
林田力『東急不動産だまし売り裁判』新聞 漫画・コミック
『機動戦士ガンダム
THE ORIGIN第17巻』安彦良和著
のだめカンタービレ 二ノ宮知子 クラシック
◇読者レビュー◇ 失意の主人公に感情移入
本書はヤング女性コミック誌「Kiss」で連載中のクラシック音楽に取り組む若者達を描いたマンガの単行本である。2006年には上野樹里と玉木宏の主演でテレビドラマ化され、一大ブームとなった。
連載当初は変人とも言うべき個性溢れる音大生によるコメディ色の強い作品であった。しかし主人公の野田恵(通称・のだめ)と千秋真一がパリ留学したパリ編以降、シリアスな要素が強まっている。のだめも千秋も音楽家として実力をつけていく成長の軌跡が描かれている。
この巻では、のだめと千秋、そして米国育ちの中国人ピアニスト・孫Ruiの3人が中心となる。孫Ruiは千秋との共演によって自分の中の壁を克服することができた。一方、のだめはRuiの演奏に自分が千秋と目指そうとした以上の出来栄えを感じてしまい、向上心を失ってしまう。
Ruiの演奏が素晴らしいならば、もっと努力して、さらに素晴らしいものを目指せばいいというのは正論である。実際、千秋は、のだめならば、もっと素晴らしいものができると考えている。Ruiも、のだめが自分にはないものを持っていると認めている。しかし、のだめは周りの人の才能が大きく見え、自分に自信が持てない。プツッと糸が切れてしまった状態を巧みに描写している。
千秋のように自分の才能に自信を持ち、常に向上しようとする人からすれば、作中の台詞にあるように、のだめの言動は逃げでしかない。しかし、それは強者の発想である。相手の気持ちを考えようとせず、ひたすら頑張ることだけを期待する。前時代的な特殊日本的精神論を髣髴とさせる対応であり、すれ違いが生じるのも当然である。
フィクション作品では主人公が活躍しなければ話にならないため、主人公は才能のある人物になりがちである。いかに作品中に厳しい修練を重ねた描写があったとしても、普通の人とは異なるキャパシティがあると感じてしまう。
本作品における、のだめも潜在的な才能が眠っているキャラクターとして描かれている。しかし、この巻では才能を開花させている他人に圧倒され、挫折感を味わう。それも自分をスポイルさせるような墜ち方をする。この点にリアリティがあり、強く感情移入できる。
失意の、のだめの前に懐かしい存在が現れ、新しい展開を期待させる終わり方となっている。作品中ではオペラ『ファウスト』においてファウスト博士が悪魔メフィストフェレスと契約するシーンが重なっている。これまで千秋ばかりを見てきた、のだめにとって大きな転換点であり、今後の展開に注目したい。
講談社
2008年8月11日発行
定価420円(税込)
184頁
鋼の錬金術師 荒川弘 ハガレン
◇読者レビュー◇ 脇役の活躍が光る作品
本書は『月刊少年ガンガン』で連載中のマンガの単行本である。「ハガレン」の略称で親しまれている。2003年にテレビアニメ化されて人気となり、2005年には映画『シャンバラを征く者』が公開された。アニメ新シリーズの制作も決定された作品である。
『鋼の錬金術師』は錬金術が使える架空の世界を舞台にした物語である。エドワードとアルフォンスのエルリック兄弟は病気で亡くした母を錬金術で蘇らせようとして失敗。エドワードは左足と右腕を失い、身体を失ったアルフォンスは魂を鎧に定着させることで生き延びた。身体を取り戻すために旅に出た兄弟は、軍部の陰謀に直面することになる。
直近の巻では過去の回想がメインとなり、ストーリーの進展が乏しかったが、この巻で動き出した。20巻は冒頭でホムンクルス(人造人間)が襲撃してくる。これまで圧倒的な強敵として描かれてきたホムンクルスであったが、ここでは錬金術師側が優勢である。知恵と団結でホムンクルスに対抗する。
しかもホムンクルスに脅迫された被害者としての印象が強かったティム・マルコーが活躍している。主要登場人物に助けられ、救われるだけの存在と思っていたが、この戦いではかっこよく描かれている。この巻では、他にも軍部の実験でキメラ(合成獣)とされた後、主人公側に寝返った軍人が活躍する。彼らは、登場時は敵役であって、やられ役であった。正直なところ、これほど活躍することになるとは想像できなかった。
物語として描く場合、主人公や主要な仲間達ばかりが活躍する傾向になりやすい。また、読者層を考えれば少年少女が活躍しなければ支持を得にくい。いきおい強大な敵勢力にアウトロー的な主人公一行が孤軍奮闘する展開となりがちである。
これに対し、本作品の魅力は脇役の活躍が光っている。これがストーリー展開にリアリティを持たせ、作品の奥行きを深めている。この巻はホムンクルスとの最終決戦が近付いていることを示唆して終わる。
軍部内でもホムンクルスに対抗するグループが慎重に連携して決戦に備えている。この巻の戦いでは綿密な準備によってホムンクルスに勝利できることが示された。最終決戦でも人間側がホムンクルスを出し抜くことができるのか。今後の展開が楽しみである。
スクウェア・エニックス
2008年8月22日発売
価格420円(税込)
本書(藤原カムイ『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章 紋章を継ぐ者達へ 第7巻』スクウェア・エニックス、2008年8月25日発売)は「ヤングガンガン」に連載中のマンガの単行本である。大人気RPGゲーム「ドラゴンクエスト」の世界を描いたマンガである。
本作品の舞台は同じ作者の『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』から20年後の世界である。主人公のアロスは前作で活躍した勇者アランとアステアの息子である。主人公の仲間になるリーは剣王キラと拳王ヤオの息子である。その意味で本作品は「キン肉マンII世」や「暁!男塾」などと同様、二世マンガの一種である。
しかし、本作品は前作ともドラゴンクエストの世界観からも異なる雰囲気を出している。ドラゴンクエストは人間の勇者が、人間を滅ぼそうとする魔王と戦う物語である。人間と魔王の率いるモンスターは対立関係にある。しかし、本作品では魔王に相当する存在は未だ現れていない。しかも、人間の盗賊団が人間の村を襲うなど人間同士が争っている。アロス自身、盗賊団で育っている。善対悪という単純な構図は見えない。
