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林田力:世田谷区政

反熊本を明確化した新しいせたががやをめざす会=東京・世田谷

2011年4月の東京都の世田谷区長選挙は保坂展人氏が当選した。この結果を踏まえて、記者が参加していた市民団体「新しいせたががやをめざす会」の活動を総括する。これは記者個人の見解である。
保坂氏の当選は反熊本哲之区政を掲げてきた市民団体「新しいせたががやをめざす会」にとって歓迎できる。保坂氏当選に対する「めざす会」の功績は反熊本哲之区政の論点の明確化である。熊本区政の本質が開発・土木予算偏重、福祉切り捨ての政治であると明らかにした。
熊本区政は財政難を理由に福祉切り捨てを正当化してきた。財政難を掲げると仕方ないと納得してしまう区民も出てくるが、一方で熊本区政は下北沢や二子玉川の再開発に莫大な税金を投入してきた。世田谷区の土木費は2000年から2008年までの累計額で2925億8千万円と東京23区で突出している(林田力「区長選挙候補予定者が市民集会で意見表明=東京・世田谷」PJニュース2011年4月13日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110413_1/
世田谷区長選挙に保坂展人氏が当選した最大の要因は保守の分裂である。自民党都連は、民主党会派に所属していた花輪智史・前都議を推薦した。一方で地元総支部は世田谷区議会議長であった川上和彦氏を擁立した。保坂氏の得票数83,983に対し、花輪氏78,444、川上氏60,340である。両氏の得票数を合わせれば保坂氏の得票数を優に上回る。ここからは仮に保守が候補者を一本化していたならば、保守候補が当選したと推測できる。
従って保坂氏の当選を敵失・漁夫の利とする分析も可能である。しかし、市民派は卑下する必要はない。保守が分裂するということ自体が保守政治の行き詰まりを示すものだからである。今回の保守候補の分裂が保守の余裕や驕りによるものではないことは、直前まで候補者が決まらなかったことから明らかである。
民主党都議であった花輪氏としては、民主党推薦での出馬が自然である。それが民主党を裏切り、石原慎太郎・都知事が肩入れするという不自然極まりない状態になった。不自然な方法に頼らざるを得ないくらい保守政治は追い詰められていた。そこには「めざす会」による反熊本区政の論点明確化が寄与したと自負してよい。
一方で「めざす会」は世田谷区長選挙に際し、自らの候補者を擁立することも、特定候補者を推薦することもしなかった。保坂氏当選という変革のダイナミズムに組織的に動くことはなかった。これは当初の期待とは大きく相違する。この点の評価は「めざす会」の根本に関わる問題で、評価が分かれるところである。
反熊本区政を掲げた「めざす会」であるが、反熊本区政という言葉は一意ではない。このために「めざす会」には二つのアプローチが可能である。
第一に反熊本区政の意味を曖昧なままにし、反熊本の一点で広く団結するアプローチである。様々な考えの人々から広範な支持を得るためには、逆に反熊本区政の意味が曖昧なままの方が好都合である。私の考える反熊本区政が唯一正当で、それと異なる意見は誤りであるという姿勢では運動は広がらない。
第二に反熊本区政の意味を明確化した上で選挙戦に臨むアプローチである。このアプローチを「めざす会」は採った。実際のところ、「めざす会」は候補者選びに全力投球したとも評価できない。それよりも会の政策の深化に努力していたきらいがある。それは主催集会「私たちがめざす世田谷区政」で区長選候補者の話よりも事務局「めざす会からの問題提起」に長時間を配分したことからも明らかである。
めざす会が第二のアプローチを採ることは当初から一貫していた姿勢である。会の母体となった「2011年世田谷区長選挙を闘う新たな会」発起人会では「初めに特定の候補者ありきではなく、地域のさまざまな課題から政策をつくり、その政策を支持する、実現する人を選びます。」と掲げていた(林田力「区長選に向け新たな会が始動=東京・世田谷」PJニュース2011年1月8日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110108_1/
但し、この点に対しては会員間で意識にギャップがあったことも事実である。反熊本区政で団結するとなれば第一のアプローチを連想することが一般的である。「めざす会」内部で会の政策にこだわって特定の候補者を否定する声が大きいことに不満を抱く会員がいることも否定できない。「予め配布した文書に小さい字で書いてあった」ことを根拠に押し通すならば悪徳業者と変わらない。
それでも「めざす会」が批判対象の熊本区政の本質を明確化したことには大きな意義があった。東京都知事選挙でも反石原が一つのキーワードになったが、反石原の具体的内容は多義的かつ曖昧で鋭い効果を発揮できなかった(「反石原慎太郎の多義性と曖昧性」PJニュース2011年5月10日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110509_5
熊本区政も石原都政も開発優先・福祉切り捨てという本質は同じである。区長就任時の熊本氏は2003年4月の初登庁で「石原都知事と連携を密にして区政の流れを変える」と挨拶している。記者が取消訴訟の原告になっている二子玉川東地区再開発(二子玉川ライズ)も東京都と世田谷区の問題である。
保守系候補でも選挙戦では福祉の充実を公約に盛り込む傾向がある。たとえば川上氏は公約に「梅ヶ丘病院跡地を利用して、小児救急医療を含めた世田谷型医療、福祉の拠点を整備します」を掲げた(林田力「土建政治からの転換を目指す世田谷区長選・黒木実候補」PJニュース2011年2月28日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110225_5/
「めざす会」が開発優先・福祉切り捨てという熊本区政の本質を明確化したことが有権者の候補者選びに役立ったと考える。

