日時

目的地

所在地

2013年9月22日

木地山峠(約660m)

かやの峠(約610m)

百里ヶ岳(931.3m)

根来坂峠(約830m)

小浜市上根来/高島市朽木麻生

小浜市上根来

小浜市上根来/高島市朽木麻生

小浜市上根来/高島市朽木小入谷

 行動日程

登山口駐車場9:35〜9:40木地山峠コース入口9:40〜10:25二股10:25〜10:40尾根に出る(500m地点)10:45〜11:00かやの峠11:00〜11:25木地山峠11:40〜12:40百里ヶ岳13:50〜14:15百里新道分岐14:15〜14:40根来坂峠手前(860m)のピーク14:55〜15:00根来坂峠15:15〜15:30池の地蔵15:35〜15:40林道合流点15:40〜15:50ふたたび鯖街道へ15:55〜16:25鯖街道起点の標識16:25〜16:50登山口駐車場

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献   :

 これまでの山行記録

 

地理院地図によるルートマップ

Webサービス by Yahoo! JAPAN

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので、参考程度にとどめてください。最初は山岳表記に適した地形図が表示されますので、登山口へのアクセスを知りたい場合などは地図表示画面の上部にある地図ボタンをクリックして戴ければ標準地図に切り換わります。また、ラベル(吹き出し)のないマーカー(アイコン)にマウスポインターを合わせると、その地点情報が表示されます。この地図ではアバウトなルートしか解りませんので、詳しいルートは上記の「電子国土によるルートマップ」をご覧ください。なお、地図上の赤線が今回歩いたルートです。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫ 

 

根来坂・百里ヶ岳・木地山峠を周回

鯖街道で有名な根来(ねごり)坂峠をメインに木地山峠・百里ヶ岳を周回してきました。同じ福井県にいながら、鯖街道を歩くのは初めてです。前々から興味を持っていながら、嶺南地方(福井県西部、昔の若狭国にほぼ一致)は私が住む嶺北地方からは遠く、今まで敬遠していました。今回は上根来から木地山峠に登り、福井・滋賀の県境尾根(近江・若狭国境/高島トレイル)を使い、百里ヶ岳へ。更に県境尾根を歩き、根来坂峠に出て、上根来に降りました。殆どの方がこの順で周回していますので、私もそれに倣いました。実際歩いてみた感想ですが、木地山峠に登るコースは変化に富んでいるため、登りに使ったほうが面白そうですし、根来坂の峠道はだらだらとした坂道が長く続き、また林道歩きも少しありますので、下りに使ったほうが良いように思います。

さて鯖街道だが、私はこの名前を聞くと思い出すのが20年も昔に見たテレビ番組。俳優の中本賢さんが鯖街道を行くと言うアウトドア番組で、中本賢さんが薮に埋もれた鯖街道を苦労して歩き、峠越えを果たしたシーンを覚えている。その当時、鯖街道の名前くらいは知っていただろうが、興味を持ったのはこの番組が最初だと思う。今回鯖街道を歩いたのをきっかけに、ちょっとその番組のことを調べてみた。そうしたら、「Let's ドン・キホーテ」という番組に行き当った。1990年10月3日から2003年まで名古屋テレビで制作・放送されていた番組のようだ。その当時私は東京におり、首都圏では放送されていなかったので、この番組の存在を全く知らなかったが、名古屋ではかなり人気のあった番組だったようだ。昨年、久々に復活し、特番が組まれたそうだから人気のほどが解る。福井に帰省したおり見た記憶があるので、調べてみたら、名古屋テレビ以外でも一部放送していたようだが福井のTV局はこの番組を定期放送しておらず、単発で放送したのを偶然、福井に帰省した時に見たのだろうと思う。鯖街道の番組は1994年9月に放送されたようだ。実際にどのルートを歩いたのか確認できなかったが、その番組で「小浜から上中の手前の遠敷(おにゅう)から京都目指して南下している」との情報が載っていたから、今回歩いた根来坂を通るルートを歩かれたのではないかと思う。鯖街道とは、若狭と京を結ぶ街道で、若狭で獲れた鯖が多く運ばれたのでこの名前があり、若狭と京を結ぶ山越え道の全てを指す。今回歩いた根来坂越えのルートは「昭和初期から使われなくなっていたものを近年になって復活した(注1)」と、旧朽木村のホームページに解説されているが、昭和30年代前半までは麓の村と村をつなぐ生活道として使われていたようだ。しかし、他の峠道同様、昭和40年代になるとこの峠道はまったく使われなくなり、薮に埋もれていたものと思われる。その後、平成に入って、登山道として見直され、再整備が始まり、薮が取り払われ、徐々に現在のような素晴らしい道が復活していった(注2)。この根来坂越えの道は近年、『鯖街道ウルトラマラソン』のコースに毎年使用され、今年で18回目を数えるそうだ。このマラソンは小浜から昔の鯖街道を使って京都まで76kmを走りきると言う驚異的なものだが、私はまったく知らなかった。第1回大会が開催された1995(平成7)年の1年前にこの番組が放送されたことになるから、この番組が放送された1994(平成6)年ころはもう鯖街道はある程度脚光を浴びていたと思われるが、この番組で歩いた時は苦労して薮こぎしているから、一部まだ未整備のところがあったのだろう。だから、この番組は鯖街道復活の先駆けとなった番組と言っても良いのかもしれない。今回歩いてみて、その後の登山ブーム、旧い峠道を見直すと言う機運の高まりで、見捨てられていた旧い峠道は見事に復活していた。同じ福井県と言いながら、私の住む嶺北地方の薮に埋もれた旧い峠の現状とは大違い。うらやましい限りだ。

