数年前まで仕事をしていました。
家庭と仕事そして子育て。
分単位で移動したこともあります。
掲示板の書き込みを読んで、ハッとしました。
子育てで忙しくて読みたくても読めない人へ。
抜粋でも伝えたい。
吃音ではない私。
次女のもどかしさが解ってあげられない私。
退職して本を読む時間が出来て、読み始めて数年経ちました。
ランダムに書き込んで行きたいと思います。思い出しながら。
著作権の問題とかどうなるんだろう〜?ま、いいか!
すっかり忘れているものも有るでしょう。
ココにたどり着いた方で、助言してくださる方。
「こんな素晴らしい本もあるのよ!」
って教えてください。
さあ!今日から始めます。 2007.10.22 友引
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重松 清さん 「青い鳥」より 33ページ |
寂しかったね、ひとりぼっちだったね、と言ってあげたい。自分の言いたいことが言えないって、つらいよね。わたしにはわかる。声にならない言葉は誰にも聞いてもらえない。悔しいよね。わたしにはハンカチがあった。川崎くんにはなかった。 |
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諏訪 哲史さん 「アサッテの人」より 94ページ
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僕には殊に、タ行の「チ」と「ツ」がもっとも警戒すべき音だった。この二音はタ行の他の三つの音と種類を異にしていることを、僕は吃音の勘できわめて早期から意識していた。本来なら「タ、ティ、トゥ、テ、ト」となるべきタ行のうちに、なにゆえにそのような他者が混入されているのか僕にはずっと疑問だった。これららに遭遇するたび、まるで熟れた富有柿の中に硬い種を噛み当てたような、ゴロリとする異物感を僕は覚えた。 |
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諏訪 哲史さん 「アサッテの人」より 97ページ |
たとえて言えば、それは数あるエスカレーターの段に一つだけ印が付けられていて、その印の付いた段の出現を見極め、これに首尾よく最初の足を載せられるかどうかといったようなことだ。段は後から後からひっきりなしに生まれ出るが、あっと思ったときには既にそのタイミングを逸してしまっている。 |
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エヌさんご推薦 高嶺格さんの言葉より
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吃音というのは、言葉を伝えようとして、間違って、言葉じゃなく肉体が伝わってしまった、という状態なんです。ぼくが美術の方向に進んだのは、ここからきているのは明らかなんです。で、発音できなかった言葉というのは、いつまでも頭の中で繰り返し反芻され、推敲されるんですね。『どの音に言い換えれば自分は発音できたのか』という具合に。ベストな言葉と体の関係を探す、ということをずーとやっている |
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堀江 敏幸さん 「ここにもパンドラの箱はある」より 注 ビタミンF(重松清さん著)のあとがき |
つっかえることと気持ちが通じないことはまるでべつの次元の話だと承知してるのに、つまりどれほど滑らかに言葉を発しても真意の伝わらない状況など山ほどあるのに、それを勘ちがいだとは思わない周囲の鈍感さに身動きが取れなくなって、つい表向きの滑らかさを夢見てしまう主人公たち。口ではなく心の吃音が、逆に明快な言葉に対する意識をどんどん先鋭しみていくのだろう。 |
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諏訪 哲史さん 「アサッテの人」より 101ページ
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吃りは、余人には到底理解し得ない凄まじい苦しみをその者にもたらす。 ちょうど世界が大きな統一となって見え始める輝かしい少年期に、僕は、ひとりその統一から外れ、何処とも知れぬ「ねじれの空間」を漂っていた。統一を見極める能力が僕に欠けていたのではない。世界は見事なまでに繋がり合い、円環は巨大は弧を描いて目の当たりに閉じられていた。ただ、その中に僕の居所がなかっただけだ。あのころ、僕という存在は、一個の取るに足らない矛盾の礫だった。 |
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重松 清さん 「気をつけ、礼。」より |
p211 自分の話そうとする言葉を何度も頭の中で転がしてからでないと口に出来なかった。 p220 砂利道を走る車が急ブレーキをかけたように言葉が激しくつっかえた |
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