S56.12.16 大法廷・判決 昭和51(オ)395 大阪国際空港夜間飛行禁止等


判例
S56.12.16 大法廷・判決 昭和51(オ)395 大阪国際空港夜間飛行禁止等(第35巻10号1369頁)

判示事項:
一 民事上の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差止めを求める訴えの適否

二 営造物の利用の態様及び程度が一定の限度を超えるために利用者又は第三者に対して危害を生ぜしめる危険性がある場合と国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵

三 国営空港に離着陸する航空機の騒音が一定の程度に達しており空港周辺地域の住民の一部により右騒音を原因とする空港供用の差止請求等の訴訟が提起されているなどの状況のもとに右地域に転入した者が右騒音により被害を受けたとして国に対し慰藉料を請求した場合につき右請求を排斥すべき事由がないとした認定判断に経験則違背等の違法があるとされた事例

四 将来にわたつて継続する不法行為に基づく損害賠償請求権が将来の給付の訴えを提起することのできる請求権としての適格性を有するとされるための要件



要旨:
  一 民事土の請求として一定の時間帯につき航空機の離着陸のためにする国営空港の供用の差止めを求める訴えは、不適法である。

二 営造物の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りはその施設に危害を生ぜしめる危険性がなくても、これを超える利用によつて利用者又は第三者に対して危害を生ぜしめる危険性がある状況にある場合には、そのような利用に供される限りにおいて右営造物につき国家賠償法二条一項にいう設置又は管理の瑕疵があるものというべきである。

三 当該空港に離着陸する航空機の騒音がその頻度及び大きさにおいて一定の程度に達しており、また、空港周辺住民の一部により右騒音を原因とする空港供用差止請求等の訴訟が提起され、主要日刊新聞紙上に当該空港周辺における騒音問題が頻々として報道されていたなど、判示のような状況のもとに空港周辺地域に転入した者が空港の設置・管理者たる国に対し右騒音による被害について慰藉料の支払を求めたのに対し、特段の事情の存在を確定することなく、転入当時右の者は航空機騒音が問題になつている事情ないしは航空機騒音の存在の事実をよく知らなかつたものとし、右請求を排斥すべき理由はないとした原審の認定判断には、経験則違背等の違法がある。

四 現在不法行為が行われており、同一態様の行為が将来も継続することが予想されても、損害賠償請求権の成否及びその額をあらかじめ一義的に明確に認定することができず、具体的に請求権が成立したとされる時点においてはじめてこれを認定することができ、かつ、右権利の成立要件の具備については債権者がこれを立証すべきものと考えられる場合には、かかる将来の損害賠償請求権は、将来の給付の訴えを提起することのできる請求権としての適格性を有しない。



参照・法条:
  民訴法第2編第1章訴,民訴法226条,国家賠償法2条1項,民法709条

内容:
 件名  大阪国際空港夜間飛行禁止等 (最高裁判所 昭和51(オ)395 大法廷・判決 破棄自判破棄差戻棄却)
 原審  S50.11.27 大阪高等裁判所


主    文

     一 原判決中別紙当事者目録記載の番号1ないし239の被上告人らの大阪国際空港の供用の差止請求に関する部分を破棄し、第一審判決中右請求に関する部分を取り消す。
     右被上告人らの右請求にかかる訴えを却下する。
     二 原判決中前項掲記の被上告人らの同項の差止請求に関する弁護士費用にかかる損害の賠償請求を認容した部分を破棄し、第一審判決中右賠償請求を認容した部分を取り消す。
     右取消部分に関する右被上告人らの請求を棄却する。
     右損害賠償請求に関する右被上告人らの控訴を棄却する。
     三 原判決中第一項掲記の被上告人らの昭和五〇年六月一日以降に生ずべき損害の賠償請求を認容した部分を破棄し、右部分につき第一審判決を取り消す。
     右被上告人らの右取消部分の請求にかかる訴えを却下する。
     四 原判決中被上告人近藤嶋恵の前二項の損害を除くその余の損害の賠償請求を認容した部分及び被上告人常洋子の損害の賠償請求を認容した部分を破棄し、右各部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。
     五 上告人のその余の上告を棄却する。
     六 第一項ないし第三項に関する訴訟の総費用は第一項掲記の被上告人らの負担とし、前項に関する上告費用は上告人の負担とする。
         
