日時

目的地

所在地

2012年3月15日

竜興寺坂(約210m)

福井市岸水町/同)八幡町

 行動日程

竜興寺坂登り口(駐車したところ)11:55〜12:05第5号鉄塔12:05〜12:15第6号鉄塔12:15〜12:20第7号鉄塔分岐12:20〜(しばらく道を探す)〜12:30笹薮の中の右折点12:30〜12:35池の端(下流)12:35〜竜興寺坂峠〜13:20最初の沼地(水田跡)13:20〜13:35竜興寺跡(墓塔群)13:40〜13:45滝13:45〜13:50八幡町登り口(林道出合)13:50〜13:55案内板14:00〜14:15竜興寺跡(墓塔群)14:15〜14:40天菅生町と岸水町分岐(峠状のところ)14:40〜14:55竜興寺坂峠14:55〜15:40竜興寺坂登り口(駐車したところ)

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献   :

 これまでの山行記録

2011.2.22(ブログ)2012.10.27(ブログ:竜興寺坂の現状)

地理院地図によるルートマップ

Webサービス by Yahoo! JAPAN

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので、参考程度にとどめてください。この地図の歩行ルート表示は下から2番目の縮尺で作成したため、他の縮尺の地図では歩行ルートと地図にずれが生じる場合があります。地図上の赤線が今回歩いたルート。ピンクの線は帰路に通ったルートです。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫ 

雪も消えただろうと、今年2月下旬に雪で行き着けなかった竜興寺坂に出かける。近くの小・中学校の先生は登山道が最近整備されたばかりだから、雪が解ければ道に迷うことなく楽に歩けるだろうと話していたが、行ってみるとやはり薮がひどく、楽な道のりではなかった。しかし、何とかこの古道を岸水町から八幡町まで歩きとおすことが出来た。この古道について簡単に説明しておくと、九頭竜川河畔の岸水から一歩山に入ったところにあった竜興寺に物資(主に塩)を運ぶために使われた、山越えの道だった。三国港辺りから舟で九頭竜川を遡った物資は岸水で陸揚げされ、この山越えの道を通って、竜興寺まで運ばれたのだろう。なお、竜興寺は戦国時代に活躍した朝倉氏と関係の深い曹洞宗のお寺であり、一向一揆勢により滅ぼされ、それ以降復活することなく廃寺となっている。

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竜興寺坂がある山域(@天菅生橋付近)

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竜興寺坂登り口(岸水町) 案内板拡大

九頭竜川に架かる天菅生橋辺りから西を見ると200mほどの低山が連なっているが、その山中に竜興寺の寺院群が広がっていた。この辺は山が九頭竜川河畔に迫り、風光明媚なところで、越前松平家の菩提所であった大安寺もこの近くの山中にある。天菅生橋を渡り、九頭竜川の左岸道路を大安寺のほうに向かう途中に竜興寺坂の登り口がある。ここには史跡竜興寺跡の立派な案内板と共に、4,5台ほど停められる駐車場もある。

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登り口付近から見た風景

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5号鉄塔手前の急登

この日はちょっと雲が多く良く見えなかったが、ここからだと九頭竜川越しに白山も望めるはずだ。坂を登っていくと早速掘れた道が現れる。現在この道は鉄塔巡視路として使われているため、昔のルートとは少し違っているところがあるようだ。

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(北電川西線)5号鉄塔

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尾根を横切る切通し道

鉄塔前の急登をこなすと、5号鉄塔に到達する。北陸電力の川西線の送電鉄塔だ。ここから先もかなりな急登が続く。雪解けが終わったところなので、道がぬかるんでいるところがあり、滑りやすい。急登をまっすぐ上って行くと、道は小さな尾根を横切るが、かなり深い切通しの道となっており、古道の雰囲気が漂う。

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6号鉄塔

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坂井平野(@6号鉄塔)

