日時

目的地

所在地

2014年11月23日

厨城山(535.7m)

別司峠(345m)

越前町厨

越前町厨/道口

 行動日程

林道越前西部2号線登山口(駐車場)10:45〜10:50車道に合流10:50〜10:55車道終点(駐車場有)10:55〜11:00厨城山山頂11:10〜11:15車道終点(駐車場有)11:15〜(車道歩き)〜11:25林道越前西部2号線登山口(駐車場)

 参考資料

Web情報:国土地理院/基準点成果等閲覧サービス(三角点情報)

文献  :金沢大学学術情報リポジトリ越前陶芸村のHP

 これまでの山行記録

 

地理院地図によるルートマップ

Webサービス by Yahoo! JAPAN

注:この地図はおおよそのルートをトレースしたもので、正確ではありませんので、参考程度にとどめてください。最初は山岳表記に適した地形図が表示されますので、登山口へのアクセスを知りたい場合などは地図表示画面の上部にある地図ボタンをクリックして戴ければ標準地図に切り換わります。また、ラベル(吹き出し)のないマーカー(アイコン)にマウスポインターを合わせると、その地点情報が表示されます。この地図ではアバウトなルートしか解りませんので、詳しいルートは上記の「地理院地図によるルートマップ」をご覧ください。なお、地図上の赤線が今回歩いたルートです。青線は林道越前西部2号線のルートを表示しています。

≪注:赤枠で囲った写真にマウスポインターを当てると、ルート表示や説明が現れます。≫

越前海岸の鷹巣で一泊する機会があり、この日も時間があったので山に登ることにした。山に登ると言っても、何の準備もしてきてないので、簡単に登れる山にした。鷹巣の近くでまだ登っていない山といえば厨城山(くりやじょうざん)だ。この山の近くまで舗装林道が伸びており、登り口から頂上まで10分ほどで行ってしまえる。厨城山はその名が示すとおり、山頂を中心に南北朝時代に城が造られた。地図には城山とだけしか記されていないが、県内にはたくさんの城山があり、他と区別するために、厨(栗屋)城山と呼ばれることが多い。国見岳、越知山、六所山、若須岳などが連なる丹生山地の一郭にある。この山はどこから見ても端正な円錐形をしており、独立峰だと思っていたが、今回行ってみたら二つのピークを持つ双耳峰だと解った。

林道越前西部2号線の案内図(写真拡大

別司峠のお地蔵さん

越前海岸沿いの国道305号線を走り、梅浦で左折。山中トンネルのところから、林道越前西部2号線に入る。林道に入ってすぐのところに、上記左側写真の案内板があった。林道越前西部2号線を10分ほど走ると右手に二体のお地蔵さんがあったので、車から降りてみる。

P5100066.jpg

別司峠全景

今日は何の下調べもしていなかったが、ここに別司峠と言う峠があったのを思い出した。林道越前西部2号線の工事で山が削られ、どのような峠だったのかもう解らないが、しっかり昔の峠道(下記の写真参照)が残っていた。日本海側の越前町道口と越前町(旧織田町)平等を結ぶ峠だった。昔の峠道とは別に、この峠に向かって両側から舗装林道が上がってきていた。また、峠下には別司トンネル(2006年完成)が貫通しており、この峠を通る必要はなくなっている。

越前町道口に降りて行く旧峠道

内陸部の旧織田町側に下りていく峠道は解らなかったが、日本海(道口)側に降りて行く峠道はよく残っていた。この峠はそれほど通行量が多くなかったようで道は狭いが、かなり深く掘れた道がくっきり残されていた。この峠道は越前町(旧織田町)平等で作られた越前焼を越前町道口に運ぶために使われたそうである。道口浦に運ばれた越前焼きは北前舟の帰り荷として、日本海側の島根から北海道まで運ばれた(金沢大学学術情報リポジトリより)。この峠は、重い壷や甕、擂鉢を担いで往来した生活道だったのである。越前焼の歴史は古く、平安時代末期末期まで遡る。最初に窯が築かれたのは、現在「越前陶芸村」のある越前町(旧宮崎村)小曽原だと言われているが、越前町(旧宮崎村)熊谷や越前町平等などの丘陵地にも窯が築かれるようになった。その後、窯は越前町平等一ヶ所に集められ、大生産地が作り上げられた。室町時代後期に最盛期を迎えたが、江戸時代中期になると瀬戸焼などに押されて次第に衰退し、平等村の人々が農作業の副業として、細々と焼き物作りを続けるくらいにまで縮小していたが、戦後になって、日本六古窯に数えられるようになり、また越前陶芸村の建設によって、再び脚光を浴びることとなった(越前陶芸村のHPより)。

