか、クドはポカンと顎を落とし、鳩が豆鉄砲を撃たれたように瞳を真ん丸と見開く。
「ええい、何度も言わせるな。謝るぐらいなら是非お姉さんにお持ち帰りさせて欲しい。安心したまえ、恐くないぞ。むしろクドリャフカ君が体験したことのないような、めくるめくるかんの……、ゴホンッ、官能な世界にお連れする道先案内人になってみせようではないか」
 ロクデモナカッタ。
 さっきまであった感動の雰囲気を木っ端微塵に吹き飛ばす破壊力。真摯的に見えたのは外面だけで、これでは変態紳士ではないか。
「ゆいちゃんのバカバカバカ〜〜っ! 言い直せてないしっ、感動のシーンが台無しだよっ――」
「だからゆいちゃんと呼ぶなと、グェッ……コマ、リ……くん。気管が絞まって……いるの、だ……が?」
「知らないもんっ! あっクーちゃんもさっきの事は気にしなくていいからね〜。私は気にしてないから」
「は、はいなのです!」
 不思議な威圧感を発する小毬に、圧倒されたクドは反射的に頷いてしまう。クドが頷くのを確認した小毬は、これで万事おーけーとニコニコ笑顔。
「でもクーちゃん……こすもふーとなーさんを目指しているんだね〜。だったら、これから遊べなくなっちゃうのかなぁ?」
 寂しそうに微笑む小毬を見て、クドは首を斜め四十五度に傾ける。小毬はそんなクドを見ていなかったのか、そのまま言葉を続けていく。
「でも仕方ないよね。遊べないのは辛いけど、友達ならクーちゃんを応援しなくちゃいけないから。私に手伝えることがあれば言ってくれれば協力するから、でも……たまには一緒に遊ぶことはできるよね〜?」
 まるで遠く旅立つ友人扱いをされかけているクドは、やっと小毬が泣きそうになりながらも必死に言葉を重ねている理由に気付いた。
「いえいえ! 一日中勉強するわけではありませんです! これまで通り遊びますし、勉強するのは独りや、時間あるときだけです、というか小毬さんさっきから勘違いしすぎなのです――っ!?」
「えええぇぇっ、でもさっきの言葉だとそう聞こえるような〜?」
「確かに夢も大切ですが! 私にとっても、皆さんと遊ぶ毎日は大切なのですっ! 本格的に忙しくなるのは、きっと大学に進学してからです」
 クドにとって夢は大切だけど、唯一無二ではなく、今を生きる日々の日常も同じぐらい大切なのだ。どっちか片一方を捨て去っては、後で後悔するのは目に見えているから、欲張りだと思うけど、クドはどちらも手離さない選択肢を取る。
「――だから、これからもよろしくお願いしますです」
 花は咲いたような艶やかな笑顔をクドは浮かべる。勘違いを正された小毬は恥ずかしくも、自分の思い込みが間違っていたのが嬉しくて、目尻から透明の雫を一筋溢れさながらも似た笑顔を浮かべる。
「こっちそこだよ〜! これからもよろしくお願いします〜らんらんら〜」
 おっちょこちょいで天然の、いつもの小毬に戻りながら上機嫌のハミングを奏でる。
 ここまで他人を気遣い、涙を流せる人間はそうはいない。クドは声にせず感謝の言葉をし、もう一人の人物にも感謝の言葉を送った。さっきの変な冗談も彼女流の場を和ましだとクドは信じているから。事実、心に巣食っていたジクジクする気持ちがなくなっているのだから見習いたいと思いつつ、人を食う飄々とした、分かりづらい気遣いの手法は来ヶ谷らしい、とクドは笑みを零す。
 だから言おう、とクドは決意。
 場の雰囲気と、ちょっとした現実逃避で指摘しなかったけど、本格的に拙そうだから。
「えーと、小毬さん」
「なに〜?」
「そ、そろそろ手を離した方が良いと思うのです……」
 手の平を翳して示した先には、土紫色に染めた来ヶ谷。
 小毬の握力はそれほど強くなく、おふざけ程度に締めていただけなのに、思いの他に綺麗に頚動脈を絞められていたのか、天の身遣いがこんにちわしそうなのを顔色でアピールしていた。
「ほわぁっ!」
 驚きに両手を天空に突き上げる小毬。遅れて重低音が耳を打つ。
「……」
「……」
 ほわわぁぁぁぁ〜! わふうぅぅぅ〜! と悲鳴がハモる。お笑い芸人のコントのような漫才劇場は、残り短くなった昼休みの時間の余韻に浸る間もなく最後まで続いた。後に来ヶ谷の逆襲として語られる、喜劇の要因とされる一端となるが、それはまた別の御話。





