吃音の娘との歩み

1988年生まれと、1990年生まれの娘を持つ母です。次女が吃音(どもり)です。

家族は、夫、娘二人、夫の両親、私、犬二匹、(平成十三年まで明治生まれの祖母が生きていました)。つまり娘達は、明治生まれから平成生まれまでの幅広い年齢層の中で、育ちました。玄関も食事もお風呂も、全て一緒。

次女は二歳からどもり始めました。連発、伸発、難発、なんでもあり。小学校一年生から六年生まで、ことばの教室に通いました。中学校からは東京言友会にお世話になってます。実は、娘が小学生の頃から「ホームページをやってぇ〜」と言われていました。でも、自信がなかったのです。これ以上、傷つきたくなかったし。吃音児を育てていると、嫌なこともたくさん言われますよね。PCの前で、ウンウンと納得しませんか?それに、仕事も忙しかったし。

では、なぜ今立ち上げたのか?それは、昨年(2006年)暮れ、私はネットデビューを果たしました。どうしても知りたいことがあって。そこは吃音とは全く無関係なのですが(笑)。そこに書き込みをしたら、皆さん親切で、感激しました。ネットでこんなに幸せな気持ちになれるなんて、知りませんでした。そこの管理人さんみたいに、暖かい空間をご提供できるとは思えませんが、少しでもお役に立てれば・・と考えました。

私が目指しているのは、孤独な吃音者と、そのご家族などなど・・・。愚痴を聞ければと。吃音者ご自信のカミングアウトは多いです。でも、親の立場となると難しいですよね。ここでは、今更、言語学について語るつもりはありません。だって、そういうホームページはたくさんありますから。私は言語学者の先生達に直接お会いしたり、お話をお聞きしたり、あるいは文献を読んだりしました。素敵な先生達でした。尊敬しています。

今まで私は、通級教室にお子さんを通わせる親御さん達と、たくさん語り合ってきました。泣いたり、笑ったり、本気で腹を立てたり。それが、生かせればと思います。それと、お子さんに対して、親として絶対に言ってほしくない言葉とか。書き込めたらと思います。

それから、私の毎日を読んで、突っ込みを入れてくださってかまいません。自分の体験を私のコーナーに書いて欲しかったら、メールください。題材にしていきましょう。常識範囲内で語り合いましょう。               2007年三月吉日

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3月1日

通級教室の思い出

 

 

 

 

通級教室の六年間は、楽しいことばかりでした。親の会の会長もしました。行事等を通してたくさんの人たちと知り合えました。

市内の知り合いばかりではなく、県内にも友人が出来ました。先生達ありがとうございました。感謝!

言語障害児だけでなく、通級教室に通う様々な子ども達や親御さんに出会えました。色々なお子さんと知り合えました。

たくさんのお子さんと出会ううちに、娘の許容範囲が段々広がっていきました。私自身もきこえの教室や、情緒教室、ことばの教室に通うお子さん達の親御さんとお会いでき、糧になりました。

娘が小学校二年生のとき、ことばの教室の先生の助けをお借りして、市内の吃音児の親の会を発足しました。月に1〜2回の定例会の他に、懇親会なども。中には気のあった方々で、映画を観たりお泊りしたり。泣いたり笑ったり。

日本中には、孤独な親御さんがいっぱいいると思います。県内の勉強会のときも、泣き出してしまわれる方がいらっしゃいました。「東京言友会中高生のつどい」でも同じです。私には語り合える方々が、いっぱいいっぱいいたので、孤独ではありませんでした。たくさんのことを見聞きした経験を生かして、誰かに手を差し伸べられたら・・・と、思います。おこがましいですか〜?

3月2日

岡山での思い出

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 吃音関係で、一番の遠出は「岡山」です。吃音セミナーのシンポジストに招かれました。特総研(国立特殊教育総合研究所)の先生に頼まれて。大変お世話になっている、ことばの教室の教員を通して頼まれて、断れませんでした。

シンポジウムの参加者は、ことばの教室の教員、ST(言語聴覚士)、大学教授などなど。大学生と吃音者もちらほら。たくさんの専門家たちを前にして、吃音への思いを語るのは差し出がましいような気はしましたが。

結論を言うと、行って良かったです。私を推薦してくださった方々に感謝しました。

シンポジウムの後の懇親会で、たくさんの方が話しかけてくださいました。吃音の方も話しかけてくださいました。その方が私に語ってくださいました。「私は自分の親とだけは、吃音について話したくないです。嫌なこともあったから。でも、貴女が母だったら、相談していたかも・・・。」

