
君が死んだ理由
"「だから君は、死んだんだってば」
うんざりした声音で告げられた事実を、私は飲み込めないでいた。当然だ。いきなり死を告げられて、納得できるわけがない。
―――だが。
私は下を見下ろした。横断歩道に転がる死体は、どろりと血に濡れている。気持ち悪いと思わないのは、それが私だからだ。
周囲には人だかりができ、ざわざわと騒がしい。救急車のサイレンが近づき、人々の注目をいっそう集めていた。
「まだ若いのに、可哀想にねぇ……」
野次馬の中のおばさんたちが、ひそひそと話している。まる聞こえだ。年若い少女が自動車事故で死ぬ、そんな安っぽいドラマに酔いたいだけだろう。兄が死んだ時も、似たようなことが起こった。
私は自分の姿を顧みる。幽体離脱、とでもいうのだろうか。身体は透けていて、今にも消えそうだ。空中にふよふよと浮いている様は、悲しさと同時に情けなさがこみあげてくる。
「……私、本当に死んだの?」
後ろの人物を振り返る。人物、というのはおかしいかもしれない。
「名簿によると、十月八日午前七時五十二分三十六秒にご臨終だね」
こともなげに言う彼は、ひどく美しい容姿をしていた。人間ではないと一目で分かる。漆黒のマントは、対照的に白い肌を眩しいほどくっきりと見せている。髪と瞳はびっくりするほど色素が濃く、闇に溶ける濃色。目鼻立ちは端正な彫刻のように整っている。手に構えているのは大鎌だ。その出で立ちは、あたかも―――死神。
「登校途中の交差点、場所もあってる」
そういうと彼は私の方を見た。
「納得できない、って顔だね」
「当たり前でしょ」
「でも死んだから」
彼は持っていた紙を私に突き出した。どうやら名簿だ。死亡時刻、場所、死因が表となっている。ざっと探すと、私の名前が記載されていた。
「でもなんで消えないのかなぁ、間違いなく狩ったのに。普通は一回狩ったら気絶するんだけど、どうなってんの君?」
彼のマントが風に煽られ、ばさばさと翻る。あまり機能的ではなさそうだ。人は現実が認識できなくなると、どうでもいいことを考える。分かっているとも、これは現実逃避だ。
「まぁいいや。じゃ、遠慮なく」
鎌が日光を弾き、私に振りおろされた。耳元で、ひゅんっと空気を切る音がする。私は反射的に目をつむった。
私はついさっき死んだ。死亡時刻は七時五十分頃、高校に行く途中の交差点で。
「……ここはどこなの!?」
白い空間に浮いている、とでもいうのだろうか。明るい光が平等に撒いていて、影ができていない。右も左も分からない、自分の立ち位置を見失うような場所だった。
「人生で何が引っかかったのか調べるための空間」
なるほど、記憶が映像となって走馬灯のように流れている。
私の脳は限界を通り越し、むしろ冷静になっていた。
「大丈夫かな〜……でもな……」
ふと見ると、死神が胡乱な表情で私を眺めている。
「何?」
「…………別に。おっと、そろそろだな」
死神の視線が走る記憶へと向く。それにつられるように、私も映像に視線を投じた。
「………っ!」
私は驚愕に目を見開いた。記憶に兄が映っている。それを認めたと同時に、酷い頭痛がした。
「うっ……ぐぅああ」
思わずうめき声が漏れた。頭が割れるような激痛。脳天に雷が落ちるような衝撃。
どういうことだ、と抗議しようと死神を見る。
死神もまた、驚いたように瞠目し呆然と映像にくぎ付けになっていた。
その文句を言おうとしたが、ますます酷くなる痛みがそれをさせない。私は頭を抱え込み、膝をついた。
脳裏に駆け巡るのは、兄が死んだ記憶。思い出したくない、思い出したくない。
気持ちとは裏腹に、その時の記憶が鮮やかに蘇った。
あれは、十一歳の誕生日の時だった。
