林田力「職務著作」1999.11.15  top

21世紀は情報社会である。経済がソフト・サービス化した情報社会では知的財産の社会的経済的価値が高まる[1]。未だ情報産業はGDPの割合からすると微々たるものに過ぎず、中小企業の集まりの感がある[2]。しかし情報産業は人々の思想・信条・生活等に大きな影響を与えているし[3]、企業規模が企業の強みを意味する時代は過ぎ去ろうとしている。近未来において著作物を創作する産業が基幹産業となることは間違いない。そのため著作物の創作を職務とする従業員も増加する。アメリカでは著作権産業(e.g.出版・音楽・映画・ソフトウェア・テレビ)1997年の生産はGDP4.3%に相当し、米国経済に3480億ドルの価値を付加した。著作権産業に雇用された労働者は自動車や航空機製造、製鉄等、工業社会の基幹産業より多いという[4]。従業員が著作物を創作した場合、当該著作物に対する権利は従業員と企業のいずれに帰属するのか問題となる。本論では権利は正当な権利者に帰属させるべきとの観点から職務著作制度について論じる。

 

著作者

著作者は著作物を創作した者を指す。著作者は原則として財産権たる著作権と人格権たる著作者人格権を享有する(17)。誰が著作者かは著作物の創作という事実に基づいて決定される。ベルヌ条約は著作者の定義を有しないが、それは著作者が自明とされていたことによる[5]

委託や請負等によって著作物が創作される場合も少なくないが、創作的な作業を行った者が著作者であり、契約内容や報酬額、企画、調査、資料収集等はその判断にあまり影響を及ぼさない。依頼者が具体的な注文・指示・テーマを与えていたとしても、それだけでは依頼者が著作者になるわけではなく(大阪地判H4.8.27判時1444-134静かな焔事件、東京地判S39.12.26下民集15-12-3114高速道路地図事件)、事実行為たる著作行為を行うことは不可欠ではないが(京都地判H2.11.28無体22-3-797)、創作的な寄与があってはじめて依頼者も共同著作者の一人となる(大阪地判S60.3.29判時1149-147商業広告事件)。請負人が単に補助的仕事をしたにすぎない場合にのみ注文者が単独の著作者となる(東京高判S46.2.2判時643-93)

理工系の論文では研究の民主・集団化の結果、執筆者の他にデータ分析・評価、実験操作に関与する者やアイディア提供者のような実質的に研究に関与した者も著者として名を連ねることも少なくないが[6]、それら全てが著作権法上の著作者となるとは限らない。

著作者の地位を契約等によって任意に変更することはできない。契約で著作権は発注者側に帰属するという条項が置かれる場合もあるが、これは著作者に発生した著作権が譲渡されて発注者に移転するということである[7]。法人に著作権を原始的に帰属させるという認識で著作した場合は法人著作とする見解もあるが(東京地判H10.10.29判時1658-156 SMAPインタビュー事件)、主観的要素を著作者の決定基準とするのは不当である[8]

法人が従業員に著作物を作成させた場合を、従業員を手足とした法人自身の著作行為とする見解があるが、著作は個性・感情豊かな芸術品・文化的所産の創作行為で事実行為であり、著作をなしうるのは自然人のみである[9]。従って原則として他人に頼まれて作成した著作物でも実際に作成した者が著作者であり著作権者である。他方、computerrobotの創る著作物も結局は人の創造行為に還元されるからそのユーザーが著作者となる[10]

著作者は誰かとか、著作権の保有者は誰かという問題を権利の内容等の問題と切り離して論じることは不自然との見解もあるが[11]、渉外関係においては著作権の帰属の問題は著作物と最も有意義な関係the most significant relationshipにある国の法による[12]

比較

米国著作権法201(b)は職務上の著作物work made for hireは著作物を作成させる雇用者が著作者とみなされ、当事者間の書面による別段の明示的な合意がない限り、著作権に含まれる全ての権利をその著作者が保有する。米国では権利者は1978年以降に行われる権利の譲渡をそれから35年経過後は終結できる(203)。従って契約による譲渡の場合はもう一度ペイするチャンスがあるが、職務上の著作物になると権利回復の機会は失われてしまう[13]

