逆裁版 『黄泉がえり』 (3)


   12月15日 午後2時16分 地方検察局 第1会議室

 思ったよりも広いその会議室には、長机が均等に並べられており、その上に様々な資料が用意されていた。正面のホワイトボードにも、赤青黄と色とりどりのマグネットで資料が貼り付けられている。御剣がよほど熱心に調査していたことが伺える。
「本当に黄泉がえりの謎が解けたのか?」
 会議室の扉を開けると同時に、僕は御剣を問いつめた。
「まだ確実ではないが、かなり有力な手がかりにはなるはずだ」
 御剣は一枚の資料を取り出して、僕に差し出す。渡された資料には、『黄泉がえり世帯 分布図』と丁寧な文字で書かれていた。
「糸鋸刑事が必死になって見つけてきた資料だ。赤い点が黄泉がえった世帯を表している」
 思った以上に赤い点が打ってあるということは、それだけ黄泉がえった人たちが多いということを示しているのだろう。
 この中には、千尋さんや舞子さんは勿論、藤見野さんらや町尾さんなど、僕が聞く限りの人たちも入っている。でも、そんな数人なんて、この赤い点の集合体のほんの一握りでしかない。僕らが見てきた世界がいかに狭かったかを痛感しそうである。
「この地域に注目してほしい。ある一点を中心に、そこから円をを作るかのように広がっているのがわかるはずだ」
 御剣の言われるがままに地図をよくよく見てみると、確かにある一点に赤い点が多く集中し、そこから少しずつ離れていくにつれて、円を描きながら分散するような広がり方をしている。たとえるなら、ちょうど切り株の年輪のような感じだ。
「そして、この円の中心地。ここがどこか、お前にはわかるだろう?」
「ここは・・・倉院の里?」
 倉院の里・・・真宵ちゃんや春美ちゃんの故郷である。『霊媒師の谷』と呼ばれるほど霊媒道が栄え、倉院流霊媒道の本家や分家が多数集まっている地だ。
「霊媒道の本家の地ともなれば、死者を祀(まつ)る何かがあるのではないか?」
 御剣が“霊媒”なんて言葉を使うのに、どうも違和感を覚える。あんなに霊媒というものを嫌っていたからな。こんな大規模な黄泉がえり現象が起こって、御剣も霊の存在というものを信じざるを得なくなったみたいだ。
「死者を祀る何かって言われてもな・・・」
「それって、倉院の岩座(いわくら)のことかな?」
 横から真宵ちゃんが出てくる。
 倉院の岩座・・・? そういえば、2年前の事件で倉院の里に行った時にもあった気がする。なんでも『霊魂の宿る岩』ということらしいが、事件に関係しなかったためか、僕の中では影が薄い存在になっていた。
「やっぱりそうか・・・」
 御剣は一人で納得している。事情の全く読めない僕には、それが何となく腹立たしかった。
「どういうことだよ、御剣」
「どうやら、順を追って説明した方が良さそうだな。まず、なぜ死者は黄泉がえったのか。それは、倉院の岩座に宿されているの死者の魂に、黄泉がえるためのエネルギーが生まれたからだ。そして、そのエネルギーの源となったのが、真宵くんや春美くんたちの霊力なのだ」
 御剣は後ろの真宵ちゃんに視線を向ける。
 たしかに、死者を自分の体に乗り移らせて、ある意味死者を黄泉がえらせることが出来る真宵ちゃんたちの霊力なら、そんなことも可能かもしれない。
「つまり、真宵ちゃんたちの霊力が岩座の死者たちに移ったから、人々は黄泉がえった。そのため、真宵ちゃんや春美ちゃんは霊力を失って霊媒が出来なくなり、さらには霊力を持ち得た占い師たちの占いも当たらなくなった・・・」
「可能性としては大いにあり得ることであろう」
 そう考えればたしかに筋は通る。倉院の岩座と聞いた瞬間に、ここまで頭を働かせることの出来る御剣を、少しばかり尊敬してしまう。
「しかし、何が原因でそんな霊力の大移動が起こったんだ? 今までにそんなことは一度も・・・」
 そこまで言って、僕は1つの答えを導いた。
 “まさか”とは思った。だけど、この結論以外の可能性は、今の僕には思いつかなかった。
「地震か・・・・・」
 無言で御剣は頷いた。
 12月の始めに東京を襲った大地震。あれは大惨事を招くものだった。そして、その時を境に真宵ちゃんたちは霊媒が出来なくなった。もしこれが単なる偶然ではなく、黄泉がえりを起こす必然であるならば、この現象を1つに繋ぐことが出来る。
「地震による震動で、真宵くんたちの周りを纏っていた霊力が流れてしまった。その流れ出た霊力が倉院の岩座へと呼び寄せられ、その周辺から次々と死者が黄泉がえった。これが私の出した結論だ」
 謎の多い黄泉がえり現象を解明する1つの糸口。信じられないけれど、思わず信じてしまいたくなる。
 この世には不思議なことがまだまだたくさん眠っている。そう思ってしまう瞬間だった。
「それじゃあ、12月25日にみんなが消えるっていうのは、どういうことなの?」
 珍しく真宵ちゃんが鋭いツッコミを入れてくる。そういえば、そこの謎はまだ分からないままだったな。
「それは・・・」
 御剣は机の上の資料をかき回し、グラフが描かれた1枚の紙をみんなの前に置いた。
 右下に下がっていく青い折れ線グラフと、右上に上がっていく赤い折れ線グラフが、まるでアルファベットの“X”をかたどるかのように交差していた。
「これは、あくまで私の推測でしかない。このグラフも、私の理論に基づいて書いたものだ」
 そう言うと、御剣はグラフの青い一線を指さした。
「まず、右下がりの青いグラフ。これは、死者が黄泉がえったことで減っていった、倉院の岩座の中にある霊魂のおおよその数。死者の数とでも考えてくれればいい」
 今度は人差し指を赤いグラフの方へと滑らせる。
「そして、右上がりの赤いグラフ。これは、現在の人口だ。爆発的に人が黄泉がえったことで、この線は急激に上がっているというわけだ」
「死者と生者の比率を表してるようなものね・・・」
 後ろにいる千尋さんがポツリと漏らす。
 数学とかはよくわからないけれど、黄泉がえり現象で死者が減って生者が増えたってことぐらいは、そのグラフで大体の見当がついた。
「黄泉がえり現象の起こらなかった今までは、2つのグラフとY軸との交点、簡単に言えばグラフの出発点の2つの点の位置で、死者と生者の人口のバランスは保たれていた」
 グラフの出発点では、赤い点よりも青い点のほうが上にあり、2点の幅はそれなりに離れていた。つまり、“昔は、生者の数よりも死者の数の方がずっと多かった”ということを示している。
「しかし、黄泉がえり現象が起こったことで、両グラフの幅がだんだん狭まっていき、そのバランスが崩れ始めた」
 黄泉がえった人の分だけ、生者が増えて死者が減る。2本のグラフの接近は、その現象で引き起こされる当然の結果なのだろう。
 御剣の指はさらに紙を滑っていき、そのXをかたどったグラフの中心点ともいうべき、2本のグラフの交点を指した。
「そして、ついにはこの交点から後で死者と生者の人口が完全に“逆転”してしまう。ここまで来てしまったら、今まで保ってきた生者と死者のバランスは完全に崩れてしまう。それはすなわち、生態系の崩壊、もっと言ってしまえば地球の崩壊に値するのだ」
 逆転・・・僕は法廷で何度もこの言葉に助けられてきた。でも、今は僕たちの生命さえも脅かすものに豹変してしまっていた。
「12月に小地震が立て続けに起こった。もしも、それが前兆を物語ってるのだとすれば、地球の崩壊も十分にあり得る。きっとあの辺りからバランスが崩れ始めたんだ」
「そ、それじゃあ、地球はなくなっちゃうの!? あたしたちはどうなるの!?」
 真宵ちゃんも明らかに動揺している。
 黄泉がえり現象を解明していたつもりが、いつの間にかとんでもない展開に流されてしまっている。僕の心だって決して穏やかじゃない。
 だけど、不思議と御剣は落ち着いていた。
「人間には防衛本能があり、それは無意識のうちに行われていることが多い。暑いときは汗をかいて体を冷まそうとし、寒いときは鳥肌を立たせて熱を逃げないようにする。それと同じだ。自らの崩壊を防ぐために、地球は自然に防衛措置をとる手段に出たのだ」
「防衛措置・・・?」
「それが、12月25日の大地震なのだ。このグラフが交わり、死者と生者のバランスが完全に崩れるのが、計算からいけばその12月25日。地球がその日に大地震を起こすことで、黄泉がえった人々の霊力を振動で再び放出させ、その霊魂を倉院の岩座に戻そうとしているのだ」
 12月初めの地震によって霊媒師たちの霊力が流れ、倉院の岩座の中の霊魂に乗り移る。
 それによって次々と死者が黄泉がえるが、その急激な人口爆発が、今までのバランスを崩してしまう。
 そして、それに悲鳴を上げた地球が、自ら防衛本能を働かせて、12月25日にもう一度地震を起こし、黄泉がえった人たちの霊魂を流して岩座へと戻そうとする。
 こんなことは、普通じゃ考えられない。あまりに現実を飛び越えている。でも、黄泉がえり現象が起こってしまった今、御剣の考えはどれもが正しく思えてしまう。

