『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』
東急不動産消費者契約法違反訴訟を描くノンフィクション
東急不動産(販売代理・東急リバブル)から不利益事実を隠して問題物件をだまし売りされた著者(=原告)が消費者契約法に基づき売買契約を取り消し、裁判(東急不動産消費者契約法違反訴訟、東京地裁平成18年8月30日判決、平成17年(ワ)3018号)で売買代金を取り戻した闘いの記録。裁判における当事者と裁判官の緊迫するやり取りを丹念に再現
個人が不誠実な大企業を相手に闘うドラマがある!
裁判と並行して明らかになった耐震強度偽装事件の余波や欠陥施工、管理会社・東急コミュニティーの杜撰な管理にも言及し、深刻化を増すマンション問題の現実を明らかにする。
東急不動産のために働いた地上げ屋(近隣対策屋)が暗躍し、住環境を破壊する高層マンション建築紛争と共通するマンション建設の闇に触れる。
●目次 まえがき 東急不動産を提訴 東急不動産の弁論欠席 弁論準備手続開始 東急不動産の証拠改竄を指摘 東急不動産の図面集捏造に反論 倉庫との虚偽説明を糾弾 アルス東陽町での進行協議 証人尋問 地上げ屋の証言 原告への陰湿な攻撃 東急不動産従業員の証言 偽りの和解協議 東急不動産の卑劣な提案 予定調和の協議決裂 東急不動産に勝訴 東急不動産の遅過ぎたお詫び 耐震強度偽装事件と欠陥施工 勝訴の影響 社会正義の実現のために
ロゴス社、2009年7月1日発行、ISBN978-4-904350-13-3 C0032 46判 110頁 定価1100円+税
●『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』は『別冊サイゾーvol.1 タブー破りの本300冊 サイゾー11月号臨時増刊』(2010年11月1日発行)の「警察、学会、農業……の危険な裏 告発本が明らかにした「日本の闇」」で紹介されました。
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制服向上委員会が反原発ソング『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』を発表
女性アイドルグループ・制服向上委員会が2011年8月15日に『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』をリリースする。CDの売り上げは1枚につき300円が福島第一原発事故で苦しむ福島の酪農家に寄付される。
『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』はアイドル・ソング専門配信チャンネルA.I.S.Aで6月8日に初披露され、6月11日の新宿の脱原発アクションでも歌われた。アイドルが社会的メッセージの強い曲を歌うだけでも話題であるが、かわいらしいアイドル・ソングと辛辣な歌詞のギャップが原発に否定的な市民の間で評判になっている。
制服向上委員会は1992年に結成された女性アイドルグループの老舗である。国民的アイドルグループとなったモーニング娘。やAKB48に影響を与えた存在である。モー娘。がデビュー時にテレビ番組『ASAYAN』でMCの岡村隆史から「制服向上委員会か」と突っ込まれた話は有名である。
女性アイドルグループの源流としては、おニャン子クラブが挙げられる。しかし、おニャン子クラブがヤンキー御用達であったのに対し、モー娘。やAKB48はヲタという言葉が生まれるほどヲタク層をコアなファンとする点で性格の断絶がある。アイドル・ファン層の転換には、「清く正しく美しく」をモットーとする名門女子高の優等生的な制服向上委員会のイメージが大きく寄与している。
制服向上委員会は日本国憲法第9条を肯定する『理想と現実』や地上波デジタル移行を批判する『TVにさようなら』など社会性の強い歌を発表してきた。ボランティアなどの社会活動にも熱心である。『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』も、これまでの活動の延長線上にある。
制服向上委員会オフィシャルサイトでは「悪政を真似て選挙をし、無駄なエネルギーを消費する事より」とAKB48への対抗意識を明らかにしており、ネット上では脱AKBで脱原発との表現も生まれている。タブーに挑戦する社会派アイドルの反原発ソングが、どれだけの広がりを持つか注目である。(林田力)
制服向上委員会『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』の辛辣さ
制服向上委員会の『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』は「忘れない」が何度も繰り返されている点が印象的である。「私たちは忘れない 原発事故の事」という独白まである。一般に原発批判ソングに盛り込みたい内容は数多く存在する。放射能の危険性や汚染の長期化、内部被曝、原発利権、原発ジプシーなど批判材料には事欠かない。
ところが、『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』では原発の害悪や放射能汚染被害を歌うだけでなく、それ以上に原発事故や原発推進派の嘘を忘れないことを強調している。これは斉藤和義の反原発ソング『ずっとウソだった』に通じるものがある。『ずっとウソだった』も原発の安全神話が嘘だったことを強調している。
「忘れない」というメッセージは過去を水に流すことを美徳とする非歴史的な性質を有する日本社会に突き刺さる。日本社会では焼け野原から経済大国にするような前に進むことしかできないメンタリティが幅を利かせている。過去の問題を追及することを後ろ向きと非難し、目の前の火を消すことばかりに注力する発想である(林田力「日本社会の非歴史性が問題だ」PJニュース2010年6月26日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100625_11
福島第一原発事故もメルトダウンやメルトスルーなど次々と明らかになる実態を追うことばかりに目を向けてしまいがちである。そのような目の前の情報に振り回されるのではなく、原発推進派が嘘をついていたことという事実を確認し、それを忘れないことは、日本社会の成熟にとって決定的に重要である。
非歴史的な日本人にとって「忘れない」は耳に痛い言葉である。日本軍による宣戦布告前の真珠湾攻撃に対する米国人の合言葉は「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)であった。日本軍の侵略と虐殺に対するシンガポール政府の姿勢は「許そう、しかし忘れまい」である。韓国・独立記念館の日帝侵略館・展示趣旨にも「過去の不幸な歴史の加害者を許すことはできますが、決して忘れてはらならないことです」と記載されている。
このような「忘れない」声に対する醜い日本人の反応は「過去は忘れて、未来志向で前向きに」となる。その意味で日本人から「忘れない」とのメッセージが出された意義は大きい。『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』は非歴史的な日本人の愚かさを克服するメッセージになる。
