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林田力『東急不動産だまし売り裁判』 選挙

 

選挙... 1

投票率向上は選挙運動自由化で... 1

共産党と社民党の大きな溝... 2

シングルイシューの重要性... 3

松原市長選に見る野党共闘論の限界... 4

「ネット選挙」シンポに参加した(1)... 5

「ネット選挙」シンポに参加した(2)... 7

「ネット選挙」シンポに参加した(3)... 9

ネット選挙運動は資力ある候補者に有利か... 10

ネット選挙運動と公設サーバ論... 12

平沢勝栄議員のミクシィ・オフ会開催... 14

平沢勝栄の書籍... 16

【書評】『政治家は楽な商売じゃない』... 16

【書評】政治家の成長『危うしニッポン!ズバリもの申す』(平沢勝栄 著)... 17

 

 

選挙

投票率向上は選挙運動自由化で

鳩山由起夫首相は2010310日の参院予算委員会で、公職選挙法で禁止する戸別訪問について「金のかからない選挙」実現の観点から解禁を期待した。投票率向上の観点からも選挙運動への規制除去は支持できる。

投票率の低さは民主主義にとって問題である。選挙による代表者の選出は民主政治の基礎であり、あまりの低投票率では代表者としての正当性に疑問符がつく。健全な民主主義社会であるためには、それなりの投票率でなければならない。

しかし、選挙権は権利であって義務ではなく、投票を強制することはできない。それ故に有権者に投票を呼びかけるという形にならざるを得ない。実際に日本では選挙になると各地の選挙管理委員会は投票率の向上に向け、選挙の度に莫大な費用(税金)を支出して投票をアピールしている。

投票の呼びかけ自体は誤りではないが、莫大な税金を費やすことは疑問である。それよりも候補者及び政党(以下、候補者等)の選挙運動を自由化することで、税金を使うことなく投票率向上の告知を効果的に行うことができる。

候補者等は自分に一票を投じてもらいたいために選挙運動を行う。従って選挙運動は自動的に投票の呼びかけを包含する。従って選挙運動への規制を最小化し、各候補者等が自由に選挙運動を行えば、税金を使わなくても多くの有権者が投票の呼びかけを受けることになる。

しかも投票率向上という抽象的な目標しか持たない選挙管理委員会に比べ、当選か落選かが天国と地獄の境目になる候補者等は必死さが異なる。選挙管理委員会が知恵を絞るよりも、候補者等に任せた方が効果的に有権者に投票を訴えることが可能である。

選挙運動自由化に対して想定される批判2点に以下の通り反論する。

第一に選挙運動を自由化すると平穏な生活が害される恐れがある。これは管見も弊害であると認める。しかし、選挙によって代表者を選び、国民が政府を監視する民主政治を採用する以上、これは民主政治のコストとして受忍すべきものである。もし選挙運動に煩わされない自由なるものを定義し、これを積極的に尊重すべきものと位置付けるならば、選挙管理委員会が税金を用いて投票率を呼びかけることも否定されてしまう。

第二に選挙運動を自由化すると資金力の大きい候補者等が有利になる。しかし、多数の市民から幅広く献金を受けた候補者が、そうではない候補者よりも選挙戦を有利に戦うことは不公正ではない。企業・団体献金規制で対応すべき問題を選挙運動規制にすり替え、多数の支持で資金を集められた候補者の選挙運動を抑制する方が不正義である。現実問題として「労働者階級の党」を標榜する日本共産党が他党と比べて安定した資金力を有していることを踏まえれば、「資金力のある候補=金持ち」という図式はナイーブ過ぎる。

候補者等が選挙運動を行う目的は自らの当選のためであるが、その運動は投票率の向上にもつながる。私益的な動機に基づく行動が公益的な効果をもたらすことは多い。そのような行動を抑圧するのではなく、上手に利用することが低コストで公益を実現する道である。

 

