Multiple Chemical Sensitivity(MCS) 

 

ホームページの新装に合わせご挨拶

2010年9月28日

代表 村田知章


 ちょうど2年前のことです。化学物質過敏症を発症し、毎日ぼやいてばかりいました。くる日もくる日も、むなしい日々が流れすぎ行きました。30代前半の男の働き盛りの時に、私は何年も寝たり起きたりを繰り返す毎日だったのです。
 そんな現状を打破しなければと、一念発起して企画したのが、この「化学物質過敏症知ってね☆うぉーく」です。
 この先もむなしい人生を歩むなら、ここで命を懸けてアクションを起こすのも悪くないと思いました。生きている証のようなものを、つかみたかっただけかもしれません。
 東京の渋谷でデモ行進を起こすのだと、馬鹿な計画を打ち出したのですが、どう考えても化学物質過敏症の発症者にとっては、かなりデンジャラスで危険な行為です。だれか止めてくれると思いきや、言い出したが最後、そんな馬鹿で無謀な計画を引き留めてくれる人もなく、気が付いた時には100名もの規模に膨れ上がってしまったのでした。なんとも涙が出るほどありがたいことでした。
 いろいろテレビ局や新聞社などのメディアが、国内初の化学物質過敏症のデモ行進ということで取り上げてくれたので、なんとか大義名分が立ちましたが、渋谷の街をたったの40分間歩いただけなんです。それでも化学物質過敏症の発症者にとっては、かなりきつかったことと思います。

 そもそも私は争いも抗議活動も好きではありません。デモ行進などもってのほかです。ガンジーの無抵抗主義ではありませんが、デモ行進なのに一切抗議することは放棄しました。ただただ「化学物質過敏症を知ってね☆」ということに徹したのです。楽しい思い出になりました。
 その後も、アースデイ東京に参加したり、パネル展示を行ったり、他団体と協力してシンポジウムを行ったり、要望書を提出したりと、忙しい日々が続きました。少しは化学物質過敏症の認知にも貢献できたのではないかと思います。少なくとも自分の周りの人は、私の化学物質過敏症のことを理解してくれるように変化したのは確かなことです。

 現在、母の故郷の港町に引っ越したのが幸いし、普通の人と同じくらい軽快しました。いまでは活性炭入りマスクを使用しないで外出しています。もちろん、たばこや農薬散布や香水のニオイなどで、いまでも体調不良を起こしますが、それでも寝たきりの生活からは脱却できました。
 もし、知ってね☆の行動を起こさなかったら、いまでも寝たきりを繰り返すむなしい日々が続いていたかもしれません。
 そんなことを振り返って思うと、一歩、歩みだす勇気が自分の置かれた苦境を脱出するカギとなったように思います。一人ではできなくても、みんなで一歩を踏み出してみることも必要だったと思いました。

 知ってね☆うぉーくでは、そんな誰もができる一歩の運動をこれからも企画してゆきたいと思っています。
 まずは、「化学物質過敏症を知ってね☆」から始めたいですね。
 どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 真鶴町の自宅にて、 36歳の秋


  村田知章  Murata Tomoaki
   

 1974年7月6日生まれ、玉川大学農学部卒
 2000年に茨城県で自然農法の農家になる

 2003年に著書「自然農法を始めました」(東京書籍)を出版

 2004年に北里研究所病院で化学物質過敏症と診断される

 2006年に著書「化学物質過敏症お悩み事情」(本の泉社)を出版
 2008年11月に化学物質過敏症知ってね☆うぉーくを決行する
 2009年9月に神奈川県真鶴町で町議会議員に当選し現在に至る


真鶴半島の日の出

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