『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』は「もう忘れないから 原発推進派」と批判対象を原発推進派と明言している点も重要である。未だ収束しない福島第一原発事故を目の前にすると、「加害者や被害者も一致団結して事故の収束に団結しよう」というナイーブな主張も登場する。それは無条件降伏後の「一億総懺悔」につながり、根本的な責任がウヤムヤにされてしまう。責任主体を明言する『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』のメッセージは重い。
『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』が敵を原発推進派と規定した意味も深い。福島第一原発事故以前は、原発は反対するものであり、キーワードは「反原発」であった。しかし、反原発運動には特定セクトのイメージが強く、広範な市民を結集するキーワードとして「脱原発」が普及している。脱原発には反原発と意識的に区別する意味合いがある。反原発の狭いイメージを払拭し、これまでデモと無縁だった幅広い市民各層を取り込んだ点は脱原発を掲げた運動の大きな功績である。
一方で福島第一原発事故以前から反原発の運動家が原発を批判していたことは厳然たる事実である。反原発運動には市民的広がりが得られなかったという限界はあるものの、先人に対するリスペクトは必要である。この視点を忘れたならば反原発の運動から脱原発は紛い物や便乗者と批判されるだろう。
タイトル上は脱原発となっている『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』であるが、原発推進派を否定することで、推進派の対語である反対派と同じ立場であることを暗示している。脱原発を掲げる人々にも存在する「福島原発事故後は原発推進派も原発反対派も一致団結して脱原発を目指そう」というナイーブな論調とは一線を画した曲になっている。
マンション建設反対運動は人権論で再構築を
マンション建設反対運動は理論的なバックボーンとして人権論で再構築すべきである。これまでマンション建設反対運動は街づくりを掲げる傾向があったが、人権論をベースにすることで強くなれる。
建設反対運動が街づくりを志向することには理由があった。建設反対運動は以下の問題を抱えていた。
第一に不動産業者側から寄せられる地域エゴ、住民エゴという非難である。それに対抗するために建設反対運動では街づくりという公共的なテーマを掲げた。
第二に運動の一過性である。マンション建設反対運動はマンション建設計画によって生じ、マンション竣工によって終了してしまう傾向がある。日本全国各地で紛争は生じているが、どこも一過性の運動で蓄積は乏しい。そのために街づくりというテーマを掲げて、恒常的な運動を志向する。
しかし、街づくり志向にも欠点がある。街づくりという広汎なテーマを掲げることが、逆に住環境を破壊するマンション建設に反対するという運動の原点を曖昧にしてしまう(林田力「マンション建設反対運動の団体名の一考察」PJニュース2011年6月17日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101210_5/
また、街づくりは政策論である。もともと自分達の住環境を守りたいという切実な思いが建設反対運動の出発点である。それが街づくりという高尚な理論で飾ることで切迫感の欠けた運動になってしまいかねない。政策論では貧困問題など生きるか死ぬかの問題を抱える市民運動家に切実さが伝わりにくい。この結果、市民運動の中でマンション建設反対運動の存在感は小さなものになってしまう。
この点は賃貸住宅トラブルの被害者の運動が参考になる。賃借人らの運動は住まいの問題を生存権(憲法第25条)などに基づく人権と位置付けている。「住まいは人権」との主張である(林田力「住宅政策の貧困を訴える住まいは人権デー市民集会=東京・渋谷」PJニュース2011年6月15日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110615_1
賃貸トラブルの被害者に対する世間の視線は決して温かいものではない。まだまだ日本社会では「家賃を滞納する賃借人に文句を言う資格はない」「店子は大家に逆らうな」的な発想が幅を利かしている。この種の非難に賃借人の運動は人権問題と論理構成することで対抗する。人権であるならば主張することに遠慮はいらない。たとえ家賃滞納者であったとしても、人権侵害は許されない。これが賃借人の運動の強さである。
人権論をベースとしたマンション建設反対運動として、二子玉川ライズ反対運動に注目する。ここでは高層マンションによる住環境破壊を人権侵害と構成する。この点で賃借人の運動と同じ水準になっている。
具体的には憲法第13条の生命・自由・幸福追求権や第25条の生存権を基礎とする良好な環境の下に生活し続ける権利や環境権を侵害すると主張する。最高裁判所に実質的な憲法判断を求めて2011年5月9日に要請書を提出した(林田力「二子玉川ライズ反対運動が学習決起集会開催=東京・世田谷」PJニュース2011年5月9日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110508_4/
実態としても、二子玉川ライズの住環境破壊は住民にとって文字通り生死に関わる問題になっている。高層ビルのビル風に吹き飛ばされた女性が骨折する事故が起きている(林田力「二子玉川再開発説明会で住民の懸念続出=東京・世田谷」PJニュース2011年5月16日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110513_1
ここまでの文章はマンション建設反対運動が街づくりよりも、人権論をベースとすべきとのスタンスで書いてきた。しかし、管見は街づくりを全否定するものではない。建設反対運動が街づくりを志向することに理由があったことは既に述べたとおりである。それは建設反対運動が置かれた状況を克服するために導き出されたもので、大きな意義がある。
この街づくりと人権の関係という点でも二子玉川ライズ反対運動は注目に値する。二子玉川ライズ反対運動は憲法上の権利として、住民が主体的に街づくりに参画する権利「まちづくり参画権」を主張する(林田力「二子玉川ライズ文書非開示に意見書提出=東京・世田谷(下)」PJニュース2011年1月18日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110116_3
街づくりと人権は対立するものではなく、「まちづくり参画権」という人権問題と位置付けることで二子玉川ライズ反対運動において両者は止揚されている。
『リバウンド』第8話、鬼編集長ぶりが様になる若村麻由美
日本テレビ系ドラマ『リバウンド』第8話「変えられない女」が、6月15日に放送された。今回は大場信子(相武紗季)と今井太一(速水もこみち)、三村瞳(栗山千明)の三角関係が泥沼化する中で、編集長・森中蘭(若村麻由美)のエピソードが清涼感をもたらした。蘭は信子が編集するファッション雑誌『エデン』の鬼編集長である。面白い雑誌を作って読者を幸せにすることに命を賭けているが、名前を間違えて呼ぶなどの傲慢な性格から編集部員の反感も買っていた。今回は功績のあったモデルの内藤有希(西山茉希)を降板させたために、出版社との上層部とも衝突してしまう。
ドラマの本筋は三角関係であるが、二人の異性の間を揺れ動く想いや恋のライバルの競い合いなど恋愛ドラマの要素は薄い。信子と太一は相思相愛であるが、信子は瞳の気持ちを優先させて自分が身を引こうとする。恋愛よりも友情を優先させた行動である。しかし、彼氏を譲ってもらったところで、瞳が喜ぶものでもない。みじめな気持ちや罪悪感が残るだけである。