理    由

 本件の上告理由は、被上告人らの本件空港の供用の差止請求並びに過去及び将来の損害賠償の各請求につき原判決が認容した部分のすべてについての多岐にわたる論点を含み、必ずしも上告理由の順序に従つて判断することを適当としないので、以下においては、差止請求に関するもの、過去の損害の賠償請求に関するもの及び将来の損害の賠償請求に関するものに大別し、それぞれにつき適宜の順序に従つて順次判断を示すこととする。
〔差止請求に関する判断〕
 上告代理人貞家克己、同近藤浩武、同仙田富士夫、同畦地靖郎、同高橋欣一、同岡準三、同中尾岩雄、同山下博、同井下登喜男、同石野康太郎、同西村泰彦、同髭田勝見、同林直彦の上告理由第一点について
 所論は、要するに、本件訴えのうち、被上告人らが大阪国際空港(以下「本件空港」という。)の供用に伴い航空機の発する騒音等により身体的・精神的被害、生活妨害等の損害を被つているとし人格権又は環境権に基づく妨害排除又は妨害予防の民事上の請求として一定の時間帯につき本件空港を航空機の離着陸に使用させることの差止めを請求する部分は、その実質において、公権力の行使に関する不服を内容とし、結局において運輸大臣の有する行政権限の発動、行使の義務づけを訴求するものにほかならないから、民事裁判事項には属しないものであり、また、本件空港に離着陸する航空機の騒音等のもたらす被害対策としてはいくつかの方法があつて、そのいずれを採択し実施するかは運輸大臣の裁量に委ねられている事項であるにもかかわらず、そのうちの一方法にすぎない一定の時間帯における空港の供用停止という特定の行政権限の行使を求めるものである点において、行政庁の行使すべき第一次的判断権を侵犯し、三権分立の原則に反するものというべきであるから、右請求を適法として本案について審理判断した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある、というのである。
 そこで、本件空港を航空機の離着陸のために供用する行為ないし作用の法律的性質、周辺住民である被上告人らから一定の時間帯における供用の差止めを求めることが民事上の請求として許されるかどうかについて、以下に検討する。
本件空港は、昭和三四年七月三日空港整備法二条一項一号にいう第一種空港として指定された公共用飛行場であつて、国際航空路線及び主要な国内航空路線の用に供されているわが国の代表的な国営空港の一つである。そしてまた、それがいわゆる国の営造物にあたることは、原審の判示するとおりである。
ところで、一般に、営造物の管理権は、営造物を公共の用に供するために法律上認められる特殊の包括的な管理権能であると解されるから、同種の私的施設の所有権に基づく管理権能、すなわち単に物を財産的価値の客体として管理する権能と全く同一のものであるとはいえない。しかし、営造物管理権の本体をなすものは、公権力の行使をその本質的内容としない非権力的な権能であつて、同種の私的施設の所有権に基づく管理権能とその本質において特に異なるところはない。国の営造物である本件空港の管理に関する事項のうちに、その目的の公共性に由来する多少の修正をみることがあるのは別として、私営の飛行場の場合におけると同じく、私法的規制に親しむものがあることは、否定しえないところである。
しかしながら、本件空港の管理といつても、その作用の内容には種々のものがあり、その法律的性質が一律一様であると速断することはできない。のみならず、空港については、その運営に深いかかわりあいを持つ事象として、航空行政権、すなわち航空法その他航空行政に関する法令の規定に基づき運輸大臣に付与された航空行政上の権限で公権力の行使を本質的内容とするものの行使ないし作用の問題があり、これと空港ないし飛行場の管理権の行使ないし作用とが法律上どのような位置、関係に立つのかが更に検討されなければならない。
まず、公共用飛行場のうち、本件空港を含む国営空港及び新東京国際空港を除く飛行場の場合においては、その管理権は当該飛行場を設置し管理する個人、法人又は地方公共団体に、航空行政権は運輸大臣に帰属していて(運輸省設置法参照)、それぞれ異なる主体によつて行使されることとなつており、特に後者の権限の行使の方法、態様は航空法その他の法規に明らかにされているから、両者の位置、関係について法律上疑義を生ずるおそれは少ない。
これに対して、本件空港の場合にあつては、その設置・管理者は、同時に航空行政権の主管者でもある運輸大臣であるところ(空港整備法二条一項一号、三条一項、同法施行令一条一項参照)、このように空港管理権と航空行政権とが同一機関に帰属せしめられている場合に両者がどのような位置、関係において行使され、実現されるのかは、法令の規定上必ずしも明らかではない。この点については、航空法五五条の二、三八条三項、三九条二項及び四〇条の規定により所定の手続を経て国営空港の設置を決定すること、同法一〇〇条、一〇一条及び一二一条の規定により航空運送事業を経営しようとする者に対し事業計画等を審査したうえ免許を与えること、同法一〇八条二項及び一二二条一項の規定により航空運送事業者に対し事業計画に従い業務を行うべきことを命ずること、同法一〇九条及び一二二条一項の規定により事業計画の変更を認可すること、同法一一二条及び一二二条一項の規定により航空運送事業者に対し事業計画の変更等事業改善を命ずること、公共用飛行場周辺における航空機騒音による障害の防止等に関する法律三条の規定により離着陸の経路又は時間その他航行の方法等を指定することなどに、航空行政権の主管者としての運輸大臣の権限の行使についての定めがみられ、また、他方で、航空法五五条の二第二項、五四条の二第一項の規定及び空港管理規則(昭和二七年運輸省令第四四号)の定めるところにより、運輸大臣の設置、管理する公共用飛行場の施設の管理、構内営業の規制その他飛行場の能率的運営とその秩序維持のため必要な事項を行うこと、同法五五条の二第二項、四七条一項の規定により同法施行規則九二条所定の保安上の基準に従つて飛行場を管理すること、空港整備法六条及び一〇条の規定により運輸大臣が設置、管理する第二種空港において滑走路等の新設、改良又は災害復旧の工事を施行しようとするときはあらかじめ費用の分担者である都道府県と協議し、又はこれに通知しなければならないことなどに、空港管理権者としての運輸大臣の権限の行使についての定めがみられる程度である。
しかし、そもそも法が一定の公共用飛行場についてこれを国営空港として運輸大臣がみずから設置、管理すべきものとしたゆえんのものは、これによつてその航空行政権の行使としての政策的決定を確実に実現し、国の航空行政政策を効果的に遂行することを可能とするにある、というべきである。すなわち、法は、航空機及びその運航、航空従事者、航空路、飛行場及び航空保安施設、航空運送事業並びに外国航空機等に関する広範な行政上の規制権限を運輸大臣に付与し、運輸大臣をして、これらの権限の行使により、航空機の航行の安全及び航空機の航行に起因する障害の防止を図るための方法を定め、航空機を運航して営む事業の秩序を確立し、社会、経済の進展、国際交流の活発化等により増大する航空運輸に対する需要と供給を調整し、他の諸政策分野と整合性のある航空行政政策を樹立し実施させることとしており、これに関する公共施設として航空法の定める公共用飛行場を設けている。そして、そのうち、私営又は公営の公共用飛行場については、設置者たる個人、法人又は地方公共団体がこれを管理し、運輸大臣は、法規上、その設置又は休止若しくは廃止に対する許可、管理規程の制定又は変更に対する認可その他の行政上の監督権限の行使を通じて、それを国の航空行政計画の一環として位置づけ、規制しうることとしているにとどまるのに対し、国際航空路線又は主要な国内航空路線に必要なものなど基幹となる公共用飛行場(空港整備法二条一項一、二号にいわゆる第一、二種空港)については、運輸大臣みずからが、又は法律により設立され運輸大臣の特別な指示ないし監督に服する特殊法人である新東京国際空港公団が、これを国営又は同公団営の空港として設置、管理し、公共の利益のためにその運営に当たるべきものとしている。それは、これら基幹となる公共用飛行場にあつては、その設置、管理のあり方がわが国の政治、外交、経済、文化等と深いかかわりを持ち、国民生活に及ぼす影響も大きく、したがつて、どの地域にどのような規模でこれを設置し、どのように管理するかについては航空行政の全般にわたる政策的判断を不可欠とするからにほかならないものと考えられる。
右にみられるような空港国営化の趣旨、すなわち国営空港の特質を参酌して考えると、本件空港の管理に関する事項のうち、少なくとも航空機の離着陸の規制そのもの等、本件空港の本来の機能の達成実現に直接にかかわる事項自体については、空港管理権に基づく管理と航空行政権に基づく規制とが、空港管理権者としての運輸大臣と航空行政権の主管者としての運輸大臣のそれぞれ別個の判断に基づいて分離独立的に行われ、両者の間に矛盾乖離を生じ、本件空港を国営空港とした本旨を没却し又はこれに支障を与える結果を生ずることがないよう、いわば両者が不即不離、不可分一体的に行使実現されているものと解するのが相当である。換言すれば、本件空港における航空機の離着陸の規制等は、これを法律的にみると、単に本件空港についての営造物管理権の行使という立場のみにおいてされるべきもの、そして現にされているものとみるべきではなく、航空行政権の行使という立場をも加えた、複合的観点に立つた総合的判断に基づいてされるべきもの、そして現にされているものとみるべきものである。
ところで、別紙当事者目録記載の番号1ないし239の被上告人ら(原判決別紙二の第一ないし第四表記載の被上告人らないしその訴訟承継人ら)は、本件空港の供用に伴う騒音等により被害を受けているとし、人格権又は環境権に基づく妨害排除又は妨害予防の請求として、毎日午後九時から翌日午前七時までの間本件空港を航空機の離着陸に使用させることの差止めを求めるものであつて、その趣旨は、本件空港の設置・管理主体たる上告人に対し、いわゆる通常の民事上の請求として右のような不作為の給付請求権があると主張してこれを訴求するものと解される。そうすると、右の請求は、本件空港を一定の時間帯につき航空機の離着陸に使用させないということが本件空港の管理作用のみにかかわる単なる不作為にすぎず、およそ航空行政権の行使には関係しないものであるか、少なくとも管理作用の部面を航空行政権の行使とは法律上分離して給付請求の対象とすることができるとの見解を前提とするものということができる。
しかしながら、前述のように、本件空港の離着陸のためにする供用は運輸大臣の有する空港管理権と航空行政権という二種の権限の、総合的判断に基づいた不可分一体的な行使の結果であるとみるべきであるから、右被上告人らの前記のような請求は、事理の当然として、不可避的に航空行政権の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することとなるものといわなければならない。したがつて、右被上告人らが行政訴訟の方法により何らかの請求をすることができるかどうかはともかくとして、上告人に対し、いわゆる通常の民事上の請求として前記のような私法上の給付請求権を有するとの主張の成立すべきいわれはないというほかはない。
以上のとおりであるから、前記被上告人らの本件訴えのうち、いわゆる狭義の民事訴訟の手続により一定の時間帯につき本件空港を航空機の離着陸に使用させることの差止めを求める請求にかかる部分は、不適法というべきである。そうすると、右請求を適法とした原判決は訴訟の適法要件に関する法令の解釈を誤つたものであつて、右違法が判決に影響を及ぼすものであることは明らかであるから、論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中右請求に関する部分は破棄を免れず、第一審判決中右請求に関する部分はこれを取り消したうえ本訴請求中右請求にかかる訴えを却下すべきである。
なお、右の点に関連して、右差止請求に関する弁護士費用にかかる損害の賠償請求につき職権をもつて判断する。
右のように差止請求にかかる訴えが却下されるべきものである以上、右請求に関する弁護士費用にかかる損害の賠償請求は、その余の点について論及するまでもなく、理由がないことに帰するというべきであるから、原判決中前記被上告人らにつきこれを一部認容すべきものとした部分は破棄を免れず、第一審判決中右被上告人らの右請求を一部認容した部分を取り消して右取消部分に関する右被上告人らの請求を棄却し、また、同判決中右請求を一部棄却した部分に対する右被上告人らの控訴を棄却すべきである。〔過去の損害の賠償請求に関する判断〕
右請求については、上告理由第五点(国家賠償法二条一項の解釈適用の誤り)、同第三点(被害及び因果関係に関する認定判断の違法)、同第四点の一ないし四(利益衡量に関する認定判断の違法)、同第六点の一(慰藉料額の算定に関する違法)、同第四点の五(地域性ないしは先住性の考慮、危険への接近の理論の適用等に関する違法)の順序で判断を加える。
前記上告代理人らの上告理由第五点について
所論は、要するに、国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは当該営造物自体について存する物的な欠陥をいうものと解すべきところ、原判決は、営造物の設置・管理行為の欠陥が前記の瑕疵にあたるとの見解のもとに、国が立地条件の劣悪な本件空港についてジエツト機等の大量就航を前提として拡張を計画し、国際空港に指定したこと自体あるいは本件空港にジエツト機を就航させ、発着機数を増加させ、B滑走路を新設するなどして被害防止対策が遅れがちのまま本件空港の供用を継続して周辺住民に損害を与えたことが営造物の設置又は管理の瑕疵にあたるとしたのであつて、右は国家賠償法の解釈適用を誤つたものであり、また、この点に関する原判決の判断過程には理由不備の違法がある、というのである。
国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が有すべき安全性を欠いている状態をいうのであるが、そこにいう安全性の欠如、すなわち、他人に危害を及ぼす危険性のある状態とは、ひとり当該営造物を構成する物的施設自体に存する物理的、外形的な欠陥ないし不備によつて一般的に右のような危害を生ぜしめる危険性かある場合のみならず、その営造物が供用目的に沿つて利用されることとの関連において危害を生ぜしめる危険性がある場合をも含み、また、その危害は、営造物の利用者に対してのみならず、利用者以外の第三者に対するそれをも含むものと解すべきである。すなわち、当該営造物の利用の態様及び程度が一定の限度にとどまる限りにおいてはその施設に危害を生ぜしめる危険性がなくても、これを超える利用によつて危害を生ぜしめる危険性がある状況にある場合には、そのような利用に供される限りにおいて右営造物の設置、管理には瑕疵があるというを妨げず、したがつて、右営造物の設置・管理者において、かかる危険性があるにもかかわらず、これにつき特段の措置を講ずることなく、また、適切な制限を加えないままこれを利用に供し、その結果利用者又は第三者に対して現実に危害を生ぜしめたときは、それが右設置・管理者の予測しえない事由によるものでない限り、国家賠償法二条一項の規定による責任を免れることができないと解されるのである。
本件についてこれをみるのに、本件において被上告人らが主張し、かつ、原審が認定した本件空港の設置、管理の瑕疵は、右空港の施設自体がもつ物理的・外形的欠陥ではなく、また、それが空港利用者に対して危害を生ぜしめているというのでもなくて、本件空港に多数のジエツト機を含む航空機が離着陸するに際して発生する騒音等が被上告人ら周辺住民に被害を生ぜしめているという点にあるのであるが、利用者以外の第三者に対する危害もまた右瑕疵のうちに含まれること、営造物がその供用目的に沿つて利用されている状況のもとにおいてこれから危害が生ずるような場合もこれに含まれることは前示のとおりであるから、本件空港に離着陸する航空機の騒音等による周辺住民の被害の発生を右空港の設置、管理の瑕疵の概念に含ましめたこと自体に所論の違法があるものということはできない。そして、原審の適法に確定したところによれば、本件空港は第一種空港として大量の航空機の離着陸を予定して設置されたものであるにもかかわらず、その面積はこのような機能を果たすべき空港としては狭隘であり、しかも多数の住民の居住する地域にきわめて近接しているなど、立地条件が劣悪であつて、これに多数のジエツト機を含む航空機が離着陸することにより周辺住民に騒音等による甚大な影響を与えることは避け難い状況にあり、しかも本件空港の設置・管理者たる国は右被害の発生を防止するのに十分な措置を講じないまま右空港をジエツト機を含む大量の航空機の離着陸に継続的に使用させてきた、というのである。そうすると、のちに上告理由第四点の一ないし四について判示するとおり右供用の違法性が肯定される限り、国家賠償法二条一項の規定の解釈に関しさきに判示したところに照らし、右事実関係のもとにおいて本件空港の設置、管理に瑕疵があるものと認めた原審の判断は正当というべきである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第三点の一、二について
所論は、要するに、原判決は、(一)(1) 検証における主観的、感覚的な印象を重視し、また、(2) 被上告人らの陳述書及びアンケート調査のような、その性質上主観的な誇張や偏りを免れない証拠資料に高い証拠価値を認め、(3) 被害の悪循環と相互影響というような合理的根拠に乏しい漠然とした観念をあたかも一個の経験法則であるかのように取り扱つて事実の認定、判断の基礎とした点において、また、(二)航空機(ジエツト機)の排気ガスを被上告人らの居住地域における大気汚染の原因であるとたやすく認定した点において、それぞれ経験則違背、理由不備又は理由齟齬の違法を犯したものである、というのである。
しかしながら、人が、本件において問題とされているような相当強大な航空機騒音に暴露される場合、これによる影響は、生理的、心理的、精神的なそればかりでなく、日常生活における諸般の生活妨害等にも及びうるものであり、その内容、性質も複雑、多岐、微妙で、外形的には容易に捕捉し難いものがあり、被暴露者の主観的条件によつても差異が生じうる反面、その主観的な受けとめ方を抜きにしてはこれを正確に認識、把握することができないようなものであることは、常識上容易に肯認しうるところである。したがつて、原審が検証を実施した際に受けた印象や、被上告人らの陳述書、アンケート調査等に所論のような主観的要素が含まれているからといつて、その証拠価値を否定することができないことはもちろん、原審がこれらに対してかなり高い証拠価値を認めたとしても、そのことをもつて直ちに採証法則ないし経験則違背の違法があるとすることはできない。また、前記航空機騒音の影響による前記各種被害の間にはその性質上相互に影響し合う関係があるとする原審の見解も、必ずしも根拠のないものということはできず、被害の認定判断にあたつてこれを考慮したことが所論のように合理性を欠くものともいえない。
次に、航空機の排気ガスと被上告人らの居住地域における大気汚染との関係についての原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認しえないものでもなく、その過程に所論の違法があるとも認められない。
論旨は、ひつきよう、原判決を正解しないか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰するものであり、いずれも採用することができない。
同第三点の三について
所論は、要するに、本件損害賠償請求は、航空機騒音等によつて被上告人らが肉体的・精神的被害を受け、日常生活にも著しい妨害を受けていることを理由とするものであるから、その性質上当然に、被上告人ら各自について、それぞれの被害発生、その内容、右各被害と加害行為との間の因果関係の存在を個別的かつ具体的に認定判断する必要があるにもかかわらず、原判決は、(一) この一般原則を無視し、右のような個別的、具体的な立証を不必要とし、被上告人らの具体的生活条件、居住条件のいかんによつて航空機騒音等による被害の内容及び程度につき生ずるはずの差異を一切捨象し、被上告人らに一律一様の被害が生じているものと認定判断した点において、また、(二) 殊に、被上告人らの主張する耳鳴り、難聴その他の身体的被害について、主として本人の陳述やアンケート調査のような主観的色彩の強い証拠資料に依拠し、医学的・客観的資料によらず、また、疫学的手法を用いることもなく、たやすく被上告人らの一部にそのような身体的被害が生じ、かつ、少なくとも本件航空機による騒音等がその一因となり、又はなつている可能性があると認定するとともに、一部住民につきそのような事実が認められる以上、他の住民についても同種被害の発生ないしはその危険性の存在を肯定すべく、各自につき具体的に被害発生の有無や危険性の存在と程度を確定する必要がないとしている点において、法令の解釈適用を誤り、経験則に違背し、理由不備ないし理由齟齬の違法を犯したものである、というのである。
原判決が、本件空港に離着陸する航空機の騒音等による被上告人らの被害につき、その精神的被害を等しいものとし、また、睡眠妨害を含む日常生活の妨害も、各人の生活条件に応じて発現の具体的態様に相違があるにせよ、被上告人ら全員に共通するものとし、更に身体的被害についても、被害発生の可能性は騒音等に暴露されている地域の住民の全員に同一であり、一部の者に被害が生じていれば、その他の者にも同様の危険性があると認めるべきであるとしていることは、所論のとおりである。
確かに、被上告人らの本件損害賠償請求は、本件空港に離着陸する航空機の騒音等により被上告人らを含む周辺地域の住民が被つている被害を一体的にとらえ、これを一個の権利侵害として、被上告人らがそれら住民の全体を代表するといつたような立場においてこれに対する救済を求めるものではなく、被上告人各自の被つている被害につき、それぞれの固有の権利として損害賠償の請求をしているのであるから、各被上告人についてそれぞれ被害の発生とその内容が確定されなければならないことは当然である。しかしながら、被上告人らが請求し、主張するところは、被上告人らはそれぞれさまざまな被害を受けているけれども、本件においては各自が受けた具体的被害の全部について賠償を求めるのではなく、それらの被害の中には本件航空機の騒音等によつて被上告人ら全員が最小限度この程度まではひとしく被つていると認められるものがあり、このような被害を被上告人らに共通する損害として、各自につきその限度で慰藉料という形でその賠償を求める、というのであり、それは、結局、被上告人らの身体に対する侵害、睡眠妨害、静穏な日常生活の営みに対する妨害等の被害及びこれに伴う精神的苦痛を一定の限度で被上告人らに共通するものとしてとらえ、その賠償を請求するものと理解することができる。もとより右のような被害といえども、被上告人ら各自の生活条件、身体的条件等の相違に応じてその内容及び程度を異にしうるものではあるが、他方、そこには、全員について同一に存在が認められるものや、また、例えば生活妨害の場合についていえば、その具体的内容において若干の差異はあつても、静穏な日常生活の享受が妨げられるという点においては同様であつて、これに伴う精神的苦痛の性質及び程度において差異がないと認められるものも存在しうるのであり、このような観点から同一と認められる性質・程度の被害を被上告人全員に共通する損害としてとらえて、各自につき一律にその賠償を求めることも許されないではないというべきである。原判決は、右のような観点に立つて、被上告人らの主張する被害事実につき、本件空港に離着陸する航空機の騒音等の性質、内容、程度に照らし、周辺住民としてこれに暴露される被上告人ら各自がひとしく少なくともその程度にまでは被つているものと考えられる被害がどのようなものであるかを把握するという見地から、被害及び因果関係の有無を認定判断しているものと解されるのであり、そうである以上、損害賠償の原因となるべき被上告人らの被害について一律的な判断を示し、各人別にそれぞれ異なつた被害の認定等を示していないことは、あえて異とするに足りないのである。そして、右の点に関し、本件空港に離着陸する航空機の被上告人らの居住する地域に及ぼす騒音等の性質、強度、頻度等が原判決において認定されたようなものである場合において、被上告人らのすべてに共通して原判示のような不快感、いらだち等の精神的苦痛及び睡眠その他日常生活の広範な妨害を生ずるとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、是認することができないものではなく、また、身体的被害についても、本件のような航空機騒音の特質及びこれが人体に及ぼす影響の特殊性並びにこれに関する科学的解明が未だ十分に進んでいない状況にかんがみるときは、原審が、その挙示する証拠に基づき、前記のような航空機の騒音等の影響下にある被上告人らが訴える原判示の疾患ないし身体障害につき右騒音等がその原因の一つとなつている可能性があるとした認定判断は、必ずしも経験則に違背する不合理な認定判断として排斥されるべきものとはいえず、被上告人らすべてが、右のような身体障害に連なる可能性を有するストレス等の生理的・心理的影響ないし被害をひとしく受けているものとした判断もまた、是認することができないものではない。もつとも、原判決の判示のうちには、単なる身体的被害発生の可能性ないし危険性そのものを慰藉料請求権の発生原因たる被害と認めているかにみえる箇所があるところ、そのような可能性ないし危険性そのものを直ちに慰藉料請求権の発生原因たるべき現実の被害にあたるということができないことはいうまでもないが、右判示は、そのような可能性ないし危険性を帯有する前記のような生理的・心理的現象をもつて慰藉料請求権の発生原因たる被害と認めた趣旨のものと解することができないものではないのである。以上の点に関する論旨は、ひつきよう、原判決を正解しないでこれを論難するか、又は原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎないというべきである。
なお、本件における被害の問題は、単に被上告人らにつきその主張するような共通被害が生じたかどうかの点のみに限られるものではなく、のちに上告理由第四点の一ないし四について判示するように、本件空港供用の違法性の判断については、右供用に伴う航空機の離着陸の際に生ずる騒音等が被上告人らを含む周辺住民らの全体に対しどのような種類、性質、内容の被害をどの程度に生ぜしめているかが一つの重要な考慮要素をなすものと解されるところ、この場合における被害の総体的な認定判断においては、必ずしも全員に共通する被害のみに限らず、住民の一部にのみ生じている特別の被害も考慮の対象となしうるのであり、原判決が、右のような、必ずしも被上告人ら全員に共通する被害とまではいえないものについても詳細な認定を施し、かつ、住民のうち特殊な生活条件、身体的条件を有する者について生ずる特別の被害をも加えて総体的な評価判断を示しているのも、右の見地からされたものと解されるのである。してみると、原判決中の右の点に関する判示部分は、さきの被上告人らに共通する被害の認定部分と一見矛盾するかのような観を呈するけれども、これをもつて理由齟齬の違法があるものとすることはできない。
以上の次第で、論旨はすべて採用することができない。
同第四点の一ないし四について
所論は、要するに、上告人の本件空港供用行為が損害賠償責任の要件としての違法性を帯びるかどうかは、これによつて被るとされる被害が社会生活を営む上において受忍すべきものと考えられる程度、すなわちいわゆる受忍限度を超えるものかどうかによつて決せられるべく、これを決するについては、侵害行為の態様と程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為の公共性の内容と程度、被害の防止又は軽減のため加害者が講じた措置の内容と程度についての全体的な総合考察を必要とするものであるところ、原判決は、被害を極端に重視し、上記のような全体的・総合的考察を怠り、殊に上告人が従来とつてきた騒音対策を不当に低く評価し、また、将来の対策の評価判断においても、経験則に反する認定を行い、かつ、これに基づいて合理性を欠く評価を施しており、更に、本件空港の公共性についても十分な考察を欠き、これに対して不当に低い評価しか与えなかつた結果、右供用行為の違法性に関する判断を誤つたものである、というのである。
上告人が右に指摘する点に関する原判決の判示をみると、原判決は、「第三
違法性」と題する項目の中で、まず本件空港拡張の経過、これに対する地元の住民や自治体の動向、上告人がこれまでとつてきた騒音対策の内容及び効果、今後とるべき対策として挙げられている諸措置の内容とその実効性につき逐次詳細な認定判断を示しているところ、右の認定判断は、原判決の挙示する証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法があるとすることはできない。そして、原判決は、右の認定判断にかかる事実と、さきに「第二被害」と題する項目の中で認定判断した事実とに基づき、「第五」と題する項目において、被上告人らの損害賠償請求の適否につき判断を加えているので、右各事実に基づいて損害賠償請求に関する原判決の違法性判断の当否、前記上告理由の成否を検討することとする。
原判決は、既に触れたように、その「第三 違法性」の項の五において、上告人による本件空港の供用による被上告人らの被害につき専らそれが国家賠償法二条一項にいう公の営造物の設置、管理の瑕疵による被害にあたるかどうかの問題として検討を加え、これを肯定すべき旨判示しており、その間損害賠償請求の要件としての違法性の有無につき特段の説明を加えてはいない。しかし、右判示部分を前記「第三違法性」の項目の中で示されたその余の認定判断とあわせ読むと、原審は、航空機が公の営造物たる本件空港を利用することにより周辺住民に前記のような各種の被害を生ぜしめていることをもつて右空港の安全性の欠如であるとし、このような安全性を欠く状態にある本件空港を供用することをもつて営造物の設置、管理の瑕疵としてとらえているのであるが、その真意は、必ずしも本件空港の供用によつて周辺住民に被害が生ずること自体をもつて直ちにその設置、管理の瑕疵としているわけではなく、右被害は一般に社会生活上受忍すべき限度を超えるようなものであるが、本件空港のもつ公共性に照らし、右の限度を超える場合でもなおかつ公共の必要性から更に一定の限度まではこれを甘受しなければならないとすべきものであることを前提とし、その点において上記営造物の設置、管理の瑕疵の有無についても右のような基本的な違法性の判断が要求されるものとの見解に立つたうえ、上記「第二」及び「第三」の各項目において認定した事実に基づいて本件の場合には右のような違法性を肯定すべきであるとしているものと解されるのである。そこで更に原判決の判示をみるのに、原判決は、前記「第二」の項目において地域住民が被つている被害の実態を詳細に認定したうえ、「第三」の項目において、前記のように、本件空港拡張の経過と地元の住民や自治体の動向及び上告人が従来これに対してとつてきた対策に関する事実の認定に基づき、上告人は、本件空港の拡張、ジエツト機の就航、発着機の増加及び大型化等が空港周辺の住民に及ぼすべき影響を慎重に調査し予測することなく、また、影響を防止、軽減するための相当の措置をあらかじめ講ずることもしないままに空港の拡張等をしてきたもので、対策を後回しにしてまず航空機の利用増加を急いだものと責められてもやむをえない点があること、他方、現代において航空が輸送手段として重要な地位を占め、これに対する需要度も逐年高まつており、その間において本件空港が京阪神地域における唯一の第一種空港として重要な役割を果していることは否定しえないが、航空機騒音等による広範かつ深刻な被害が周辺住民に生じていること等前記の諸事実に照らし、公共的必要性を主張するには限界があることを指摘しており、これらの判示からすれば、原審は、右指摘にかかる諸点を総合して、結局本件空港供用行為につき上記説示の意味における違法性を肯定せざるをえないと判断しているものと思われる。
ところで、本件空港の供用のような国の行う公共事業が第三者に対する関係において違法な権利侵害ないし法益侵害となるかどうかを判断するにあたつては、上告人の主張するように、侵害行為の態様と侵害の程度、被侵害利益の性質と内容、侵害行為のもつ公共性ないし公益上の必要性の内容と程度等を比較検討するほか、侵害行為の開始とその後の継続の経過及び状況、その間にとられた被害の防止に関する措置の有無及びその内容、効果等の事情をも考慮し、これらを総合的に考察してこれを決すべきものであることは、異論のないところであり、原審もまた、この見地に立つて考察を加えた結果前記の結論に到達したものと考えられる。
上告人は、右の結論に対し、原審は上記の考察、判断を行うにあたつて本件空港の供用の公共性ないし公益上の必要性を不当に低く評価し、反対に被害を極端に重視し、上告人が採つた被害の防止、軽減の措置を十分に斟酌していないとしてこれを論難するのであるが、本件において主張されている公共性ないし公益上の必要性の内容は、航空機による迅速な公共輸送の必要性をいうものであるところ、現代社会、特にその経済活動の分野における行動の迅速性へのますます増大する要求に照らしてそれが公共的重要性をもつものであることは自明であり、また、本件空港が国内・国際航空路線上に占める地位からいつて、その供用に対する公共的要請が相当高度のものであることも明らかであつて、原審もこれを否定してはいない。しかし、これによる便益は、国民の日常生活の維持存続に不可欠な役務の提供のように絶対的ともいうべき優先順位を主張しうるものとは必ずしもいえないものであるのに対し、他方、原審の適法に確定するところによれば、本件空港の供用によつて被害を受ける地域住民はかなりの多数にのぼり、その被害内容も広範かつ重大なものであり、しかも、これら住民が空港の存在によつて受ける利益とこれによつて被る被害との間には、後者の増大に必然的に前者の増大が伴うというような彼此相補の関係が成り立たないことも明らかで、結局、前記の公共的利益の実現は、被上告人らを含む周辺住民という限られた一部少数者の特別の犠牲の上でのみ可能であつて、そこに看過することのできない不公平が存することを否定できないのである。更に、原審の適法に確定するところによれば、上告人は、本件空港の拡張やジエツト機の就航、発着機の増加及び大型化等が周辺住民に及ぼすべき影響について慎重に調査し予測することなく、影響を防止、軽減すべき相当の対策をあらかじめ講じないまま拡張等を行つてきた、というのであり、これらの経過に照らし、かつまた、右の拡張等がそれなりの公共的必要に応ずるものであつたとしても、そこにはいつたん成立した既成事実に基づいておのずから生ずる需要の増大に対し更にこれに応えるという一種の循環作用もある程度介在していると思われることをあわせ考慮するときは、原審がこれらの点にかんがみ上告人において公共的必要性を強く主張することには限界があると判断したことにも、それ相当の理由があるといわなければならない。そしてまた、上告人が比較的最近において開始した諸般の被害対策が、少なくとも原審の口頭弁論終結時までの間については、被害の軽減につき必ずしもみるべき効果を挙げていないことも、原審が適法に確定しているところである。してみると、原判決がこれら諸般の事情の総合的考察に基づく判断として、上告人が本件空港の供用につき公共性ないし公益上の必要性という理由により被上告人ら住民に対してその被る被害を受忍すべきことを要求することはできず、上告人の右供用行為は法によつて承認されるべき適法な行為とはいえないとしたことには、十分な合理的根拠がないとはいえず、原審の右判断に所論の違法があるとすることはできない。附言するに、被上告人らのうち一部地区の居住者については、殊にB滑走路の供用開始前における騒音暴露の程度はそれほど大きなものではなく これを本件空港の供用について認められる公益性と対比した場合、一般的にいえば受忍すべき限度を超えた違法な侵害とみるべきかどうかにつき問題なしとしない者がないではない。しかしながら、この場合でも、右騒音暴露による被害の程度は、他の地区に居住する被上告人らほど大きくないとはいえ、なお一般社会生活上受忍すべき程度のそれをかなり上回るものであること、住宅地域に近接した本件空港の立地条件、右被害の発生をめぐる事態の推移等に照らすときは、原審がこれらの被上告人の被害についてもなお受忍限度を超えるものがあるとして侵害行為の違法性を認めた判断は、これを違法、不当とするにはあたらないというべきである。論旨は、採用することができない。
同第六点の一について
所論は、要するに、原判決は、過去の損害に対する慰藉料額の算定にあたり被上告人ら各自の個別的な被害の態様、程度、内容及び各年ごとの被害程度の相違に応じて賠償額に合理的な差等を設けず、B滑走路供用開始以前の時期については被上告人らの居住地区ごとに、右供用開始以後の時期については全地区を通じ一律に賠償額を定めた点において、法令の解釈適用を誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法を犯したものである、というのである。
一般に慰藉料額の算定にあたつては、被害者各自の個別的な被害の態様、内容、程度や時の経過に伴う被害状況の変動等が重要な判断要素となるものであることはいうまでもない。しかしながら、本件訴訟において、被上告人らは、ひとしく本件空港に発着する航空機の騒音等に基づいて昭和四〇年一月一日以降引続き損害を受けてきたとして、居住地区及び居住期間により若干の差等を設け、昭和四五年一月一日又は昭和四七年一月一日の前後で損害額算定の方法を異にするほかは各被上告人につき一律に算定した慰藉料の支払を求め、その主張する損害の主要部分も被上告人らに共通するものであるところ、このような被上告人らの請求の性格に照らせば、裁判所としては、請求の本旨を没却しない程度において長期的な時間区分により概括的に被害状況の変動をとらえたうえ、各時期につき被上告人全員に終始共通して生ずる被害のみを対象としてこれに相応する慰藉料の額を定めれば足り、それ以上に各被上告人の個別的な被害の態様、内容、程度及びその刻々の変動について認定判断し、これに対応する慰藉料額を定めなければならないものではない。原審は、以上述べたところと同様の見解に立ち、被上告人らの慰藉料の額を定めるにあたり、その適法に確定した事実関係のもとにおいて被上告人らの被害の程度、従来の被害防止対策が不十分であつたことを含む侵害の経過を考慮し、被上告人らの被つている精神的苦痛、身体的被害の危険性及び生活妨害の主要な部分は全員に共通であることを理由として、被害者側の個別的事情としては居住地域及び当該地域における居住期間を斟酌すれば足りるとし、B滑走路供用開始の以前と以後とによつて被害の程度の差が生じたものとして金額に差等をつけたほかは居住地域と居住期間に応じ一律に慰藉料額を算定したものと解されるのであつて、右算定方法は一応合理性を有するものとして是認することができないものではなく、その過程に所論の違法があるとすることはできない。論旨は、採用することができない。
同第四点の五について
所論は、要するに、原判決は、(一) 本件空港にジエツト機が就航したのち空港周辺地域内に居住を始めた被上告人らについて、いわゆる地域性、先住性を考慮した利益衡量を行わず、かつ、危険への接近の理論を適用することなく、これらの者の損害賠償請求を認容した点、及び(二) B滑走路の供用開始後に空港周辺地域内に居住を始めた被上告人近藤嶋恵及び同常洋子の両名につき、同人らが航空機騒音の実情を認識していたか、又はこれを認識しなかつたことにつき過失があるものであることを否定した点において、経験則に違背する事実認定をしたか、又は前記法理の解釈適用を誤つたものであるのみならず、右両名の請求につき過失相殺に関する判断を遺脱した違法を犯したものである、というのである。
そこで、まず、所論の(一)の点について検討する。
この点につき原審の確定した事実関係は、(一) 本件空港は、昭和三四年七月第一種空港に指定された当初から既に多数の住民の居住する地域に近接して存在し、その後拡張されたものであつて、被上告人らの居住する地域は、昭和四五年八月準工業地域に指定変更された走井、利倉両地区のほかは、昭和二〇年ごろ以来現在に至るまで引き続き住居地域として指定されており、実際上も、走井地区以外は航空機騒音を除けば比較的閑静な住宅地域である、(二) 本件空港に離着陸する航空機の騒音は、昭和三九年六月以降本件空港にジエツト機が就航したことによつて激化したが、同年中におけるジエツト機の発着回数は全発着回数のうち二・一パーセントを占めていたにすぎず、その後年をおつて発着回数のうちにジエツト機の発着の占める割合が次第に増大し、特に昭和四五年二月のB滑走路供用開始後に至つてジエツト機の大型化と大量就航をみた、(三) 被上告人らのうちには、本件空港にジエツト機が就航した昭和三九年六月以降B滑走路供用開始までの間に居住を始めた者が相当数存在するが、これらの者がその後の騒音等の激化を予測し、あるいは既に激化しつつある状況を知りながら入居したものとは認めるに足りない、というのである。そして、右(一)ないし(三)についての事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができる。この事実関係によれば、右被上告人らの入居当時本件空港がジエツト機の頻繁な離着陸等強大な騒音を伴う用途に供され右被上告人らの入居の場所を含む空港周辺地域がそのような騒音にさらされる地域であることが一般的、社会的に認識され、あまねく了承されていたものとはいい難いから、いわゆる地域性、先住性を理由としては右被上告人らの請求を排斥することができず、また、いわゆる危険への接近の理論に関する後述の解釈のもとにおいても、右被上告人らについてこれを適用する余地がないことも明らかである。したがつて、これらの被上告人らについて、論旨は、採用することができない。
これに対し、所論の(二)のB滑走路供用開始後に転居して来た被上告人近藤嶋恵、同常洋子については、上述の被上告人らとは事情を異にし、別途に検討する必要がある。
被上告人近藤及び同常について原審の確定したところによれば、(一)被上告人近藤は昭和四五年六月、同常は同年七月、いずれも豊中市服部寿町三丁目に居住するに至つた者である、(二)これより先、昭和四五年二月五日からは全長三〇〇〇メートル、幅員六〇メートル、ほぼ空港敷地一杯に設置されたB滑走路の供用が開始されている、(三)昭和四四年一二月には既に本件第一次訴訟が提起されており、また、昭和四五年三月当時において、本件空港における一日の離着陸機数は三六七機(うちジエツト機一六五機)(なお、離陸及び着陸を区別した機数は認定されていないが、昭和四五年八月及び昭和四七年四月当時についての認定を参酌して考えると、原審は離陸及び着陸の機数はほぼ同数であると認定した趣旨と解される。)にのぼり、その離着陸の平均間隔は日中(七時から一九時まで)二分二八秒(ジエツト機は五分五七秒)、夜間(一九時から二二時まで)三分六秒(ジエツト機は四分三〇秒)であつた、(四)B滑走路の供用が開始された昭和四五年二月五日以後に測定された右被上告人両名の居住地域における機種別騒音レベル及び七〇ホン以上の騒音の継続時間は、大型ジエツト機につき一〇〇ないし一一〇ホン、約二五秒間、中・小型ジエツト機につき九〇ないし一〇五ホン、約二〇秒間、双発プロペラ機につき八〇ないし九〇ホン、約一五秒間であり、右地域における騒音のWECPNL値は九五以上、NNI値は五五ないし六五である、(五)右被上告人らの転入した服部寿町は、A滑走路末端より南東約二八〇〇ないし三五〇〇メートル、B滑走路末端より南東約一七〇〇ないし二四〇〇メートルの地点にあつて、B滑走路飛行経路のほぼ直下に位置しており、本件航空機騒音の点を除外すれば比較的閑静な住宅地域である、(六)被上告人近藤は、仲介業者のすすめるまま夫の勤務先に近い現住所を選んで入居することとした、(七)同被上告人は、本件航空機騒音が問題とされている事情をよく知らないまま事前に一度一五分間ぐらいの下見をしただけで入居したもので、その後に至つて騒音の激甚なことを知つた、(八)現在の住宅事情のもとで適当な転居先を選択しうる余地は少なく、また、仲介業者等が公害の状況をありのままに告げることも期待し難いから、入居者が事前に十分な調査をしなかつたのはやむをえないところであつた、(九)被上告人常についても、被上告人近藤と同様の事情にある、というのである。
原審は、以上のような事実関係を確定したうえで、いわゆる危険への接近の理論について、住民の側が特に公害問題を利用しようとするごとき意図をもつて接近したと認められる場合でない限り右の理論は適用がないとの見解のもとに、被上告人近藤、同常の両名につきかかる意図は認められないとして、この点に関する上告人の主張を排斥した。しかし、危険への接近の理論は、必ずしも右のように狭く解すべきものではなく、たとえ危険に接近した者に原審の判示するような意図がない場合であつても、その者が危険の存在を認識しながらあえてそれによる被害を容認していたようなときは、事情のいかんにより加害者の免責を認めるべき場合がないとはいえないのであつて、原審の前記見解は是認しえないものといわなければならない。
もつとも、この点に関連して、原審は、前述のように、被上告人近藤は本件航空機騒音が問題とされている事情をよく知らずに入居したもので、その後に至つて騒音の激甚なことを知つたのであり、事前に十分な調査をしなかつたのもやむをえないところであつたとし、被上告人常についても被上告人近藤と同様の事情にある、と認定している。したがつて、危険への接近の理論に関する原審の前記見解が誤りであるとの一事で、被上告人近藤及び同常についての原審の判断が誤りであり原判決は破棄されるべきであると速断することは許されないところである。
しかし更に検討するのに、原審の認定した前記(一)ないし(六)の事実に加えて、記録中の証拠関係(甲第一三号証の一ないし四七三。ただし、三二二は欠番)によつて明らかな、前記昭和四四年一二月の本件第一次訴訟提起よりも更に二年をさかのぼる昭和四二年ごろから本件空港周辺における騒音問題が頻々として主要日刊新聞紙上に報道されていた事実をもあわせ考えれば、他に特段の事情が認められない限り、被上告人近藤が昭和四五年六月上記服部寿町地区に転住するにあたつて航空機騒音が問題とされている事情ないしは航空機騒音の存在の事実をよく知らずに入居したということは、経験則上信じ難いところである。そして、原審の右のような認定が経験則に反するものとして否定され、同被上告人が一定程度の航空機騒音の存在を認識しながら相当期間にわたる間の住居としてあえてその住居を選択したというのであれば、当時の住宅事情を考慮に入れても、同被上告人は、夫の勤務先に近いという居住上の便宜さ等をむしろ重視し、自己が見聞した程度ないしこれと格段の相違のない程度の騒音の悪影響ないし被害はこれをやむをえないものと容認して入居したものと推定することができる。このように、同被上告人が航空機騒音の存在についての認識を有しながらそれによる被害を容認して居住したものであり、かつ、その被害が騒音による精神的苦痛ないし生活妨害のごときもので直接生命、身体にかかわるものでない場合においては、原判決の摘示する本件空港の公共性をも参酌して考察すると、同被上告人の入居後に実際に被つた被害の程度が入居の際同被上告人がその存在を認識した騒音から推測される被害の程度を超えるものであつたとか、入居後に騒音の程度が格段に増大したとかいうような特段の事情が認められない限り、その被害は同被上告人において受忍すべきものというべく、右被害を理由として慰藉料の請求をすることは許されないものと解するのが相当である。そして、原審の確定した事実関係によつては、前記特段の事情のあることが確定されているものとはいえない。
したがつて、同被上告人は本件航空機騒音が問題とされている事情をよく知らずに入居したものであり入居後に騒音の激甚なことを知つたとし、結局、同被上告人の損害賠償請求を排斥すべき理由はないとした原審の認定判断は、是認し難いものといわなければならない。
そして、被上告人常についても同様の事情にあるというのであるから、同被上告人の損害賠償請求に関する原審の認定判断に対する当裁判所の判断も、被上告人近藤について述べたところと同じである。
そうすると、前記のような特段の事情の存在を確定することなく右被上告人両名の損害賠償請求(被上告人近藤嶋恵の請求については、前記差止請求に関する判断中において理由がないものとされた右請求に関する弁護士費用にかかる損害の賠償請求の部分及び後記上告理由第六点の二、三に対する判断において訴えが不適法とされる損害賠償請求の部分を除く。)を一部認容した原判決は、経験則に違背して事実を認定したか、又は法令の解釈適用を誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法を犯したものというべきである。右の点に関する論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中右の部分は破棄を免れない。そして、右請求の当否については叙上の点につき更に審理を尽くす必要があると認められるので、右請求部分につき本件を原審に差し戻すのが相当である。〔将来の損害の賠償請求に関する判断〕
前記上告代理人らの上告理由第六点の二、三について
所論は、要するに、本件においては将来における慰藉料請求権発生の基礎たるべき事実関係の変動が予想されるにもかかわらず、原判決は、右事実関係を現時において確定しうるとし、しかも慰藉料額の算定にあたつてB滑走路供用開始後の事実関係の変動及び将来における民家防音工事等の対策の進展を考慮することなく将来生ずべき損害に対する慰藉料請求を認容したものであり、この点において法令の解釈適用を誤り、審理不尽、理由不備、理由齟齬の違法を犯したものである、というのである。
民訴法二二六条はあらかじめ請求する必要があることを条件として将来の給付の訴えを許容しているが、同条は、およそ将来に生ずる可能性のある給付請求権のすべてについて前記の要件のもとに将来の給付の訴えを認めたものではなく、主として、いわゆる期限付請求権や条件付請求権のように、既に権利発生の基礎をなす事実上及び法律上の関係が存在し、ただ、これに基づく具体的な給付義務の成立が将来における一定の時期の到来や債権者において立証を必要としないか又は容易に立証しうる別の一定の事実の発生にかかつているにすぎず、将来具体的な給付義務が成立したときに改めて訴訟により右請求権成立のすべての要件の存在を立証することを必要としないと考えられるようなものについて、例外として将来の給付の訴えによる請求を可能ならしめたにすぎないものと解される。このような規定の趣旨に照らすと、継続的不法行為に基づき将来発生すべき損害賠償請求権についても、例えば不動産の不法占有者に対して明渡義務の履行完了までの賃料相当額の損害金の支払を訴求する場合のように、右請求権の基礎となるべき事実関係及び法律関係が既に存在し、その継続が予測されるとともに、右請求権の成否及びその内容につき債務者に有利な影響を生ずるような将来における事情の変動としては、債務者による占有の廃止、新たな占有権原の取得等のあらかじめ明確に予測しうる事由に限られ、しかもこれについては請求異議の訴えによりその発生を証明してのみ執行を阻止しうるという負担を債務者に課しても格別不当とはいえない点において前記の期限付債権等と同視しうるような場合には、これにつき将来の給付の訴えを許しても格別支障があるとはいえない。しかし、たとえ同一態様の行為が将来も継続されることが予測される場合であつても、それが現在と同様に不法行為を構成するか否か及び賠償すべき損害の範囲いかん等が流動性をもつ今後の複雑な事実関係の展開とそれらに対する法的評価に左右されるなど、損害賠償請求権の成否及びその額をあらかじめ一義的に明確に認定することができず、具体的に請求権が成立したとされる時点においてはじめてこれを認定することができるとともに、その場合における権利の成立要件の具備については当然に債権者においてこれを立証すべく、事情の変動を専ら債務者の立証すべき新たな権利成立阻却事由の発生としてとらえてその負担を債務者に課するのは不当であると考えられるようなものについては、前記の不動産の継続的不法占有の場合とはとうてい同一に論ずることはできず、かかる将来の損害賠償請求権については、冒頭に説示したとおり、本来例外的にのみ認められる将来の給付の訴えにおける請求権としての適格を有するものとすることはできないと解するのが相当である。
本件についてこれをみるのに、将来の侵害行為が違法性を帯びるか否か及びこれによつて被上告人らの受けるべき損害の有無、程度は、被上告人ら空港周辺住民につき発生する被害を防止、軽減するため今後上告人により実施される諸方策の内容、実施状況、被上告人らのそれぞれにつき生ずべき種々の生活事情の変動等の複雑多様な因子によつて左右されるべき性質のものであり、しかも、これらの損害は、利益衡量上被害者において受忍すべきものとされる限度を超える場合にのみ賠償の対象となるものと解されるのであるから、明確な具体的基準によつて賠償されるべき損害の変動状況を把握することは困難といわなければならないのであつて、このような損害賠償請求権は、それが具体的に成立したとされる時点の事実関係に基づきその成立の有無及び内容を判断すべく、かつまた、その成立要件の具備については請求者においてその立証の責任を負うべき性質のものといわざるをえないのである。したがつて、別紙当事者目録記載の番号1ないし239の被上告人ら(原判決別紙二の第一ないし第四表記載の被上告人らないしその訴訟承継人ら)の損害賠償請求のうち原審口頭弁論終結後に生ずべき損害(この損害の賠償の請求に関する弁護士費用を含む。)の賠償を求める部分は、権利保護の要件を欠くものというべきであつて、原判決が右口頭弁論終結ののちであることが記録上明らかな昭和五〇年六月一日以降についての上記被上告人らの損害賠償請求を認容したのは、訴訟要件に関する法令の解釈を誤つたものであり、右違法が判決に影響を及ぼすものであることは明らかである。それゆえ、論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決中右将来の損害の賠償請求を認容した部分は破棄を免れず、第一審判決中右認容された請求に関する部分はこれを取り消して本訴請求中右請求にかかる訴えを却下すべきである。
よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、四〇七条一項、九六条、八九条、九二条、九三条、九五条に従い、主文のとおり判決する。
この判決は、後記のとおり、(一)差止請求に関する上告理由第一点につき裁判官横井大三、同伊藤正己、同宮ア梧一の補足意見、裁判官団藤重光、同環昌一、同中村治朗、同木下忠良の反対意見、(二)過去の損害の賠償請求に関する上告理由第五点につき裁判官服部顯、同伊藤正己、同宮ア梧一、同寺田治郎、同谷口正孝の補足意見、同第五点、第三点の三及び第六点の一につき裁判官環昌一の意見、同第四点の一ないし四につき同裁判官の補足意見、同第五点、第三点及び第四点の一ないし四につき裁判官栗本一夫、同藤ア萬里、同本山亨、同横井大三の反対意見、同第六点の一につき右四名の裁判官の補足意見、同第四点の五のうち被上告人近藤嶋恵、同常洋子に関する部分につき裁判官栗本一夫、同寺田治郎、岡谷口正孝の補足意見、裁判官団藤重光、同環昌一、同中村治朗、同木下忠良、同伊藤正己の反対意見、(三)将来の損害の賠償請求に関する上告理由第六点の二、三につき裁判官団藤重光の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。〔差止請求に関する個別意見〕
(1)上告理由第一点についての裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
私は、多数意見とその見解を一にするものであるが、国営空港の供用差止めに関する本件のような紛争については、行政訴訟によつて審理判断すべきものと考えるので、この点について私の補足意見を述べておきたい。

