日時

目的地

所在地

2012年6月23日

笹又峠(約792m)

新笹又峠(約750m)

若生子坂(約700m)

大野市下笹又/同市木本

同上

大野市上若生子/同市木本

 行動日程

森山スキー場跡9:00〜(車による移動)〜9:10二本松案内板9:15〜(車による移動)〜9:30林道路肩(駐車したところ)9:30〜10:10裸半兵衛の墓案内板(林道分岐)10:10〜11:05笹又峠下11:05〜11:15新笹又峠11:20〜11:30笹又峠下11:30〜11:35笹又峠11:40〜11:45笹又峠下11:45〜11:47笹又峠道分岐12:00〜12:45裸半兵衛の墓案内板(林道分岐)12:45〜12:55若生子坂の峠(裸半兵衛の墓)13:00〜13:10裸半兵衛の墓案内板(林道分岐)13:10〜13:30林道路肩(駐車したところ)

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

      :電子国土ポータル

文献   :上杉喜寿著『越前若狭 峠のルーツ』

 過去の山行記録

 

地理院地図によるルートマップ

Webサービス by Yahoo! JAPAN

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので、参考程度にお使い下さい。なお、この地図の登山ルート表示は原則的に下から3番目の縮尺に合わせているため、他の縮尺ではルートと地図にずれが生じる場合があります。地図上の赤線が今回歩いたルート、青線は車による移動ルートです。また、森山スキー場から先のルートのみ表示しています。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。〜〜なお、後日の調査により、笹又峠の正しい位置が判明しましたので、ここでお詫びして訂正いたします。本文中、新笹又峠とあるところ(国土地理院地図に笹又峠の表示がある地点)が本来の笹又峠の位置です。新笹又峠とした切通しからひと登りした東の尾根に何らかの碑が残っているそうですが、未確認です。(2016.10.5記)〜〜

前回の大坂に続き、幕末に水戸天狗党が駆け抜けた笹又峠に行ってみた。

福井城下より大野城下を経て美濃国境油坂峠に至る美濃街道は、大野城下から西を羽生道、東を穴馬道と称した。今でこそ美濃街道と言えば九頭竜川を遡る大野、下山、旧和泉村、油坂峠ルート(ほぼ現在の国道158号線と重なるルート)を指すが、昔は穴馬道には三つのルートがあった。そのひとつは今の国道158号線が通るルートで大川道(東路)と称した。若生子(わかご)坂、三坂峠を通るルートを若生子越(中路)。笹又峠、伊勢峠を通るルートを笹又越(西路)と称した。今は真名川沿いに立派な国道157号線が出来たが、真名川は峻険で道を造るのが難しく、大野城下から真名川上流の上・下若生子(廃村)や上・下笹又(廃村)の集落に行くのに、若生子峠や笹又峠を越える山越えのルートが一般的に使われていた。また、笹又越の道には、美濃街道の途中から別れ、蝿帽子峠を越えて美濃に向かう道も存在しており、水戸天狗党はこのルートから越前に入っている。 

なお、国土地理院2万5千分の一地形図で笹又峠と表示されている場所は林道が出来てからの新しい峠なので、このサイトではその峠を新笹又峠と称し、それ以前に存在していた峠を笹又峠と呼ぶことにする。

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二本松(説明板拡大

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林道ゲート

昔の峠道を下からたどるのは難しそうなので、森山スキー場(現在は廃業)から林道を登って行くことにした。スキー場跡をスルーし、その前の道を進んで行くと、荒れた林道となる。途中舗装した部分がかなりあり、昔は重要な道として、頻繁に使われていたようだ。10分ほど進んで行くと、広い空き地に出る。そこには二本松の由来と書かれた説明板があった。説明板の後ろに立っているのがその二本松のようだ。そこから上に登って行く林道入口にはゲートがあったが開いていたので、そのまま車で進入する。

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所々に舗装した跡が

この林道には舗装した部分が多いものの、最近は殆ど使われていないようで、途中から道が荒れてきたので、路肩が広くなったところに車を置いて歩き出す。

 

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大野盆地の眺め

林道からは、青々とした水田が広がる大野盆地が見渡せた。

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崖崩れ

歩き出してすぐのところに崖崩れの箇所があった。徒歩なら難なく通過できるが、車では無理だろう。バイクくらいなら何とか通過できるかもしれない。

 

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ササユリ

林道脇の所々に、赤みを帯びたササユリが見られた。白いササユリが多いが、この辺のは全て赤みを帯びたピンク色をしている。

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裸半兵衛の墓分岐

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裸半兵衛の墓標識

歩き出して40分ほどで林道分岐が現れ、「裸半兵衛の墓0.6km」と書かれた標識があった。裸半兵衛の墓については帰りに寄ったので、後でご報告する。

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麻那姫湖

裸半兵衛の墓標識まではかなり道が荒れていたが、そこから先の林道はかなりしっかりしており、普通車でも十分に走れそうな道だった。どんどん高度を稼ぐと、眼下に真名川ダム湖(麻那姫湖)が見えてきた。

 

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笹又峠旧道出合

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旧道出合には廃車が

歩き出して1時間半ほどで、笹又峠の旧峠道らしきものが交差する地点に到着した。この旧い峠道は真名川沿いの下笹又集落から登って来る道だが、時代によりルートに変遷があったようだ。峠道のルートは詳しく調べていないものの、尾根筋を通るルートと谷筋を通るルートがあったようだ。1970年代の航空地図を見ると、597mのピークがある南の尾根筋と、その西側の谷筋に道跡らしきものが写っている。峠道が降りていたと思われる尾根筋を捜したところ、少し掘れた道跡を発見したから、それが旧い峠道の痕跡だと思われる。その峠道入口の近くには廃車になった軽トラックが捨てられてあった。