バングラデシュでは団体をその団体による出版・放送の目的のための雇用者・奉公人により当該目的で創作された著作物の最初の著作権者とする。同様に著作物が依頼により作成される場合は依頼者が最初の著作権者になる[14]

インドでは雇用の過程で著作者により作成された著作物については、反対の取り決めがない限り、雇用主が最初の著作権者になる。他の者の依頼により金銭的対価を受けて作成された場合も、反対の取り決めがない限り、その者が最初の著作権者である[15]

中国著作権法11条は著作物が法人又は法人格を有しない団体の意図に従い、その監督及び責任の下に創作される場合は、そのような法人又は団体をその著作物の著作者とみなす[16]。他方、法人又は法人格を有しない団体から割り当てられた任務の遂行上創作された著作物(職務上創作された著作物)は実際の著作者を創作者とする。この場合、法人等はその活動範囲内において当該著作物に対する優先利用権を法律上当然に取得する(16(1))。しかし製品設計図・ソフトウェアの著作物が、法人等の物質・技術的資源を主として用いかつその責任の下に創作された場合は、当該法人等が氏名表示権を除く著作権に含まれる全ての権利を享有する(16(2))[17]

ブラジル著作権法は職務著作物に対し著作者及び雇用者の共同所有権を認めているが、ソフトウェア法では雇用者の排他的所有とされる[18]

職務著作

法人その他使用者の発意に基づきその法人等の業務に従事する者が職務上作成する著作物で、法人名義で公表するものの著作者は、その作成時の契約・勤務規則等に別段の定めがない限り、例外的に法人等が著作者となる(15(1))。真の著作者から全ての権利を剥奪して法人を著作者とするこの規定は比較法的にも珍しい大胆な規定である[19]

プログラムの著作物は法人名義で公表されなくてもそれ以外の要件を満たせば法人等が著作者となる(15(2))。プログラムの場合、その多くは法人等の組織内で多数の者の参加により作成されているが、その中には本来公表を予定されていないものも少なくなく[20]、又、公表するとしてもROMに固定されて発売される場合等、無名で公表される場合も多いとする見解がある[21]。しかし公表されずに使用されるプログラムが多いとしても、その場合は使用者はそのようなプログラムに対して著作権を主張する必要はない。プログラムを使用するためには著作権者になる必要はないからである。

専ら機能・技術性を追求するprogram(東京地判S62.1.30無体19-1-1(判時1219-48) Microsoft事件)は個性発揮の度合いが相対的に低いため、公表される際の名義を問わず法人著作としたとする見解がある[22]。しかしprogramも例えばvideo gameに見られるように常に実用・効率一辺倒なわけではなく、programの技術性の強調はその文化的側面を見落とす危険性がある。たとえ文化性よりも技術性が強いものでもその文化的側面を伸張させるところに著作権法の意義がある。

「法人その他使用者の発意に基づき」とは会社・社団法人等の使用者の意思として著作物の創作が行われることで、企画から最後の段階に至るまで全体の創作行為にコントロールを及ぼしているという意味である[23]。法人等の具体的な指示あるいは承諾がなくても従事する者の業務の遂行上、当該著作物の作成が予期される場合には、この要件を満たすとする見解もあるが、法人著作は法人等の指示を前提に設けられた規定であり、法人の具体的な指示あるいは承諾がなければ法人等の発意はない。

法人等の業務に従事する者は、使用者との関係で雇用契約等による支配従属関係にある者のことであって、請負等によって一定の指示や注文を受ける者は含まれない。フリーカメラマンを法人等の業務に従事する者ではないとした例がある(東京地判H5.1.25判時1508-147ブランカ事件)