「コーヒーの闇に溺れるのが嫌なら、それを飲み干せばいい。ただ、それだけなんだよ」

 理解不能な言葉とコーヒーの香ばしい匂いを漂わせながら、思いも寄らない男が現れた。
「神乃木さん・・・。どうしてここに?」
 ゴドー検事改め、神乃木荘龍。1年前に検事として僕と対決し、葉桜院で起こした事件の罪で、現在は服役中のはずだった。
「この黄泉がえり現象には興味があってな。無理言って仮出所させてもらったのさ。お陰で確信したぜ。あんたらの言うとおり、12月25日に大地震が確実に起こる、ってな」
「どうして、それがわかるんですか?」
「クッ、俺は視力を奪われたと同時に、視覚を除く四感が敏感に反応するようになっちまったんだぜ。それで気づいたのさ。立て続けに起こった地震によって、地盤の変動に異変が生じていることにな。地球が闇に染まりかけている証拠さ。チヒロだってそう感じてたんだろ?」
 千尋さんは真剣な表情で頷いた。
「おそらく、黄泉がえった人たちはみんな、心のどこかで気付いてるはずよ。人によって、個人差はあると思うけどね。私だって認めたくはないし、みんなとずっと現世にいたいけど、12月25日の大地震からはもう逃げられないの」
 これから大地震が現実になろうとしている。
 予言なんてものは信じてこなかった方だけど、今回ばかりは信じなくてはいけないだろう。予言がはずれたとき、それは地球の破壊を意味しているのだから。
 タイムリミットは、刻一刻と迫っていく。