(注1) 根来坂越えの道は小浜と京を最短で結ぶルートであり、古くは鯖街道の主流だったようだが、昭和初期と言う早い段階で廃れて行ったのには、近くに熊川宿を通る街道(若狭街道)があり、そちらのほうが主流になっていたという理由があるからのようだ。鯖街道としての役割は失って行ったものの、その後しばらくは村と村を結ぶ生活道として昭和30年代前半頃までは使われていた。

(注2) 「季節を行く 花の回りに」というウェブサイト内の「暮らし支えた道、途切れず今に」という項参照。

 

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「鯖街道・根来坂」の壁画(@下根来)

国道27号線から上根来の標識に従って東市場の交差点を左折。遠敷川に沿って県道35号線を遡る。お水送りで有名な神宮寺を過ぎ、下根来辺りに来ると、川に倒木が目立ち、民家の裏山に赤茶けたところがある。どうも先日の台風18号の影響で、土砂崩れがあり、民家まで、迫ったようだ。たくさんの重機が復旧工事を行っていた。そこからさらに遡ると、道路ののり面に描かれた壁画が目に飛び込んできた。壁画には「京は遠ても十八里」、「良弁和尚生誕伝承地」との文字があり、隅に『鯖街道・根来坂』と書かれてあった。鯖街道のモニュメントだ。

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お地蔵さん(@壁画のり面)

また、壁画が描かれたのり面の一部に穴が開けられ、お地蔵さんが祀られていた。このようなお地蔵さんは上根来まで登って行く道々にかなりの頻度で並んでいた。鯖街道(針畑越え)の名残だ。峠は、その峠を越えた向こう側の集落の名前で呼ばれるのが普通だから、今から行く根来坂は滋賀県(近江国)側からの呼び名であり、福井県側からは針畑峠と呼ぶのが正しいということになる。しかし、根来坂の名称が一般化しているので、ここでは根来坂の名称を使うことにします。

 

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登山口駐車場(@上根来)

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上根来周辺の登山道地図(拡大

上根来に向かう道路上には細かい落石などがまだ残っていて、少し通行に気を使うところもあったが、大きな支障もなく上根来集落に着いた。集落内を道なりに登って行くと、すぐに登山口が見つかった。そこに、「車は200m行った先に停めてください」と書かれてあったので、登山口の前を通り過ぎ、少し行くと、案内板があり、反対側に路肩が広くなったところがあったので、車はそこに停めさせてもらった。そこには墓地もあった。案内板を見ると、このコースを周回するのに10時間弱掛かると書かれてあった。そんなに時間は掛からないだろうと推測されたが、帰りが遅くなるのは嫌なので少しペースを上げて歩かねばならないと気合を入れた。しかし、実際歩いてみると、この地図の所要時間はかなり余裕をもったものだと言うことが解り、途中からペースを落とした。