今まで、吃音者の方で、親に対する不信感を語る人たちにお会いするたび、肝に銘じます。私はどうなのでしょう。娘に聞いても「お母さんは、吃音に対して前向きだし、傷口に塩を塗るような発言は無いよ。」と言ってくれていますがねぇ。

 3月3日

親に言われた言葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 親に言われて傷ついた言葉は、人によってさまざまだと思います。今日は、その一つを考えます。

ある青年がおっしゃいました。「オヤジに『吃音で辛い。』と、言ったら『そんなちっぽけな悩みで、これからの人生どうする!』と、言われた。」と、二度と相談はしないと心に決めたそうです。多分、親御さんは励ますつもりでおっしゃったのでしょね。言いたいことは分かる気がします。もっともっと大変な方も社会で活躍なさっています。目が見えなくても、耳が聞こえなくても、車椅子でも立派に自立していらっしゃる方々。だからと言って、吃音は贅沢な悩みですか?そんなことはありませんよね。毎日が精一杯だと思います。娘も何度も不登校になりました。それはそれで、後で語りましょう。

去年の夏、中学校の同窓会がありました。私の同級生で、かなりひどい吃音の男の子がいました。ことばの教室に通っていました。ところが、近況報告のとき、スラスラと喋ってる!口の悪い同級生達ですから、「どうしたんだ!どもってないぞ!偽者か?」と茶化しました。私は小学校中学校が同じでしたが、高校以降は会っていませんでした。びっくりして、跳んで行きました。話を聞いてみました。「中学校までは、俺の喋りを知ってる子ばかりだったから良かったけど、高校からはもっとひどかった。でも、就職して段々自信が付いてきたからかなぁ。でも、いまでもどもりだよ!」と言って笑いました。私は「やっぱり、大好きな女性ができて、口説いて、結婚して、子どもを育てて、女性の存在は大きい?」と聞いてみたら「モチロン!そうだよ!」と言っていました。人を育てるのは親だけではないのですよね。

 3月4日

障害者手帳

 

 

 障害・・・と言う言葉・・・やっぱり抵抗があります。

でも、娘は「障害者手帳が欲しい。」と訴える時があります。私は「今の日本では、言語障害者には、障害者手帳は配布されないのよ。」と言い聞かせますが。日本以外は知りませんが。

一つの例を挙げます。娘がどんな時、障害者手帳を欲しがるか。

ある日美容院に行きました。どもりながらも「前髪はこんな感じ・・・後ろの長さは、これくらい・・・。」と、美容師さんに説明した後、いざシャンプーに。椅子はリクライニングしますね。シャンプーは進み、美容師さんは娘に話しかけます。「お痒いところはございませんか?」と、と、ところが!声は出ない、焦ると息も苦しくなってくる。焦る。手は汗!しかーーしコミュニケーションが取れない。美容院から出てきた娘は涙目。「お母さん!こういう時、障害者手帳があれば、見せて、どうして今答えられないか理解してもらえるのに・・・。」つまり、さっきまで話が通じていた女の子が突然黙ってしまった。美容師さんは困らなかったか。それとも、むかつかせてしまったか。心配だと。話せていても、突然喋れなくなる。いつもそうです。私は母だから慣れていますが、他人はどう思うのか、娘は心配な訳です。

 3月5日

住み心地

 

 吃音の発症率は、1〜2パーセントと言われていますよね。先進国も発展途上国もほとんど同じ。英語もドイツ語もフランス語も中国語も日本語も・・・言語の差は無いと言語学者はおっしゃいますよね。日本内でも、そうですよ。大都会でも、田舎でもね。プレッシャーの多い都会の方が、吃音者は多い気がしますが意外です。それと男女比ですが、圧倒的に男性の方が多い。女性の4〜5倍と言われていますね。これはあくまで発症率の数ですが。