 ノートに向って、シャープペンが縦横無尽にテンポ良く駆け回っている。さながら赤兎馬に騎乗した武将が青龍刀を片手に構え、無尽蔵の雑兵に守護された敵陣奥深くに居座る大将を討ち取るため、斬り込んでいくのを彷彿させた。
 四方八方から襲い掛かる幾多の槍を、手綱を巧みに操り避け突破し、隙間なく迫る矢の五月雨には、片手に誇示する青龍刀が叩き弾き飛ばしていく。一陣の神風と化した武将は、無傷のまま敵大将に肉薄すると、慈悲をかけず、鈍く煌く斬撃が弧を描かれ……戦場に静謐の鎮魂歌が謳われていき、
 同時に、ノートを駆け回っていたペンがピタリと停まると、ペンの担い手――クドは胸に達成感を膨らませ、勝利の美酒に酔った勝鬨を高らかに名乗り上げた。
「これで今日出された分は終了なのですっ!!」
 勝鬨というには若干可愛らしい声音かもしれないが。
 来ヶ谷臨死体験&蘇生事件を乗り越え、午後の授業も無事終わり、恒例のバスターズ野球を遊び終えたクド。そのまま寮室に帰り、汚れた身体を清めるためにお風呂に入浴すると、授業で課題として出された、レポート用紙を倒しにかかっていたのだ。
「もうこんな時間ですか……そろそろ佳奈多さんが戻ってくるはずなのです」
 きっと今頃は風紀委員長の役目として最後の見回りと戸締りを確認している佳奈多。朝に佳奈多から怒られたクドは、結局許しを得ぬまま佳奈多と別れていたのを思い出し、気が滅入る。
「朝は謝る前に一方的に叱られましたから、次は話しを聞いてくだされば助かるのですが」
 眠気も裸足で逃げ出した、真っ赤な鬼の形相が脳裏に再現され身震いしつつも、どうやって謝ろうか思案する。
 ストレートに頭を下げるか、普段通りの振舞いで接してしまうか、いっそ有耶無耶のするため寝たフリだぁーと悪魔が囁いたり、王道から邪道まで、古今東西ありとあらゆる可能性をシミュレートするも、
「どれも駄目な気がするのは気のせいでしょうか……? そもそも怒られた理由を分かっていないのに、謝るのは礼儀に反している気がします」
 世界一周した思考は、起点となる発端にぶち当たりぺちゃんこになった。うーんうーんと唸るも、ポクポクチーンと一休さんのような頓知が閃くはずもなく、二周、三週とループを繰り返していく。四週目で議題に持ち出されたのは、リトルバスターズの仲間から授けられた仲直りの秘訣なのだが、これも佳奈多には悪印象だとクドは却下。
「まずいです……っ! このままじゃ佳奈多さんと――っ」
「私がどうしたのよ?」
「このままじゃ仲直りできないのですっ……。もうすぐ戻ってくるはずですから、対策を練らないといけないですのに。ろくな案しか思い浮かびませんっ!」
「ちなみにどんな案なのかしら?」
「来ヶ谷さんに教わった裸エプロンでお出迎えや、小毬さん直伝お菓子で幸せスパイラルに、恭介さん必殺、犬耳モードでお腹を見せて絶対服従ポーズとか――はれ? 背後から佳奈多さんに似た声が聞こえたような?」
「取り敢えず詳しい話は後にして……私は至急に片付けなきゃいけない用事ができたから、行ってくるわね。大丈夫、すぐに……ええ、すぐに済むから」
 どこに行き、何をすぐに済ますと云うのか? クドは理解するのを脳が拒否しようとするが、後半につれてキナ臭さ増大する台詞と、無闇に触れては怪我ではすまない剣呑な威風に、脳にではなく、身体に縮こまる実感を直接叩き込まれ強制的に理解させられてしまった。