ただ派遣労働者もその作業についての指揮監督が契約書によって個々に及ぶことが明示されているならば派遣先企業の業務に従事する者となる[24]。法人と雇用関係がなくても、法人と被用者との間に著作物の作成に関する指揮命令関係があり、法人に当該著作物全体を原始的に帰属させることを当然の前提としているような関係も含まれるとする見解もあるが(東京地判H8.9.27判決速報258-7337四谷大塚事件)、法人内部の権利帰属と契約の問題は異なり、法人著作の範囲に雇用関係に加えて委託開発関係まで含めるのは法人著作の範囲を広げすぎる[25]。又、「業務に従事する者」は自然人であって法人は含まれない。

著作物の作成が勤務時間外もしくは所定の勤務場所外で行われても、その性質、内容等から職務にあたると判断されることもある[26]

そして以上の要件を満たしていたとしても、著作物作成時の雇用・労働契約、勤務規則等において、著作者を従業員等とする旨の規定が設けられていれば職務著作は成立せず、従業員等の個人が著作者となる。ただ日本で従業員に有利な勤務規則を定める企業はめったにない[27]

公表

職務著作の要件である法人名義による公表とは法人等が自らを著作者として表示して公表することである。個人が法人の肩書き付で公表する場合や、全体に法人名の表示があったとしても、「編集某」とか「某理事」というように執筆担当者が明らかにされていて執筆者が特定できる場合には法人名義による公表とはいえない[28]

著作権は著作物の公表時ではなく創作時に発生するため創作時に著作者が誰か決定していなければならず、著作権法15(1)は「公表した」ではなく「公表する」と規定するから、法人名義による公表が予定されていれば未公表でも法人著作になる(名古屋高判H6.10.27判決速報278-8156記念誌写真事件)

更に通説・判例は公表の予定がなくても法人名義で公表する性質を有する著作物ならば法人著作とする(名古屋地判H7.3.10判時1554-136在庫管理program事件、東高判S60.12.4判時1190-143新潟鉄工事件)。企業が秘匿する著作物こそ法人著作とする必要性が高いのに[29]、内部文書として作成されたものがかえって個人の著作物となってその者が排他的に権利を持つのは不合理だからとされる[30]。通説は企業名義による公表という要件を実質的に空文化するため、programとそれ以外の著作物の職務著作の要件は実質的に等しくなる[31]。この結果、computer programとそのmanualの権利主体を統一的に把握できる。

このような職務著作の要件を緩めた運用はbusinessの実態を反映したもので[32]、従業員名義で公表された著作物でも職務上作成されたものは法人に移転すべきとの立法論もあるほどだが[33]、著作者は自然人が原則であり、職務著作は例外だから限定的に解すべきで[34]、未公表の著作物の著作者は従業員個人とすべきである。公表を予定しない著作物は法人が著作権を主張する意図を持たないまま放置していることが多く[35]、法人を権利者とする必要性は低い。職務著作制度は営業秘密の内部管理制度としても期待されるが[36]、秘密保護は営業秘密制度の任務であり、著作者の人格的利益を保護すべき著作者人格権(公表権)を経済情報の隠匿のために機能させるべきではない。

批判

職務著作は複数人の共同作業により創作される例が多く、各人の関与の度合い・態様も様々で、具体的に著作者を特定の自然人に求めるのが困難である[37]。一九八三年に発売された任天堂「ファミコン」用ソフトは一本のソフトを四、五人で開発するのが普通だったが、セガ「セガサターン」やSCE「プレイステーション」の発売された一九九四年頃から二〇人前後に増え、ここ数年は数十人から百人規模のチームが一年から二年がかりで開発することも珍しくなくなった[38]