太一から逃げ回るばかりの信子であったが、蘭を元気にさせたいという信子の気持ちがドラマを進めた。冷たい編集部員に「私一人で無駄な努力をやり続ける」と啖呵を切った信子は「アンジュ」に行き、太一にケーキが大嫌いな蘭でも食べられるケーキを依頼する。蘭のエピソードを絡ませることで、こう着した恋愛ドラマに動きを与えた。
欄のエピソードはスポンサーや会社の上層部とも妥協せず、孤立無援になっても、自分が面白いと考える雑誌編集を貫くところがポイントであるが、背景の描写は抽象的である。モデルの有希では何故ダメなのか、新人モデルのどこに魅力があるのか、説明がない。それ故に蘭の決定が雑誌を良くするものか、単なる気まぐれのワガママか視聴者は判断できない。
本来ならば具体的な理由説明なしで、真剣であるが故の雑誌への情熱であると位置づけることは乱暴な話である。むしろ、独裁者のワガママに振り回される編集部員に同情を覚えても不思議ではない。しかし、細かな説明がなくても若村麻由美の演じる蘭の存在自体が、仕事ができる女性として迫力がある。
サングラスを頭に乗せるなど蘭の独特のファッションはファッション誌の編集長として様になっている。若村は2008年放送の大河ドラマ『篤姫』での皇女和宮の生母・観行院役など時代劇で若手女優に引けを取らない美貌を披露していたが、現代ドラマでも他者を寄せ付けない美貌を示した。そして『プラダを着た悪魔』のミランダ編集長ばりの鬼編集長ぶりである。その生き方に影響を受けた主人公・信子の精神的成長に注目したい。(林田力)
『ハイチ いのちとの闘い −日本人医師300日の記録』の感想
本書はカリブ海に浮かぶ島国ハイチ共和国で医療活動に従事した日本人医師の体験記である。著者は「学ぶべきことは人々の中にある」というNGO代表の言葉に触発され、ハイチへの赴任を決意する。ハイチではカポジ肉腫・日和見感染研究所においてエイズの治療と研究を行うものの、2004年のクーデター騒乱によって出国する。著者は専門家としてハイチに赴任したが、本書の内容は専門分野に閉じこもったものではなく、ハイチ社会と向き合った等身大の体験を記述する。ハイチ赴任のきっかけとなった言葉「学ぶべきことは人々の中にある」を文字通り体現している。
著者が赴任したカポジ肉腫・日和見感染研究所は過去10年以上にわたり、日本政府の援助を受けていたという。にもかかわらず、日本との人的交流は乏しかった。これは「顔の見えない」と形容される日本の援助の一例である。
著者は「こうした状況を変えてみたい」と考え、熊本で行われる感染症対策の研修コースに研修生を送り出す。著者がカポジ肉腫・日和見感染研究所に赴任し、それがきっかけでハイチの医者が日本を訪れる。これだけでも著者の赴任には意味がある。
本書の最後はクーデター騒乱の混乱の中からの身一つでの出国を描く。この騒乱は2004年にハイチ解放再建革命戦線が蜂起し、ジャン=ベルトラン・アリスティド大統領が「亡命」した内戦である。ここにはキナ臭い話が色々とある。米国が反乱軍の武器を提供していた、アリスティド大統領の労働者保護政策に反対する米国人実業家アンドレ・アパイドが反政府勢力を率いていたなどである。
しかし、本書では、その種の政治的な裏話には触れていない。この点で国際政治の生々しい現実を知りたい向きには不満が残るが、現実に途上国で草の根の国際協力を行うためには政治に深入りしないことが必要であるかもしれない。
また、著者はハイチが混乱する背景として「麻薬を扱って利益を得ている集団」の存在を挙げる。この集団にとって安定した社会は不都合であるため、騒動を引き起こし、国内を不安定な状況に陥らせようとする。これを著者は「許しがたい」と非難する(184頁)。実際の世の中は明らかな悪を持ち出し、それを非難すれば済むというほど単純ではないと考える。しかし、誰もが合意できるところから非難していくということが現実的な知恵なのかもしれない。
本書では政治的な言説は抑制されているが、印象に残ったものはアメリカ在住のハイチ人アブジャスの言葉である。民主的に選ばれたアリスティドの施政下の混乱に直面して、「デュバリエ独裁時代のほうがハイチは豊かで、秩序があった」と独裁政権を懐かしむハイチ人がいることを彼は批判する。彼は独裁政権下の秩序を「恐怖の中での秩序」と位置付け、「自由のない社会の秩序は、自由のもたらす弊害以上に恐ろしい」と主張する(132頁)。
大衆が結果的には自らの首を絞めることになるにもかかわらず、独裁者を支持してしまうことは「パンとサーカス」で骨抜きにされた古代ローマから、ナチス・ドイツが台頭したワイマール共和国に至るまで繰り返されてきた。現代日本でも格差の拡大の中で鬱積したルサンチマンを歴史の美化や嫌韓によって埋め合わせようとする危険な傾向があり、決して他人事ではない。
日本社会の格差以上に深刻な苦しみを抱えるハイチで、独裁政権の恐怖を冷静に訴える意見に出会えたことは人間に対して明るい希望を与えてくれる。まさに「学ぶべきことは人々の中にある」という言葉の通りである。
『イラク崩壊』の感想
本書はイラク戦争以降のイラクを始めとする中東各地での取材をまとめたルポルタージュである。著者は朝日新聞元中東アフリカ総局特派員であるが、本書は日々の記事をまとめて一冊の書籍につなげたという類のものではない。サブタイトルに「米軍占領下、15万人の命はなぜ奪われたのか」とあるとおり、著書の問題意識を明確化し、危険な現地取材を通して著者なりの回答を出した力作である。ジャーナリズムは主観を交えず事実を淡々と報道すればよいと考える向きには本書の性格は不満だろうが、著者の分析は傾聴に値する。著者は自爆テロが続くイラク社会を「人類史上、例のない異常事態」と表現する(304頁)。しかし、そこで「ムスリムは異常だ。我々の常識が通じない」と思考停止しない点が著者の鋭いところである。
著者は太平洋戦争における日本の特攻との類似性に思い至る。戦時中の日本は圧倒的な力を持つ米国と勝利の見込みのない戦争を続けており、国内では軍部が強権によって国民支配を正当化していた。さらに靖国神社や天皇制といった宗教的な装置が、特攻や玉砕などの死以外に選択肢のない戦い方を若者に強制する上で重要な役割を果たしていた。ここから著者は自爆の背景を探るために宗教指導者に会うことを課題の一つとした。
本書で描かれる米軍占領下のイラクは惨憺たるものである。米軍と戦うイラクの若者はアルカイダとも911同時多発テロとも関係なかった。米軍によって屈辱を味わわされ、財産を奪われ、人生設計の変更を余儀なくされたことにより、テロリストと呼ばれる側に身を投じていったのである。
一方で著者は米軍への抵抗勢力に対しても厳しい。本来は侵略軍への抵抗として国際的な共感を得られるはずであった。しかし、アルカイダに代表される不寛容なイスラム主義が伸張し、他派やジャーナリストをも攻撃対象とすることで、国際的な支持を得られる余地はなくなった。
それでも著者は解決策として米軍のイラク撤兵しかないと断言する(382ページ)。イラクの現状は米軍が持ち込んだ狂気が伝播し、増幅した結果だからである。米軍の即時撤兵は平和主義的な理想論にとどまらず、イラクの現実を見据えたものである。確かにイラクではシーア派とスンニ派を中心とした内戦状態にあり、米軍の撤退は宗派間の対立を一時的に激化させる危険性がある。
しかし、占領下でイラクの実情を無視した政策を押し付け、不法を繰り返した米軍にイラク各派の暴力を止める道義的資格は皆無である。むしろ米軍がイラクを占領している状態が武装勢力に大義名分を与えている。さらに対立宗派を「米軍の協力者」と決め付けることでイラク人同士の殺し合いが正当化されている。米軍さえ撤退すればイラクは平和になるというような楽観論には同意できないとしても、もはや米軍にはイラクに貢献する資格も能力もないという悲観的な立場からも米軍撤退は導き出せる。