 現実逃避している間にも事態は進行し、背後から佳奈多似の声の持ち主が遠ざかっていく気配を察知するクド。どこから道を踏み外したのかと嘆くが、意を決し背後に首を振り向けていく。
「…………」
 ギギギ、と錆びた機械の動作で首を振り向かせたクドが見たのは、
「かかかかか、佳奈多さんっ! そそそ、それだけは駄目なのですっ!」
 佳奈多似の誰か、とあくまでも佳奈多本人と絶対に認めないとするクドの頑なな最後の抵抗は、そんな些細なことを忘却の彼方にしてしまう驚愕により塗り潰された。
「殺人だけはやっちゃ拙いのです――っ!!」
 佳奈多が握っていたのは木刀。柄の部分に悪・即・斬と彫られているのは幻であって欲しい。
「そんな心配しなくても大丈夫よ。安心しなさい、クドリャフカ」
「……今の佳奈多さんを見て安心できる人がいたら、失礼ですが眼科をおすすめしようと思うのです」
「その前に眼鏡をプレゼントしたら喜ばれると思うわよ?」
 否定どころか暗に肯定する佳奈多に、クドは佳奈多との距離を詰めつつ、説得しようと言い募る。友人をみすみすと犯罪者になるのを見過ごすのは忍びないし、元々は自分が振り撒いた種という責任感も相まって、相当に必死だった。
「もう、うるさいわね。だったら私が保証するわよ」
「どんな保証ですか……?」
「人間ってね、意外と丈夫だから簡単に死にはしないわよ」
「――――」
 自分は良い事を言ったと満足気に頷く佳奈多に、クドはムンクの叫び状態になる。本来のムンクの叫びとはまったく意味は異なるが、共通項である恐れ慄いた、という部分では適している。そう、恐れ慄いた。これだけ説得しているのに、目の前の人物は木刀片手に殺る気満々なのだから、無理もない。
 刀折れ矢尽きる。
 もはや言葉では止められないと悟ったクドは、せめてもの手向けと友人が罪を犯す前に、苦渋に満ちた裁決を下した。
「……あの、クドリャフカ? 携帯なんか出して、何処に連絡しようとしているのかしら?」
 若干だが額に脂汗を滲ませる佳奈多。
「聞こえてる? いや、あの……これはちょっとした冗談だからね? お願いだから身を引かないで」
 携帯を頻繁に使用する者なら、他人が携帯を弄んでいると、ある程度は何をしているのか判別がつく。電話をしているのか、メールを打っているのか、アプリゲーを遊んでいるのか、と。
 それを踏まえてクドの指の動きは、最小限の動きだった。親指で携帯の下の部分を二回、左上を一回、そして中心部分の電話マークがプリントされたボタンの計四つ。そこから導き出された解答に、佳奈多の額に積もった脂汗がブワッと密度を増やし、形の整った鼻筋に沿って垂れ流れていく。
「いや本当に冗談だからねっ? そう、イッツアメリカンジョークってやつだから、そんな本気にしないで。だ、だからっ――謝るから、ちょっとふざけすぎたのは謝るからっ――」
「あ、警察さんですか、じつh――」
「てい」
 木刀が突き出され、携帯がクドの手元から飛んでいく。その拍子に向こう側との通信が切断されたのを、落ちた液晶表示からクドと佳奈多は確認した。
 緊張感を孕む両者の間。
「……自首しましょう、佳奈多さん」
「だから人の話を聞けっていってるでしょう――っ!!」




