成人ディスレクシアの独り言 本文へジャンプ
「なぜ?」に支配されながら 〜破産と逃亡


「オレはなぜここに立っているのか」を自問する日々

若くして大金を手に入れるほどに成功した。
だから一度失敗しても、すぐに取り戻せると思っていた。

でも、現実はそんなに甘くなかった。


電話一本で何百万も面白いように入ってきていたのに、坂道を下るのは、本当にあっという間だった。
気が付けば債権者から逃げ回る日々。会社をたたんでも負債は消えず、自己破産もした。
たくさんの人や会社に、迷惑をかけた結果、一時期身を隠さなければいけなくなる。
ニュースでよく聞く「住所不定」の状態は、人為的に意図的にできるのだと知った。

行く土地行く土地で短期の仕事をこなしながら考えていたのは、「どうやってもう一度力のある状態にもどるか」だった。このころの「力」はイコール「金」だ。
金があるときは、少なくともオレの目の前でオレをばかにするやつはいなかった。
誰よりも稼いでいるという誇りが持てた。
自分にできないことを人にさせるという選択肢もあった。
どうしても、そこに戻りたかった。
まだ20代だったが、もう最初の飲食店でしたような思いをしたくなかった。

「とにかくちょっとした資金があれば、なんとかなる」前の経験からそう思って働いた。
それでも、「住所不定」の状態では難しいことも多い。
住民票を登録して、働いてお金をためることにした。
0から建築の仕事に飛び込んだ時も、あっという間に成功が手に入った。
人脈もお金も失ったが、同じ0からのスタートだ、きっと大丈夫だと思っていた。
しかし、まだ追われている可能性があった。なので役所に事情を話し、本人以外の人間がきても情報を開示しないよう、手続きをとった。

経歴を問われず実入りのよさそうな仕事は、何でもやった。
タクシーにも乗った。ごみのパッカー車にも乗った。
夜昼なく働いた。

タクシー会社には、当時自分のような「もと社長」と言われる人間がごろごろしていた。
閉鎖空間のタクシーの中では、色々とびっくりすることも多かった。
乗り逃げされたこと、因縁をつけられたこと、数え上げればきりがない。
腹の立つことも多かったが、クビになっては仕方ないのでがまんした。

ある日、こんなことがあった。
自分の後ろで薬物の取引が始まった。さすがに「まずい」という気持ちになる。
しかし、その場で声をかけることはできず、降ろした後「どうしよう」と思って交差点にさしかかった。
するとちょうど警察官の姿があった。
思わずタクシーを飛び降りて、「お巡りさん、あいつらヤクの売買していたで。捕まえてや」一気にまくしたてた。2人の姿は数十メートル先に見える。あっちからも、オレが通報した姿が見えただろう。
しかし警官は、「ああ、ご苦労さん」と言って、すたすたと行ってしまった。頭が真っ白になった。
警官が立ち去る姿が見えたのだろう、2人組がものすごい勢いでこっちへ向かってくる。タクシーに飛び乗って急発進。その場をはなれながらも「ナンバーを見られたんじゃないか」「恨みを買ってしまった」と鼓動がはやくなった。
売人が怖かったというよりは、警察官に絶望した。
そして、自分の存在の小ささに愕然とした。
警官は、オレを「たかがタクシーの運ちゃん」と軽く見ていたのは、明らかだった。もし自分に社会的な立場があれば、あの警官はあんな態度をとっただろうか?