共産党と社民党の大きな溝

日本共産党と社会民主党(旧日本社会党)は戦後日本の革新勢力を支えた両雄である。両党は主張の類似性とは裏腹に対立関係にあるとの印象が強い。本記事では両党の対立の深層を分析する。

五五年体制において社会党は野党第一党であり、欧米先進国流の議会制民主主義が機能するならば自民党に取って代わって政権を担うことが期待された。そのためには社会主義色を薄め、現実的な政策を掲げる必要があると主張された。社会主義政党では政権を担えないという発想自体が保守層のプロパガンダに汚染された結果であるが、この主張が当時は一定の説得力をもって受け入れられたことは確かである。

結局、社会党は社公民路線(社会党・公明党・民社党の連合政権構想)を推進し、共産党を排除した。しかし社会党と公明党・民社党は防衛政策などの隔たりが大きく、社公民路線は破綻する。社会党にとって平和主義が何よりも大切であるならば、組む相手を誤ったことになる。

現在も社民党は民主党・国民新党・社民党の連立政権の一角を占めており、共産党よりも民主党にシンパシーを感じている。もともと、民主党は多くの社民党員が合流して結成されたものであり、シンパシーを感じることは自然である。

しかし、民主党に擦り寄れば擦り寄るほど民主党に埋没してしまうため、党勢の維持拡大にとって賢明な判断であるかは疑問がある。一方で有力支持団体の労働組合には民主党と社民党のいずれを応援するかで悩むところもあり、むしろ社民党が民主党に合流することを歓迎する向きもあるだろう。

あくまで社民党として生き残りを図るならば、民主党と差別化しなければならない。社民党の差別化要素は徹底した反戦・平和主義である。しかし、この点を強調すればするほど皮肉なことに共産党との溝は深まってしまう。

日本の平和主義の原点は第二次世界大戦の戦争被害である。その戦争中に侵略戦争反対の声をあげたのが日本共産党であり、この事実は日本共産党の大きな誇りとなっている。これに対し、社会党の源流の一つとなった社会大衆党は大政翼賛会に真っ先に合流して翼賛体制を支えていた。

共産党と社民党は同じ平和主義でも正反対の地点から出発しており、歴史を踏まえるならば共産党と社民党の団結を口にすることさえ憚られてしまう。両党の連携は単に政策面で一致するところがあるという御都合主義的な発想ではなく、複雑な歴史的背景があることを直視するところから始めるべきである。それが「急がば回れ」の諺通り、最善の道と考える。

記事を終えるにあたり、記者の政治的スタンスを説明する。記者は保守でも革新でもないが、新築マンションをだまし売りした大手不動産会社と裁判闘争を続けた経験がある。だまし売り被害者に共感し、助力してくれる人には革新側が多いため、記者自身も革新勢力に好意的であることを付言する。但し、少しの異論も許容しない教条主義的なところに閉口させられることもある。そこには革新勢力が否定する戦前の軍国日本と同じ体質が感じられる。

最後に本記事は北京老学生記者の「共産党と社民党は、キリンとサントリーになれないのか?」に触発されたものである。興味深い議論を提供した北京老学生記者には記して感謝したい。

 

シングルイシューの重要性

シングルイシュー選挙とは一つの争点が争われる選挙である。2005年に行われた郵政解散総選挙が代表的である。衆議院を解散した小泉純一郎首相(当時)は「今回の解散は郵政解散であります。郵政民営化に賛成してくれるのか、反対するのか、これをはっきりと国民の皆様に問いたい」と会見した。この明快さが国民受けし、自民党は議席を大幅に増加させた。

この結果に対してシングルイシューそのものを問題視する見解がある。社会保障制度(年金)や小泉首相の靖国神社参拝など様々な論点が存在したにもかかわらず、郵政民営化問題のみで自民党が支持されたことを不合理とする。郵政民営化への支持で圧倒的な多数派となれた自民党が郵政民営化以外の問題でも多数派として自党の主張を押し通す結果になるためである。しかし、「シングルイシューはけしからん」と主張しても建設的ではない。