本書の最後で著者は「イラク戦争とその後の占領の最大の目的」が「イスラエル防衛」にあるとの仮説を明らかにする(389ページ)。イスラエルにとって脅威になるフセイン政権の打倒を目的と考えるならば米軍の行動は合理的に説明がつく。
そもそもイラクには開戦の理由となった大量破壊兵器は存在しなかった。石油利権が目的だったとする陰謀論が流布しているが、米国は戦費に見合うだけの利権を得ていない。むしろ石油利権は実りのないイラク占領を国益優先主義者に納得させるためのカモフラージュではないかと推測する(176ページ)。
イスラエル防衛目的という著者の推測は、恐ろしいほどの説得力を持つ。米国にとってイラクで親米親イスラエル政権を樹立できればベストだが、それが無理ならばイスラエルの脅威にならないようにイラクを弱体化しておくことが上策となる。
米軍がイラク市民に不法を繰り返すことで、怒ったイラク市民を過激派へ追いやってイラクが混乱すれば、イスラエルに矛先が向かわずに済む。米軍のイラク占領政策は占領を進める上でも稚拙で、イラク市民から無用の反感を受ける内容であったが、そこにもネオコンの深謀遠慮が働いているのかもしれない。
加えて米軍がイラクでアラブ人の憎しみの的になることはイスラエルの負担を減ずることになる。イラクでは中東各国からイスラム聖戦士(ムジャヒディン)達が続々と入国し、米軍と戦い、自爆テロを繰り返している。著者はイラクに行ったムジャヒディンを輩出するレバノンの村を取材している。
当初、彼らはイスラエルと戦うことを望んでいたという。しかし、警戒厳重なイスラエルに比べて入国しやすいイラクを戦場とすることになる(328ページ)。米軍はイラク戦争によってアラブ中の不満分子の相手をイスラエルから肩代わりした形になる。米国の国益に反し、その威信を損ね、国力を低下させているイラク戦争はイスラエル防衛目的と考えれば辻褄が合う。
著者は「イラクでこれだけの犠牲を払ったその目的が、千葉県より少し人口が多い程度の小国の防衛のためだったというのでは、いったいイラク人の命はどうなるのだ?」と嘆息する(390ページ)。本書が読まれることで、イラク戦争がもたらした悲惨な状況を多くの人に考えてもらいたいと願わずにいられない。
下北沢の現在と未来を考えるシンポジウム
下北沢の道路計画・再開発計画の問題を訴えるイベントSHIMOKITA VOICEが2009年9月5日と6日の2日間の日程で開催される。「下北沢商業者協議会」「Save the下北沢」「まもれシモキタ!行政訴訟の会」の共同開催で、シンポジウムや音楽を通じて街の問題に迫る。私は9月5日にCLUB 251(世田谷区代沢)で行われたオープニング・シンポジウム「あらためて考える、下北沢の現在と未来」に参加した。都市計画道路事業認可の差し止めを求めるシモキタ訴訟弁護団の石本伸晃・弁護士が司会となり、小川たまか「下北沢経済新聞」編集長、上原公子・前国立市長、下平憲治「Save the 下北沢」代表がパネリストとなった。
シンポジウムは下北沢の現状分析から始まった。下北沢の特徴は迷路のような細長い道であり、自動車を気にせずに歩いて楽しめる低層の街並みにある。パネリストは各々の下北沢のイメージを披露した。
小川氏:個人の商店が多い。
上原氏:若者の町というイメージがあるが、幅広い世代の人が楽しめる。劇場やライブハウスなど小さな文化拠点が散らばっており、ほっとする空間が多い。
下平氏:昔からの住人と上京して街の魅力に取り付かれた人が共生している。この街には何かあるのではないかという期待を持たせてくれる。一人でもどこかのコミュニティに入れてくれる開放性がある。
石本氏:中心街に自動車は入れないヨーロッパの町に近い印象がある。
一方で好ましくない最近の変化も指摘された。
小川氏:個人経営の店が次々に店を閉じ、2009年5月30日にオープンしたPOLA THE BEAUTY下北沢店などチェーン店が増えている。
下平氏:再開発で金銭の匂いに敏感になり、ギスギスした雰囲気となった。共生しにくくなっている。
続いてシンポジウムの話題は再開発に移った。店舗経営者に接している小川氏は、ゴチャゴチャした感じが再開発で失われることへの反対意見が多数を占めると指摘した。印象的な意見には「小田急線の下北沢の西側は、どの駅前も同じ外観をしている。そうなるのは嫌だ」というものがあった。しかし大勢は漠然とした反対であり、どうなるのか具体的に想像できている人は少ないという。
これを受けて下平氏は運動を広める工夫を説明した。団体名は「反対する会」「守る会」が一般的だが、それでは広まりにくいために「Save the 下北沢」とした。再開発の問題をわかりやすく伝えるために現在の下北沢の地図に道路の完成予想図を当てはめた図を作成した。それでも、そのような道路ができる筈がないという固定観念が根強い。地域住民だけでなく、アーティストの賛同を集めて全国的な話題にした点は成功である。
上原氏は市長の経験から行政の動かし方を伝授した。ポイントは大勢で繰り返し訴えることである。役所は同じ問題について6人くらいから電話を受けるとドキッとする。繰り返し攻め続ければ、言い訳ができず、嘘もつけなくなるという。
シンポジウムは今後の運動の展望で幕を閉じた。
小川氏:個人経営の店の元気がないことが気になる。個人商店を応援することが運動の盛り上がりにもつながるのではないか。
上原氏:目の前に落ちる金銭につられた街はボロボロになって、誰も寄り付かなくなる。少子化により人口は確実に減少し、道路もビルもガラガラになる。目先の開発資金につられることなく、賢明な選択をしなければならない。道は人の暮らしを豊かにするためのもので、道路で分断された下北沢はあり得ない。政権交代は大きなチャンスである。民主党に積極的に注文することで、全国のモデルケースにできる。
下平氏:これまでは自民党・公明党の影響が強く、店舗経営者が内心は反対でも商店街などのしがらみで表立って反対運動に賛同できないことがあった。政権交代で変わっていくと期待できる。再開発が問題であること、税金の無題遣いであることを伝え、運動を広げていきたい。
今回のシンポジウムは17時からのライブハウスでの開催という点で街づくりのシンポジウムとしては異色である。参加者に若い世代が多い点も特徴である。政権交代という大きなチャンスを街づくりに活かそうという勢いのあったシンポジウムであった。
藤野達善氏と語り合うまちづくりの秘訣
「まちづくりの達人 藤野達善さんに聞き、語り合うまちづくりの秘訣」という集いが2009年3月8日に東京都世田谷区等々力の軽食喫茶店「シドアール」にて開催された。13年間で6企業のマンション建設計画を断念させた藤野氏の経験に裏付けられた体験談はマンション建設紛争を抱える参加者にとって反対運動に活路と展望を見出せる内容であった。藤野氏は住民団体「多賀・高宮の緑の環境を守る会」の中心的メンバー(現会長)として、福岡市南区多賀・高宮で10メートル以上の中高層マンションの建設を阻止してきた人物である。現在は建物の高さを10メートルまでとし、建物の形態や色彩を周辺環境に調和させる地区計画の拡大に精力的に取り組んでいる。
住民団体「二子玉川東地区再開発事業を問う住民の会」世話人の志村徹麿氏が藤野氏と知人であった関係で、藤野氏が上京する機会に、この集いが設けられた。出席者は世田谷区や川崎市でマンション建設反対運動に携わっている人を中心に20人弱が集まった。中でも二子玉川東地区再開発の反対運動に携わっている人が大半で、二子玉川再開発の問題に引き寄せての活発な意見交換がなされた。