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上根来集落の様子

身支度を済ませて、登山口に向かう。その途中で、軽トラックに会ったので、気になった所要時間のことをお聞きすると、それには答えず、先ほどの案内板にあったのと同じ地図を渡されてしまったので、実際の所要時間を聞きそびれてしまった。集落内には無住となった家が目立つが、台風の後片付けをするためか、数人の人をお見かけした。道路際には芝生が植えられていたりして、集落内は明るく小ざっぱりしており、予想していたより広々とした印象を受けた。なお、集落内には登山する人のために山の家なども用意されているそうだ。

 

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百里ヶ岳登山口(木地山峠コース)

登山口の案内板辺りにも芝が植えられ、清潔感が漂っていた。登山口の前に大阪ナンバーが停まっていた。降りて来た時にその車はなくなっていたから、先客だったと思われるが、途中では全く出会わなかった。この日このコースを歩いたのは我々とこの大阪ナンバーの2組だけだったと思われる。標識には百里ヶ岳登山口(木地山峠コース)と書かれてあった。

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神社脇の坂を登る

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標識

民家の脇を通り、坂道を登ると左側に神社があった。神社から少し行った先にはシダ植物が繁茂し、少し歩きにくいところもあったが、草が気になったのはここだけ、後はまったく草はなかった。道が分岐しているところがあり、少し迷いやすいように思えたが、かなりの頻度で標識が立っているので、この辺で迷うことはないだろう。

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沢の上のトラバース道

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沢を渡渉する

杉林に入ると、沢のかなり上のほうにトラバース道が続いていた。かなり急な崖の上に道が付けられているところでは何ヶ所か道が崩れたところがあったから、少し慎重に歩いた。トラバース道はその内、沢に降りて行き、沢伝いの道となる。沢伝いの道は先日の台風の影響か、少し荒れた雰囲気があり、渡渉する地点が解りづらいところが何ヶ所かあった。沢沿いの斜面に無数に歩いた跡があり、その道を辿って行ったら、途中で道がなくなっていた(沢の水量が多い時の迂回路か?)ので、元の場所まで戻ると、対岸に道らしきものがあったので、沢を渡渉すると、登山道の標識が落ちていた。沢伝いの道は何度か渡渉するものの、沢の左岸(左岸とは沢の上流から下流を見て左側の岸を言う)を通る区間は短く、道は殆ど右岸についていた。沢伝いの道は流されてしまうのか標識が少なく、注意が必要だ。

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登山道の標識

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二股

沢伝いの道を行くと、沢が二股になったところが現れた。よく見ると、標識があり、道は右の沢沿いにあることが解った。

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二股にあった登山道標識

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尾根に到達

標識に従って、右側の沢の右岸を歩いて行くと、また途中で道が解らなくなった。対岸に道らしきものが続いていたが、周囲を確認すると、尾根に向かって道が上がって行っており、そこにピンクのテープがあったので、そちらが本道だと判断し、この道を進むことにした。後で調べたところ、昔はこの沢筋に道があったようだから、左岸にあった道は昔の峠道の跡のようだ。何度か折り返して登って行くと、尾根に到達。ここからは尾根筋を登って行くようになった。尾根に取り付いたところで、歩きだしてから1時間ほど経ったので、休憩することにした。腰を降ろし、周囲を見廻していると、変なことに気付いた。見渡す限り、下草がないのだ。暗い杉林の中ならともかく、この辺りは陽光差し込む雑木林だ。それなのに全く草が生えていない。どこでも歩けそうだ。この後歩いたところも、みんなそうだった。色々考えてみたが、ひょっとして鹿害かもしれない。鹿が草を根こそぎ食べてしまったのではないだろうか、と推測したが如何なものだろう。。。ちょっと調べてみたところ、やはり増えすぎた鹿が木々の若芽や森の下草を片っ端から食べ尽くし、表土が流出する被害が出ているところがあるそうだ。

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尾根上に付けられた掘れた古道

しばらく休憩し、歩きだすと尾根上にかなり深く掘れた道がつづら折りに続いている。現在の国土地理院の地形図を見ると先ほどの二股から次のかやの峠まで沢沿いに道が描かれているから、一昔前はその道が使われていたようだが、この尾根道が使われていた時代もあったのだろう。

 