確かに、国営空港の供用行為に関する運輸大臣の航空行政権の行使の具体例として多数意見の挙げるもののうち、多くのものは、空港の利用者など直接の関係者のみを規制の対象とするものであつて、それ以外の一般第三者に対する関係においては公権力の行使に当たる行為としての性格を有するものではない。しかしながら、例えば、航空運送事業の免許を付与し、あるいは事業計画変更の認可をするについて、法は、運輸大臣が当該事業活動による第三者の法益侵害の可能性の有無及びその程度を考慮してその許否の判断をすべきものとし、これによつて第三者の権利、利益を可及的に侵害から擁護することとするとともに、なおも避けえざる不利益はこれらの者において受忍すべき義務を課しているものと解するのが相当であり、したがつて、当該空港と利用関係に立たない一般第三者もこれら行政処分に当然附随する規制作用の名宛人として直接規律されるものであつて、その意味において、これら行政処分は、一般第三者に対する関係においても公権力の行使に当たる行為としての性格を有するものとみるのを相当とする。そのほか、運輸大臣が所定の手続を経て行う国営空港の設置の決定も、これと同様の性格を有するものということができる。
このようにして、国営空港の総合的な供用行為は、これを個々に分解すれば、一般第三者に対する関係においても公権力の行使に当たる行為としての性格を有するものあるいはそのような性格を有しないものなど様々であるが、全体としては、これら航空行政権の行使によつて支えられそれを基盤とする複合的な行政作用とみるべきものである。
以上のとおりであるから、国営空港の設置、管理又は供用行為をめぐる利用者以外の第三者と国営空港の事業主体との間の法律上の争訟につき、国営空港の総合的な供用行為の中から管理権の主体としての行為のみを抽出し、あるいは管理作用としての側面のみからこれを観察して、一律にこれを事業主体である国と私人との間の対等当事者間の私法関係としてのみ把握し、審理判断の対象とするのでは、実体的な側面において公共の利益と私益の相克対立を適切に調整することが困難であるのみならず、争訟手続的側面においても、事案のいかんによつては第一次的に行使されるべき航空行政権者の判断権が司法裁判所の判断によつて制約されるという結果をもたらすおそれなしとしない。したがつて、右のような法律上の争訟の処理にあたつては、当該争訟が国営空港の供用行為における航空行政作用と空港管理作用のいずれの局面にどのようにかかわるかを検討し、当該争訟によつて追及すべき責任の所在に応じた適切な争訟手続の選択がされなければならない。

これを本件についてみると、本件空港を航空機の離着陸に供用することの差止めを求める被上告人らの請求は、一定の時間帯に限られているとはいえ、一般的かつ恒常的に本件空港の供用の停止を求めるものであつて、いわば空港の供用の部分的休止又は廃止を求めるにひとしいものといわなければならない。
そして、法が、国営空港の設置又はその変更にあたつては、運輸大臣が航空行政権の行使として飛行場の位置及び範囲等を定めてその設置決定をすべきものとし、公営ないし私営の公共用飛行場に関しても、その設置又は休止若しくは廃止あるいは管理規程の制定又は変更につき運輸大臣の許可又は認可を必要としている趣旨に照らすとき、本件空港について右のような供用停止の措置をとることは、本件空港の総合的な供用行為の基盤である運輸大臣の航空行政権に直接かかわるものであるといわなければならない。
そうすると、被上告人らの前記請求は、私法上の請求権の行使という形式をとつているとはいえ、同時に又はその実質においては、運輸大臣の航空行政権の行使によつて支えられ、それを基盤として存立している本件空港の供用行為の差止めを求めるに帰着し、結局、運輸大臣の航空行政権の行使に関する不服を内容とするものであると解するのが相当である。
そして、本件空港の管理権の行使が運輸大臣の航空行政権を基盤とする総合的な空港供用行為と密接不可分の関係にあることにかんがみ、被上告人らと上告人との間の本件空港の供用差止めに関する紛争は、本件空港に関する右のような総合的な供用行為の適法性を争う訴訟において、公共の利益の維持と私人の権利擁護との調和を図るという観点からこれを審理判断するのでなければ、根本的な解決をみることはできないというべきである。したがつて、このような争訟は、本件空港の設置等につき運輸大臣がした前記のような個々の行政処分の取消訴訟によるか、あるいは、争訟手続上は本件空港の供用行為そのものを全体として公権力の行使に当たる行為として把握し、それに対する不服を内容とする抗告訴訟によるべきものと解するのが相当であつて、これを空港の事業主体である上告人と私人との間の対等当事者間の私法関係として狭義の民事訴訟の方法によつて審理判断することは許されないものというべきである。
(2)裁判官横井大三、同宮ア梧一は、(1)の裁判官伊藤正己の補足意見に同調する。
(3)上告理由第一点についての裁判官団藤重光の反対意見は、次のとおりである。

わが国は、狭隘な国土の上に、いまや世界に誇るべき経済的繁栄を享受している。しかし、その経済的繁栄が反面において種々のかげりを伴うことも、必然の現象だといわなければならない。公害は、その最たるものの一つであつて、本件大阪空港は、いわばその縮図として、われわれに重大かつ深刻な問題を投げかけているのである。この根本問題をいかに受けとめるかが、本件の処理にあたつても、ひとり第一点だけにかぎらず、各論点を通じて、大きな影響をもつはずである。けだし、法の解釈適用は、窮極的には、各自の立場を離れては考えられないのであり(団藤・法学入門三一四頁以下参照)、ことに本件のような種類の事件においては、それが拡大して現われるのである。そのような意味において、最初に、各論点を通じてのわたくし自身の基本的な立場をあきらかにしておくことを許されたい。
いうまでもなく、国民経済全体の繁栄が国民の経済生活を充実させることによつてその福祉を増進することは疑いないが、同時に、これに必然的に随伴する公害が国民の福祉を阻害することもあきらかであつて、「国民の健康で文化的な生活(憲法二五条参照)を確保するうえにおいて公害の防止がきわめて重要であること」は、公害対策基本法がその冒頭において宣言するとおりである。われわれは、本件空港が充分の面積の土地を用意することもなく住宅地区の近くに国際便・国内便をあわせて無数の航空機を発着させていることについて、わが国の国土の狭隘、経済の規模等を考えればやむをえない面があることは認識しなければならないが、しかし、それが付近住民の「健康又は生活環境」(公害対策基本法二条)に侵害を及ぼしている事実を看過することは許されない。
問題は、法律論として、これにいかに対処するかである。本件のような大規模の公害訴訟には、在来の実体法ないし訴訟法の解釈運用によつては解決することの困難な多くの新しい問題が含まれている。新しい酒は新しい革袋に盛られなければならない。本来ならば、それは新しい立法的措置に待つべきものが多々あるであろう。しかし、これについては、すくなくとも次の二点に留意する必要があるとおもう。第一は、わが国においては、新しい事態に対する立法的対処がきわめて緩慢であり、ばあいによつてはむしろ怠慢でさえもあるということである。このことは、いわゆる国益に直結することのない社会的ないし個人的な利益に関する場面においてとくにいちじるしいようにおもわれる。ことにそれが訴訟法のような司法法規に関するときは、なおさらである。したがつて、わが国においては、おなじ成文法国であつても立法的対応が機敏におこなわれる国におけるよりは、裁判所が法形成の上で担うべき役割はいつそう大きいといわなければならない。第二は、事態に対する対処のしかたとして、立法によることがかならずしも適当とはいえない事柄があるということである。法の改正は事態への対処が端的であるかわりに、ややもすれば一気に急激な変革をもたらす。むしろ、個々の事件の事案に即応して、判例の展開によつて妥当な解決をはかりながら、その集積によつて漸進的に法形成をはかつて行くのが適当なことが、いくらもあるのである。公害訴訟については、クラス・アクシヨンのような制度の立法的導入も考慮に値するとおもわれるが、個々の技術的困難を別にしても、いきなりそのような立法的措置をとることによつて法制の上に落差が生じることじたいにも問題がある。それよりも、裁判の上で、この種の事件に対処するために、できるだけの積極的な工夫をこらすことが望ましいといわなければならない(本件損害賠償の関係においても、慰藉料請求の形で訴求されているのであるから、損害をある程度抽象化・定型化してとらえることによつて、個別立証を要求することに伴う訴訟の徒らな繁雑化を避けることが可能かつ必要であるとおもう。わたくしが上告理由第三点に関して多数意見に同調し、また、同第四点の五のうち被上告人近藤嶋恵、同常洋子に関する部分について多数意見に反対するのも、このような見地に基づくのである。)。判例による法形成は、英米法のような判例法国において典型的にみられるものであるが、わが国のような成文法国においても決して相容れないものではない。法は生き物であり、社会の発展に応じて、展開して行くべき性質のものである。法が社会的適応性を失つたときは、死物と化する。法につねに活力を与えて行くのは、裁判所の使命でなければならない(団藤・法学入門一六三頁以下参照)。
もちろん、司法権の使命には厳然たる限界があり、いやしくもその限界を逸脱して立法権・行政権を侵犯することがあつてならないのは、三権分立の大原則からいつて当然のことであるし、司法権が過大の任務を引き受けることは司法の本質そのものからいつても許されないことである。しかし、このことと、裁判所が司法の本来の任務の範囲内において、法の解釈適用に創意工夫を凝らしてあたらしい事態に対処して行くこととは、全く別のことである。
わたくしは、およそ右に述べたような基本的立場に立つて、本件の問題を考えて行きたいのであり、以下に述べる私見もすべてこのような立場からするものである。

空港の航空機発着の差止は重大なことである。ことに重要な公益的機能を営んでいる国営の基幹空港ともなれば、差止が各方面に及ぼす影響は、はかり知れないものがある。したがつて、騒音等に悩む付近住民も、よほどのことがなければ、これを受忍しなければならないのであつて、差止請求のばあいの受忍限度は、損害賠償請求のばあいのそれよりも一段と厳格なものであるべきである。さらに、差止請求の根拠となる「人格権」といつたものをどこまで権利として、ことに排他的な権利として構成することができるかは、きわめて困難な問題である。しかし、いずれの問題についても、人間的価値の見地を軽視することにならないように、よく心しなければならないことも、また、言をまたないところであろうとおもう。原判決はこれらの問題を積極的な方向にむかつて解決しようとしているのであり、わたくし一個としては、基本的に、これに多くの共鳴を感じるのであるが、多数意見は、およそ、このような実体的な問題に立ち入ることなく、その前提問題としての差止請求の適法性の点において、これを不適法とみるのである。それは、被害の大小を問わず、また、排他的な権利の侵害があつたといえるかどうかにかかわらず、およそ差止に関するかぎり、現行法上、民事訴訟の途をとざすものである。それでは、住民側として改めて行政訴訟を提起する途が残されているかというと、多数意見は、「行政訴訟の方法により何らかの請求をすることができるかどうかはともかくとして」といつているだけであつて、この問題についての見解の表明を避けている。これは本件における直接の論点ではないから、形式的には当然の態度といわなければならないが、被上告人らの側からいえば、民事訴訟の途を封じられた以上、行政訴訟の途が開かれているかどうかは、重大関心事のはずである。このままでは、国民は途方に暮れる結果になるであろう。
この点について、伊藤裁判官がその補足意見において行政訴訟としての適法性を主張しておられるのは、その意図において共感を覚えさせるものがあり、わたくしも敬意を表するのにやぶさかでない。しかし、同裁判官が、運輸大臣の航空運送事業者に対する免許の付与や事業計画変更の認可が第三者にも受忍義務を課するもので対第三者関係においても公権力の行使にあたる行為としての性格を有するものとされる点については、容易に承服することができず、また、それ以外の点においても、行政訴訟の適法性をみとめる理論構成として、残念ながら、いまだ充分に成功したものとみることはできないのではないかとおもわれ、ただちに賛同することに躊躇を感じるのである。
わたくしは、本件のような差止請求について、およそ裁判所の救済を求める途をふさいでしまうことに対しては、国民に裁判所の裁判を受ける権利を保障している憲法三二条の精神からいつても疑問をもつ者であり、現行法の解釈として、このような結論をとるのは、すべての可能性を検討した上での最後のやむをえないこととしてであるべきだとおもう。いな、百歩を譲つて、かりに行政訴訟の途がないとはいえないとしても、本件のように被上告人らが民事訴訟の途を選んで訴求して来ている以上、その適法性をなるべく肯定する方向にむかつて、解釈上、できるだけの考慮をするのが本来ではないかとおもう。これは、前述のようなわたくしの基本的立場のしからしめるところである。
このような見地からあえていえば、かりに多数意見のような不適法説が理論上成り立つとしても、適法説もまた理論上成り立つのであれば、わたくしは後者を採用したいのである。まして、多数意見に難点があることは中村裁判官が適切に指摘されるとおりであり、わたくしとしては、とうてい多数意見に同調することはできないのである。

