三題噺 「目玉焼き」「酒」「宇宙」

 

うだるような八月の朝。セミの大合唱とあいまって強制的に起こされる羽目になった。大学の試験も終わり、せっかく睡眠時間を貪れると思ったら七時という健康的な時間だった。もっと早ければラジオ体操でもできたかもしれない。

汗だくになって気持ち悪かったので、シャワーを浴びる。築年数も三十年近く経っているおんぼろアパートの内装やシャワーも、大家さんいわく修理を何度もしているらしく利きが悪い。親からの仕送りとバイトで食いつないでいる貧乏学生には家賃が安いだけありがたい話であるが。

温度調節の悪いぬるいシャワーを浴び終わり、体を拭いた後、髪を拭きながら携帯のメールをチェックする。

 

 「明日は暇?」

 

彼女からのメールだった。日付をみると昨日の二十三時ぐらいで、思わず「げっ」という言葉がもれてしまった。急いで電話を掛ける。

「はい、もしもし?」

何度かの呼び出し音の後つながった。

「もしもし、俺だけど」

「朝早いね、珍しい」

彼女とは高校で知り合いそれから紆余曲折をというほどでもないが、事が運んだ末に付き合い始めた。自分とは別の大学だけど、二人とも都内へ通っていて彼女も一人暮らしだ。

「暑くて目が覚めてさ。そっちこそ、いつもこれぐらいなの?」

「うん」

「そうか。それでさ、昨日のメールなんだけどいつのまにか寝ちゃってて気づかなかった。ごめん」

「やっぱりそっか。で、今日は暇だよね」

疑問形ではなく断定する形で聞いてくるあたり、長い付き合いの賜物だ。

「あぁ」

「よかった。でさ、渋谷にプラネタリウムがあるんだけど、そこに行かない?」

「へぇ、渋谷にプラネタリウムなんてあるんだ。」

こっち(都会)に来てから星が全然見えず、こうやって星を見れるのは良い機会かもしれない。十三時ごろに、ベタだけどハチ公前で待ち合わせの約束をした。

 

十三時前。雲一つない快晴でアスファルトが溜め込んだ熱や照り返しでじりじりと焼けつくような暑さだ。女の人は日傘を差したり、極力日なたにでないようにしている。

「お待たせ」

彼女も他の人同様に白い日傘を差していた。

「俺もちょうど今来たところ。それにしても暑いなぁ」

「そうだねー。溶けちゃいそう」

そう言いつつも汗ひとつかいていない彼女を見ると、本当に暑いのかわからない。そう思いながら彼女の日傘を持つ。

「ありがと」

彼女は鞄から一枚の紙を取り出した。それを見ると地図のようだった。

「こことは反対側の出口だったみたいだね」

ハチ公やスクランブル交差点がある方面に、昔テレビでよく見たマルキューやセンター街があるせいか、そっちになんでもあるというイメージが強かった。

彼女のナビゲートで駅前ビルの中を通り抜け、歩道橋を渡る。平日の真っ昼間にもかかわらず渋谷はとにかく人の流れや車の流れが多い。こっちに来た当初の自分だったら人酔いしていたかもしれない。

歩いていくと、一つの大きな建物があり、建物の案内を見ると複合施設になっているようだった。入口の辺りに看板があり、そこには『プラネタリウム渋谷12F』と惑星の写真とともに掲示されていた。

「ここだね」

彼女も僕も初めて来る場所なので、特に彼女はよくわからない路地裏に迷い込んだらどうしようかとほっと一安心していた。

建物に入ると、クーラーが利いていてとても涼しかった。流れていた汗も引き、生き返るようだった。他にも喫茶店だけでなくイベントホールや児童図書館まであるらしくそれなりに人がいた。

「結構人いるね」

「まぁ他の施設もあるし、きっと大丈夫だろう」

……と思っていたものの、エレベーターで十二階まで上がると多くの人でにぎわっていた。夏休みということもあり親子連れが多かった。近くの係りの女性にチケットはどこで買えばいいのかと聞くと、申し訳なさそうな表情を浮かべ、