しかも法人内における著作の実態は部外者には判然としない[39]。仮に明確化しても多数の者が共同著作者となるから著作物の利用には全員の許諾が必要になり、著作物の利用を阻害する可能性がある[40]。成果物が多大な投資を背景に制作され、その制作に多数の者が関与する場合、当該著作物の円滑な市場流通を考慮すれば権利の帰属につき特別な配慮が求められ[41]、他方、職務上の著作者は労務に対する報酬の形で経済的な埋め合わせを得ている[42]。そして著作権は会社が承継すると取り決めておけばよいが、著作者人格権は著作者の一身専属権だから従業員に帰属し[43]、従業員から著作者人格権を行使される可能性もある。以上の理由から著作行為をなしうるのはあくまでも自然人との前提に立ちながら、一定の要件を具備した著作物についてだけ著作権取引の便宜上、法人を著作者と擬制したにすぎないものとされる[44]

しかし共同作業によって創作されるとしても、異なる個々人が渾然一体と融合するということはありえない。多数人の共同作業は統一的な計画の下に各人の分担を厳格に割り当てていかなければ進捗しない[45]。それ故、各人の関与の度合いを明らかにすることはそれほど困難ではない。仮に各人の関与の態様・寄与度が不明としても、著作権の持分は民法250条の趣旨に沿って、相等しいものとされるから問題ない(東京地判H9.3.31判時1606-118在宅介護書籍事件)。又、法人内の著作の実態は部外者にはわかりにくいが、著作権の発生を著作行為という事実にかからせている以上、著作者の認定が難題なのは職務著作以外の場合でも言えることである[46]

多数の者が共同著作者となると著作物の利用を阻害すると説かれるが、共同著作権者は正当な理由がなければ共有者全員の合意の成立を妨げることができないから(65(3))、著作物の利用が阻害されることはあまりないだろう。そもそも著作権は著作者の知的営為の成果を保障するために存在し、著作物が著作者の望まない態様で利用されるのを阻止するのがその機能であり、著作物の利用促進を第一義として著作権制度が構築されているのではない。著作者の利益より流通を重視するのは著作権法として本末転倒である[47]

又、従業員は給料を支給されているが、著作物の創作はcreativeな活動であり、routine workと異なり余人をもって代え難い活動である。たとえ全く同一の職務命令に基づいたとしても他人が作成すれば別の著作物になる。それ故、著作物の創作は給料だけで評価できるものではない。職務発明も給料の支給を受けて行われたにも関わらず、特許を受ける権利は従業者に帰属させることとしており、職務著作について法人に権利を帰属させるならば相当の対価を保障するまでの必要性がないことを労働政策的見地から論証されなければならない[48]

法人が著作者人格権を保持する必要性を説く見解もあるが、著作者人格権は著作者の名誉・声望を保護するための権利である。Corporations have neither souls to be saved nor bodies to be kicked.であり[49]、感情を持たない法人[50]に付与したとしても、法人の経済的利益確保のために行使されるだけだから、著作権譲渡後も行使できる著作者人格権を法人に認める必要はない[51]。裁判所には「会社の政治的行為をなす自由」(最判S63.6.1民集42-5-277)等、法人と自然人を人権享有主体として同視する傾向があるが、結社の自由を行使した構成員たる個人の人権と密接に結びついている法人の利益を公権力による侵害から守る場合にのみ法人の人権を認める意義があり、それ以外の場合には「法人の人権」論は個人の尊厳を抑圧・後退させるだけである[52]

立法論

職務著作に該当すると、企業が著作物に対する一切の権利を保有する。従って職務著作を行った従業員が例えば自己のWeb pageにその著作物をuploadした場合、作者本人の行為にも関わらず著作権侵害となる。しかし著作物は著作者の自己表現の成果・人格の流出物であり、職務で著作したものであってもそれは同じである。会社人間(社蓄)は自分の帰属する集団の評価さえ得られれば満足かもしれないが[53]、自立した個人ならば職務著作物でも自己の作品として位置づけたいだろう。