一般に、施設の設置・管理者が所有権等の使用権原に基づいてこれを自己または他人の利用に供しているばあい、設置・管理者はその利用によつて第三者の権利を侵害することがないようにその発生を抑止する義務を負うのであつて、もしその第三者の権利が排他的な性質のものであるときは、第三者はその侵害防止のため施設の設置・管理者に対してその利用の制限・停止を請求することができるはずである。本件空港のように公の営造物として国が設置・管理する施設についても、公の営造物による活動の本質は、権力的作用ではなく、私人のばあいと性質を異にするところのない便益提供行為であつて、一般市民に服従・受忍の義務を課する公権力の行使にあたる行為ではないから、第三者は原則として私人の設置した施設のばあいと同様の請求をすることができるものと解するべきであろう。もちろん、法律が施設の利用によつて利用者以外の第三者に生じる権利・自由の制約を受忍するように第三者に義務づけているときは別論であるが、本件空港の関係において、はたしてそのようにみるべき法律上の根拠を見出すことができるであろうか。
本件空港の使用については空港管理規則が定められて権力的規制がされているが、それは営造物の合目的的・効率的な利用のためであつて、その規制の対象となるのは営造物の利用者にかぎられ、また、航空法等の関係法規によれば、航空運輸行政の主務官庁たる運輸大臣は空港の供用を一定限度において義務づける権限を有するが、この権限は単に航空機の安全・円滑な航行の達成を目的とするにすぎない。要するに、法律が本件空港の使用についてみとめている権力的規制は、住民に対する関係でこれに受忍を命じる趣旨に出たものと解することはできないのである。
ところで、行政事件訴訟法は、違法な公権力の行使によつて権利・自由の制約を受けたときは、公権力の行使が当然無効と解されるばあいを除いて、抗告訴訟によつてのみ公権力行使の適否を争うべきものとしている。けだし、公権力の行使による私人の権利・自由の制約は法律に基づくことを要するという法治行政の原理を前提として、このような公権力の行使が法律の定める要件に適合するかどうかについては行政庁の判断に一応の妥当力(公定力)を与え、権利・自由を制約された者は原則として抗告訴訟の一種としての取消訴訟によつて事後的にのみ公権力行使の適法性を争うことができるものとし、また、公権力発動の裁量をも行政庁の判断に委ねる結果として、いわゆる義務づけ訴訟は抗告訴訟の一種としても許すべきでないとするのである。かように、公権力の行使により制約された権利・自由の救済方法が右のように制限を受けるのは、実定法が公権力の行使を行政主体の優越的な意思の発動として承認しているばあいにかぎられるのであるから、営造物管理主体と第三者との関係におけるように行政主体の優越的な地位がみとめられないばあいには、両者間の紛争は、それが私法上の関係であるか公法上の関係であるかによつて一般民事訴訟または公法上の当事者訴訟によつて解決されるべきことが当然だといわなければならない。そうして、本件のばあいは、その前者にあたるのである。
問題は、本件差止請求が認容されるとひいては空港管理規則の改正や航空運送業者に対する事業計画変更命令が必要になるなど、航空行政上の権限の行使を余儀なくされるので、そのことから、本件差止請求は当然に航空行政権の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含するものとみられるべきではないか、という点である。論旨はまさしくこの趣旨の主張をしているのであり、多数意見は、論旨とは理論構成に多少のちがいはあつても、結局、これを是認するのである。しかし、試みに、空港敷地の所有権について紛争があつて、その所有権を主張する者が民事訴訟を提起して所有権に基づくその敷地部分の明渡を訴求したというようなばあいを想定してみよう。その勝訴によつて生じるであろう事態は、本件のばあいと同様ではあるまいか。しかし、このようなばあいに民事訴訟の途をふさぐことは、とうてい是認されるべくもないであろう。わたくしは、すでに、このような点から、多数意見には賛同しがたいのである。中村裁判官は、この問題について、多数意見を分析した上でこれに対する徹底的な反論を加えておられるのであり、わたくしは同裁判官の反対意見に全面的に同調する者である。このようにして、わたくしは、上告理由第一点の論旨は理由がないものと考え、本件差止請求は適法であると解する。
(4)上告理由第一点についての裁判官環昌一の反対意見は、次のとおりである。
被上告人らの本件いわゆる差止請求は、国が、その営造物たる本件空港を主として航空法二条一七項の規定にいう定期航空運送事業を経営する者(以下、私の個別意見の中では「事業者」という。)の使用に供し、その運行する航空機を本件空港に離着陸させている結果、被上告人ら空港周辺住民は、それらの航空機が被上告人らの居住する地域の上空において発出し大気中に拡散させている騒音、排気ガス、煤煙、振動等によつて継続して損害を被つているが、特に夜間一定の時間帯において被る損害は、それが過去のものとなるのをまつて金銭による賠償を受けるのみでは真の償いにはならないとして、国に対し本件空港を右の時間帯に限つて事業者に使用させないことを求める私法上の不作為の給付請求であると解される。したがつて、論旨に答えるためには、右に述べた本件空港の使用の関係が、被上告人らと国との間においてどのような法的性格をもつものであるかを検討することが先決である。
今日、定期航空機による交通手段を整備し、確保することについての社会的要請には大きいものがあり、これに答えることが公共の利益に資するものであることは疑いを容れない。そして現在定期航空機の運航自体は営利を目的とする私企業である事業者の事業活動に任されているが、この事業活動に欠くことのできない空港の主要なものは国又はこれに準ずる公団が建設して事業者の使用に供するものとされている。それは、空港を建設して運営することが営利的私企業成立の要件である経済性をはるかに超える巨額の固定資本を必要とすることを主要な理由とするものであると考えられる。この関係を実質的に見ると、国と事業者とは定期航空機による交通手段という公共的便益を国民に提供する共通の目的のために相互に協力する立場にあるのであり、その点においては空港が私企業によつて設置、運営されている場合の私企業相互の関係と少しも異なるところはないというべきである。この意味において、国自身が少なからぬ空港を建設して事業者の運行する航空機の離着陸の用に供していることは、その実質において国民に対する便益の提供を目的とする広い意味での定期航空運送事業の一翼を担うものであり、この事業活動の重要な一部面をなすものとしてとらえるのが妥当である。もとより、それは、私企業の行う純経済的な事業活動とは異なつて国の行政作用に属する行為といわなければならないが、右の実質にかんがみると、一般国民との関係においてこれを国の権力作用と見るのは相当でない(なお、そうはいつても、国と事業者との間に、一般の共同事業者の間に存すると同様な広範かつ具体的な法律関係が成立するとまでするものではないが、少なくとも離着陸に直接かかわる部面については、これを両者の共同行為と見るべき実質が認められるというのであり、この実質があればこそ事業者の運行する航空機が空港外の地域において発する騒音等によつて生ずる被害についても、国は法的に無縁ではないということとなるのである。)。ところで、事業者は、事業の免許を受けるにあたつて、その使用する航空機の型式、関係空港における離着陸の回数と時間帯など、騒音等の発生に密接に関係する事項についての事業計画を定め、これを免許の申請と共に運輸大臣に提出しなければならず、事業計画の変更はその都度運輸大臣の認可を受けなければならないものとされ(航空法一〇〇条、一〇九条、同法施行規則二一〇条一項八号イ、ロ、ハ、二項六号イ、ロ、ハ、二二〇条等)、事業者は原則としてこの計画どおりの運航を義務づけられており、その実施に関して運輸大臣の監督を受けるものである(同法一〇八条)のみならず、運輸大臣には、事業者に公共の福祉を阻害している事実があると認められるときなどに、事業者に対して事業計画の変更を命ずる権限が留保されている(同法一一二条)。これらの法令の規定による規制ないしこれに基づく運輸大臣の事業者に対する行政上の規制行為は、これによつて、国と事業者との間に観念上存在すると考えられる空港の使用についての合意の重要な部分が決まるという側面をもつものといえるが、それは、定期航空運送事業の前述のような公益性にかんがみ、事業を免許制としただけでは不十分であり、事業の実施の部面においても国に強い発言力を留保し、右の合意の当事者としての国の優位を確保することが必要であるとの政策的、行政的配慮に基づいて、その法的根拠を用意したものであると解されるのであり、一旦両者間に空港供用の合意が成立してこれに基づく離着陸が実施されている段階において一般国民の立場からすれば、右の規制は、前述した国民に対する航空交通という便益の提供を目的とする事業の協力者双互間の合意に至る経過における内部関係にかかわる事柄にすぎず、それが存在するからといつて国の行為の実質が一般国民に対する権力的行為となるものと考えることはできない。また、多数意見が指摘するように、法は、右に述べた規制を含め、広く国の航空行政政策の実現のため、運輸大臣に広範な行政上の規制権限を付与しているが、国営空港の場合にあつても国のいわば自己規制によつてその設置、運営がされていると見るべきであり、私営空港が運輸大臣の規制に服していることと規制の形式に異なるところがあるだけであつて、第三者たる一般国民に対してそれぞれの空港供用の行為の法的性格に差異が生ずるものとは思われない。以上で検討した結果と、本件差止請求も国(その機関としての運輸大臣)の本件空港供用行為が被上告人らに対する不法行為を構成するとの主張を踏まえた請求であると解されるところ、公務員の不法行為に関する憲法一七条は、基本的に損害を受けた者が国又は公共団体に対し対等の立場において賠償を求めうることを明らかにした規定であり、同法条にいう法律として制定された国家賠償法は、右憲法の法意を承けて両者の関係を対等者間の法律関係を規律する一般法である民法の適用下に置き、ただ、事柄の特殊性に基づく立法政策上の考慮から適当と考えられる修正を加えたものと解されることを併せて考察すると、本件差止請求の面においても慰藉料請求の面におけると同様に国と被上告人らとの法的関係は、対等者間の、すなわち私法上の関係であると解するのが相当である。
このように見てくると、本件差止請求において、被上告人らは、人格権、環境権という私法上の権利の存在を主張し、この権利の侵害者としての国に対し私法上の妨害排除、予防の請求をしているのであつて、何らの行政処分を求めるものではないとする原判決摘示の被上告人らの主張が単なる言葉のうえだけのものということはできず、右請求は、私法上の請求としての実質を具えたもので、構成において欠けるところはないと考えられる。そして、他に本件差止請求につき本案の判断に立ち入ることを妨げるような点は認められないから、右請求の当否の判断は、本質的に裁判所によつてされるべきものに属し、かつ、本案に立ち入つてすべきものと思われる。そうすると、もし差止請求が認容されると、その内容を実現するためには航空行政権の行使の取消変更ないしその発動が不可避であるとの理由によつて被上告人らの請求を本案の判断に立ち入ることなく却下すべきものとする見解は、実質的に行政権の優越を容認するものとのそしりを免れないのではないかと考えられる。以上述べてきた見地から、私は、多数意見の採る結論及び理由のいずれにも賛同することができないのであり、論旨は結局排斥を免れないものと思う。
もつとも、そうであるからといつて、この点に関する原審の本案の判断及び原判決の主文をそのとおり肯認維持すべきものとするわけではない。そこで、あえて若干の私見をつけ加えたい。私は、いわゆる人格権ないし環境権という私権を承認し、その権能に基づいて被上告人らの差止請求を容認する見解には、法的安定の要請の見地から今直ちに賛同することはできないが、その理由の詳細についてはここでは立ち入らない。しかしながら、原判決の事実摘示によると、被上告人らは本件差止請求を不法行為法上の請求権として構成し主張しているものとも見られなくはないから、この見地から少しばかり考えてみると、私は、上告理由第五点についての私見の一で後述するように、被上告人らの本訴請求は、そのいずれも、窮極において、本件当事者間に既に継続して失われ、かつ、現に失われている、双方の行為を適法なものたらしめるべき均衡を回復することをねらいとするものにほかならないと考えるのであるが、このような事案が生起することは、現行不法行為法制の恐らくは予想するところではなかつたと思われ、他方このような事案の生起に対する立法的対応が緩慢であることは否定できないから、これに類する案件の司法的解決が少なからず求められている今日においては、法解釈によつて法と現実の狭間を埋める要請に可能な限り答えなければならないものというべきであること(この趣旨において、私は、団藤裁判官が、上告理由第一点についての反対意見の一において述べられるところには、個々の論点に関する法解釈の点は別として基本的に同感の意を禁じえないものである。)、一般に夜間における休息と睡眠が、人の活動の源泉であり、人たるに値する存在であるための必要欠くべからざる要件として、現実に確保されなければならないものであつて、本来金銭をもつて評価し、その支払いによつて代替することのできないものであり、他面空港供用の一部中止といつても利用者の比較的少ない夜間におけるものであつて、航空機の高速性を考慮すると、国の事業活動に及ぼす影響は必ずしも大きいものとは考えられないことなどの諸事情にかんがみると、本件夜間における離着陸の実情、本件空港の地域性、被害地域の広さ、航空騒音の大きさ・性質やその伝播経路の特殊性など、原審認定の事実関係のもとで、被上告人らは、地域住民の集団の一員としての立場において(この点については上告理由第三点の三についての私の意見参照)既に生じた損害に対する金銭による賠償とは別に、少なくとも現に存在している損害を排除するための客観的に適当と認められる方法を採ることを国に請求することができると解するのが相当である。そして右事実関係によれば、被上告人らが求めている本件不作為の給付請求の具体的内容が右のような現在の侵害の排除を実現する手段としてそれ自体不適当なものとはいえない。しかしながら、右請求は現在の侵害の排除にとどまらず将来の侵害の予防の請求と不可分一体をなすものとみるべきであるから、将来にわたつて国の自発的措置などによる事態の改善が望めず現在のままの損害の継続的発生が見込まれる事情が認められるのでない限り、本件具体的不作為請求を本件当事者間に上述の意味の均衡を回復する方法として適当な方法であると認めるのはちゆうちよされる。そして、原審の認定するところから右の事情が明らかであるとはいい難いから、被上告人らの本件差止請求に関する原判決主文の一の(一)をそのまま維持する結論に達することは困難といわざるをえない。ただ、多数意見が、差止請求についての本案の判断に立ち入ることは必要でないとしている以上、既に右のような私見を述べること自体、不適当のそしりを免れないとも考えられるので、これ以上論ずることを差し控えたい。
(5)上告理由第一点についての裁判官中村治朗の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件空港を航空機の離着陸に供用する行為の差止めを上告人に請求する被上告人らの訴えが適法かどうかについて、これを適法と解した原審の判断を正当とし、この点に関する上告理由第一点は理由がないとして排斥されるべきであると考えるものであり、これと異なる結論をとる多数意見には賛同することができない。以下に、その理由を述べる。

多数意見は、わが国における適切な航空政策の樹立及び実施のため、法は、運輸大臣に対し、広範な行政上の規制権限を付与するとともに、航空輸送活動上不可欠な施設である公共用飛行場についても、その管理運営と右の行政上の規制作用とが一体的に行われ、その間に矛盾抵触が生じないように、重要な公共用飛行場についてはこれを運輸大臣の管理する国営の飛行場として設置することとしているのであるから、このような法の趣旨に照らすと、国営の公共用飛行場である本件空港の管理運営に関する作用のうち、航空機の離着陸の規制等本件空港の機能の達成実現に直接にかかわる事項自体に関するものは、運輸大臣の行政規制権の行使と不可分一体的にされるもの、換言すれば、法律的には単なる営造物管理権の行使という立場に航空行政権の行使という立場をも加えた総合的判断に基づいて行われる作用であると解すべきであり、したがつて、本件空港の主体である上告人に対して本件空港を航空機の離着陸に供用する行為の差止めを求める本訴請求は、「航空行政権の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含するもの」であつて、通常の民事上の請求としてこれを訴求することは許されない、とするものである。
右の多数意見の見解は、本件空港の管理機関である運輸大臣がその管理の一環としてする本件空港の航空機離着陸への供用行為そのものが公権力である行政規制権の行使にあたるから、民事訴訟によつてその差止めを請求することは許されないとするのか、右の供用行為は運輸大臣が行政規制権の行使者としてする右の航空機離着陸に関する他の処分と密接不可分の一体的関係にあるから、前者の差止めの請求は、必然的に後者の取消変更ないしは処分権の発動を求める請求を「包含する」ものとならざるをえず、その点において、前者のみを切り離して通常の民事上の請求としてその差止めを求めることは許されないとするのか、文面上からは必ずしも明確とはいい難い。しかし、そのいずれであるにせよ、私には十分な根拠のある議論とは思われず、同調することができない。

右の多数意見に対する私の反対理由を述べる前に、論点を明確にするため、民事救済と行政救済との関係についての一般論につき若干触れておきたい。
行政庁の公権力の行使にあたる行為については、一般に、これによつて権利ないし法律上の利益を害されたとする者は、行政事件訴訟法に定める抗告訴訟の方法によつてのみ救済(損害賠償の請求は別である。)を求めることができ、民事訴訟(行政事件訴訟法に定める行政処分と関わりのない当事者訴訟も、これに準じて考えることができる。)の方法で救済を求めることはできない、と解されている。しかし、この法則が妥当するのは、行政作用のうちでいわゆる公権力の行使にあたる行為についてだけであつて、このような公権力行使性をもたない行為については、たとえそれが専ら公共の利益のためになされるものである点において私人の行為と異なる性質をもち、ある程度特別の公法的規制が施されている場合であつても、右の法則は適用されないのである。そして、右にいう公権力の行使にあたる行為とは、一般的には、平等な権利主体間の水平的関係とは区別される権力―服従の垂直的関係において、権力行使の権能を有する者が優越的な意思の主体として相手方の意思のいかんにかかわらず一方的に意思決定をし、その結果につき相手方の受忍を強制しうるという効果をもつ行為を意味するが、行政庁によるこのような権力の行使は、法治行政の原理の要求するところに従い、法律による特別の授権に基づき、そこで定められた要件を充足してされなければならないとの拘束を受けるとともに、他面、右の権限を与えられた行政庁が法律の規定に適合すると判断して一定の行為をした場合には、行政庁の右判断は一種の優越的妥当力をもち、私人がその適法性を争い、右行為の効果を否定するためには、あたかも裁判に対する上訴と同じように、専らそれを目的とする特別の不服手続によらなければならないとされている。この最後の特殊の手続的効力ともいうべきものが公定力と呼ばれるものであつて、行政事件訴訟法が行政庁の公権力の行使にあたる行為に対する不服訴訟として抗告訴訟という特殊の訴訟手続を定めているのは、かかる行為につき右の公定力が認められるべきであるとの原理を前提とするものである。そして、右のように公権力の行使にあたる行政庁に公定力を伴う判断権が与えられていることのいわば派生原理として、行政庁が右の判断権を行使して具体的な決定を下す前に行政庁の行為を拘束するような形の裁判による救済を与えることは原則として許されるべきではないとの法則が導かれるのであつて、行政事件訴訟法が、行政庁の公権力の行使にあたる行為について事前の差止めを求める訴えを正面から認めず、また、行政庁が法律上一定の作為義務を有する場合でも、その不履行に対し一定の要件のもとでの不作為の違法確認訴訟という特殊な形式の抗告訴訟しか認めていないのも、そのあらわれにほかならないのである。このように、行政救済が民事救済と著しくその性質、内容を異にするのは、右に述べた公権力の行使にあたる行政庁の行為のもつ公定力のためであり、右行為にかかる公定力が認められるのはさきに述べた理由によるのであるから、行政作用としてされる特定の行為がこのような公定力を有する公権力の行使にあたる行為に該当するかどうかについては、法律が右行為を当該行政庁の優越的な意思の発動として行わせ、かつ、私人に対してその結果を受忍すべき一般的拘束を課することとしているかどうか、このような意思の発動を適法化するための要件を定め、右行政庁がこの要件の充足の有無を判断して行動すべきことを要求しているかどうかを慎重に吟味して、これを決定しなければならないと考える。