5号鉄塔から10分ほどで、6号鉄塔に着く。ここからは少し展望が開け、坂井平野を一望に出来る。なお、帰り道にここを通ったとき、鉄塔周辺の木々の伐採が北陸電力により行われていた。実際の作業をしているのは北陸電力の子会社か下請け会社の人だと思うが、私が「最近巡視路が荒れていますね」と聞いたところ、北陸電力では今でも鉄塔管理のために巡視路の草刈は毎年行っているそうだ。ただし、崩れた道の整備まではなかなか手が廻らないと語っていた。

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巡視路の様子

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7号鉄塔分岐

6号鉄塔からまっすぐに伸びた巡視路を歩いて行くと、平行して掘れた古道が残っているところがある。また、深い切通しの道を歩くところもある。そのような道を5分ほど歩いて行くと、山の斜面にぶつかり、そこに巡視路の案内板が立っている。ここで右折し進んでいる道が次の7号鉄塔に行く巡視路だ。今回は運良く、山を降りてから地元岸水町の人に話を伺うことが出来たが、その方によれば昔はここからまっすぐ山の斜面をトラバースして、竜興寺に向かう道があったそうだ。今はそこに全く道跡は見当たらない。まっすぐ山に登って行く斜面に薄い踏み跡があったが、前回同様ここでは左折する道を選ぶ。道が整備されたと聞いていたから、雪が消えれば簡単に道が解かるだとうと思ったが、以前歩いたときとそれほど状況は変わっていない。地図とにらめっこしながら道を探すしかない。前途の困難さが予想された。

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山にぶつかった地点

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池に降りて行く

雪が解けたばかりなので、今は薮が薄く歩きやすいが、この辺りの道には笹が生えており、そのうち笹薮に覆われ歩けなくなってしまいそうだ。道跡をまっすぐ進んで行くと、山の斜面を登って行くようになる。その手前から右折するところにピンクのテープがあったので、前回はそのテープに従い歩きにくい斜面をトラバースし進んでいった。雪が解ければそこに道があるのが解かるだろうと思ったが、道らしきものは見当たらなかった。実は帰りにここを通ったところ、森林組合の人が作業をやっており(いつもは誰もいない静かな山域なのだが、今日は大賑わいだ)、作業をしていた人に伺ったところ、ここに林道(作業道)を造るのだそうだ。それでピンクのリボンで印をつけておいたそうだ。前回それとは知らず必死に、雪の中このテープを頼りに進んでいったのだから、大笑いだ。そこに道らしきものがないので、今回はまっすぐ道なりに山の斜面を登っていったが、しばらく行くと薮道となったので引き返した。念のため、ピンクのテープのところで右折し、浅い池があるところまで行ってみたが、やはり道がなく引き返すことにした。

なお、ピンクのテープは竜興寺跡の近くまで続いており、てっきり登山道を整備したときのものだと思っていたが、そこに林道を造るとなると、昔の掘れた道がつぶされてしまう可能性がある。森林組合の人は新しく造る林道は八幡町まで抜けるわけではないと話していたが、どこまで林道を造るのか心配だ。

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ここを右折

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池(水深は浅い)

少し戻ったところの笹薮の中に道らしきものがある(この道は7,8年前にも歩いたことがある)ので、そこを進んで行くことにした。池のほとりを歩き、池の端に到達した。

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池の端(下流部分)

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切り開きのある尾根道

そこは池の下流部分となっており、ここで水がせき止められているため、浅い池になっているようだ。そこから左に上がって行く道を進んで行くと、やたらにピンクのテープが巻かれた尾根道に到達する。ここに登山道ではなく、林道を造るとなると、山の雰囲気はガラット変わってしまうだろう。そうならないことを望みたい。この尾根道から先はかなり道がしっかりしており、迷うことはない。掘れた古道跡がずっと続いている。

