その日わざと出なかった電話のむこうから、主人の会社の奥さんの声。


「ヒロが・・・。」


「今、なんて言った?」

わが耳を疑った。

多分親戚か、ご両親か誰かじゃ・・・と自分自身に言い聞かせ、

祈るような思いで社長宅に電話。

でも・・・


聞き違いであって欲しかった。何かの間違いであって欲しかった。



主人と社長夫妻と一緒に彼の実家を訪れると

冷たくなって眠っていたのは、まぎれもない彼自身だった・・・。



「ヒロ、みなさん、来てくれたよ。」

彼のお母さんが、泣きじゃくりながら


自分よりもはるかに大きな息子の頭をなでているのが

悲しく見ていることが出来なかった。


ひとこと言うのが精一杯だった。

「お母さん、ごめんなさい。私たち仲間だったはずなのに・・・」

そこまで言いかけて、詰まってしまった。


カレに・・・なにもしてやれなかった・・・

昨夜、死の直前に書いたらしき遺書とはいえない様なメモには


「もし 生きていたらごめんなさい」

とご両親にあてて書かれていた・・・

これが悩みぬいた末に彼が出した結論なのかと

くやしさと、腹立たしさと、悲しみで

ココロはぐちゃぐちゃになった。



ついこの間、もんじゃ焼きパーティしようぜって

社長宅で飲み会をした時が

私には永遠のお別れになってしまった。



ナニガ、アッタノ?

ドウシチャッタノ?


信じられなかった。



でもまた、万馬券あたっちゃったぁ!なんて

ひょっこり

遊びにくるようなな気がする。・・・今でも。

ビールと抱えきれない程のお菓子をぶら下げたアナタが。




うちのダーリンとは隣の町に住み、お隣の中学に通っていたヒロ。

思えばうちのダンナと兄弟みたいだったヒロ。


生まれた産院が同じだった事を知ったのは

つい最近。一緒に仕事をするようになってからのことだった。


それに加えて


誕生日が一日違い・・・ってことは・・・


生まれて一週間は一緒に過ごしてたんだね。


あの小さな新生児室に、並んでいたのかもしれない。


そんな二人がお隣の小・中学校に通い、顔見知りになり

大人になって所帯を持ってからは一緒に働く事になるなんて・・

これは偶然なのかな・・・?

10月5日生まれのヒロのほうが、一日だけお兄さんだった。

飲みに行っては中学のころの武勇伝をおもしろおかしく聞かされた。

家族も一緒に連れて行ってもらった社員旅行は楽しかった。

うちの次男坊「ひろ」のことがダイスキで

いっぱい面倒を見てくれたヒロ。まるで自分の子供のように。





ヒロの奥さんが子供を連れて出て行ったとき

よくうちに来ていた。うちのダーリンにむかって

「いいなぁ、おまえは。○○ちゃん(わたし)がいてさ。」

ふだんは、おどけてばっかりのヒロが

みんながいなくなってからふとホンネをこぼしたのが妙にせつなくて

洗い物してて聞こえなかったフリをした。

強がっててもホントは、淋しかったんだね。



やかんのお湯を足にこぼしてオオヤケドしたとき

うちのダーリンにふとホンネをもらした。


「大怪我でもすれば、アイツらが帰ってきてくれると思った・・・」

って泣きながら。ワザト、ヤッタノ・・・?

どうして、もっと違う方向でやってこれなかったんだろうって

いつも後になってから思う事だけど。


その時はその時で気づかないことだってあるけどね。


うちのひろがさぁ、お誕生日だってことを内緒で呼んだ時だって

・・・いつもお菓子だの、おもちゃだの気を使いすぎるから

今日は手ぶらで来てもらおうってことだったのに

おこっちゃって。

「なんで、ひろの誕生日だって言わないんだよ!」って。


次の日、持って飛んで来たのが赤いラジコンだった。

仕事はどうしたの?って聞いたらそれをさえぎるように「早くわたさなきゃ」って。

ひろはまだ3歳。昼間は保育園よ。

こんな時間に、いるわけないのにね。

そんな

優しい一途なあなたがみんなダイスキだった。

うちのダーリンは、その日

本部の任務を終えて帰宅する途中に

ヒロの所属する隣町の男子部から

「今日は遅いから今度一緒に訪問してください」と言われて

「そだなぁ、あいつ元気にやってるかなぁ。」とのん気に答え

ヒロの住む自宅下の道を通って帰宅したばかりだった。

そのころ、ヒロがこんな決断をしていたなんて

誰もわからなかったよ。会社のみんながバラバラになってしまった今は。

・・・なんであの時!ちょっと立ち寄ってみればこんなことにはならなかったかもしれない。

そんな風に、だれもが自分を責めたに違いない。


もう悲しくて悲しくてとけてなくなっちゃいそうなくらい・・・

みんな泣いてたよ・・・





ワタシは、尾崎豊のカセットなんて貸してあげなければよかったって悔やんだ。

自分の結婚式で「シェリー」をうたうくらい好きになってくれた。

そう、ヒロとわたしは尾崎が大好きだったから

尾崎の話になると、二人で盛り上がっては周りがひいてたね。

CDまで買いあさって、逆に私が持ってないのを

貸してもらったりもした。こっそり棺に入れたからね。お数珠といっしょに。

ヒロのポケットから、ばらばらになったお数珠が出てきて

ヒロの涙みたいだったって、お父さんが言ってたけど

最後に一遍でもお題目をあげられたんだとワタシは信じてる。




ヒロが私たちの前からいなくなってしまった日。

この日は私たちにとって忘れられない日になった。

・・・1999年2月22日。


ヒロのくれた「赤いラジコン」は、今でも箱の中で眠ったまま。