いくつもの仕事を掛け持ちしても、生活で消えてしまう。
バブルははじけ、急速に不景気になっていく中、何年たっても思うように再起のチャンスはこなかった。

あるイベント系の派遣会社にも登録した。
その日の報酬が、その日のうちに振り込まれるのが魅力だった。
イベント会場で設営や片付けをしたり、販売員をしたり、新装開店の店のサクラなんと仕事もあった。仕事は選ばずこなしたが、建築関係の知識とよく動く体を見込まれて、リーダーとして大きな現場を任されることが次第に増えていった。

ここでオレは、S先生に出会って以降、ずっと引っかかっていた疑問にまた向き合うことになる。

現場で働いていたころ、周囲は同職種の人間ばかりだった。
ゼネコンの現場には時折本社の人間と思しきヤツもきたが、オレ達と話すことなどなかった。
ほこりまみれの現場でも、ヘルメットはしているがネクタイ姿のヤツらは、オレ達とは違うんだなと漠然と感じていた。
背広を着てアタッシュケースを持ってさっそうと歩くサラリーマンを見ながら、オレには望むべくもない姿だと思っていた。だって、アイツらはきっとすごく優秀で、とてもオレはそんな中で働けるわけないと、線を引いていた。

ところが派遣会社に入ってみて、?がたくさんわいてきた。
大きなイベントになると、いわゆる超一流企業のエリートの連中がたくさん出入りしていた。現場の指揮に「○○商事の・・」とか「日○岩○の・・」とか、オレでも知ってる大企業の連中がやってきた。
ところが、コイツらがびっくりするほど使えない。
図面を見ながら指示しようとするが、人を動かせない。図面を読み間違う。もしくは、図面に固執しすぎて、現実的な動線の確保を怠る。
「えっ、こいつら、めっちゃかしこいん違うん?」驚くことが何度もあった。
とはいえ、時間は決められているし、てきぱきやらないと他の業者にも迷惑がかかる。結局オレが指示を出すことになる。何度かそんなことが続くと、「tora君に入ってもらって」と指名が入るようになった。

現場だけではない、商社主催の高級ブランドのセールの販売に行ったこともある。
セールと言っても、Tシャツが1枚何万円、1人の払う金額が100万を超すのは当たり前の会場。バブルがはじけたといっても、あるとこにはあるねんなあと思いつつ、スタッフとして入った。
見るからに金持ちのおっちゃん、おばちゃん相手に、笑顔で接客する。1組接客している間に他の客の姿が見えれば、上手に間を取って他のスタッフにつなげる。相手が何を求めているのか、ここでどう動けばいいのか、何が必要なのかをいくつも同時に考えて動く。フロア中の様子に気を配りながら、動くことができていたと思う。客が途切れれば、次の客を待つ間にしておくべきことがすぐに浮かんだ。体もすぐに動いた。オレを気に入って、期間中何度か来ては声をかけてくれる客もあったほどだ。
商社の人間も含めて数十人のスタッフの中で、おそらくオレが一番売り上げを出した。
そんな姿を見て、商社のえらいさんが声をかけてきた。
「tora君、ウチで働く気ないか?口きいたんで」と。
あこがれのスーツ姿での仕事、オレには夢見ることも許されないと思っていた場所。正直、ものすごくうれしかった。
でも、次の一言がオレを打ちのめした。
「それでtora君は、大学どこなん?」
ああ、そうだった。夢を見てはいけなかった。
中卒ですということはできなかった。もごもごと聞いたことのある大学名をこたえてから、家庭事情があると、申し出を丁重に断った。
「そうかあ。もったいないなあ。いつでもその気になったらいってきいや」
そう言って肩をたたいてくれた。でも、オレが字が書けないと知ったら?中卒だと知ったら?そんなことは言わないだろうな。


そんな一流どころのえらいさんにも評価してもらえるオレ。
確かに、派遣で行く先々でたくさんのエリート連中と仕事をしたが、それまで持っていた「あいつらはオレにできないことができる連中なんだ」という思いはかき消されていっていた。
「アイツらより、オレができる」
「オレの方がうまく回せてる」
「みんなもオレに聞いてくる」
「なのになんで、あいつらはあそこにいて、オレはここにいるねん?」

S先生との出会いの中で感じた「オレはわかるはずなのに」という違和感が、ここで大きく膨れ上がった。
「オレはエリートと言われる連中にも負けない仕事ができる。なのに、なんでやねん。なんでオレはここにおんねん。なんでオレは書かれへんねん」
ぶつけようもない思いにいらだった。

