ヒトカゲ

  序章  

少年の歩調と、それの歩調は同じだった。寸分の違いもなく、長い廊下を違う足が渡る。

カツ   カツ   カツ

聞こえる足音は一つ。だけど、存在するのは自分だけじゃない。

歩みを止めると、それも歩みを止めた。早く歩くと、それも早く歩いた。足を引きずりながら歩くとそれも足を引きずりながら歩いた。

くるりと後ろを振り返る。だがそこに人影を認めることは出来なかった。視界に入るのは、今まで歩いてきた果てのない白い廊下だけだ。

「何時まで続くんだよ、、、。」

無意識に出た言葉は、誰に届くことなく不気味に廊下に響いて消え去ってく。

誰かに聞いて欲しかったわけではない。返事を期待していたわけでもない。

ただ、、、ただ、この空間から少しでも早く抜け出したかった。

暫く止めていた歩みを今度は今までにないくらい早くする。子音増が早鐘を打ち、喉から漏れる空気が『ヒュー、ヒュー』と音を立てているのが耳に届く。額からは冷たい汗が止めどなく流れ、顎を伝って服にしみを作る。

覚めろ   覚めろ   覚めろ

心の中で何度も呟く。

それが付いて来るのを気配で感じた。顔は動かさず、目線だけを後ろにやる。しかし、嘲笑うかのようにそれの姿は見えない。

覚めろ   覚めろ   覚めろ

同じ事を何度も何度も心の中で繰り返す。

それが一気に近づいた気がして、今度は思いっきり振り返る。やはり姿もなければ、人影もない。

小さく舌打ちをして、膝に手をついた。激しく上下する肩が、自分がどれほど運動が出来ないのか、、、体力が残っていないのかを物語っていた。

まともに息を吸うのも難しい。汗が目に入って視界が滲む。思考回路なんて言葉は、この空間に入った瞬間から捨てていた。

カツ   カツ   カツ

自分は歩いていないのに、それが近づいてくる気配がした。

びくりと身を震わせて顔を上げる。、、、誰も、居ない。だけど、誰かが、何かが、確実に、自分に、近づいてくる。

姿は見えない。だけど、何かが居る。何か、良くないもの、、、少なくとも、今この場に居る自分にとってはむしろ悪いものだ。

足が震えて、まともに立っていられなくなる。ガクンと膝をついて、瞬きすることを忘れた目で、何故か逸らすことを許されず、前を見る。

誰も居ない。視界は、そう捉えていた。

しかし、聴覚は違った。聞きなれた、カツ   カツ   という音を確かに捉えているのだ。

激しく頭を振って立ち上がろうとする。が、意に反して体が動かない。

足音が、一定の歩調で近づいてくる。いたぶるように、怯えるように。矛盾しているようで、実は一番しっかりした足取りで。

初めて、恐ろしいと思った。何時もならそれは近づいてこない。ただ、追いかけてくるだけだ。

だが、今日は違った。すぐ近くに、それの気配を感じる。長い舌に絡まれたように体が動かない。

幾度となく訪れたこの空間で、こんな感情は抱いたことがない。声を出そうにも、口から漏れるのは乾いた空気だけだった。

覚めろ、、、   覚めろ、、、   覚めろ、、、!!

麻痺した心で、それだけを何度も叫んだ。声が喉で凍り付いて、口から出てきてくれない。足音は、刻々と迫ってきている。

やがて、それが目の前まで来たのか足音がピタリと止んだ。それでも目の前に広がっているのは果てのない白い廊下だけだった。痛いくらいに静まり返った空間に、自分とそれだけが存在している。

恐怖に押され目をつぶった瞬間、ヌメリとした冷たい感覚が頬を撫でた。その感覚はなかなかなくない。目をつぶっているので分からないが、目の前でそれが冷たく笑った気がした。

強く閉じた目の端から、何か液体のようなドロリとしたものが伝うのが感じられた。涙かとも思ったが、口まで伝ってきた液体はどこか鉄のような味がする。

血、、、?

味の正体に思い当たるものを想像して、背筋を悪寒が走った。

誰、の?

自分ではないだろう。痛いところもないし、怪我をした覚えも、していた覚えもない。

なら、誰が、、、?