また、本作品ではドラゴンクエストの世界の重要な要素であった呪文が使えなくなった設定になっている。このため、戦闘シーンには華が欠ける。
加えてアロスは感情を表に出すことが少ないため、感情移入しにくいキャラクターである。戦闘でも主体的に戦うよりも傍観していることが多い。それでいて両親が勇者という血統の故か実力はあり、感情が吹っ切れれば強敵も比較的容易に倒してしまう。
明るく前向きな勇者像からすればアロスは異色の存在である。努力して修行して強くなるのではなく、普段は力を発揮しようとしないが、潜在能力を発揮しさえすれば勝てる。この点で『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・碇シンジと似ている。しかも、アロスの強さの根拠は両親が勇者だからという点に帰着する。努力しても報われない格差社会を反映しているようで興味深い。
二世マンガには親と似た主人公が親と同じような言動を繰り返す劣化コピーという陥りやすい罠がある。しかし、本作品は前作の主人公アルスとは対照的なアロスの性格により、この罠から免れられている。
これはアロスが前作の主人公アルスではなく、脇役の子であるという設定にも負う。アランもアステアも、アルスと同じくロトの血を継ぐ勇者であるが、前作での登場シーンはアルスの仲間よりも少なく、読者にとって相対的に新鮮な存在である。この意味で本作品は単なる前編の焼き直しにはなっていない。
戦うべき相手が明確でないまま旅を続けてきた主人公達であるが、この巻がターニングポイントとなる。アロスが過去の事実から目を背けていたことが明らかになる。アロスは不都合な過去を存在しなかったこととし、過去を美化することで、自己正当化する。
日本人は過去に水に流すことを是とする非歴史的な民族と批判される。都合の悪い過去を美化し、歴史を歪曲しているとも非難されている。感情を相手に伝えない上、相手には通用しない自分勝手な理屈で正当化するアロスは外国人から見た日本人の気持ち悪さにも通じる。外国を非難するのではなく、自国の過去を直視しなければならないのと同様、本作品でも問題は敵のモンスターにではなく、アロスの内面に存在した。
本作品は暗く鬱々とした雰囲気が漂っていたが、それは過去を直視できない主人公の弱さが影響していると思われる。この巻で主人公は自らの過ちに気付き、過去を直視しようとする。謎を生み出していたのは過去を直視しなかった主人公自身であった。一つ吹っ切れた主人公によって、謎が明らかになっていくことを期待したい。
本書(GAINAX・カラー原作、高橋脩作画『新世紀エヴァンゲリオン 碇シンジ育成計画 第6巻』角川書店、2008年10月25日発売)は社会現象にまでなったアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のパラレルワールド作品である。同名ゲーム内のストーリー「キャンパス編」を漫画化した。
本作品では原作の登場人物は設定を変えたものの、そのまま登場する。碇シンジと惣流・アスカ・ラングレーは幼馴染の同級生という設定である。葛城ミサトはクラスの担任で、赤木リツコは養護教諭である。シンジの父親の碇ゲンドウは人工進化研究所の所長である。原作と異なり、母親の碇ユイが生きており、夫と共に人工進化研究所で研究を進めている。そして綾波レイはシンジの両親の研究の被験者になっている。
ゼーレという怪しげな組織が暗躍している点は原作と同じであるが、使徒が襲来し、人類の存続が脅かされるというような緊迫した状況ではない。物語は日常的な学校生活が中心を占める。シンジ、レイ、アスカの三角関係を軸に、登場人物の不器用な恋心が描かれるラブコメディになっている。
内向的なシンジ、勝気なアスカというように登場人物の性格は原作を引き継いでいるが、原作ほどの重々しさはない。シンジは内向的ではあるものの、原作のように他者とのコミュニケーションを絶ってしまうほどではない。原作では無機的であったレイも思春期の少女らしい感情を持っている。
人物設定で原作と大きく異なる点は母親の存在である。原作ではチルドレン(エヴァンゲリオンのパイロット)の条件の一つは母親がいないことであったが、本作品ではシンジにもアスカにも母親がいる。特にシンジの母親のユイは研究所の副所長として存在感を有している。原作では近寄りがたい存在であったゲンドウも、本作品ではユイにダメ出しされるボケキャラになっている。シンジが原作よりは明るい性格であるのも母親の存在が大きい。
この巻では新たに転校生・霧島マナが登場し、シンジに積極的にアプローチする。ヒロインが増え、シンジをめぐる恋愛模様は複雑化する。ゼーレの妨害工作も積極化し、人型ロボット「JA(ジェットアローン)」が登場するなど、物語も複雑になっている。また、原作の有名シーンの再登場もファンには嬉しい。
一方でシリアスな展開でも、ゲンドウのコミカルな行動で事態を打開するなどコメディ色は忘れていない。原作が内面を見詰めなおす重苦しさで一貫していたのに対し、本作品では平和な明るさを常に有している。人類を幸福にするためのものというゲンドウらの研究の内容は何か、何故ゼーレが妨害するのか、エヴァンゲリオンは登場するのかなど物語の謎は多く残っている。明るいタッチのまま、謎が明らかになっていくことを期待したい。
本書は月刊少年マガジンに連載中の架空歴史漫画の単行本である。主人公の天地志狼とヒロインの泉真澄は現代日本の中学生であったが、修学旅行中に三国志時代にタイムスリップしてしまう。「竜の子」と崇められた志狼は当初、劉備の軍師として戦うが、「中原繚乱編」では曹操の下で呉軍と戦うことになる。
本作品では三国志に登場する群雄が活躍し、赤壁の戦いなど史実と同じ戦いも見られたが、現在では仲達の存在によって史実とは大きく異なる展開となった。曹軍の武将であった仲達は赤壁の戦いで曹操を裏切り、漢の丞相になった。三国志で朝廷を擁し、最大勢力を誇っていた曹軍は都から追放された状態である。仲達と通じている呉の都督・周瑜は荊州に軍を進める。志狼は曹操から征南将軍に任命され、竜騎兵を率いて呉軍を迎え撃つ。