   12月25日 午後5時27分 河川敷

 すっかり日は落ちてしまい、自分の体は闇に覆われてしまう。
 テレビで聞いた話によれば、今日は黄泉がえった人々が、再び死者に戻る日なんだそうだ。
 でも、そんなことは関係ない。結局、私の元にパパは返ってこなかったのだから。
 未だに痛む足を引きずりながら、私は自分の居場所を探し続ける。今日はクリスマスだけれど、もうそんな慣習も忘れかけていた。パパはいつも忙しくて、クリスマスなんてまともに祝ったことはなかった。クリスマスツリーも、最後に家で見たのは何年前か覚えてない。
 私のクリスマスは、いつもひとりぼっちだった・・・
「メリークリスマス・・・か」
 独り言のように呟く。こんな時間、河川敷をうろつくような人はいない。この時期にこの場所で、その言葉は私に重くのしかかった。空しくなるだけだ。
 早く時間が過ぎればいい、クリスマスなんて来なければいい、今の私はそう思っていたに違いない――

「メリークリスマス、メイ」

 ずっと昔に何度も聞いたその声が、私の言葉をこだまするかのように、後ろから返ってきたのを聞くまでは。
「どうして・・・」
 私は尋ねた。振り帰って、真剣な眼差しでその人物と目線を合わせる。待ち続けても待ち続けても現れてはくれなかったパパ、狩魔豪に。
「どうして出てきてくれなかったの。何で・・・」
「お前に合わせる顔がなかった・・・とでも言えば満足か?」
 パパの方も少し気まずそうな表情をしていた。だけど、パパに同情できるほどの余裕はなく、私はこれまでの思いを容赦なくぶちまけた。
「満足するわけないじゃない! 私がどれだけ待ち続けたと思ってるの!? ずっと待っていたのに、こんなギリギリになって会いに来て・・・。これだったら、ひとりぼっちの方がまだマシよ!!」
 ムチを投げつけて、私は一心不乱にパパの元から逃げた。
 どうして・・・? ずっと私は待ち続けていたのに、どうして私は逃げなくちゃいけないの・・・?
 自分でも分からない。少しでもパパの傍にいたいはずなのに、体は自然と離れてしまう。単なる強がりだとわかっていても、私の足は止まらなかった。
 だけど、私の強がりはそう続かず、怪我の痛みで足がふらついてしまい、そのまま草むらに倒れ込んだ。
「メイ・・・」
 ムチを持ったパパは、私の方まで近寄ってくる。嫌だ・・・。来ないで・・・。体が自然とパパを拒絶していて、気がついた時には体をすくめて震えてしまっていた。
「すまなかった・・・。メイがこんなになってしまったのも、全て我輩の責任だ」
 パパは私のそばにしゃがみ込んだ。嫌だというよりも、少し恥ずかしくなって、私はパパから目をそらした。
「“狩魔はカンペキを持って良しとする”、小さい頃からずっとお前に教え込んできた言葉だ」
 パパの言葉に静かに頷いた。子どもの頃のその記憶だけが、沸々と脳内にわき起こる。
「パパは天才だった。だから、私はずっと追い求めた。パパのようなカンペキな経歴を・・・」
「だが、我輩の経歴は一瞬にして崩されてしまった。一人の男によって」
 パパはDL6号事件で、自分の経歴を崩した御剣信を殺害した。私が築き上げてきたものに割り込むように、その重荷が強くのしかかっていた。
「死刑判決を受け、我輩は一度は死んだ身になった。その時に初めて悟った。この世にカンペキなものなど有りはしないのだと。我輩がしたことは、自分の誇りを守るための自己満足でしかなかったのだと」
「そんなの・・・ウソよ。この世にカンペキなものが無いなんて」
 うすうすは気付いていた。でも、認めたくなかった。
 私の今まで追い求めてきたものが無くなってしまい、自分の無能さに気付くことが怖かった。
 だけど、そんな言い逃れは全て消えてしまった。求めるものの無くなった私は、これからどうすればいいのか分からなくなってしまった。
「全ては、それを教え込んだ我輩の責任だ・・・。お前の19年間を、全て台無しにしてしまった」
 パパの声は震えていた。私の精神的な苦痛に対して責任を感じ、やり場のない後悔の念を自分に向けているのだ。天才と称されたパパがとても小さく見えた。
 その時に私は気付いてしまった。誰もがみんな弱いんだということに・・・
 思わず、私は笑っていた。そして、うずくまるパパの肩を優しく叩いた。
「パパに責任なんて無いわ」
「し、しかし・・・。お前はカンペキなものを求めて・・・」
 パパが全てを言い終わる前に、私は首を横に振った。
「私、気付いたの。きっと、私が本当に手に入れたかったのは“強さ”だったのよ。誰もが弱いということにもわからずに、ただ自分が強くなるための何かが欲しかった。それが、カンペキな才能という間違った道だった。それだけだったのよ」
「驚いたな。お前ほどの人間が、自分のことを弱いなどとは・・・」
「今まで認めたくなかったんだと思う。でも、本当の私は、ムチを身につけなきゃ強気でいることの出来ないほど弱い人間だった」
 2年前、私は華宮霧緒という女性を相手にした。その人は、自分の心の拠り所となる人物を探して、その人に異常なまでに依存するという病気にかかっていた。最初は変わった人だと思っていたけれど、どこか私に似た部分があったのかもしれない。
 彼女と同じように心の弱い人間だから、私もパパに依存していた。
 空港でレイジに言われて、初めてそのことに気付かされた。
 それは、やっぱり真実だったのだ。今の私はとても心が弱い。ムチを手放しただけでも、こんなに体が震えてしまう。
「ほれ。これがないと検事としてやっていけないだろ」
 まるで私の心を読んでいたかのように、パパは私にムチを手渡した。
「ありがとう」
 自分の弱さの象徴ともいうべきそのムチを、私は素直に受け取った。
 今まで私は、自分の弱さを隠していた。自分の弱さに気付いて、それを隠さず見せることが、こんなに楽だなんて知らなかった。
 さっきまでの私は、パパに弱い自分を隠そうと必死だった。でも、今だったら、私の全てをパパに見せることが出来る。カンペキを失った私でも、生まれ変わることが出来る。
 パパが黄泉がえらなければ、私は一生変わることはなかったかもしれない。私は精一杯の感謝の気持ちを込めて言った。
「おかえりなさい、パパ・・・」
 これが私の本当の気持ち。パパはその意味を悟ったのか、少しだけど私にほほえんでくれた。
 ふと、クリスマスの夕空に目を向ける。いつものクリスマスよりも、星が輝いて見えた。



