『僕と彼女をつなぐイメージ・ソング』

 

 

 

 

 

時刻は午前七時ちょうど。目覚ましのタイマーをかけていた携帯電話から音楽が流れ始める。僕はそれを止めるわけでもなく、その曲を聴いていた。

午前七時三分。およそ三分の曲が終わると僕は伸びをしてベッドから降りる。高校に入ってからの僕の習慣だ。疲れが酷いときや夜更かしをした次の朝は曲を聴きながらそのまま二度寝してしまいそうになる。

制服に袖を通し、居間へと降りる。父親は既に家を出ていて、母親は弁当を作っているところだ。

「おはよう」と挨拶を交わして、味噌汁、ご飯、おかずをよそう。日本人なら朝は和食だよなとここで言う人もいると思うけど、残念ながら僕はどっちでも良いし、それに今日のおかずはハムエッグなのだから“準”和食でいいだろう。

朝食を取ったあとは身支度を済ませ、七時半には家を出る。これは一年の途中になってからの習慣。

規則正しい生活と言われればそうなのかもしれないが、別にぐうたらして遅刻ギリギリで登校しても良いと思っている。でもこうやって早めに家を出るのには理由がある。僕は別に朝練がある部活に入っているわけでもないし、家にいるのが嫌だから早く出ているわけじゃない。

僕は電車に乗り込み、学校のある駅まで向かう。自分の住んでいるところから三つめの駅だ。二駅目に着いたところで、慣れた手つきで制服の内ポケットからMP3プレイヤーを取り出し、今聴いていた曲から朝の目覚ましに設定していた曲に変える。なぜかって?聞くだけ野暮ってやつだ。今にわかる。

乗ってくる人たちの中に今日もその姿を見つける。別の学校の制服を着たその子は毎朝この時間のこの車両に乗ってくる。見間違えることはない。清楚で落ち着いた感じの子。

かなり可愛い。これは自信をもって言える。

初めてその子を知った時に聴いていた曲がこの曲だからという理由で聴き続けているのだが、およそ三分―――ちょうどこの曲が終わる頃に学校のある駅に着くという按配で、この曲が僕と彼女とを繋げるものだと勝手に思いこんでいる。

残念ながら彼女とは一度も話したことはない。でも一年近くこんな状態ならば向こうも僕のことはわかっていると思う。たまに目が合いそうになるけれど、目線を合わせるのもなんだか気恥ずかしく、彼女の姿を見ているだけで今の僕には充分だった。だが傍から見れば変なやつに思われても仕方ない。

曲が終わる頃合いで駅に着き、電車から降りる。その子が通う学校はもっと先だから、まだ電車に乗ったままだ。たった三分間だけ。だけど、この三分間だけで一日分の心が満たされるような気がした。

 

 

唐突で申し訳ないが、僕は帰宅部だ。なんだ大したこと言わないな、と言われるのであればそれは認めよう。

朝早く学校に着いてもテストを控えた時に勉強するか、それ以外は友達と雑談をしているか。そして帰りは、遊んで帰るか、大抵はテレビゲームをしたいからという理由で脇目をふらず、すぐに家に帰ってしまう。因みに学校から駅まで競歩だ。体力がないから駅に着いたら息切れを起こしてしまっているが。

今日は誰かと一緒に帰るわけでもなくゆっくりと帰宅の途についていた。どんなアスリートでも毎日ハードにやっていると心折れる時がやってくる―――だから今日の僕も羽を休ませる時が必要なんだ―――そんなことを思いながら、電車に乗り込む。

つり革に掴まっている人がちらほらいたけど、珍しく一人分のスペースだけ座席が空いていた。たった三駅だけど座れるのならラッキーと思い、座席に着く。つり革に掴まっている人がいたから隣に座っている人がどんな人かわからず(別に隣が誰だからということは全く気にしないのだけど)、ついチラっと見る。するとなんと

「あの子じゃん」

とつい口から漏れていた。でも彼女は眠ってしまっていて、こっちの声には気づかなかった。内心ヒヤりとしたけど、寝ていることがわかると安堵した。

毎朝のように彼女の姿は見ているけど、実を言うと学校帰りに彼女を見るのは初めてだ。

電車が動き出して二分ぐらい。彼女は一向に起きない。起こそうかと思ったけど、僕にそんな権利なんてないし、彼女からしてみれば絶対にこんな変態豚野郎に起こされても迷惑だろうし―――ごめんなさい、自分で言っておいて何だけど、変態野郎に訂正させてください。