当初は歴史の知識によって有利な立場に立っていた志狼だが、単行本が『龍狼伝』で37巻、『中原繚乱編』で4巻まで刊行されるほど物語が進行した現在では古代中国に完全に馴染んだ存在になった。この巻での歴史知識の活用は周瑜の病気を知っていること程度である。
本作品では歴史上の人物だけでなく、仙人や怨霊のような存在も登場する。志狼自身も「雲体風身」や「闘仙術」という仙術を身につけており、それが現在の彼の最大の力になっている。このため、作品自体がバトル漫画の趣となった。しかも常人の戦闘ではなく、人間離れした能力を身につけた者同士の戦いになっている。
この巻では、志狼率いる竜騎兵が周瑜率いる呉軍と戦う。志狼には三国志演義において諸葛亮と並ぶ才能の持ち主と評されたホウ統である。若くして戦死してしまったために知名度は低いが、本書では罠を張るなど軍師としての知略を発揮している。
一方、周瑜は「三国志演義」では諸葛亮の引き立て役という損な役回りになっているが、正史では能力、人格共に優れた人物として記録されている。この巻では全面的な決戦前の様子見にとどまったが、周瑜は簡単に主人公に同調しない信念や敵の罠を見破る知略を発揮している。「三国志演義」では見せ場の少なかったホウ統や周瑜の活躍がどのように描かれるか楽しみである。
山原義人
『龍狼伝 中原繚乱編 第4巻』
講談社
2008年11月17日発売
ガンダム 安彦良和 宇宙開発
◇読者レビュー◇ テレビ放送時との時代の違いが浮かび上がる
本書は日本を代表するロボットアニメ「機動戦士ガンダム」の漫画版である。アニメ版のキャラクターデザインを担当した安彦良和が著者で、漫画雑誌「ガンダムエース」に連載中である。
本作品は1979年から1980年にかけてテレビ放送されたアニメ作品を原作としつつ、原作の非現実的な部分や、原作で説明していなかった部分を大胆に修正・追加している。アニメ放送時よりも高めの年齢層の読者を対象としているためか、とりわけ政治劇や陰謀が深く描かれており、リアリティの増した作品になっている。
第17巻はサブタイトルを「ララァ編・前」とし、前巻までの地球から舞台を再び宇宙に移す。中立コロニー・サイド6における、主人公アムロ・レイとニュータイプの少女ララァ・スンとの運命的な出会いが山場である。
また、アムロと好敵手のシャア・アズナブルも戦場でのモビルスーツ戦ではなく、生身で会うことになる。他にもミライ・ヤシマと許婚のカムラン・ブルーム、アムロと父親のテム・レイが再会するように、出会いのシーンが盛りだくさんである。
衝撃的な出会いでの登場人物の心情の動きは映像作品では一瞬であるが、紙媒体では丁寧に描くことができる。本作品も実に丁寧に描かれている。思いもよらない相手、すっかり変わってしまった相手との出会いによるギクシャク感が上手に表現されている。
描写の丁寧さはあるものの、ストーリー展開は基本的にアニメ作品に忠実である。この点で、アニメと異なる展開が多かった前巻までの地球上でのシーンとは対照的である。この点にテレビ放送時との社会背景の相違が感じられる。
アニメでガンダムが放送された1979年と比べ、現代の社会環境は大きく変化した。とりわけIT技術の進歩は目覚しい。この点は本作品にも反映されている。アニメではアムロは紙のマニュアルからガンダムの操作法を知ったが、本作品では父親のパソコンから知ったことになっている。また、ペルーのクスコでは文化遺産を保護するために中立地帯として戦闘が禁止されているなど、社会意識も反映されている。
一方で宇宙開発の面では放送当時から現在まで、さほど進歩が見られない。むしろ、現代では人工衛星打ち上げの失敗が大きく報道されたり、「人類は月に行っていなかった」という主張がテレビ番組で紹介されたりしている。アポロ計画の頃と比べるならば、人類の夢を実現するものとして、宇宙開発に大きな期待がされていない時代といえる。
ガンダムは人類の大半が宇宙で生活する時代の物語であるが、宇宙生活という観点ではガンダムの世界観を修正するほど、現代社会は進歩していない。だから、地上でのストーリーや政治的な駆け引き、人間模様に関しては新たな設定が加わる一方で、宇宙空間のストーリーでは原作アニメをなぞる形になりがちである。
実際、近時のガンダムシリーズでは宇宙の存在感は小さくなっている。2002年放送開始の『機動戦士ガンダムSEED』では地球の統一勢力と宇宙コロニー勢力との戦いというガンダム世界の伝統的な対立軸は維持されているが、これは差別されたコーディネーター(遺伝子操作を受けた人類)が新天地を求めてコロニー国家を建設したためである。
地球に住む人と宇宙に住む人という対立軸にはなっていない。宇宙生活はコーディネーターにとって消極的選択であって、過去のガンダムに見られた人類の覚醒をもたらすものというような積極的意味付けは存在しない。
2007年放送開始の『機動戦士ガンダム00』では、地球上の三大国間の対立が軸となっており、地球対宇宙という関係は完全に消滅した。この世界での宇宙開発は、軌道エレベーターと宇宙太陽光発電システムという化石燃料に代わるエネルギー供給源としてのものである。宇宙空間に生活するのではなく、地球上の生活のために宇宙を利用するに過ぎない。人工衛星を通信・放送や天気予報に利用する現代社会の延長線上にある。
作品は時代を映す鏡と言われる。1979年に放送された作品と21世紀に描き直された作品を比べると、それぞれの時代状況が垣間見えて興味深い。
原案:矢立肇、富野由悠季
角川書店
2008年6月26日刊
定価(税込)588円
TBS系列のテレビアニメ『機動戦士ガンダム00』セカンドシーズンが2008年10月5日の第1話「天使再臨」から放送を開始した。本作品は第1期が2007年10月から2008年3月にかけて放送され、今回が続編になる。
第1期ではユニオン、AEU、人革連の三大勢力が対立する世界で、私設武装組織「ソレスタルビーイング(略称CB)」が戦争根絶のために武力介入する展開であった。CBの武力介入の影響もあり、世界が地球連邦に統一されるところで第1期は終結した。
