日時

目的地

所在地

2011年10月11日

(志比)城山(473.8m)

おばこ峠(轟坂/約370m)

観音峠(約270m)

永平寺町花谷

同)轟/荒谷

同)谷口/市野々

 行動日程

・尾根に取り付いたところ13:55〜14:05林道終点分岐14:05〜14:15おばこ峠14:20〜14:25林道終点分岐14:25〜14:30林道終点14:30〜(林道歩き)〜14:35尾根に取り付いたところ

・城山登り口14:40〜14:55(志比)城山山頂15:00〜(城跡散策)〜15:15城山登り口

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献   :福井県史(通史編2)『波多野氏館と波多野城』、『永平寺町文化財調査報告書第3集 越前波多野城跡』(永平寺町教育委員会)、『永平寺街道』(早津良規調べ)ほか

地理院地図によるルートマップ

Webサービス by Yahoo! JAPAN

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありません。なお、この地図の登山ルート表示は原則的に下から2番目の縮尺に合わせているため、他の縮尺ではルートと地図にずれが生じる場合があります。地図上の赤線が今回歩いたルート、青線は車による移動ルート(但し、林道山・城山線の一部のみ記載)です。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫

ちょっと旧い地形図を見ると、大本山永平寺の裏山に連なる尾根筋(大佛寺山から北西方向に城山に続く尾根)を越す峠道が二本記されている。その峠に興味を持ち、その内のひとつである観音峠には行ったことがあったが、もうひとつの峠についてはもう歩けないと地元の人に聞いていたので、峠行を諦めていた。しかし、インターネットを見ていたら、何とその峠に行ってきたという記事が出ていたので、是非行ってみたいと思っていた。

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永平寺緑の村

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永平寺四季の森文化館(旧傘松閣)

その峠は杉本喜寿著「越前若狭 続山々のルーツ」に記載があり、おばこ峠(轟坂)と紹介されている。その記事では麓の荒谷側から旧峠道を探しながら登ったと書かれてあったが、かなり苦労して登られたようだった。しかし、今回は楽をして、林道を使って近くまで行き、尾根伝いにその峠を目指すことにした。その林道の途中には観音峠と城山(越前波多野城址がある山、他の城山と区別するためにここでは(志比)城山と呼ぶことにする。但し、志比城山の名称は定着していないので、括弧書きで使うことにする)があるので、そこにも寄るつもりだ。

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中部縦貫自動車道(永平寺大野道路)

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陸橋

その林道に入るにはふたつのルートがあるが、今回は永平寺緑の村から入って行く解かりやすいルートを選択した。永平寺緑の村の一番上にある四季の森文化館の前でUターン、坂を下ってまっすぐ行った所にある陸橋がその林道の入口だ。この林道の下を中部縦貫自動車道が通っている。そこを渡って林道に入って行くことになる。この林道は永平寺の山集落と(志比)城山をつなぐもので、林道 山・城山線という。本来の計画では更に尾根を越えて、九頭竜川河畔の轟集落につながることになっていたが、財政難で工事はストップしてしまっている。地元の人に聞いたところ、工事が再開される目途は立っていないそうだ。

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観音峠

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同左

林道は最初かなり荒れていたが、しばらく行くと走りやすい砂利道となった。15分ほど走ると左に観音様が見えてくる。そこが観音峠だ。こんな山の中にしては不釣合いに立派な観音様で、周囲はちょっとした公園のようになっている。観音様が立っているすぐそばを峠道が越えていたようで、林道の下に峠道の痕跡があった。林道工事で埋められてしまってよく解からないが、ここにも切通しのU字形をした峠があったのではないかと思う。林道から下の旧峠道まで背丈の2倍ほどの深さがあったから、昔はかなり掘り込まれた規模の大きい峠だったようだ。この峠には一度積雪期に、荒谷のほうから登ったことがある。最初は峠道と思われるものがあったが、途中から解からなくなり、最後は峠の急斜面をよじ登った記憶がある。峠から北のほうにははっきりした峠道があったので、その道を降りていった。しばらくすると、道が二股になっており、左側の道を進んでいったら鉄塔にぶつかり、林道に出てしまった。右の道を降りていけば谷口集落(九頭竜川沿いの集落)に降りて行けたのかもしれない。積雪期だったから途中から道がはっきりしなくなった。この峠は永平寺の荒谷と谷口を結ぶ峠であったことは間違いないが、後で調べても詳しいことは解からなかった。ただ、峠の名前は麓の荒谷集落にある観音堂(現在の大学院)から来ているようだ。