私の家は共働きで、両親ともに毎晩遅くまで仕事をしていた。事情は分かっていたが、誕生日を両親に祝ってもらえない事が悲しくて、悄然と肩を落とし歩いていた。
「誕生日おめでとう」
横から親友が声をかけてきてくれる。落ち込む私を気遣ってのことだろう。
「それ言うの五回目だよ」
そう言いつつも、自然と笑みがこみ上げた。心配してくれたのが嬉しくて、足取りが軽くなる。でもそれを悟られたくなかったから、話題を変えた。
「もうすぐ家につくよ」
「うん。それにしても寒いねぇ」
「冬だからね」
今は小学校の下校途中。北風が容赦なく吹き付ける。手袋を忘れた手はすっかりかじかんで、あまり感覚が無い。
そんな寒い中、親友が遠い私の家まで来て、誕生日を祝ってくれるのだ。親友は幼馴染で、何度もお互いの家に邪魔している。親友が両親には言わなかったが、どうせ家に居ないしかまわないだろう。
「お兄さんの邪魔にならないかな」
親友が少し心配そうに尋ねてくる。兄は高校三年生、いわば受験生である。今は一月、兄は何かに憑かれたように朝から晩まで勉強漬けだ。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんも一緒に祝ってくれるって言ってたし、だめなら静かにさわげばいいよ」
私は笑顔を返した。
ひゅうと強い風が吹き抜け、マフラーが飛ばされる。
親友は私のマフラーを拾うと、軽くはたいてから渡してくれた。
「こんなに寒くて、お兄さん風邪ひいたりしないの?」
「兄弟揃って健康ですから」
私はすました顔で答える。
「お兄さんを見習って、もっとちゃんと勉強したら? 今日帰って来た理科のテスト、あんた三十二点でしょ」
痛いところを突かれ、私はうっと詰まった。
「お兄ちゃんが勉強しすぎなんだよ。ミカは何点だったのさ」
私のささやかな反撃を、親友はあっさり叩き潰した。
「八十八点。でも確かに、お兄さんはやりすぎだよね。体壊さないのかなぁ」
気づくと、家が見える。私の家は3LDKのマンションだ。エレベーターで三階まで上がると、家の鍵を開けて親友を案内した。
「お邪魔しまーす」
玄関で靴を揃え、ついでに私の靴も揃えてくれるのがしっかり者の親友らしい。
「おお、お帰り。……と、こんにちはミカちゃん」
目の下に隈ができた兄が、にこやかに出迎えてくれる。言っちゃ悪いが、少し不気味だ。夕べも遅くまで勉強していたのだろう。
「お邪魔しています」
兄は感心したように頷いた。
「ミカちゃんはしっかりしてるねぇ、カナと同い年とは思えないな」
親友は少し赤面し、照れて笑った。
私はじと目で兄を睨む。しかし、兄はまったく気付かない。
「カナ、ケーキ買ってくるよ。何がいい」
「別にいいよ」
そっけなく言い放った私の頭をわしわしと撫でて、兄は尋ねる。
「遠慮すんな。せっかくの誕生日なんだし」
兄は優しい。そして少し、いや相当鈍い。無意識に人を怒らせたり、それに気付かなかったりするなんてしょっちゅうだ。もう慣れた。
「……チョコケーキ」
私は憮然とした表情で、ぼそりと呟いた。
兄は笑顔のまま頷くと、近くにあった上着を着て鞄を持つ。
「じゃあ買ってくるよ。ミカちゃん、遊んでやってね」
それが、私の見た兄の最後の姿だった。
兄が遅い。さすがに少し心配になってきた。親友も、しきりにどうしたんだろうと呟いている。
その時、電話が鳴った。私は受話器を取る。
「もしもし、坂城さんのお宅ですか」
ひどく切迫した声が、耳に刺さる。嫌な予感がした。
「はい……」
「こちらは鶴崎病院です。落ち着いて聞いてください。誠さんが、交通事故にあいました」
誠は兄の名前だ。私は茫然とした。受話器を取り落としそうになって、親友が胡乱な表情を向ける。
「坂城さん、聞こえますか。危ない状態です、急いで病院に……」