郵政選挙で惨敗した民主党は「郵政改革には賛成、自民党の郵政民営化法案には反対」という曖昧な姿勢であった。これは官尊民卑の打破を求める都市部を中心とした有権者(民営化歓迎)と労働条件悪化を憂慮する郵政労働者(民営化反対)という2つの支持基盤の意向を折衷した感が否めなかった。

岡田克也・民主党代表(当時)は「郵政民営化だけが争点ではない」と主張したが、解散の端緒は参議院本会議での郵政民営化法案の否決であった。郵政民営化は唯一ではないとしても主要な争点であった。その主要争点について明快な主張を出せなかったことが民主党の敗因である。シングルイシューの悪玉視は筋違いである。

日本社会の問題点は過去を水に流して忘れてしまう非歴史性にある。問題はシングルイシューではなく、毎回の選挙で単発の争点が登場し、一貫性も連続性もないことである。この点では国民新党に一貫性がある。国民新党は郵政選挙で郵政民営化反対を掲げ、民営化後は郵政民営化見直しを主張する。国民新党は民営化後のサービスレベルの低下の検証に熱心である。Webサイトで「民営化後の郵政サービスに不備はありませんか」と呼びかけ、広く情報収集している。

郵政民営化では民営化後に「かんぽの宿」にまつわる疑惑(東急リバブルが僅か1000円で取得した運動場を4900万円で転売した問題など)が噴出した。郵政民営化に何らかの問題があったことは否定できないところである。その意味で郵政民営化問題に継続的に取り組む国民新党の姿勢は高く評価できる。マニフェスト選挙と呼ばれるが、「これから何をしてくれるか」という未来への期待だけでは正しい判断は難しい。「これまで何をしてきたか」という過去の言動も踏まえて一票を投じたい。

 

松原市長選に見る野党共闘論の限界

自民党は安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と三代続けてKY(空気が読めない)首相を輩出し、政権をたらい回しにした。その結果、国民の連立与党への不満は増大し、民主党主導の政権交代が現実味を増している。それに比例して政権交代を求める側からは野党共闘論の声も高まっている。しかし、2009531日に行われた大阪府松原市長選は野党共闘論の限界を示すものであった。

松原市長選では自民党及び民主党、公明党が推薦した澤井宏文・前市議が、共産党推薦の梅木佳章・松原民主商工会事務局長を破り、初当選を果たした。注目すべきは沢井候補23066票に対して、梅木候補が18277票と対等の戦いをしたことである。民主党が連立与党推薦候補に相乗りし、共産党のみが孤軍奮闘した状況を踏まえるならば大健闘である。

地方選挙には地方の事情があることを重々承知の上での空想的な仮定になるが、もし民主党が澤井候補ではなく、梅木候補を推薦し、自民・公明対民主・共産の構図となったならば逆の結果になったのではと想像してしまう。市長選では市立病院の存続・廃止が争点であり、国政の対立軸がそのまま地方選挙に反映されるものではないが、民主党は連立与党の推薦候補を破る機会を相乗りによって自ら無駄にしたことになる。

政権交代を実現するために野党は共闘し、統一候補を立てなければならないという主張は至極尤もである。野党の中では民主党が圧倒的な第一党であることを踏まえれば、他の野党が民主党に譲歩する機会が多くなることも否定しない。それでも共闘を求めるからには互恵的でなければならない。相手に対してのみ協力を求めることは筋違いであり、そのような集団には共闘を求める資格はない。

ところが、往々にして野党共闘論者は、当選の可能性があるのは民主党候補だけなのだから、他の野党は独自候補を擁立せず、無条件に民主党候補を支持すべきという論調をとる。現実に共産党が独自候補を擁立すると非難を浴びせ、先に立候補を表明していた共産党候補に辞退まで要求する。2007年の東京都知事選挙における浅野史郎候補の支持者による吉田万三候補への批判が代表的である。

