日時

目的地

所在地

2012年2月29日

越前吉野古道(5)

永平寺町市野々

 行動日程

林道入口手前(駐車したところ)12:50〜(林道歩き)〜13:30堰堤13:30〜13:40古道と巡視路分岐13:40〜14:05渡渉地点14:10〜14:20古道跡分岐14:20〜14:25引き返し地点14:25〜14:35古道跡分岐14:35〜14:40峠のようなところ14:45〜15:15堰堤15:15〜15:45之越聖観音入口〜15:55之越聖観音16:00〜16:10林道入口手前(駐車したところ)

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献   :

 これまでの古道歩き

越前吉野古道(1)(2)(3)(4)

地理院地図によるルートマップ

Webサービス by Yahoo! JAPAN

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありません。この地図の歩行ルート表示は下から3番目の地図(一部航空地図)から作成したため、歩行ルートと地図にずれが生じる場合があります。地図上の赤線が12月4日に歩いたルートです。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫

 

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越前吉野古道マップ2

(昭和初期の国土地理院2万5000分の1「永平寺」地形図より)

注:この地図はマウスポインターを当てると追加情報が消えます。

≪越前吉野古道について≫福井市篠尾町の郷土史か何かを読んでいたら、昔は篠尾から吉野ヶ岳山塊を越え、大本山永平寺のある志比谷に降りる道があったと書かれてあった。この道は標高500m級の山々を越える、直線距離にして全長5kmにも上る長大な峠道であり、鳥越峠と言う峠もあったそうなので興味を持っていた。昭和初期の国土地理院地形図(上記地図)を見ると、永平寺町市野々から吉野ヶ岳、高田山近くの山の中を通り、福井市篠尾町に至る道が破線で表示されており(赤線でその古道を表示、なお地図上にカーソルを置くと追加情報は消えます)、それがそうなのではないかと思われた。しかし、この年代の地図ですら、吉野ヶ岳近くで破線が途切れているので、かなり昔に使われなくなってしまった峠道のようだ。当サイトではこの古道を近くにある吉野ヶ岳にちなんで、吉野古道と名付けることにした。ただし、吉野古道という名称は奈良県にあるため、越前吉野古道とすることにした。『吉田郡誌』か何かの本に、吉野という地名も奈良県の吉野から来ていると書いてあったから、相応しい名前だ。ただ、この古道が山岳信仰の拠点だった吉野ヶ岳とどれだけ関係があったかは不明。なお、鳥越峠の位置については良く解かっていないが、この古道で一番標高の高い地点(標高約530m、上記地図に赤丸で表示)をその峠があった地点と推定した。

 

昨年の秋から暮れにかけて行ってきた吉野古道歩きの続きをやることにした。前回(2011年12月4日)の山行において途中で引き返した地点から、更に渓流沿いを奥に行き、古道の痕跡がないか調べるつもりだ。

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林道入口の雪山

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林道の様子

平野部では殆ど雪が消えてしまったので、近くの里山ならもう雪解けがかなり進んだろうと出かけて行ったが、その思惑は大はずれ、市野々・切谷集落から山に入って行く林道入口には除雪の際に積み上げられた雪がうずたかく積まれ、行手をはばんでいた。雪の山を越え、林道に入ると、4,50cmの積雪だ。つぼ足ではかなりきつそうなので、最初からワカンを着けての歩行となった。歩き出してすぐに、なにやら山の斜面から降りてくる黒い物体があった。イノシシだ。イノシシは林道を横切り、森の中に消えていった。体長50cmほどの比較的小さなイノシシだった。餌がないので里に下りてくるのだろう。林道を歩いていると、先ほどのイノシシがまた現れた。しばらく私の前の林道を歩いていたが、再度森の中に入っていって見えなくなった。今歩いたイノシシの足跡が雪の上に残っていた。林道は雪が緩んでなかなか距離を稼げない。最近の不摂生が祟ったのか息が切れ、足がつりそうだ。このペースでは前回到達した地点まで2時間掛かるのではないかと思われた。

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林道の様子

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堰堤前の分岐

特に陽の当たるところでは雪が軟らかく、かなり足が沈み込む。それでも40分ほどで堰堤に着いた。堰堤を回りこみ渓流沿い進んで行くと、小さな滝がある(この辺りのルートについては前回の山行をご覧下さい)。

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古道跡

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前回到達点

そこからは左の渓流沿いを歩く、そこには窪んだ道の跡が雪の上からでも良く解かった。山道に入ると雪が締まってきて、歩きやすくなってきた。雪のないときより歩きやすいくらいだ。すぐに前回引き返した地点に到達した。2時間掛かると覚悟していたが、1時間ちょっとでここまで来れたので、この調子なら、この渓流の一番奥まで行くという今日の目標は達成できそうだ。ここまでは渓流の右岸(一般的に川の右岸というのは上流から見て右側のことを差すようなので、それに従う)沿いを歩いてきたが、ここからは山の斜面が迫って歩きづらそうなので、渓流を渡渉し、左岸のほうを歩くことにした。