もちろん、彼らは現場に至るまでの仕事やそのあとの仕事もあり、それはデスクワークと呼ばれる類で、読み書きの困難なオレにはできないことができるんだろう。
でも、オレに読み書きができてら、人並みでいいからできたら、負けない仕事ができるはずなんだと、この派遣時代に何度も感じた。
あきらめていたはずの「もしも読み書きができたら」という思い、「オレはわかっているはずなのに」という疑問。
人生をやり直そうとしていたときに、またそこにぶつかることになる。


派遣先には、いろんなヤツがいた。
大学生もいれば、ホームレスに近い生活をしているヤツもいた。
遊ぶ金を稼ぐヤツ、生きるために働いているヤツ、養育費を送っているヤツ、目的も様々だった。

そこでオレは、おそらく初めて、本当の意味での友達ができた。

小学生の頃の友達は、その場その場で騒げればよかった。
オレの後ろをついてきて、一緒に悪さしてくれる連中だった。
中学からはワル仲間。
誰がどれだけどきょうのあることができるかの力比べ。愚かなことばかりしていた。
飲食店では、生きるのに必死だった。
社長時代は、山のように取り巻きがいたが、倒産と共にみんないなくなった。
親友だと思っていたヤツすら、訪ねていくと居留守を使った。
その場その場で付き合う人間はできても、頼ることも弱みを見せることもできない。
結局自分以外、誰も信じられなかった。

でもそれは誰のせいでもない。
オレの生き方がそうだったんだろう。

派遣会社で出会ったのは、ほとんど年下の子だった。
比較的みんな仲のいい会社だった。退社して10年以上たつが、今でも年に一度は当時の仲間で集まることがあるほどだ。
50年近く生きてきて、「昔の仲間」と連絡が取れるのは、唯一この時期の付き合いだけだ。
中でも数人とは、今も遠方に離れながら時折行き来する付き合いが続いている。

英語がペラペラの子、異様に器用な子、頭の回転が素晴らしく早くて、段取りの鬼のようなヤツ。色々な人間がいた。
何度も同じ現場に入って寝食を共にして、オレが読み書きができないことは、おそらくわかっていただろう。でも、全く態度も接し方も変わることはなかった。
ヤツらはオレの仕事ぶり見て「おっさんやるなあ」と心から認めてくれていたし、オレの人柄を好いてくれていた。「読み書きができない」ことはイコールオレではなく、あくまでオレの一部として見ていてくれたように思う。

脅さなくても、威圧しなくても仲間でいてくれる。
30過ぎて、初めて対等な友達関係の心地よさを知った。


オレの目指していた「やり直す」は「もう一度お金もちになる」ことだった。
そうすれば、以前のようにみんなが戻ってくると思っていた。

でも、何もないオレ自身でも、認めてくれる人はいるんだということに、この時期気が付いた。
気づいてみると「金こそ力」と思っていて焦っていた自分が、なんとも滑稽に思えてきた。

「社長」「社長」とちやほやしてくれた連中は、オレを見ていたわけではないのに。
何に自分は固執していたんだろうと思った。


同時期に、パソコンと出会う。
ワープロが出た時、「これさえあればオレはもう大丈夫なんだ!」と勇んで買った覚えがある。
魔法の杖を手に入れた気がした。
でも、ワープロでできることは限られていたし、現実は圧倒的に手書きを求められる場面ばかりだったし、「すべて解決」というわけにはいかなかった。

パソコンは、「書く」というしんどさを軽減してくれるだけでなく、自分で「学べる」楽しさがあった。
「それってなんのことだろう」と思ったとき、それまでは、「聞いたら恥をかくかも」と思い黙っていた。聞き流した。
でも、パソコンはバカにしない。気になることをどこまでも調べていける。楽しかった。知りたいことは五万とあった。夜の街でちやほやされているときより、もっともっと満たされる自分がいた。


