阪長さんがブログに記載している自筆プロフィールです。
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阪長 友仁 (さかなが ともひと) 1981年5月26日生まれ 大阪府交野市生まれ 交野小学校、交野第一中学校卒業 A型
野球関係
6歳から野球を始める
高校はなぜか家族から離れ新潟へ。新潟明訓高校で野球部に所属。唯一の新潟県外の選手どころか学校にも新潟県外の生徒はいなかったはず。2年生の春に練習試合で1イニング11失点し投手をクビになり外野手に転向。いまだになぜ新潟にいったのか自分で理解できず、でも運良く3年の夏甲子園出場。甲子園でもまさかのホームランを打ち勝利に貢献してしまう。
高校で野球をやめるつもりやったが思わず大学でも野球をやる。立教大学経済学部でほどほどに勉強しつつ硬式野球部に所属。3年春早大和田投手(現ソフトバンク)から3打席連続3球三振をし右打者をクビになり左打者に転向。4年時は主将を務めた。
大学卒業後、旅行会社JTBに大阪で2年間勤めた。主に修学旅行の営業・段取り・添乗など。しかし若いうちに野球に恩返しをしなくてはと思うようになり辞表を出しスリランカへ。
スリランカでは現地の協力隊員とともに野球ナショナルチームを指導。第8回アジアチャンピオンシップ(パキスタン・イスラマバード)に出場。1勝3敗。(順位は優勝パキスタン、以下、香港・タイ・スリランカ・イラン) 飛行機代捻出が困難なスリランカ選手たちとともにカラチからイスラマバードまで1,000キロ以上の旅を列車・バスの陸路で。おかげで体調を崩し連日の下痢。ひどい時は一日20回。選手もほぼ全員下痢。それでも言い訳を一切しない彼らに心打たれる。
引き続きタイにて野球ナショナルチームと子供たちを指導。約7か月。2006年12月ドーハ・アジア大会(カタール・ドーハ)出場。1勝4敗。(台湾・日本・韓国・中国・タイ・フィリピン)
2007年3月よりアフリカ・ガーナ野球ナショナルチーム監督。週4回のナショナルチーム練習と時間のある時は近くの小学校の野球指導。でも7月に行われるはずだった北京オリンピックアフリカ予選が一向に行われない。そのくせ西アフリカ予選を行うとか言ってきやがる。でもその予選もいっこうに行われない。
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ビザの関係もあって7月末一時日本に帰国の前にやっぱりふらっとスリランカによる。
スリランカではちょうど8月にアジアAAA大会(18歳以下の野球アジア大会)(台湾・台中)が開催されるということでちょうど準備しているところだった。しかし協力隊員は台湾への渡航が不可能なため、指導者がついていけず。頼まれる。行く。
わずか10日の練習もできないくらいで大会に出場。香港戦の奇跡の勝利。でもその後3日連続で15点差以上をつけられる試合になっても最後まであきらめない彼らにまた心うたれる。1勝4敗。(台湾・韓国・日本・タイ・スリランカ・香港)


10月初めガーナに戻り練習再開。突然西アフリカ予選が再開されることに。4チーム中上位2チームが本大会出場。10月末西アフリカ予選(ナイジェリア・イローリン)出場。2勝1敗。予選2位通過。(ナイジェリア・ガーナ・ブルキナファソ・トーゴ)


12月中旬北京オリンピックアフリカ予選が開催されることに。上位1チームが世界最終プレーオフ出場。北京オリンピックアフリカ予選(南アフリカ・ヨハネスブルグ)出場。3勝2敗。3位。予選敗退ながらもガーナ野球史上初のアフリカ大会メダル獲得。(南ア・ナイジェリア・ガーナ・ジンバブエ・レソト・カメルーン)
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