野党共闘を重視するならば松原市長選挙のような場合に民主党が共産党に協力するというパターンがあってもおかしくない筈である。ところが現実に聞かれるものは他の野党が民主党に協力せよとの声ばかりである。民主党としては共産党に協力することにより保守の支持層が逃げるというデメリットを計算しているのかもしれない。しかし、そのような保守層の支持を失うことを恐れる民主党ならば果たして自民党と別物と言えるか疑問がある。

政権交代の実現は目指すべき価値のあるものだが、異なるバックグラウンドを有する野党の共闘を求めるならば、先ず野党間の相違を尊重しなければならない。そして反自民が野党共闘のキーワードであるならば、野党統一候補は真に自民党と体質的に異なる存在であることが求められる。そのような候補を擁立できるかが野党共闘の成否の鍵である。

 

「ネット選挙」シンポに参加した(1)

公職選挙法 インターネット 政治

「インターネット選挙運動の現状と問題点を探る」

シンポジウム「インターネット選挙運動の現状と問題点を探る」が2008720日、東京八重洲ホールで開催された。オーマイニュースが後援するイベントである。記者はオーマイニュースの参加者募集に応募した。

シンポでは最初に竹内謙・日本インターネット新聞株式会社代表取締役が開会挨拶を行った。竹内氏は何十年も前から問題提起され、ようやく世論に押されてサミットでも重い腰を上げるようになった地球温暖化問題を枕として、ネット選挙運動についても世論を喚起していきたいと訴えた。

 

続いて木村剛・株式会社フィナンシャル代表取締役による基調講演「ネット選挙運動解禁と自由のゆくえ」である。ここではネット解禁問題そのものよりも、その前提となる自由な民主主義社会の基礎が日本には欠けていると警鐘を鳴らした。

木村氏は日本から自由が奪われていると主張する。

日本では官僚による統制が行われ、近代国家の体をなしていない。法治国家と言えないことの実例として、長銀とホリエモンの落差を挙げる。日本長期信用銀行の粉飾決算事件で最高裁は経営陣を無罪とした。もし当時のルールに反しなかったために無罪ならば、明確なルールが存在しなかったホリエモンも無罪とすべきである。

国民の意識が、自分達で自由な社会を作るのではなく、水戸黄門による懲悪を期待する誤った方向にあると指摘する。これを水戸黄門シンドロームと呼ぶ。

日本の識者は自らリングにはあがらず、リングサイドで能書きを垂れるだけである。戦えば批判対象も必死に反撃し、血は流れる。故に賢しい識者は当たり障りのない批判をするだけで、自ら取り組もうとしない。

年金問題では宙に浮いた年金記録が未解明のままである。本来ならば未解明であることを前提とした上で対策を検討すべき時期であるにもかかわらず、照合を継続するだけである。その結果、分からないことを日々確認するだけで進展がない。

今や霞ヶ関が成長産業になっている。規制強化で日々、肥大化している。例えば後部座席シートベルト義務化は大きなお世話である。運転手にペナルティを科すのは五人組と同じである。お上頼みの規制賛成という発想では真の自由はありえない。

最後に木村氏は、ネット選挙は当然に認められるべきと主張した。言論の自由の手段の問題であり、規制されている現状がおかしいとする。

参加者との質疑応答では、ネット選挙運動が違法と解釈されている現状での個人レベルの活動の限界が指摘された。それに対し、木村氏は変革のためには犠牲者が必要と答えた。

犠牲を伴わないで変えることはできない。自分は安全な地域にいて改善を期待することは無理である。守旧派からすれば、彼らの既得権を破壊しかねないネット選挙運動解禁は悪であり、死に物狂いで抵抗する。その認識を持つべきである。一人一人の戦いがなければ動かない。

ネット選挙運動を進める一つの方法として候補者本人とは無関係に、勝手連で勝手にネットにアップロードする方法が考えられると指摘した。

 