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観音峠の仏像

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小さな公園になっている

ここの観音様はかなり新しいもので、横にこの観音様を建てたときの賛助者名が載っていたが、殆どが東京・大阪在住の名前だったから、不思議だ。どういう謂れがあるのか全く解からない。観音様の横に小さな石仏が並んでいたが、これも昭和50年代に建てられた新しいものだった。その横に男女の仏様が掘られた道祖神と思われるものもあったが、デザインが新しかったから、これも最近建てられたもののようだ。

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倉庫

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観音苑と書かれた六地蔵

そこには何のためのものか、倉庫のようなものがあり、その近くには観音苑と書かれた六地蔵まであった。

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城山(波多野城址)登り口

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草がひどく、ここから林道を歩く

観音峠から林道を更に奥に入って行くと、左側に城山(波多野城址)登り口の案内板が現れる。ここをひと登りしたところが城跡だが、帰りによることにした。ここまでは比較的路面がしっかりしており、草も少なかったから走りやすかったが、ここを過ぎると落石や草がひどくなってきた。城山を見学する人のために、ここまでは定期的に整備されているのだろう。荒れた林道を更に5分ほど奥に進んでいったが、更に草がひどくなったので、そこに車を置いて、歩くことにした。しかし、そこから2、300mほどで、林道は行き止まりになっていた。

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林道終点

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ここから尾根に取り付く

おばこ峠は林道終点の上の尾根を東に進んだところにあるので、そこから尾根に取り付けるところがないか捜したが、楽に登れそうなところがないので、そのまま来た道を戻り、尾根への取り付き点を捜すことにした。そうしたら、車を置いたところから更に200mほど戻ったところに尾根が人工的に切り取られたところがあったので、その斜面から尾根に取り付くことにした。斜面の登り口には何と木製の階段まで付けられていた。これは楽勝だなと思ったが、道がいいのは取り付きの部分だけで、奥に入ると枝が伸び放題に伸びており、進むのに苦労した。この状態では峠まで行けないのではないかと諦めかけたが、小さなピークまで我慢して進んで行くと、薮が薄くなり、はっきりした踏み跡が現れた。そういえば以前、永平寺役場の詳しい人に話を伺った時に、この尾根には昔はちゃんとした道があり、歩いて城山まで登れたと言う話を聞いていた。それがこの踏み跡のようだ。その尾根道は城山を通り、更に奥まで続いていたと考えられる。この尾根を詰めて行けば大佛寺山に到達するので、昔は尾根伝いに大佛寺山まで登るルートがあったのかもしれない。

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尾根道の様子

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尾根筋には緑のビニール紐が

途中で踏み跡が解からなくなったので、歩きやすいところを歩いていたら、先ほど行った林道終点らしきところが下に見えてきたので、軌道修正し、尾根筋に戻った。そこからはそれほど解かりづらいところはなく、順調に進んで行ったら、大きな谷のようなところが現れ、稜線に切り込みが見えたので、そこが目指す峠だと解かった。尾根に取り付いてから意外に早く、20分ほどで峠に着いてしまった。

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おばこ峠(荒谷側から)

この峠も稜線が切り取られたU字の形をした峠だ。しかし、切通しは浅く、稜線から1m〜1m50ほどしか掘り下げられていない。私がこれまで見た切通しの峠では一番小ぶりの部類に入るだろう。だから、それほど歴史のない人通りの少ない峠だったと思われたが、後で調べてみたら、ここには朝倉街道の間道が通っていたことが明らかとなったので、驚いた。永平寺図書館永平寺館にあった『永平寺街道』(早津良規調)と言う冊子を読むと、荒谷村の項に「荒谷村は市野々村の枝村で、この村の山沿いの辺りを行くと、轟村に出る朝倉間道との分岐点になる。左折すると右上に霊山院がある。」とある。また、市野々村の項には「京善村より川沿いに市野々村に入ると少しで右に観音橋が見られる。江戸時代までは、この橋の東方山よりに美山町宇坂大谷より永平寺に通じる道の途中から分かれて、当村南よりの大谷に入り、この橋を渡り、山よりにある観音堂(今の大学院)に参詣して永平寺街道を荒谷村へ入り、霊山院の下の道から轟村に出る朝倉間道により繁栄したという。」との記述が見られる。朝倉時代には朝倉氏の城下町であった一乗谷から足羽川を少し東に遡り、越前高田から宇坂大谷を北上し、市野々坂(この峠については一度歩いているのでこちらをご覧下さい)を越え、志比谷(九頭竜川河畔の東古市から大本山永平寺に至る谷)に降り、更に城山から大佛寺に連なる尾根上にある、この峠を越え、轟に出るルートが存在していたことになる。