世田谷区長選挙結果と反共意識の是非

花輪智史、菅谷康子、保坂展人、慶野靖幸、川上和彦の五氏が争う激戦となった世田谷区長選挙は2010年4月24日に投開票され、保坂氏が当選した。二子玉川ライズ取消訴訟原告として世田谷区長選挙に関心を寄せてきた記者は、下北沢などの再開発を長年批判してきた保坂氏の当選を心から歓迎する。
保坂氏は選挙戦で脱原発を前面に出したため、それが支持されて当選したと解説される傾向にある。保坂氏は4月6日に出馬表明という最も出遅れた候補であった。そのような保坂氏にとって原発問題という新たな争点を創出し、自分の土俵で戦ったことは鮮やかであった。単一の争点に特化するシングルイシュー選挙は選挙戦術として有効である(林田力「シングルイシューの重要性」PJニュース2010年5月28日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100528_1/
しかし、脱原発が当選要因の全てではない。直前の4月10日に投開票された東京都知事選挙では原発推進派の石原慎太郎氏が当選した。福島第一原発の状況は依然として深刻であるが、首都圏の放射能汚染に対するマスメディアの報道量は日を追う毎に減少している。放射能汚染は福島県浜通り・中通りの問題で、首都圏は対岸の火事というような感がある。
僅かに選挙直前の4月21日に市民団体が千葉県柏市の女性の母乳から放射性ヨウ素が検出されたと発表した程度である。それも「直ちに健康への影響を心配するレベルではない」との決まり文句で打ち消されてしまった。
マスメディアの報道に接する区民多数派にとって、都知事選以上に世田谷区長選は原発への危機意識が弛緩しており、脱原発が追い風になるとは限らない状況であった。開発優先の熊本哲之区政や所属会派・支持者を裏切って築地市場移転に賛成した花輪氏への反感、再開発問題などでの保坂氏の継続的な活動が支持されたものである。
同じ脱原発候補でも都知事選で日本共産党が推薦した小池晃氏は落選した。小池氏はネット世論では高い支持を集めていた。これまで市民派を称する人々にも反共意識が根強く存在し、それが市民派の結集の妨げになっていた。しかし、小池氏を反石原の本命候補として支持するネット世論は、反共意識を乗り越える動きとして高く評価できる(「石原慎太郎都知事再選の絶望と希望」PJニュース2011年4月13日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110411_3/
しかし、現実はネット世論に追いついていない。小池晃氏の得票と4年前の2007年の都知事選の共産党推薦・吉田万三氏の得票数は約62万票で大差がない。2007年の都知事選では反石原候補が吉田氏と浅野史郎氏に分裂した。そして浅野陣営から吉田氏に激しい一本化圧力(立候補辞退要求)がなされた(林田力「反自民政党の共闘に向けて」PJニュース2010年8月02日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100730_9/
その時の得票数と明確な反石原候補が小池氏に絞られた今回の都知事選の得票数が同じということは、共産党候補に対する反石原層の広がりがなかったことを意味する。現実社会では反共意識が未だ根強いというネット世論とは異なる現実を示した。
この反共意識の克服は保坂区政と保坂区政を支える区民にとって課題になる。世田谷区長選挙では共産党は慶野氏を推薦した。共産党は保坂氏当選という変革のダイナミズムに寄与しなかったことになるが、それでも反共意識の克服が鍵になる。
第一に共産党の勢力である。共産党は区長選と同日に行われた世田谷区議会議員選挙で共産党は新人を含む5名全員の当選を果たし、自民党・公明党に次ぐ区議会第3党となった。自民党や公明党が区長与党になるはずがなく、逆に与党にしたら区長の有権者への裏切りになる。共産党は市民派の中で最大級の勢力である現実を直視する必要がある。
第二に保坂氏を支持した会派のねじれである。保坂氏は社民党、国民新党、新党日本、生活者ネットワーク、無党派市民の支持を受けた。この中で無党派市民は木下泰之議員の一人会派であるが、保坂氏の立候補擁立に積極的に関与している。
これら支持会派は、熊本区政の総仕上げとも言うべき平成23年度の世田谷区予算案(一般会計予算、国民健康保険事業会計予算、後期高齢者医療会計予算、介護保険事業会計予算)への賛否では足並みが乱れた。社民党や生活者ネットワークは自民党らと共に賛成し、無党派市民は共産党と共に反対した。
今回の世田谷区長選では「反熊本区政」が一つのキーワードとなった。熊本区政は福祉を切り捨てて、再開発などの土木予算に偏重する政治の象徴として使われた。反熊本は熊本区長個人に対してだけでなく、熊本区政を支持した政党・会派にも向けられた批判である。保坂区長が反熊本区政を貫徹するならば、無党派市民と共に予算案に反対した共産党は近い立場にある。
第三に石原都知事との対決である。石原知事は保坂氏の当選に敏感に反応した。脱原発に対しては「日本経済を支える電力の供給はできっこない」と批判した。また、東京外郭環状道路(外環道)の計画凍結に対しては「昔から共産党や社会党の左翼は同じことを言ってきた」と反発した。これによって保坂区長と石原知事の対決色が鮮明になった。
石原氏が応援していた花輪候補の敗北という事情があるにしても、石原氏の保坂氏への反発は稚拙である。石原氏の稚拙な反発は、保坂氏の決意を強化するだけである。老練な保守政治家ならば上手におだてて骨抜きにする道を選ぶだろう。有権者にとって最も嫌なことは民主党政権のような当選後のブレである。しかし、石原氏の稚拙な反発で、石原氏も保坂氏も互いに引けなくなった。
この石原知事の反発には市民派の結束をもたらす要素もある。石原知事は保坂区長を「共産党や社会党の左翼」と社会党と共産党を一緒に批判している。旧社会党系の人々は共産党という過激分子を排除することで、広範な市民的支持が得られると考えるかもしれない。旧社会党と共産党には対立するだけの事情があることも事実である(林田力「共産党と社民党の大きな溝」PJニュース2010年3月22日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100321_5/
しかし、石原知事のような保守主義者から見れば旧社会党も共産党も同じ左翼である。インターネット掲示板では保坂氏をアカ呼ばわりする書き込みまである。共産党を排除したところで、市民派の評価が向上することにはならない。
以上より、保坂氏支持層が反共意識に固まらず、共産党も過敏にならず、互いに建設的な姿勢で反熊本区政を実現させることを期待する。

区長選挙候補予定者が市民集会で意見表明=東京・世田谷

市民団体「新しいせたがやをめざす会」が2011年4月11日、集会「私たちがめざす世田谷区政―大震災・いのちとくらしをささえる道すじ―」を東京土建世田谷支部会館で開催した。世田谷区長選挙の候補者から慶野靖幸氏、菅谷康子氏、保坂展人氏が発言した。
「新しいせたがやをめざす会」は世田谷区長選挙に向けて市民派区長の実現を目指して結成された(林田力「区長選に向け新たな会が始動=東京・世田谷」PJニュース2011年1月8日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110108_1
建築家の黒木実氏が「めざす会」推薦候補として立候補意思を表明したが、会内でコンセンサスが得られず、候補者擁立ができなかった。その間に黒木氏、花輪智史・東京都議、川上和彦・世田谷区議会議長、慶野氏、保坂氏、菅谷氏が区長選挙への出馬を表明し、かつてない大混戦となった。
その中で行われた集会である。夕方に起きた地震の影響で時間を遅らせて開始され、冒頭では東日本大震災の犠牲者への黙祷が捧げられた。共同代表の志村徹麿氏が挨拶し、これまでの経過を報告した。今日は熊本哲之区長の政治を継承する人以外の予定候補者に話していただくと述べた。
続いて事務局の中村重美氏が「めざす会からの問題提起」を行った。中村氏は、ちょうど一か月前の東日本大震災を踏まえて自治体の役割を考えたいと述べた。世田谷区議会では熊本区政の総仕上げとなる2011年度予算が成立した。この予算案に反対した会派は日本共産党と一人会派の無党派市民だけであった。その上で中村氏は世田谷区の予算を批判する。
世田谷区は財政の厳しさを強調するが、区民の暮らしこそが厳しい。何よりも暮らしの再建が求められている。実は景気は持ち直しに転じており、大企業の業績は改ざんしている。企業業績の改善と厳しい暮らしには大きなギャップがある。ところが、世田谷区には厳しい区民の暮らしに北風を吹き込むような姿勢が見られる。ガン検診などの有料化や福祉予算の削減である。
2011年度予算では道路や再開発などの土木費は減少した。しかし、二子玉川ライズ(二子玉川東地区再開発)の遅延などによるもので、開発優先の姿勢は捨てていない。土木費は2000年から2008年までの累計額で2925億8千万円と東京23区で突出している。防災予算は「安全安心まちづくり」を掲げながらも、前年度比3億7993万円も削減され、東日本大震災後も何ら組み替えされなかったという。
続いて立候補予定者の話である。最初は民主党推薦で立候補した菅谷氏である。世田谷区区議会議員として務めていく中で、様々な問題があることに気付いた。保育園の数が不足している。昨年は待機児童数が東京都内でワースト1位であった。東京一子育てしにくい街である。特別養護老人ホームの待機者も2500人いる。
区民のニーズに対応した十分な福祉施設が確保されていない。これが世田谷区の現状である。これは熊本区政が道路整備を進めてきたツケが福祉に回ってきている。福祉行政を立て直すことが重要である。二子玉川や下北沢などの大型開発が財政をひっ迫される要因であり、しっかりと見直していきたいと述べた。
参加者から菅谷氏に「熊本区政に反対と述べているが、区議として予算案に賛成した。これは矛盾ではないか」との質問がなされた。これに対し、菅谷氏は「福祉面の予算などを支持した。開発予算に対しては予算委員会で見直すべきと意見を申し上げている。意見を付けての賛成である」と述べた。
二番手は黒木氏である。世田谷区長選挙に多くの立候補者が出たことは大きな疑問を述べた。出発点は市民派候補の一本化だった筈である。候補者の一本化を声高に言いたい。私は自己の政策をアピールするために本日の集会に来た訳ではない。選挙に勝たなければ矛盾を含んだ区政は変わらない。区政を変えよう。変えるために候補者を一本化しよう。
今日の午後、私は立候補を取り下げた。何故かと言えば、一本化して欲しいからである。是非、皆さんで一本化する道を探して欲しい。そうでなければ区政は変わらない。それぞれの党が、それぞれの党利党略で選挙をしたら、同じ結果を生むだけである。各政党が候補者を立てたならば票が割れることは自明の理である。向こうは組織票を持っている。それに対抗するには、皆さんが団結し、勝利した暁には各々の政策をすり合わせるなり、協定を結ぶなりすることができないものか。
三番手は慶野氏である。慶野氏は世田谷民主商工会事務局長で、「めざす会」の一員でもあった。熊本区政の転換のために全力をあげたいと述べた。どのように熊本区政を転換するかが問われている。日本共産党と民商の友好団体から要請を受けて立候補を決意した。
一番肝心なことは熊本区政の何をどのように変えるかである。熊本区政は「区の財政は破綻する」として、区民に我慢を強いる政策を進めた。しかし、区の財政危機の前に庶民の生活が危機である。区民の生活が苦しいために区の税収が減少している。それなのに区民犠牲の方針を出したから、熊本区政は批判される。防災予算削減やガン検診有料化など命の問題で区民を犠牲する。区民の収入が減っている時に「区民は我慢しろ、命を脅かされても我慢しろ」という区政を変えなければならない。
地域循環型経済を目指したい。たとえば住宅リフォーム助成制度を実施することで、区内の工務店や建設職人に仕事が回る。建設職人は儲かったならば地元で消費する。そのようにして経済が循環するような仕組みを作ることが世田谷区の目指すべき姿である。それによってしか区の財政再建はできない。
区の財政が厳しいからと言って、区民向けサービスを削れば景気は一層冷え込み、税収が下がる。これは悪循環である。地域循環型経済で区民の命や暮らしが花開く街を作りたいと考える。
最後は元衆議院議員の保坂氏である。保坂氏は自ら主催しているシンポジウムを中座しての参加である。福島第一原発事故が危機的状況である中で、原発推進を公言する石原慎太郎のような人物が東京都知事選挙に当選したことは極めて危機的で残念である。
これまで各地の原発に行ってきた。2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が炎上した直後も現地入りした。原発の問題を取り上げようとしたが、原発推進派の壁に阻まれてきた。福島第一原発事故が世界中で問題視されている現在においても、暮らしや政治、電力システムを変えようとしていない日本社会に危機感を抱いている。
南相馬市の大部分など福島原発の30km圏が屋内待機となった時に交通封鎖された。避難しようとした人が「家に戻りなさい」と止められたという。チェルノブイリで住民に真実が伝えられなかったことと同じようなことが日本でも起きている。杉並区では南相馬市と災害協定を締結しており、杉並区のトラックが南相馬市入りした。
本来ならば選挙ではなく、原発事故の終息と被災者救済に全力を尽くすべきである。これは世田谷区政の問題である。杉並区は動いた。南相馬市に救援のトラックを送った。国のいい加減な30km圏規制を突破し、外に出たいという人々を迎えに行った。そして500人の避難者を受け入れている。どこまで世田谷区がやっているか。
世田谷区にしかない災害対策を打ち出す。新エネルギーを研究開発する拠点にしたい。「東京湾に原発を造ってもいい」と言う石原慎太郎のような人物が余裕綽々で当選する時代を世田谷から変えたいと述べた。
参加者からは市民派候補者の一本化を希望する意見が出された。民主党が反対してきた築地市場移転関連予算案に賛成するという裏切りを行った花輪氏の区長当選だけは避けなければならないという意見も紹介された。政治家という以前に普通の人間として花輪氏が許せないと憤る。