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竹薮の中の細い道

しばらく行くと竹薮の中の道となり、その辺りで掘れた道はなくなり、替わりに幅50cmにも満たないようなところを歩くようになる。よく中世の城址で見かける土橋と呼ばれるものにそっくりだ。この周辺に城が築かれたことがあるのだろうか・・・。そのような話は聞いたことがないが、人工的に造られたものであることは間違いなさそうだ。

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土橋状になった古道跡

土橋のような道は少し蛇行しながら30mほど進んでいた。この辺りにもピンクのテープがあった。もし、林道工事でこれらの道跡が削られるとしたら、非常に残念だ。

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掘れた古道跡

そこを過ぎるとまた、掘れた道となり、そこを上がって行くと尾根に到達する。尾根といってもかなりなだらかだ。その尾根筋にも掘れた道跡がある。この道は先日も歩いた。

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竜興寺坂峠(勝手に命名)

ここを右のほうに進んで行くと天菅生町のほうに降りて行くので、今回は逆の尾根筋を歩くことにした。しかし、後で解かったことだが、本当はここを右に進み、天菅生町から登ってくる道(現在の国土地理院の2.5万分の1地図にも破線で描かれている天菅生町から八幡町に至る山道、以下天菅生道と呼ぶことにする)に合流したら、そこを左に進んで行くのが正解だった(この岸水町から上がってきて天菅生道に合流するまでの道を以下、岸水道と呼ぶことにする)。しかし、地図とコンパスで方向を確かめたところ、どう考えても竜興寺跡は逆のほうなので、そちらに進むしかなかった。

なお、この地点は追分であると共に、竜興寺坂(岸水道)の最高地点でもあるので、ここを竜興寺坂の峠とし、竜興寺坂峠と呼ぶことにする。

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沼地(水田跡か?)

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池(沼地)

竜興寺坂峠を左折すると、浅く掘れた尾根道が続いている。しばらく行くと道跡はふたつに分かれていた。左に行く道は方向が全く違っていったので、右に進んで行くことにした。なお、左に進む道は四十谷町と大年町を結ぶ峠道(細い山道だが舗装はされている)に合流していたのではないかと思われる。右に進んで行くとすぐに道跡が消えてしまった。竜興寺跡の方角は西だが、そこには細尾根があり、ひどい薮で歩けそうにない。明らかに方向違いだったが、北の方向には深い谷があった。そこは薮がひどくなく、歩けそうだった。他に道らしい道がないので、意を決し、その谷に降りて行くことにした(この辺りではルートファインディングに必死だったので写真は撮っていない)。谷に降りてしばらく進んで行くと、右からの谷(後で、この谷筋に天菅生道があったことが解かった)と合流した。その辺りから谷筋に小川が現れ、歩きづらくなった。しばらくぬかるんだ谷筋を進んで行くと、沼地が現れた。史跡竜興寺跡の案内板に写真が載っていた水田跡がこれに違いないと思い。谷筋を更に降りて行くことにした。この先の谷筋はずっと沼地や池だったので、そのほとりを進んで行った。

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池のほとりで踏み跡が途切れる

池のほとりには薄い踏み跡があり、そこを進んでいったが、途中で踏み跡がなくなってしまった。その場所にはビールの空き缶が木の枝に何個も刺してあった。池のほとりに道跡がなくなったので、少し斜面を這い上がり、薮の中を進んで行くことにした。

 

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竜興寺跡(墓塔群がある平坦地)

歩きにくい薮の中で悪戦苦闘していると、そのうち竹薮となり、そこを抜けると正面に平坦な場所が見えてきた。寺院跡があるならこんなところだろうと思ったら、隅っこに墓石があるのを発見。ここが目指す竜興寺跡であることが解かった。

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墓塔群

竜興寺は15世紀中頃の創建で、一向一揆勢に滅ぼされたというから、4,500年経っていることになる。何の手入れもされずに自然に任されてきた割には墓石が綺麗に残されている。

