日時

目的地

所在地

2012年6月8日

大坂(約545m)

大坂第二峠(約505m)

大坂第三峠(約510m)

南越前町杣木俣/池田町東俣

 行動日程

国道476号線路肩(駐車したところ)12:00〜12:15林道出合12:15〜12:20大坂峠下12:20〜12:30大坂第二峠取り付き12:30〜12:32大坂第二峠12:40〜12:55大坂峠13:00〜13:05 565mのピーク13:05〜13:20大坂第二峠13:30〜13:50 582mのピーク13:50〜14:00大坂第三峠14:05〜15:10国道476号線路肩(駐車したところ)

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

      :電子国土ポータル

文献   :池田町史、今庄町誌ほか

 過去の山行記録

 

地理院地図によるルートマップ

Webサービス by Yahoo! JAPAN

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので、参考程度にお使い下さい。なお、この地図の登山ルート表示は原則的に下から3番目の縮尺に合わせているため、他の縮尺ではルートと地図にずれが生じる場合があります。地図上の赤線が今回歩いたルートです。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫

水戸天狗党が駆け抜けた池田町と今庄町(現南越前町)を結ぶ峠、大坂にはお地蔵さんがないと聞いていたが、最近ここを歩かれた「加賀低山徘徊部」さんのホームページを見るとお地蔵さんがあったと書かれてある。ただ、そのお地蔵さんがあった峠は大坂峠だとは断定されていない。それで、そのことを確かめたい、と出掛ける。
国道8号線を鯖江で左折、国道417号線に入り、池田町に向かう。板垣トンネルを抜け、池田町に入り、国道476号線の標識を見て右折、峠に向かう。476号線は大坂峠付近で道が途切れており、いわゆる不通国道となっている。その国道に指定されている細い道を車で行けるところまで行くことにする。池田町東俣の集落がなくなったところから、山の中の道となる。最初は道幅もあり、舗装されていたが、途中の分岐(ここを右に入る)から舗装が切れ、林道と変わらない状態になる。分岐から10分も進んだ辺りで、地図に載っている小さな堰止湖が現れる。そこから少し入って行ったが、更に道が荒れてくる。聞きしに勝る酷道だと聞いていたので、堰止湖から少し進んだ、路肩の広くなったところに車を置き、歩き出す。

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酷道476号線

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林道分岐(ここにも旧い峠道があったか?)

どこまで国道476号線に指定されているのか解からないが、道は進むと共に荒れてきて、道が陥没したところが出てきた。全くの酷道だ。4駆でも厳しいかもしれない。先ほどのところに車を停めたのは正解だったようだ。歩いて15分ほどで、林道にぶつかった。この分岐から尾根筋に向かっても、薄い道跡のようなものがあったから、昔はここにも峠道があったのかもしれない。そこを右折し林道を進んで行く。

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林道を右へ

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大坂峠(推定)

すると5分ほどで、大坂峠道が通っていたと思われる地点に来た。そこから見上げると、杉林越しに稜線が眺められたから、そこが大坂峠だろうと思われた。峠道があったと思われる斜面はひどい薮ではっきりした道跡は解からないが、薮が少し薄いところがあったから、そこに峠道があったと思われる。

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峠道が降りていたと思われる谷筋

峠道が降りて行っていたと思われる池田側は深い谷となっており、そこを覗き込んでみたが、ひどい薮で、峠道の痕跡は発見できなかった。かなり深い谷なので、険しい峠道だったことが想像できる。

 

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大坂第二峠(仮称)への取り付き

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林道から大坂第二峠を見上げる

大坂峠と林道が交差する地点から更に林道を10分ほど歩いて行くと、林道のり面に、お地蔵さんがあったという峠に取り付ける道が顔を出していた。

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大坂第二峠

そこを上がって行くと、すぐに峠に着いた、ほんの一分ほどだ。この峠は明らかに大坂峠とは場所が違っている。後でこの峠のことを調べてみたが解からなかったので、ここでは大坂第二峠と呼んでおく。

 

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端麗な姿をした大坂第二峠

大坂第二峠は非常に洗練された端正な姿をしている。削られた両斜面が45度の左右対称形をしており、近世の土木技術により人工的に掘られた可能性が高い。越前と加賀を結んだ大内峠に雰囲気が良く似ているが、大内峠は侵食が進んだのか両斜面が崩れており、このような均整が取れた姿はとどめていない。私が見た峠の中では、姿形の流麗さではここがぴか一だろう。このような歩く峠としては最も新しく造られた(または改修された)ものだろうと思われる。こういった峠の最終形と言っていいかもしれない。

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大坂第二峠のお地蔵さん

お地蔵さんもちゃんと鎮座していた。石がんには昭和九年八月十五日 ヨソサ(ザ)、コウスケとの文字が彫られてある。池田町東俣と今庄町(現南越前町)杣木俣を結ぶ峠道は明治初めころまでは昔ながらの大坂峠を使っていたようだが、その後はこのふたつの集落を結ぶ峠道は大坂道と呼ばれ、何度かルートの変遷があったようだ。池田町史を見ると、「大正9年(1920)県道に編入され、大坂道として改修されたが、勾配が急なため、再三変更され、旧角間線のユリ峠の下にトンネルを開削する計画がありました。」とある。この峠がユリ峠かどうかは解からない(私の推測ではこの後行く、大阪第三峠のほうがその可能性が高そうに思われる)が、この峠も大坂道として使われたことがあるのだろうと思う。