「大変申し訳ございませんが、夏季期間ということでご好評につき二十一時の回のみになってしまうのですが」

思わず自分と彼女は顔を見合わせて苦笑いをしてしまった。

「朝早く起きたんだしもっと早い時間に待ち合わせでもよかったね」

申し訳なさそうにしている係りの人には断りを入れて、引き返した。

仕方がないので、センター街方面へと向かい、買い物をしたりゲームセンターのクレーンゲームで遊んだあと、喫茶店で疲れた足を休めた。

「結局この前のデートと変わらないね」

「確かに、そうだ。あと前回は服を買うのに荷物持ちをしたような」

「きっと気のせいよ。」

そう言いつつも彼女は笑っていた。

「ねぇ、今からどうしよっか」

時計を見ると十六時を過ぎるぐらいだった。

「明日バイトは?」

「いや、明日はないよ」

「じゃあ私の家泊まる?」

普通に考えたら、これは遠回しなお誘いとしてとられるかもしれないが、自分と彼女の場合は違う。

「じゃあ泊まろうかな」

喫茶店を出て、自分たちは安さの殿堂を誇るディスカウントストアへ向かい、中間にあるコンドームや精力がつく漢方みたいなコーナーをすり抜け、たどり着いた先はお酒コーナーであった。

「ビールはどうする?」

「最近安い第三のビールばっかりだから、たまには生ビールがいいかな」

ロング缶の六本パック二つをカゴへ入れる。

「他は?」

「ウイスキーとワインの気分」

「了解。一応ソーダ水買っとくよ」

手ごろなウイスキー一瓶と、ワインは赤と白を一本ずつ取り、それもカゴへ入れる。すでにカゴを持つ手が痛い。ソーダ水をカゴに入れたらそのままレジへと進み、会計を済ませる。ビール以外は手ごろな価格なので、五千円程度で済む。

「給料日のあとでよかった」

「もう……やっぱり給料日前になるとギリギリなの?」

「まぁな。そっちこそ俺より稼ぎ少ないのによく大丈夫だな」

「使う時と節約するときのメリハリをつけてるから大丈夫なの」

したり顔で言ってくるので少し悔しかったりもする。

それから電車に乗り、彼女が住んでいる最寄りの駅まで座席に座れた。歩き回っていたのでとても助かる。

 

「あ、酒のつまみ」

家に着いてから、気づいたのだけど酒のつまみを買い忘れていた。彼女もうっかりといった感じで思わず「あ」とぽっかりと口を開けていた。

冷蔵庫を開けると、めぼしいものは野菜と冷凍食品と卵ぐらいだったので、それを料理しようということになった。野菜はサラダに、冷凍食品はそのままレンジでチン。で、卵はというと

「なんで目玉焼きなの」

既に水を入れふたをしているところだった。手際が良い。

「いいじゃないの。しょうゆをかけて塩っぽいつまみってことで」

そうして出来上がった目玉焼きは焼き加減もバッチリで、見るからに黄身の部分は半熟なんだろうなとわかった。

そして準備が整い、缶ビールのプルタブをプシュっと小気味いい音を立てながら開け

「「かんぱーい!」」

料理している間にキンキンに冷えたビールをのどこしよくゴクゴクと、乾いた喉に流し込む。夏はやっぱり冷えたビールが一番だねと親父くさく思われそうなことを心の中に浮かべながら缶の半分ほどを飲み干す。