   同日 午後6時 タチミサーカス テント内

「レディース アンド ジェントルメン!」

 おなじみの挨拶が、テント内に高々と響きわたる。ステージの中央に派手な服を平気で着こなしたピエロが登場した。
「クリスマスのご多忙な中、こんなチンケなショーにお集まり頂き、アリが10匹ありがとうな〜んて、あひゃあひゃあひゃひゃ・・・・・」
 盛り上がっていた空気が一瞬にして静まる。その言葉を放ったピエロのトミーも、沈黙の空気に危うく飲まれかかってしまっていた。
「えー・・・・・冗談はこれぐらいにして、今日はスペシャルゲストをお呼びしましょう。黄泉がえりによって復活を果たした我らが団長、立見七百人でぇす!!」
 ステージの入り口の周りから白煙が吹き出し、黒の燕尾服に身を包んだ初老の男性が姿を現した。その演出に観客は大きな拍手を送る。
 男性は一度咳払いをして、トミーからマイクをもらった。
『本日はこのタチミサーカス・クリスマスショーにお越しいただきまして、誠にありがとうございます』
 彼はシルクハットを脱いで、観客に対して律儀にお辞儀をすると、マイクを持ち直した。
『先ほどの説明にもあったように、私は黄泉がえりによってこの地に舞い降りました。しかし、この不思議な現象も長くは続かないようで、私は今日、また冥界へと戻らなくてはいけません』
 観客の中には“行かないでくれ!”“ずっとサーカスやってよ!”と、哀しみに満ちた叫びを送る者もいた。
 ステージの団長も少し表情を暗くしたが、声援が止むのを見計らって再び口を開いた。
『私だって出来れば戻りたくありませんが、これは仕方のないことです。だからこそ、私は最後にお客さまの笑顔が見たい。団員たちも、今日のために必死に頑張ってきたのです。どうか皆さん、私のためにも今日は存分に楽しんで下さい。それでは、ショーの幕開けです!』
 彼の言葉を合図に、盛大な花火がうち上がった。

「いよいよ始まるッスね。サーカス」
「そうですね」
 軽快な音楽にノッてきたマコとは対照的に、うっすらと笑みを浮かべるだけの男。この男も黄泉がえりによって現世に戻ってきた警官、町尾守である。
「町尾さん、どうかしたッスか? こう言っちゃなんなんスが、あまり楽しそうに見えないッス・・・」
「え、いや、サーカスは楽しみですよ。ただ、こうやって現世にいられるのも今日限りなんだって思うと寂しくて・・・」
 町尾は座席からバッグを引っ張ってきて、その中からバナナを想像するほどの真っ黄色なグローブを取り出した。
「せっかくマコちゃんから貰ったのに、まだこのグローブを使ってないことが悔しいんだ・・・」
 そのグローブは、2年前にマコが町尾にプレゼントしたものだ。2年も経っているのに、汚れやくすみが全く見あたらず、それどころか顔が写りそうなほどピカピカに磨かれていた。
 マコはそんなグローブを見て、思わず笑みを浮かべる。
「そんなの気にすること無いッス。自分は、町尾さんがそれを持っていてくれるだけで幸せッス!」
「マコちゃん・・・」
 町尾もマコの気持ちに答えるように笑い返した。
 そんな二人の会話に聞き耳を立てながら、何度もため息をつく男がいる。イトノコ刑事である。
 なけなしの金をはたいてでも、クリスマスに須々木マコを食事に誘おうとしたが、予定が入っていると断られてから、気になって尾行しに来たのだ。刑事という立場上、最初は気が引けていて、今こうやって二人の仲を見ていると、来なければ良かったとずっと後悔している。
 そんな三角関係の渦巻く観客席など露知らず、ショーは始まっていった。



