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| 草津温泉の白根神社祭には、毎年お邪魔して神輿を担ぐことが慣例化しつつある。梅雨が明けるかどうかの境界で毎年大雨や雷雨に見舞われる。大きな旅館が惜しげもなくアルコ−ルを提供するのと湯畑の周りの坂道を喘ぎながら担ぐのが面白い。 そして、今年は、せっかくだからと信州の温泉に寄ることとした。湯田中と別所温泉、鹿教湯温泉を候補に上げたところ、別所温泉で祭りがあるという。それも歴史のある幟の祭りだという。 これは面白そうだと、さっそくインタ−ネットで旅館を探す。 温泉や部屋はインタ−ネットの画面ほどの雰囲気はなかったが、料理は美味しかった。 驚いたのは、信州の鎌倉というだけあってお寺が多く、由緒もあり、四国八十八箇所のお寺を凌ぐ大伽藍に圧倒された。首都圏に近く観光客でごった返す鎌倉よりよっぽど見どころにも溢れている。 我々が訪れたのは、北向観音、安楽寺、常楽寺と前山寺だが、これ以外にも多くの寺院が我々を待っている。 |
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| 上田市の西部・塩田平を囲む山なみの中に別所は温泉あった。古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たアルカリ性の単純硫黄温泉である。「国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所で温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となり、鎌倉時代には北条氏の居館塩田城にも近いので北条一族が好んで来湯することも多かったと想像される。国宝八角三重塔のある名刹安楽禅寺は北条氏の開基によるところから、別所という地名は北条氏の別荘の意であるとも言われている。江戸藩政時代には、温泉は上田藩主所有の時もあった。数ケ所の湧出口のうち、石湯・大師湯・大湯など、昔から由緒のある名湯は共同浴場として今も土地の人々に親しまれている。」と観光協会のパンフレットにある。 古寺めぐりの観光バスもあり、上田からはロ−カル電車もあるので交通も至便。草津からは、鳥居峠を越えて2時間位で到着できた。折りから幡祭りの最中で交通規制がされていたが、夫婦岳に続く坂道は両側に温泉宿が立ち、北向観音の門前町の風情も持っている。北向観音の近くにある温泉公園では、新たに足湯が作られこの祭りにオ−プンすることになっていた。上の写真は、お湯を地蔵さんに掛けると美人になるというので多くの人が掛けていた。この温泉は、アルカリ性なので痛風に効くらしい。がぶ飲みしてみたが矢張り即効はない。右の写真は、相染閣の隣りにあった地蔵堂。 |
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| 続いて訪れた北向観音。別所温泉の中心に威容を誇っている。参道の商店街も整い、参拝客の多いことを物語っている。寺の由緒書きによると、常楽寺が本坊となっているとのことなので常楽寺の凄さが想像できる。「未来往生」を説く長野の善光寺が南向きであり、この千手観音を安置した「現世離厄」の北向観音との両方にお参りすることで幸せを掴むことができるという信仰から信者の参詣を集めているようだ。私も善光寺にはお参りしたことがあるのでこれで、現在と未来が約束されたことになる。別所温泉を選んだ甲斐があったいうものだ。 |
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| 北向観音から歩いて10分もしない所に安楽寺はあった。池には真っ白な蓮が花を咲かせ、上田市の整備した歩道なども完備している。80段位の整備された石段は、杉の木立に囲まれ、深山の趣き。石段を上がると大伽藍が出現する。慈覚大師の開創と伝えられ、再興の樵谷禅師などの木造が残り重要文化財に指定されている。ゆっくりと休んで、背後の山腹にある三重搭をめざす。この搭が重々しい。それもそのはず日本に現存する唯一の八角搭で、国宝に指定されているという。 |
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| 安楽寺から山沿いの整備された遊歩道を5分も歩くと常楽寺に着く。別所神社も近いので、祭りの雰囲気が残り、お囃子も聞こえてくる。さすがに天台宗の別格本山のらしく茅葺の本堂は周りの森に囲まれて雰囲気がある。住職は、私が関係している長野県高齢協の呼び掛け人の一人で、平和の問題でも活躍している。しかし、この暑さでは長居は無用と、さっそく境内にある休み処に急行。涼しげな生け花を愛でながら、冷たいお茶と羊羹をほおばる。どうも信仰心の方は相変わらず薄いようだ。 |
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![]() 翌日は東京に帰るだけ、「それならのんびりしよう」と無言館をめざす。電話番号が分からないので、カ−ナビは使わずに丸子町に向けて走っていると、前山寺と無言館の標識が現れた。その標識も時々消えるのだが、何とか前山寺にたどり着いた。この寺がまた大きい。高台にあるので、武家屋敷を思わせる石垣と白い塀が続く。弘法大師が開き修行もしたことがあるというから当初は真言宗だったのだろうが、現在は曹洞宗で塩田平きっての古刹。鎌倉時代北条氏の祈願寺で、その後、武田勝頼が寺領を寄進、その朱印状が残ってる。三重ノ搭は、室町時代に建てられたと言われる国の重要文化財で、2層の窓や扉、欄干がついていない未完成の搭。これは、鎌倉の一大事に駆けつけた塩田家が、そのまま帰らなかったからだという。歴史に翻弄された三重ノ搭は、そのことを含め見る人の心をひきつけている。 |
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| 最後にたどり着いた無言館。太平洋戦争で若い命を散らした画学生の遺品作を集め、戦争の悲惨さを告発する美術館で、前から是非行きたいと思っていた所。前山寺の美術館の分館という位置付けのようだが、最近ではこちらの方が訪れる人も多いのではないだろうか。それだけ重いテ−マを持っているといっても良い。 特に印象に残ったのは、数枚の夫人の裸婦像。必ず帰ってくるという気持が伝わるだけに痛ましい。 隣りの写真は、安楽寺に行く途中で見つけた「山宣」の記念碑。山本宣治は、労農党の代議士で治安維持法に一人で反対し、右翼に虐殺された。それは、後に共産党の代議士となった高倉テルの招きで農民組合結成式で講演を行った数日後のこと。その集会には1000人の聴衆が集まり、山宣の話を聞いた。暗殺に抗議するために記念碑が作られたが、時の政府はこれを壊すように命じた。しかし、篤志家が庭に埋めて隠し記念碑を守った。戦後、多くの人達の努力でこの記念碑が甦ったのだという。庶民の力強さを感じる記念碑である。 |
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