「おいしいねー」

「だね」

箸でサラダをつまみながら、会話を弾ませていた。会話が進むだけではなく、缶を開けるのも進み、二人で六本ずつ開けた。

「意外と、つまみに目玉焼きもいいなぁ」

「でしょう?しょうゆだけじゃなくて、ケチャップとかソースをつけた目玉焼きもおつまみに良さそうね」

アルコールで少しだけ赤く染まった顔で彼女はうなずいていた。おたがい「ザル」というわけではないのだけれど、強い部類に入るのだろう。僕はワインのコルクを開けていた。

さらに酒も進み、ワインも二本とも開けウイスキーとソーダ水のキャップを開けて、ハイボールを作り始めた。

「今日は、残念だったね」

「そうだね、九月になれば人も空いてくるだろうしその時にまた行こう」

「うん」

そう言いながら二人でそれぞれグラスのハイボールを飲み干す。

時刻は二十時。いつもはこれぐらい飲んでも眠くはならないけれど、今日はあまり寝れなかったせいか、眠気が出てきていた。

そして、気づかないうちに眠ってしまったらしく

「ん……あぁ俺寝てたのか」

後頭部には柔らかい感触があり目を開けると、彼女の顔が近くにあった。

「珍しく朝早かったから眠かったの?」

自分がうなずくと少し笑っていた。それにつられて自分も笑っていた。

ふと、きづくと窓が開いておりそこから涼しい風が吹きかけていた。

「晴れていたおかげで日中は暑かったけど、夜は風が吹いていて涼しいね」

僕は起き上がり、彼女の手を引きベランダへと出た。自分の住んでいるアパートにはベランダはないけれど、彼女の住んでいる一階には小さなベランダがついている。ベランダに出る際にはウイスキーの入ったロックグラスも忘れずに。

「星、少ないね」

ベランダの手すりに寄りかかり、ちびちびとウイスキーをなめていた。

「都会だもんな」

空を見上げると星は明るい星が数えられる程度に瞬いていた。

「住んでいた所は、綺麗だったなぁ。去年帰省した時は、こんなに綺麗だったっけって驚いたもん」

土と草の匂いが漂うあぜ道を思い出した。幼いころは田んぼの近くにいたカエルを捕まえたり、自転車を走らせてカブトムシを捕りにいったりしたこともあったけど、年を取るにつれてそういったこともしなくなった。高校生になってからは町の高校に通い、都会への憧れも持つようになった。

酔いがそれなりに回っているせいか、それ以上考えることはやめた。

「空気とか街の灯りのせいもあるかもしれないけど、今日は月が出てるからなおさら見えないね」

まんまるとした月が浮かび上がっていた。まるで

「目玉焼きの黄身」

どうやら彼女も同じことを思っていたようで、声に出して笑ってしまった。

「空に目玉焼きの黄身が浮かんでいたらおかしいね」

大したことでもないのだけど、アルコールの力は素晴らしくそれだけでも笑ってしまう。

「いいや、宇宙に浮遊しているのかもしれない」

「それはそれは」

グラスに入ったウイスキーを飲み干し、足元に置いといた瓶からウイスキーを自分と彼女のグラスに注ぎ込む。

「月だけは田舎と変わらないね」

「田舎で見た月も黄身と同じ色だった」

「私たちが見ている空も宇宙も同じなのに、場所が変わるだけでこんなに変わるなんてね」

彼女の横顔を見ると白い肌が月に照らされていて、ドキリとした。

「ん、どうした?」

「いいや、なんでも」

視線をかわすようにして再びウイスキーの瓶を取ると残り一杯ほどもなかった。

「もらいっ」

僕の手からウイスキーの瓶を取りそのまま口に流し込んだと思ったら、いきなり僕の口を塞いだ。

「んっ」

突然のことで驚いたが、彼女の口の中に含んだ琥珀色の液体を互いに舌で絡め合い、今日買ったお酒は全部飲み干した。アルコールと体にこみ上げる興奮もあいまって体温が上昇しただけでなく、互いの吐息も熱がこもっていた。

「なくなるの早いね」

「次の給料日のあとはもっと買って飲もうか」

「そうだね、あとは目玉焼きのソースかけたやつとケチャップかけたやつも」

どっと二人で見つめ合いながら笑った。そのまま肩を抱き、自分たちはベランダから室内に戻った。

いつもは違うけど、今日は特別だ。うす汚い都会の宇宙が綺麗だったから。