木村氏の主張は非常にシビアである。本来、正しいことをしている人が、それ故に不利益を被ることは不合理である。しかし、正しいことが権力を有する誰かにとって不都合な内容ならば、正しいことを主張する人が攻撃されてしまう。このシビアな現実を直視しなければ変革はあり得ないとする。

記者は不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずに購入したマンションの売買代金を裁判によって全額返還させた経験がある(参照「東急不動産の遅過ぎたお詫び」)。

消費者契約法の要件(不利益事実不告知)に該当する場合に、売買契約を取り消し、売買代金返還を請求することは正当な権利の行使である。正当な権利を行使した故に不利益を被らなければならない謂れはない。しかし、現実に売買代金返還を勝ち取るには裁判を経なければならず、裁判中も公開法廷での原告本人尋問で東急不動産の代理人弁護士が記者の年収を暴露するなど、有形無形の攻撃を受け続けた。

故に木村氏のシビアな主張には同意できる。正義を追求する側が苦しまなければならない状態は決して肯定しないが、戦いに臨む場合の覚悟は必要である。木村氏の講演にはネット選挙運動に限らず、不合理な日本社会に生きる上で重要な内容が含まれていると感じられた。

 

問題意識

むー記者へのレスが抜けておりました。

私は東急リバブル・東急不動産の騙し売りに対して大きな問題意識を有しているために、物事を関連させて捉えてしまう傾向は否めません。意地でも絡ませるのではなく、必要に応じて言及するというスタンスです。必要がなければ言及しませんが、大きな問題意識を有しているために他の方が考えられる以上に言及する場合が多くなります。

 

「ネット選挙」シンポに参加した(2)

公職選挙法 インターネット 政治

マニフェストとネット選挙運動

前記事「「ネット選挙」シンポに参加した(1)」に引き続き、シンポジウム内容を紹介する。次は福田紀彦・神奈川県議会議員による政治改革提案『マニフェストとネット選挙運動の良い関係』である。マニフェスト選挙を進めるためにネット選挙が有益であること、ネット選挙運動の問題点と解決策を提示した。

福田氏はマニフェストの導入により、地方議会は変わったと明言する。マニフェストは何を、いつまでに、どのくらい、どのような方法で、ということ具体的に定義しなければならない。そして事後検証可能な内容である必要がある。マニフェストを導入することで政策論争が議会ではじまった。地方議会では国政と比較し、身近な問題を扱うため、マニフェストの内容も、より具体的になる。

公職選挙法は規制だらけの「べからず集」である。政治家というと年がら年中、選挙活動をしているように思えるが、法律上で認められた選挙活動は県議の場合、僅か9日間である。現行の公選法の下では有権者に候補者の情報を十分に伝えることは不可能である。

これに対し、過去の主張を保存できることがネットの利点である。マニフェスト選挙は政策本位になる。情報量が多い、検索・保存が可能というネットを利用することでマニフェスト選挙の理想に接近できる。

一方でネット選挙運動の解禁には問題点もある。ウェブサイトは誰でも開設できるとはいえ、多数のアクセスを処理できる可用性の高いサーバの設置など、結局のところ資金の豊富な候補者が有利になる可能性がある。また、サイバーテロや成りすましの危険がある。さらに候補者が都合の悪い公約をサーバ上から削除して、なかったことにしてしまうのではないかとの懸念もある。

ネット選挙運動解禁の実現には上記の問題の解決策を提示する必要がある。その解決策として公設サーバを介した選挙活動解禁を提言する。

マニフェスト選挙とネット選挙運動解禁は表裏一体の関係にある。情報量のない中で有権者に選択を求めることが非合理である。最後に福田氏は選挙が変われば政治が変わると力強く語った。

 

福田氏の説明によって、有権者が候補者を選択するための十分な情報を得られないという現行制度の問題点が浮かび上がった。ネット選挙運動が禁止されている現状は、候補者にとってネットを利用できないという制約であるが、有権者にとっても情報へのアクセスが制約されることを意味する。