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宝篋印塔

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「永正一七年六月五日 永仲宗長」の文字

上の墓塔(宝篋印塔)には「永正一七(1520)年六月五日 永仲宗長」と刻まれた文字がはっきり見えるが、永仲宗長とはここを菩提所とした朝倉氏庶流の朝倉土佐守家の人であるそうだ。

なお、竜興寺坂の登り口にあった石碑の碑文には「当地(岸水町)より丹生山地に入り、本郷(八幡町)に至る山道を竜興寺坂と呼びます。この坂道の名称となった竜興寺は曹洞宗総持寺派の寺院で、永享初年(1429年)に安居(福井市)の国人である藤原清長が開基となり、大野郡味見郷(旧足羽郡美山町)の豪族・伊自良氏の出身である希明清良を開山として創建されました(日本洞上聯燈録)。その後、戦国大名・朝倉氏の庶流で、北の庄に城館を構えた朝倉土佐守家の菩提寺となりました。 安居や北の庄から参詣する場合、この坂道が短絡路となったと推定されます。また戦国時代、当地にあった岸水寺と本郷の竜興寺は、周辺地域の塩の流通にたずさわっていました。特に棗荘(福井市、松樹院文書)で作られた塩は竜興寺に上納されていたので、この坂道を通って塩荷が運搬されていた可能性があります。 永禄4年(1561年)4月4日、犬追物を挙行するために棗の郷・大窪の浜(三里浜)に向かった朝倉義景一行は、一乗谷から竜興寺に入って一泊しています(朝倉始末記)。もしかすると、一行は竜興寺坂を利用したのかも知れません。 なお、岸水寺と竜興寺は天正2年(1574年)6月に一向一揆の軍勢に焼かれ、現在は廃寺となっています。」とある。

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無縫塔

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五輪塔群

無縫塔は禅宗の僧侶の墓に使われることが多いそうで、永平寺の歴代住職の墓もこの形をしている。他に五輪塔などの墓石が乱雑に並べられていた。また、寺院跡の平坦地のあちこちに墓石と思われる石や人工的に削られたと思われる石が散乱していた。

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竜興寺跡から八幡町に降りて行く道

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竜興寺跡の隅のほうから八幡町に向かって道が降りていたので、そちらのほうに進む。沢(川)沿いにまっすぐ山道が付けられており、こちら側から登った時は迷うことはなさそうだ。一部、沢の中を歩くところがあり、道が解かりにくいところもあったが、沢沿いにまっすぐ降りて行けばいいので迷うことはない。5分ほどで滝が見えてくる。この辺りの道は石がゴロゴロしており、濡れているので滑りやすい。

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石垣跡

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丸太橋

道の脇には竜興寺と関係があるのか、何ヶ所か石垣になったところがあった。右のほうから別の沢が合流する地点に丸太橋が架かっていた。かなり朽ちており、慎重に橋を渡る。

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林道に出てくる

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史跡竜興寺跡の案内板

竜興寺跡から10分ちょっとで八幡町側の林道に出てきた。そこから少し降りて行くと、岸水町にあったのと同じような案内板があった。ここへは、思った以上に立派な林道が上がってきていた。ここまで車で入ってくれば竜興寺跡へは本当に簡単にいけてしまう。

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竜興寺跡に戻る

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平坦地(寺院跡か?)

帰り道は登りなので、竜興寺跡まで少し時間がかかったが、それでもあっさり15分ほどで着いてしまった。来たときにはこの場所から池(沼地)のほとりを歩いたのだが、非常に歩きづらかったので、もう少し山側を歩くことにした。そうしたら道跡があり、ピンクのテープもあったので池から少し離れるがそれに従って歩くことにした。その道を5分ほど進んで行くとまた平坦になったところがあり、敷石らしきものがいくつか見られたから、ここにも寺院があったのではないかと思われる。

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井戸跡?