以上に述べたところを前提として、まず多数意見につき想定される第一の見解について検討する。
ところで、この際あらかじめ指摘しておかなければならないのは、公の営造物の主体がその管理運営の一環として行う右営造物の利用の許否行為については、現行法上、一般に公権力の行使たる行政処分としてこれを行うべきものとされているところ、このことから、上告人は、右行為は当該営造物の利用関係とは全く無関係の一般第三者に対する関係でも公権力の行使たる行為の性質を有するものと解すべきであると主張するのに対し、多数意見は必ずしも一般論としてこれを肯定するものではないと考えられることである。この点については私も同様に消極の見解をとるものであつて、本件につき上告人の右の一般論に基づく主張を排斥した原審の見解は正当であると考える。すなわち、一般に公の営造物を設置し、これを管理運営する作用は、原則として、右営造物の物的施設に対する所有権等の権原から生ずる使用権能に基づき、かかる使用権能の及ぶ範囲において可能とされる非権力的作用であり、法律が右営造物の管理者においてする利用者に対する利用関係上の行為につき前記のように公権力行使性を付与している場合においても、それは、右営造物の使用権能に基づいてこれを他人に利用させるにつき、多数の利用者ないし利用希望者との間で利用関係の設定やその規律を適正かつ効率的に実施するためには、一方的な規制権の行使としてこれを行わしめることが必要かつ適切であるとの合目的性の考慮に基づくものであつて、これを超えて、右行為が一般第三者に対する関係でも公権力行使性を有するものとし、管理者が具体的に営造物の供用を決定した以上、たとえその利用の結果が上記営造物の使用権能の及ぶ範囲を超える場合でも、供用決定自体が取り消されない限り右第三者においてこれを受忍しなければならない拘束を受けるものとしていると解することは相当でなく、供用決定にこのような効果まで認めるためには、法律が特にその必要を認めてかかる効果を付与したと解すべき特段の根拠がなければならないと考える。
ところで、多数意見の前記見解は、本件空港のような国営の公共用飛行場に関しては、その管理機関である運輸大臣がその管理作用として行う行為のうち、少なくとも航空機の離着陸に関して行う規制行為は、単なる非権力的作用としての営造物管理権の行使にとどまるものではなく、一般的な航空行政機関としての立場における行政規制権の行使としての性質をも帯有する行為と解すべきものであるとするのである。これによると、多数意見は、本件の場合は、上述したような法律が特に一般第三者に対する関係でも公権力行使性を付与した特別の場合にあたるとするもののように思われる。しかしながら、なぜそのように解すべきかの理由については、多数意見の説くところは、公共施設としての公共用飛行場のうち基幹となるべきものについては、これを国営空港として設置し、一般航空行政権を専管する運輸大臣をして直接その管理運営にあたらせることが国の航空行政政策の遂行上適切であるとされたものであるといういわゆる基幹公共用飛行場の国営化の一般的な趣旨目的、ないし理由を挙げるにとどまり、それ以上の詳細な説明は示されていない。
思うに、国営空港設置の主たる理由が多数意見の説くようなものであることは、確かにそのとおりであろう。公共用飛行場は、公共の航空運輸活動のために不可欠の施設であり、わが国における国内及び国際航空運輸活動をどのような形で、どの範囲で、どの程度まで行わせるかについての航空行政政策の樹立及びその実現は、公共用飛行場の存在とその機能を抜きにしては考えられないところであるから、かかる公共用飛行場の設置・管理を専ら地方公共団体や私人のみに委ね、これに対する運輸大臣の諸種の許可、認可等の監督権の行使を通じてその活動をコントロールするだけでは不十分であり、むしろ、基幹となるべき公共用飛行場については、国営空港としてこれを設置し、運輸大臣をして直接その管理運営にあたらせることにより、航空政策上必要と思料される場所に必要規模を有する公共用飛行場の存在を確保し、あわせて航空行政機関と公共用飛行場の管理運営者とが別々である場合に両者の措置の間に生ずべき矛盾衝突を避け、航空行政上の政策決定とその実施の一元化をはかる必要があることは、たやすく肯定できるところであり、本件空港のような国営空港設置の趣旨、目的がそこにあることについては、もとより私にも異論はない。しかしながら、このような趣旨、目的の存在は、公共用飛行場を運輸大臣を管理機関とする国営空港として設置する理由の説明とはなりうるが、それを超えて、この場合における管理機関としての運輸大臣の管理運営に関する作用が、たとえ航空機の離着陸の許否に関する部分のみに限られるにせよ、論理上当然に単なる施設管理権の行使たる性質のほかに航空行政規制権という公権力の行使たる性質をも有するものとなるとか、ないしは法律が国営空港として設置することとしたこと自体の中に右のような公権力行使性を付与する趣旨が含まれているものと解すべきであるといつた結論を導き出すことは、右の理由だけからは不可能ではないかと思われる。確かに、特定飛行場における離着陸を含む一定の航空路線による航空運輸の円満な実現を確保するためには、かかる航空活動に対する航空行政機関の規制作用と当該飛行場の管理運営者による右飛行場の供用行為との間に密接な協同性がなければならず、両者の判断や意思決定に矛盾齟齬が生ずることを避けなければならないが、国営空港については、そのような目的は、右の判断ないし意思決定が同一人ないし同一機関に委ねられるということによつてすでに一応達せられているはずであり、それ以上にそのそれぞれの行為に含まれる判断なり決定なりが法律上同じ性質とこれに伴う効果とをもつものでなければならないとするためには、更に特段の理由づけが必要ではないかと思われる。
思うに、公共用飛行場を航空機の離着陸のために供用する行為は、その飛行場の物的施設を右の用途に使用させることと離着陸に必要な人的役務を提供することとを含んでいるが、いずれもその中には行為自体の性質として公権力行使性をもつものは含まれていない。このことは、私営の公共用飛行場についてはもとより、公営のそれについても同様であろう。それが国営空港となつた途端にその供用行為に公権力行使性が出てくるというのは、いつたいいかなる理由によるのであろうか。私は、強いていえば、次のように説明する以外にその理由づけは困難ではないかと思う。すなわち、航空運輸は高度の公共的必要性を有する事業であるが、その具体的内容をなす航空機の飛行活動、なかんずく本件で問題とされている飛行場での離着陸は、その際に発する騒音や排気ガス等によつて飛行場周辺の住民等の第三者に特別の不利益を生ぜしめる可能性をもつ行為である。それ故、このような航空機の飛行活動を可能ならしめるためには、できる限り後者の被害を減少させる措置を講ずるとともに、具体的にどの程度の飛行を実現させるかについては、具体的な条件のもとで右の公共の必要性と第三者の被るべき不利益とを相互に比較考量してこれを決定しなければならない。この決定は、事柄の性質上、航空行政についての権限と責任を有する行政機関、すなわち運輸大臣に第一次的に委ねられるべきものであり、現行航空法等も、そのような建前をとつていると解すべきである。すなわち、運輸大臣は、例えば定期航空運送についていえば、事業者の提出する事業計画に基づく免許の付与や事業計画の変更の認可(航空法一〇一条、一〇八条、一〇九条。以下、単に事業計画に関する認可処分という。)にあたつて右のような判断のもとにその許否を決すべく、また、その航空機の離着陸に必要な公共用飛行場の供用については、私営又は公営のそれに関しては当該飛行場の設置及び管理に対する航空法所定の各種の許認可権、例えば供用の休止ないし廃止に対する許可(同法四四条)、管理規程の制定、変更に対する認可(同法五四条の二)の権限の行使に際して右の判断を行い、間接的にこれに従つた供用をなさしめるとともに、国営空港についてはみずからがその管理機関として同様の判断のもとに直接供用の範囲及び内容を決定すべきものとしていると解すべきである。そして、このような判断ないし決定は、いずれの場合にもひとしく公定力をもつ行政判断ないし決定たる性質をもつものというべく、したがつて、国営空港である本件空港の供用行為には、少なくとも航空機の離着陸の規制に関する限り、公権力の行使たる性質が含まれているというべきである、との議論である。
右の議論には、一応もつともな点が含まれている。一般に、直営たると特許によるとを問わず、公企業の遂行が一般第三者に被害を生ぜしめる可能性がある場合に、両者の間の調整をはかるためには、その間に行政的な判断とこれに基づく措置を介在せしめるのが合理的であり、できる限りそのような線に沿つた具体的な立法上の手当がなされることが望ましいこと自体については、私にも異論はない。航空輸送事業及びこれに関連する公共用飛行場施設の設置・供用事業の遂行と一般第三者との間の利害の調整の問題も、同様である。しかし、このことから、現に航空法その他の関係法律がこのような趣旨の立法をしたものであると解することには飛躍があり、そのためには規定上の特別の根拠を示すことが必要ではあるまいか。一般に法律が上記のような行政的判断とこれに基づく措置による調整の方法を講ずる場合には、右の判断の基準や具体的措置の内容を定め、要すれば必要な調査や決定の手続を定める等しかるべき規定上の手当をするのが普通であるし、少なくともその趣旨を窺わしめるような規定をどこかに設けるはずと思うのであるが、航空法その他の関係法律の中には、どこにもそのような規定が見あたらないのである。それにもかかわらず、単に事柄の望ましさだけから法律の規定の中に一定の解釈を持ち込むことは、恣意的に過ぎるとの批判を免れないのではあるまいか。
のみならず、仮に多数意見の解釈に従い、運輸大臣の上記処分、例えば前記航空法による事業計画の認可や飛行場の管理規程の制定、変更に対する認可等の処分に上述のような内容の判断ないし決定が含まれているとすれば、これらの処分に基づいてされる行為、すなわち当該事業計画に沿う飛行活動や飛行場の供用行為は、一般第三者である飛行場周辺の住民に対する関係でも、それらの者の被る被害のいかんにかかわらず一応適法化されることとなるが(そうでなければ右の判断ないし決定に公定力を付与する意味はない。)、航空法の右各規定は果してそのような趣旨まで含むものとして定められているのであろうか。私には、どうしてもそのようには解されない(もつとも、運輸大臣の上記各規定による許認可権限は、事業者に対する関係ではかなり裁量の幅の広いものであるから、許認可にあたつて飛行場周辺の住民の被害を考慮してこれを決定するということも、あるいは裁量権の範囲内として可能であるかもしれない。しかし、このことは直ちに、認可等の処分がこれら住民に対する関係で上述の効果を生ずることまでを意味するものではないと思われる。)。上告人も、現行法の解釈としてこのような主張を少なくとも明示的にはしておらないし、本件において、被上告人らの度重なる被害の訴えにもかかわらず、運輸大臣が、飛行活動の許容限度を決定するために、右の被害の実態を調査する等し、これに基づいて比較考量による判断を行つたことを窺わせるような形跡がほとんど認められないことも、運輸大臣自身が法律上右のような権限及びこれに伴う職責を有していたとは考えていなかつたことを示すものではないかと思う。
以上の理由により、多数意見の上記見解は、正当とはいい難いと考える。

次に、多数意見について想定される第二の見解について検討する。この見解は、本件空港のような国営空港の管理機関である運輸大臣のする航空機の離着陸のための右空港の供用行為は、航空行政機関としての運輸大臣がその行政規制権の行使としてする右離着陸を含む航空機の飛行そのものの許否の処分と密接不可分の関係にあり、前者の行為の差止めを求める請求は、必然的に後者の処分の取消変更ないしは右規制権限の発動を求める請求を含むものとならざるをえないとするものである。
右の見解に対して抱かれる疑問は、そこにいう「密接不可分」ということが法律的には何を意味するかということであり、したがつてまた、航空機の離着陸のための空港の供用行為の差止めがなぜ必然的に右離着陸を含む飛行活動の許容処分の取消変更ないしはこれに関する処分権限の発動の義務づけを含むこととなるのか、ということである。もし密接不可分ということの意味が、行政規制権の行使として特定飛行場における離着陸を含む航空機の飛行を許容する処分がされれば、その飛行場の主体は、右離着陸が許されないものとして飛行場の供用を拒否することができない拘束を受けるという趣旨であれば、かかる解釈が肯定される限り、飛行場主体に対する右供用の差止請求は、その実質においてこれに先行する飛行許容処分の取消変更を求める請求ないしは今後における許容申請に対する拒否の義務づけを伴う請求たる性質を有するものということができるかもしれない。しかし、右の前提である飛行の許容処分がその効果として上記のような拘束を生ずるとの解釈の当否自体が問題なのであり、多数意見はこれについての特段の説明を示しておらないし、私は、現行法上このような効果を認めるべき根拠をどこにも見出すことができないと思う(その点は、私営、公営の公共用飛行場である場合と国営のそれである場合とで異別に解すべき理由はない。)。もつとも、公共用飛行場の供用は公共性をもつ事業活動であり、一般的に事業主体は特段の理由のない限りその事業内容である一定の役務の提供を廃絶したり、拒否したりすることができないとされているから、航空機の離着陸が適法である限り飛行場をその用に供しなければならない拘束を受けているといえるけれども、このような拘束は、当該事業のもつ公共性から法律が事業主体に課している一般的な義務に基づくものであつて、前記航空行政機関の飛行許容処分の法的効果として生ずるものではない。そして、飛行を許容する行政処分がその飛行を対第三者関係において適法化する効果をもつものでないことは、さきに事業計画に関する認可処分に関して述べたとおりであり、そうである以上、航空機の離着陸が飛行場周辺の住民の権利、利益を不当に侵害し、客観的に違法と判断されるものである場合には、飛行場の主体は、右の行政処分にかかわらず、その離着陸に右飛行場を供用することを拒否することができるし、むしろ、そうすべきなのであるから、判決によつてかかる拒否を強制されたからといつて、必然的にすでにされた右の離着陸を含む飛行を許容する行政処分が判決によつて取消変更されたと同一の結果となるわけのものではない。また、右の飛行場の供用が差し止められた結果その使用が不可能となり、そのために仮にかかる離着陸を含む航空機の運行についての許容処分の申請がされた場合に、行政機関としては右の使用不能を理由として拒否せざるをえないこととなるとしても、それはいわば右差止めを命ずる判決の附随的ないし反射的効果というべきものであつて、行政機関が許否の決定について付与されている許容要件に関する第一次判断権を拘束するような性質のものではないから、差止請求が行政規制権限の行使を拘束し、これに対して義務づけを施すことを求める請求を含むものとしてこれを違法視するにはあたらないのである(その意味では、飛行場主体が当該飛行場について使用権原を有しないためにその使用が禁止された場合に、行政機関も右飛行場における離着陸を前提とする飛行に対し許容処分をすることができなくなるのと異なるところはない。)。
以上に述べたところのほか、私は、多数意見の上記見解における本件空港の航空機離着陸への供用行為と右離着陸を含む飛行に対する許容処分との間のいわゆる密接不可分性、及び前者の差止請求が必然的に後者の処分の取消変更ないしはその権限行使に関する義務づけ等の請求を含むこととなるとの論を根拠づける理由を見出すことができないので、結局、これにも賛同することができない。

私が多数意見に同調しえない理由は以上に述べたとおりであるが、これに関連して上告理由第一点における上告人の論旨のうち、右に述べた以外の点に関する部分についての見解を簡単に示しておきたい。
(一)上告人は、本件空港における夜間の航空機離着陸によつて被上告人らにつき生じているとされる権利侵害の直接の加害者は、その離着陸を行つている航空機の属する航空会社であつて、上告人ではないから、上告人に対してかかる加害行為がなされないようにすることを求める被上告人らの本訴請求は、結局、上告人に対して右の加害行為をさせないようにするために必要な措置をとることを請求するものにほかならないというべきところ、かかる措置はいずれも運輸大臣による公権力たる性質を有する航空行政権又は空港管理権の行使による積極的な作為処分を内容とするものであるから、被上告人らの右請求は民事訴訟による請求としては許されない、というのである。しかし、本件空港の主体である上告人において右航空機の離着陸に本件空港を供用する行為が被上告人らに対する関係では公権力の行使たる性質をもつものでないこと、右供用の差止めを命ずる判決がその本来の内容ないし効果として行政機関たる運輸大臣に対し一定の内容の規制権限の行使を義務づけることとなるものでないことは、すでに述べたとおりであるから、上告人の右論旨は採用の限りでない。
(二)上告人は、また、本件空港における航空機の離着陸による被害の発生を防止するためには本件空港の供用の中止のほかに航空行政作用としてなしうる幾つかの措置、方法があり、運輸大臣はそのいずれによつて右の目的を達するかにつき広い行政裁量権をもつているのに、そのうちの一つである本件空港の供用中止のみを上告人に強制するのは、右の裁量権を不当に制限するものであつて、三権分立の原則に違反する旨主張する。しかしながら、本件差止請求は、運輸大臣の航空行政権の行使としての規制措置等によつて被害発生原因の解消をはかることを排除するものではなく、上告人国においてこのような手段をとることはもとより自由であり、これによつて現実に被害原因がなくなれば、本件空港主体として格別の供用中止措置をとる必要も消滅するというだけのことにすぎないのであるから、本訴請求をもつて所論のように行政上の裁量権に対する司法権の不当な制限、侵害として三権分立の原則に反するものということはできない。なお、本件空港の供用が国の航空行政全体の中に組み込まれ、他の航空行政作用と密接な関係を有しており、本件空港の供用の一部差止めが他の航空行政にさまざまな影響を及ぼすことは否定できないが、このような関係があり、また、このような影響を生ずるということから直ちに、本訴請求をもつて司法の行政に対する不当な介入を求めるものとして三権分立の原則に反するとするのも、理由のない議論である。この点に関する論旨は、ひつきよう、前記(一)で論じた多数意見の見解に類似する議論を前提として展開されているものにすぎず、その前提が排斥される以上、採用の限りでない。
以上の次第で、私は、多数意見と異なり、被上告人らの本訴差止請求を適法とした原審の判断は正当として是認すべきであり、原判決に所論の違法はなく、論旨は排斥されるべきものと考える。
なお、最後に、本上告理由については別に団藤裁判官が反対意見を述べておられるが、同裁判官が右の意見の中でその基本的立場として示されている一般的見解には私は同感するところが多く、本件の紛争及び訴訟の経過をみると特にその感を深くすることを附言しておきたい。
(6)上告理由第一点についての裁判官木下忠良の反対意見は、次のとおりである。
私は、本件差止請求は民事上の請求として適法である、と考えるものであり、以下にその理由を述べる。

被上告人らの本件差止請求の骨子は、(1)国は、その営造物である本件空港を航空会社等の航空機の発着の用に供しているが、国の右供用の結果、ジエツト機等の発する騒音等により、被上告人ら空港周辺の住民は、広範囲にわたつて重大かつ深刻な被害を受けており、特に夜間においては金銭では償うことのできない損害を被つている、(2)これは、本件空港の設置・管理の瑕疵によるものであり、結局は、国は、右の瑕疵に起因して被上告人らの私法上の権利(人格権又は環境権)を侵害するという違法行為をつづけてきた、(3)そこで、被上告人らは、右の私法上の権利に基づき、右瑕疵による侵害の排除又は予防として、本件空港の管理主体である国に対し、毎日午後九時から翌日午前七時までの間、本件空港を航空機の発着に供用する国自身の使用行為の禁止を求める、というのである。

思うに、国は、本件空港を占有使用する権能をもつているが、それは、所有権に基づく権能と全く同一のものではないにせよ、本件空港の物的基礎をなす土地(滑走路、誘導路を含む。)その他の施設に対する所有権その他の権原に由来するものである。したがつて、国の右使用権能は、空港が公共の用に供されるために公法的規制を受けることはあつても、その本質において私法上の所有権に基づく使用権能と異なるところはない。国はかかる権能を行使して本件空港を自ら占有使用し、航空機の発着に本件空港を供用しているのである。他方、前記のように、被上告人らは、本件差止請求において、本件空港の設置・管理の瑕疵に起因して、国が被上告人らの私法上の権利を違法に侵害するものであると主張するのである。
ところで、本件差止請求において被上告人らの主張する国の営造物である本件空港の設置・管理の瑕疵の意義については、多数意見が、上告理由第五点において、国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵に関して判示しているところと同様に解するのが相当であるところ、本件空港のように国際航空路線と国内航空路線を通じてその基幹となるような公共用飛行場をどの地域にどのような規模で設置し、どのように管理するかは、本件論旨に関し多数意見も述べるように、航空行政全般にわたる政策的判断を、不可欠とするものであつて、運輸大臣の航空行政権が本件空港の設置・管理に規制を加えていることは疑いをいれないところであるが、被上告人らは、その点の瑕疵をも捉えて設置・管理の瑕疵であると主張しているのである。

また、本件空港の供用に関しては、国の機関としての運輸大臣の航空行政権が作用するけれども、その航空行政権は、国の本件空港に対する使用権能を基盤とする空港の運営に対して規制を加えるものであり、その意味において、国の空港使用権能と運輸大臣の航空行政権とは法的に区別されるし、また、区別して考えなければならない。
本件差止請求の対象は、国自身の右のような使用権能に基づく使用の禁止という不作為の給付であり、被上告人らは、運輸大臣による本件空港の供用に対する行政権限の発動又はその行使の禁止を国に求めているものではないから、これに対して航空行政権がかかわる余地はないのである。これを本件差止請求を認容する判決が確定した場合における判決の効果の点からみても、かかる判決が直接に航空行政権の行使を拘束し、これに対して義務づけをすることになるものではない。このことは、中村裁判官がその反対意見(本判決一一九頁、一二〇頁・編注
本号三六三頁)において述べておられるところであり、私の意見もこれと同一であるから、右意見に同調するものである。

そうすると、本件空港の設置・管理の主体としての国は、その設置・管理の瑕疵に関して、被害者である被上告人らに対する関係において、その地位に固有の法的責任を自ら負担するものであり、被害者が国に対し、その責任を追及する場合の請求の適否を判断する段階において右のように右設置・管理の主体としての立場とは法的に区別されるべき航空行政権の立場を斟酌することは、許されないといわなければならない。したがつて、本件差止請求において、被上告人らが本件空港の設置・管理上の瑕疵を原因とする違法な権利侵害を主張して、国に対し本件空港の使用禁止を訴求するものである以上、本件空港の管理主体である国が、これを不適法と主張することは許されないと解される。
したがつて、被上告人らの本件差止請求は、国と被上告人らとの間の前記のような私法上の違法な権利侵害を前提として、被侵害者である被上告人らが侵害者である、空港の設置・管理主体である国に対し、侵害の排除ないし予防として、国自身の前記のような使用禁止の不作為給付を対象とする請求をなすものであるから、その請求は私法的規制に親しむものとして、民事上の請求と解して間然するところはない。
以上により、私は、本件差止請求は民事上の請求として適法である、との結論に至つたものであり、これを不適法とする多数意見には同調することができない。結局、本件差止請求を適法とした原審の判断は正当として是認すべきであつて、原判決には所論の違法はなく、論旨は排斥されるべきものと考える。〔過去の損害の賠償請求に関する個別意見〕
(7)上告理由第五点についての裁判官服部高顯、同伊藤正己、同宮ア梧一、同寺田治郎、同谷口正孝の補足意見は、次のとおりである。
われわれは、上告理由第一点についての判示において、本件空港の設置及び管理に関する事項のうち空港本来の機能の達成に直接かかわるものは運輸大臣の航空行政権の行使、すなわち性質上いわゆる公権力の行使に属するものと不可分一体のものであるとし、狭義の民事訴訟の手続により航空機の一定時間帯における離着陸の差止めを求める請求は不適法である、と断定した。
ところで、国家賠償法一条一項にいう公権力の行使とは、広く私経済作用を除く公権力主体の一切の作用をいうものと解するのを相当とするから、われわれの理解するところによれば、本件空港における航空機の発着によつて周辺住民が被る被害について、その他の要件がみたされる限り、国は同項の規定により損害賠償の責めを負うべき立場にあるものといわなければならない。
しかしながら、このことは、当然のこととして、右侵害につき同法二条一項の規定による国の損害賠償責任の問題が論議されるべき余地がないことを意味するものではない。すなわち、われわれは、離着陸のためにする本件空港の供用が一面において営造物の管理権の行使たる性質を有することを否定するものではなく、管理権と航空行政権とが不可分一体的に行使実現されているものと解するから、右供用の差止めの請求の適否という観点からみる限り、性質上、狭義の民事訴訟の手続による差止請求権の対象たりえないものとして、かかる請求を不適法と断ずるのであるが、これとは別個の、しかも損害賠償請求という、性質上、分離的考察が可能であり、かつ、航空行政権の行使そのものに直接の影響を及ぼすことのない請求については、右管理権の行使たる側面をとらえてこれを許容するにつき何らの支障もないものと考えるのである。そして、このような前提に立つ限り、本件空港の設置・管理作用の主体でもある国が同法二条一項の規定による責めを負うと考えるべきことは、多数意見の説くとおりである。
かくして、われわれは、上告理由第一点につき多数意見にくみしながら、上告理由第五点については、国家賠償法二条一項を適用した原判決を相当と認め、この点についての上告は理由がないものと考える次第である。
(8)裁判官環昌一の上告理由第五点及び第三点の三についての意見、第四点の一ないし四についての補足意見、第六点の一についての意見は、次のとおりである。
上告理由第五点について