その結果、極論すれば、イメージや知名度、書きやすい名前、知人の紹介などが候補者を決める基準となる。一方で、そのような有権者がいるからこそ、当選できる議員も存在する。ネット選挙運動を解禁することには政治を変えることにつながる。

 

パネルディスカッション

後半はパネルディスカッションが行われた。パネラーは竹内氏、佐藤大吾・特定非営利活動法人ドットジェイピー理事長、徳力基彦・アジャイルメディア・ネットワーク株式会社取締役、山内和彦・前川崎市議会議員である。当初、政党系シンクタンクの方もパネラーに予定していたが、選挙に携わっている関係上、話せる内容に制約があるということで、一部のメンバーが変更された。

モデレーターは平野日出木・オーマイニュース編集長である。最初に平野氏から認識の共有のためにスライドを使用してネット選挙運動を取り巻く状況について説明がなされた。

パネルディスカッションでは多彩なバックグラウンドや問題意識を有する人物がパネラーとして集まっているため、様々な意見を聞くことができ、興味深い内容であった。一方で議論が発散せずに有意義なディスカッションとなったことはモデレーターの技量によるものと思われる。

ディスカッションが一段落したところで田嶋要・衆議院議員が挨拶した。田嶋議員は民主党のインターネット選挙活動調査会事務局長で、インターネットによる選挙運動を解禁するための公職選挙法改正案の提出者である。「ネット選挙運動解禁は今の選挙で勝っている人から見れば、ろくでもない話である。情報を開示していけば政治はレベルアップする。」と語った。

 

「ネット選挙」シンポに参加した(3)

公職選挙法 インターネット 政治

パネルディスカッション

前記事「「ネット選挙」シンポに参加した(2)」に引き続き、パネルディスカッションの内容を紹介する。

 

竹内氏は主催企業の代表者であり、ネット選挙運動を解禁すべきという問題意識が最も鮮明であった。

本来、政治活動は憲法上原則として自由であるべき。現行の公選法で選挙運動を細々と規制しているのは、金のかからない選挙にするためである。これはインターネット以前の技術状況を前提としている。インターネットにより安価に情報発信できる現在では大義名分が崩れており、憲法違反である。

自民党の実態を踏まえるならば、ネット選挙運動解禁の結論が出るまでに、まだまだ時間がかかりそうである。自民党内にもネット解禁を支持する議員はいるが、総意となるには至っていない。従って、世論が強く後押ししなければならない。

有権者が悪いという議論はとらない。現行の選挙制度では有権者に情報が届かないことが問題である。ネットが解禁されれば有権者は見に行く。そこから賢い有権者が育つ。昔ながらの選挙の秩序を壊されたら嫌がる守旧派が障害である。制度を変えなければ、同じような立場の人間だけが政治家になる閉鎖的な社会となってしまう。

ネット解禁によって必ず選挙は変わる。公選法全体が規制だらけで、抜本改正が必要だが、それを行うならば時間がかかる。当座はネット解禁を目指す。

 

佐藤氏はネット選挙の動向に詳しいため、説明役が多かったが、ネット選挙への熱い思いを語った。インターネットは小さな声をかき集めるのに適している。そこからリアルに飛び火する動きは実際に見られる。アメリカでは選挙の利用が進んでいるが、致命的な問題は起きていない。日米の差は規制の問題である。先ずはチャレンジしてみる価値がある。

 

徳力氏はネットマーケティングに携わる立場から発言した。

ネットの書き込みはコミュニケーションである。ネットがコミュニケーションを変革することは間違いない。ネットの効果は中長期的に表れるもので、継続した活動が慣用である。

日本の問題は公平性ばかりが強調され、公正が軽視される点にある。ネット解禁をすればネットを利用できない人にとって不公平かもしれない。しかし、現状は地盤・看板・カバンのない候補者にとって不公平である。誹謗中傷をネット選挙運動禁止の理由とするのは言い訳としか感じられない。制度を変えるにはインセンティブがないと難しい。