黒木実氏が市民団体集会で区長選立候補意思表明=東京・世田谷

「新しいせたがやをめざす会」が2011年2月20日に「2011年世田谷区長選候補者候補のお話を聞く会」を東京都世田谷区上馬の東京土建世田谷会館で開催した。世田谷区砧在住の建築家の黒木実氏が立候補を表明した。
「お話を聞く会」では最初に共同代表の志村徹麿氏(二子玉川の環境を守る会)が挨拶した。本日は人口約85万人という大変大きな世田谷区に市民の力で新しい区政を作りたいという会の候補者候補を決める大変重要な集会であり、率直で忌憚のない質疑と意見交換を活発にやっていただきたい。得心行くまで議論して欲しいと述べた。
次に事務局の根本善之氏から経過報告がなされた。候補者として文化人や各界の著名人らが多数推薦されたが、最終的には二人に絞られた。ところが、そのうちの一人が辞退を連絡したために、本日は一人の候補者候補の話を聞くことになったと説明した。
続いて事務局の池上東湖氏が会の政策案について説明した。最初に政策案は市民の提案により発展していくものと説明した。本日までも14人から意見が寄せられており、別紙にまとめられている。政策案は4人前に作った「市民政策・せたがや」で作った政策案の良いところを引き継ぎながら発展させている。
1月29日の結成集会などで多くの市民から提言を受け、区政の問題を共有できた。たとえば多くの住民が反対している外環道(東京外郭環状道路)について熊本哲之区長が賛成を表明していた事実は、あまり知られていない。二子玉川東地区再開発(二子玉川ライズ)も当時の区長と東急グループの密約で始まっているが、住民が知らないところで住民の意思に反する政策が進められている。
また、東京土建一般労働組合の方々の調査によると、世田谷区が公共工事などを発注しても、僅か3.9%しか世田谷区民に還元されない。たとえば100億円の事業をしても約4億円しか世田谷の働いている人には戻ってこない。これを問題視する意見も出された。このような内容を共通認識にしながら基本政策や個別政策を作成していったと述べた。
候補者選考方法の説明の後、黒木氏のプレゼンに入った。黒木氏は冒頭で推薦者に礼を述べた。私が区長になった際には区民参加を強く訴えたい。この選挙を通じて区民が連帯し、その連帯意識を選挙後の区民参加に活かしていただきたい。それが私の気持ちであり、「新しいせたがやをめざす会」が発展するために必要と述べた。
黒木氏は「区民の区民による区民のための区政」とリンカーンの言葉をもじり、民主主義は区民一人一人が考え、区政に意見を表明し、それを実現することと述べた。行政は区民の活動をサポートするマネージャーである。それ故に区民の方々が連帯し、自分達の住んでいる地域なり、自分の置かれている様々な問題を行政の中で取り上げてもらえるかということを意識してもらいたい。
黒木実氏の話は続く。1960年代の日本は、ある意味では開発途上国であった。インフラが整備されていなかった。その後、インフラ投資が進み、1975年頃にはかなりのインフラが整備された。その間に東京オリンピック(1964年)があった。大阪万博(1970年)もあった。1980年くらいに先進国の仲間入りをした。
本来ならば、そこで大きく日本がどういう方向に行くのか、先進国に追いついた時にどういう国になっていかなければならないかということを、きちんと国の政治の場で論議されなければならなかった。それが議論されないまま、今日に至っている。1960年代のドンドン道路を造り、高層ビルを建設する発想が2011年まで連続している。これでは資金がもたない。
少子高齢化社会がヒタヒタと押し寄せてくる。そのような時代に1960年代の手法を続けていいのか。根本的な行政の大転換をしなければならない。熊本区政の8年間は1960年代の手法であった。大規模なプロジェクトや道路建設を進めた。それでは区の財政は、いつまでもつか。それをしっかりと考えてほしい。
世田谷区は1980年代に街づくり条例を制定した。当時、街づくり条例を制定していた基礎自治体は神戸市と世田谷区くらいで、非常に先進的な自治体と言われていた。それから10数年くらいは住民参加の街づくりが行われてきた。しかし、どこかから、それが変わってしまった。
かつては区民から上がってきた言葉を街づくりデザイン室が取り入れて、参加型の街づくりをしていた。それが、どちらかと言えば上位下達的な街づくりに変わってしまった。これは区民にとって悲しいことである。
それを変えたいと思い、私は立候補を決意した。全くの政治の世界の素人である。建築家という職能で培った職能を活かしたい。建築家は白紙のものから設計図を書いて、予算を決めて、どういう形にしたら経済的で使い易いものができるかということを訓練している。この手法を用いながら、話したようなことを実現していきたい。
私のような素人が行政に入っていくことで、色々な軋轢があるかもしれない。行政パーソンとも闘わなければならない。それを助けてくれるのは、あなた方区民である。区民が「こうしたい」「私の地域をこういう風にしたい」という意識をドンドン上げて欲しい。それによって「区民が要望しているのだから、実現策を考えて下さい。いいアイデアを出してください」と言える。それができないならば「区民と一緒に考えて下さい」と言える。
行政パーソンとパートナーシップを組めるような形で区政を大いに良くしていきたい。かつて西の神戸、東の世田谷と言われたように世田谷から新しい街づくりができたと発信していきたいと語った。