藤野氏の運動方針は明快で、原理原則を大切にする。印象に残った3点を指摘したい。
第1に住民を主人公とすることである。行政や議会には協力を依頼するが、あくまで解決の主体は住民であるとする。業者や行政、議会に出す要請文書も文書の受け手が要請に従ってくれることを期待すること以上に、住民に対して自己の主張の正当性をアピールすることを目的とする。そのため、文書を出したならば、ビラなどに内容を掲載し、住民にフィードバックする。
第2に要求内容を明確化して会則に明記する。例えば「10メートル以上の超高層建築を許さない」などである。イメージしやすい明確な要求が住民の団結の原動力になる。「自然を守ろう」というような抽象的な目的では中々団結できない。
第3に住民側の大義名分を押し通すことである。業者側は「建築基準法上適法」と主張する。下手に頭のいい人ほど、業者の主張を真に受けて「仕方ない」と断念してしまいがちである。これに対して藤野氏の論理は、建築基準法一つで憲法や法律・条令・道徳で守られている生活と環境を破壊することは許されないというものである。建築基準法で建てられるか否かではなく、「何故、この場所に建築するのか」を追及する。これによって業者の土俵に乗らず、住民側の主張を貫徹できる。
参加者の関心は藤野氏の経験を自分達の反対運動にどのように活かせるかという点に集中した。工事現場に入ろうとする施工会社のトラックに対し、毎日のように体を張って工事強行中止の説得活動を続けた住民の団結力は反対運動に取り組む人にとって羨ましいものである。
鍵となるのは住民一人一人が他人任せではなく、問題解決の主役として自覚を持つことである。藤野氏には生活や経験の異なる人々が集まるのであるから、反対運動に温度差があって当然という発想がある。それ故にビラ配布などで運動の正当性の説明を何度も繰り返す。また、業者との交渉は役員一人ではなく複数人で出席する、重要な方針決定は総会の議決で行うなど一部の役員が(たとえ善意であっても)暴走できないようにしている。この徹底した情報公開と運営の民主化が住民の団結力を高める。
建設反対運動は景観や環境を守るための正しい運動である。しかし、正しいからといって他人も支持することが当然とはならない。ここに反対運動の落とし穴がある。この点、運動に対する温度差があって当然とする藤野氏の人間理解は現実的である。これが多賀・高宮で地に足着いた反対運動が展開され、マンション建設を阻止できた要因であると考える。
住宅政策の貧困を訴える住まいは人権デー市民集会=東京・渋谷
東日本大震災から3か月後の2011年6月11日には日本各地で反原発デモが盛り上がったが、被災者の住まいの人権を求める集会・デモも行われた。東京都渋谷区の千駄ヶ谷区民会館で開催した「大震災から3ヵ月 今こそ住宅・居住支援を!〜『住まいは人権デー』市民集会〜」である。日本住宅会議、住まいの貧困に取り組むネットワーク、国民の住まいを守る全国連絡会、住まいの貧困に取り組むネットワークが主催した。
主催3団体は東日本大震災の2週間後の3月25日に「大震災の住宅・居住支援についての緊急要請書」を内閣と国土交通大臣に提出した。ここでは「現状では一命を取り留めた被災者の生命が脅かされる事態が続き、避難所の緊急的な改善実施とともに、住宅の確保と居住の安定が何にもまして重要」と主張している。しかし、被災者の住宅・居住支援は多くの分野で不十分なものにとどまっている。
これまで住宅関連団体は6月14日を「住まいは人権デー」とし、様々な活動を行ってきた。これを今回は大震災から3ヶ月後の6月11日に移した。市民集会は「住まいは人権」の視点から、被災地の現状と実態を明らかにするとともに、住まいの貧困の状況を告発し、住宅・居住支援の抜本的強化を国と自治体に求めることを目的とする。
集会はデモも含めて三部構成である。第一部は「大震災3ヵ月、被災地の現状と住まいの問題」と題して、被災地や被災者、避難所の状況が報告された。震災から3か月経過しても、被災者の住宅の確保が進まない深刻な実態が明らかになった。
講演者と講演タイトルは以下の通りである。
山下千佳(住まいと環境改善ネットワーク)「映像から見る被災地の現状―まちと住まいは」
大関輝一(NPO自立生活サポートセンター・もやい)「被災地の全体的な状況と私たちがなすべきこと」
小武海三郎(福島県南相馬市原町借地借家組合・前組合長)「被災地の現状―福島原発から避難して」
丹羽雅代(女性の安全と健康のための支援教育センター)「被災者の現状と支援―声が上げにくい人たちとともに」
杭迫隆太(東京災害支援ネット・とすねっと)「首都圏の避難所の実態と住まいの問題」
第二部は「住宅・居住支援の実際と抜本的な拡充をめざして」と題するパネルディスカッションである。パネリストは新井信幸・東北工業大学工学部建築学科講師、稲葉剛・住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人、映画監督の早川由美子氏、坂庭国晴・住まい連代表幹事である。
稲葉氏は住宅政策の貧困を批判した上で、日本国憲法第25条の定める生存権に基づく住宅支援を訴えた。早川氏はドキュメンタリー映画「さよならUR」で取り上げた問題を紹介した。独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)が建物の耐震性を理由に団地の取り壊しを一方的に決定し、住民を追い出す問題である。早川氏はインターネット上の表現規制の動きにも警鐘を鳴らした。
第三部は「“住まいは人権”デモンストレーション」と題し、デモ行進を実施した。「なくそうハウジングプア」などと書かれた垂れ幕が掲げられ、シュプレヒコールが行われた。過去に悪質な不動産業者をターゲットとしたデモ「シンエイエステート弾劾デモ」を敢行した「住まいの貧困に取り組むネットワーク」が主催団体の一つになっているだけあって、士気の高いデモになった。
「シンエイエステート弾劾デモ」は2009年9月12日に東京都立川市で行ったデモで、賃貸借契約書に記載のない退室立会費の徴収などシンエイエステート(佐々木哲也代表)の宅地建物取引業法違反を弾劾した。住まいの貧困に取り組むネットワークの活動が実り、シンエイエステートと同社の物件を仲介していたグリーンウッド新宿店(吉野敏和代表)は2010年6月に東京都から宅建業法違反で業務停止処分を受けた(林田力「都知事選出馬の渡辺美樹・ワタミ会長の経営の評価」PJニュース2011年2月21日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110219_3
脱原発デモでは音楽や川柳などの文化要素が活用され、お祭り的な雰囲気の下に大盛り上がりとなっている。これは従来型の左派市民運動的なデモに抵抗感のある幅広い市民層の参加を促す上で大きな意義がある。一方でデモが盛り上がったことを成功と評価する傾向があることを批判する声もある。デモを盛り上げることが目的化されるならば、原発の廃止や福島第一原発事故の終息、放射能汚染・被曝の防止などの課題解決に結びつかない。
既に日本は民衆運動がお祭り化したことによる失敗を経験している。幕末の「ええじゃないか」である。行き詰った封建社会を打破する民衆運動になるものが、浮かれ騒ぐだけでエネルギーを発散してしまった。その結果が徳川幕府から薩長藩閥に権力が移行しただけの明治維新であった。この点で住まいの問題を人権と構成する「住まいは人権デー」は地に足ついた活動として参考になる。
更新料無効判決は消費者にも業界にも福音