第2期は、それから4年後である。地球連邦政府は独立治安維持部隊「アロウズ」を設立したが、それは統一を名目に反対勢力への非人道的な弾圧を行う組織であった。繰り返される争いの現状に、刹那・F・セイエイらは再びガンダムに乗って戦うことになる。
ガンダムの世界では地球側の勢力(例:地球連邦)と宇宙側の勢力(例:ジオン公国)の戦争が伝統的な枠組みであった。それぞれに正義と悪を抱えており、単純な勧善懲悪にはならないが、対立軸は明確であった。これに対し、本作品の第1期では三大勢力が互いに争う中で、CBは武力紛争を起こした勢力を攻撃するユニークな設定であった。
CBにとっては戦争することが絶対悪であり、戦いの動機を問題としない。戦争を行う当事者は理由を問わず武力介入の対象になる。CBは「弱気を助け強気を挫く」存在ではない。大国に挑む小国の軍備でも容赦なく攻撃する。一方、CB自身がしていることも武力の行使である。CBは戦争を根絶するために武力介入するという矛盾に満ちた存在である。ガンダム作品の中でも非常に難しい作品になっている。
第2期では第1話を観た限り、CB対アロウズに対立軸は集約されそうである。戦争を根絶させるために統一政府「地球連邦」を樹立したが、その結果、強力な統一組織による圧制と弾圧が生まれるという結果は皮肉である。テロとの戦いを名目に政府の権限が強化されている現実社会への警鐘とも捉えることができる。
アロウズは無差別殺戮を行うなど分かりやすい悪として描かれている。分かりやすい悪を倒すことでハッピーエンドというストーリーは分かりやすいが、戦争根絶という難しいテーマを掲げた作品の結末としては物足りない。分かりやすい悪を倒しただけで戦争が根絶されるほど世の中は単純ではない筈である。
前番組の『コードギアス 反逆のルルーシュ』も第1期と第2期に分けて放送された作品であるが、第1期では日本一国の独立を目指したのに対し、第2期では世界の平和を目指す点でテーマが拡大されている。第1期では戦争根絶という壮大な目標を掲げた本作品が第2期では目の前の巨悪を倒すだけで終わってしまうことはないと思われる。どのような展開が待っているのか、期待したい。
また、アロウズは地球連邦の歪みを反映した強硬派組織という点で『機動戦士Zガンダム』のティターンズを想起される。本作品の一世代前のガンダム作品『機動戦士ガンダムSEED』は遺伝子改良された人種コーディネーターを登場させるなど独自の世界観を投影した作品であった。
しかし、続編の『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』ではファーストガンダムの再利用が目立った。『DESTINY』ではモビルスーツにザクやグフ、ドムが登場した上、「ザクとは違うのだよ!ザクとは!」の名台詞やジェットストリームアタックなどが使われている。歴代ガンダムと比べてもユニークな世界観を持っていた『機動戦士ガンダム00』も続編では既存作品の影響を受けることになるのかも見所である。
物語内の時間の流れは第1期から4年経過しており、その間に地球連邦政府の樹立という大きな出来事も生じている。その第1話となると説明で終始してしまいがちになるが、本作品では冒頭から激しい戦闘シーンもあり、映像作品として迫力があった。今後も期待のアニメとして注目していきたい。
本書は『週刊少年マガジン』で連載中のサスペンス漫画の単行本である。2008年10月からTBS系列でテレビドラマも放送されている。高校生ながら天才的なハッカーである主人公・高木藤丸がウイルステロに立ち向かう物語である。
「目眩く頭脳戦!」「予測不能の展開から目を離すな!」「少年漫画史を変えるショッキングサスペンス連載」という触れ込みで連載開始された作品である。その触れ込みに違わず、IT技術を駆使した頭脳戦や、誰が味方で誰が敵か分からないという緊迫感、主人公側の人物でもあっさりと殺されてしまうストーリーと息をつかせぬ展開になっている。
立場的に週刊少年ジャンプで連載され、大ヒットした『DEATH NOTE』に近い位置づけである。元々、ジャンプでは現実離れした冒険物が多いのに対し、マガジンでは現代を舞台にリアリティを追求した作品を得意としていた。それが『DEATH NOTE』によって、お株を奪われた状態になっており、巻き返しを図る意味でマガジン編集部にとっても本作品への意気込みは大きいものと思われる。
『DEATH NOTE』では「死神」「名前を書くと人が死ぬノート」とフィクションでなければあり得ない設定となっていた。これに対し、本作品ではハッキングやウイルスのように現代技術の枠内に収めており、よりリアルになっている。また、テロリストを狂信的な宗教団体とするなど現実の事件を連想させる設定となっている。
物語の価値基準として『DEATH NOTE』では主人公の夜神月がデスノートを使って殺人を行う立場で、自らの価値基準で正当化しているものの善玉とは評価できなかった。そのために最終的に何れが勝利するのか展開が読み難かった。これに対し、本作品はテロリストという分かりやすい悪を描いている。それでいながら主人公側の勝利が見えない展開となっており、これが作品の面白さになっている。
藤丸は優秀な人物であり、テロ組織を出し抜くこともしばしばであるが、実はテロ組織の掌で踊らされていることも多い。少年漫画の理想的なヒーロー像である敵の策略を乗り越え、敵を打ち倒す主人公には程遠い状況である。主人公といえども決して万能ではないことが作品世界にリアリティを与えている。
この巻では藤丸達が弥代学院に閉じ込められ、同級生の立川英が殺人ウイルス「BLOODY-X」を発症してしまう。藤丸はテロリストを追い詰めることをできても、英を救うことはできない無力感を味わうことになる。
物語では既に多くの死者が出ており、最終的にテロリスト組織に勝利したとしても手放しで喜べるハッピーエンドになるかは疑問である。どのような展開を辿るのか目が離せない作品である。
龍門諒原作、恵広史作画
『BLOODY MONDAY 第8巻』
講談社
2008年11月17日発売