著作権は特許権と異なり、産業の高度化が進展しても個人が権利者となるのが普通である。しかも出願や特許料納付という負担があり個人が保有するには不向きで、研究資材・機械設備等を提供する企業の寄与度も職務著作以上に大きいと予想される特許権でさえ、職務発明について特許を受ける権利が帰属するのは企業ではなく従業員であり(35)、企業が特許を受ける権利を承継したとしても発明者は当該従業員のままである。加えて通信・複製技術の発達で個人による情報発信が可能になったため(著作権の第三の波)[54]、個人が著作物を活用する機会が広がっている。それ故個人が自己の作品の著作者でありたいと思うのは自然である。

他方、hit作の如何で業績が左右されるsoftware重視のmarketにおいて企業がcore competenceを保持し続けるには、従業員が創造性を発揮できる環境を整えなければならない。組織にとって会社人間は都合のよい存在だが社蓄では優れたコンテンツは生み出せない。従業員に個性を発揮させるには従業員の個性を認めなければならない。最良の作品は優秀な人材と最良の環境から生まれる[55]。創造性を認めるということは創造性の成果を彼に保障するということである。社内記者の書いた新聞記事は当然に職務著作と考えるのが一般的だが[56]、最近は署名記事も増えており、記者の個性が表れている署名記事が紙面を魅力的にしている。企業が従業員を職務著作物の著作者としてrespectすることが、創作者たる従業員に自己の創造性を正当に評価されたという満足感を与え[57]、情報産業の発展にも寄与する。

職務著作の著作者を法人とすることは合理性が薄く、立法論としては法人著作制度を廃止すべきである。給与の支給・資本投下等、従業員の創作のために手順を整えた企業が職務著作物の利用に全く関与できないのは不当とする見解がある[58]。しかし企業は著作者の地位に立たなくても、従業員が職務上作成した著作物については著作権を使用者に移転させる旨の契約を従業員と締結することができる。事実そういう定めをする企業は少なくないという[59]

又、職務の内容によっては従業員から企業に対し当該著作物作成の目的の範囲内で、黙示の利用許諾・著作者人格権の不行使特約が認められる場合もあろう[60]。そして使用者と従業員の力関係を考えれば著作権法の職務著作規定としては黙示の利用許諾・著作者人格権の不行使特約の推定規定を設ける必要もないだろう。

従業員が職務上作成した著作物については当該著作物作成の目的の範囲内で、従業員から企業に対し黙示の著作者人格権の不行使特約が認められるが、著作者人格権は一身専属権として放棄が許されないから事実上放棄と同士で切るような広範な不行使特約は認められず、企業はできる限り人格権を尊重しなければならない。昔のテレビ番組には製作スタッフの氏名を全く表示しないものがあったようだが、映画の最後に長々と登場する字幕のように氏名を表示して労働に報いるべきである[61]

Multimedia

近年発達が著しいmultimedia著作物は多数の関与によって製作され、全体を統括して一つの作品として取りまとめる企画・製作主体者が利用される各素材の権利について集中的に権利処理にあたることになると予想され、企画・製作主体者の役割やその介在の部分が多くなっているとされる[62]。そのためmultimedia著作物は企業が権利主体となりやすいように職務著作の要件を緩めるべきとの提言もある。しかしmultimedia著作物といっても著作権法上それらは言語・音楽・美術・映画・プログラムの各著作物なのであり、著作権法はmultimedia著作物という概念を立てておらず、新たな著作物の種類の創設とその例外的扱いは権利関係を却って錯綜させる。

又、機器の低廉化・高性能化・インターフェイスの向上によって[63]、個人が巨大設備を持たなくてもパソコンを駆使することでmultimedia作品を創作して発信することが可能になった。そのためmultimedia創作では個人の活動範囲はむしろ拡大しているとみるべきである。computerが単なる情報機器にとどまらず新たな体験を生み出す魔法の箱と言われるのは正にこの点である[64]。今まで創作活動に無縁の人でもcomputerを利用することでdigital contentsを創作するようになっており、multimedia contentsの創作は情報社会における個人の自己実現の一つのあり方となろう。それ故multimedia著作物の権利を企業に帰属させることは、既存の著作物を利用した創作活動が活発化するdigital時代[65]において著作物の利用・流通を促進するが、情報化は新たな金儲けのchanceとしてのみ意味を持つものではなく、会社社会から個人を解放する可能性を秘めており、個人の創造性の成果たる著作物を個人に帰属させることがその実現につながる。