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かやの峠

尾根道を上がって行くと、稜線に出た。そこに標識があり、先ほどもらった地図を見たら、かやの峠となっていた。地図を貰わなかったら、見過ごしていただろう。ここを左折し、尾根筋を少し歩いたとこから道は右の谷に降りて行くようになった。その地図では尾根筋にも道があり、その分岐点にかやの峠の表示があったが、峠らしくないので、稜線に取り付いたところを峠とし、写真に収めた。

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木地山峠直下から峠がある稜線を見上げる

ひとつの谷をトラバースして通り過ぎ、次の谷筋にやってくると、道はその谷筋を直線的に登って行くようになった。その谷筋の上には如何にも峠がありそうな稜線が見えたので、このまま直線的に登って行くのかと思ったら、途中から道は左に曲がり、枝尾根に上がって行くようになった。枝尾根に到達すると、方向を変え先ほど見えた稜線のほうに向きだした。稜線の一段下に立派なトラバース道が出来ていた。そこを登って行くと、木地山峠が見えてきた。

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木地山峠直前のトラバース道

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同左

私が歩いている福井県嶺北地方や石川県南部の峠だと、峠直下の道は直線的に登って行くか、小刻みなジグザグ道でまっすぐ峠に向かい、峠は必ずと言っていいほど稜線を削り、切通しで越えるようになっている(これも峠道の傾斜を緩くするためだと思う)。しかし、ここの峠は道の傾斜をなるべく緩くするため、峠を斜めに横断するように付けられている。この後行った根来坂も同じような形状をしていたので、地方によって峠の形状が違ってくるのかもしれない。。。と言うか稜線を削って切通しで越える峠は特殊なのかもしれない。特に、関東の山々の峠でも鎌倉の切通し以外、切通しで越える峠はなかったような気がする。しかし、その頃は峠を意識して歩いたわけではないので、今後の研究が必要だ。

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木地山峠

上記写真の通り、峠は平坦で、殆ど掘られていない(人跡でいくらか削られているが人工的には掘られていない)。峠には石垣が積まれ、一段高くなったところに祠に入ったお地蔵さんが鎮座していた。木地山峠の滋賀県側には木地山と言う地名があり、木地師(轆轤を用いてお椀やお盆などの木工品を作る職人)の村として有名だったそうだから、そこから名前が付いたようだ。この峠は彼らが多く使った峠だと思われるので、特に京に物資(主に鯖を運んだので鯖街道の名称が付いた)を運ぶために使われたと言う要素は少なく、鯖街道上の峠ではないと思っていたが、鯖街道熊川宿のHPではこの峠も鯖街道に含めている。なお、この峠が越えている稜線には登山道があり、高島トレイルと呼ばれ、関西方面のハイカーの人気のコースとなっている。

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朽木麻生(木地山)に降りて行く峠道

近江(滋賀県)側にもしっかりした峠道が降りていた。ここを降りて行けば木地山と言う村に至る。今の地図を見ると麓の集落は木地山ではなく朽木麻生となっている。

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今登って来た峠道

今登って来た福井県側の峠道はかなり幅が広く、緩やかに登って来ている。この峠でゆっくり休もうと思ったが蜂がうるさく付きまとうので、場所を変えて休憩したが、そこにも蜂がしつこくやって来たので、休憩もそこそこにやむなく腰を上げることにした。

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木地山峠道が近江側に降りていく谷筋(@県境尾根)

峠では展望がなかったが、百里ヶ岳に向かって尾根道を少し歩くと、展望が開けたので写真に収めた。上記写真の中央に写っている谷を下って行けば木地山(朽木麻生)に降りて行けるようだ。

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県境尾根(高島トレイル)

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百里ヶ岳手前のブナ林

この県境(江若国境)尾根は快適そのもの、ここにも下草が全くないので尾根のどこでも歩けるが、逆に人跡は薄く、どこが正規の道なのか解りづらい。歩きやすいところを探しながら歩かねばならないので、少々疲れる。最初は滋賀県側が杉林、福井県側が雑木林だったが、その内両方とも杉林の中の道となり、百里ヶ岳山頂が近づくと見事なブナ林となった。しかし、山頂直下はまた雑木林となった。

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百里ヶ岳山頂に飛び出す

雑木林を抜けると、木が伐採された頂上広場に飛び出した。今歩いてきた尾根道は距離が長く、いくらかアップダウンがあるものの、急な上り下りはないので、それほど体力を使うことなく、山頂に到着した。