そしてその子が降りるはずの駅に着き、そして大した間もなく発車した。熟睡しているのか気づかなかったようだ。

それどころかなんと、電車の揺れのお陰か彼女の頭が僕の肩に寄りかかってきたのだ!思わず嬉しくて声を上げそうになったけれど、どうにか落ち着かせようとラマーズ法で呼吸をし、近くの乗客からは奇異の眼差しを向けられながらも呼吸を整えた。

彼女からは規則正しい息遣い、揺れる長い黒髪からはシャンプーをした後のような優しい匂い。これ以上説明すると変態だと罵られそうだから、やめておく……いやもう既に僕は変態さんか。

ふと僕は思い出し、鞄からMP3プレイヤーを取り出す。彼女に音が漏れないように、そしてリピートを設定して“いつもの曲”を流し始める。曲が終わって電車が次の駅に着き、また曲が終わって次の駅に着き。駅と駅との間の距離は違うから正確には違うけれど、彼女に寄り掛かられながら僕は何度も“三分”を繰り返した。

何度繰り返したのだろう、とっくのとうに僕が降りるべき駅も過ぎていて、気がつけば終着駅に着いていた。それでも彼女はだいぶ疲れているのか、目を覚まさず規則正しく肩を揺らしていた。

周りの乗客はみんな降り始め、車内には僕とすやすやと眠っている彼女だけが取り残された。窓から入ってくる夕日が僕らを包み込んでいるようで、周りの空間を遮断しているようだった。

しかしそんなはずもなく、駅員が僕らを電車から降りるよう促すためやってきた。そこで彼女は目を覚ました。

「あれ、ここは……?」

若干眠たそうに目をこする。状況を把握できていないようだった。

「終点だね」

僕がそう言うと彼女はゆっくりとこっちを向き、驚くと同時に顔を赤く染めた。

「とりあえず降りようか」

電車の外に出てから僕は近くの自販機でお茶とジュースを買い、どちらがいいかと訊いた。「あ、お金払います」と彼女は申し出たが、お詫びだからと言って断った。僕が席を立つだとか、寄りかかられた状態をどうにかすればよかったわけだし。

終着駅のホームから見える景色は、住宅地の多い僕が住んでいるところと違って、山が近くに見え、そこに落ちていく夕日が尚のこと哀愁を漂わせた。そしてそんな駅のホームのベンチに腰掛けている僕たち二人の姿はドラマのワンシーンのように見えるんじゃないかと一人勝手に妄想の世界に飛びかけた。……いけない、いけない。

次の電車が来て発車するまで十分ぐらい。

「なんというかその、ごめん」

まずは謝ることにした。それから彼女に事情を事細かに話すとさらに顔を赤くして恥ずかしそうにしていた。別に夕日のせいではない。

「そうだったんですか……ごめんなさい。今日は疲れちゃってて、まさかこんなに熟睡するとは思わなかったんです」

ずっと顔を赤くして俯いていたので思わず声を出さず、苦笑いしてしまった。あと、「寝顔が可愛かった」という言葉はグッと飲み込んだ。その代わり、気にしなくていいよというフォローを入れた。

折り返す電車が着いたので、それに乗り込む。上りの電車に乗り込む人はまばらだった。車内もガラガラだったので、なんだか悪い気がして彼女と少しだけ隙間をつくって座った。

「あの」

「うん?」

「いつも朝お見かけしていると思うんですが」

「そうだね。いつも同じ時間の電車に乗るから、多分いつも見かけてると思う」

少し照れくさく、鼻の頭をかいた。

「そっか、人違いじゃなくてよかった」

こっちを向き、安心したように微笑んだ。彼女の長い髪が揺れる。

さっきまで夕日に染められていた景色は影を落とし始めた。東の空を見ると夜がやってきたのだとわかる。車窓から望む景色も綺麗だけれど、今はそれよりも彼女に視線を移したほうが僕の目と心にとっても良いはずだ。