   同日 午後8時22分 地方検察局

「そろそろ時間だな・・・」
 親父はそっと自分の腕時計に目をやった。私もつられて時刻を確かめる。
 3年前の失踪や、2年前のメイとの空港でのやりとり。私は何度か“別れ”というものを経験してきたつもりだった。
 しかし、今回の相手は冥界の住人である親父だ。こんな奇跡のような現象でも起こらない限り、二度と会うこともない。だからこそ、この別れは今まで以上に辛く寂しいものだった。
「本当に行ってしまうんですか・・・」
「私だって怜侍のもとに残りたい。しかし、もうこれは決められたことなんだ。誰の力でも止めることは出来ない」
 逆らえば地球の全てが失われる。親父はいわば、それを食い止める勇敢な戦士といったところなのだろうか。
「お前と一緒にいることができて本当に楽しかった。それだけでもう十分だよ」
 その言葉を聞いた瞬間、この数週間の親父との出来事が走馬燈のように駆けめぐる。
 再会した後のこの数週間の日常は、本当に楽しかった。メイとの一件もあってか、私たちは二十年ぶりの親子水入らずを味わうことが出来た。
 それだけに、今の運命をこれほどまでに恨めしく思ったことはなかった。
「私は一人で狩魔と戦ってきたが、お前には仲間がいる。仲間がいれば、どんな敵にも打ち勝つことが出来る。私がいなくなっても、お前ならやっていけるさ」
「だが、私は・・・親父にもここにいてもらいたい。そんなワガママも聞いてはくれないのか」
 我ながら、まるで物をねだる駄々っ子のような言い分だ。だが、これが私の心の底から溢れ出る気持ち。
 たとえ私にはみんながいたとしても、親父はまた一人きりになってしまう。それを想像することが、私は何よりも辛かった。
 それを察したのか、親父は私の肩の上に右手を優しく置いた。
「私は一人でも大丈夫だ。だから、お前だけは精一杯生きてくれ。それが弁護士の人生だろうが、検事の人生だろうが関係ない。死んでしまった私の分まで、お前の好きなように生きてほしいんだ」
 親父は私にそう微笑んで慰めようとする。しかし、私は親父の発した“死”の単語が、妙に重く感じられた。
 私は意を決して尋ねることにした。
「親父、最後に1つだけ聞きたい。親父は・・・自分の運命を悔やんだことがあるのですか?」
「・・・どういうことだ?」
 親父の顔が強ばる。おそらく、うすうすその意味に気付いているのだろう。
「正義のために狩魔豪を告発したつもりが、逆に殺されてしまう。私とまた会えたかと思えば、すぐにまた消えてしまう。そんな運命に逆らいたいと思ったことはないのですか?」
 私は再び問い返した。
 親父は真剣に私の目を見つめて黙り込む。
 その間は時が止まったように感じられた。再び時が戻った瞬間、親父は深くため息をついた。
「運命は変えられないものだ。ましてや、逆らうべきものでもない。ただ、流れるままに流れていくのが一番良い」
 私は黙って親父の話に耳を傾けている。
「お前の質問に合わせるとするなら、“後悔はしていない”と言えばいいのだろうか。私は弁護士だが、正義ではない。みんなと同じただの人間だ。人間らしく生き、人間らしく死ぬ。それだけあれば、後悔の念など生まれはしない」
「殺されたとしても、それは人間らしい死なのですか・・・」
 言葉の1つ1つに注意を払い、必死にしがみついて証言に噛みつく。法廷に立っている時と何ら変わりはない。
 そこで手に入れられるものはたった1つ。自分の求める“真相”なのだ。私はただ、親父の真意を確かめたいから、こうしてここに立っているのだ。
「人間である以上、必ず別れの時期は訪れる。私にとってもお前にとっても、その時期が来るのが少し早かった。それだけのことだ」
 それじゃ私は納得いかない。ならば、なぜ再び親父は黄泉がえったりしたのか。ここに未練があるからこそ、この地に降り立ったからではないのか。
 喉まで出かかったその言葉を押し殺す。少し感情的になりすぎていたようだ。
 親父の口から少しでも後悔していると聞けていたなら、ここまでムキになることもなかっただろう。しかし、親父は後悔していないと言う。これが親父の“真相”だとするならば、私から何か言う筋合いなど無い。
「だが・・・!!」
 何か反論をしたかった。私の納得のいく答えを聞きたかった。
 だけど、そんな子供じみた言い分も、足下の振動で一瞬にして飲み込まれてしまった。
 その振動はものすごいうなりを上げて、全身に揺さぶりをかけてくる。
 
 ・・・来た!!

 そう思うが早いか、私の意識はだんだんと遠のいていった。
「・・・すまない」
 私がの意識がとぎれる前に、親父は一言そう呟いていた。
 きっと、自分の死のせいで地震がトラウマになってしまった私を見て、自虐しているのだ。
 私は一言「大丈夫だ」と言いたかった。でも、それが言葉になることはなかった。
 その揺れはますます勢いを増していく。
 私は床に倒れ込み、視界もどんどんぼやけていく。私の霞んだ視界の中で、親父は足下から霧状の物体となって、私の前から消えていき、そのままどこかに流されてしまった。



   同日 某時刻 タチミサーカス 正門前

「おい、ミカ。どうしたんだよ? サーカスはまだ終わってないぜ」
 俺とミカは、黄泉がえり最後の日の記念としてサーカスのショーを見に来ていた。だけど、ショーの最中に突然、ミカは俺の手を引っ張ってテントを抜け出した。
 俺には何が何だかサッパリわからず、俺に背を向けて空を眺めているミカをただただ見ていた。
「実はね。私、消える前にマサシくんにどうしても言いたいことがあるんだ」
「言いたいこと?」
 彼女はそこで初めて振り向いた。彼女の顔はなんとなく切ないようにも見えた。
「裁判で聞いたんでしょ? 本当の私のこと。それ聞いてガッカリしたんじゃないの?」
 何のことか戸惑いながら、必死で3年前の記憶をたぐり寄せる。
 そういえば・・・あのアウチとかいう検事が言ってたっけな。稼ぎの少ないミカには、お金をくれる“パパ”がいたって。俺にも黙って、ニューヨークに旅行に行ったって・・・
「お、俺は・・・・・別に・・・」
「やっぱり、動揺したんでしょ? 無理もないよね」
 俺は何も言い返せず、動揺を隠すことも出来ない。それが何となく歯がゆかった。
 ミカはそんな俺に何を言うでもなく、コートのポケットから小さな袋を取り出した。
「メリークリスマス、マサシくん」
 彼女の手には、綺麗にラッピングされた細長い小箱が載せられていた。その小箱を受け取り、ミカの許可をもらってリボンをほどいた。その箱の中から現れたのは、豪華な装飾の施された腕時計だった。
 思わぬプレゼントに、俺はどう答えればいいのか分からなかった。
「こ、これは・・・?」
「ニューヨークブランドの腕時計。ニューヨークの旅行で買ったものなんだよ。マサシくんのプレゼントにするつもりだったんだけど、その前に殺されちゃったから渡せなくて・・・」
「これ、高いんだろ・・・・・」
 プレゼントの話をすぐお金に持っていくのは、自分でもどうかと思う。でも、ミカの収入は俺が一番よく知ってる。こんな高いもの買ったら、彼女の生活は苦しくなるに決まってる。
「でも、これは自分の稼ぎで買ったものなの。マサシくんには心配かけさせたくなかったし」
「じゃあ、まさか、パパを作ってた理由ってのは・・・」
「それを買うためにずっと貯金してたんだけど、生活の方にお金が回らなくて、それで・・・」
 ミカはうつむいたまま口ごもってしまった。俺はもう1度、ミカのくれた時計を見つめる。
「プレゼントは確かに嬉しいけどさ。わざわざこんな高いのを買わなくても・・・」
「だって、マサシくんから考える人の時計を貰ったとき、すごい嬉しかったんだよ。だから、どうしてもお礼がしたかったの・・・」
 ミカはさらに顔を下げて、表情を隠そうとする。垂れた髪の間から、真っ赤に染まった彼女の頬がちらっと見えた。
 それを見た瞬間、俺は体の辺りが熱くなってきたのがわかった。全身から火が出るような勢いで照れてしまい、俺もミカの顔をまともに見ることは出来なかった。
「でも、どんな理由であっても、やっぱりいけないことなんだよね。他の人と付き合ってるなんて・・・」
「それでもお前は、俺のことしか見てなかったんだろう?」
 彼女は頬を赤らめて、静かに頷いた。その仕草がまた可愛らしい。俺は思わず、涙を流しながらガッツポーズをしてしまいそうになった。
 このまま時間が止まってしまえばいい、ずっと彼女と一緒にいたい、そう思ってしまっていた。
 だけど、そんな思いは、自分を暗闇の中に引きずり込む邪念でしかなかった。だって、その思いが叶うことはないのだから・・・