映画の著作者modern authorは映画の制作・監督・演出・撮影・美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者であるが(16。旧法につき東京地判S52.2.28無体9-1-145九州雑記事件)投下資本の回収・流通促進の観点から著作権を製作者に帰属させ(29)、出演者にはone chance主義により実演家の隣接権を適用しない(92(2))。このような映画著作者・実演家の利益を軽視するsystemが映画著作者・実演家に対する将来の投資を損なわせ日本映画衰退の一因になっている[66]

米国では視聴覚的著作物は製作者と実演家は一種の雇用関係にあるので職務上の著作物とされ、著作権は当事者間の書面による別段の合意がない限り製作者に帰属される[67]。米国では著作隣接権制度に基づいて実演家を保護するという発想はないが、米国の実演家は労働組合(e.g. Screen Actors Guild, SAG)に結集して製作者側との団体交渉・詳細な契約を通して徐々に実演家の権利を実現していった(e.g.労働条件、最低出演賃金、氏名表示権、劇場上映・海外への配給・TV放送・ビデオ化に対する報酬請求権)[68]。米映画俳優組合と米テレビ・ラジオ芸術家連合は2000.5.1よりケーブルテレビの出演料を定額から放映回数による支払へ変更を要求してストを行っている[69]

日本でも日本俳優連合が日本音声製作者連盟と声優の出演条件を定めた団体協約を結び、製作会社側がテレビ放映用アニメをビデオ化して販売する場合、出演した声優に目的外使用料を支払うこと等を定めている。目的外使用料が支払われていないとして声優が使用料未払いを契約違反として提訴した例がある[70]

結語

日本人は著作権思想に疎いと言われるが、それは歴史的に形成されたものに過ぎず変わりうる。現代では若年層の個人主義化が急速に進んでおり[71]、権利意識も高まっている。networkの普及によって利潤追求を第一としない個人programmerによるonline softwareの流通が盛んだが、欧米では著作権を放棄したpublic domain software, PDSや著作権を否定するcopyleftが多いのに対し、日本では無料で配布しても著作権は留保するfreewareが主流である。programmerの世界では日本人の方が権利意識は強いと言えるかもしれない。

個性を否定し他人と異なることをすると仲間外れにされるような社会で個性的な創作を行うためには、強靭な個人主義精神を有していなければ不可能である。そのため日本人一般は集団主義的としてもcreativeな活動に携わる日本人は逆にかなり個人主義的である。日本の近代文学を見ても作者の分身である「私」の描写にこだわる私小説が主流であり、自己への関心が強いことを示している。そしてdigital技術の発達で万人がcreatorであり出版者となれるnetwork時代には個人主義的な日本人が激増し著作権意識も高揚する。

現に今日本では知的財産に対する関心が高まっており[72]、歓迎すべきことである。ただ中には知的財産権を不況克服の武器として捉える論調も目立つ。しかし知財権が単に企業の金のなる木にすぎないなら経済的支配関係が強化されるだけである。だが知的財産制度のraison d’êtreは個人の知的営為の成果を資本の大なる者から保護する点にあり[73]、法自体が企業による個人の知的財産の収奪を許容するならば、消費の非排他性という公共財的性質を有する知的財産に排他的独占権を認める知的財産法の正当性が根本から問われることになろう。