サスペンス漫画「BLOODY MONDAY Season 2 絶望ノ匣(パンドラノハコ)」が週刊少年マガジン2009年46号(10月14日発売)から連載を開始した。「BLOODY MONDAY」は龍門諒原作・恵広史画でSeason 1が2009年20号(4月15日発売)まで連載されていた。Season 2により半年ぶりの再開となる。
Season 1では高校生ながら天才的なハッカーである高木藤丸(三浦春馬)が、そのハッキング能力を駆使してテロリスト教団に立ち向かった。裏切りの連続による息をつかせぬ展開が話題になり、三浦春馬主演でドラマ化された。Season 2では主人公達が高校を卒業した2年後の設定になっている。
天才ハッカーとして活躍した藤丸であるが、平凡な日常では霞んでいる。勉強も数学以外はダメな浪人生である。Season 1で自分がハッカーであるばかりに親しい人々を事件に巻き込んでしまった自責の念からコンピュータに触ることも止めてしまっている。前に進むばかりではなく、後ろを振り返ることができる点は主人公としてポイントが高い。ブランクが空いた主人公という設定は少年漫画の第二部の王道であるが、第1話では復活の兆しさえ見えない。
「BLOODY MONDAY」は頭脳派漫画として週刊少年ジャンプに連載された「デスノート」と比較されることが多い。「デスノート」になく、「BLOODY MONDAY」に存在する要素として、家族との絆と過去との因縁がある。Season 1では犯人視された父親の無実を証明するという面があった。また、Season 1で対決した宗教団体は過去にも藤丸が国家転覆計画を暴いている。また、藤丸の親友・九条音弥と教団参謀・神崎潤(J)も異父兄弟の関係であった。
Season 2では新たなテロ組織が登場するが、第1話の時点で家族との絆と過去との因縁が伏線にする展開が登場している。現在に至るまでの空白のエピソードが予想もつかない「BLOODY MONDAY」から目が離せそうにない。
本書(真島ヒロ『FAIRY TAIL 第12巻』講談社、2008年10月17日発売)は週刊少年マガジンに連載中のマンガで、魔法が使える架空の世界を舞台とした冒険譚である。魔導士ギルド「妖精の尻尾(フェアリーテイル)」に加入したルーシィ・ハートフィリアと、ナツ・ドラグニルらギルドの仲間達の活躍を描く。
本作品の世界では、ギルドは人々の困った問題を解決する何でも屋のようなもので、ルーシィー達は受けた依頼を解決するために奮闘する。但し、第三者が持ち込んだ依頼であっても、依頼内容が主人公達の過去のエピソードに何らかの形で関わってくることが多い。破天荒な「フェアリーテイル」の魔導士達も、実は重たい過去を抱えていたことが明らかになる。依頼を解決していくことが、彼ら自身が過去と向きあうことにもなる。これによって物語に厚みを持たせている。
この巻ではエルザ・スカーレットのエピソードが中心になる。妖精女王(ティターニア)の異名を持つエルザは「フェアリーテイル」の総長(マスター)・マカロフが自分の後継者として考えたこともある人物で、実力者揃いの「フェアリーテイル」の中でもトップクラスである。主要キャラクターの中でも抜きんでた存在として描かれ、主人公らと同じ目線に立ちながらも、導き役的な存在であった。
そのエルザも実は重たい過去を抱えていたことが、今回のエピソードで明らかになる。一人で全てを背負うつもりで過去に立ち向かうエルザであったが、エルザを思う仲間に助けられる。エルザにとって「フェアリーテイル」の仲間達は自らを犠牲にしてでも守りたい大切なものであった。しかし、自らを犠牲にすることが、その仲間達を悲しませることになる。それを知ることでエルザにとってギルドとの絆は一層深いものになった。
本作品は魔法が使える世界で主人公達が魔法を駆使して敵と戦う冒険マンガであるが、ギルド「フェアリーテイル」が物語の中心に位置する点が異色である。悪の魔王を倒すために主人公一行が旅を続けるというようなありがちのパターンではなく、外部に冒険をしに行っても、それが終われば主人公達はギルドに戻る。
戻るべき場所があるということが作品世界を地に足ついた安定的なものにしている。このパターンが今後も続くのか、それとも少年漫画にありがちな強大な敵と戦う長編バトル化していくのか。今後の展開が注目される作品である。
テレビアニメ「FAIRY TAIL」が2009年10月12日からテレビ東京系列で放送を開始した。「FAIRY TAIL」は魔法が使える架空の世界を舞台としたファンタジーで、真島ヒロが「週刊少年マガジン」に連載中の同名マンガを原作とする。
魔導士達に仕事の仲介等をする組合「魔導士ギルド」が各地に存在する世界で、新人魔導士の少女・ルーシィは、ギルド「妖精の尻尾(フェアリーテイル)」に憧れ、一人前の魔導士を目指す。第1話「妖精の尻尾」ではルーシィと「妖精の尻尾」所属の滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)・ナツの出会いを描く。
「FAIRY TAIL」は主人公達が魔法を駆使して敵と戦う展開であるが、ギルド「フェアリーテイル」が物語の中心に位置する点が異色である。悪の魔王を倒すために主人公一行が旅を続けるというようなありがちのパターンではない。外部に冒険に行っても、それが終われば主人公達はギルドに戻る。戻るべき場所があるということが作品世界を地に足ついた安定的なものにしている。
その中で導入部となる第1話は異色である。この時点ではルーシィは「フェアリーテイル」に所属していない。憧れのギルド「フェアリーテイル」に入りたいと思っているところで、ナツと出会うことになる。ルーシィの目を通して「フェアリーテイル」及び所属する魔導士達を描いていくことで、視聴者も作品世界に自然と入っていける。順調な滑り出しであり、今後の展開に期待したい。
太陽の黙示録 かわぐちかいじ 震災
◇読者レビュー◇ 戦後と重なる再建の物語
本書は死亡者2000万人、行方不明者4000万人を出した日本大震災後の日本を描いた漫画である。震災の影響で東京や大阪は水没し、本州は南北に分断された。日本は壊滅的な打撃を受け、北日本(ノースエリア)は中国、南日本(サウスエリア)はアメリカが復興を支援することになった。その結果、それぞれの地域で支援国の影響を受けた政府が分立し、東西ドイツや南北コリアのような分断国家となった。