賃貸住宅の契約更新時に支払う更新料を消費者契約法10条(消費者の利益を一方的に害する条項の無効)により無効とする判決が相次いでいる。これは消費者にとっても不動産業界にとっても福音であると考える。消費者にとって更新料は合理性に欠ける。建物に住むことと家賃の間に対価関係がある。ところが、更新料は契約を更新するための代金であり、そのようなものに金銭を支払うことは他の業種では考えられない。反対に一般の業種ならば長期契約者はサービス提供者にとっては有り難い存在であり、割引してでも囲い込みたい上客である。建物を借り続けると余計な金銭を支払わないところに不動産業界の異常さがある。更新料無効判決は不動産業界の悪弊を消滅させるチャンスである。
不動産賃貸業界にとっても長期契約者は上客である。賃貸ビジネスにとって一番避けたいことは空き部屋が出ることである。新たな住人を募集するためにはクリーニングやリフォームも必要である。現在では前の賃借人の敷金をクリーニングやリフォームに使うことは許されない。大家側は長期契約者を大切にしなければならない。
更新料が無効になると、短期的には賃貸業者の収入が減るが、長期的には賃貸市場を拡大させることができる。日本は異常なほど持ち家信仰が肥大化しているが、賃貸に更新料のような不合理な慣行が存在することも一因である。賃貸業界から不合理な慣行を一掃することで分譲に逃げた消費者を呼び戻すことができる。大家側には狭い業界の論理から更新料無効判決に抵抗するのではなく、普遍的な経済原理から判決の一歩先の対応を期待する。
マンションは本当に買い時か
不動産業者発表のアンケート調査で「マンションの買い時感が上昇」との結果が発表されたが、不動産不況の只中にいる肌感覚とは明らかに異なる。東証一部上場の日本綜合地所までも破綻する先の見えない不況下で「買い時」とはとても思えない。本当に今がマンションの買い時であるのか、批判的に検討したい。アンケート結果の発表元は新築マンションのポータルサイト「メジャーセブン」である。メジャーセブンは住友不動産、大京、東急不動産、東京建物、藤和不動産、野村不動産、三井不動産レジデンシャル、三菱地所の大手不動産会社8社が共同で運営している。開設当初の2000年4月時点の参加企業は東京建物以外の7社であったため、名前はメジャー7である。問題のアンケートは2009年2月12日に発表された「第10回新築分譲マンション購入に際しての意識調査」である。
「意識調査」では「現在マンション購入を検討している理由」を尋ねた質問で、「現在は金利が低く、買い時だと思うから」が前回調査(2008年2月発表)の17位から6位に急上昇した。また、「土地・住宅価格が安くなり、買い時だと思ったから」も前回29位から12位に上昇した。ここから「マンション購入検討者の間で“買い時感”が出てきている」と結論付ける。
しかし、ここから本当にマンションが買い時と判断することは危険である。大きく2点指摘する。
第1に新築マンションを販売するデベロッパーが運営し、新築マンションの販売情報を提供するためのウェブサイトで発表されたアンケートである点である。マンションを販売したい側の思いがある点は割り引いて考えるべきである。
僅か2年前の2007年前半にも不動産業者は「今がマンションの買い時」と消費者を煽っていた。その時は「数ヵ月後には地価が上がるから、今が買い時」と喧伝し、「売り渋り」なる言葉まで登場した。しかし、実際の地価は上がるどころか、サブプライム不況で下がる一方であり、消費者を煽って買わせるための文句でしかなかった。本気で売り渋った業者がいたならば現在は在庫を抱えて四苦八苦している筈である。
第2に調査対象がマンション購入意向者である点である。回答者は多かれ少なかれマンションを購入する意欲のある人である。「今は買い時ではないためにマンション購入を検討しない」と考えている人も含めた調査ではない。
マンション検討動機に「今が買い時だから」と回答した人が昨年よりも増えているならば、買い時と考える購入意向者が増加したと結論付けることは間違えではない。しかし、それはマンション購入意向者の中で「今が買い時」と考える人の割合が増えたことを意味するに過ぎない。消費者全体で見れば「買い時」と考えている消費者が増加している訳ではない。
実際に増えているのは「マンションの買い時ではない」と考えている消費者であると推測する。現在は長期不況のとば口に立ったばかりというのが健全な経済感覚のある消費者の実感であろう。一頃に比べて地価が下がったとしても、これからもっと下がるならば、決して今が買い時ではない。反対に今の地価で購入してしまったならば高値掴みになってしまう。賢い消費者となって、企業のイメージ操作に踊らされないようにしたい。
最後に公正のために記者のスタンスについて説明する。この調査の幹事会社の東急不動産は不利益事実(隣地建て替えなど)を説明せずに新築マンションを販売したため、記者は裁判によって売買代金を取り戻した。この経験があるため、記者は東急不動産に対してネガティブなイメージを有していることを付言する。
『幸せになろうよ』第9話、クールな黒木メイサが感情表現を豊かに
フジテレビの月9ドラマ『幸せになろうよ』の第9話「別れの雨」が、6月13日に放送された。これまで訳ありの美女であった柳沢春菜(黒木メイサ)が、今回は人間味を見せた。家庭も仕事も失った矢代英彦(藤木直人)は失意の中で階段から転落して負傷する。柳沢春菜(黒木メイサ)は着替えを持っていくなど入院した矢代に献身的である。春菜から話を聞いた高倉純平(香取慎吾・SMAP)は、春菜に「そばにいてあげた方が良いと思います」と話す。
元恋人を放っておけない優しさが純平と春菜の恋の障害になる点は前回と同様である。しかし、元彼女・渡辺みゆき(国仲涼子)の気まぐれに振り回されただけの前回以上に今回はシリアスな展開となった。
ヒロインの春菜は理由があって結婚相談所の会員になった謎の美女という設定である。春菜の謎は初回で明らかになるが、その後も純平の目線でドラマが展開しており、春菜の感情は見えにくい。
もともと春菜を演じる黒木メイサは日本人離れした容貌にクールな雰囲気が特徴である。2008年放送のテレビドラマ『男装の麗人〜川島芳子の生涯〜』の川島芳子のような常人離れした役の演技に定評がある。一方で普通の女性の役では、黒木の存在感が強すぎて、役ではなく黒木メイサに見えてしまうこともある。
『幸せになろうよ』の春菜も自分に自信が持てない性格設定であるが、黒木のクールな雰囲気が強く、捉えどころのない存在になっていた。それが今回は人間的な感情を出している。桜木まりか(仲依里紗)と出会った春菜は強引に居酒屋に誘われる。春菜の都合を無視する、まりかに春菜は「人の話聞いてる?」と半分キレていた。
居酒屋では、まりかが得意の毒舌をぶつけてくる。これまで個性的なキャラクターという点では、クールで無機的な春菜よりも、まりかのトゲトゲしさに軍配が上がった。しかし、ここでは春菜も負けていない。ビールを一気に飲み干し、まりかの嫌味にも「私と高倉さんは大丈夫だから」と強気で返した。まりかのストレートさが春菜の感情を引き出した。
この後は春菜の感情表現が豊かになる。飛び降りようとする矢代に怒り、泣き出す矢代を包み込む。さらにラストの純平のセリフには、雨に打たれたまま固まってしまう。クールな雰囲気の仮面がとれて、感情表現が豊かになった黒木の演技に注目である。(林田力)
地域の連帯を高めた玉川1丁目マンション工事迷惑料交渉=東京・世田谷
東京都世田谷区玉川1丁目の住民を中心とした住民団体「パークハウス二子玉川プレイス近隣住民の会」と事業者間の日影被害や工事期間中の騒音・振動・粉じん被害などに対する補償や迷惑料の交渉が2011年5月23日に終結した。妥結内容は非公開となっているが、近隣住民の会の要求内容は他所のマンション建設反対運動の参考になる。