[1] 中山信弘・工業所有権法上(弘文堂1993)1、同・情報と社会(東大出版会1984)82、玉井克哉「情報と財産権」ジュリスト1043(1999)74

[2] 上原伸一「放送新条約:議論は進む、されど日程は決まらず」コピライト465(2000)39

[3] 栗原崇光「テレビ放送と著作権」情報化社会と法(青山学院大学法学部1996)189

[4] 原田文夫「著作権産業の規模」コピライト467(2000)38

[5] 児玉晴男「sui generis rightと著作権・知的所有権の相関関係について」パテ50-5(1997)16

[6] 村上陽一郎・科学者とは何か(新潮社1994)78

[7] 前田哲男「映像をめぐる著作権法上の諸問題」コピライト460(1999)4

[8] 内田法子「インタビュー記事の複製権・翻案権侵害事件」コピライト461(1999)109

[9] 野一色勲「法人著作と退職従業者」民商法雑誌107-45(1993)592、久々湊伸一「判批」判評425(1994)58

[10] 北川善太郎「著作権制度の未来像」コピライト465(2000)11

[11] 道垣内正人「インターネット時代の著作権保護についての国際私法上の問題」コピライト454(1999)26

[12] 駒田泰土「著作権の原始取得に関する準拠法」コピライト464(1999)33

[13] 原田文夫「技術的修正?『職務上の著作物』議論へ」コピライト468(2000)49

[14] Saha, B.P.「バングラデシュにおける著作権および隣接権の保護」コピライト466(2000)45

[15] Lalmalsawma=原田文夫訳「インドにおける著作権および隣接権の保護」コピライト467(2000)54

[16] Chen, Y.=原田文夫訳「中国における著作権及び隣接権の保護」コピライト467(2000)58

[17] 本山雅弘「中国」コピライト468(2000)41

[18] 矢谷通郎他・ブラジル開発法の諸相(アジア経済研究所1994)215

[19] 斉藤博「変動する国際著作権界」法政理論23-34(1991)374

[20] 清水幸雄・知的所有権法入門2(中央経済社1999)225(土田芳幸)

[21] 作花文雄「著作権法の一部を改正する法律」法令解説総覧47(1985)44

[22] 田村善之「職務著作の要件構造」ジュリ1132(1998)43

[23] 篠田四郎「職務上作成する著作物の著作者」名城法学45-3(1996)21

[24] 三木茂「ソフトウェアの委託開発と法人著作の関係」民商法雑誌107-45(1993)581

[25] 文化庁「コンピュータ・プログラムに係る著作権問題に関する調査研究協力者会議報告書」民商法雑誌107-45(1993)621、安藤和宏・よくわかるマルチメディア著作権ビジネス(リットーミュージック1996)143

[26] 三山裕三・著作権法詳説3(東京布井出版1998)83

[27] 赤尾光史「新聞の報道と著作権」情報化社会と法(青山学院大学法学部1996)261

[28] 田村善之「雑誌の休廃刊の際の挨拶文の創作性が問題となった事例」H8年度重要判例解説258。映画の脚本につき、森川喜和「脚本の権利の確立をめざして」コピライト460(1999)66

[29] 中山信弘「コンピュータ・プログラム等と法人著作」著作権判例百選2(有斐閣1994)71

[30] 加戸守行・著作権法逐条講義新版(著作権資料センター1991)118

[31] 紋谷暢男・無体財産権法概論7(有斐閣1997)74、同「無体財産権法判例の動き」ジュリスト862(1986)235、阿部浩二「著作権法15条にいう『法人が自己の著作の名義の下に公表するもの』の意義」特許管理37-7(1987)863

[32] 高石義一「コンピュータ・プログラムの法的保護」ジュリスト850(1985)38

[33] 潮海久雄「職務著作制度の法的構造」本郷法政紀要4(1995)133

[34] 著作権制度審議会答申説明書(文部省1966)17、生駒正文「判批」判例評釈451(1996)66

[35] 鎌田薫「機密資料の開発者による一時持出しと横領罪」小野昌延還暦・判例不正競業法(発明協会1992)766

[36] 小泉直樹「知的財産と法人の権利」民商法雑誌107-45(1993)502

[37] 半田正夫「国の著作」著作権判例百選2(有斐閣1994)111

[38] 「苦悩のソフト産業」読売新聞二〇〇〇..二五

[39] 中山信弘・ソフトウェアの法的保護新版(有斐閣1988)55

[40] 作花文雄=紋谷暢男・プログラム著作権とは何か(有斐閣1988)65

[41] 本山雅弘「WIPO常設委員会第3セッションの報告」コピライト465(2000)40

[42] 辰巳直彦「法人著作」民商法雑誌107-45(1993)546

[43] 佐野文一郎=鈴木敏夫・改訂・新著作権問答(出版開発社1979)130(佐野)