これ以上聞きたくなくて、受話器を叩きつけるように置いた。
「どうしたの?」
親友がいぶかしげに尋ねてくる。
「お兄ちゃんが……事故に……」
動揺して、ろれつがうまく回らない。
親友の顔から、血の気がさっと引いた。
「病院どこ!?」
刺すような声音。
「鶴崎……」
それだけ聞くと、親友は身を翻しばたばたと駆けて行った。
私もはっとして、慌てて親友を追いかけた。
―――病院。
呼吸は上がり、心臓も早鐘のように駆けている。だけど、ひどく寒い。血の気が引いているのだ。鏡で見なくても、自分の顔が真っ青であるだろうことが分かる。
既に連絡を受けた父と母が、病院にいた。医者にすがるように兄の助命を頼んでいる。医者の顔は苦渋をはらみ、醜く歪んでいた。
子供の居場所はない。緊迫した空気が伝わってきて、不安になる。
「お兄ちゃんは!?」
医者のすそを掴み、私は叫んでいた。
「死んでないよね!? そうでしょ、だってケーキ買いに行っただけだよ!? 誕生日祝ってくれるって……」
医者の表情で、私は悟ってしまった。
いたたまれなくなって、私はその場から駆けだした。走りながら、後から後から涙があふれる。
母が何か叫んでいる。父は嗚咽を漏らしているのを聞きながら、それでも足は止まらなかった。
走った先は、公園だった。
親友がいた。声もなく、ただただ涙が流れている。妹ですらいられない雰囲気の病院に、部外者の子供がいるわけにはいかない。聡い彼女はそれを察して、公園に来たのだろう。
声をかけようとして、何を言っていいか分からなくなる。
親友は私がいるのに気付くと、足早に近づいてきた。
何が起こったのか、分らなかった。私は痛む頬を抑え、茫然と親友を眺めていた。
「あんたのせいよ!」
親友は充血した目で、ぎっと私を睨む。
「あんたのケーキなんて買いに行かなかったら、死ぬこともなかったのに!」
死ぬ、という言葉が胸に突き刺さる。
親友は顔を歪めると、ふいとそっぽ向いて、走り去って行った。
ぶたれた頬はひりひりと痛む。ミカは兄が好きだったことを、ぼんやりと思い出した。
家の扉を開けた。この家にもう兄は帰ってこないと思うと、また泣けてきた。泣きすぎて頭と目が痛い。
リビングに入ると、私は信じられないものを見た。
チョコレートケーキ。十一本のろうそくが、その上でゆらゆら揺れている。
私はこれ以上ない程に目を見開いた。見間違いではないかと、涙を袖でぬぐってもう一度見る。
だが、ケーキは間違いなくそこにあった。近づいてみると、ケーキの上のプレートに『おたんじょうびおめでとう カナちゃん』と書かれている。
私はクリームを指ですくい、ぺろりと舐めた。
……涙と交じって、全然美味しくなかった。
兄はあっけなく遺骨になり、墓に眠った。
私はどうしても、兄の死に顔を見ることができなかった。見たら、最後に見たあの笑顔が消されてしまいそうで、怖かった。
葬式の時、見覚えのない親戚のおばさんが口々に『頑張るんだよ』と言ってくる。
何を頑張るんだろう。何を頑張ればいいんだろう。
その空気が嫌で嫌で、葬式を抜け出した。
しばらく歩くと、兄が事故にあった道路にさしかかる。何気なく上を眺めて、歩道橋から飛び降りようとしている見覚えのある人物に驚愕した。
「ミカ!」
反射的に叫んで、歩道橋まで駆ける。
ミカは私に気づくと、逃げるように歩道橋から飛び降りた。
「私は……」
ぐっしょりと汗ばみ、気持ち悪い。ミカが死んだ時のように呼吸が荒い。いつの間にか、頭痛は引いていた。
「君、死にたかったんだ?」
死神の声に、私は笑おうとした。が、変なふうに歪む。
「そうかも」
「兄弟揃って交通事故、そして揃って僕に狩られるんだな」