「近隣住民の会」はパークハウス二子玉川プレイスに反対する住民団体「玉川1丁目の住環境を守る会」を母体として2011年1月に結成された。「守る会」が「近隣住民の会」を支援するなど両者は連携しており、協議の終了も「守る会」が2011年6月に発行した「守る会ニュース」第25号で発表された。
協議において「近隣住民の会」は以下の三原則を要求した。
第一に近隣家屋(1列目)のみではなく、一定距離までの2列目以降の家屋にも迷惑料や被害補償料を支払うことである。
第二に家屋所有者には日影被害・資産価値低下等への被害補償と工事被害への迷惑料、賃借住民に対しても工事被害への迷惑料を支払うことである。
第三に反対運動への参加不参加、住民の会への参加不参加に関わらず、一定基準の下に同じ扱いをすることである。これは被害及び迷惑を被ったことは共通という考え方である。
これら三原則は地域住民の連帯を高める点で重要である。マンション建設反対運動に対して事業者側は近隣対策業者を暗躍させて、住民の分断を図る傾向がある。上記三原則は住民の分断に対抗する論理として他の反対運動にも参考になる。
特に第二の点は分譲住民と賃貸住民の溝を埋める点で大きな意義がある。これまでマンション建設反対運動は分譲住民中心で行われていた。そのためにマンション建設反対運動には恵まれた住環境を享受していた古くからの住民層の既得権益維持の運動というネガティブな評価も生じていた。
これはゼロゼロ物件トラブルや追い出し屋、ネットカフェ難民などの深刻なトラブルを抱える賃貸住民が街づくりの問題を敬遠する要因でもあった。しかし、不動産問題の解決には不動産業界の共通の被害者として分譲住民と賃貸住民の連帯が求められている(林田力「分譲被害者と賃貸被害者の連帯を」PJニュース2010年9月27日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100925_7
賃貸住民を反対運動に引き入れることは運動を強くすることになる。一見すると、転居が容易な賃貸住民よりも、分譲住民の方が住環境を守る運動へのモチベーションが高そうに思える。しかし、不動産という資産を抱える家屋所有者は何よりも資産価値の低下を恐れる。住環境という価値よりも不動産の経済的価値を優先する傾向にある。
その結果、建築紛争が長引いて地域の評判が落ちることを恐れ、安易な妥協に陥ってしまう。日本のプチ・ブルには不正に直面した場合に不正そのものと戦うことよりも、不正を前提として、その中で上手く泳ごうとする弱さがある。それが不動産業者に付け込まれる(林田力「区画整理・再開発反対運動の脆さと方向性(上)」PJニュース2010年8月31日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100827_2/
この点では住環境以外に失うものがない賃貸住民の方が強い。分譲と賃貸で分断するのではなく、同じ住民として住環境という共通の価値で運動を進めることがマンション反対運動を強くする。
第三の点は議論の生じるところである。反対運動で汗を流した人と、汗を流さなかった人が同じ迷惑料を受け取ることが公正かという問題である。破産企業に対する債権者の請求のように、支払い原資が全ての要求者の要求額を満足できない局面では汗を流した人と流さなかった人で差をつけることに合理性がある。
しかし、企業相手に経済的弱者が要求する運動では、汗を流した人と流さなかった人で区別しない方が望ましい。これは労働法の分野では答えが出されている。一つの工場や事業場に常時使用される同種の労働者の4分の3以上が、一つの労働協約の適用を受けるときは、残りの同種の労働者にもその協約が適用される(労働組合法第17条)。
この労働協約の拡張適用によって労働組合に加入していない組合員も労働協約の恩恵を受ける。これは非組合員のフリーライドを容認し、組合加入の利益を薄くするというデメリットがある。それでも労働条件を統一化し、一部労働者の優遇や不利益を阻止する点で労働者の団結に資するものとして正当化されている。住民運動にも同じ論理が適合する。
『JIN-仁-完結編』第9話、熱血教師を脱却した陰のある佐藤隆太
TBS開局60周年記念ドラマ『JIN-仁-完結編』の第9話「坂本龍馬、暗殺」が、6月12日に放送された。今回の主題は坂本龍馬(内野聖陽)の暗殺であるが、龍馬の護衛役の東修介(佐藤隆太)がキーパーソンになる。龍馬の暗殺を食い止めようとする南方仁(大沢たかお)は、橘咲(綾瀬はるか)や佐分利(桐谷健太)と共に京へ向かう。一方、上役(中原丈雄)から坂本龍馬の暗殺を命じられた橘恭太郎(小出恵介)は悩みながらも仁らの後を付ける。京都では大政奉還を成功させた龍馬が幕府からも薩摩藩の大久保一蔵(眞島秀和)からも恨まれていた。
クライマックスに向けて登場人物達が動き出す中で、修介には依然として謎が多い。長州藩士の修介は歴史上の人物ではなく、原作漫画のオリジナルキャラクターである。しかし、ドラマのストーリーは原作から離れており、修介の役回りも異なっている。前回のラストで修介は無防備に寝ている龍馬に刀を向けて「殺されちゃいますよ」と言っている。まるで龍馬を殺したいような口ぶりであった。
今回も「身を守るためとはいえ、この手で殺めてしもうた長州藩士もおった」と述懐する龍馬に対し、修介は「志半ばに倒れた兄の代わりに果たしたいことが一つあった」と語る。龍馬が殺した長州藩士と修介の兄の関係が気になるところである。しかし、そこには深入りせず、修介は「坂本さんの大政奉還の建白を読んだ時、もうよいのではないかと思ったのです」と吹っ切れた様子であった。
仁の奔走で龍馬は暗殺現場の近江屋から逃れるが、歴史の修正力には抗い難く、襲撃は避けられなかった。必死の斬り合いの中で修介の最後の行動は予想外なものであった。
修介を演じる佐藤隆太は連続ドラマ初主演となった2008年放送のテレビドラマ『ROOKIES』での熱血教師役が当たり役となった。2010年放送の『まっすぐな男』では、まっすぐな性格の人物を主演した。さらに2011年放送の『熱中時代』でも熱血教師を演じた。複雑な思いを秘めた修介は、明るくまっすぐな好男子という佐藤のイメージを一新する。単なる護衛以上の役回りになった陰のあるキャラクターを佐藤がどのように演じ切るのかにも注目である。(林田力)
玉川1丁目の住環境を守る会が運動を総括=東京・世田谷
東京都世田谷区玉川1丁目の住民を中心とした住民団体「玉川1丁目の住環境を守る会」が2011年6月発行の「守る会ニュース」第25号で1年8か月に及ぶ活動を総括した。守る会はパイオニア研修場跡地のマンション建設計画の見直しを求めて活動していたが、2011年2月にマンションが竣工した。
問題のマンションは三菱地所分譲、浅沼組施工の「パークハウス二子玉川プレイス」(玉川1丁目計画)で8階建てである。建設地周辺は4階建てのマンションを除くと2階建ての住居が大半であり、8階建ての威圧感は大きい。
現地周辺は世田谷区の「水と緑の風景軸」の重点地域である。江戸時代には二子の渡しがあり、近代になると多摩川の景観を楽しめる料亭で賑わった。大正時代に川岸から離れた場所に堤防を築くなど景観の保全に気を配ってきた地域であった(林田力「ブラタモリで見た失われるニコタマの魅力」PJニュース2010年11月7日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101106_5/
