
21日目 2011.8.6 吉田・御油・赤坂宿へ (二川駅→名電赤坂駅)
自分たちに言い聞かせるように「昨年ほどの猛暑ではない!」と話しつつ二川駅前を出発した。確かに昨年ほどではないかもしれないが8月はやはり暑い。午前中は雨が降った影響で幾分涼しかったものの、午後は天気が回復しかなりの暑さで、「暑い暑い」と呪文を唱えるように連発しながら赤坂宿まで到達した。
ルート上は、都市化が進んだ場所が多く、比較的変化に乏しいコースであったが、途中の御油宿ではちょうど「御油夏祭り」が開催されていて、関東ではあまり見ることの出来ない手筒花火など花火を中心としたお祭りの一端を木間見ることが出来た。無理して8月に出かけて良かった。調べてみるとその歴史や規模などはかなりのもののようである。改めて時間を作り見に来てみたいものだ。
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【道標】 今回のスタート地点二川駅から西へ少し進むと、「右東海道 伊良胡阿志両神社」と記された道標がある。ここから旧東海道は右に折れ坂道を登って行く事になる。 |
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【豊橋鉄道軌道線】 二川側から4〜5キロ位歩くと旧東海道は国道1号線と合流する。しばらくは我慢して大通りの歩道を淡々と歩くことになるが、豊橋の中心街近くの東八町まで来ると路面電車見ることが出来る。すぐ先で旧東海道は横道にそれてしまうが、軌道は国道1号を豊橋駅方面へ続く。 |
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【東惣門】 旧東海道は豊橋(旧吉田宿)の中心街では城下町特有で何度か折れ曲がりながら進むことになる。ちょうどこの東惣門の先から国道1号を離れ横道にそれる。 東惣門については説明版に以下のように記されている。「東惣門は鍛冶町の東側に位置する下モ町の吉田城惣堀西で東海道にまたがって南向きに建てられていました。」以下省略。 |
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【吉田宿本陣跡】 すっかり変わってしまっているが、曲がりくねった東海道は変わらない。いくつかの角を曲がって城下を進んだと所の今は鰻屋さんとなっている場所に本陣跡の碑が建っている。 |
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【豊橋】 豊橋市の市名の由来となっている豊川にかかる豊橋。江戸時代は幕府が管理する直轄の橋だったとの事。 橋を渡った先で東海道は左折し、静かな住宅地を進むことになる。 |
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【山本太鼓店・伊奈一里塚跡碑】 古い住宅地を進む。飯田線の踏切を渡ってしばらく進むと、山本太鼓店がある。店の前には伊奈一里塚跡の石碑が建っている。日本橋から75里にあたる。(石碑は山本太鼓店の看板の下に見える) |
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【山本太鼓店内部】 大きな太鼓が置かれている。写真では大きさが分かりにくいですが、圧倒される大きさです。人間を立たせると大きさがわかりやすかったですね。 |
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【御油宿・音羽川】 御油宿は小さな宿場で、普段は静かと想像出来るが、今日はお祭りのようでいたるところで準備が行われている。仕掛け花火を準備している。 |
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【御油宿】 お神輿がいくつも出ておりにぎやかな様子。お神輿はよく見ると手筒花火のようである。白馬を模したものや普通のお神輿もあり、山車もあるようで、この後の夜に向けて盛り上がりが容易に想像が出来、非常に興味をそそられたが、今日は先に進むしかない。 |
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【御油の松並木】 御油の宿場を過ぎると元の静かな東海道となる。舗装をしている点を除けば江戸時代の東海道松並木の雰囲気をよく残しているのではと思う。 |
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【赤坂宿・東見附】 御油宿と赤坂宿は2キロ足らず距離で非常に近い。松並木を過ぎるとあっという間に到達してします。江戸時代はその距離の近さから宿泊客の奪い合いが激しかったというのも良く分かります。宿場の規模も比較的小さくこじんまりとしています。 しばらく進んだ赤坂宿の中心と思われる場所に休憩スペースがあり、本日はここで終了とした。二川から約20キロで真夏の炎天下としては十分だったように思います。 |