土建政治からの転換を目指す世田谷区長選・黒木実候補

世田谷区長選挙(4月17日告示、24日投開票)への立候補意思を表明した建築家の黒木実氏は土建政治からの転換を訴える。世田谷区では二子玉川東地区再開発(二子玉川ライズ)や下北沢の道路建設など大型開発が相次ぎ、土木事業に多額の予算が使われている。それに対し、黒木氏は暮らしや福祉に軸足を移すことを目指す。
黒木氏は1948年生まれで、個人の注文住宅を中心に多くの建物の設計・監理を手掛けている。世田谷区本庁舎等整備審議会の公募審議委員も務め、著名な建築家・前川國男が設計した第一庁舎の建て替えに反対し、保存活用を求めて活動している。
黒木氏は2010年2月7日に砧総合支所で開催されたタウンミーティング「区長と区民との意見交換会 地域の活性化・地域の絆の再生」に出席し、庁舎建て替え問題について熊本区長に質問している。黒木氏は区本庁舎等整備審議会(照井進一会長)答申(2009年8月13日)の少数意見「庁舎に文化性は必要ない」との少数意見を暴論と批判し、「文化性が不要とは考えていない」との区長答弁を引き出した(林田力『二子玉川ライズ反対運動』マイブックル、2010年、83頁)。
黒木氏は2月20日に東京土建世田谷会館で開催された「2011年世田谷区長選候補者候補のお話を聞く会」で出馬意思を表明した。「お話を聞く会」は市民派統一候補擁立を目指す「新しいせたがやをめざす会」の主催で、当初は区長候補として推薦された複数人の話を聞く予定であったが、他の人が辞退したため、黒木氏のワンマンショーとなった(林田力「黒木実氏が市民団体集会で区長選立候補意思表明=東京・世田谷」PJニュース2011年2月24日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110223_1
黒木氏のスタンスは開発途上国型の開発優先行政を区民参加で変えていくというものである。日本の行政が1960年代の開発途上国型の開発優先の政策のまま変わっていないことを問題視する。幕末に活躍した坂本龍馬の海援隊や高杉晋作の奇兵隊にちなみ、「われら世田谷区民隊」を掲げ、区民の連帯による変革を訴えた。
土建政治からの転換というテーマは2009年衆議院議員選挙での民主党のキャッチフレーズ「コンクリートから人へ」に通じる。「コンクリートから人へ」は時代の流れを読んだキャッチフレーズであり、だからこそ政権交代の原動力となった。
残念なことに民主党政権は迷走し、変節も見られるものの、「コンクリートから人へ」が求められていることは変わらない。そして「コンクリートから人へ」は国政以上に住民に身近な地方政治において実現でき、期待されている。実際、黒木氏が立候補意思を表明した「新しいせたがやをめざす会」には二子玉川ライズや下北沢の再開発に反対する住民運動のメンバーも多数参加している。それ故に統一地方選挙で開発優先行政からの転換を争点とすることは重要である。
開発行政からの転換を争点とすることは候補者の差別化戦略の点でも優れている。選挙では候補者の誰もが有権者に心地良い言葉を唱えてしまい、候補者の差異が見えにくくなる危険がある。自民党の川上和彦・世田谷区議会議長が「世田谷の5つの元気!」という政策案を提言しているが、そこでは以下の政策を掲げており、「新しいせたがやをめざす会」の政策案と重なる点も多い。
「保育待機児の解消に向けて、保育園の計画的な整備促進を進めます。」
「梅ヶ丘病院跡地を利用して、小児救急医療を含めた世田谷型医療、福祉の拠点を整備します。」
「区内産業を優先した公契約制度を確立します。」
「新しいせたがやをめざす会」からすれば、熊本区政下で福祉削減予算に賛成してきた政治家が誰なのか、選挙目当てのスローガンと本気で福祉施策に取り組む候補者を区別して欲しいとなる。しかし、有権者にとって分かりにくいことも事実である。現実に2010年の沖縄県知事選挙では米軍普天間基地の県外移設と国外移設の争いとなり、争点が埋没した(林田力「仲井真弘多・沖縄県知事の県外移設論の落とし穴(上)」PJニュース2010年12月8日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20101208_2
この点で開発行政からの転換からは有効な差別化要素になる。保守の論理は「再開発によって街が綺麗になる、経済が発展する」である。屋上緑化や壁面緑化などの緑を増やすという政策ならば保守政治家も唱える。それらも開発案件になるからである。しかし、開発優先の発想を根本的に否定することは保守が真似したくても真似できない要素である。
問題は開発行政からの転換の実現性である。土建政治からの転換は選挙目当てのスローガンに使い易い言葉である。「コンクリートから人へ」を掲げた民主党も目玉政策の八ッ場ダム一つ中止できず、迷走している。しかし、以下の点で黒木氏には説得力がある。
第一に黒木氏自身がスクラップ・アンド・ビルド型の開発優先行政に反対した活動歴がある。世田谷区第一庁舎の建て替えに反対し、保存活用を求めてきた黒木氏の活動歴が言葉に説得力を持たせている。
第二に開発優先行政に反対する黒木氏が建築家という建築業界の一員であることである。抵抗勢力の強い改革は往々にして抵抗勢力側の人間が進めることで成功しやすい。具体的な政策も個人住宅の耐震化など建築業界への需要創出につながる施策を盛り込んでいる。
従来の都市の防災対策としては道路の拡幅が挙げられる。しかし、道路の拡幅は土建利権そのものである。立ち退きを迫られる沿道の住民の生活も破壊する。これに対して黒木氏は個人住宅の耐震化を進めることで、道路拡幅によらない災害に強い街を目指す。それが中小建築業者の振興策にもなる。
第三に黒木氏の表現は洗練されている。「コンクリートから人へ」はコンクリートを全否定しているように受け止められ、建築業界から過剰な反発を招いた。記者は「コンクリートから人へ」の理念は正しいと考える。日本の建築不動産業界の現状を踏まえれば「コンクリートから人へ」に行き着くことは当然である(林田力「二子玉川再開発訴訟証人尋問から見えるコンクリと人の対立(下)」PJニュース2010年4月19日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20100417_2/
しかし、「コンクリートから人へ」が正論であっても、過剰な反発が起きた事実は否定しない。日本コンクリート工学協会主催で建築家の安藤忠雄氏が「人からコンクリートへ」と題する講演を行ったほどである。これに対し、黒木氏は1960年代の開発途上国型の行政が現代も続いていることを問題視する。開発優先行政の歴史的意義を認めた上で転換を求める点で、むき出しの二項対立となりがちな「コンクリートから人へ」と比べて洗練している。
黒木氏は具体的な公約として「世田谷区の家計簿点検」「行政内点検」「地域力・住民力の活用」「人、地域、地球にやさしいまちづくり」「『自治基本条例』制定と分かり易い『まちづくり法』の策定」「徹底した情報の開示」「世田谷ブランドの創出」と7つを掲げる。
ユニークな点は「世田谷ブランドの創出」である。「ベットタウンとしての単機能から働く場のある世田谷を目指します」とする。世田谷区は住宅地として評価が高いが、東急田園都市線などの通勤地獄がネックである。働く場も区内にあれば通勤地獄から解消される。
問題は働く場の創造である。高層のオフィスビルを建設して企業を誘致する手法は土建政治そのものである。それは「地域力・住民力の活用」や「人、地域、地球にやさしいまちづくり」と矛盾する。
黒木氏は区域外からも人を呼び込む「特徴ある商店街の創造」や「若者も参加できる新産業・コミュニティービジネスの育成」を掲げる。前者は下北沢など魅力的な商店街のある世田谷にとって重要であるが、おそらく全ての候補が掲げる政策である。これに対して後者は独自性が高い。
内定率が過去最低水準を更新するなど若年層の雇用問題は大きな問題であるが、解決は容易ではない。「新しいせたがやをめざす会」の政策案でも「産業振興・労働・雇用」というカテゴリーが存在するが、内容は以下のように産業振興が中心である。
「地域の特性を生かした中小商工業振興をすすめます。」
「小規模工事や物品発注は、区内中小商工業者を優先します。」
純粋な労働・雇用政策は「労働相談・就労相談・生活相談の窓口を充実します。緊急を要する失業者への相談窓口を創設します。」くらいである。勿論、中小業者の振興がまわりまわって雇用の拡大につながるが、それでは現実に雇用問題で苦しむ層へのアピールに欠けることも事実である。
それ故に若年層にも目配せした「新産業・コミュニティービジネスの育成」の具体的なイメージを描けるならば政治への関心が低いとされる若年層の支持が得られる可能性がある。