今の議論はWeb 1.0的な候補者からの一方向の情報提供ばかりという印象がある。有権者が主体的に参加するWeb 2.0的なネット活用を考えるべきではないか。その意味でアメリカ大統領選挙の盛り上がりは羨ましい。

 

山内氏は自民党公認でドブ板選挙を行った経験からの思いを語った。自民党はネット利用が出遅れている。ネット利用に消極的な理由として、炎上を恐れている。

政策論議の土壌を育てていくのがネット選挙である。ネット解禁によって若い人、政党のしがらみのない人の政治参加が進むことを期待する。お金をかけなくて当選する人が増えれば、楽しくもないドブ板選挙をする人はいなくなるだろう。

 

パネルディスカッションによって、ネット選挙解禁が日本の政治を向上させる効果があること、それ故にこそ根強い抵抗勢力が存在することが浮き彫りになった。

竹内氏の説くようにネット選挙運動を望む世論を高めることが正攻法である。「ザ・選挙」や「みんなの政治」のような政治・選挙情報のポータルサイトの充実により、インターネットユーザーの選挙への関心を高めていく継続的な取り組みが有益である。

現在、禁止されているのは候補者によるネットを使った選挙運動である。政治・選挙情報のポータルサイトから多くの有権者が候補者を判断するようになれば、逆に候補者本人だけがインターネットで情報発信できないのは不合理という声が出てくるのではないか。候補者にとっても第三者主導のサイトで判断されるよりは、自らがコントロールできる情報で判断されたいと考えるだろう。そのためにも「ザ・選挙」や「みんなの政治」の充実が期待される。

 

ネット選挙運動は資力ある候補者に有利か

鳩山由起夫首相は2010年3月10日、参院予算委員会に出席して選挙活動のインターネット利用について前向きな姿勢を表明した。インターネットは便利な情報発信ツールであり、ネット選挙解禁は多くの人の悲願であった。一方でネット上の情報操作の容易性を問題視する立場からは、民主主義を変質させかねないとの批判がある。本記事では、この問題意識について考察する。

ネットの利点はウェブサイトを開設すればインターネットに接続するコンピュータからは誰でも閲覧できることである。これをリアルの媒体で実現するならば大きな資力や組織力が必要になる。インターネットを利用すれば遙かに安価で大量の情報を発信できる。

勿論、誰もが閲覧できるということと、実際に閲覧する人がいるということは別問題である。多数の有権者を自己のサイトに誘導するためには資力や組織力があった方が圧倒的に有利である。しかし圧倒的な資力や組織力がなくてもネット上の情報を多くの人の目に留めることは可能である。

資力や組織力がなくても、個人の労力だけでも、多数の無料サービスを利用し、アクセスアップやSEOのテクニックを駆使すれば特定の分野で目立たせることは可能である。これをリアルの媒体で行うのは至難の業である。従ってネットが資力や組織力に欠ける人々にとって福音となることは間違いない。

多数派候補に資力や組織力が及ばない、少数派候補であってもリソースの効果的な活用でインターネット上での情報戦を制することが可能である。問題は圧倒的な資力と組織力を持つ者が有利になるのではなく、それなりの資力と組織力を使えばインターネット上の多数意見を作出できる。これを少数派の対抗言論として肯定的に評価するか、言論空間を歪めるものと否定的に評価するかという価値観の相違が対立の背景にある。

ネット選挙運動を否定する側は圧倒的な資力と組織力を持つ者が有利になることを恐れているのではない。資力と組織力に劣る候補者がインターネット上の言論空間では資力と組織力の勝る候補者を凌駕できるという事実を恐れている。

インターネットではウェブサイトを開設すれば誰でも閲覧できるという最低限の機会の平等は保障されている。選挙運動においては結果の平等よりも機会の平等を重視すべきである。積極的に選挙運動をした候補者が、そうでない候補者よりも有権者の目に触れる機会が多くなる。これは不平等ではなく、当然の帰結である。