「佳奈多さんの冗談はわかりづらいのです……」
「……クドリャフカが真面目というか律儀すぎるのよ」
「いえ、あの佳奈多さんを見たら、誰だって当然の反応をします」
「はぁ、非があるのはこっちだから容認するけど。普段の私がどんな風に歪められてるのか、今度じっくり話し合う必要性があるわね」
 ジトーと半眼の佳奈多の視線を、サッと逸らし回避するクド。
「まぁいいけど。話は変わるけどいいかしら?」
「はい?」
「朝の件だけど、もう私は気にしてないから、クドリャフカも忘れときなさい。こんなことで一々落ち込まれても、こっちが迷惑だから」
 相も変わらず相手を考慮していない印象を与える言動なのだが、佳奈多は気にせずこれで仲直りは終了と場をまとめてみせる。もう少し周囲に対するイメージというものを省みたら、損をすることも少なくなるというのに、とは彼女の友人達の評価。
「はぁ……えとありがとうございます? といいますか、私が落ち込んでたのを知ってるのは何故なんでしょう?」
 仲直りした喜びはどこにいったのか、ただただ急展開に、クドは戸惑い生返事。
「葉留佳や棗恭介達が見回り時に待ち構えてたのよ。クドリャフカが落ち込んでるから、さっさと仲直りしろって。大人数で押し寄せてくるんだから堪ったものじゃないわ」
 しかめっ面の佳奈多は、その時の光景がフラッシュバックし毒づいた。
 居残り連中が居ないかの最終確認時、待ち構えていたかのように、いや実際待ち構えていたのだろう、廊下の角から姿を現したリトルバスターズの集団は、佳奈多の弱点である妹溺愛シスコンを逆手に取った作戦――葉留佳を筆頭に立たせて風当たりを軟化しつつ、自分達のお願いを具申してきたのだ。
「っふん、私だって言われるまでもなく、帰ったら許すつもりだったんだから。そもそも被害者の私が悪者扱いってどうゆうことよ、凄く納得いかない」
 最終的にうんざりしつつ了承した佳奈多に、ホクホク顔の集団は、これで順風満帆と、楽観的なのか無責任なのか区別のつかないラインの適当さを披露しながら、背を向け去っていった。
 ちなみに集団の親玉は背を向けた際に「能美が例えどんな格好で出迎えようと、お前は受け入れてやれ」などと意味深な狂言を佳奈多に残していたのだが。
「……碌なものじゃなかったけどね。最低、本当に最低だわ。フォローいれるんなら、初めからん変な入れ知恵するなっていうのよ、あの変態シスショタロリめ」
 ツンデレの、ツンしかない口調。
「……そんな危ない人いたでしょうか?」
「えぇ、クドリャフカは絶対にあんな外道に堕ちちゃ駄目よ。もっとも、あの壊滅的な仲直り案を採用してたら、今後の付き合いを真面目に熟考しなきゃだったわね」
 クドは親身になってくれた仲間達に後ろめたさを感じつつも、良かった、躊躇して良かったと心で大喝采。大半は悪巧み冗談半分だったにも関わらず疑いもしていない。根っこの部分で人が良すぎる性格も、ここまでくればあっぱれと太鼓判を押したくなる。
「もう、これでこの話はおしまい。私はシャワーしたいから先に失礼するわよ。どうせクドリャフカも勉強するんでしょう? 戻ったら、教えてあげるから始めときなさい」
「――はいなのですっ! いつもありがとうなのです!」
 今日一番の笑顔のクド。佳奈多も釣られて頬を緩ませる。
「後、クドリャフカが……そう、一緒のベッドで寝たいんなら、これからは事前に言ってくれたら勘弁しようと思うのよ。今日みたいに無断で潜り込まれても迷惑だし、それなら初めから一緒の方が建設的だし、うん」
「…………?」
「〜〜〜〜頼むから空気を読んでっまっまさか最後まで私に言わすつもりじゃ――っ?!」
「いえいえ、本当にわかりませんでした」
「クッ――だからっ! 今日は悪かったから、クドリャフカが良いなら久しぶりに一緒にベッドで寝ましょうって言ってるのよ! か、勘違いしないでよね、私がクドリャフカとじゃなくて、クドリャフカがどうしてもって言うなら一緒に寝るだけなんだからっ! だから、その、あぁっっ――シャワー行くから、考えときなさい! 貴女もさっさと勉強机に向うっ! じゃぁ――」
 まだ入浴を済ませていないはずなのに、風呂上りのように全身を朱に紅潮させながら、一方的にまくしたてる佳奈多。そのままクドの視線から逃れるように、風呂場にフィードアウトしていく。バスタオルを持たずに。
「……やっぱり佳奈多さんはわかりづらいのです」
 見送ったクドは呟き、勉強机に向った。
 天然は強しである。