世田谷区長選挙候補予定者質疑メモ

二子玉川再開発(二子玉川ライズ)から住民の権利を守るために世田谷区で出来ることは何か。
多摩堤に住んでいた。二か月前に通って唖然とした。空間は自由に使ってはいけない。風景にふさわしいボリュームを事業者は考えなければならない。開発途上国の姿勢である。出来たものによって、行政ができることは被害対策。ビル風がすごい。高齢者が骨折した。交通渋滞対策。住民と話し合って、被害を検証してください。何故ああいう形で動いてしまったのか。どうしようもない開発途上国的発想。投資とリターンが合わない。よく事業計画をやるなと考える。

世田谷区の庁舎は建て替えではなく、リノベーションする。見かけの老朽化で判断している。地域に分散すれば、本庁舎の機能が賄える。
ハコモノ行政はやらない。これによって大分予算が抑えられる。
外郭団体は効率だけでは評価してはならない。外郭団体は赤字のところもある。自主的に赤字にならない運営をしていかなければならない。黒字経営の努力をすべき。運動場は区の施設になる前は黒字だった。区の施設になったら黒字が減っている。しっかりと考えてもらわないと。

外環道(東京外かく環状道路)に対して三鷹市では多くの反対署名が集まった。世田谷の被害が大きい。しかし、世田谷だけが関係自治体で反対していない。外環道が来ることで下北沢や二子玉川の街壊しと整合性がとれてしまう。

公共施設は地域の人が運営し、管理する。地域の人が自主管理する。ヨーロッパでは当たり前。
街づくりに若い人の力を。子どもは国の力。地域が無縁社会になっている。地域コミュニティーを復活させるか。行政は住民が話し合える施設を開放する。一人一人が諦めてはならない。行政は場所と予算をサポートする。

娘と息子は自閉症で梅ヶ丘病院に通っていた。府中まで通院して大変な状況。梅ヶ丘病院は規模の点でも質の点でも全国一。新幹線や飛行機で通院する患者もいた。梅ヶ丘病院跡地に小児施設を作るべき。陳情のために自民党に行ったら、今までの紹介議員を帳消しにしてこいと言われた。公明党に行ったら、建て直しがきかないと断られた。マンションが建設されていると反論したら、はぐらかされた。
梅ヶ丘病院は建物もしっかりしている。どういう風に区として、やっていくか。取り壊して新しいものを作るのではなく、今の施設で何ができるかを考える。

区民を守るためには国と戦う必要がある。たとえば国民健康保険料の値上げ問題がある。
区長には自分の町をどうするかという責任がある。国民健康保険料の値上げ問題でも総合的な判断から、必要ならば予算をつける。世田谷は、こうしていくという姿勢である。
自分達の街であって党の街ではない。党を越えた中でものを考えるべき。区議会の活性化が必要。議決権のない発言権だけのボランティア区議を加えれば面白い。
細かいところは話し合って決めていくスタンスである。反対が多い時でも立ち向かっていくしかない。区民の立ち上がる連帯が世田谷を変える。
スーパーには月に15回ほど行っている。

消費税が大変。消費税反対を行って欲しい。
建築の専門職は日本の文化。彼らが生きられる環境を作らなければならない。一品制作は時間がかかるが、五十年百年もつ。技術はなくしたら失われる。地産地消と言ったが、公共工事で活かせればいい。

国旗国歌は個人の思想の問題。学校教育において国旗国歌の成り立ちが教えられていない。押し付けるものではない。子供たちが意味を知った上で、歌うか歌わないか判断する。
TPPは食糧自給率が下がる。食糧自給率を上げる政策をとるべき。やるべきではない。その前にやるべきことがある。日本の緻密な技術を活かす。それが世界の中でブランドになる。
基地は敗戦国の負った生き様。侵略されたら、蹂躙されていいのか。しかし、沖縄一島に集中させることがいいか。心情的には何とかできれば外に出したいと思っている。

熊本区政と熊本区政を支えた与党への評価。政党への関係をどういう風にするか。
熊本区政の評価は1960年代の先進国になる前の手法が残っている。リニアモーターカーを使って東京から大阪まで行く必要はあるか。国民とは違うベクトルである。小田急線も最初は地下であった。自ら区議達が町づくりを考える。党派がない方がいい。
大型の再開発を招きたいという勢力がいる。再開発に賛成する人々に対して区長として、どうするか。
少数者の人権は大衆の考えと矛盾している。婚外子差別は続いている。少数者の人権は考えなければならない。
必要な人には必要な介護を受けることは当然である。日本国民であるからには人権は守られるべき。
候補者が複数立った時。出たからには勝たなければならない。折り合いを付けなければならない。
世田谷と杉並と品川は管理教育が酷く、スリーエスと呼ばれている。教育長を変えられるか。子供の数が増えている。現場の教職員の声を聞いて地域の声を生かした教育行政を。
教育について私なりの考えを持っている。トップと現場の乖離が問題。
消費税増税について。減税日本の主張について。住宅リフォーム助成制度。
あのような流行り的な発想は真に考える力を奪ってしまう。怖い。有権者は何を考えているか。減税にふさわしい働きをしているのか。必要なものは必要である。
政党から応援したいとの声があればウェルカム。こちらから区議候補を推奨することはない。群れて何かをするのは嫌い。
政党と取り引きするようなことはしない。消費税は上げずに済むならば上げるべきではない。話し合い文化を皆で作りましょう。九条は守るべき。核は地球がなくなってしまう。
区民自らが立ち上げた候補者とする。党派の関係をもって選挙をしない。党派性が現実ならば、それを崩す一歩を進まなければならない。区民参加型の区政にする。
多様な区民からの要求が集中する。
地域活性化委員会で区民が大いに議論してほしい。自ら地域の問題を解決してほしい。
東急自動車学校跡地購入などは検証すべき。梅ヶ丘病院は施設を利用できれば、と考える。新しい公共は区民参加。どの政党にも、お願いしない。
日の出町は高齢者の医療費を無料にした。その結果、高齢者の早期受診が増え、医療費のトータルが減少した。
必要なところに早めはやめにやっていくことで効果が得られる。福祉や子育てに傾いていく。人に優しい区民参加型の街を作る。自らの考えでやるという自律的な精神がある。
思いを同じくする議員が増やしたい。自らの区に個人としては良いと思っているのに党が反対しているから反対は区民の付託に応えられない。党派の顔色をうかがっていたら、政策はできない。きちんと議論する。

区長選に向け新たな会が始動=東京・世田谷

東京都世田谷区では2011年4月の統一地方選挙で区長選・区議選が行われる。その区長選に向け、世田谷区内の市民・住民運動を中心に「2011年世田谷区長選挙を闘う新たな会」立ち上げの動きが出ている。
現職の熊本哲之・世田谷区長は東京23区の区長で最年長で、2010年11月に引退を表明した。その熊本区長の最後の大仕事になる2011年度予算編成では「政策検証」「点検」がポイントである。子ども医療費の助成削減、ガン検診の自己負担増、プレーパークや市民大学からの機退など福祉予算が削減される見込みである。
その反対に都市計画道路、二子玉川ライズ(二子玉川東地区再開発)、小田急に続き京王線の連続立体化、駅前広場整備など開発事業が目白押しである。個性的な小店舗で知られた下北沢も豊かな自然で知られた二子玉川も、次々と車の流入する高層ビルの街に変貌しつつある。
熊本区政では街づくり条例の改正や庁舎建替えなどトップダウンの行政推進も目立った。特に街づくり条例については住民らから拙速と批判されている中での改正であった(林田力「街づくり条例について考え、語る会開催=東京・世田谷(上)」PJニュース2010年9月13日)。
このような状況の中で「新たな会発足発起人会(準備会)」では「くらし・福祉優先、区民への思いや提案が生かされる世田谷区政への転換が、今こそ求められています」と訴える。新たな会立ち上げの動きは「市民政策・せたがや」運営委員会有志が母体となって2010年12月頃から始まっている。
「市民政策・せたがや」は2007年の区長選挙に取り組んだ市民団体で、市民の力で新しい区長を擁立することを目指した。そこでは以下のような提言をしており、現在と問題状況は何ら変わっていない。
「現世田谷区政は土木予算を増やし・大型開発を推進する一方、この3年間だけで50項目、70億円にのぼる区民の福祉・くらし予算を切り捨て、区民に耐えがたい痛みを押しつけてきました。二子玉川の再開発だけで総額700億円余、区民1人9万円の負担を強いられます。こんな無謀な区政は改めなければなりません。」
「市民政策・せたがや」は市民派区長実現のために市民派候補の一本化を目指した。これは政党ではなく、市民団体として「市民政策・せたがや」が区長選に取り組んだ一つの要因である。しかし、「市民政策・せたがや」が推薦者を選定する前に、民主党は「市民政策・せたがや」に自薦していた水間賢一・元区助役の推薦を決めてしまった。
その結果、市民派候補は水間氏と「市民政策・せたがや」の推薦する公認会計士の鈴木義浩氏に分裂し、熊本氏が再選を果たすことになった。これは「市民政策・せたがや」関係者にとっては痛恨であった。新たな会発起人会では「初めに特定の候補者ありきではなく、地域のさまざまな課題から政策をつくり その政策を支持する、実現する人を選びます。」と掲げ、市民派が団結できる候補者の選定を目指している。