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今庄(杣木俣)に降りて行く峠道

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尾根道

池田側から登ってきていたと思われる峠道の痕跡は発見できなかったが、今庄(杣木俣)側には綺麗な峠道が残っていた。旧い峠道になるほど、直線的に、またはつづら折に降りていることが多いが、ここの峠道は山の斜面をトラバースして降りていたから、そこから考えても比較的新しい時代に造られた(または改修された)ものだとの推測が成り立つ。ここから尾根筋を南に500mくらい行ったところに大坂峠があることになっているので、峠の斜面をよじ登り、稜線に出て、大坂峠のほうに歩き出す。道は良く踏まれており、薮も少なく、歩きやすい。今でも林業関係者が入り込むのかもしれない。

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大坂峠

尾根道を15分ほど歩いて行くと、山の鞍部があり、そこが源平合戦の折、平泉寺衆徒一千余騎が木曽義仲に加勢する為に越えた峠であり、幕末に京に上ろうとした水戸天狗党が駆け抜けた峠であることは間違いない。しかし、今は薮に覆われた山のちょっとした切れ込みであり、多くの人々が行き交った峠だったという気配は全く感じられなかった。峠の両側(特に今庄側は崖のように切れ落ちている)は非常に急な坂となっており、難所の峠だったようだ。斜面を覗き込んだが道の痕跡は全く見つけられなかった。

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薮に埋もれた大坂峠

だから、この峠は近年になると使われなくなり、別の場所を越える峠道が発達したのだろう。歴史のある旧い峠道は薮に埋もれようとしていた。

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565mのピーク

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第二大坂峠

その峠が大坂峠に間違いないことを確認するために、そのすぐ南にある565mのピークに行って見ることにした。尾根筋の踏み跡をひと登りすると、すぐにその場所に着いた。地図の通り、そのピークから稜線は東に進んでいたから、先ほどの鞍部が大坂峠であることは間違いない。今歩いてきたふたつの峠のほかにこの尾根筋にもうひとつ峠(名称不詳なので、ここでは大坂第三峠と呼ぶ)があるということなので、今歩いてきた尾根道を第二大坂峠まで戻り、今度は北に続く尾根筋(ここを進んでいけば段ノ岳に至る)を歩いて、第三大坂峠まで行ってみることにした。第二大坂峠から段ノ岳に至る尾根道もかなり踏まれており、道跡はしっかりしている。

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582mのピーク

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ぬたば

踏み跡はしっかりついていたが、P582mの手前で尾根が広くなったところがあり、別の尾根筋に入り込みそうになった。帰り道でも同じところで迷いそうになったから、良く周りの景色を記憶しておくことが大事だ。この尾根筋は今庄側(西側)がブナ混じりの雑木林で、池田側(東側)が植林された杉林だから、迷った時はそのことが参考になるだろう。いくらか歩く人もいるようで、何種類かのテープがところどころに見られた。582mのピークは広々しており、どこが頂上か解からない状況だ。その辺りに一段低くなった場所があり、いくらか水気があった。雨が多ければ沼のようになるだろうから、イノシシのぬたばだと思われる。私が見たぬたばとしては最大のものだ。尾根道のところどころに、泥がついたところがあったから、この辺りはかなりイノシシがいるようだ。

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尾根道の様子

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大坂第三峠(仮称)

上記左側写真のように薮のない広い尾根道を歩くところもあったが、奥に進んで行くと共に薮は濃くなっていく。しかし、582mのピークから10分ほどで、また山の鞍部が現れると、そこが目指す大坂第三峠(仮称)だった。この峠に関しても、資料が乏しく、峠名も、謂れも良く解からない。

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大阪第三峠

この峠もかなり薮に埋もれ、形は崩れているが峠道はしっかり残っていた。特に池田側には下記写真のように深く掘れた峠道が降りていた。

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大坂第三峠から池田側に降りて行く峠道

この峠は先ほど通った国道476号線の途中から西に入って行く林道と今庄側から段ノ岳に向かって伸びる林道を結んだ線の稜線部分にある。そのルートにも昔は峠道があり、この峠が使われていたのではないかと思われる。今庄町誌に「旧角間線のユリ峠の下にトンネルを開削する計画があった」、また「大坂には古坂があった」との記述がある。この峠がそうだった可能性が高い。今後の研究課題である。ここから更に尾根筋を北に進めば段ノ岳に行けるが、更に薮がひどくなると聞いているし、時間が遅くなりそうなので、今来た道を通り、車に戻った。

なお、今庄町誌を読み返したところ、「水戸浪士は旧古坂を通った」、「旧角間線の古坂道、ユリ峠の下にトンネルを・・・」との記述があることから、水戸浪士が通った峠は三つの峠の中で一番古いことになる。お地蔵さんがあった大坂第二峠は造りからして新しいし、お地蔵さんに昭和九年八月の銘が刻まれていることから、一番新しい峠だと見て間違いないのではないかと思われる。だから、このページで大坂峠としている峠が一番古くて、水戸浪士が通った峠であり、大坂第三峠が二番目に古く、ユリ峠である可能性が高く、大坂第二峠が一番最近まで使われていた峠だと言うことになるのだが・・・まだ研究の余地あり。(2012.11.6加筆)

 

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