死神の言葉に、私は瞠目した。思わず見上げた死神に、表情がない。
「どういうこと!?」
「睡眠不足で注意力蹣跚となり、交通事故で坂城誠は死亡。……今までで最も印象的な死人だったな。魂を狩る僕に対して、『ケーキを買って自宅まで届けてくれ』だってさ」
私は声もなく聞いている。
「君の兄は、この世への未練が相当強くてね。今の君みたいに一回で狩れなかった。妹の誕生日を祝う予定だったのにと、かなりごねた」
「………」
「で、せめてケーキだけは届けてくれ、と。そうしないと成仏しないと言い張って……」
その時のことを思い出したのか、死神が渋い顔をする。
「結局僕が買いに行って、君の家に届けた」
あれは、兄からの、最後のプレゼントだったのだ。
「君の兄貴、言ってたぞ。楽しく笑って生きて欲しいってな。……ああ、それも伝えろって言われてたな。……生きたいか?」
優しい、声だった。私はこくりと頷く。
頷いたが、引っかかるものがあった。
「……ちょっと待て、どういうこと?」
死神は前髪をかきあげ、深く息をつく。
「上から通達があってな、ミスだ。やっぱりな。また始末書だよ」
頭がついていかない。
「さっさと戻んないとマジで死ぬぞ」
「それって……」
死神は大きく頷いた。
「君はまだ、死んでない」
はっと目覚めたら、病院のベットで横になっていた。
奇妙な気だるさが、身体を支配する。
隣の医者が、驚嘆した声を上げた。
「お嬢さん、目覚めましたよ!」
見上げると、両親がいた。充血した目から、さらに涙が伝っている。
「良かった……本当に、良かった……」
私は生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよっていた。私の年齢は兄が死んだ年で、嫌な想像を駆り立てられ、両親にずいぶん心配したと語られた。
医者には脈拍がどうの、体温がどうのと末恐ろしい内容を事細かに伝えられ、かろうじて一命を取り留めたのだから、絶対安静だと告げられた。
本来なら面会謝絶だ。安堵した両親はすぐに帰され、医者も病室を出た。
「ミスしたのは上なのに、何で僕が怒られるんだろうね?」
死神が、ベットの横に立っていた。
うつらうつらと舟を漕いでいた私の眠気は瞬時に吹っ飛ぶ。
「あんた……!」
「いやぁ、しばかれたねぇ。厳重注意に謹慎に始末書」
つらつらと文句を言う死神が、なんだかおかしかった。
「死神も、案外大変だね」
「死神!?」
死神は素っ頓狂な声を上げ、目を丸くする。
「この上なく失礼な誤解だな、それは」
「じゃあ何なの……」
言いさした言葉を遮られる。
死神の背から、純白の羽が広がった。羽毛が舞い散り、幻想的な雰囲気をかもしだしす。
「天使……」
私は茫然と呟いた。次に、疑問が湧く。
「何で、死神の格好してるの?」
死神、いや天使は遠い目をして嘆息した。
「天使は悪魔に物凄い嫌われて、隙あらば殺そうとするんだよね」
「……はぁ」
突然話が飛んだ。
「僕は弱い天使だから、悪魔に狙われたら困るわけだ」
つまり、悪魔の目をごまかすために死神装束を着ていた。まる。
私は半眼になった。終始図太いその態度は、とても弱いようには見えないが。そもそもそんなことで、悪魔を欺けるとは驚きだ。
「失礼な奴だな。……げ、時間だ」
「え」
天使は窓の桟に右手をかけ、左手で手を振る。
「じゃあな。達者で生きろよ」
天使は何か間違ったセリフを言い置くと、窓から落ちそうになり、何とか上に飛び去っていく。
再び寝ようと枕をずらしたら、かさりと音がした。枕の下に、紙が入っている。
そこに書かれた文章を見て、私は小さく苦笑した。粋なことをする。
『死んだら、始末書の責任取れよ!』
その紙は、今も大切に交通安全のお守りにしまってある。"