ただ住み心地となると、違う気がするのです。私は生まれも育ちも関東地区。学生時代も。結婚してからも関東から離れていません(旅行は別として)。ですから、ことばの教室の先生達や、保護者の方々と語り合ったりしてきたのは、ほとんど関東内の方々でした。東京言友会の中高生のつどいも、全国から参加しますけど、やっぱり東京近郊の方が多いです。ところが、一年半前始めて関西圏の方達と吃音について語りました。前記の岡山でのセミナーの時です。全国レベルのセミナーだったので、色々な地域から参加なさっていらっしゃいましたが。地域柄、関西、四国中国地方の先生が多かったです。とにかく面白い先生多かったですねぇ。もっとも、障害児教育に携わる教員は普通学級の教員とは、心構えが違うと思いますが。私が知っている通級教室の先生達、とっても、とっても、良い方々ばかりでした。関西で知り合った先生達は、お人柄が良いだけじゃなくてプラス面白いのですよ。吃音に対する考え方も前向きなだけじゃなくてね。こんなに楽しい先生達に指導を受けられる児童はいいなぁ〜と思いました。

3月6日

不登校 Part 1

 

 娘の不登校暦は長いです。ずーーーっと不登校じゃなくて、チョコット不登校。登校し始めて、なにかに引っ掛かりができると、不登校。こんな感じです。一番最初の不登校は、たぶん・・・小学校二年生のときです。強烈にやってきました。当時の私は今よりもっと未熟者でしたから、かなりうろたえましたね。今から思えばひどいこともしました。最初の数日は「ゆっくり休んで、心が落ち着いたら登校すればいいじゃない〜?」と優しい言葉を掛けて私は出勤。それが、娘が焦りだすわけですよ。何日経つと。学校に行けない自分と、規範性の強い自分と。葛藤があるのですね。私に当たりだします。「学校に行きたいんだ!」と。可哀想になり・・・心を鬼にして翌朝、ランドセルと娘を無理やり車に乗せて学校へ。車から汗だくで娘を引きずり出し、校門内へ放り込み、私は辛くて後ろも見ずに職場へ一目散!こんなことも、今では思い出です。

 3月7日

些細な出来事ですが

 

 

 

 

 

 小学校一年生の頃、こんなことがありました。娘のところに遊びに来た友人が「明日も遊べる?」と聞いていました。私は、どう答えるのか見守っていました。娘は「あーーーーしたは、こ、こ、こ、ことばの教室があるから、遊べない。」と、答えました。するとその友人は「こ、こ、こ、ことばの教室ってな〜に?」と聞いてきました。私は青かったので、かなり落ち込みました。後から考えれば。その友人は「明日」という単語を知っているから「あーーーーした」と言われても「明日」なんだ。と、想像がつきます。でも「ことばの教室」を知らない彼女にとって「こ、こ、こ、ことばの教室」が正式な単語として耳に入ったのでしょうね。当時の私は「なんで、『ことばの教室ってなぁに?』って質問してくれないのかなぁ。」と悲しかったです。そんな青臭い時代もありました。正直に言うと毎日がそんな感じでした。

3月8日

広いようで狭い日本

 

 吃音業界(笑)は、広いようで狭いですね。一人で閉じこもって悶々としていると、孤独ですが。思い切ってカミングアウトしたり、外の世界に出て行くと・・・あーららって感じです。この方も、あの方もお知りだったの〜?世の中狭いですね。なんて会話をしたり。吃音の研究をなさる方は一つに繋がってるのじゃないかと、思ったこともあります。

ちなみに、私ですが。色々な所でお話したり、文章を投稿したりしていると「貴女の作品、論文に使わせていただいてもよろしいでしょうか?」と電話がかかってくることがあります。「実名を載せてもよろしいでしょうか。それとも匿名かイニシャルをお使いになりますか?」と丁寧なお断りがあることも。そんなときは必ず「バンバン本名を出してくださってかまいません。」と返答するので、私の実名は吃音関係文書には結構出ているかも。だから、ココにたどり着いた方で「こんな意見どこかで読んだなぁ。」と思いついたなら、私かも・・・。

 3月9日

無神経なことば

 

 吃音児を育てていると、ひどいことを言われたりしませんか?私は色々言われすぎて、思い出せないくらいです。同じ通級教室に通う、情緒教室の親御さんも同じようなことをおっしゃいます。ADHDのお子さんや、アスペルガーのお子さんを育てていらっしゃる方々もご苦労なさってて・・・。娘が通級していたことばの教室は、全国でも少ないと思いますが、ことば・きこえ・情緒・教室が同じ小学校に併設されていました。ですから、我が娘のように、ことばも情緒もケアが必要な子には、パラダイスでした。そしてご両親達にとっても、知り合う機会が多いわけですから、お得でしたね。ひどいことを言われて、落ち込んでいる貴女!貴方!君だけじゃありませんよ。ひどいこと言われるのは。行く行くは、吃音親の会で発散された数々の名言(?)もご披露しようかなぁ。