 

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百里ヶ岳山頂

ここは人気の山で、週末になれば関西方面からの登山者で賑わうそうだが、この日は日曜だと言うのに人っ子ひとりいない。どうも滋賀県側の道路が先日の台風18号の影響で、通行止めになっているため、関西方面からのアクセスが出来なかったからのようだ。

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琵琶湖方面の眺め(@百里ヶ岳山頂)

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一等三角点

頂上広場は周囲の木々が刈り払われており、展望があるのだが、この日は雲が多く、展望はいまいちだった。ここには福井県嶺南地方には三つしかない一等三角点のひとつがある。(三角点情報) 点名:木地山、標高:931.31m、所在地:小浜市大字上根来字大谷18番地。点名が木地山となっているがこの山がそう呼ばれているのではなく、麓の木地山村の名前を取って、そう命名したのだろうと思う。山頂は貸切状態、のんびりお湯を沸かしてラーメンをすすり、コーヒーを飲み、1時間以上居て、下山に掛かった。

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琵琶湖方面の眺め(@県境尾根)

山頂の展望はいまいちだったが、百里ヶ岳から根来峠に向かって15分ほど歩いたところに展望のよいところがあり、ちょうど空も明るくなったので写真を撮った。この辺りの山を歩くのは初めてだが、右奥に写っているのは武奈ヶ岳か。方向的には琵琶湖のほうなので、琵琶湖が見えるのかなと思ったが、天気が良くても見えないようだ。

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県道小入谷峠(百里新道)分岐

そこからしばらく行くと、滋賀方面に降りて行く分岐があり、標識には「県道・小入谷峠3.6km」と書かれてあった。後で調べたら、ここを降りる道は百里新道と言う登山道で、朽木小入谷まで、降りられるそうだ。根来坂峠に着く前に1時間が過ぎたので、峠手前のピーク(P860m)で一休みすることにした。しかし、そこから峠までは一息だった。

 

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根来坂峠

根来坂峠は、ぶな混じりの雑木林から陽光がこぼれる、気持のよい峠だ。先ほども書いたようにこの峠も稜線はえぐれていない。穏やかな静かな印象を与えるのはそのせいかもしれない。嶺北地方に多く見られる稜線を大きくえぐった峠は嶺南地方の峠に比べると如何にも無骨な感じを与える。

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根来坂峠

ここには多くの標識に交じって、お地蔵さんが鎮座し、その後ろに石碑があった。

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大乗妙典一石一字搭

その石碑には「大乗妙典一石一字搭」と大書され、横に寛政九年七月、徳○○節信士。裏には「針畑住 俗小林彦太夫 八十而敬写」と書かれてある。寛政九年は西暦1797年、一石一字搭とはお経の一字を書いた石を奉納することが功徳があると信じられており、それを記念して建てられた石碑と言うことになるようだ。大乗妙典とは南妙法蓮華経のことだが大乗仏教全体で読まれている経典だから、特に日蓮宗に限定されないとのこと。表に法名が刻まれ、裏に俗名が刻まれているからここに書かれた方が亡くなられた時に遺族の方が供養のためにここに石碑を建てたのだろうか。針畑はこの峠の別名ともなっており、滋賀県側に降りたところにあった村。

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一石一字搭から見た根来坂峠

この峠は若狭の鯖が京に運ばれただけでなく、戦国時代、織田信長が金ヶ崎の戦いで浅井長政の挟み撃ちに遭った際、退散する織田軍および殿(しんがり)を務めた豊臣秀吉や徳川家康が、この峠を越えて京に逃げ帰ったことで知られている。

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上根来に降りて行く峠道(鯖街道)

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同左

一石一字搭の裏から尾根道(高島トレイル)が続いている(この尾根道を進めば林道上の峠であるおにゅう峠に至る)が、これとは別に福井県側にかなり広い峠道が降りている。これが上根来に降りて行く鯖街道だ。逆のほうにもよく歩かれた立派な道が降りていた。福井県側の道は少し崩れているが、昔は1間(約1.8m)幅はあったように思われる。また、山肌を緩やかに降りており、歩きやすい。

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上根来に降りて行く峠道(鯖街道)

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林道が見えてくる(上の鯖街道入口)