「サヨウナラ・・・」

 ミカの言葉を理解しようとする前に、地震のとてつもない揺れが俺たちを襲った。
「ミカァッ!!」
 バランスを崩して倒れそうになるのを必死でこらえながら、俺はミカの方に向かって叫んだ。彼女は俺の目の前で、小さな粒のようなものに分散しているのだから。
「行かないでくれッ!! 俺は・・・ずっとお前にいてほしいんだ!!」
 俺は思わずミカの手を握る。さっきまで確かに触れていたミカの手が、今では掴んでるともわからないような曖昧なものでしかない。
「ゴメンね・・・マサシくん。私もずっとここにいたいけど、それもダメみたい。私・・・消えちゃうよ」
 ミカの頬を一筋の涙が伝う。ミカもやっぱり、あの世に戻りたくないんだ。
「何で・・・何でなんだよ!? 何でミカを連れてかなきゃ行けないんだ! ミカは何も悪いことはしちゃいねえぞォ!!」
 自分でも何を言っているのか分からない。誰に言っているのかも分からない。
 でも、このやり場のない悔しさをどこにぶつけたら良いのか、別れを目の前にした俺に分かるはずがなかった。
「マサシくんに出会ったお陰で、黄泉がえりのひとときを楽しく過ごすことが出来た。マサシくんのことはずっと忘れないよ」
 ミカは満面の笑みを俺に見せつける。
 だけど、そんな仕草の1つ1つにときめく余裕はなかった。ミカの手は、確実にその存在を薄くさせていた。
「アリガトウ・・・」
 その言葉だけを残して、ミカの体はあっという間に消えてしまい、白い霧のようなものになってそのまま夜空に上っていった。まだ温もりの残る、小さなクリスマスプレゼントを残して・・・
 俺はそっと腕時計を手首にかけ、時間を合わせた。
 時計が動き出した瞬間、それは今までと何も変わらない日常の始まりでもあった。