 3月10日

家族

 今日は、東京大空襲の日ですね。私の父親は横浜で生まれ育ち、母は浅草で生まれ育ちました。空襲には怖い思い出がいっぱいあるそうです。私は祖母を知りません。共に十代で母を亡くした私の両親。戦争の悲劇です。そんな両親に、私は愛情いっぱいに育てられました。

私たち夫婦は新婚旅行から帰ってきた日から、夫の両親と夫の祖母と同居です。義母は結婚前「無理に同居しなくても、好きにしていいのよ。」と言ってくれていましたが。人間的に尊敬できる人たちだったので、最初から同居しました。次女が喋り始めから、どもりましたが、気にする風も無く助かりました。一番感謝しているのは・・・言い直しをさせたり「落ち着いて喋ってごらん。」とか言わなかったことですね。食事も玄関もお風呂も全て一緒ですから、耳に入ってくるはずなのに、一言も口出ししませんでした。ことばの教室に通級が決まった時も、心配でたまらないでしょうに、黙って見守っていてくれました。我が家はそんな家族です。

 3月11日

ピアノの発表会

 

 

 

 今年も近付いてきたピアノの発表会!娘達が通うピアノ教室は、二年に一度発表会があります。生徒達はそれなりに頑張っていますね。我が家の娘達は毎回、ソロ曲一つ連弾一つ。合計二曲弾きます。連弾が楽しいのですよ。練習中から盛り上がります。「お母さん!その和音弾いたらすぐ手を引っ込めてよ。私が間に合わない!」とか「お母さんはどうしてこの小節に来ると、突然早くなるの!」とか大騒ぎ。お互いに下手なピアノですから、合わないこと間違いなしです。

毎回、本番が近付くと、ひどくなる吃音。プレッシャーから来るのでしょうか。難発が始まるといつも思いました。「なんでピアノを辞めないかなぁ。音大を目指すほどの腕じゃないのに・・・。」吃音がひどくなるなら、やめればいいのに・・と思いませんか?私は何度も「何故ピアノを習いたいの?」と娘に聞きました。それでも、「辞める!」とは、言ってくれません。ピアノの発表会に限らず、何か行事があるとひどくなる吃音。全て避けるわけにもいきません。

考えてみれば、どもらなければそれで解決ですか?そうじゃないですよね。流暢に喋ることが最終目的じゃないかも。人生をどう生きるか?娘が目指しているものは、本人しか知りません。

 3月12日

タブー

 

 

 この辺まで来ると、あることに気づきませんか?

我が家は、吃音の話題はタブーではないのです。色々な方と知り合い、話すうちに・・・「ウチって珍しいんだぁ。」と気づきました。娘と私は普通に話題にすることでも、他のお宅では「へー!」と言われることもあります。ことばの教室に連れてくるにも、「本人はどうして毎週通うか理解してないみたい。」と、おっしゃる方もいます。私は思うのですが、吃音者はどう思われます?喋りにくさは本人が一番分かっていると思いませんか?違和感と言うか、自分が喋った時の周りの反応とか。小学生ともなれば、感じているはず。それを、腫れ物に触れるがごとく、ナイショにするのはどうかと思いますが。ただ、前にも言ったように「親にだけは吃音の話題に触れて欲しくない。」とおっしゃるかた多いです。話したくないものを無理やり引き出すのは辞めた方が無難ですね。違いますかね。

 3月13日

親として模索中!

 県の学習会や言友会で、ご両親達が気にすることの一つです。

「もしウチの子が、吃音は治らなものと知ってしまったらどうしよう。」あるいは「大人になっても、どもっている人がいるのを知られることが怖い。」とか。言い方は色々ですが・・・とにかく、流暢に喋れるようにならないと分かった瞬間、自分の子は絶望するのじゃないかと心配なわけです。

私は逆に、大人の吃音者にお会いしたかったです。娘が中一のとき、初めて東京言友会の中高生の集いで、スタッフとして立派に参加なさっている吃音者にお会いでき、感激しました。社会人としてあるいは大学生として生き生きとしている方々。その方々にお会いして、絶望する子どもなんていないと思いますが。吃音者の中には、引きこもりの方もいらっしゃるらしいですが。そこには前向きな人(?)が、集っているわけですね。子ども達と言うのは元来、生きていこうという力が強いのではないですか?ですから、隠そう隠そうとしても自分から気づきますよ。小学一年生ともなれば、自他との違いは分かるはず。頭の片隅で「多分一生この喋り方なんだろうなぁ。」と考えながら「では、どうやって生きていこう。」と思案中なのですよ。それは吃音者に限らず、ADHDの方も、LDの方も、違和感は感じていて・・・「こんな自分はどう生きられるか。」を試行錯誤し手探りで歩むわけです。それを親は止めることは出来ないでしょう。私は自分探しをしている我が娘を愛しいと思います。抱き締めてあげることしかしてあげられない自分を、なんて力量の無い母なんだろうと、自分を責めています。