新しいせたがやをめざす会が区長選候補選定演説会開催=東京・世田谷

新しいせたがやをめざす会が世田谷区長選の候補者として名前の挙がっている方々からお話を聞く会を2011年2月20日13時から東京都世田谷区上馬の東京土建世田谷会館4階会議室で開催する。
東京都世田谷区では2011年4月の統一市長選に合わせて区長選挙が開催されるが、現職の熊本哲之区長は引退を表明し、2月13日現在、未だ正式に立候補を表明した人物がいないという異常事態である。
一方で「市民政策・せたがや」運営委員会有志らは「2011年世田谷区長選挙を闘う新たな会発足の発起人会」を立ち上げ、市民派候補の擁立を目指している(林田力「区長選に向け新たな会が始動=東京・世田谷」PJニュース2011年1月8日)。
http://www.pjnews.net/news/794/20110108_1
新たな会は1月29日に東京土建世田谷会館で発足集会を開催し、団体名を「新しいせたがやをめざす会」と決定した。共同代表を内山祥隆(世田谷社保協)、志村徹麿(二子玉川の環境を守る会)、堀江照彦(下北沢の住人)とし、事務局を世田谷区豪徳寺の「世田谷市民運動いち」とする。記者も参加している。
「新しいせたがやをめざす会」は候補者の自薦・他薦の受付を2月12日に締め切り、推薦候補の選定作業に入っている。現時点で候補予定者の名前は公表されていないが、事務局には複数名の自薦・他薦候補が寄せられているという。2月20日の「お話を聞く会」は立候補意欲のある方々から話を聞き、質疑応答を行い、参加者はアンケートを提出する予定である。この日の内容やアンケート結果が候補者選定の判断材料となる。
「新しいせたがやをめざす会」では並行して市民からの政策提言も受け付けており、取りまとめ中である。2月5日と2月12日に幹事会が開催され、政策案について激しい議論がなされた。政策案は固定したものではなく、市民からの提案により、発展し続けるものと位置づけている。
現時点の基本政策は二子玉川ライズや下北沢など街壊しの再開発に多額の税金がつぎ込まれる区政から、区民が主人公で区民生活を豊かにする区政への転換を骨子とする。また、個別政策は福祉、医療、保育、子育て、教育、産業振興、労働、雇用、まちづくり、環境、平和、人権、文化、スポーツと多岐に渡っている。

新しいせたがやをめざす会が区長選に向け政策案を公開=東京・世田谷

世田谷区の市民運動・住民運動関係者らを中心に組織する「新しいせたがやをめざす会」は2011年2月16日に政策案を公開した。同会では1月29日の結成集会以来、市民から提案された政策を集約し、議論を重ねてきた(林田力「新しいせたがやをめざす会が区長選候補選定演説会開催=東京・世田谷」PJニュース2011年2月14日)。
政策案は前文、基本政策、個別政策の三部構成である。前文では「憲法が定める主権者は、私たち区民です」と宣言し、「さあ、ご一緒に、私たちのまち世田谷を区民のいのちとくらしを何よりも大切にし、緑あふれる住みよいまちへとつくりかえていきましょう。」と呼びかける。草案段階では「市民政策・せたがや」からの経緯を記載していたが、現行版はコンパクトにまとめた。
基本政策は「区民の声を、まっすぐ区政に〜税金を区民生活第一に使います〜」をスローガンとし、「区民が主体」「くらし再建」「まちを大事に」の3点を掲げる。情報公開を徹底し、計画段階からの区民参加を実現する。また、現状認識として二子玉川ライズや下北沢などの再開発に多額の税金がつぎ込まれ、街の歴史や文化、住民の生活や絆、環境が破壊されてきたとする。そこで再開発や道路優先がもたらす大きなムダと住民被害、財政圧迫の三重苦を取り除くと宣言する。
個別政策は住民自治、福祉・医療、保育・子育て・教育、産業振興・労働・雇用、まちづくり・環境、平和・人権・文化・スポーツと6つのカテゴリに分かれる。子供の医療費無償の制度存続や認可保育園の増設、少人数学級の実現、住宅リフォーム助成制度、乱開発の防止など区民生活を豊かにする政策が並んでいる。また、消費税増税・国民健康保険料の値上げ、後期高齢者医療制度・障害者自立支援法の廃止、外環道の見直しなど国政・都政マターについても区民の立場で国や都に働きかけると述べている。
世田谷区長選に向け市民派候補擁立を目指す「新しいせたがやをめざす会」では2月20日に候補者として名前の挙がっている方々からお話を聞く会を開催するが、この政策案を候補者候補に提示し、すり合わせをしている。また、政策案自体も発展し続けるものとの位置づけで、引き続き市民からの提案を求めている。