ただ毎朝その姿を眺めることしかできなかった彼女と話すのは緊張した。だけどそれよりもまた違った気持ちが優った。

「いきなりでごめん、ずっとタメ口きいてるけど学年は?」

「二年です」

「よかった、同じ学年だ」

もし学年が上だったら、なんて生意気なやつなんだろうと彼女に思われていたかもしれない。

同じ学年だとわかっても彼女は丁寧な口調だった。もっと気軽にしていいよと言おうかと思ったけど、これが彼女の元々の性格なのかもしれない。笑うときもおしとやかで―――“今まで”見ていて思ったように―――雰囲気も落ち着いている。ただ僕が聞いていた“いつもの曲”が勝手にイメージを植えつけていたこともあって、今目の前で話している彼女は良い意味でイメージとは違った。清楚という言葉で一括りにしてしまうのはもったいない。

あと、黒髪のロングという髪型だとそのイメージから全体が重たく見えてしまいがちだけれど、彼女が持っている雰囲気だけではなく、さらさらと髪が流れる様を見ていると全くそんなことはなかった。羽のように軽いという表現もあるけれど、彼女の華奢さもあってその言葉がよく合っている。

話の中身はとりとめのないことばかりだった。ただ、話の中身以上に、時間が経つのはあっという間だったし、彼女が話すときの表情は、僕が朝眺めているときと全く違った。こんな表情をするのかと内心驚いたと同時に今まで知らない彼女という部分を知れてとても嬉しかった。

そして僕が降りる駅まであと三駅ぐらいという頃合いで。

「あの」

「えっとさ」

思わず二人して笑ってしまった。話すのは初めてだけど、初めてじゃない感覚。互いにそんな風に感じ取っているんだと思う。「どうぞと先に」と言って彼女に譲った。

「いつもあの時間の電車に乗ってるのは……」

くるだろうと思っていた質問。僕は鼻の頭をかいた。

「それ、癖なんですね」

少し面白そうに僕を見た。癖って案外自分で気がつかないものだ。おかしくないはずなんだけど、僕も思わず笑ってしまった。まぁ考えてみれば、きっと人それぞれ独特の癖があるのだろう。

電車に人が乗り込んできて席が埋まってきた。隙間を空けるのも他の人に悪いと思い、さっきは躊躇って空けていた席の間を詰めた。そしてそれから

「気になっていたから」

これでも言うのにだいぶ度胸がいった。「君を見ていたかったから」みたいなセリフなんて頭の中で反芻するだけでもかなり恥ずかしいし、「別に毎日の習慣だよ」という風に言うのは僕としては納得のいかない―――チャンスを逃す言葉だったから。席を詰めるほうがどれだけ簡単だったか。

彼女は軽く顔を俯かせた。僕の心に一瞬、「失敗したか……?」という焦りにも似た気持ちが浮かび上がったけれどそれも杞憂だった。何故なら彼女は頬を赤く染め、さらに嬉しそうな表情をしていたのだから。

 

 

時刻は午前七時ちょうど。目覚ましのタイマーをかけていた携帯電話から音楽が流れ始める。僕はそれを止めるわけでもなく、その曲を聴いた。

午前七時三分。およそ三分の曲が終わると僕は伸びをしてからベッドから降りる。制服に袖を通し、居間へと降りる。父は既に家を出ていて、母親は弁当を作っているところだ。

「おはよう」と挨拶を交わして、味噌汁、ご飯、おかずをよそう。今日のおかずは昨日の夕飯の残りの肉と野菜を炒めたやつ。朝食を取ったあとは身支度を済ませ、七時半には家を出る。

僕は電車に乗り込み、学校のある駅まで向かう。自分の住んでいるところから三駅目のところ。二駅目に着いたところで、手馴れた手つきで制服の内ポケットからMP3プレイヤーを取り出し、聴いていた曲を止めてイヤホンを外す。

乗ってくる人たちの中に今日もその姿を見つける。そして

「おはよう」

笑顔で彼女と挨拶を交わす。あの日の翌日からいつもの習慣が一つなくなった。

その代わり、新しい習慣が一つ増えた。たった三分だけだけど、その時間を毎朝共有すること。

それからもっと多くの時間を共有することになるのは少し先の話し。