しばらく降りて行くと、掘れた道となった。そこからすぐに林道が見えてきた。林道上根来線だ。林道のほうから鯖街道に取り付けるようになっている。

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二本の道が交差する鯖街道

そこからまた少し行くと、更に深く掘られた古道が顔を現した。掘れた道の脇にも踏み跡があり、ここでは新旧二本の道が並行して走っていた。

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深く掘れた鯖街道の様子

掘りはかなり深く、幻の北陸道と言われる菅谷峠を越す古道に匹敵する。そんな道が永遠と続いている感じだ。

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林道に合流(下の鯖街道入口)

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同左(下の鯖街道入口)

その道も、下に林道が見えてくると終わりとなった。標識は林道に降りて行くようになっていたが、まっすぐに行った尾根筋にも踏み跡があったので、てっきりそちらのほうが昔の鯖街道かと思ったが、実際はそうではなかった。そのことは後で解説する。その尾根筋を歩こうかとも思ったが、時間に余裕がなかったので、林道に降りることにした。降りたところにはたくさんの鯖街道の標識があった。ここからはしばらく林道歩きとなる。林道は落石が多く、かなり荒れていた。

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林道から畜産団地跡を望む

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林道から再度鯖街道へ

林道を1kmほど歩くと、また鯖街道の標識があった。そこからはこれから降りて行く畜産団地跡の建物が見えていた。

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通行止と書かれた尾根道

さて、鯖街道に降りて行く入口とは逆の林道のり面を見ると、取り付き道が尾根のほうに上がって行っており、その前に「通行止」と書かれた標識があったので、その道を少し上がり、覗いてみることにした。

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尾根道を覗き込んだところ

するとそこには立派な道が続いていた。先ほどの尾根筋を降りて来ればここに到達するはずなので、やはりここに昔の鯖街道があったのだと思ったが、帰って古い地図を見てみたら、鯖街道はこの尾根筋を通っておらず、林道と同じようなところを通っている。それで色々調べてみたら、小浜山の会さんのHPに行き着いた。そこにはちゃんと、「昔は林道の一段下に昔の鯖街道があり、そちらを歩いたが、今は歩けなくなっている」と書かれてあった。昔はこの鯖街道入口から一段下がったところから峠に向かって道があったようだが、今回歩いた限りでは、その道の入口には気付かなかった。林道を歩いていた時に、下に道のような平坦なところが見えたがあれが鯖街道だったようだ。無理して尾根筋を進まなかったのは正解だった。

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広い尾根上に無数に走る掘れた道跡

そこから再度鯖街道に入ったが、そこにも掘れた立派な道が続いており、昔は多くの人が行き交った街道であることが感じ取れた。

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いく筋にも分かれた鯖街道

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植林地内の鯖街道の様子

杉の植林地に入ると、道幅が狭くなり、普通の登山道のようになったが、これは旧い鯖街道の跡が植林作業で消されてしまったからだろうと思う。

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鯖街道脇の古木

そのような道の脇にも、歴史を感じさせる古木が生えていた。木の種類は解らないが、樹齢は相当のものだと思われた。長年に渡って多くの旅人を見守ってきたに違いない。

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林道に合流(鯖街道起点)

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林道に合流(鯖街道起点)

古木のところからまもなくで、林道に降り立った。ここが鯖街道の起点であり、様々な案内板が林立していた。

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異彩を放つ鯖型の標識

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畜産団地跡

鯖をかたどった標識が秀逸だったので、写真に収めた。そこから林道を歩くと、先ほど見えていた畜産団地が現れた。今は使われていないようで畜産団地跡となっている。その建物の前の林道にはバリケードがあり、通行止となっていた。車はここからは入れないようだ。

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畜産団地跡の近くにあったお地蔵さん

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同左

その辺りにもお地蔵さんが鎮座していた。そのひとつはまだ新しいものに見えた。そこからすぐで、車を置いた場所に戻って来た。どれだけ時間が掛かるかと思ったが、5時前に山を降りられたので、7時間半ほどで周回してきたことになる。途中、かなり休憩を取ったので、実際歩いたのは5時間ちょっとだと思う。今日は若狭地方の峠を堪能することが出来た。このサイトでは、福井の峠ランキングをやっているが、当然この峠は一位にランクされることになるだろう。

 

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