 3月14日

受容

 

 自分を知ることの意味。受容することの大切さ。自分というものを知って初めて、肯定感が生まれてくると思います。人間は死ぬまで自分を完全には理解できないと思います・・・。でも、知らされないと不安ですよね。他の子と同じことが言えない自分。「僕。」と言いたいのに「ぼーーーーーく。」になってしまう不安。どうしてなんだ。何時まで続くのだ。もっとひどくなってしまうのか。私は吃音者ではないので、娘の不安が分かってあげられません。歯がゆいです。

ただ、否定だけはしませんでした。「もっとゆっくり喋ってごらん。」「わーーーたし、じゃないでしょ。わ・た・し!」とか言ったことがありません。一貫して追い詰めたことはありません。(私の言い分としてです。娘側からは知りませんよ。)貴女の喋り方は他の子と違う。これは認めました。でも、たった一人じゃない。日本中にはたくさんいる。孤独じゃない。どんな貴女でも大好き。私は貴女を愛してる。こんなエールは送り続けています。

 3月15日

学校不信

 

 

 通級教室にお子さんが通っている親御さん達の中には、学校不信者が多いです。お話を伺うと、もっともだと納得することがたくさんあります。そんなことがあったら、私も娘の担任を信頼できないなぁ〜と思うことも度々ありました。お陰様で、私たちはそんなことも無く今まで来ています。少しはありましたが(笑)。多分、私がオープンにしてきたからかもしれません。家庭訪問時や、懇談会などで訴えてきました。娘にとってどんな内容のケアが必要か。それによりリスクもありますが、それは仕方がありませんよね。(それは後ほど)学校側がどう受け止めてくださっているか、私はわかりません。でも、小学校の六年間、毎年一番ベテランの学年主任の担任でした。だからと言って、言語障害に詳しいとは限りませんでしたが。とにかく学校側の誠意は伝わりました。中学一年生の時の担任は、ことばの教室が併設されている小学校から、転任して来たばかりの先生でした。恵まれていたことは事実です。もし隠していたり、触れられたくないという、かたくなな態度だったらどうだったか分かりません。

 3月16日

辛かった出来事

娘の不登校理由として、考えられることは多々あります。しかしその場で即、分からないので対応が難しいです。本人が一番辛くて、親たちに上手く伝えきれないのが現状でしょう。本当に微熱が出ることもあるし、布団から出られないこともあるし。自分なりに消化(?)出来た時始めて話してくれたりします。それが、数日後だったり、数年たって「こんなことがあってねぇ。」と喋りだしたり。娘自信が納得できた時、話し出すのか。それとも、私が忙しそうにしていて、言い出しにくかったのか・・・。私も仕事をしていましたし、常にアンテナを張り巡らしている、細やかな人間ではないので。仕事を持ち帰ることもあり、書類と格闘している私の後姿は、言い出しにくいものがあったのかなぁ。

辛かった出来事の一つは、待ち伏せ事件ですね。岡山でもお話しましたが。これは、随分たってから話してくれました。学校帰りに待ち伏せされ「わ・わ・わ・わ・わーーーーーーたし。じゃなくて、わたしって言ってみろ。」こんな感じのことを言われたらしいです。何日続いたか、何人だったか、教えてくれませんが。娘は規範性の強い子ですから、指定された通学路以外は歩けません。ですから、道を変えるわけにもいかず。私も知っていたら、仕事を半日休んで、お迎えに行きたかったのですが、その時は気づいてあげられませんでした。たぶん、私に話すと仕事が忙しくても、駆けつけると思ったのでしょうか。そのときは愕然としましたが。あとから考えると、この子(達?)はからかったり、いじめたりそういう意味ではない気がするのです。「本当に、そんな言い方なのかなぁ。」「俺の聞き間違いかなぁ。」色々な思いがそういう行動を取らせたような、そんな気がします。娘にとっては残酷な行為も、している人たちはそんなでもないかも。

