
神奈川県藤沢市白旗神社公認ホームページ |
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| 御祭神 | 寒川比古命(さむかわひこのみこと)、源義経公(みなもとのよしつねこう) |
| 配神 | 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、 大山祗命(おおやまつみのみこと)、国狭槌命(くにさつちのみこと) |
| 由緒 | 創立年代はくわしくはわからないが、古くは相模の国一の宮の寒川神社の御分霊(ごぶんれい)を祀(まつ)って寒川神社と呼ばれていた。 鎌倉幕府により記録された『吾妻鏡(あづまかがみ)』によると、源義経公(みなもとのよしつねこう)は兄頼朝(よりとも)の勘気(かんき)(いかり)をうけ逃れていたが、文治(ぶんじ)5年(1189)閏4月30日、藤原泰衡(ふじわらやすひら)に急襲され奥州(おうしゅう)(岩手県)平泉(ひらいずみ)衣川館(ころもがわのたち)において自害(じがい)された。文治5年(1189)6月13日、その首は黒漆の櫃に入れられ美酒に浸され奥州より泰衡の使者である新田冠者高平(にったかじゃたかひら)により腰越の浦に着き、和田義盛(わだよしもり)・梶原景時(かじわらかげとき)各々郎従二十騎を伴い首実検(くびじっけん)が行われた。 伝承(でんしょう)では、義経の首は浜に捨てられたが、金色の亀の背に乗って境川を遡り藤沢に着いた。また別の伝承では、弁慶(べんけい)の首も同時におくられ、首実検がなされ、夜の間に二つの首は此の神社に飛んできたと言う。 宝治(ほうじ)3年(1249)9月、義経公を御祭神(ごさいしん)として祀り白旗明神(しらはたみょうじん)、のちに白旗神社と呼ばれるようになった。弁慶の首は八王子社(はちおうじしゃ)として祀られた。 |
御社紋![]() 源氏の紋章である笹竜胆(ささりんどう)です。竜胆の葉を五枚並べて、その上に三つ花が描かれています。笹竜胆とは竜胆の別名です。 竜胆(りんどう)別名 くたに ささりんどう えやみぐさ 竜胆とは根が苦く熊より強いという意味で名付けられたと言う。りゅうたんが訛(なま)ってりんどうと呼ばれている。 また、「ささりんどう」は「からたちばな」や「はなみょうが」の別名でもあります。 |
| 白旗 源氏の旗。 対する平家は赤旗に揚羽蝶(あげはちょう)の紋章。 |
| 白旗神社史 | |
| 創立年代不詳 | 相模一宮の寒川神社を勧請して寒川神社と呼ばれていた。 |
| 建久(けんきゅう)9年(1198) | 荘厳寺住職覚憲が別当職につく。 |
| 宝治(ほうじ)3年(1249) | 9月 源義経公(文治(ぶんじ)5(1189)年(1189)に奥州平泉で没す)を祭神として祀る。 |
| 享保(きょうほう)3年(1718) | 紀州公姫君が参勤交代の折に藤沢宿で腹痛を起こしたが、大神に祈願してたちまち全快したため、木杯1個、紋章幕、高張が奉納され、例祭は10万石の格式を誇った。 |
| 享保4年(1719) | 12月21日 神祀官領従3位吉田兼敬公より正一位階を授かる。 |
| 延享(えんきょう)4年(1747) | 荘厳寺本堂を神社境内に建立。 |
| 宝暦(ほうれき)2年(1752) | 御社殿を再建し、旧坂戸町総鎮守社となる。社号を「白旗神社」に改める。 |
| 文政(ぶんせい)3年(1820) | 2月8日 火災により御社殿及び古書類等を消失。 |
| 天保(てんぽう)6年(1835) | 12月現在の御社殿を造営。文政11年(1828)6月より7年の歳月をかけて再建した。 |
| 明治(めいじ)8年(1875) | 明治元年(1868)に神仏分離令が発布されたので荘厳寺住職は別当職を解かれ、本堂を移転した。 |
| 昭和(しょうわ)55年(1980) | 7月御社殿の大改修工事 |
| 備考 ■鎌倉幕府の正史とされる文献 『吾妻鏡』 ■神奈川県藤沢市の白旗神社について記述のある文献 『東海道名所記』 万治(まんじ)1年(1658) 浅井了意 『我が棲(す)む里』 文政13年(1830) 小川泰堂 『 『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』 |