 その頃、テント内はまさにクライマックスの盛り上がりを見せていた。
 沸き上がる歓声、満ちあふれる熱気、割れんばかりの拍手。観客も団員もその熱に酔いしれていた。
 そんな興奮の渦巻いているステージの中央に、団長が再び姿を現した。
『皆さん、このサーカスもいよいよ終演の時が迫ってきました。そして、それと同時に、私や黄泉がえった観客たちは消えてしまうことだろうと思います』
 いつの間にか、観客のどよめきは一切無くなっていた。
 異様なほどの静寂がテント内を包み込み、ところどころで暗いムードが漂っている。
『雑談になりますが、私は2年前のちょうどこの頃、ある人物によって殺されてしまいました。その人物は、我がサーカス団の団員でした。それがとても残念なことです』
 団長は悲しげな顔を浮かべる。
 サーカスの観客や、ステージの陰から団長を見守っている団員たちも、それにつられて表情が暗くなった。
『だけど、本当に可哀想なのは、その団員の方なのです。幼いときに両親に捨てられ、遠縁である私が引き取って以来、彼は弟と一緒にショーの稽古に一生懸命励んでくれました。私はそれだけで嬉しかったのです』
「アクロに聞かせてやりたかったな・・・この言葉」
 舞台裏で団長の言葉を聞いていたマックスはそう漏らした。他の団員も言葉にこそ出さなかったが、きっと彼と同じ気持ちだったに違いない。
 彼らの頭の中には、大切な人を殺してしまったことに罪悪感を覚えていた、その団員・アクロの流した涙が頭に浮かんでいた。
『しかし、彼に一時の悪が芽生えてしまった。そして、誤って私を殺してしまった。私は決してそのことを恨んでいません。強いてあげるなら、彼に取り憑いた悪を恨みたかった。私が死ななければ・・・、あの世でそんなことを考えていたときもありました』
「違う・・・。パパは悪くないの!! アクロも悪くないの!! みんなミリカが悪いんだよォォ!!」
 舞台裏のミリカが泣きながら団長のもとに駆け寄ろうとしたのを、トミーが押さえつけた。
「いま団長のところに行っても、団長を困らせるだけだよ。それに、ミリカも悪くない。みんな悪くないんだ・・・」
 その言葉にミリカの動きは止まった。
「じゃあ・・・誰が悪いの?」
 ミリカの放った究極の禁句(タブー)に、団員たちは固まってしまった。お互い気まずそうに顔を見合わせながら、必死で答えを探り合おうとしている。
 2年前にサーカスで起こった事件。信じられないほど淡々と事件の種は蒔かれていき、あっという間に事件は起こった。そして、全てのわだかまりを残したまま、事件は解決してしまった。まるで全てが夢であるかのように。
 誰の責任でもない。逆に言えば、誰の責任にもなりうる。
 だからこそ、答えの見えないその事件を、団員たちがどれほど夢と思い続けたかったかは計り知れない。
 いっそう重くなった舞台裏の空気を知ることのないまま、団長の話は続く。
『彼は犯した過ちに苦しみ、法廷ではそんな殺人犯の自分に泣いていたとも聞かされます。私は彼を救いたかっただけなのに、そのせいで事件は起こってしまい、彼を苦しめる結果となってしまった。それだけが、この世を去る時の心残りです』
「彼を救いたかった、ってどういうコトだ?」
 自称テノール歌手、腹話術人形のリロがそう呟いた。他の団員たちも、団長のその一言だけは意味を読み取ることが出来なかった。たった一人を除いて・・・
「団長はきっと、張り紙を剥がしたときに薄々気づいていたんだよ。アクロの仕業だってことに。団長はきっと、アクロにやめてほしかったんだ。娘のミリカちゃんのためにも、アクロのためにも。それであの雪の夜に出向いた団長は・・・」
 言葉を詰まらせた理由は、今にも溢れ出てきそうなトミーの大粒の涙が物語っていた。それを見た団員たちも、かける言葉が出てこなかった。
『彼は帰ってきます。今は意識不明となっている弟と共に、きっとこのサーカスに戻ってきます。だから、これからもタチミ・サーカスをよろしくお願いします』
 団長が大きく礼をすると同時に、観客からはここ一番の拍手が湧き起こった。
 うっすらと浮かんだ涙を拭き取ると、団長は舞台裏の団員たちに目配せを送る。
 団員たちはそれに喜んで答え、重い空気を一掃して、自分たちの準備を整えた。
『それでは、これより大団円です。我がタチミ・サーカス自慢の団員たちを、皆さん、温かく迎えてやって下さい!』
 再び特大の拍手がテント内に響きわたり、それをBGMに団員たちが一斉にステージへと集まった。
 観客と団員は心を一つに繋げて、最高のサーカスを演じることが出来た。
 それは本当に夢のような出来事だった。
 それゆえに、本当に夢のように、終わりが来るは突然だった。

   ―― 地震だァァッ!!

 もはや誰が叫んだのかも分からない。団員たちが地震に気付いたときには、その揺れはすでに会場全体をパニックに陥れていた。
 観客は出入り口の方に殺到する中、団員たちは慌ててステージの中央に駆け込んだ。彼らの向かう先には、既に半分が消えかかっている立見団長の姿があった。
 真っ先に団長の下に駆け寄ったトミーが叫ぶ。
「行かないでください、団長! このサーカスにはあなたが必要なんです!」
「トミー・・・君ならやっていけるさ。このサーカスを世界中に広げて、今日のような観客たちの笑顔を、これからも天の上の私にも見せてくれないか」
 トミーは首がもげんばかりに強く頷いた。
「団長、ずっとここに居てけろぉ! あんたがいねぇと、オラ、何も出来ねえだよぉ!」
 マックスは東北弁丸出しでわめき、動揺を隠せないでいる。
「マックス・・・お前なら何でも出来るさ。娘のことも頼んでいるんだ。お前はこれからサーカスの花形になる男なんだから、しっかりやれよ!」
 止めどなく溢れる涙を抑えることもしないまま、マックスはただ団長を見つめていた。
「おい、ヒゲジジイ!! このまま逃げたら、俺たちはどうすりゃいいかわからないだろ!!」
「あ、あの・・・団長は・・・別に逃げたくて逃げるワケじゃ・・・」
「お前に聞いてねえよ!」
 いつものコントを繰り広げてるようにも見えるが、ベンとリロの顔には焦りが見えてるのがハッキリと分かる。
「ベンとリロ・・・お前たちにも才能はあるんだ。決して諦めることなく、二人で障害を乗り越えていくんだ。それが、お前たちの進むべき道なんだ」
 団長の言葉に、ベンとリロは感動で言葉を失ってしまう。
「パパァッ!! また私はひとりぼっちになっちゃうの? そんなのヤダよ!」
 消えかかってる団長に、ミリカは自分の思いをぶちまけた。
「ミリカ・・・お前にもずいぶんと苦労をかけたな。子供だましかもしれないが、ずっと私は夜空のお星さまとなって、このタチミサーカスを守っていくつもりだ。みんなに心配をかけないようにして、大きく育ってくれ。それが私の一番の願いだ」
「私・・・パパが帰ってくるのを、ずっと待ってるからね!!」
 ミリカのその叫びを聞いた団長は、今まで見せたこともないくらい明るくにこやかに笑った。
 次々と散りつつある彼の身体を団員たちで囲む。
 周りは地震で倒壊していることなど、団員たちにはもはや他人事でしかない。
「パパァッ!!」
 ミリカは団長を食い止めようと抱きつく。
 しかし、それは空振りに終わった。団長の体は霧状の白い粒子へと変わっていき、テントの隙間から吹き込む風によって、暗闇の中へ流されていった。