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渡渉地点

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左岸の様子

ここら辺りでは1mほどの雪があったので、渓流に下りて、対岸に登り返すのに手間が掛かった。対岸に渡ったところでしばらく休憩し、歩き出す。左岸には比較的広い平坦地があり、歩きやすかったが、しばらく行くとまた山の斜面が渓流に迫ってきた。急斜面をトラバース気味に進んで行く。

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掘れた古道跡??

すると、右の谷筋に掘れた道跡のようなものが現れた。しかし、私が目指している古道跡は渓流沿いに続いていたようなので、この道は後回しにし、更に渓流を遡ることにした。

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ここで引き返す

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古道跡を登って行く

渓流が右にカーブするようになると、渓流は益々細くなり、渓流沿いの平坦地は消え、山の斜面が迫ってきた。トラバースして斜面を進んでいったが、進行方向に大きな雪の壁が現れたので、そこで渓流を遡ることを断念した。渓流はまだしばらく続いているようだった。この日も地図を持ってこなかったので、この渓流沿いに古道があったと思い込んでいたが、このページの冒頭にある『越前吉野古道マップ2』を見ても解かるように、古道跡の破線はここで途切れているから、渓流沿いに道はなく、先ほどあった古道跡が本道だった可能性もありそうだ。

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古道跡の様子

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古道跡を登りきったところ

古道跡の分岐まで戻り、古道跡を登って行くことにした。古道跡はかなり広く掘られており、非常に歩きやすい。5分も登っていくと山の鞍部に到達した。そこは峠と言ってもいいところだった。そこから古道が進んでいたと思われる方向には道らしきものはなく、先ほど歩いた渓流の深い谷が行く手をはばんでいた。

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(古道が越えていたと思われる)渓流源頭部

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渓流はかなり深い

渓谷はかなり深く、そこまで降りて登り返す勇気は起きない。ここで引き返すことにした。右の山の斜面が歩きやすそうだったので、道跡がないか少し捜したがそれらしいものは見当たらなかった。ただ、山の鞍部から続いている右の尾根は歩きやすそうで、そこから隆起しているピークまでは難なく行けそうだった。後で調べたところ、そこを登っていけば吉野ヶ岳に行けたようだ。冒頭の昭和初期の地図ではここら辺で道は消えているが、昔は道があったはずで、今登ってきた古道跡が使われていたのではないかと思われる。

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堰堤から対岸の山を写す

帰り道は、堰堤までは雪が硬く締まり歩きやすかったが、林道は、来た時と変わらず、雪が緩く歩きにくかった。ボーッと考え事をしながら歩いていると、ワカンを履いているのを忘れ、別の足のワカンを踏んでしまい、二度ほど転倒してしまった。それでも、1時間ほどで下まで降りてきた。

 

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之越聖観音入口

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之越聖観音に登って行く道

まだ時間があったので、林道入口近くの山肌にある之越(じょうのこし、読み方は確認していないが一応そう呼んでおく)聖観音を見に行くことにした。之越聖観音入口にはトンネルのようなものがあり、その中に林業作業に使う簡易モノレールが置いてあった。

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簡易モノレール

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上にお堂が見えてくる

モノレールと平行して、急斜面に手すりが造られていたので、それに掴まりながら登って行くと、上にお堂が見えてきた。小さな祠があるだけだと思ったが、かなり立派なお堂だ。10分弱でお堂までたどり着く。

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之越聖観音堂(衛照庵)の碑

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之越聖観音堂(大悲殿)

お堂の周りは20m×10mほどの平坦地となっており、お堂だけでなく、墓石や燈篭などがいくつか見られた。お堂横の石碑には之越聖観音堂(衛照庵)と書かれてあった。また、観音堂の額は大悲殿となっていた。大悲殿とは人々の苦しみを救う観音様の大きな慈悲という意味だそうで、転じて観音さまを祀っているお堂のことも差すようになったようである。観音堂の横に小さな建物があり、先ほどのモノレールの終着点となっていたから、このモノレールは観音堂に物資を上げ下げするために造られたようだ。このモノレールは人一人くらいは乗れるようだから、これに乗って上まであがってくるのかもしれない。

これで6回ほど、越前吉野古道歩きをやったことになる。これで大体越前吉野古道跡と思われるルートを歩いたので今回の山行で、古道歩きを一応終了したいと思っている。正確にはまだ歩いていない地点があるので、その内気が向いたらまた足を向けるかもしれない。

 

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