 こうしてクドと佳奈多の仲直りは無事に果たされた。クドにとって、もっとも重大な一つの謎だけを残して。これ以降もバスタオルを用意していなかった佳奈多が慌てふためくシーンや、クドと佳奈多の夜の勉強会などと、デジタル時計にゼロが四つ並列する合図まで、二人の会話は途切れることはなかった。





「ふわぁ……眠いです」
 闇に遮られた空間に、クドのアクビが横切った。
「今日は色々あって疲れました。早目に切り上げて、寝たほうがいいですね」
 机の上を占拠していた参考書群を整理していく動作に、闇の衣がゆらゆらと波打つ。隙間から漏れる光と音で、ルームメイトの睡眠妨害にならぬよう慎重に行動。昨夜と違い、周囲を気遣うぐらいの余裕は残っていた。
「一時過ぎですか……佳奈多さんが寝てから一時間は経過しているんですね」
 積み重なった参考書を指定の位置に戻す際に、視線の片隅に時計からの情報。なんとなしに声に出して再認識しながらも、片付けの手は止まらない。
 参考書が整理され、次は筆記用具。筆箱の中にかき集めて、机の引き出しに収納していく。引き出しを引っ張った時に、奥底に眠っていた木彫りの材質の小包が手前に滑り出してきた。あの日以来、閉まったままにしてきたためか、埃を被っている。
「……夢と自分。いつかの答え」
 その呟きにどんな想いが籠められていたのか。小包を取り出し、中身を外界に晒す。
 薄汚れた金属の塊。
 もとはドッグタグと呼称される個人認識票。だけどその面影は辛うじて残すばかりで、プレート部分に明記されていた名前や血液型の表記は、薄汚れ拉げてしまい読み取るのも困難だ。
 それはクドにとって、世界で一つしか存在せず、一つの道標となるもの。
 そのドッグタグの鎖部分に指を絡ませるクド。冷たい金属片の肌触りが指先から染み渡ってくる。
「……お久しぶりです。今日もいろんなことがありました」
 噛み締めるのは幸福と申し訳なさ。
 ちょっとした近況を報告するような気軽さと、懺悔のような告白。二つの複雑な響きを乗せて、クドは語り出す。
「今の私を見て、お母さんはどう思うでしょうか」
 目を細めた先には、プレート部分にイニシャルを取ったものだろう、Cという刻印。掠れくすんだ中で唯一、読み取ることが可能な部分。
「きっと呆れて物も言えない気がしますね、私の憶えてるお母さんなら。私自身もそう思うときがありますから」
 耳が痛いほどの静けさの中、クドの独白だけが舞い散っていく。
「本当だったら、遊んでなんかなく、その時間を勉強に回すぐらい努力が必要だとは思います。夢を掴むためには、多少の犠牲など苦にしない覚悟が必要なのも知っています。幼い頃、お母さん達が島民の一部分から反対されながらも、自分達の計画を押し通したように」
 想い馳せるのは、過去の光景。
 憧れと羨望を抱いた母親の背中と、逃げる道しか選べなかったクド。
 今も疼く、苦い味。
「だけど弱い私はそれをできそうもありません。でも、逃げることは止めました」
 苦味を受け入れ、過去から現在へと繋がる想い。
「弱いままでも良い。辛くても、挫けそうでも、泣いたって、立ち止まらなければ、いつか見える日が来ると私は信じています」
 想いの歩みは、現在から未来へ。
「だからお母さん――私は“今”という日々を捨てずに、明日を生きていこうと思います。未来の自分が、胸を張れるように」
 ――私はこすもふーとなーを目指します。ですが……どういった道をたどるかは、今は答えれません。
 いつかの日の誓いの言葉。
 そのまま月日は流れ、今に至るまで明確に答えられなかったクドが出した、想いの結晶。到達点こそ同じなれど、母親とは違う道程に進むと決めた、クドだけの答えを宣言してみせたのだ。
「これが私の答えです。やっぱり呆れられそうですが、こればっかりは譲れそうもありません」
 強い口調に迷いはなく、ただ真っ直ぐな気概を体言するクド。
「こんな馬鹿な娘を見守ってくれとは言えません。見届けてくれさえすればいいです。私が望み、私が選んだ夢に向う歩みを」
 故人からの返事など当然のようになく、闇の沈黙だけが降り注ぐ。それでもクドは満足したのか頷き、一度だけプレート部分を親指で擦ると、大事な宝物を扱うように小包に仕舞っていく。
「さて、寝ますですっ」
 時間は昨夜と同じ二時前。今日の授業中は危うく居眠りしそうになった自分を思い出したクドは、足音を殺してベッドの方角へ。もちろん自分のベッドではなく、すやすやと眠る佳奈多のベッドに潜り込む。今日は許可済みだから、怒られる心配など皆無なのだ。
「お邪魔しますです〜……ふぅ、ちょっとスッキリしたせいか、妙に目が冴えてしまっているです。寝れるといいのですが」
 その心配も杞憂に終わりそうだった。疲れていた身体はベッドの柔らかいクッションと、密着した佳奈多の二の腕から伝わる人肌に包まれて、急速に意識に霞がかかってきていた。
「おやすみなさいなのです……」
 クドは自ら意識を手離し、本格的に眠りの世界へ身を投じようとしたときに、
 ――勝手にしなさい、馬鹿な子。
「えっ」
 懐かしい声が聞こえた気がするクド。唐突に届いたその声音と物言いは、あまりにも自分が憧れた人物に酷似していて、心臓が暴れ馬の如く跳ね上がっている。まさかと身を起こした横では、
「だから……あんたは馬鹿って言われるのよぉ……はるかぁ」
 寝言を呟く佳奈多。どんな夢を見ているのか判断つかないが、最低でも妹の葉留佳が登場しているのか確実なようだ。
「……」
 一回だけ深呼吸した後に、再び身をベッドに投げるクド。あれだけ暴れていた鼓動は平常に落ち着き、奥底から抗いたい眠気が襲い掛かってくる。抵抗する必要もなく、降服宣言し投降していく。
 頭の片隅で先ほどの現象をクドはあっさりと片付けた。
 寝惚けた意識が佳奈多の寝言を錯覚したのかもしれないし、例え佳奈多の声が、不思議な声と全然違うと判っていても、自分がするべきことは変わらないから。
「……勝手にさせてもらうのです」
 幻聴に対する返答。
 それだけを残し、クドは眠りの世界に誘われていった。