街づくり条例改正問題

街づくり条例について考え、語る会開催=東京・世田谷

「第2回世田谷区街づくり条例について考え、語る会」が2010年9月11日、東京都世田谷区の宮坂区民センター大会議室で開催された。主催は「(仮称)街づくりの仲間たち」設立準備会である。これは「区民と考える街づくり条例フォーラム」参加者有志が、まちづくりファンド「はじめの一歩」部門の助成を受けて活動するグループである。
会場は招き猫や幕末の大老・井伊直弼の墓所で有名な豪徳寺の近くである。会場となった宮坂区民センターはコンペ一席の作品が1990年に完成した建物で、野澤正光建築工房が設計した。駅と広場と施設がつながって周辺と調和した雰囲気を出している。街づくりを考える集会の会場として相応しい建物である。
世田谷区は「世田谷区街づくり条例の一部を改正する条例」を9月15日開会の第3回定例区議会に提出する予定である。既に9月3日の都市整備常任委員会で改正条例が提出予定案件として報告され、9月22日に都市整備常任委員会、9月28日に本会議で審議される予定である。
主な改正点は以下の通りである。
・土地所有者に対して、大規模土地取引行為(売買契約等)の前に区長へ届出を義務付ける。
・大規模開発計画の場合に、区、区民、事業者による意見交換会を開催し、調整を図る。
これに対し、条例改正の進め方及び改正案の内容には多くの疑問があるとして、集会では「街づくり条例改正を拙速に行わないよう求める要望書」を区議会に提出する取り組みが報告された。要望書では「街づくり条例の改正に当たっては、もっと時間をかけて、多くの区民の意見を聞き、それを反映した内容としていただきたい」と主張する。1ヶ月足らずで千筆以上の署名が集まったとする。
条例改正の進め方の問題点は以下の通りである。
第一に区民参加と提案を軽視した改正の進め方である。世田谷区は2009年に「区民と考える街づくり条例フォーラム」を開催し、公募により延べ約300名の区民が自由に参加した。フォーラムでは8回に渡る検討が行われ、10月に都市計画課作成の形で提案書を提出した。しかし、この内容の主要部分は改正素案に反映されていない。反映しない理由の説明もなされていない。
また、「街づくり条例改正の考え方」へのパブリックコメントが2010年1月9日から29日まで実施されたものの、素案に対するパブリックコメントや区民への説明会は実施されていない。世田谷区の区民意見提出手続(パブリックコメント)実施基準第2条はパブリックコメントについて以下のように定める。
「区民の生活に広く影響を及ぼす区の基本的な施策等を策定する場合において、事前にその案を公表し、区民その他の者が意見を述べる機会を設け、当該意見に対する区の考え方を公表する手続をいう。」
このようにパブリックコメントは案に対して実施するものであり、案と比べて簡単な内容に過ぎない「考え方」に対するパブリックコメントの実施で済ませることは基準の解釈として疑問である。
第二に改正の進め方が拙速である。街づくり条例は世田谷区における街づくりの基本法とも位置付けられる重要な条例である。それを大幅に変更するにも関わらず、十分な議論がなされていない。改正条例素案は6月1日に公表され、8月下旬に区執行部が区議会各会派に改正案の説明を始めた。それを9月中の審議で可決させようとすることは乱暴である。
改正案は公表された素案と比べても変更点が少なからず存在する。区都市計画課作成の説明資料「世田谷区街づくり条例 主な改正点(概要)」も改正案と齟齬が生じている。手抜きの資料となってしまい、残念である。
区の説明がコロコロ変わっており、区内部でも改正案を煮詰められていないと推測される。最初は条例の全面改正と説明していたが、一部改正に軌道修正した。当初は「区民が主役の街づくり」との表現も、都市計画課作成資料では「区民が主体の街づくり」に後退した。
改正案の内容にも多くの批判が出された。条例に前文を設けて理念を記述したことなど評価できる点もあるものの、以下の批判や意見が提起された。
第一に公共事業に対して区が責任をもって取り組むことが規定されていない。現行の街づくり条例は1995年に改正されたものだが、その後、地方分権が進み、情報公開や説明責任が重視されるようになった。
しかし、改正案は区内で行われる公共事業を条例の対象から除外したままである。国や東京都や区も事業者に含まれることを明確化すべきである。また、区長が区民に対して情報を公開し説明責任を果たす規定もない。
第二に規制対象を面積3000平米以上の敷地に限定している。素案では土地取引の届出制度と建築事業者による建築構想の届出制度の対象を3000平米以上の敷地とする。区内で進められる建築事業、中でも多くの紛争を起こしているマンション建築事業の敷地面積の多くは3000平米未満である。これでは区が主張する街の魅力向上の実現は期待できない。
集会では大規模土地取引に限定すべきでなく、集合住宅に関しては規模の制限を設けるべきではないとの意見が出された。また、マンション紛争を想定した場合、2000平米以上としても、まだ不十分であり、せめて1000平米以上との意見もあった。一方で将来的な見直しを前提とした第一歩として位置付ける意見もあった。
第三に地区住民や周辺住民の定義である。地区住民や周辺住民に含まれなくても影響を受ける住民が存在する。彼らに全く発言権がないとすることは問題である。
第四に文言自体が分かりにくい。「説明会」とは何か、「意見交換会」は何かなど、条例に登場する文言が明確に説明できるものでなければならない。
第五に開発業者への強制力に欠ける。「計画変更可能な時期での総合調整と区民等との合意」を目指す考え方は評価できるが、手続きさえ踏めば地域に調和しないマンションでも建設できてしまう。罰則や差し止め請求などを検討すべきである。
第六に現行条例からの課題であるが、地区街づくり協議会の位置付けが曖昧である。集会では一地区一協議会の原則を検討すべきではないかとの意見が出された。協議会内で意見対立があると、異なる意見の主張者が排除されることがある。また、別の団体を設立し、同一地区に複数団体が並存することになる。
現行制度では区が助成対象とするか否かで恣意的に協議会を選別できてしまう。例えば二子玉川東地区再開発に対し、周辺住民が自ら街づくりを考えて行政や事業者に提案することを目的とする「二子玉川東地区住民まちづくり協議会」は区の支援を得られていない。
集会には区議会議員の中里光夫氏(日本共産党)と上杉裕之氏(民主党)も出席した。
中里区議は「これだけ大規模な条例の改正を僅かな時間の中で十分な議論ができたか疑問」と批判した。不十分な準備の中で出た改正案とする。そもそも改正の動機が不純である。隠れた真の目的は行政計画を着実に実行するための仕組み作りである。住民参加とは反対の方向性であるとする。
上杉議員は改正案に対する民主党会派内の動きについて説明した。時間が限られている中でベターな検討していると述べた。また、民主党の方針である地域主権について、会場の問題意識に応える形で、地域主権は自治体(首長)の権限を強化するだけでなく、住民自治を意味すると述べた。

街づくり条例改正案が可決=東京・世田谷

平成22年第3回定例会開会中の世田谷区議会では2010年9月28日、議案第86号「世田谷区街づくり条例の一部を改正する条例」を賛成多数で可決した。賛成会派は自民党や公明党などである。改正案に対しては民主党を中心に修正案が提出され、民主党の上杉裕之議員が趣旨説明を行ったものの、賛成少数で否決された。
ここでは世田谷区提出の議案を自公が支持し、それに住民運動の後押しを受けた民主が対立する構図が浮き彫りになった。世田谷区が進めた街づくり条例改正に対しては、まちづくりに関心のある市民から拙速などと批判の声が上がり、集会も開催された(林田力「街づくり条例について考え、語る会開催=東京・世田谷(上)」PJニュース2010年9月13日)。
http://news.livedoor.com/article/detail/5005470/
上記集会には上杉議員も出席し、民主党会派として修正案の提案を検討中であり、自分がドラフトを作成中であると表明した。修正案は対案とは異なり、改正案を部分修正するものである。上杉議員は民主党が理想とする街づくりを実現するための対案を提出すべきではあるが、時間的制約から修正案となったと説明した。そこで披露されたドラフトの骨格は、一部不十分との声もあったものの、概ね集会参加者が支持できるものであった。
但し、集会の時点では民主党会派の決定により上杉議員がドラフトを作成中という段階であり、修正案を区議会に提案するか否かは決定されていなかった。街づくり条例改正では民主党は住民運動の期待に応えて修正案を提出したことになる。
住民運動にとって民主党への思いは複雑である。住民側の視点に立ってくれるとの期待は大きいが、裏切られたと落胆することも少なくない。たとえば二子玉川南地区の多摩川暫定堤防建設では環境破壊などを理由に住民反対運動が起きているが、民主党は自民党・公明党と共に2009年12月4日、玉川一丁目河川広場を廃止する条例改正に賛成し、暫定堤防建設を可能にした。これは住民運動にとって裏切りと受け止められた。
一方で同じく環境破壊などを理由に住民反対運動が起きている二子玉川東二地区第一種市街地再開発事業では、住民運動による区議会や都議会への陳情提出に民主党議員は尽力した。ここでは自公と住民側に立つ民主の対立構図は明確である。街づくり条例改正でも同じ枠組みが成立した。