論旨についての私の見解を述べるに先立つて、本件事案に対する私の基本的認識を便宜ここで集約して明らかにして置きたい。原判決の認定した事実によると、本件で加害行為とされているのは、本件空港に離着陸する際、事業者らの運行する航空機が主として被上告人らの居住地域の上空を高い頻度でくり返し飛行することであり、個々の飛行行為を包括して、環境汚染の状態を出現させる継続的行為をいうものであると考えられ、また、さまざまな具体的被害として主張されているものは、加害行為の右の実質に対応して、個々の飛行行為に結び付くものというよりは、右の状態の中で発生する被害をいうものとみられるのである。このように、本件事案は、その加害行為と被害の両面において通常の事案とは趣を異にするところがあるから、現行の実体的、手続的法制のもとではこれを被上告人ら個々の請求の併合されたものとみることはやむをえないとしても、法解釈のうえで適切な修正が要請されると思われる。
以上に述べたところから、本件の判断にあたつては次の二つの課題が中心的な検討の対象となると考えられる。すなわち、(ア)直接的には事業者の事業活動の一環である加害行為と国との法的なかかわり合いを、行為の実質に即してどのように理解すべきであるかということと、(イ)右に述べたような柔軟な法解釈のもとで、本件被害の本質をどのようにとらえるべきであるかということである。そして、右(ア)の点について、国が本件空港等の国営空港を設置して事業者の運行する航空機の離着陸の用に供していることの実質からみて、離着陸時における飛行行為は、国と事業者とが共同して一般国民等に航空機による交通手段という便益を提供するための事業活動における、国の共同者の行為であつて、国はこの行為について共同者として法的責任を負うものと解することについては、上告理由第一点についての私の反対意見で述べたとおりであり、右(イ)の点について、本件被害は被上告人らが個別的に被るものをいうのではなく、前述した加害行為によつて出現した状態、すなわち生活環境の汚染そのものをいうものと解することについては、上告理由第三点の三についての私の意見で述べるとおりである。
右の二点についての私見に基づいて考察すると、本件紛争は、本件当事者双方の共にその本質的部分において適法とされる行為の結果の相克にその実体があるのであつて、その相互の適法性の限界を画すること、いいかえれば両者の両立、共存の条件を探ることが本件の判断における基本的姿勢であるべきものと考えられる。そして、そのためには、抽象的にいえば諸般の事情に基づく当事者双方の間の利益衡量により右にいう適法性の限界を画する均衡点を求めるほかはないというべきであるが、右にいう事情の中でも、被上告人らの側においては被害としての環境汚染の態様、性質(人の身体、健康にまで影響を及ぼすような性質のものであるかどうかなど)、その広がり、甚しさの程度(一般のいわゆる都市騒音特に交通騒音の実態、関連のある各種の行政上の規制値との比照の結果など)、被上告人らの居住地の地域性(工場地帯、都心地域、交通ターミナル地区、歓楽地区など、自然に形成されてきて、一般住民によつて本来都市騒音の激しいことが当然であると認識されているような地域に属しているかどうか)などが、他方、国の側においてはいわゆる事業の公共性(定期航空による交通手段が安定して国民に提供されることに対する社会的要請の強さ)が、中心的な考慮の対象となるものと思われる。そして、右にいう均衡点ないし適法性の限界は、一般の不法行為事案における場合とは異なり、この種事案における不法行為の成否にかかわる客観的な要件であると解すべきである。なお、私は、被害の程度、態様等の如何によつては、国が、客観的に相当と認められる額の、補償金ないし償金類似の金員を住民に支払い、又は現実に提供することも右の衡量において少なくとも補充的には国の側の有利な事情の一つとなりうる場合があると考える。
以上の検討の結果、国の行為によつて右の均衡が破られ、その度合いが法的に無視することを許さない程度に達したものと認められるときは、国は、みずからの行為が適法であると主張することを許されず、国においてこのような事実を知り又は知るべきであつたにもかかわらず、汚染の発生を予防し、発生した汚染を排除、軽減する適切な措置(例えば事業者に対し離着陸の回数の減少やその時間帯との関係での調整を命じたり、場合によつては特に問題となる時間帯の運航を止めさせて他の時間帯でこれを消化する方途を講じさせるなど、騒音等の発生そのものを全体として軽減させる方策のほか、住民の住居等に対する防音施設の施行、相当の補償金をもつてする住居等の移転の推進その他これらと同等の評価に値する現実性の高い対策の実施の提供など)を採ることによつて均衡の回復に努めることもせず、また、前記のような金員提供の挙に出ることもなかつたような場合には、事業の執行に当る公務員の、少なくとも過失による違法な加害行為があるとされ、国は、空港使用の場面において事業者との共同事業者に準ずる立場に立つ者として、環境汚染につき不法行為法上の責任を免れることができないものと解するのが相当である。

そこで、以上の見解に立つて論旨について検討する。上告理由第一点に関して前述したような国の事業活動の性格にかんがみると、本件空港は、国の内外にわたる航空路網の一つの結び目であり、そこにどのような機種、型式の航空機がどのような回数と時間帯において離着陸するかは、国の右事業運営全体との関連において決められるのであるから、本件空港を事業者の使用に供している国の行為は、全国にわたる国の事業活動の一環としてとらえるべきであり、これを本件空港という特定の空港の管理行為と見る見解には賛同し難い。この見地から、私は、本件金銭賠償の請求に適用されるのは民法の不法行為の規定を修正する規定としての国家賠償法一条一項であると解する。原判決の事実摘示によれば、被上告人らは適用法条として民法七〇九条を掲げるにとどまり国家賠償法一条一項を指摘するところがないが、本件事業活動のような国の非権力的行為にも右国家賠償法一条一項の定める民法に対する修正を施すことが合理的であると考えられるので、結局、被上告人らは、民法を基底として直接には国家賠償法一条一項に基づく請求につき裁判所の判断を求めているものと解することができる。ところが、同じく右事実摘示によれば、被上告人らは、本件空港は、空港が本来具えているべき性質、設備を欠き不適切な運用がされ、そのため被上告人らに被害をもたらしている以上、国家賠償法二条一項にいう瑕疵を有するものというべきであるとも述べ、原審は被上告人らの右規定に基づく請求を容認している。そこで考えるのに、右に指摘した被上告人らの主張事実と、これに応えた原審の判断は、それぞれ原判決の事実摘示中第一審判決事実摘示の被上告人らの請求原因第四の三を引用する部分及び原判決の理由の第三の五に集約して記載されているとおりであるが、これらを対比して考察すると、本件第一審及び原審を通じて右の点に関する被上告人らの主張する事実は一個のみであり、原審もこの事実について審究した結果右の判断に到達したものとみられないものではない。そして、先に述べた私見によれば、原審の確定した事実に対しては同法一条一項を適用すべきものと解されるから、前記原審の判断は誤りであるというほかはない。しかしながら、以上述べたところのほか、訴訟経済の見地からする考慮をも加味して考察すると、右の誤りを理由に原判決を破棄することなく、原判断の当否を同法一条一項の適用を前提として検討するのが相当であると思われる(民訴法三九六条、三八四条二項参照)。そうすると、論旨は、結局、結論に影響を及ぼさない点について原判決を論難するに帰することとなり、採用することができないものである。
上告理由第三点の三について
私は、論旨に答えるためには、被上告人らがその被る損害として主張しているものの本質について、先入観にとらわれることなく、これを直視することによつて検討を加える必要があると思う。被上告人らのこの点に関する主張を原判決の事実摘示によつてみると、(ア)被上告人らの居住する地域は本来環境に恵まれた理想的な住宅地であつたはずであるのに、本件騒音の発生等によつてその環境は破壊されてしまい、健康にして快適な生活を維持し静穏な環境のもとで幸福を追求する権利(いわゆる人格権ないし環境権)を著しく侵害された、(イ)環境権とは、憲法一三条、二五条によつて認められた人格権(いわゆる健康権を含むものとして)を発展させその外延を守るものとして承認されるべき排他的な支配権としての私権である、(ウ)被上告人らが本訴で求めているのは、被上告人ら地域住民が等しく享受してきた自然環境がこわされ、その中での生活が破壊され、家庭生活がその本来の機能を果たせなくなり、ついには健康まで蝕まれるに至つたことによる損害の償いである、(エ)被上告人らは、上告人の行為による全生活の破壊そのものを非財産的損害としてとらえ、その償いを求めているものであつて、単に精神的苦痛のみの慰謝を求めているものではない、というのがその要旨であると認められる。私は、今直ちに被上告人らの指摘する憲法の法条などを根拠として、いうところの排他性を具えた人格権ないし環境権という一個の私権を承認する見解にくみすることはできないが、ここでは以下に述べるような理由によりこの点の検討に立ち入る必要はないと考える。
思うに、人が発生させた騒音、排気ガス等が社会観念上一つの地域というに足る相当な広範囲にわたつて大気中に拡散した結果、大気汚染の状態が地域的に現出し、かつ、地域内の住民の相当数のものに右騒音、排気ガス等による財産的、精神的その他の具体的、個別的な被害が現実に生じたときは、その地域は、いわば一つの危険(換言すれば諸々の具体的被害を住民の個々に発生させる高度の現実性を具えた状態)によつておおわれるに至つたものと見ることができる。このような場合は、騒音、排気ガス等の影響の及ぶ範囲が限局されていて一人又は少数の者に具体的被害が生じたにとどまるため、関係者の間に一個又は数個の不法行為関係が個別的又は併列的に成立すると考えることによつてその法律関係を明らかにすることができるような通常の不法行為の場合とは、少なからず趣を異にするところがあるといわなければならない。そしてこのような危険は、多数の地域住民が観念上の集団として被る、その意味ではいわば公共的色彩をも帯びる害悪として、法的対処の対象たるに値するものであること、今日もはや一般国民の法的確信となつているといつてよく、このような危険そのものが不法行為法の対象となりうる不利益――個々の住民の被る具体的損害とは別個の――であると解するのが相当であると思われる(もつとも、このような不利益が住民に具体的な請求権を発生させる要件については更に検討が必要であることはいうまでもない。上告理由第五点についての私の意見の一参照)。なお、右にいう危険は、これを事実の側面から見れば地域的環境汚染の事実そのものにほかならないのであるが、このような環境汚染が少なくとも法によつてその抑止、軽減を図るべき害悪であることは、すでに実定法上も承認されていると解されること(公害対策基本法一条ないし五条等)も右の見解を裏付けるものといつてよいであろう。この見地から前記被上告人らの主張するところを直視すると、被上告人らが被害としているものは、被上告人らが地域住民の集団の一員として平等に被つている環境汚染の危険そのものをいうものであると解することができる。そして、この点が私見と多数意見との中心的な相異点である。
多数意見は、「被上告人らが請求し、主張するところは、被上告人らはそれぞれさまざまな被害を受けているけれども、本件においては各自が受けた具体的被害の全部について賠償を求めるものではなく、」被上告人らは「被上告人らの身体に対する侵害、睡眠妨害、静穏な日常生活の営みに対する妨害等の被害及びこれに伴う精神的苦痛を一定の限度で被上告人らに共通するものとしてとらえ、その賠償を請求するものと理解」し、「同一と認められる性質・程度の被害を被上告人全員に共通する損害としてとらえて、各自につき一律にその賠償を求めることも許されないではない」と判示する。その趣旨は、被上告人らが請求の対象としている損害を、前述した通常の不法行為事案の場合と同じように、被上告人らに個別的に生じたものと解したうえ、被上告人らは本訴において右損害のうちの同一の性質、程度のものの賠償を請求しているものと解しながらも、本件損害の集団的被害としての実質に応じたある程度の修正的考慮をしたもののように見受けられる。この点について栗本裁判官ほか三裁判官の反対意見は「共通被害そのものを把握する基準、換言すれば、何が請求を根拠づける被害であるかを明確にしなければ、判決の具備すべき理由として欠けるところがある」という。私は、本件被害の集団的被害である実質にかんがみると、右の指摘が必ずしも適切なものとは考えないが、これに答える点において多数意見の見解にも徹底を欠く憾みがあるように思う。また、私の理解にして誤りがなければ、右多数意見にいう「同一と認められる性質・程度の被害」とは、身体に対する被害、睡眠妨害、静穏な日常生活の営みに対する妨害及びこれに伴う精神的苦痛をそれぞれ被害としての性質を異にするものと見、性質を同じくするものについて一定の限度を画する趣旨と思われるのであるが、そうだとすると、その性質において被上告人らの一部の者のみが被る被害やその程度が一定の限度を超える被害部分については、当該被害を被る被上告人らの一部の者は賠償を請求していないものとすることになると考えられる。ところが、原判決の事実摘示によれば、被上告人らは前記(ア)ないし(エ)の主張に加えて、「本訴ではあくまで上告人の行為により、被上告人らの生活がその環境を含めて破壊されたことによる一切の損害の賠償を求めているのであり」、「上告人が加えた損害を余すところなく償うことを命」ずることを求めるとも述べており、多数意見がこの主張を前記判示とどのように調和させて理解するのであるか、必ずしも明らかでないように思われる(もつとも、被上告人らは、慰藉料の内金として各人の居住期間に応じて同額のものを請求することを明らかにしているが、このことは、請求の額をひとしく一定限度にとどめたことをいうにすぎないものであつて、むしろ被上告人らの被る損害が各人につき本来平等であるとの前提に立つ主張であることを想わせるものではあつても、被害の性質、程度に関連して被上告人らに共通といえない被害が存在することを前提とした主張であるとは解されない。)。私見によると、右の被上告人らの主張の趣旨は、むしろ損害の評価において、被上告人らの被るありふれた軽度の具体的障害を基準として計る等のことなく、身体的被害その他の具体的被害の発生等諸般の事情を十分に参酌して損害の額を算定することを求めるにあると認められる。右に述べたところと、先に(ア)ないし(エ)の主張に関して考察した結果とを併せ考えると、いよいよ被上告人らの主張する被害とは環境汚染そのものをいうに帰するものであるとの感を深くせざるをえない。
そうすると、被上告人らとしては、本件騒音等が遮るもののない上空において発生し、被上告人らの居住地域に一様に到達するものであり、本件環境汚染の危険は被上告人らが平等に被るものであることを踏まえて、右の危険の性質、態様、程度等を明らかにするのに十分な具体的被害発生の事実を立証すれば足るものであり、被上告人らのすべてについて個別的に具体的被害の立証を必要とするものでないことはいうまでもないところである。なお、栗本裁判官ほか三裁判官の反対意見は、耳鳴り、難聴などの身体的被害と本件騒音等との間の因果関係の認定についての原判決の不備を指摘する。私も、因果関係の認定には高度の蓋然性の立証をもつて足るとする判例のもとでも、原判決のこの点に関する認定には相当の無理があることは否めないと思う。しかし、因果関係の点を除けばこれらの身体的障害が本件地域の住民の相当数の者に発生しているとする事実認定には格別違法な点はないと考えられ、住民がこれを騒音等を原因とするものと考え少なからず恐怖心ないし危惧の念を抱くであろうことは推認するに難くないから、この事実は少なくとも本件環境汚染の性質等を検討するにあたつての一要素となりうるものであるというべきである。そして以上述べた点を除けば、原判決における経験則違背、理由不備、理由齟齬をいうその余の論旨に対する多数意見の判示は、私見のもとにおいても同様に判断されるので、結局、論旨は理由がない。
上告理由第四点の一ないし四について
原判決に所論のような経験則違背その他の違法がないとする点においては、私も多数意見と同意見である。ただ、私は、上告理由第五点についての私の意見の一で集約して述べたように、国の本件行為は、これを本件空港の設置、管理の瑕疵の側面からとらえることは適当でなく、国の行う事業活動の一環としてとらえるべきものであると解し、また右の意見で述べたような趣旨における両当事者間の均衡点を見出すことが本件の判断における中心の課題であると考えるのであるが、原判決の判文上、原審は、公の営造物である本件空港の設置、管理の瑕疵の側面からではあるにせよ、現に本件訴訟にあらわれた諸般の事情を考慮して事実上右私見の趣旨に沿つた利益衡量を行い、その結果、国の行為によつて法的に無視することのできない不均衡が生じており、国の行為を違法とせざるをえないと判断したものと解することができ、その判断の過程において、少なくとも所論指摘のような違法があるとは認められない。以上の趣旨において、私は、多数意見に同調するのである。
上告理由第六点の一について
私は、主として上告理由第三点の三についての私の意見で述べたように、本件被害は環境汚染の危険そのものにほかならず、これを被上告人各人の被害の側面からみれば、各人が地域住民の集団の一員としての立場において平等に被るものであると解する点において多数意見とその見解を異にするのであるが、その額の算定は、いわゆる非財産権的損害の賠償額の算定として、従来主として精神的損害といわれるものに対する慰藉料の算定に用いられてきた方法に準じてするのが相当であると考える。そして右に述べた趣旨からすれば、各人の損害額の算定にあたつて論旨のいうような被上告人ら各自の個別的な事情を考慮することはむしろ相当でないといわなければならない。原審がこの挙に出でることなく、主として被上告人ら個々の居住する地域別に当該地域における居住期間を斟酌しただけで慰藉料として各人の損害の額を算定したことは、右に述べた趣旨に反することなく、かつ、合理的な範囲で実質的に妥当な結果を求めたものということができ、私見と基本的な立場を異にするものではあるが、その算定の過程に不合理な点があるとは認められないばかりでなく、事実審である原審の判断は尊重されるべきであるから、結局、論旨は理由がないというべきである。
(9)裁判官栗本一夫、同藤ア萬里、同本山亨、同横井大三の上告理由第五点、第三点、第四点の一ないし四についての反対意見及び第六点の一について補足意見は、次のとおりである。
われわれは、上告理由第五点、第三点及び第四点の一ないし四につき多数意見と見解を異にし、論旨は理由があり、原判決中被上告人らの過去の損害に対する賠償請求を認容した部分を破棄したうえ右部分につき本件を原審に差し戻すべきものと考えるので、以下にその理由を述べ、あわせて上告理由第六点の一につきわれわれが多数意見に加わるゆえんを述べておく。
上告理由第五点について
国家賠償法一条一項が公務員の故意又は過失による違法な公権力の行使によつて生じた損害に対する救済を定めた規定であるのに対して、同法二条一項は、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることから生じた損害に対し、営造物の設置・管理者の故意又は過失の有無を問うことなく、被害者の救済を認めた規定である(最高裁昭和四二年(オ)第九二一号同四五年八月二〇日第一小法廷判決・民集二四巻九号一二六八頁参照)。このように右両規定によつて被害救済の機能が分担されることとなつている点にかんがみるときは、同法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵は、営造物を構成する物的施設について安全を欠く状態が生じている場合を指すものというべきである。もつとも、それは、必ずしも右物的施設そのものに固有の性状上の欠陥に基づいて生じた危険状態のみを意味するのではなく、右施設の運営・管理上生じた一時的な危険状態のごときものをも包含するものであることは、当裁判所の判例(最高裁昭和四七年(オ)第七〇四号同五〇年七月二五日第三小法廷判決・民集二九巻六号一一三六頁)とするところであるが、いずれにせよその状態は物的施設そのものについて生じたものであることを要する。すなわち、右判例は、営造物を構成する物的施設そのものについて危険状態が生じたにもかかわらずその管理・運営に当たる公務員が一時的にこれを放置しておいたという事案につき営造物管理の瑕疵を認めたものであり、単に営造物の一定態様による管理に基づいて危険状態が発生したということから直ちに営造物管理の瑕疵を肯定したものではない。営造物の管理者による管理・運営上の作為又は不作為の結果としてその利用がある態様のもとに継続され、これにより営造物の利用者又は第三者にとつて危険な状態が生ぜしめられている場合であつても、それが物的施設そのものについて生じたものといえないときは、右判例と本質的に事案を異にするのであつて、右作為・不作為をもつて同法一条一項にいう公権力の行使としてとらえ右条項の適用上の問題とすることはできようが、これをもつて設置又は管理の瑕疵にあたるものとして同法二条一項を適用することはできないものというべきである。
これを本件についてみるのに、原判決は、本件空港は多数住民の居住地域に近接して存在し、空港自体も狭隘であるなど立地条件が劣悪であり、大量の航空機の発着を予定する国際空港ないしは国内幹線空港としての通常の利用が直ちに周辺住民に損害を発生させることとなるのであるから、その設置自体に瑕疵があるものということができ、また、このような状況において上告人が十分な対策を講じないまま大量発着を継続してきたことは、空港管理の瑕疵とも評価しうる旨判示している。しかしながら、右判示において設置の瑕疵の内容とされている本件空港の立地条件の劣悪さは、空港の物的施設が航空機の離着陸の用に供される施設としてそのために通常備えるべき性状ないし設備そのものを欠いていることを意味するものではなく、本件空港が第一種空港に指定され、ジエツト機を含む大量の航空機の発着が反覆継続されるに至つたこと及びこれに伴う騒音対策等が空港利用の高度化に見合う程度に進捗していないこと等を勘案しての評価であると考えられるから、結局、それは航空行政上又は本件空港の運営・管理上の行為義務違反の問題に帰着するものであり、空港の物的施設そのものについて生じた危険の問題ではない。このことは、右判示にいう空港管理の瑕疵についても同様である。そうすると、前記のような点に本件空港の設置・管理の瑕疵を認め、同法二条一項による上告人の損害賠償責任を肯定した原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法があるものといわなければならず、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
附言するに、上述のように本件のような場合の損害賠償請求につき国家賠償法二条一項の規定によることができないと解した場合には、被害者が損害賠償請求をするためには公務員の故意・過失の立証を要することとなるが、それが結果からみて被害者の救済の途を狭めることとなるとしても、そのことのゆえに直ちにこれを不当と断ずるのは早計である。すなわち、公務員の加害行為が不法行為の要件を具備しない場合における救済については、公平の原則及び事情に応じた適時・適切な救済方法の選択等の考慮から、損失補償の問題として第一次的に立法・行政において責任を負うべき分野に属するものと解するのが相当であるからである。元来同法一条一項又は損失補償によるべきところを被害者の救済に急な余り同法二条一項により事の処理を図るがごときことは、同法の解釈適用の正しいあり方とはいい難いと考える。
以上によれば、論旨は理由があり、原判決中損害賠償請求に関する部分は破棄を免れず、被上告人らの国家賠償法二条一項による損害賠償請求は失当として棄却すべきであるが、本件訴訟においては、右請求と民法七〇九条ないし国家賠償法一条一項による損害賠償請求とが選択的に併合されているので、後者の請求について更に審理を尽くさせるため本件のうち後者の請求に関する部分を原審に差し戻すのを相当とする。
上告理由第三点の一、二について
思うに、本件のような原告多数にわたる公害訴訟において、被害の認定につき通常の民事訴訟における認定の手法と実際上多少異なるものが生ずることは、これを認めざるをえないであろう。しかしながら、本件はあくまでも民事訴訟であり、しかも被上告人一人一人の国に対する個々の損害賠償請求訴訟が併合されたものなのであるから、被害の立証、認定については民事訴訟法の一般原則に従うべきものであつて、これを無視し、例えば、被害に関する事実関係の証明度が一般の民事訴訟におけるより低いもので足りると解するがごときことが許されないことは、いうまでもない。
ところで、原判決は、被上告人らの陳述書(甲第一四六号証の一ないし一三、第一四七号証の一ないし一一七、第一四八号証の一ないし九〇、第四八七号証ないし第四九二号証)につき、その文章の運び方から見て本人自身の執筆にかかるものではないと見受けられるとしながらも、すべて個性に富み、第三者よりの作為のあとと見られる節もなく、検証所見から見ても実感がこもつていることが感ぜられ、若干の誇張はあるにしても相当の信憑力があるものと考えるとして、その証拠価値を高く評価しているのであるが、このように本人の一方的な供述を記載したものにすぎず、しかも本人自身の執筆にかかるものでない陳述書に高い証拠価値を認めるのは、異例のことといわなければならない。また、原判決が右陳述書の記載とともに証拠資料として重視する各種アンケート調査の結果の証拠価値も、右陳述書と大同小異というべきである。
しかるに、被上告人らが被つたと主張するところの各種被害の存否・程度及び航空機の発する騒音等と右被害との間の因果関係の有無が主要な争点の一つとなつている本件において、原判決は前記陳述書の記載及びアンケート調査の結果を重要な証拠資料として評価し、これを補強するに足りるような客観的資料を欠くまま右被害及び因果関係を肯認しているのであるが、かかる事実認定は、これら証拠資料の証拠価値に関して原審が判示するような諸事情を斟酌してもなお、著しく合理性を欠き、是認し難いものといわなければならない。
そうすると、右陳述書及びアンケート調査の結果に高い証拠価値を認めて被害の認定をしている原判決には、本件が前示のような公害訴訟であることを考慮に入れても、採証法則違背の違法があるものといわざるをえず、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
上告理由第三点の三について