「玉川1丁目計画」とほぼ並行して建設地の北側には二子玉川東地区再開発の一環として「二子玉川ライズ・ショッピングセンター」「二子玉川ライズ
オフィス」が入居する16階建てのビルが建設された。このため、建設地の北側の住宅は2つのビルに挟まれる。その圧迫感の中での生活を強いられることになる。
このために周辺住民は「玉川1丁目の住環境を守る会」を結成して、抗議活動を展開した。建設地周辺には反対運動の幟や看板が林立し、反対運動の根強さを示した。赤字で「三菱地所・浅沼組 地域住民無視 怒 怒 やめろ」と書かれた激烈な看板が掲示された。世田谷区から騒音計や振動計を借用して、基準値オーバーであることを計測し、改善させたこともあった。
建設地には「二子の渡し」の目印となっていた樹齢150〜300年の松の木が5本生えていた。住民側は松の保全を要求していたが、2009年11月19日に4本の松を住民に予告せずに突然伐採した。住民の抗議によって最後に残った1本の赤松だけが保全されることになった。
マンション建設反対運動はマンション建設で被害を受ける建設地周辺の住民主体の運動になるが、「玉川1丁目の住環境を守る会」には以下の特徴がある。
第一に三菱地所に対する抗議要求運動と位置付けたことである。具体的には三菱地所の執行役員に面会しての要請や三菱地所本社近辺でのビラまき、株主総会での質問など三菱地所に対する抗議などが行われた。地域で閉ざされた運動に陥りやすいマンション建設反対運動の弱点を克服する活動である。
第二に広範な地域的連携である。「玉川1丁目の住環境を守る会」は二子玉川ライズの見直しを求める「二子玉川の環境を守る会」(旧にこたまの環境を守る会)など他の問題に取り組む住民団体と連携した。その成果の一つが2010年3月27日に開催した「二子玉川の環境を守ろう
お花見交流会」である。ここでは様々な地域の問題に取り組む住民団体のメンバーに「玉川1丁目計画」の建設現場を案内し、住環境破壊の実態を紹介した。
お花見交流会での建設現場視察時には参加者の要望で工事責任者である浅沼組の沢田氏が説明したが、住民感覚との乖離を印象付けた。「8階建てにする根拠は?」と聞くと、「(近隣対策業者の)メイズプランに聞いてください」と答える。問い合わせ先が建築主の三菱地所ではなく、メイズプランである根拠を聞くと、最初は「看板に連絡先として書いてあるから」と答えたが、その後で「三菱地所に直接尋ねてもいい」となった。
住民の抗議に対する意見を尋ねると「ノーコメント」を貫いた。住民から失笑が起きたが、発注者の要望通りに施工するのが施工者の役割であり、コメントする立場にないとの主張である。これに対して、住民は「内部では役割分担があっても全体が一体として工事をしており、人間の住む環境を破壊している。それに対して私はコメントする立場にない」で済ませるのかと反発した。
「たとえ住民が不幸になっても発注者の計画に従って建設するのが淺沼組のスタンスですね」と確認すると、「それが請負者の立場だ」と回答した。ここからはハンナ・アーレントの言葉「服従は支持と同じ」を想起する。発注者の指示があるとしても、それを支持しているから浅沼組は工事を請け負っている。「コメントする立場にない」は卑怯な回答である。三菱地所マンション問題での住民の一番の不満は、住民の意見に耳を傾ける姿勢が事業者に根本的に欠けていることである。それが実感された交流会であった。
「守る会」の運動には一定の具体的成果が見られた。解体時のアスベスト除去の安全管理や機械式3段駐車場の台数削減、目隠しの設置、祭日の工事中止、生活道路上での待機車両の駐車禁止、工事終了後の近隣家屋清掃などである。
しかし、運動の限界もあった。住民の根本的な要望である階数の削減は完全に無視され、建物全体の高さが50センチメートル下げられただけであった。世田谷区の担当者は相談に乗ってくれたものの、業者への指導の段階では業者の言いなりになってしまったとする。住民ではなく業者側の利益に偏重した行政が行われている実態があり、これを改善しなければ住環境は一層悪化してしまうと結論付けた。
パークハウス二子玉川プレイスに対する運動は終了したものの、玉川1丁目住民は北側の二子玉川ライズの高層ビルの風害にも苦しめられている。ビル風で女性が転倒して骨折する事故も起きた(林田力「二子玉川再開発説明会で住民の懸念続出=東京・世田谷」PJニュース2011年5月16日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110513_1
玉川1丁目住民らは「守る会」の経験を活かして風害問題にも取り組んでいる。
福島第一原発3号機で9名の作業員が計画線量超
福島第一原子力発電所3号機原子炉建屋内で2011年6月9日、9名の作業員の被ばく線量が計画線量を超過した。東京都千代田区内幸町の東京電力本店で開催された6月11日11時からの定例記者会見で、松本純一・原子力・立地本部長代理が発表した。この問題は6月10日の会見でも発表していたが、11日に詳細を説明した。問題の作業は11時47分から12時14分にかけて原子炉建屋の1階南側及び西側で行われた。被曝した作業員の内訳は東京電力5名、協力企業4名である。計画線量5ミリシーベルトのところ、被曝線量は5.88から7.96ミリシーベルトであった。作業場所には毎時100ミリシーベルトの場所もあった。
作業員の線量計は被曝線量が2ミリシーベルトになる度にアラームが鳴る仕組みになっている。被曝線量が4ミリシーベルトになった時点で、退避を始めたが、間にあわずに計画線量を越えて被曝した。但し、今回の被曝が直ちに健康に害を及ぼすものではないとした。
再発防止策としては素早い退避を徹底し、計画線量についても適切な値に見直す。今回は計画線量が低かったと考えている。但し、計画線量をオーバーしないことを優先させると計画線量を高めに設定しがちになる点には留意するとした。
この日の記者会見ではフランス・アレバ社の汚染水浄化装置や株主総会についても質疑応答がなされた。東京電力は高濃度汚染水の処理にフランス・アレバ社の装置を使用すると発表している。これについて、以下の質問がなされた。
第一に装置の設置場所である。安全性を考えれば装置は汚染水の処理に伴って放射能が再拡散しないように地下の遮蔽した環境に設置すべきではないかと質問された。しかし、松本氏は早期の設置及び稼働を重視したと回答した。
第二にアレバ社の企業姿勢である。アレバ社はフランス・コタンタン半島のラ・アーグ核燃料再処理施設で海中と大気中に放射性物質を排出し、再処理後の劣化ウランをシベリアに投棄している。このような企業に任せるならば放射性物質の垂れ流しになるのではないか、東京電力の社会的責任を果たすものかと質した。
このアレバ社の問題はNHKで5月17日に「BS世界のドキュメンタリー 放射性廃棄物はどこへ 終わらない悪夢 後編」で放送されている。しかし、松本氏は上記の話を知らないと答えた上で、アレバ社の装置の性能に満足していると述べた。
第三に残渣の処理である。汚染水の浄化処理後に高濃度の放射性物質を含む汚泥が残る。これを残渣と称するが、松本氏は残渣の処理は今後の検討課題とした。
6月28日に開催される株主総会については中継の要望が出された。これに対して株主総会は会社と株主の問題として、中継するつもりはないとした。従業員株主の「異議なし」発言による不当な議事進行がなされないことの担保として、改めて中継が要望されたが、株主の一人一人が判断する問題と答えた。
但し、報道陣には公開する。また、例年よりも多数の株主の出席が予想されるため、6000人を収容できる会場を用意している。もし会場の定員を超える株主が出席した場合、別室でモニター中継する予定とした。