震災が作品の出発点であるが、本題は震災による破壊自体よりも、震災後の政治と社会、そして人間である。本書は第1巻であるが、17巻まで続いた第1部「群雄編」の続きとなっている。「建国編」とあるとおり、難民として世界中に散らばった日本人が暮らすための、北でも南でもない第3の国の建国を志向する。
『太陽の黙示録』の興味深い点の一つは登場人物が三国志をモチーフにしている点である。例えば主人公の柳舷一郎は劉玄徳に由来する。他にも羽田遼太郎は関羽、張宗元は張飛、宗方操は曹操に対応する。諸葛亮に因む葛城亮が柳舷一郎の仲間になり、新たな国作りを目指す建国編は、天下三分の計を髣髴とさせる。
ノースエリアもサウスエリアも、それぞれの支援国であるアメリカと中国の悪い部分が極度に肥大化しており、望ましい社会から程遠い。これに対し、柳舷一郎らは自給型経済と非暴力不服従を理念として、新たな日本の建国を目指す。
この展開は戦後の日本をなぞらえているように感じられる。思うに震災後の日本は敗戦で焼け野原になった日本である。そして戦後日本は植民地支配による領土拡張を行わず、戦争を放棄することを出発点とした。これが自給型経済と非暴力主義に対応する。
しかし、高邁な理念と比べ、戦後日本の実態は、あまりにも中途半端なものであった。戦争放棄を謳った憲法9条は維持されているものの、自衛隊はアメリカの世界戦略に組み込まれつつある。また、直接的な植民地支配はしていないものの、日本企業の発展途上国への進出は、新植民地主義に基づく経済的搾取と批判されている。
そこで大震災によって戦後日本を破壊し、中途半端になっている戦後日本の歩みを、もう一度やり直すことが本作品の狙いかもしれない。リセット願望や「希望は、戦争」という赤木智弘氏の主張と共通するメンタリティが感じられるが、破壊後に目指す理念が自給型経済と非暴力不服従という点は興味深い。
その意味で本作品の描かれる先には大いに注目している。上述の理念を本質的なものとして、どこまで追求できるだろうか。戦後日本は理念を置き去りにして、ひたすら経済大国への道を邁進した。
本作品でも日本に帰国したい数百万人の難民がおり、彼らが生活できるようにすることが優先的に求められる。仮に焼け野原から経済大国にしてしまうような、ひたすら前に進むだけの発想で乗り切るならば、戦後日本の繰り返しとなってしまう。新たなる日本がどのように描かれるか、注目したい。
小学館
2008年6月30日発行
定価(税込)540円
ジパング かわぐちかい マンガ
◇読者レビュー◇ 架空戦記でも日米の差
本書は講談社発行の週刊マンガ雑誌「モーニング」で連載中の架空戦記物の単行本である。太平洋戦争の時代にタイムスリップした海上自衛隊のイージス艦「みらい」の戦いを描く。
最新鋭の武装と未来世界の知識を有する「みらい」の介入により、本作品では実際の太平洋戦争とは異なった経過をたどる。しかし、原則として「みらい」は専守防衛や人命尊重をモットーとし、戦争への介入は謙抑的である。この点で自衛隊の一団が戦国時代にタイムスリップして天下統一を進める『戦国自衛隊』や、パラレルワールドで日本軍が米軍を撃破する『紺碧の艦隊』とは一線を画する。
実際の太平洋戦争のように日本軍の破滅的な敗退は回避できているものの、本作品でも米国との圧倒的な国力差から日本軍は守勢に立たされつつある。山本五十六・連合艦隊司令長官も史実に近い形で戦死した。そして日本の政府や軍部首脳が戦争終結の展望を描けないでいる点も史実と同じである。「みらい」と接触した何人かは早期講和の意欲を持つが、積極的な動きにはなっていない。
一方、「みらい」から日本の未来を知った帝国海軍参謀・草加拓海は歴史を改変し、新たな日本「ジパング」創生を目指す。その具体的行動は反乱という形をとったことは興味深い。草加の計画を実現するためには日本軍という組織には柔軟性が欠けていた。
草加は「みらい」で得た情報を元に原子爆弾を極秘に開発し、戦艦大和に搭載した上で、大和を乗っ取る。原爆の使用を阻止すべく、「みらい」乗員が大和に乗り込み交戦する点が本巻のメインストーリーである。
一方、米国も草加が核兵器を開発した可能性に気付き、ルーズベルト大統領が決断を下す。この決断が良くも悪くも世界を導く大国アメリカらしい内容であった。斬新な計画を反乱という形でしか実現できない日本と、トップが謎の解明を積極的に命じるアメリカは非常に対照的である。
同じ著者の『沈黙の艦隊』では日本初の原子力潜水艦の乗員になった自衛隊員らが反乱を起こし、独立国家「やまと」を名乗る。「やまと」という国名が象徴するとおり、当初は対米従属のままでいる日本政府に変革を求める要素が強かった。
しかし物語の進展によって明らかになった作品の主題は核戦争の廃絶という普遍的なテーマであった。ここには原潜の国名が「やまと」である必然性は存在しない。実際、物語の終盤では米国や国連が舞台となり、重要な決断をするのも米国大統領であった。
たとえ日本人による日本人向けのマンガであっても、大きなテーマでリアリティを持った作品を描く上で日本という社会は卑小である。本作品のタイトルは『ジパング』であり、日本という国がテーマになっていると考えられる。その本作品においてもアメリカの動きが興味深く映ることに日本とアメリカの越え難い差を感じてしまう。
最新鋭の装備の大半が損壊した「みらい」は、この先、長期に渡って戦いを続けることは難しくなった。物語が佳境に入ったことは確かである。どのような形で本作品がまとまるのか注目していきたい。
講談社
2008年7月23日発行
定価560円(税込)
188頁
リーダーシップ
リーダーシップというと人によって想起する内容は様々ですので、少し異なるかもしれません。本書中のルーズベルト大統領は決して独裁者ではありません。大統領の決断は部下の発言を聞いた後で行っています。また、決断も大まかな方針だけを示し、具体的な方法は部下に上申させています。