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旧道出合から笹又峠を見る

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笹又峠入口

林道と旧峠道出会う場所から林道を50mほど行くと、笹又峠への入口があった。しかし、薮がひどいので入って行く気にならず、新笹又峠に先に回ることにした。

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新笹又峠

林道を更に進んで行くと、10分ほどで新笹又峠に着いた。現在の2万5千分の一地形図ではここに笹又峠との表示があるが、どうもこの峠は林道が出来てからの峠のようだ。今歩いてきた林道とは別に、新笹又峠から大野盆地の木本集落のほうに向かって林道が降りており、その林道が造られた時にこの峠が出来たようだ。旧い地図を調べていないので確定は出来ないが、1970年代の航空地図を見ると、まだこれらの林道は出来ておらず、その代わりに笹又峠から新笹又峠の西隣のピークまで尾根道があったようだ。そのころは新笹又峠は存在せず、下笹又から西隣のピークに向かって道が伸び、そこから木本のほうに峠道が降りているのが写っているから、そのころはこの峠は存在せず、西隣のピークが峠の役割を担っていたようだ。大野盆地から旧西谷村(西谷村は上・下笹又など真名川上流にあった村で、今は大野市に編入され廃村となっている)に至る峠越えのルートとしてこれらの尾根筋は重要で、時代によって様々な峠道のルートが存在していたようだ。

 

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新笹又峠

新笹又峠は尾根筋を7、8mほど掘り下げており、典型的な峠の形をしているが、林道上の峠なので風情は感じられない。なお、木本に降りて行く林道は最近余り使われていないようで、殆ど薮化していた。

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坂ノ谷橋

新笹又峠から真名川沿いを見下ろすと、赤い橋(坂ノ谷橋)が見えた。その辺りの湖底に昔は下笹又集落があり、そこから峠道が笹又峠まで上がってきていた。

 

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笹又峠入口

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深く掘れた道跡

笹又峠入口まで戻り、今度は覚悟を決めて、薮の中に入っていった。林道から一歩薮の中に入ると、深い穴が空いており、それが旧峠道の跡だと思われた。

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笹又峠に至る道跡

しばらく掘れた道跡があったがすぐに消えてしまった。しかし、左のほうに踏み跡らしきものがあったので、そちらのほうに進んで行くと、上記写真のように杉が植えられ、いかにも峠道の雰囲気が漂う場所があったので、これが峠道だと確信し、進んで行った。

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笹又峠

ひどい笹薮の中を5分ほど歩いて行くと、かなり広い平坦地が現れた。峠の雰囲気はないがここが山の鞍部であることは間違いなく、そこだけ不自然に平坦だったから、地面を人工的にならした跡ではないかと思われる。

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笹又峠

平坦地は10m四方はあり、西側の尾根筋は急な斜面だが、東側はなだらかな丘のようになっている。峠と思われる平坦地の北側はかなり急な下り坂となっているが、そこから木本のほうに降りて行く峠道があったと思われる。杉本喜寿著『越前若狭 峠のルーツ』には下笹又から谷筋をこの峠まで登り、そのまままっすぐ木本に降りて行く峠道が記されている。

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木本に降りて行く道

北側の斜面を覗き込んだが、峠道の痕跡は発見できなかった。

 

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若生子坂の峠(裸半兵衛の墓)

時間があったので、帰り道に裸半兵衛の墓に寄ってみたら、そこに思いも掛けず、別の峠があったので驚いた。後で調べたら、その峠は若生子坂の峠だということが解かった。若生子坂は冒頭に書いたとおり、穴馬道のひとつ、若生子越(中路)のルート上にある峠で、大野城下からこの峠を越え、上若生子に降り、更に三坂峠を越え、油坂峠から美濃に抜けていた。

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木本に降りて行く峠道

裸半兵衛の墓の前はかなり深く掘られており、そこから木本のほうに深く掘れた道が降りていっていた。道幅も広く昔はかなり使われた道だったということが解かる。この日は時間がなく、降りて行かなかったが峠道はすぐに薮で歩けなくなっているのではないかと思われる。この峠道は冒頭に紹介した二本松まで続いていたと思われるが、その辺りでは道跡の様なものは確認できたものの、草薮がひどくとても歩ける状態ではなかった。また、上若生子のほうに降りていた峠道は何とか痕跡は発見できたものの、殆ど薮化しており、木本側の峠道より状態は悪そうだった。

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裸半兵衛の墓説明板(拡大

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大野盆地から若生子坂、笹又峠を見る

裸半兵衛の墓の由来については上記左側拡大写真のとおりだが、他の郷土史では、半兵衛さんは竹のこぎりで処刑されたのではなく、この峠の木に首をくくって自殺した後、死体を首だけ出して土の中に埋められ、ここを通る通行人に竹のこぎりで首を引かせたというから更にむごい。

帰り道、大野盆地から今行ってきた峠のほうを写したのが上記右側の写真。はっきりした峠の位置は解からないが、写真の中央に見える山の鞍部が若生子坂峠、その右の鞍部が笹又峠だと思われる。

 

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