日時

目的地

所在地

2012年12月21日

越知山(612.8m)

木ノ実(芽)峠(約380m)

越前町大字大谷寺

越前町小川/福井市別畑町

 行動日程

木ノ実谷登山口13:45〜13:55滝(一番上の棚田)13:55〜14:00お題目岩14:05〜14:10慶松堂跡14:10〜14:35沢がなくなった地点14:35〜14:45木ノ実峠(行者道に合流)14:50〜15:00独鈷水上の休憩舎15:10〜15:20木ノ実峠15:20〜16:05木ノ実谷登山口

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献   :

 これまでの山行記録

 2008.12.18

地理院地図によるルートマップ

Webサービス by Yahoo! JAPAN

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので、参考程度にとどめてください。この地図の歩行ルート表示は下から3番目の縮尺で作成したため、他の縮尺の地図では歩行ルートと地図にずれが生じる場合があります。地図上の赤線が今回歩いたルートです。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫ 

越知山には何度も登っているが、木ノ実谷コースはまだ歩いたことがない。ネットで調べてもこのコースを歩いたという記録を見たことがない。小川コース(行者道)の途中にあった標識には、このコースは経験者向きと書かれてあったので、それなりに大変なコースだとは思ったが、実際歩いてみると予想以上に難コースだった。

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小川集落

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登山口あたりの様子

木ノ実谷登山口へは小川コース(行者道)登り口の横の車道を更に奥に入って行く。しばらく行くと小川集落が現れる。集落は狭い谷沿いに長々と続いていた。これまで何度かここにきているが、小川コース登り口まで来て登山道に入ってしまっていたので、こんなところに、こんなに大きな集落があるとは知らなかった。集落が途切れたところから少し行くと木ノ実谷登山口の標識があった。私がこれまで見た標識にはすべて木ノ実谷と表示されていたが、ここにあった新しい標識では木ノ芽(実)谷登山口となっていた。また、このコースは旧い峠道を使っており、このコースを登り詰めた地点は木ノ実峠と呼ばれていることが解った。その地点でこのコースは小川コースに合流し、越知山に登って行くようになっている。

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越知山木ノ実(芽)谷登山口

登山口には「越知山大権現」と書かれた石碑(右側)と「御本社迄五十丁」と書かれた石塔(左側)があり、こんなに歴史を感じさせてくれる登山道だとは思ってもみなかった。

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徒歩で約3時間の標識

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最初から道が崩れている

白い案内板には「当所より越知山頂まで約4km、徒歩にて約3時間」と書かれてあった。小川コースより歩く距離が短いので、3時間は少しオーバーだと思ったがそれはこの登山道が荒れており、時間が掛かるからだと解ったのは登山道を歩いた後だった。道が最初から崩れており、薮っぽかったから、不穏な雰囲気はあったがこれほどだとは想像しなかった。

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もと棚田だったところ

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沢沿いの道

登山道を少し進んで行くと、段々になったところが現れた。段々になったところに今は杉が植えられているが元は水田だったようだ。いわゆる棚田だ。道らしい道はなく、田んぼと田んぼの間の段差を登るのに一苦労する。

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一番上の棚田付近にあった滝

先のほうに広い原っぱのようなところが見えてきた。そこも昔は田んぼだったようだ。その田んぼの先の山の斜面にかなり大きな滝があった。落差は20mくらいありそうだ。

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ここで棚田がなくなる

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木ノ実峠・越知山の標識

この原っぱのようなところで棚田は終わっており、そこには木ノ実谷峠・越知山の標識があった。なお、越知山は泰澄大師が最初に修業した地と言われており、越知山周辺の登山道は「泰澄の道」に指定されている。

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沢沿いの道

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お題目岩

棚田が終わると沢沿いの道となる。最初は沢沿いに道らしき踏み跡があり、ところどころ崩れていたもののなんとか沢沿いを歩けた。その道を少し登って行くと、前に大きな岩が現れ、白い説明板があるのが見えた。それがお題目岩だ。

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お題目岩の説明板(拡大

越知山は日蓮宗とは関係ないはずなのに、なぜ「南無妙法蓮華経」なのか不思議に思ったが、説明板を読むと、この近くにある日蓮宗の蓮蔵寺が創建された際に、記念にこの岩に「南無妙法蓮華経」の文字を彫ったのだそうだ。蓮蔵寺が創建されたのが1713年という。この登山道は江戸時代には越知山参詣道の木ノ芽(実)谷参道として賑わっていたそうだ。小川コース(行者道)とこの参詣道の関係が解らない。越知山には1300年の歴史があり、さまざまな参詣道がある。行者道が本来のルートだったようだが距離が長く、江戸時代には木ノ実谷参道が主流になっていたのだろうか。 なお、蓮蔵寺は今も越前町小倉に現存している。

 

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お題目岩(南無妙法蓮華経と刻まれてある)