根本的な戦略はトップダウンですが、具体的な手順についてはボトムアップ的です。多様な価値観を否定し、反対者や少数者を異物として排除する独裁者型のリーダーシップは特殊日本的集団主義と同じく、私の最も忌避するものです。それにしても神倉山記者がアイドルマスター好きとは存じませんでした。
歴史のif
タイムスリップ物は歴史のifを追求するものですが、根本的に変えてしまうと作品のリアリティが失われてしまうという二律背反の世界です。『ドラえもん』のようにタイムマシンで過去に戻ったことが織り込み済みで現在があり、それが伏線になっていたという話がタイムスリップ物の上手なまとめ方ではないかと個人的には思っています。
これまで『ジパング』では個々の戦闘は歴史と異なる結果となりますが、大局的には太平洋戦争の経過通り、日本が追い込まれつつありました。しかし、原爆開発だけでなく、中国では満州国皇帝暗殺や毛沢東との会談など歴史を大きく変えかねない動きが展開しております。
戦艦大和の問題を解決しただけでは、物語としてはまとまりません。大きく広がった風呂敷をどのように整理するのか、私も楽しみです。
作品は社会を映す鏡
作品は社会を映す鏡であり、作品を正しく読み込んだ上で社会批評を行うことは社会科学の一手法として通用するものです。たとえば日本の侵略戦争や植民地支配を賛美する作品ばかりが日本社会に熱狂的に受け入れられているという現実があるならば、そこから日本社会の反動的傾向を論じることは十分意義があります。
痛くて話にならないのは現実に作品が存在しないのにもかかわらず、偏見と悪意に基づいた妄想を振りまくことです。本記事でも『ジパング』でタイムスリップした自衛艦を韓国海軍の誇る世宗大王艦に置き換えて、話を作出する間抜けなコメントがありました。勝手な思い込みから恥ずかしいコメントを書く人こそが痛くて話になりません。
本書(かわぐち かいじ『ジパング 第37巻』講談社、2008年10月23日発売)は「モーニング」で連載中のマンガの単行本である。太平洋戦争の時代にタイムスリップした海上自衛隊のイージス艦「みらい」を中心とした架空戦記である。「みらい」に救助されることで未来を知った帝国海軍通信参謀・草加拓海は米国に先駆けて原子爆弾を開発した。草加は開発した原爆を戦艦大和に搭載し、反乱により大和を乗っ取る。これに対し、角松洋介率いる「みらい」は原爆の使用を阻止しようと立ち向かう。
前巻では「みらい」側と草加側との戦いを軸に展開した。これに対し、この巻では草加が自衛官の戦死者の遺体を角松に引き渡すなど、両者の激突は弛緩している。肯定的に評価するならば敵への敬意を忘れない武士道精神になるが、殺し合いの最中のやり取りは物語の緊迫感を損なうことも事実である。
その代わり、この巻では米軍が戦略的に動き出す。大和と「みらい」の不審な動きはホワイトハウスにまで報告された。フランクリン・D・ルーズベルト大統領は大国の指導者に相応しい斬新な決断を下した。そして、その決断を実行するためにハリー・カーネル少佐に全権を委ねた。
ここには良くも悪くも世界をリードする超大国アメリカの健全なトップダウンが見られる。先ず、大和と「みらい」の交戦という不審な動きをホワイトハウスにまで報告する。ここでは現場レベルで握り潰さずに最高司令官の判断を仰ごうとしている。
そして意思決定は大統領が行う。幕僚は「軍には不得手で、実行は困難」と抵抗するが、大統領は「意思決定は下された」と押し切る。一方、大統領は方針だけを決めて、実現するための方法は部下に任せる。ここには意思決定するトップと、それを実行する部下という明確な役割分担がある。
これが日本では上手く機能しそうにはない。政治家が意思決定しても、官僚が実現段階で骨抜きにしてしまう。面従腹背である。それを防ぐためにはリーダーが自ら細部まで具体的に規定しなければならない。この結果、トップダウン型のリーダーは、あらゆるものを自分好みで押し付ける独裁者のイメージが付いてしまう。組織は窮屈になり、創造性は発揮されない。リーダー自身も細部にエネルギーを使い果たし、中途半端な改革で終わってしまいがちである。
本作品の設定では自衛艦「みらい」が南米エクアドルに派遣された途上で嵐に巻き込まれ、タイムスリップした。南米は伝統的にアメリカが裏庭とみなしていた地域で、モンロー宣言に代表されるように旧大陸の国家が南米に干渉することをアメリカは嫌う。
いくらアメリカにとって日本がポチと呼ぶべき都合の良い友好国であるとしても、南米への派兵を容認することは伝統的なアメリカ像からは考えにくい。それが実現するほどにアメリカが弱体化しているというのが本作品の設定なのであろう。実際問題としてアメリカの弱体化は単なる空想ではなく、近未来の予測として現実感を有している。
一方、太平洋戦争時代のアメリカはタイムスリップした「みらい」に直面することで、本来のアメリカが有しているリーダーシップを発揮した。「みらい」は日本だけでなく、アメリカをも大きく変えていくのではないか。そのような展開も期待させる巻であった。
本書(あずま きよひこ著、電撃コミックス、2008年8月27日発売)は「月刊コミック電撃大王」に連載中のコメディ・マンガの単行本である。主人公である5歳の少女「小岩井よつば」の新鮮な日々を綴った作品である。
題名の「よつばと」は主人公の名前「よつば」に英語のandに相当する並立助詞「と」を付したものである。これは本作品を構成する各話のタイトルと関係する。本作品では各話のタイトルは「よつばとたいふう」「よつばとおまつり」というように「よつばと○○」となっている。○○には、その話の主題となる「よつば」が経験したものが入る。『よつばと』は「よつば」と「よつば」が経験した物事の総称を象徴している。
本作品は一話完結のオムニバス形式である。しかし、各話は別個独立しているのではなく、連続している。表紙の「よつば」が法被を着ていることが示すとおり、この巻では「よつば」が祭りに参加する話がある。
それより前の話で法被の購入について登場人物が話し合っていた。「よつばとおまつり」を読むことで、お祭りのために法被を買おうとしていたことが認識できる。このような仕掛けによって「よつば」達が連続した日々を送っていることが実感できる。これは本作品をリアリティのある構成にしている。