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分岐

そこから山の縁をしばらく進んで行くと、小さな水溜りがあった。水が澄んでいるので、井戸跡かもしれない(ただし、写真付きの案内板に載っていた井戸跡とは場所が違っている)。そこからも原則、ピンクのテープに従って歩いたが、道はあっちに行ったりこっちに行ったりで、人が歩く登山道を整備した感じではない。今考えてみればここに林道を造るつもりなのかもしれない。しばらく行くと、来たときに降りてきた谷筋と天菅生道の分岐に到着。元来た道を戻れば楽だが、天菅道と岸水道の合流点までの道がどうなっているのか見たかったので、天菅生道を行くことにした。

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谷筋脇に出来た切り開き

最初、谷底の道を進んでいったが、歩きづらくなったし、少し高くなったところにピンクのテープがあったので、そちらを歩くことにした。ピンクのテープのところには一部、切り開きになったところもあったから、この辺りの道もいくらか整備したようだ。

 

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谷筋に伸びる古道跡

ピンクのリボンはその内、谷底を歩くようになった。この谷筋に天菅生道があったことになっている。尾根の近くまで登ってくると上記写真のような古道然とした場所も存在した。

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天菅生町から八幡町に至る古道の最高地点(峠)

谷を詰めて行くと、平坦な道となり、行く手に尾根が見えてきた。その尾根筋がこの峠道(天菅生道)の標高が一番高い地点なので、峠といってもいいような場所だ。

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天菅生町に降りて行く道

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岸水町に至る尾根道

その尾根に到達すると、そこは先日歩いた道だった。来た時に竜興寺坂の峠で右折すれば、この場所に来れるのだ。ここで、天菅生道と合流していたのだ。先日はこの尾根筋を左のほうに進み、天菅生町へ降りていったが、今回はここを右折し、岸水町の登り口に戻ることにした。

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つづら折の掘れた道

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掘れた古道跡

細尾根を少し歩くと、山の斜面をつづら折に登って行くようになる。その辺りで深く掘れた道跡が現れ、そこからはずっと掘れた道跡が続いていた。

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竜興寺坂峠

平坦な尾根筋に出来た掘れた道を歩いて行くと、来た時に通った竜興寺坂の峠についた。来た時はこの尾根筋を逆に行ってしまったが、今来た道に進んで行くのが本道だったのだ(ただし、来た時に通った、竜興寺坂峠から左に行って谷筋を降り、天菅生道に合流したルートのほうが距離的には近いから昔はそちらのほうのが本道だった可能性もある)。この道を知っていれば竜興寺跡には比較的楽に行ける。そこを通って、岸水町の登り口に降りた。この日は竜興寺坂の峠から岸水町の登り口まで45分ほど掛かったが、先ほども書いたように森林組合や鉄塔周辺の整備をしていた人と話をしていた時間が長かったので、道が解かっていれば30分ほどで降りて来れただろう。

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四十谷町から大年町に抜ける峠

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峠のお地蔵さん

先ほど会った森林組合の人に、竜興寺坂の古道へは他の場所からも登ってこれると聞いたので、その場所に行ってみることにした。その場所とは四十谷町から大年町に抜ける山越えの道で、道はかなり細いが一応舗装されており、車でも登っていける。その道を峠まで行ってみたが、それらしい場所がなかったので引き返した。この道の途中から林道が枝分かれしており、そこを上がって行けば最初の池(7号鉄塔分岐のすぐ近くの池)のすぐ近くまで車でいけるそうだ。きっとその林道は峠から更に大年町のほうに降りたところにあるのだろうと思う。

7、8年越しの宿題をようやくこの日達成することが出来た。この山域を何回歩いたことだろう。その道を歩きとおせたのだから感慨はひとしおだが、ここに林道が出来るという話を聞いて、その嬉しさも半減してしまった。古道がズタズタにされないことを願うだけだ。昔ながらの古道を歩きたいという人がいたら、今のうちに歩いておいたほうがいいかもしれない。

 (2011.3.26 本文一部加筆・訂正)

 

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