 テント内の照明や小道具が次々と倒れていき、周りにはほとんど人のいない状態の中、町尾とマコは観客席に立たずんでていた。
 地震の揺れのせいで、彼らの寂しそうな表情も大きくぶれる。
「いよいよお別れなんだね、マコちゃん・・・・・」
「・・・・・そうッスね」
「この世界に長くはいられなかったけど、それでもマコちゃんと一緒にいれて良かったと思う」
 慰めたつもりの言葉でも、マコの耳には届かなかった。
 彼女はただ床の方を凝視し、今にもこぼれてきそうな涙を必死でこらえていた。
「自分はずっと・・・町尾さんに謝りたいと思っていたッス」
 しかし、震える声まで押さえつけることが出来ず、嗚咽を漏らしながら彼女の思いを全てさらけ出した。
「自分はずっと、町尾さんに迷惑をかけてばかりだったッス。夜勤も変わってもらったし、グローブをプレゼントしただけなのに、町尾さんを死なせる羽目になってしまって・・・」
「あれは君のせいじゃないよ。僕はマコちゃんを全然恨んでないよ」
「で、でも・・・町尾さんは、ただ“警官の制服を着ていた”ってだけで殺されてしまったんスよ。自分が公園にさえ呼び出さなきゃ、携帯電話を拾わなきゃ・・・あんなコトにはならなかったはずッス!!」
「マコちゃん・・・」
「自分は・・・どうしようもない堕天使ッス!!」
 生まれたときから積もりに積もった、自分の不幸に対する不満。その火種がここに来て大爆発を起こす。町尾にはもはや手が付けられない状態だった。

「アンタは堕天使なんかじゃないッスゥゥゥッ!!」

 なおも収まらない振動に負けないほど張り上げられた声。それを放ったのは町尾ではなかった。
「い、イトノコ先輩・・・。どうしてここに?」
 悲しみにくれていたマコも、思わず声のする方を振り返って驚いていた。
「そんなことはどうでも良いッス!! 自分は・・・マコくんのそんな姿を見ていられないッスよ!!」
 町尾が消えるまでは出てこないよう心に決めていたイトノコ刑事だったが、二人の辛気くさいムードにどうしても耐えられなくなったのだ。
 “最後ぐらいは笑顔で別れさせてあげたい”。それが、彼がマコにあげることの出来る、最高の幸せなんだと彼は直感していた。だから、彼は後先考えず、とにかく二人の前に飛び出した。
「自分ばっかり責めちゃダメッス。悪いのは・・・えーと・・・世の中ッス!!」
 自分でもむちゃくちゃなことを言っているのは分かっている。だけど、もう引き下がることは出来なかった。彼はとにかく叫び続けた。
「アンタのその強い思いが、この“黄泉がえり”を起こしたんッス。町尾さんにもう一度会いたいって思ったから、彼はこうやって舞い戻ってきた。アンタは十分幸せじゃないッスか!!」
「そ、それは・・・」
「イトノコ刑事の言うとおりだよ。マコちゃんが僕に謝りたいと願っていたから、こうやって黄泉がえることが出来た。君もその願いが叶ったんだから、もう十分じゃないか。マコちゃんは、本当の天使のような存在だよ」
 足下は揺れ続けている。
 しかし、この三人のいる空間だけは、そんな揺れも感じさせないほどの何かが周りを覆っているような感じがした。
 それに合わせて、マコの心も少しずつ開いていくのを、町尾とイトノコ刑事は感じ取った。
「それに、僕はマコちゃんからグローブを貰ったとき、本当に嬉しかったんだよ」
 そう言って、町尾はバッグから再び黄色いグローブを取り出した。
「使えなかったのは残念だけど、これは僕よりも君が持ってる方が相応しいかもしれない」
「え・・・・・?」
 いきなり町尾から手渡されたグローブに、マコは明らかに戸惑っていた。そんなマコに、町尾はにっこりと笑顔を見せる。
「それを僕だと思って大切にとっておいてほしいんだ。今度また黄泉がえったときには、また君のところに改めてプレゼントを貰いに行く。約束する」
 町尾から小指を突き出した手が差し出される。映りの悪いテレビ画面のように、彼の身体は曖昧に揺れ動いていた。
「約束ッスよ。絶対にまた来てもらうッスから」
 精一杯の元気を彼に見せつけて、自分の小指を町尾の小指に絡ませる。
 だが、堅く握り合った指もすぐに感覚を失っていく。
 スパートをかけんばかりに激しく揺れる地震に慌てる暇もなく、最後に見せた町尾のにこやかな笑顔と共に、彼の体は一気に拡散されていった。
 残された二人は、ただそれを呆然と眺めていた。
 その瞬間、マコの目からはずっとこらえていた涙が溢れ出していた。必死でこらえようとグローブを強く抱きしめるが、涙は止めどなく流れていく。
 そんなマコの横から、ハンカチを持った大きな手が出てきた。彼女が振り返ってみると、なるべくマコの泣き顔を見ないよう目をそらすイトノコ刑事の姿があった。
「涙を拭いてここから早く出るッス。アンタが死んだら、町尾さんは悲しむッスよ」
「は、はい・・・・・」
 ハンカチを受け取って涙を拭おうとするが、いっこうに涙は止まらない。
 イトノコ刑事の優しさに触れた瞬間から、涙はいっそう増しているように感じた。
 マコにはもう、何がどうなっているのか頭では考えられなかった。イトノコ刑事も、そんな混乱したマコをじっと見ていることしかできなかった。
 お互いのわだかまりもなくなり、絆の深まった彼らには、もはや言葉すら必要としないのかもしれない。
 地震は収まることを知らず揺れ続けた。それは東京全般を襲う大規模なものであった。






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