一瞬恐怖を忘れて目を開ける。だが、それも一瞬にして開けなければ良かったと後悔した。目の前に存在しているそれの正体に、思わず目を見張る。

目の前に佇んでいたのは、血まみれになった『自分』だった。

血にまみれた目の前の『自分』が、何処からかあふれ出している鮮血を滴らせた手で自分の頬に触れていたのだ。

「ひっ、、、!!」

引きつった叫び声をあげて、後ず去ろうとした。が、何故か背後には何時の間にか現れたのか高い壁がそびえ立っていたて、行く手を塞いでいた。

「うぁ、、、っっ!!」
「ク、、、クク、、、ククククッ、、、。」
「、、、っっ!!」

目の前の自分が、口の端を上げて低く笑った。その口から出ている笑い声は、自分のものとは似ても似つかない、おぞましいものだった。

完全に悪意に満ちたその声に、声を上げることも、逃げ出すことも、振り切ることも、息をすることすらも忘れてしまった。時が、自分だけを囲んで止まる。

思い出したかのように時が進み始めたとき、目の前の『自分』がつま先から黒く染まっていくのを視界の隅で捕らえた。

まるで、存在が許されていないようだ。混乱した頭にそんな考えがよぎった。

やがて目の前の『自分』のすべてが黒く染まり、気味の悪い笑い声も止まった。

再び静寂が空間を包み込む。

気味の悪い笑い声よりも、静寂のほうがよっぽど心地良い。呆けながらそんなことを考えていると、何処からか何かが腐っているような匂いが漂ってきた。

何か、、、そんな客観的な考えはすぐに捨てられた。ボトリと、何かが落ちた音が静寂を破る。

「何、、、っ!!」

掴まれている顔を動かすことは出来なかったので、目線を音がしたほうに向ける。そこには肉片が白い煙を黙々と上げながら泥のように溶けた物体が落ちていた。

何が起こっているのか理解できなくて、暫くの間その塊を見つめた。

何だ、アレは。

どこから、あんなものが。

鈍い頭でそこまで考えたとき、頬に激痛が走った。

「痛っ、、、!!」

思わず顔をしかめると、目の前の『自分』がさも愉快そうにクツクツと笑った。今までのように悪意は感じられない。ただ、無邪気にこの光景を楽しんでいるらしい声だった。

だけど、自分にとっては笑っていられるような状況ではない。痛みに耐えるようにうめいてから、自分の頬を掴んでいる『自分』の腕を引き剥がそうと重い腕を上げて『自分』の腕を掴んだ。

意外すぎるほどアッサリと『自分』の腕は離れてくれた。黒く染まった『自分』は、自分を見下すように立っている。

ボトボトボト、と立て続けに何かが落ちる音がした。収まらない腐臭に鼻が曲がりそうになる。それに耐えながら音がした方向を見ると、やはり先ほどと同じような物体が無造作に放り出されていた。

何気なく掴まれていた頬に手を伸ばす。

小さな違和感があった。すぐには思い当たらなくて、痛みを頭から必死に追い出そうとする。

痛みに耐えながら考えて、違和感の正体に気付いた。

頬が、ない。

あるはずの肉の感触が感じられない。代わりに感じられたのは、ごつごつした感触。

そっと触れると、パキンという何かが割れるような音がして、小さなカケラが手のひらに落ちた。白い、小さな塊。

骨、だ。

そう理解するのにさほど時間はかからなかった。しかし、何故骨に触れることが出来るのかは理解できなかった。

回らない頭を必死に回転させているうちに、何かが焼けるような音がすぐ近くから聞こえてきた。

「うあぁぁあああぁあぁっ!!」

あまりの痛みに、今までに無いくらいに絶叫する。

頬に残っていたわずかな肉が、音を立てて溶けていく。

溶けた頬の肉は、床に落ちておぞましい塊になった。

目の前の『自分』が、お腹を抱えて笑っている。それは、先ほどと同じような笑い方だった。

だけど、今、理解した。これは無邪気なんじゃない。悪意を含みすぎて、感情を感じさせない笑いだったのだ。

痛みに歯を食いしばりながら、目の前の『自分』を見上げる。黒く染まっているせいで、感情がいっさいわからない。

と、急にがくんと体制が崩れて、地面に倒れてしまった。体を支えていたはずの左手を見ると、頬と同じように腐食している。

「キレイナンダ、、、タマシイ、、、オレノモノ、、、モッタイナイ、、、」
「、、、ッ!?」
「ジャマモノノ、、、マエニ、、、オレガ、、、ホンモノニ、、、」
「、、、っく、、、」
「シロ、、、アカ、、、クロ、、、、、、キュウケツキ、、、」
「っ!!」

目の前の『自分』の要領を得ない片言の話を聞きながら、最後の単語に反応してしまった。

誰も知らないはずなのに。如何してこいつは知っているんだろうか。

こいつは何者なんだろうか。もしかして、こいつは本当に自分自身なんだろうか。痛みを凌駕するその思考に戸惑いを隠せなかった。

それを見て取ったのか、行き成り目の前の『自分』が首に手をかけてきた。触れられた部分の肉が溶け出していく。

「あああぁあぁっ!」

痛みで現実に引き戻され、肉が溶けていく感覚に恐怖と絶望がない交ぜになって半ば半狂乱気味に叫ぶ。断末魔の叫びに似たそれが、果てのないはずの空間に木霊して自分の耳に届いた。

体力が残っていないせいで、抗う事すら出来ない。

そん中、第三者が介入してくるのが見えた。

第三者の登場に『自分』が驚き、後ずさる。それと同時に首から手が離れ、新鮮な空気が一気に喉に流れ込んできた。あまりに突然だったため、少し咳き込んでしまう。

ようやく咳が収まって、第三者を改めてまじまじと見てみる。後ろを向いているために容姿は分からなかったが、床についても余りある裾をなびかせた、雪を思わせるような白いコートを羽織った人物が『自分』と自分の間に仁王立ちしているらしい。

さらさらと風もないのになびく髪は、今の自分と同じ銀褐色だった。

同族、、、?

声に出せずに飲み込んでしまった言葉は、当然第三者に届くはずがない。第一、確信もなく、可能性も低いのだ。

第三者はどこか儚い少年のようでもありながら、強い意思を持った青年のようにも見えた。後姿だけではどちらにも形容時が対雰囲気が漂っている。

「なぁ、、、お前、、、。」

掠れた声でそう話しかけると、目の前の人物が隠そうともせず盛大に舌打ちしたのが聞こえた。

あまりと言えばあまりの行動に反論しようと身を乗り出すと、行き成り目の前が真っ白になった。

「なっ、、、ちょ、おい!」
「ココは俺に任せろ!」
「はぁ!?」

言葉を遮って目の前に居た人物が叫んだ。

何を任せるというのか。今何が起こっているのかすらも正確に把握できていないと言うのに。

「ココは俺に任せろ!」

目の前に居た人物が同じ事を叫んだ瞬間、下に落下していくような感覚に包まれた。不快な浮遊感に頭が割れそうになる。

「うわあぁぁあぁぁああっ!!」

最後に自分の叫び声をどこか客観的に聞きながら、意識を手放すように目を閉じた。
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