世田谷区街づくり再出発の会=東京・世田谷

市民グループ「(仮称)街づくりの仲間たち」設立準備会は2010年11月4日、世田谷区街づくり再出発の会を北沢タウンホールにて開催した。集会は2部構成で、第1部は設立準備会の設立集会、第2部は区議と区民の懇談の集いである。
設立準備会は「区民と考える街づくり条例フォーラム」参加者有志が、まちづくりファンド「はじめの一歩」部門の助成を受けて活動するグループである。これまでも世田谷区街づくり条例改正問題などを議論してきた(林田力「街づくり条例について考え、語る会開催=東京・世田谷(上)」PJニュース2010年9月13日)。
http://news.livedoor.com/article/detail/5005470/
第2部では多くの区議が参加し、街づくりから区政一般に至るまで様々な意見交換がなされた。司会は建築家の黒木実氏で、最初に都市計画コンサルタントの稲垣道子氏が2010年9月に議決された改正街づくり条例の問題点や課題を説明した。
稲垣氏は今回の改正を「不十分でも改正した方がまし」ではなく、改悪と断言する。具体的な改悪内容として、地区計画の申出がしにくくなることを挙げた。地区計画素案の申出では、地区全体の半数以上の地権者数の同意などが必要と定めた。これは地権者確認のために登記簿の閲覧・複写が必要である。金銭的・時間的に過大な負担を強いるもので、市民にはハードルが高いと批判する。
上杉裕之区議(民主党)は民主党ら野党会派が共同で提出した修正案の経緯を説明した。もともと民主党では独自に修正案を検討中であったが、生活者ネットワークから呼びかけがあり、修正案をすり合わせすることになった。生活者ネット案の内容が良かったため、それに民主党が乗る形になった。吉田恵子区議(生活者ネット)と上杉議員の名前で修正案を都市整備委員会(定員11人)に提出したが、議決結果は5対5となり、委員長決裁で否決された。本会議でも修正案も提出したが、否決された。
吉田議員は上杉議員の説明を受け、修正案の内容を説明した。民主党案と生活者ネット案は多くの点で内容が重なっていたとする。
ここで司会の黒木氏は修正案で改善しようとした現行条例の問題点について言及した。現行条例第22条第2項は但し書きで、都市計画事業の施行区域などでは街づくり推進地区の指定に議会議決を不要と定めている。この但し書きは修正案では削除されたが、改正条例では残存している。黒木氏は世田谷区の街づくりの問題は皆、公共事業に端を発しているようなもので、それに議会が関与できないことは問題と主張した。
これを受けて、二子玉川の住民が二子玉川東第二地区再開発事業に対する世田谷区の対応を批判した。東急グループを中心とする再開発準備組合は2009年11月に事業計画の認可申請を世田谷区に提出したが、そのまま区は議会にも報告することなく、東京都に進達してしまった。議会には事後報告のみであった。税金を使う事業であり、区民には知る権利がある。議会が軽視されている。順序が違うと批判した。
街づくり条例改正後の課題としては、街づくり条例施行規則の内容が問題になる。上杉議員は施行規則の決定手続きを説明した。施行規則は役所の中で区長決定し、議会に報告することはない。施行の一週間前に決定されることもある。但し、街づくり条例は大きな政治案件になったので、施行規則も早めに決定されるのではないかとの見方を披露した。施行規則に対して議員や住民側でできることとして、議会での質問や区職員を呼んで説明を求めることを挙げた。
これに中里光夫議員(日本共産党)が補足した。条例は議会の議決がなければ変えられないが、規則は行政に注文を付けることで変えられるとする。
木下泰之区議(無党派)は条例の進め方の問題点を指摘した。世田谷区の区民意見提出手続実施基準では案に対してパブリックコメントを実施すると定められているが、街づくり条例改正では考え方に対して実施した。自ら決めた実施基準を踏みにじっている。都市計画は長年役人の専権事項であった。その発想のまま現在でも動いている。
最初の街づくり条例では住民を尊重する考え方に立っていた。しかし、なし崩しにされている。二子玉川東地区再開発での東急グループのように、水面下で行政と企業と折衝している。しかし、区民には公開されず、決まった後に初めて明らかにされる。街づくりの問題を解決するためには、過程をオープンにしなければならない。条例案を住民が直接請求する運動も考えられる。
羽田圭二区議(社民党)は現在の議会構成の限界を指摘した。今の議会の力関係では住民提案は通らない。街づくり条例改正は何だったのか。改正は住民が求めたものである。大規模マンションなどの乱開発に有効な手段がない。ルールを確立しろという声が出ていた。
それが街づくり条例改正の出発点であったが、実際の内容は住民の要望には遠いものであった。そこには区の担当者が変わったなどの要因もあるが、議会が決定的である。改正案の内容が議会の許容範囲であった。実際、この集会も全会派に呼びかけたとされるが、自民党や公明党の議員は決して出席しない。住民意見を聞いて議会全体で受け止めるということに追い付いていない。住民参加と議会の関係について議論を進めてほしい。
山木きょう子区議(生活者ネット)も、住民提案に対し、議会側が力量をつけなければならないと述べた。参政権の行使としては投票行動が重要であり、周りの人に伝えてほしい。
村田義則議員(日本共産党)は、この街づくり条例改正に対する取り組みなどが議会と住民の先進事例になると述べた。

世田谷観光

嫉妬の犠牲者を嫉妬深い弁財天に祀る駒留八幡神社

東京都世田谷区上馬にある駒留八幡神社には悲しい伝承がある。戦国時代の世田谷城主・吉良頼康の側室・常盤姫の悲劇である。
駒留八幡神社は東急田園都市線駒沢大学駅と東急世田谷線若林駅の間に位置する。どちらの駅からも環七通りを歩いていくことになるが、神社は環七通りから少し奥まった場所にある。周囲はマンションなど建物で囲まれているが、神社は広い。境内社も三峯神社、菅原神社、榛名神社、駒留稲荷神社、戦没者慰霊殿と数多く存在する。緑も多く、世田谷区が選定した「せたがや百景」にも入っている。
駒留八幡神社の祭神は天照大神と応神天皇である。鎌倉時代に領主であった北条左近太郎入道成願が八幡大神の勧請に際して、成願は自分の乗った馬(駒)が留まったところに社殿を造営したことから「駒留八幡」と称するようになったと伝えられている。
常盤姫の悲劇は戦国時代の物語である。当時の関東は後北条氏(小田原北条氏)が席巻していた。吉良氏は室町幕府将軍・足利家の一門で、「吉良殿様」「世田谷御所」と呼ばれる名門であったが、実力は後北条氏が圧倒的に上であった。
頼康は北条氏綱の娘と政略結婚し、後北条氏は名門・吉良氏の縁戚となることで、自らの権威付けに利用した。頼康は権威に見合った実権はなく、自身が武将として戦場で活躍したという記録も見当たらない。戦国時代劇に登場する足利義昭のようなイメージである。
そのような屈折したところもある頼康が一目惚れした女性が奥沢城主・大平出羽守の娘・常盤姫であった。頼康は常盤姫を側室にし、寵愛した。それを他の側室が妬み、常盤姫が美男の家臣と不義密通していると讒言した。子ども向けの紙芝居などでは不義密通を使えないためか、讒言の内容は常盤姫が白鷺に手紙を付けて城の秘密を外部に漏らしたなどとアレンジされている。
度重なる讒言を本気にした頼康によって、常盤姫は自害させられた。逃亡中に追い詰められて自害したとする説や、追っ手に殺害されたとする説もある。常盤は死の直前に飼っていた白鷺の足に無実を訴える遺書を結びつけ、実家の奥沢城に向けて放った。しかし、白鷺は実家に辿り着くことなく、途中で息絶えた。狩をしていた頼康に射殺されたとの説もある。白鷺の血の痕からは一本の草が生え、鷺に似た白い可憐な花を咲かせるようになった。これがサギソウで、世田谷区の花になっている。
常盤姫は自害した当時、頼康の子どもを身ごもっていた。この死産した子どもも合祀されたことから、駒留八幡神社は若宮神社とも呼ばれるようになった。
駒留八幡神社には常盤姫を祀る常盤弁財天(弁才天)もある。一説には常盤姫は怨霊となって人々に祟ったために祀ったとも言われる。江戸時代に入ると弁財天は嫉妬深いという俗信が発生した。その弁財天として、嫉妬の犠牲者である常盤姫が祀られることは皮肉である。
常盤弁財天は神社の奥にあり、背後にはマンションが迫る。池の中にある浮島形式であるが、人口池の水は干上がっており、それが常盤姫の無念を強く感じさせていた。

土の団子で御利益の栄珠稲荷神社

東京都世田谷区三宿の栄珠稲荷神社は土の団子で御利益があると伝えられている。三宿は東急田園都市線池尻大橋駅と三軒茶屋駅の間、三軒茶屋駅よりの場所にある。
この辺りはオシャレな住宅地として人気があり、お忍びで芸能人が食事をするような隠れ家スポットも多いとされる。しかし、地域の核となっている道路・玉川通りの上を走る首都高速の高架が視界を遮り、少なくともオシャレな景観ではない。
栄珠稲荷神社は玉川通りを一歩入った場所にある。小さな神社でマンションなど他の建物と同じ敷地の中にある。神社は敷地の奥まった場所にあり、気付かずに通り過ぎてしまいそうなほどである。石造りの鳥居は大正時代に栄珠教会講社一同が奉納したものである。
三宿は水の宿る場所という水宿が地名の由来とされる。隣の地域が池尻であり、水と縁がある土地であるが、日照り続きで作物が育たない時もあった。村人は供え物も出せないほど困窮していた。そのために土で団子を作り、それを栄珠稲荷に奉納し、降雨を祈願した。すると村人の必死の祈りが通じ、雨が降ったという。
無事に作物を育てられた村人は米で団子を作り、改めて栄珠稲荷に奉納した。このエピソードから栄珠稲荷では願掛け時に土の団子、成就時に米の団子を供えるようになり、団子稲荷と呼ばれるようになった。
似たようなエピソードは各地に存在する。子どもが病気になると土の団子を供え、治ると米の団子でお礼参りするなどである。その一つが谷中の笠森稲荷で、童歌「向う横丁のお稲荷さん」では「米の団子か土の団子か」と歌われた。願いが成就した時に正式な供え物の奉納を求める稲荷大明神は、非常に良心的な神様である。