オレが「負けたくない」と思ってやってきたことには、おそらく劣っている自分へのコンプレックスが根底にあったと思う。
「誰にもバカにされたくない」という悲鳴にも似た思いが、常に付きまとっていた。

友人を得て、満たされる趣味を得た時、お金なんてなくていい、静かに暮らしたいなあと思うようになっていった。


今の妻と知り合い、彼女の住む田舎に移り住むことにしたのもこの時期だった。
がつがつと生きるのでなく、穏やかに暮らしたいと切望していた。


「何をしても生きていける」という自信は、それまでの日々でついていたので、新天地でも不安はなかった。ハローワークで求人を見て応募し、すぐに採用された。
小さな会社だった。営業が主な仕事だったが、若干のデスクワークもあった。パソコンのない会社だったので、自分のノートパソコンを持ち込んだ。
営業は手ごたえがなさすぎるぐらいだった。田舎の会社は、競争というよりは付き合いか優先される。とにかく、今までの付き合いのあるところを丁寧に御用聞きに回る日々だった。
デスクワークもパソコンでなんとかなった。誰もパソコンを使えない事務所だったので、優越感すらあった。
でも、ここもやめることになる。ここでもいじめにあったのだ。
パソコンで仕事をするオレを、社長はおもしろくなかったようだ。ある日「おいtora、ホワイトボードに○○って書いてみい」と言われた。教室での悪夢がフラッシュバックする。「・・・書けません」と答えるオレに、「なんや、書かれへんのか」とばかにしたように笑う社長。縁故入社で毎日新聞を読んでいるだけのようなおっちゃんにまで、ばかにされるようになる。
お客さんにはかわいがってもらっていたし、営業自体は嫌いではなかった。それでも、パソコンを開くたびに、にやにやと侮蔑的な目で見られることに耐えられなかった。

ここでもか。
オレは絶望的な気持ちになった。


結局、技術を生かして現場の仕事を始めた。
田舎の現場は、どこに行っても前に見たヤツに会う。都会にいるときは、現場が変われば一生会うこともない相手ばかりだった。だから気が楽だった部分もあるが、こっちではそうもいかない。「それ違うで」と声をかけたことで、恨まれることもある。お互いの仕事には文句を言わない暗黙の了解。それは「能率とできばえ」を追求して評価を受けてきた自分には、けっこうしんどいことだった。ただでさえ関西弁は、きつく聞こえるらしい。慕ってくれる若い子もいっぱいできたが、仕事もできないのに威張っていた連中からは疎まれた。
以前ならそこでひと悶着起こしたのかもしれないが、それももう面倒だった。
請われて個人宅のリフォームを始めるようになり、以来、口コミで仕事がつながり、大工として1人で仕事をしている。
仕事が立ちこんできたときには手伝ってくれる仲間もでき、細々ではあるが気持ちよく働けるようになっていった。

ここに至って「ああ、オレ人間嫌いかもしんない」と思うようになった。
ずっと人の輪の中心にいた。
「人気者」がオレのポジションだった。
荒れていたときだって、オレは真ん中にいた。
ちやほやとみんながいる状態が当たり前で、そうでないといけないとさえ思っていた。
でも、どうやらそうじゃないらしい。
その場その場でそつなく対応することは得意だが、好きなわけではない。
今の、下手をしたら妻以外とほとんど話さない日が続く生活は、なんとも心地よい。

いっぱい裏切られてきている。
オレもいっぱい裏切ってきた。
だからどこか人が信じられない。
すぐに疑心暗鬼になってしまうんだろう。

妻と愛犬と、信用できる仕事仲間数人と付き合い、オレの腕を認めて指名で仕事を発注してくれるお客様とやりとりし、離れて暮らしている昔の仲間と年に数回連絡をとる。
以前と比べれば、そもそも視界に入る人数自体も桁がいくつも違う日々。

多分自分にはこのくらいがちょうどいいんだなあ。そう思うようになっていった。