原判決は、本件航空機騒音等に基づく精神的苦痛、諸般の日常生活の妨害及び身体障害発生の危険性をもつて被上告人ら全員に共通する被害としてとらえ、これに対する慰藉料請求を認容しているものであるところ、右のように共通被害たる被害の種類が明らかにされるほか、更にその内容・程度が明らかにされていなければ、上告理由第四点の一ないし四について後述するとおり、右騒音等による侵害が違法性を帯びるといえるかどうかを判断することができず、また、慰藉料額を算定することもできないものといわなければならない。そして、被上告人らの受ける被害の内容・程度は、その職業、年齢、生活態様のいかん、殊に日常空港周辺地域内にいる時間帯や時間の長さ等の事実関係によつて著しく相違してくるものと考えられるから、このような事実関係との関連において、各人の受けている被害のうちどのような部分ないし範囲のものを共通被害として把握するのかを明らかにすべきものである。もつとも、本件のようにほぼ同種類の被害を被つている多数の者がこれに対する慰藉料を請求する訴訟においては、ある程度概括的な基準によつてとらえられた一定限度までの被害を根拠として請求することもあながち不当として排斥すべきではないというべきであろう。しかしながら、前記のように、事実関係の多様性により被上告人ら各自の受ける被害の内容・程度に著しい差異が存するという事情のもとで共通被害に基づいて請求を認容するためには、共通被害そのものを把握する基準、換言すれば、どのような内容の、いかなる程度の被害が請求を根拠づける被害といえるかを明確にしなければ、判決の具備すべき理由として欠けるところがあるものといわなければならない。ところが、この点につき原判決は、「損害額の算定にあたつて考慮すべき事情は、原告らの被つている被害の重大性と、侵害の経過(従来の対策が不十分であつたことを含む。)とである。ところで、被害の具体的な現われ方は、原告ら各人の生活状況等に応じて一様ではないが、各居住地域ごとにその住民らは等しく騒音、排気ガス等に暴露されており、精神的苦痛、身体的被害の危険性、生活妨害の主要な部分等は住民すべてに共通なものと解されるので、被害者側の個別的事情としては、居住地域および当該地域における居住期間を考慮すれば足り、その他の主観的事情は斟酌することを要しないものとするのが相当である。」として、右住民に共通する被害の種類を示してはいるが、その内容・程度については、被上告人ら全員の中で地域的、時期的な区分によつてとらえた被害の程度が最小といえる者らの受けている被害の内容・程度についてさえも、何ら具体的に認定するところがない。原判決には、この点において理由不備の違法があるものというべきである。

更に、原判決は、身体的被害の危険性をもつて被上告人らに共通する被害とし、これを被上告人らの損害賠償請求権の根拠たるべきものと認めている。右のような危険性を損害賠償請求権の発生原因たる現実の被害とみることができるかどうかは問題の存するところであるが、仮にこれをそのような危険性に基づく生理的、心理的影響を意味するものと解することによつてその現実の損害たることを肯定できるとしても、そのような影響の存在を肯定するためには、まず空港周辺住民に現実に生じている身体的被害の実態を把握し、これと航空機騒音等との間の因果関係を確定することを要するものというべきである。もつとも、騒音によつて生ずる身体的被害につき因果関係を立証することには事柄の性質上相当の困難が伴うことは推測できないではないが、少なくとも前記の現実に生じている被害の実態を専門家の診断等の客観的資料によつて明らかにしたうえ、いわゆる疫学的手法又はこれに類する間接的な手法によつて右因果関係を立証する途がないわけではなく、また、その程度の立証は尽くさなければならないものと考えられる。ところが、原審は、空港周辺住民に生じている身体的被害の実態を認定するにあたり、必ずしも右のような客観的資料によつていないのみならず、原審の認定する各種の身体的被害のうち、特に耳鳴り、難聴について検討すると、被上告人らの中の一部にそのような疾患を訴える者があり、長時間高度の騒音に継続的にさらされている場合に右疾患を生じうるとの原審の事実認定は原判決挙示の証拠によつて是認することができないものではないが、他方において、原審の確定するところによれば、本件航空機騒音のごとき断続的な騒音にさらされた場合にも同様の影響があることは、いまだ医学的に解明されておらず、右疾患は騒音以外の原因によつても生じうるものであり、しかも、右難聴等を訴える被上告人らの中には高齢者も相当数いることが認められる、というのである。また、胃腸障害、心筋梗塞、流産等についても、その発生率が他地域に比べて高いことが確定されていないことは、原審の認定するところである。そうすると、少なくともこれらの身体障害について、被上告人らに生じている障害の一部は航空機騒音等が一因となつて生じたものと断じ、ひいては被上告人ら全員につき身体的被害発生の危険性があるものとした原審の事実認定は、著しく合理性を欠くものであつて、経験則に反し、ひいて審理不尽、理由不備の違法を犯したものといわざるをえない。
上告理由第四点の一ないし四について
一 およそ、慰藉料請求権を根拠づけるにあたつて、加害行為が刑罰に触れる行為、公序良俗に反する行為等それ自体客観的に違法な行為であることが明らかな場合には、これによつて生じた被害の内容・程度は慰藉料の額を決定する一要因たるにすぎないのであるが、本件のようにそれ自体としては一般に許容されている活動に伴う被害の発生が問題とされている事案においては、被上告人ら各自の受けている被害の内容・程度と加害原因の内容・性質との相関関係によつて、加害行為が違法といえるか否かが決定されるのである。したがつて、加害行為が違法か否か、すなわち、慰藉料請求権が認められるか否かの判断は、被害の内容・程度の確定なくしてはなしえないものといわなければならない。
そうすると、本件損害賠償請求が被上告人らに共通の被害にその根拠を置くものであることを前提とする以上、右共通被害の内容・程度を明らかにしなければ、右被害を与えている空港の供用をもつて違法な加害と断定することはできないはずである。被上告人ら全員につき、それぞれその請求する全期間にわたり全体として請求を認容するためには、少なくとも被害の最小といえる地域及び時期における被害の内容・程度を明確にすることを要するものといわなければならない。
ところが、原判決は、前記のとおり被上告人らの共通被害の内容・程度を明確に認定することなく本件空港供用の違法性を肯定しているのであつて、かかる違法性判断の手法は是認し難いといわなければならない。
右の点に関して原審は、本件空港の供用が住民に対する関係で違法な侵害となるか否かの判断にあたり、航空輸送及び本件空港の公共性が高度であることは認めながら、公共性を考えるにあたつてはそのもたらす社会的経済的利益のみでなくその反面に生ずる損失面をも考慮することを要するところ、本件空港における航空機の発着が周辺地域の多数の住民に深刻な被害を与えているものと認められるとの理由により、本件加害の違法性を認めている。しかしながら、本件請求が精神的苦痛、生活妨害等を理由とする慰藉料請求であり、その請求の成否、すなわち騒音加害が違法といえるか否かは、前叙のごとく加害行為の性質等と被害の程度等との比較較量によつて定まるものである以上、被害者の中に被害の程度が深刻な者があり、その者との関係では受忍限度を超え加害行為が違法とされるからといつて、当然にその加害行為が一般的、客観的に違法性があるということになるものではなく、個々の被害者に対しては、それぞれの受けている被害との関係で、相対的に違法性の有無が判断されなければならない。この場合において、当該被害者以外の多数の者に被害が及び、その中に深刻な被害を受けている者があるとしても、そのような事実は当該被害者に対する加害行為の違法性の判断になんら影響を及ぼすものではなく、当該被害者が受けている被害が空港の公共性(公益性・必要性)との対比の上で受忍限度を超えるといえない以上、その加害行為を違法とはなしえないものというべきである。したがつて、前記原判示のような見解に基づいて被上告人らの共通被害の内容を確定する必要がないとすることもできない。
二 ところで、高度の公共性のある国の事業の執行に伴つて第三者に被害が生ずる場合、加害行為を違法とするためには、一般に私的事業との関係で受忍限度とされる程度を超える被害が生じているというのみでは足りない。当該事業の公共性の性質・内容に応じて受忍限度の限界が考慮さるべきであり、公共性が高ければそれ相応に受忍限度の限界も高くなるものといわなければならない。そして、高度の公共性のある国の事業の執行に関して第三者に生じた損害が、本件において原審が認定する精神的苦痛、生活妨害のような非財産的損害である場合には、原則として、かかる被害は受忍限度内にあるものとしてこれに基づく慰藉料請求は許されないのであり、例外的に、身体的被害の原因となりうるような深刻な加害が存するようなときにのみ、受忍限度を超える被害があるものとしてその請求が許されるものと解するのを相当とする。けだし、近代国家は諸般の公共的目的の実現のために種々の責務を負い、これを果たすために必要なときは自ら事業を営むのであつて、国民はかかる事業活動によつて直接・間接の恩恵を受けているのであるから、右事業活動のうち高度の公共性を帯びるものに随伴して生ずるある範囲の犠牲について国民がこれを受忍することを要求されるのは、右の恩恵との対比においてやむをえないところと解すべきであるからである。なお、右に述べたところは、もとより慰藉料請求権の成立要件としての違法性の存否を論じたものにすぎず、違法性の有無にかかわらず、国民の一部が受ける被害の公平な分担という見地から、国が被害者に対して被害の補償又はその軽減のために立法、行政上の努力をなすべき立場にあることを否定するものではないことはもちろんである。
しかるところ、上告人による本件空港の運営が高度の公共性を帯びる事業であることは上告理由第一点について多数意見が述べているとおりであるにもかかわらず、原審は、上述のような観点に立つて本件につき受忍限度を超える被害の有無を審理、判断しているといえないばかりでなく、前述のとおり、その認定しているところをもつてしては、未だ右受忍限度を超える被害の存在が確定されているということもできないから、この点においても原審の判断は是認し難いものというべきである。
三 更に、上告人が本件空港の拡張を決定した当時以来被上告人らの居住する各地区が住居地域であつたこと(ただし一部地区は昭和四五年に準工業地域に指定変更された。)は原審の認定するところであるが、本件空港周辺地域の全体をみた場合その中に右拡張決定当時どの程度の住宅地域があり、どれ程の数の住民が居住していたか、その後のジエツト機の就航、B滑走路供用開始等の経過との関係での周辺の人口増加及び地域性の推移等は、原判決認定の事実関係からは明らかでない。したがつて、原判決が認定する国がとつてきた施策が右のような空港周辺地域全体の地域性にどのように照応し、又はしなかつたかを確定しえないというほかなく、原判示のように、上告人のとつてきた施策を全体として著しく不完全・不十分なものであつたと一概に断定し去ることはできないものというべきであつて、この点の原審の判断にも是認し難いものがある。