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おばこ峠(轟側から)

この峠も昔はかなりの人通りがあったのかもしれないが周囲の状況を見ると、比較的早い段階で人が歩かなくなってしまったようだ。写真でも解かるように、峠の真ん中に太い木が生えている。ある程度人通りがあればこんな大きな木が育つはずがない。少なくとも樹齢30,40年はありそうだし、その木が根付き、成長を始めるまでにもかなりの年月が経っているだろうから、少なくとも50年ほど前にはここを歩く人が居なくなり、人々の記憶から消えさってしまったのではないだろうか。なお、この尾根筋には更に踏み跡が続いていたから、やはり昔は大佛寺まで道があった可能性が高い。

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ここを峠道が降りていた(荒谷側の斜面)

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林道終点分岐

ここを歩いたという方のHPによれば、その方は荒谷側からこの峠まで歩いて登られたそうだが、所々に旧峠道の跡が残っていたそうである。しかし、ここから谷を見下ろす限り、道の痕跡は全くなかった(なお、轟側にも少し降りてみたが薮がひどく、なおさら昔の道を探すのは困難なようだった)。そこを少し降りてみようかとも思ったが薄暗い杉林の中で、余り気持ちの良い場所ではないので、写真だけ撮って、早々にこの場を退出することにした。来た道を戻り、来る時に道に迷った分岐に来た。このまま、尾根を歩き、元の取り付き点まで戻ってもいいが、ここから林道終点に降り、林道を歩いて戻ったほうが楽だと判断。林道終点のほうに降りて行くことにした。 

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イノシシのぬたば

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林道終点ののり面

そうしたら、歩き出してすぐのところにイノシシのぬたばがあった。イノシシはここで泥を浴びて体についた虫を退治するそうだ。気持ちのいいものではなかったが、その横をすり抜け、林道終点のほうに進むと、林道ののり面が見えてきた。のり面を直接降りるのは無理だったので、そこを回り込むようにして、何とか林道に降り立った。

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林道終点に降り立つ

結果論だが、行きも無理をしてもここから尾根に取り付き、峠に向かったほうが楽だったようだ。ここから、林道を歩いて車を置いたところに戻り、車で城山に向かった。

 

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波多野城址(登り口を少し上がったところ)

かつて知ったる道を城山登り口まで戻る。登り口付近には車を停めるところがなかったので、少し降りたところの路肩が広くなったところに停めさせてもらった。登り口を数m上がって行くと、そこはもう歴然とした城跡で、平坦になった場所や人工的に削られた急な山肌や堀切跡が一面に広がっていた。正面の急坂をまっすぐ登っていったところが頂上のようだったが案内板が一切ないのではっきり解からない。それで、遊歩道の木の階段に従って、左のほうに登って行くことにした。きれいに草が刈り込んであり、遊歩道は歩きやすかった。 

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階段に沿って左に上がって行く

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堀切跡

上りきった小さな尾根がさっそく堀切跡となっており、遊歩道はそこを通って続いていた。城跡周辺の標高は400mから470mしかないが、立派なブナがたくさん見られた。

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竪堀跡

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城址の西端から尾根道(踏跡)あり

小さな堀切跡を過ぎると、正面にかなり広く、なだらかな斜面が広がっていた。その斜面に沿って何本も畝状の突起が並んでいたから、ここには竪堀があったようだ。竪堀跡を横切るとまた小さな尾根があり、その少し先(城跡の西端)で城跡は終わっていたが、そこから続く尾根筋に踏み跡が続いていたから、先ほど歩いた昔の尾根道が城山を通り、更に下まで続いていたのは確かなようだ。

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城址内の尾根筋

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対岸を望む

城址の西端から180度向きを変え、今度は東に続く尾根筋を登って行く。そこからは九頭竜川や対岸の山々が望まれた。

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鶴谷山か?