双耳峰の厨城山

別司峠から少し走ると、林道から厨城山が見えてきた。左側のピークが本峰で、右のピークには三等三角点(標高:512.7m、点名:小城山)がある。 

P5100066.jpg

厨城山登り口

別司峠からまもなくで目的の厨城山の登り口に着いた。地形図を見ると今でも越前町厨からこの場所まで道が描かれている(今も歩けるかどうかは解らないが)。反対側の内陸部(越前町熊谷)側には道が描かれていないがそちら側にも道があり、ここは峠だったと思われる。先ほどの金沢大学学術情報リポジトリの資料には厨峠と言う記述があり、ここがそうだったと思われる。熊谷で生産された越前焼がこの峠を通って、厨浦まで運ばれていたようだ。厨城山の頂上には愛染明王が祀られており、この峠道を利用する(特に厨浦の)人々の信仰の対象となっていたのだろう。

登り口の駐車場

越前自然歩道の標識

大きな駐車場があったので、ここに車を止めて歩き出したが、鳥居の左側の車道を入っていけば、車で山頂直下まで行けたのだった。

山の神石祠

簡易舗装された登山道

鳥居をくぐり階段を上っていくと、普通の登山道となったが、下をよく見ると簡易舗装してある。越前自然歩道を歩いていると、ところどころにこの様な舗装跡が残っている。コンクリートに土を混ぜて舗装してあるから色が茶色い。ここも越前自然歩道のコースだったのだ。越前自然歩道は鷹巣が始点のコースと県営運動公園が始点のコースがあったがその二つのコースは大芝山辺りで合流し、南下。金比羅山、越知山、六所山を通って越前岬灯台まで続いていたことは解っているが、そこから厨城山まで続いていたのかどうかは解っていない。ただ、厨城山から若須岳に至る尾根筋に越前自然歩道のコースがあったことは解っている。鳥居のところにもしっかり、越前自然歩道と書かれた標識があった。

登山道には階段が

車道に合流する

遊歩道(越前自然歩道)のコース上には石の階段が設けられていた。遊歩道はすぐに車道に合流する。合流する手前に三角点のあるピーク(小城)に登って行く道があったのだが、そこには寄らなかった。

しばらく車道歩き

車道終点(案内板拡大)

そこからしばらくは車道歩きとなる。道の上には落ち葉がたくさん積もっていた。車道を3分も歩くと、終点となり、広い駐車場があった。ここから歩けば、山頂まですぐだ。

車道終点の鳥居

厨城山山頂

ここにも愛染明王と書かれた鳥居があった。階段混じりの参道を上がっていくと、本堂がある頂上に着いた。それほど広くない頂上には所狭しと建物が建っていた。

愛染明王社

祀られていた愛染明王

山頂には立派なお堂があり、愛染明王と書かれてあった。愛染明王は仏教の仏様だが、鳥居があり、本堂も一見神社のようだ。神仏習合の最たるものと言えよう。愛染明王は煩悩多き人間をそのまま受け入れ、解脱させる仏様だが、農林漁業の仏様としても尊崇されているようだ。本堂の横に鐘撞堂があったので、二声撞かせてもらった。

山頂から織田方面を望む

山頂からは織田の街並みから、遠く福井平野、更に日本海が見渡せたが、木々が繁茂し、あまり見通しは利かなかった。

城山公園

古い東屋に登って行く道

帰りは車道を歩いて登山口に戻った。車道のほうが少し時間が掛かるようだ。車に戻り、越前西部2号線を更に南下すると、すぐに城山公園があった。

越前自然歩道跡か?

道を挟んで反対側に古い東屋があった。東屋の横を通り、細い道が続いていたが、これも越前自然歩道の跡だと思われる。なお、ここにはバイオトイレや展望台もあり、越前西部2号線は良い観光スポットだと思われるのだが、この日は天気の良い日曜日だと言うのに全く人に会わなかった。これだけ整備したのだから、もっと使ってもらいたいものだ。


厨城山(城山公園より)

城山公園と言うだけあって、厨城山の両峰がよく見えた。

越前(小樟・大樟)漁港(越前西部2号線より)

公園からも日本海が見えたが、少し行った先の林道からの日本海の展望がよく、越前漁港(小樟・大樟漁港)がよく見えた。

峠のお地蔵さん

峠道が越えていたと思われる尾根筋

林道を更に進んでいくと、そこにもお地蔵さんがあった。後で調べてみると、ここにも峠があったようだ。林道から下を覗き込んでみたが、両斜面はかなり急で、道らしいものは確認できなかった。なお、越前西部2号線と並行する尾根筋に越前自然歩道が続いていたと思われるが、痕跡は見当たらなかった。

若須岳登山口

若須岳登山口(正規)

更に走っていくと、若須岳と書かれた標識が現れた。越前西部2号線から若須岳に登って行く登り口だ。同じような登り口がもう一ヶ所あった。しかし、若須岳の正規の登山道は少し行った先で、そこには立派な木の案内板があり、麓からここまで登ってくる登山道も整備されている。この登山道も越前自然歩道の一部だった。

越前西部2号線沿いには厨城山・若須岳があるだけでなく、昔はいくつかの峠道がこの林道上の尾根を越えており、興味が尽きない。機会があったら又来よう。

 

Back ホームへ