 3月17日

愛されているという自覚

 

 母に愛されている・・・という自覚が告白を遅らせているかも・・そんな気がします。私の自惚れでしょうか。自分を大切に思ってくれている人がいるから、肯定感はあるかもしれません。でも、「私を大切に感じてくれる人を悲しませたくない。」時々そんなことを肌で感じたりします。

次女が小学校六年生の時、こんな出来事がありました。次女のマラソン大会の日、私は休暇が取れませんでした。「お母さんがいなくても、一生懸命走るから。」と言って登校して行きました。帰宅してビックリ!娘の腕と膝が包帯だらけ!「スタートして直ぐ転んだ・・・。」即外科医へ。小学校の最後のマラソン大会なので、完走したかったのですって。お医者様は「これでよく最後まで走りましたねぇ。深い傷だし、数も多いし。毎日来てくださいね。」と。思わず抱き締めましたよ。「お母さんがいなくて良かった。だって、血だらけで、走っている私を見たら、お母さん泣き出すよ。私より、お母さんの方がどうかしちゃうかも・・・。」そんな風な内容を言ってたような気がします。自分より、私の精神状態を気遣って。

3月18日

リスク

 

 

 親たちの集まりでお話を伺っていると、色々と愚痴を聞けます。こんな話題もありました。「子どもがケーキ屋さんで『い・い・い・いちごの・・・・』と言い出したとたん、思わず口をふさいだ。」「私は、子どもには注文させない。ファミレスでも。私が全部喋る。」こういうお母様多いです。我が子がどもっているのが恥ずかしいのか、隠そうとする母。多いです。気持ちは分かるつもりです。分かろうと努力しました。たぶん、きれいごとを言っている私の奥深く、心の中で同じかもしれません。でも、私はそういう態度をとってきませんでした。むしろオープンにしてきました。娘が注文したければさせました。「お母さんが言って。」と頼まれれば、しました。ことばの教室のことも普通に話しました。誰にも隠しませんでした。通級教室に通う親は、ナイショにしている方もいらっしゃいますが。

でも、覚悟が必要ですよ。あるときこんなことがありました。「どうして貴女のお嬢さんは、ことばの教室に通っているの?」と聞かれました。彼女は、子育ても仕事も立派にこなしていて、私は信頼していました。いつも聞かれるだび言っていたので普通に返答しました。「どもるから。」そうしたら、即!即答です!「貴女が性格変えれば、治るよ!直ぐ治る。見掛けに寄らず、きついんだ!貴女って!」絶句でした。所々で、色々な方にきついこと言われ続けていまいたが。信頼している人にまで言われるとは。私が人を見る目が無かったのか、彼女が吃音に対してだけ偏見を持っていたのか。

 3月19日

得したこと

 

 大変私事ですが(笑)、ホームページ公開して今日で一週間経ちました。メル友やBBSで知り会った方々、ご訪問ありがとうございます。立ち上げて始めて知りました。書き込みがあると、すっごく嬉しいのですよ。ROMしている貴女、貴方。どうぞご自由にご参加ください。ゲストブックに抵抗を感じたら、下の方にe-mailこのボタンが有りますから、クリックしてくだされば、私しか見られないメールが可能です。ナイショでお話ししたい方、歓迎します。お陰様で、ご来訪者481と、なりました。感謝。

ところで今日は、次女のお得感を一つご披露します。元々?、途中から?分かりませんが。とにかく、娘は吃音をそれほど嫌いじゃないみたいです。そりゃぁ、流暢になりたいに決まってますが。中学校に入学して間も無くの頃です。中学校に入ると英語の授業がありますよね。生まれて始めての授業ですよ。我が家は近所でも珍しい一家で「塾なんか行かなくてもいいじゃん〜。」という変わり者です。ですから、英語の授業は、中学校に入学して始めて受けるわけですね。しかも、次女は吃音児です。初めてで読めない。しかも、どもる。焦る。緊張する。どもる。困る。どもる。プリントを解き始めると、机の間を縫うように、先生が廻ってくる。質問する生徒達。わが子のところに近寄る先生。「何か分からないところがある?」と優しい声で。娘はなるべく小さい声で、ここが分からないと聞いてみる。すると「お母さん!私のところへ来ると、先生が時間を掛けて、ゆっくり丁寧に教えてくれるの。」教員魂みたいなものか、「この子を理解させてあげなきゃ。」みたいな気持ちになってくださるのか。

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