肉眼では大岩に南無妙法蓮華経と刻まれた文字が何とか読めるのだが、写真に写すとはっきりは読めないが、ひげ文字が書かれてあるのは解ると思う。

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慶松堂跡の標識

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同左周辺の様子

そこからまた少し登って行くと、慶松堂跡と書かれた標識があった。説明板がないので、慶松堂跡がどういったものだったのかよく解らない。周囲を見渡してみても、建物が建っていたような平坦地は見当たらなかった。白山の越前禅定道には慶松平というところがあり、そこには参詣者の助けとなる茶屋や宿泊施設があったといわれているので、何か関係があるのかちょっと調べてみた。そうしたら、慶松堂は江戸時代の福井の豪商である慶松(けいまつ)家が建てたもので、白山だけでなく越知山にも建てたというから、この慶松堂跡がそれであることは間違いない。白山の慶松堂には十一面観世音菩薩が祀られていたということなので、ここの慶松堂にも十一面観音菩薩があったのかもしれない。なお、十一面観世音菩薩は泰澄大師がもっとも尊崇した菩薩で、白山や越知山も十一面観世音菩薩が本地仏となっている。慶松家は参詣者の助けとするためにこの慶松堂を建てたというから、この参詣道が如何に賑わっていたかが解る。今の荒れた登山道からは想像出来ない。

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沢沿いの薮がひどくなる

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沢を迂回

慶松堂跡からも沢沿いの道を進もうと思ったが薮がひどくなってきたのと、道跡が全く解らなくなってきたので、ここからは沢を迂回し、斜面の上の少し平らになったところを歩くことにした。

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沢がなくなったあたりの様子

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上に尾根が見えてくる

沢を迂回して進んでいると、沢がなくなった。そこからは杉林の中の急登となり、何となく道らしきものが解るようになったが、傾斜が急でなおかつ下が濡れていたので滑って、登って行くのは容易ではなかった。

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下から見上げた木ノ実峠

草や枝にしがみついて何とか急登を登って行くと、上に峠らしい山の鞍部が見えてきた。

 

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木ノ実峠

峠付近も急斜面で、道跡らしき踏み跡はあったが滑りやすく、最後まで木の枝や草を頼りに登って行くしかなかった。それでも1時間でこの地点まで登ってくることが出来た。

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木ノ実峠にあった石碑

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峠の反対側(別畑)の斜面

木ノ実峠には石碑があったが文字が薄くなっており、殆ど読めなかった。ここから反対側の斜面にも道が降りていたと思われるが、斜面は急で道跡らしきものは見当たらなかった。ここを降りて行けば別畑町に出る。

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今上がって来た方角には部子山が見える

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石碑の裏から別畑に峠道が降りていたか

今上がって来た方角には部子山が見えた。石碑の裏から踏み跡のようなものがあったが斜面は急で、道の痕跡は残っていなかった。もうこの時間では越知山の頂上まで行くには遅すぎるので、反対側の峠道を散策しようかと考えていたが、斜面が急で降りて行ける状況ではなかった。

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木ノ実(芽)峠全景

木ノ実峠は掘れたU字の峠ではないが、姿のいい峠だ。

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登って来た斜面を見る

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峠から行者道を登ったところにある石塔

反対側の峠道の探索は諦め、小川コースを少し越知山のほうに向かって歩いてみることにした。峠からすぐの登山道はかなり深く掘れており、歴史の長さを感じることが出来る。掘れた急坂を登ったところに、壊れた石塔があったが、これは明治時代の神仏分離・廃仏毀釈により壊されたもののようだ。

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白山方面は雲の中

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別畑町登山道の標識

登山道から肉眼では何とか白山が見えたが、写真にはほとんど写っていない。途中、見慣れない標識があり、「別畑町へ」となっていた。

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別畑町に降りて行く尾根道

そこを覗きこんだら、尾根筋に道らしきものがあった。この道は前回来た時にはなかったから最近出来たのだろう。越知山あたりの登山道も開発が進んでいるから、昔の道を復活させたようだ。

 

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独鈷水近くの休憩舎

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石仏が並んでいる

独鈷水のところに来ると、真新しい休憩舎が出来ており、中にはたくさんの石仏が並んでいた。それらの石仏のほとんどは壊れたり、割れたりしているから、これらも廃仏毀釈で壊されたものだろう。

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別畑道の旧い道しるべ

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独鈷水分岐にあった標識

足元にあった石柱を見たら、「右別畑道」と書かれてあったから、先ほどの登山道分岐にあったものだろうと思う。この道も昔は参詣道として使われていたようだ。

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独鈷水の説明板(拡大

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独鈷水

尾根から少し降りたところにある独鈷水を見に行く。そこには前回来た時にはなかった説明板があった。先ほどお題目岩のところにあったものと同じ説明板だ。独鈷水で喉を潤し、帰路に就いた。

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帰り道に見つけたもう一つの標識

来た時と同じ道を通ったが、帰りはなるべく沢筋の道を忠実にたどったら、来た時にはなかった標識が見つかった。この登山道は荒れているものの、こまめに標識を作ってくれているから、迷うことはないだろう。登山口に戻ったのはまだ4時ちょっと過ぎだというのに、途中の杉林の中はかなり暗くなっていた。後で今日は冬至だったことを思い出した。

  

 

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