以上によれば、原判決は、本件違法性判断の基礎となるべき共通被害の内容を確定することなく、かつ、右判断をなすにあたり、あるいは考慮すべからざる事項を考慮し、あるいは考慮すべき事項を十分に考慮しないで、たやすく本件騒音等による加害について、被上告人ら全員に対しそれぞれ居住の全期間にわたり違法性を認めたものであつて、右は、法令の解釈適用を誤りひいては理由不備の違法を犯したものというべきであるから、論旨は理由があり、原判決中被上告人らの損害賠償請求を認容した部分はこの点においても破棄を免れないものである。
上告理由第六点の一について
われわれが被上告人らに生じた被害に関する原審の認定の方法を是認しえないと考えるものであることは、上告理由第三点について既に述べたとおりであり、したがつて、本上告理由に対する多数意見のうち右認定が適法であることを前提とする部分については同調することができない。しかし、われわれも、原判決が被上告人ら各人の受けている被害の内容・程度の個別的な相違に応じて賠償額に差異を設けず、最小の被害を受けている者を基準として一律に賠償額を定めたことをとらえてこれを違法とするものではないから、この点においては、われわれの見解も多数意見と異なるものではない。
(10)上告理由第四点の五中被上告人近藤嶋恵、同常洋子に関する部分についての裁判官寺田治郎の補足意見は、次のとおりである。
一 既に騒音等による加害行為が継続的に発生している地域に、その状況を知りながら又は過失によりその状況を知らないで、住居を定めた者がある場合に、その者の損害賠償請求権の成否、内容等につきどのように考えるべきか、ということが、ここでの問題である。私は、この問題は、一般的、抽象的に論断することはできず、加害行為の性質、被害の内容等を考慮し、具体的事案に即して個別的に解決するほかないと考えるが、ここでは、本件の事案を中心として、事実認定の点を含め、この問題に関する私の考え方の一端を述べておきたい。
二 元来、住宅の価値は、当該建物の現況、自然的・社会的環境その他の諸条件の総合のうえに定まるのであり、それは、通常、当該住宅の売買価格、賃料額等に反映するはずのものである。したがつて、そのような売買価格、賃料額等を了承して当該住宅を購入又は賃借した居住者は、一般的には、叙上の諸条件(近隣における騒音の有無、程度等も、これに含まれる。)をも了承しているものとみることができ、とりわけ、居住期間の相当長期にわたることが予想される場合には、右諸条件の比較考量が慎重にされるはずであるから、一層そのようにみられてよい筋合のものである。いわんや、騒音等による被害(右諸条件への悪影響)が、相当広範囲の地域にわたり、かつ、相当長期間継続して発生し、更には、その地域内でいわゆる集団訴訟が提起されているなど、いわば一種の社会問題化しているような場合において、当該地域に転入して相当期間にわたる住居を定めた者は、ある程度右被害の発生状況を認識して入居したものと事実上推定するのが相当である。原判決の事実認定に経験則違背があるとする多数意見に私が同調するのは、かような考え方を背景とするものである。このような点を考慮すると、本件において原審のような認定をするについては、原審の審理はなお十分でない(被上告人常については特にそうである。)、と私は考える。
三 次に、被害の発生状況を認識しないで当該地域に住居を定めた場合における過失の有無の認定及び過失があると認められる場合にこれが損害賠償請求権に及ぼすべき効果の問題がある(ちなみに、本件において、多数意見は、原審認定の事実から被上告人近藤及び同常の両名が本件航空機騒音の存在の事実を知らずに入居したものとした原審の認定が経験則に反するとしているにすぎず、右両名が前記事実を知つて入居したと断定しているわけではない。)。この点についても、騒音等による被害が、相当広範囲の地域にわたり、かつ、相当長期間継続して発生している等によりいわば一種の社会問題化しているような場合において、当該地域に転入して相当期間にわたる住居を定めた者が、右被害の発生状況を認識していなかつたときは、特段の事情のない限り、その者に過失があると認めるのが相当である。したがつて、本件において、仮に被上告人近藤及び同常の両名が本件航空機騒音の存在の事実を知らずに入居したものであつたとすれば、右両名に過失があつたものというべきである。そして、侵害が公共性を有する本件空港の供用に由来するものであり、被害が精神的損害の程度にとどまる本件事案においては、先住者である他の被上告人らとの権衡上からも、被上告人近藤及び同常の過失を斟酌したうえ、両名に対する慰藉料の額の算定につき考慮を加え、先住者に対する慰藉料額との間に合理的な差等を設けるのが当然である。私は、原判決が所論の過失相殺の主張を排斥したことをもつて直ちに違法であるとまで断定しようとするものではないが、原審の判断はこの点においても当を失するものというほかなく、差戻後の原審においては右の点についても考慮が払われるべきものと考える。
(11)裁判官栗本一夫、同谷口正孝は、(10)の裁判官寺田治郎の補足意見に同調する。
(12)上告理由第四点の五中前記被上告人両名に関する部分についての裁判官団藤重光、同中村清朗、同木下忠良、同伊藤正己の反対意見は、次のとおりである(裁判官団藤重光、同木下忠良には、本反対意見のほか、後記(13)、(14)の追加反対意見がある。)。
多数意見は、本件空港におけるB滑走路供用開始後に転居してきた被上告人近藤、同常の損害(ただし前者については過去のそれ。以下同じ。)賠償請求について、いわゆる危険への接近の理論の適用による免責をいう上告人の主張に対し、原審が、住民の側が特に公害問題を利用しようとするごとき意図をもつて接近したと認められる場合でない限り右の理論は適用されないとの見解のもとに、右被上告人らにはこのような意図があつたとは認められないとしてこれを排斥し、右被上告人らについても右請求を認容したのに対して、危険への接近の理論は必ずしも右のように狭く解すべきものではなく、たとえ危険に接近した者に前記のような意図がなくても、危険の存在を知りながらこれを容認して当該危険地域に入居したようなときは、事情のいかんにより加害者の免責を認めるべき場合がないとはいえない、として原審の前記の解釈を排斥したうえ、原審が、被上告人近藤は入居当時本件航空機騒音が問題とされている事情をよく知らず、入居後にはじめて騒音の激甚であることを知つたものであり、被上告人常についても同様の事情にあるとしたことにつき、右の認定判断には経験則違背等の違法があるとし、結局論旨は理由があり、原判決中前記被上告人両名の慰藉料の請求を認容した部分は破棄されるべきである、としている。しかし、多数意見のこの見解には、次の理由により、同調することができない。
一 まず、いわゆる危険への接近の理論について示した原審の見解が狭きに失すること、及び被害者が危険の存在とその現実化による被害の内容を認識ないし予測しながらあえてこれを甘受する意思をもつてその危険にみずからをさらしたときは、事情のいかんにより加害者の免責を認めるべき場合がありうることについては、われわれにも特に異論はない。ただし、具体的場合に右の理論を適用して加害者の免責を認めるについては、更に吟味検討を要する点が幾つか存するのであつて、本件においても、単に本件空港に離着陸する航空機の騒音等による周辺住民の被害の事実を認識しながらこれらの地域に入居したという事実だけから、直ちにその者が被る被害の全部につき一般的に加害者の免責を認めるときは、結局において、すでにかかる加害状況についての一般的な社会的承認が存在している地域に入居してきた者に対する関係でいわゆる地域性の理由により先住者の加害行為の適法性ないし免責を認める法理を、未だ右のような一般的な社会的承認が成立していない地域への入居者に対する関係でも認める結果となる危険が存在することに注意しなければならないと考える。
二(一)間題とすべきは、多数意見が原審の事実の認定判断に経験則違背等の違法があると断じている点である。多数意見の言及する原審の事実認定部分は、被上告人近藤についていえば、原審における同人の本人尋問の結果によれば、同被上告人は、B滑走路の供用開始後である昭和四五年六月に現住所に移転してきたものであるが、当時は本件航空機騒音が問題とされている事情をよく知らず、仲介業者のすすめるまま、夫の勤務先に近い現住所を選び、事前に一度一五分ぐらい現場の下見をしただけで入居し、その後に騒音の激甚であることを知つたものであり、本件航空機騒音の実情は、地理に疎い者が僅か一五分程度の下見をすることによつては明らかに知ることはできず、居住してみてはじめて体得されるということも十分理解できることである、と判示している箇所である。この判示部分は、原審が危険への接近の理論に関して前記のような狭い解釈をとつた関係で、同被上告人による危険の存在の認識や被害の容認の有無に焦点があわされなかつたためか、右の点についての認定としてはいささか具体性と明確性に乏しい憾みがないではないが、結局においては、被上告人近藤が入居当時附近地域における航空機騒音の実情及びこれによる被害の内容、程度について十分な認識ないし予測を有してはいなかつた旨を認定しているものと解することができるのであり、多数意見も同様の理解に立つている。ただ、多数意見は、右の認定に対し、(1)(イ)被上告人近藤が入居する前の昭和四四年一二月にはすでに本件第一次訴訟が提起され、同四五年二月五日からB滑走路の供用が開始されていたこと、(ロ)同年三月当時本件空港における一日の離着陸機数は三六七機(うちジエツト機一六五機)にのぼり、その離着陸の平均間隔は日中(七時から一九時まで)二分二八秒(ジエツト機は五分五七秒)であつたこと、(ハ)B滑走路供用開始後に測定された被上告人近藤、同常両名居住地域における機種別騒音レベル及び七〇ホン以上の騒音の継続時間は、大型ジエツト機につき一〇〇ないし一一〇ホン、約二五秒間、中・小型ジエツト機につき九〇ないし一〇五ホン、約二〇秒間であり、同被上告人らの入居した服部寿町は、B滑走路末端より南東約一七〇〇ないし二四〇〇メートルの地点にあつて、B滑走路飛行経路のほぼ直下に位置すること、(ニ)甲第一三号証の一ないし四七三(三二二は欠番)によると、昭和四二年ごろから本件空港周辺における騒音問題が頻々として主要日刊紙上に報道されていたこと、以上の諸点をあわせ考えると、被上告人近藤が昭和四五年六月に上記服部寿町地区に転任するにあたり、航空機騒音が問題とされている事情ないしは航空機騒音の存在の事実をよく知らずに入居したということは、経験則上信じ難いところであるとしたうえ、(2)同被上告人が一定程度の航空機騒音の存在を認識しながらあえてその住居を選択したというのであれば、自己が見聞した程度ないしこれと格段の相違のない程度の騒音被害はこれをやむをえないものと容認することとして入居したものと推定することができるとし、したがつて、同被上告人の入居後実際に被つた被害の程度が入居の際同被上告人がその存在を認識した騒音から推測される被害の程度を超えるものであつた等の特段の事情が認められない限り、その被害は被上告人らにおいて受忍すべきものと解されるところ、右の特段の事情の存在は原審において確定されておらないから、原審の上記認定判断は是認することができない、とするのである。
(二)しかしながら、 (1)本件において、被上告人近藤の前記(一)の(1)の知情の点については、直接の証拠としては同被上告人の原審における供述が殆ど唯一のものであり、他に同人の認識の存在に関連する間接証拠としては多数意見の引用する前記(一)の(1)の(イ)から(ニ)までの事実しかなく、結局は被上告人近藤の右の供述の信憑力のいかんが重要な決め手になるものと考えられるところ、同供述によれば、同被上告人の一家は従前はずつと兵庫県の淡路島に居住していたが、本件入居の約一か月前に歯科技工士である夫の阪神方面への就職先がきまつて転居の必要が生じ、急遽勤務先近くの転居先を物色中、不動産屋から最初に現住居を紹介され、転居の約二週間前の日中の午後一時ないし二時ごろ不動産屋の自動車で家族とともに現場に案内され、一五分ぐらい下見をして引きあげ、それだけで入居を決定したが、下見の際には航空機の騒音には全く気がつかず、引越の際も夢中で、片づけが終つてホツトしたときにはじめて激しい飛行機の爆音に気づいて驚いた、また、入居当時本件空港があることは知つてはいたが、その場所や入居先との位置関係などは全く知らず、本件空港に関して航空機騒音等が問題となつていることなども知らなかつた、というのである。原審の認定判断はこの供述を措信したものと思われるが、これに対して多数意見は、前記(一)の(1)の(ロ)及び(ハ)の点から同被上告人が入居前の下見の際等に航空機騒音の存在に気づかなかつたとは経験則上信じられないとし、また、同(イ)及び(ニ)の点からも同被上告人が航空機騒音問題の存在をよく知らなかつたということも信じ難いとし、結局、原審の認定判断には経験則に反する違法があるとするものと解される。しかし、前者についていえば、被上告人近藤が下見をしたのは日中午後一時ないし二時ごろの約一五分という短時間であり、他方、右時間帯におけるジエツト機のB滑走路による離陸又は着陸(原審の確定したところによれば、本件空港における離着陸の方向はその時の風向きによつて決まり、年間を通じて全航空機の約九六パーセントは東南方から北西方へ向かつて離着陸を行うので、通常服部寿町の真上を通過するのは着陸機のみである。)の頻度は具体的には明らかでないから、前記(一)の(1)の(ロ)のジエツト機離着陸の回数とその平均的間隔だけから直ちに、右下見の際に少なくとも一回はジエツト機(特に大型ジエツト機)の離着陸による騒音に暴露される機会があつたはずであり、被上告人近藤がこれに気づかなかつたとは考えられないと断ずることは困難であり、この点について原審が同人の前記供述を大筋において措信したことが経験則に違背するとする多数意見の見解は、妥当とは考えられない。また、後者の点についても、前記(一)の(1)の本件第一次訴訟の提起は、被上告人近藤とは関係のない川西市側の住民によるもので、同被上告人の居住地域である豊中市側の住民による第三次訴訟の提起は同被上告人の入居後であり、また、同(二)の新聞報道の点についても(ただし、多数意見の引用する甲号証は昭和四二年九月から昭和四四年一一月末までの朝日、毎日、読売、サンケイ、神戸等の各新聞の新聞記事であつて、その後の報道、特に被上告人近藤が転居の必要に迫られてから入居に至るまでの約一か月の間のそれについては、これを示す証拠は提出されておらない。)、これらの報道があつた当時は淡路島に居住、生活していて、阪神方面と格別の接触や関係があつたとも認められない被上告人近藤にとつては、これらはいわば他人事として受けとられ、自己に関係のある問題として深く、かつ、明確に意識に残ることがなかつたということも十分に考えられるところであり、ましてこの方面の地理に全く暗い同被上告人が、その転居先が本件空港のB滑走路に近接し、その飛行経路の直下にあり、深刻な騒音問題が存在する地域に属することに思いも及ばなかつたとしても、それは無理からぬことと考えられるのであつて、その点についても同人の前記供述が経験則上信じ難いものということはできない。のみならず、仮に同被上告人が前記下見の際に一回ぐらいB滑走路に離着陸するジエツト機の騒音に遭遇する機会があつたとしても、このことから直ちに右のような騒音への暴露が昼夜を分かたず頻繁に反復されるものであること及びその実態についての認識や予測を「ある程度」にせよもつたであろうと推断すること自体が困難であるというべく、たとえこれに前記新聞報道による騒音問題の存在についての若干の知識の存在を加味して考えても、右の困難に変るところはないと考えられる。要するに、多数意見が、被上告人近藤が入居前の下見の際に航空機騒音の存在に気づかなかつたはずはないとしたうえ、このことと騒音問題に関する新聞報道の事実とから、右被上告人は入居前にその入居地域における「ある程度」の航空機騒音の存在についての認識ないしは推測を有していたものと推定することができるとの結論を導き出す過程には、幾つかの無理と飛躍が存在するのであつて、かかる観点から被上告人近藤の知情に関する原審の認定判断に経験則違背の違法があるとする見解には、とうてい賛同することができない。
(2)多数意見は、更に、被上告人近藤が入居当時本件航空機騒音の存在を認識していたとすれば、入居後実際に被つた被害が右の認識した騒音から推測される被害を超えるものであつたというような特段の事情がない限り、同被上告人はこれを容認して入居したものと推定すべきであるところ、このような特段の事情の存在は原審において確定されていないという。しかしながら、すでに(1)において述べたところに加えて、本件における航空機騒音等による被害の内容及び性質は、原審が適法に確定し、判示しているように、日常特に夜間における反復的な航空機騒音への暴露の継続による身体的被害と各種の生活妨害の総体とこれから生ずる累積的な苦痛であつて、原審は、このような被害の実態は居住してみてはじめて体得されるということも十分理解できる旨判示しており、その趣旨は、現地における一時的な騒音への暴露の経験だけからはとうてい右のような被害の実態を把握ないし予測しうるものではないとするにあると解されるところ、この認定判断は、第一審及び原審の被上告人本人尋問において多くの被上告人が異口同音にその趣旨を強調供述しているところからもこれを肯認することができないではないのである。してみると、上記の点についても前記多数意見の説くところは当を得たものということができないと考える。
(三)被上告人常の場合は、同近藤の場合とはやや事情を異にする点もあるが、本件航空機騒音の存在やこれによる被害の実情についての認識ないし予測の点に関する限りは、前記(二)で述べたところが被上告人常についても大筋において妥当するということができる。
三 右に述べたように、被上告人近藤、同常の両名は入居当時附近地域における航空機騒音等の実情及びこれによる被害の内容、程度についての認識ないし予測を有してはいなかつたとする原審の認定判断に経験則違背等の違法はなく、これを是認することができないではないのであるから、危険への接近の理論について前記一で述べたような比較的ゆるやかな解釈に従つても、これによる被上告人両名に対する上告人の損害賠償責任の阻却を認めるに由はないといわなければならない。もつとも、本件において、右被上告人両名が入居前に更に慎重周到な調査を施しておれば、ある程度までは危険の存在とその内容を察知することができたのではないかと考えられないでもないが、上来言及した原審の認定事実や両名が入居したのがB滑走路の供用開始後間もなくのころであること等に照らせば、右のような調査不十分を深く咎めるのは相当とはいえず、これを過失相殺の理由としたり慰藉料額の算定について斟酌するのは格別、そのことによつて上告人が右被上告人両名に対しその入居前より本件空港が設置・供用されていたことによる優位を主張することができると解すべき根拠はない。それ故、被上告人両名の損害賠償請求権についても、地域性、先住性、危険への接近の理論の適用に関する上告人の主張を排斥してその成立を肯定した原審の判断は、結局正当として是認すべきものと考える。なお、原判決が所論の過失相殺の主張を排斥したものであることはその判示に徴し明らかであるところ、右過失に基づいて過失相殺をするかどうかは原則として原審の裁量に委ねられており(最高裁昭和三二年(オ)第八七七号同三四年一一月二六日第一小法廷判決・民集一三巻一二号一五六二頁参照)、本件の事実関係のもとにおいては、原審が過失相殺をしなかつたことをもつて判決に影響を及ぼすべき違法があるものとすることはできない(慰藉料額の算定につき他の被上告人と異別の取扱をしなかつたことについても、同様である。)。
以上の次第で、われわれは、上告人の上告理由第四点の五の論旨の一部を採用して原判決中被上告人近藤、同常の損害賠償請求を認容した部分を破棄し右部分につき本件を原審に差し戻すべきものとする多数意見に反対し、右部分の論旨もすべて理由がないものとしてこれを排斥すべきものと考える。
(13)上告理由第四点の五中前記被上告人両名に関する部分についての裁判官木下忠良の追加反対意見は、次のとおりである。
一 多数意見は、被上告人近藤嶋恵が昭和四五年六月に服部寿町地区に転住するにあたつて航空機騒音が問題とされている事情ないし航空機騒音の存在の事実をよく知らずに入居したとは経験則上信じ難く、同年七月に右地区に転住した被上告人常洋子についても同様であるところ、右被上告人らが航空機騒音の存在を認識しながらそれによる被害を容認して入居したものであり、かつ、その被害が生命、身体にかかわるものでない場合においては、(1)右被上告人らの入居後に実際に被つた被害の程度が入居の際に認識した騒音から推測される被害の程度を超えるものであつたとか、(2)入居後に騒音の程度が格段に増大したとかいうような特段の事情が認められない限り、その被害は右被上告人らにおいて受忍すべきものであるとしたうえ、原審の確定した事実関係によつては右特段の事情があるとはいえないとする。しかし、私は、原審の確定した事実関係から既に右(1)、(2)の特段の事情にそれぞれ該当する事実の存在を肯認することができると考えるので、この点につき、さきの団藤、中村、伊藤各裁判官と共同の反対意見に加えて若干の附言をしておきたい。
二 まず、前記(1)の点については、前記の共同の反対意見でも既に触れたが、更に次の点を指摘したい。
服部寿町地区の上空を通過するのが通常着陸機のみであることは前記反対意見中で指摘したとおりである。そして、原審の確定したところによれば、ジエツト機の騒音は、日常生活に関係あるものの発する騒音のうちでも最も強大なものであり、しかも高周波成分を含んでいて金属性の音質を有し、プロペラ機のそれよりもうるさく感じられ、とりわけ大型ジエツト機の騒音は強大であるところ、被上告人近藤嶋恵が入居に先立ち入居先の下見をしたころの本件空港における日中(七時から一九時まで)のジエツト機の平均着陸頻度は、昭和四五年三月当時には大型ジエツト機について七二分に一回、ジエツト機全体について約一二分に一回であり、また、同年八月当時には大型ジエツト機について約三五分に一回、ジエツト機全体について約九分に一回である(原判決の引用する第一審判決別紙五の一覧表参照)から、前記下見中に同被上告人が少なくとも大型ジエツト機の上空通過に遭遇しなかつたことは大いにありうるというべきである。また、仮に同被上告人が一度位はこれに遭遇したとしても、原審の確定したところによれば、同一地点において同一機種の航空機の離着陸時の騒音を測定する場合でも各測定時における飛行経路、高度、機体重量、風向風速、温度、湿度等の諸条件によつて測定値は異なるのであるから、右一回程度の遭遇を含めた比較的短時間の下見の際の見聞によつて同被上告人が前記地区における航空機騒音被害の実情を認識することができなかつたことはむしろ明らかであるといわなければならない。同被上告人とほぼ同様の状況のもとに入居した被上告人常洋子についても、以上とほぼ同じことがいえるものと考えられる。
三 次に前記(2)の点についてみると、原審の確定したところによれば、前記被上告人両名が服部寿町地区に入居した昭和四五年六、七月から二年足らずの間に、本件空港におけるジエツト機、殊に大型ジエツト機の発着回数はかなり急激に増加していることが明らかである。すなわち、ジエツト機全体については、昭和四五年三月に比し、同年八月には二九・七パーセント、昭和四七年四月には五〇・三パーセントの増加がみられ、また、大型ジエツト機については、昭和四五年三月に比し、同年八月には六七・七パーセント、昭和四七年四月には実に一八二・四パーセントの増加がみられる(前記第一審判決別紙五参照)。そうしてみると、前述のようなジエツト機、殊に大型ジエツト機の発する騒音の音質、音量に照らせば、前記被上告人両名の入居以後の本件空港における航空機発着の全体の回数にはそれほど著しい増加はみられないといえるにしても、これによる騒音がもたらす被害の程度は相当顕著に激化したものといわなければならない。

前記被上告人両名が服部寿町に入居した当時右両名が右地区における航空機騒音の状況をよく認識していなかつたとの原審認定を違法とする多数意見の判断について既に多大の疑問があることは前記の共同の反対意見で指摘したとおりであるが、仮にこの点について多数意見の見解に従い、右両名はある程度の騒音による被害を容認して入居したものと推定されるのでその程度の騒音による被害については損害賠償請求権を有しないことになる可能性があり、その結果原判決中右両名の損害賠償請求を認容した部分は破棄を免れないと解するとしても、上述したような原審の確定した事実関係を前提とする限り、右両名が入居後に実際に被つた損害は右容認にかかる被害の程度を著しく超えるものというべきであるから、この超過部分の被害に対しては右両名の損害賠償請求を認容すべきことになるといわざるをえないであろう。
(14)裁判官団藤重光は、(13)の裁判官木下忠良の追加反対意見に同調する。
(15)上告理由第四点の五中、前記被上告人両名に関する部分についての裁判官環昌一の反対意見は、次のとおりである。
私は、別に上告理由第五点についての私の意見の一において集約して述べたように、本件の紛争の本質を、適法行為相互の限界を画する均衡点をどこに求めるべきであるかの争いとしてとらえ、その判断のための利益衡量にあたつては、被上告人らの居住地域の生活環境の汚染による危険、すなわち、被上告人らが地域住民の集団の一員としてその中で居住することを余儀なくされている環境汚染という害悪そのものを損害と見るべきものであると解する。そうすると、被上告人近藤嶋恵、同常洋子の両名が、既に汚染の存在する地域内であるとはいえ、国が本来何らの権利、権限を有していない土地、家屋に、自らの正当な権原に基づいて新たに住居を定めて始めた居住行為が不適法なものとされる理由は全くないし、また、両名が右居住の時から右集団の一員となり汚染の被害者となつた事実も明白であるから、右両名が居住を始めた際環境汚染の事実を知つていたかどうか、その認識の程度如何というような主観的事情が本件不法行為の成否そのものを左右するものとは考えられず、これらの事情は、右被上告人らが国に対しその請求権を行使する場面において、はじめて判断の対象となる事項にすぎないものというべきである。すなわち、一般論として、これらの事情の内容や程度に応じ、場合によつては被害住民の権利の行使が、信義則に反するものないし権利濫用にあたるもの、あるいは明示的又は黙示的に予め放棄した権利の行使等にあたるものと解され、その結果、請求権の全部又は一部の行使が制約されたり、過失相殺の法理との関係上損害額の算定にあたつて被害住民に不利に働く契機となることはありうるであろうが、右事情が、上告理由第五点についての私見の一で述べた、この種事案における不法行為の成否にかかわる客観的な要件となることはないものと考えられる。
ところで、原判決の事実摘示及び本件訴訟の経過によれば、第一審は右近藤、常両名の被害につき国に慰藉料の支払義務を負わせることは妥当ではなく、この種損害については被害者である右被上告人らにおいて受忍すべきものであると解してその請求を排斥したところ、原審において、国は、右被上告人らはいわゆる危険への接近の理論の適用を受けるべき者であり、その適用を排除すべき特別の事情はないと主張して第一審の右判断を維持することを求めて抗争したことが認められる。原審はこの点に関し、右両名の知情の有無、程度につき両名共当時本件騒音が問題とされている事情をよく知らずに入居したものであるとの事実を認定したうえ、国は各個の住民の入居の先後にかかわりなく、本件空港が先に存在したことによる優位を主張することはできず、住民の側がとくに公害問題を利用しようとする如き意図をもつて接近したと認められる場合でない限り、いわゆる危険への接近の理論は適用がないものと解すべきである旨を判示して、他の被上告人らと同様に両名の居住地域と現実の居住期間を損害額の算定において考慮しただけで両名の請求を認容した。右に指摘した原審における国の主張とこれに答えた原審の見解が、どのような法的構成をとるものであるのか原判決の措辞必ずしも適切明確ではなく、そもそも、いうところの危険への接近の理論なるものの内容を原審がどのように理解しているのか判然としないが、右の判示からすれば、原審は、結局、右両名の請求権の行使についてその全部又は一部を違法とするに足る事情は認められないと判断し、かつ、右両名の環境汚染の事実についての知情、認識の点は、損害額の算定においても特に考慮するまでの重要性をもたないものとした趣旨であると解することができないものではない。この見地からすると、仮に右の知情等の点についての原審の事実認定に経験則違背等の違法があり、右被上告人らが汚染の事実等を知りながら入居したものと推定すべきものであるとしても、この点を除いた原審認定の両被上告人の入居の事情等に照らせば、同人らが汚染の事実を知つていたということを主な理由に、同人らの請求を信義則に違背するなどとして排斥するのはとうてい無理であるし、また、この点を損害額の算定のうえで特に考慮しなかつたことが原判決のした算定を格別不合理たらしめるものとも考えられない(上告理由第六点の一についての私の意見参照)。結局、原審の事実認定に右のような違法があつたとしても、それは判決の結論に影響を及ぼすものではないと解すべきである。以上述べたように、私は、多数意見に基本的に同調することができないのであり、原審の判断は、これを前記の趣旨に解して正当として是認することができるから、右被上告人らに関する論旨は採用することができない。なお、附言すると、多数意見が右近藤、常両被上告人の前記環境汚染の事実の認識についての原審の事実認定に経験則違背等の違法があるとする点に限つていえば、私も上告理由第四点の五についての団藤裁判官ほか三裁判官の反対意見が指摘されるとおりであると思う。〔将来の損害の賠償請求に関する個別意見〕
(16)上告理由第六点の二、三についての裁判官団藤重光の反対意見は、次のとおりである。
民訴法二二六条は、「将来ノ給付ヲ求ムル訴ハ予メ其ノ請求ヲ為ス必要アル場合ニ限リ之ヲ提起スルコトヲ得」と規定しており、法文上はあらかじめ請求をする必要性の存在だけを要件として掲げているにすぎないが、民訴法全体の体系の中に位置づけて理解するときは、本条はあくまで例外的なものであつて、解釈上厳格な制約を考えなければならないのは当然である。しかし、本条をどのように解釈するかは、結局は、立法者がとくに本条を設けた趣旨を勘案しながら、既判力の範囲の問題や当事者間の利益の均衡などを考慮して決する以外にないと考えるのである。
おもうに、期限付請求権や条件付請求権などについては、期限の到来や条件の成就を待つまでもなく、あらかじめ訴を提起して債務名義を取得することができるものと解しなければならないことは、かりに本条のような規定がなかつたとしても当然のことではあるまいか。そうだとすれば、本条をとくに設けた趣旨が、単にこのようなばあいについての疑義を避けるためだけであつたとみることはできないであろう。わたくしは、請求権発生の基礎となるべき事実関係が継続的な態様においてすでに存在し、しかも将来にわたつて確実に継続することが認定されるようなばあいには、具体的事案に応じて、前記のような考慮によつて是認される限度で、本条の規定による訴求がみとめられるべきものと考える。
そこで、本件の事案に考察を進める。たとえば土地の工作物の設置・保存につき物理的な瑕疵があり、これによつて他人に継続的に損害が発生しているばあいに(民法七一七条参照)、その他人は工作物の占有者ないし所有者に対して、すでに発生した損害に対してばかりでなく、その瑕疵が除去されないかぎり将来にわたつて継続して発生するであろう損害に対しても、その賠償を請求することができるものと解しなければならないであろう。これは多数意見の例示する不動産の不法占有のばあいと異なるところはないはずだとおもう。そうして、わたくしは、この理を民法七一七条のばあいにかぎらず、国家賠償法二条一項に規定する公の営造物の設置・管理の瑕疵によつて他人に損害が生じているばあいにまで推及したいのである。もちろん、民法七一七条の規定する工作物の設置・保存の瑕疵は、従来、物理的なそれを指すものと解されて来ているのに対して、国家賠償法二条一項に規定する営造物の設置・管理の瑕疵は、営造物を構成する物的施設自体の物理的な欠陥ばかりでなく、上告理由第五点に関する多数意見のいうように、その営造物が供用目的にそつて利用されることとの関連において危害を生ぜしめる危険があるばあいをも含み、本件空港はまさしく後者の観点を加味した意味でのいわゆる欠陥空港とみとめられるのであるから、その設置・管理の瑕疵は複合的な内容のものであつて、これを単純に民法七一七条の規定する工作物の設置・保存の瑕疵と同視することはできない。しかし、原判決は、過去の損害賠償に関する被害の認定にあたつても、被上告人ら各自のいわば最小限度のそれを認定しているものと解されるのであつて、そのような最小限度の被害の発生は、特別の事態がおこらないかぎり、将来、当分のあいだ確実に継続するであろうことは、むしろ常識的に是認されうるところである。上告人が上告理由第八点において指摘しているとおり、原判決が将来の給付を命じるについて明確かつ適当な終期を付しなかつたことは原判決の重大な瑕疵といわなければならず、わたくしもこの点で原判決は将来給付の請求に関するかぎり破棄差戻を免れないものと考えるが、もし前記のような最小限度の被害の発生が確実に継続するものとみとめられる期間を控え目にみてその終期を定めるならば、その期間内に特別の事態が生じたばあいに相手方に請求異議の訴によつて救済を求めさせることにしても――その特別の事態の発生によつて賠償額に影響を及ぼすことを立証しなければならないが――これに不当に不利益を課することにはならないというべきであろう。また、かような終期を付することによつて、既判力の範囲についても、疑点を解消することができるものと考える。要するに、わたくしは、本件将来給付の請求を不適法とする多数意見には賛成することができないのである。
なお、念のために付言すれば、多数意見によると、昭和五〇年六月一日以降に発生した本件損害賠償請求権については訴が却下されることになり、その中で発生後すでに消滅時効の期間(民法七二四条)が経過した分については、被上告人らはこの判決確定の日から六箇月以内に改めて訴を提起しなければ消滅時効が完成することになる(同法一四九条、一五三条参照)。この点でも、多数意見と私見とでは、実際上、かなり大きな差異が出て来るわけである。
裁判官塚本重頼は、退官のため評議に関与しない。
最高裁判所大法廷
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    服   部   高   顯
            裁判官    団   藤   重   光
            裁判官    環       昌   一
            裁判官    栗   本   一   夫
            裁判官    藤   ア   萬   里
            裁判官    本   山       亨
            裁判官    中   村   治   朗
            裁判官    横   井   大   三
            裁判官    木   下   忠   良
            裁判官    伊   藤   正   己
            裁判官    宮   ア   梧   一
            裁判官    寺   田   治   郎
            裁判官    谷   口   正   孝
End