 こうして一日が終わる。
 これはどうってことのない日々の物語。
 昨日も、今日も、明日も、そのまた先も、当たり前のように続いていく日常の。
 そのどうってことのない毎日を、胸を張り、夢を目指し歩む少女の、お話。
 いつか辿り着くその日までを綴った、本当にそれだけの物語だった。




 終幕。













 蛇足

「佳奈多さんは暴君なのです、酷いのですっ!!! 一緒に寝ても良いと仰ったのは佳奈多さんの方からなのに、突然起こされて、また怒られたのです! しかも謝りもせずに、これは来ヶ谷さんのせいねっっ許さない!! などと責任転嫁して最悪なのですっ!!! 許さないのはこっちなのですっ!! こうなったら徹底抗戦なのですっ! 私の本気を思いしやがれっ――なのですっ!!!」
 
 次の日の早朝、クドの咆哮。
 騒がしい日常の始まりだった。





 本当に終わりなのですっ!








 あとがき
 
 主催者であられる幹事男さんの日記見た時点で、完成してなくて焦りましたが、なんとか間に合ったかな?汗
 っというわけで、懲りず、めげず、二作目を投下しますー。もうすでにお祭り終了な気配がプンプンしてますけどっ!
 では簡単に作品解説〜。テーマは歌詞とかタイトルから引用。




 気付けばいつか 見えるはずさ どんな一歩も 君になっていく
 大切な今 日々の中で ただ胸張って 『歩み』続けよう
 

 これが重点に置かれたテーマ。後はチョロチョロ適等に歌詞から頂いています。  まぁなんですか……日常を遊びつつも、夢に掴み取ろうと頑張ってるクドは可愛くて、カッコイイヨネ! と話。
 今回は前作で頂いた指摘部分とかを悩んだ結果、こっちの文体の方がいいかな?と考え、こっちにシフト。結構久々に書いた文体なので自分では違和感バリバリだったのだけど。
 言い回しや、比喩、テンポ、その他モロモロを修正したつもりだけど、直ってなかったらすみません。元からの文章に普段より意識しただけなので、大元の下手さは変わりませんからorz一日二日で身につくもんじゃないし、この辺は気長にやっていくしかないですしねー。
 これから参加者の皆さんの作品に感想つけていきまーす。閉幕まであまりにも時間がなかったから、感想つける余裕がありませんでした。遅くなってすいません。
 この作品で、少しより前作超える感想頂けたら嬉っしいすねー。これだけダイレクトに同じ書き手から感想貰った事ないから、新鮮だし、参考にもなるし、本当に嬉しかったです。
 ではでは、こんな感じで終了しまーす。
 あ、最後にこれだけ言わせて。
 GWに休みがないってどういうことなんだ――っ!!!!
 

 ここまでお読み頂きありがとうございました(平伏