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眼下に九頭竜川を望む

対岸には浄法寺山や鷲ヶ岳、丈競山などが見えるはずだが、この日は曇っており、どの山か同定できなかった。山頂に小さな突起が見える山があったから、山小屋のある丈競山山頂かと思ったが、写真を見ると、その近くの鶴谷山のようだ。この城山は波多野氏の居城だと見られている。秦野市にある波多野城と区別するため特に越前波多野城と呼ばれるようだ。その波多野氏の子孫は現在もこの麓の永平寺町谷口に居住されており、その屋敷が波多野氏館跡だと見られている。波多野氏館の周囲には昔は堀が廻らされていたそうで、発掘調査によりその跡が確認されている。昔はそこから城山まで山道があったそうだ。ここからその波多野氏館が見えるそうだが確認できなかった(上記右側写真の下の枝に隠れた辺りか)。波多野氏は元々は、相模国波多野荘(現神奈川県秦野市)を本領とした豪族だったようだが、関東御家人(関東武士団)の勢力拡大により、その後全国に散らばった。その中で鎌倉時代中期に傑出した活躍をしたのが波多野義重で、義重は京を舞台に活躍した人物だったようだが、知行地として与えられた越前志比庄に道元禅師を招いたことにより、そこに大本山永平寺が創建されるきっかけを作ったことで有名だ。その後、その子孫は志比庄に根を下ろしたため、越前波多野氏と呼ばれるようになったようだ。

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城址内の尾根筋

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(志比)城山山頂

尾根を詰めて行き、堀切を越えると正面が(志比)城山の頂上で、ここに波多野城の主郭があったと考えられている。

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(志比)城山山頂(三角点と城山城址の表示杭)

山頂には三角点と共に、永平寺町が建てた『指定史跡 城山城址(越前波多野城址)』と書かれた標柱がある。今でこそ、波多野城は永平寺町の指定史跡となっているが、この城は最近になるまで殆ど手が付けられておらず、調査が始まったのは平成になってから。林道 山・城山線の建設計画が持ち上がったので、それと平行して遺跡調査が行われることになった。それまでもここに城跡があることは解かっていた。江戸時代に書かれた『越前地理指南』には「南に城址あり」と記載されているし、『越前国名蹟考』には「波多野氏数代ノ居城ナリ」と書かれてある。また、天城、花谷城とも呼ばれていた。調査結果は1990年発行の『永平寺町文化財調査報告書第3集 越前波多野城跡』(永平寺町教育委員会)と言う冊子にまとめられている。

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三角点(点名:城山)

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頂上から北に伸びる郭跡

ここの三角点は三等で、点名:城山、所在地:福井県吉田郡永平寺町大字花谷字城山6-15番地、標高473.8m(現在、基準点成果等閲覧サービス上での公開を停止しているため、標高は地形図による)。

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主郭と南郭を結ぶ土橋

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南郭跡

圧巻は主郭と南郭をつなぐ通路で、1.5mほどの細い尾根状の道が30mほど続いている。この通路は土橋と呼ばれ、敵が南郭を落とし、そちらから攻撃してきた時に、この狭い連絡路を造っておくことで、多くの兵がいっぺんに攻めて来られないようにしたものだ。今でこそ、土橋の両斜面はなだらかになっているが、出来た当初はもっと垂直に近かったと思われる。土橋の上は主郭ほど整備されておらず、それほど歩きやすいとはいえなかったが、そこを歩いて南郭まで行ってみた。そこも主郭ほどは整備されておらず、ただの平坦なピークにしか見えなかった。そこから西に尾根が続いていたので、そこを歩いて行くとまた小さなピークに郭のようなものがあり、そこを降りて行くと、登り口のほうに戻ってきた。まだ時間があったので、今度は正面に見える急斜面を登り、頂上まで行ってみることにした。一段高くなったところには小さな池があったが、この辺りに井戸があったそうだ。ここからの登りは急で、ストックを突いて何とか登れるほどの急斜面だった。もう一度頂上に登り、しばらくゆっくりしようと思ったが、蚊がひどいので、早々と退散することにした。もう涼しくなったからと今日は虫除けスプレーを掛けてこなかったのだ。

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越前波多野城址縄張図

残念ながらこの史跡には全く説明板が見当たらない。それでも、この城址は解かりやすく、楽しめたが、解かりやすい縄張図があったので、ここにご紹介しておく。出典は、永平寺教育委員会が出した『越前波多野城跡を歩く。』というパンフレット。

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元ミニスキー場があった坂道

頂上でゆっくり出来ず、時間が余ってしまったので、永平寺緑の村を散策することにした。ここは小さな山の上に出来た公園で、その中に旧傘松閣やふれあいセンター、グラウンドがあり、周辺にはちょっとした遊歩道があるので、そこを散策することにした。左の写真はグラウンドの北の端から降りてくる急坂の遊歩道だが、以前ここはミニスキー場として使われており、道の真ん中に小さなリフトのケーブルがあった。

おばこ峠は殆ど知られておらず、それほど歴史のある峠だとは思わなかったので、林道終点から尾根伝いに簡単に登ってしまったが、後で調べたところ、かなり重要な峠であったことが解かったので、下から昔の峠道を探しながら歩くのも悪くないかもしれない。

  

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