本作品は「いつでも今日が、いちばん楽しい日。」をキャッチコピーとする。それは決して過去をリセットして今を楽しむ刹那的な発想ではない。過去の積み重ねが現在を構成する。そして過去の蓄積を踏まえた上で、現在において新たな発見をすることで、今日を一番楽しい日とする。
本作品の魅力は、当たり前のことにも驚く「よつば」の反応である。何事も当然のように感じてしまい、発見も驚きもない日常を繰り返しがちな現代人にとって、「よつば」の反応は新鮮である。好奇心いっぱいの「よつば」からは、ヨースタイン・ゴルデルのベストセラー作品『ソフィーの世界』を想起した。
『ソフィーの世界』で哲学者アルベルト・クノックスはソフィーに、赤ん坊は偉大な哲学者であると繰り返し主張した。赤ん坊にとっては世界の全てが新しく珍しいため、当たり前と決め付けることはない。この世界に来たばかりの存在である赤ん坊は、習慣の奴隷になっていないためである。これは「よつば」にも当てはまる。
本作品は自由奔放な子どもの言動が周囲の大人を振り回し、それが笑いを誘う。この点で臼井儀人の『クレヨンしんちゃん』と比較したくなるが、両者はコンセプトが異なる。「野原しんのすけ」は現代社会にどっぷりつかったマセた子どもである。これに対し、遠くの島で育った「よつば」は日本の都市生活そのものが初めての経験である。「しんのすけ」が子どもらしくない言動で周囲を振り回す。一方、「よつば」は初めての経験からの純粋な驚きがベースとなっている。
そして「憎まれっ子世にはばかる」的な「しんのすけ」に対し、「よつば」が自由奔放に行動できる背景には周囲の人々の暖かさがある。「とーちゃん」や、その友人のジャンボ、隣家の綾瀬家の母親のように「よつば」と正面から向き合う度量をもった大人は現実には中々存在しない。これは会社人間では無理である。実際、「とーちゃん」の仕事が翻訳家で、家にいることが多い点が本作品の基本的な設定になっている。
社蓄とまで言われる会社人間的生き方は、既に多くの人々にとって魅力的なものではなくなっている。しかし正社員にならない非正規雇用にはワーキングプアという現実がある。会社人間を否定したとしても豊かな生活には直結しない。
現実の日本社会には「よつば」を受け入れるだけの余裕はなさそうである。本作品が愛しく感じられるのも、毎日が新鮮だった子ども時代を回顧させるだけではない。格差が拡大し、社会から余裕が失われた現代日本において、望み得ない日々が描かれるためと考える。
本書は赤いパンツを履いたパンダのキャラクター・パンツダを主人公とした4コマ漫画である。パンダと言っても、パンツを履いていることから理解できるとおり、擬人化されており、二足歩行で人間と同じような行動をする。このパンツダのユーモラスな行動を本書では描く。
本書は一風変わった4コマ漫画である。王道的な4コマ漫画と比べた特徴を2点指摘する。
第1に明確なオチがない。一般的な4コマ漫画の構成は起承転結であり、最後にオチが来る。これに対して本書はオチが不明確である。たとえば坂を上がって、下を見下ろし、ダッシュで下りて、また上るという漫画がある(20ページ)。文章で説明すると「だから何なの」となるが、のどかな展開に癒される。
第2に登場人物は基本的にパンツダだけであり、会話が全くない。「サザエさん」にしろ、「コボちゃん」にしろ、「ののちゃん」にしろ、家庭や学校、会社の人間関係が話題になっている。それに対して本書は、ひたすらパンツダの他愛もない行動が描かれる。読者はパンツダの行動から意図を解釈しなければならず、その点が前述のオチの不明確さにもつながる。
パンツダは「ひとりあそびの天才」である(帯より)。その行動は子どもが好奇心の赴くままに自分の身体や周囲の物で遊ぶ姿に重なる。たとえばティッシュペーパーを顔にかぶせて息で吹き上げ(27ページ)、電灯から垂れ下がった紐をヘディングする(38ページ)。これらの遊びを実際に子ども時代に行った人も少なくないだろう。
また、パンツダは傘を引っくり返して、その中に自分が乗っかって船のようにしている(30ページ)。人間の重さから物理的には不可能であるが、子ども心にやってみたいと思ったことはある。子ども時代の純真さを思い出させる点が本書の魅力である。
消費経済では子ども向けの玩具も商品として消費される対象である。玩具メーカーは子どもが欲しがるような玩具を次々と発売する。そのような玩具は遊び方も決まっており、それに従って子ども達は遊ぶことになる。それに比べるとパンツダの「ひとりあそび」は自由である。お仕着せの玩具よりも、身近な環境での「ひとりあそび」によって子どもの想像力が伸びると感じられた一冊である。
沖山潤 深川 風景漫画
緻密な風景にユーモラスな人物
沖山潤風景漫画展「深川ぐるり漫画散歩」が2008年6月22日から6月30日まで古石場文化センター(東京都江東区)にて開催される。沖山潤氏は江東区在住の風景漫画家で、下町の情景を中心に風景漫画を描いている。元々は漫画雑誌に連載していたが、暴力シーンやエロシーンばかり求められる状況に悩み、風景漫画に転じた。
展示された風景画は下町情緒の色濃い風景である。永代橋のように地元民には馴染みの場所もある。風景画の他に「二八そば」など落語を題材とした絵もある。
沖山潤の漫画は背景が実に緻密に描かれている。それでいて登場する人物はユーモラスで、文字通り漫画チックである。このアンバランスが絶妙である。深川不動堂(お不動さん)の絵では境内の香炉から有難く煙を頂く参詣者の後ろには、喫煙者がいて、その煙も参詣者にかかっている。
ポスターに使われた風景画は八幡橋(江東区富岡)を描いたものである。八幡橋は国産初の鉄橋で国指定重要文化財にもなっている。この絵には松尾芭蕉を髣髴とさせる人物が登場する。
八幡橋の隣の富岡八幡宮では境内の末社・花本社が、深川に芭蕉庵を構えた松尾芭蕉を祀っている。八幡橋自体は芭蕉よりも後の時代に架けられたが、芭蕉にゆかりの地と言ってよい。面白いのは頭陀袋(ずたぶくろ)に描かれたマークが江東区のシンボルマークになっていることである。過去と現在が同居する江東区の不思議な空間を表しているように感じられた。
DSCF0226.JPG 沖山潤風景漫画展ポスター
林田力(2008年6月28日撮影)