[44] 半田正夫・著作権法概説7(一粒社1994)69

[45] 熊沢誠他「管理社会と労働」企業と労働(有斐閣1979)269(宮崎義一)

[46] 三宅正雄「訟法日誌」著作権判例百選277

[47] 柿田清二「回想2題」コピライト463(1999)27

[48] 末吉亙「企業活動の成果たる知的財産権の原始的帰属について」本間崇先生還暦 知的財産権の現代的課題(信山社一九九五)一一四

[49] The Oxford Dictionary of English Proverbs, 3rd ed., revised Wilson, F.P. (Oxford UP 1970)145.

[50] 宮崎俊行「現代日本農村社会における組織体について1」法学研究71-10(1998)12

[51] 田村善之・著作権法概説(有斐閣1998)309

[52] 芹沢斉「法人に人権?」法学セミナー503(1996)41、樋口陽一・権力・個人・憲法学(学陽書房1989)35

[53] 大野力「高学歴化と昇進志向の変容」企業と労働(有斐閣1979)200

[54] 苗村憲司=小宮山宏之・マルチメディア社会の著作権(慶大出版会1997)223(苗村)、上野達弘「近未来の著作権をめぐる議論状況」コピライト461(1999)71、川岸令和「インターネット」法学教室224(1999)20、斎藤智子「インターネットに規制の動き 表現の自由損なう恐れ」朝日新聞1997.8.10Lucas, G.「技術超える映画の感動」読売新聞1999.1.13、渡辺浩弐「ゲーム評論家の死」読売新聞夕刊1999.4.2、池松洋「沖縄音楽ネットに開放」読売新聞夕刊1999.5.14

[55] グロービス・ベンチャー経営革命(日経BP1995)176

[56] 半田正夫「マスコミと著作権」コピライト459(1999)15

[57] 大家重夫「タイプフェイスの法的保護と権利情報データベースの作成について」コピライト460(1999)53

[58] 斉藤博「職務著作とベルヌ体制」民商法雑誌107-45(1993)529

[59] 原田文夫「著作権相談から」コピライト468(2000)57

[60] 野一色勲「注文者=著作者」著作権判例百選2(有斐閣1994)113

[61] 杉山正己「著作権確立のための一考察」コピライト467(2000)52

[62] 梶野慎一「マルチメディアと著作権」ジュリスト1042(1994)75

[63] Tapscott, D. & Caston, A., Paradigm Shift (McGrawhill 1993) chap. 1.

[64] Canter, M.「フィリップ・カーンへの手紙1Eye-Com 169(1997)21

[65] Cho, G.「日本の地域情報化産業政策と地域発展」三田商学研究41-2(1998)81

[66] 松田政行「著作権法100年とこれからの10年」コピライト461(1999)46

[67] Salokannel, M., Ownership of Rights in Audiovisual Productions (1997) 299.

[68] 増山周「視聴覚実演家の保護に関する国際的枠組みの早期確立を」コピライト465(2000)37

[69] 「米の俳優らストに突入」朝日新聞2000.5.3

[70] 原田文夫「アニメのビデオ化で使用料未払い」コピライト468(2000)51、「『声の使用料』求め提訴」読売新聞2000.2.15

[71] 富永健一・日本産業社会の転機(東大出版会1988)43

[72] 守誠・特許の文明史(新潮社1994)24

[73] 吉藤幸朔=熊谷健一・特許法概説12(有斐閣)11