同様にネット選挙運動でも全ての有権者が各候補者のウェブサイトを同じようにアクセスしなければならないという類の結果の平等を追求する必要性はない。資力と組織力があった方が圧倒的に有利だが、その点はリアルの選挙運動の方がシビアである。むしろネットでの選挙運動の方が資力や組織力を持たない候補者にとって逆転しやすい。

結論として、ネット選挙運動は資力や組織力のある候補者のみを利するものではない。また、特定の候補者に有利に働く可能性もあるが、インターネット上では最低限の機会の平等は保障されており、積極的なネット活用によって特定候補がネット上で目立つこと自体は不公正ではないと考える。

 

ネット選挙運動 政治 インターネット

積極的なネット活用で露出を増やすことは是

記者はシンポジウム「インターネット選挙運動の現状と問題点を探る」の報告記事を書いた(参照「「ネット選挙運動」シンポに参加して」)。

当該記事に対し、神倉山記者からネット選挙運動を認めた場合のデメリットの視点が乏しいとの批判コメントがなされた。

 

コメントありがとうございます。

候補者に資力や組織力があるということは、家が資産家であるとか特定大企業から献金を受けているということでない限り、広範の支持を受けていることを意味します。その意味では候補者が持てる資力や組織力をフル動員させた方が、むしろ公平と考えることもできます。

日本で最も基盤が強固な政党がプロレタリア政党である日本共産党である点からも、選挙活動の自由化は金持ち優遇を意味しないと考えます。

選挙に関心のない層への議論喚起という効果については同意します。投票率向上のために膨大なPR予算を費やすならば、選挙活動を完全に自由化して各候補者に投票を誘引してもらった方が効果的と考えます。

神倉山様の御懸念はネット選挙運動というより、ネットが存在することで起こりうる問題と思えます。ネット選挙運動を認めていない現状でも、候補者とは無関係の第三者が政治評論することは表現の自由の範囲内です。外国からの攻撃は現状でも可能であることを考えると、そのような懸念が現実的であり、それを禁止すべきものならば、ネット選挙運動以前に、インターネットが存在する現状において有効な方策を立てるべきかと思います。

 

ネット選挙運動と公設サーバ論

ネット選挙運動 政治 インターネット

公設サーバはネット選挙の弊害を解消するか

記者の「ネット選挙運動」シンポ報告記事に対し、資力・組織力のある候補者による情報操作というネット選挙運動の弊害を直視していないとのコメントが神倉山記者から寄せられた。

神倉山氏の問題意識の背景にはネット選挙運動推進派がネット選挙運動の利点ばかりをアピールし、問題点を考察していないという苛立ちがある。管見は推進派がデメリットに目を向けようとしないことは、むしろ当然と受け止めている。多くの推進派の基底にはネット上の選挙運動は言論の自由・政治活動の自由の一環という意識があるためである。

ネット選挙運動は人権の問題であって、社会にとってメリットがあるから認めるべきという次元の問題ではない。メリットとデメリットを比較すること自体がネット選挙運動禁止派の論理の罠に陥ることになる。仮にネット選挙運動に何らかの弊害があるならば、その弊害を生じないような方法を考えるべきであって、一律に禁止するのは不当となる。

とはいえ人権問題が常にメリット・デメリットの比較考量を免れる訳ではない。極端な例を挙げれば銃器を所有する自由は弊害の方が大きいと判断され、原則禁止されている。その意味では政治活動の自由といえどもメリット・デメリット論からは完全に自由ではない。但し権利性を強調する立場ならば、それだけでメリットの天秤を重くすることができる。

さて、ネット選挙運動の弊害解決策であるが、シンポジウムでは福田紀彦・神奈川県議会議員が公設サーバ論を提言した(参照「「ネット選挙運動」シンポに参加して(中)」)。

本記事では公設サーバ論が神倉山氏の問題意識に応えられるか考察したい。

公設サーバ論は候補者に選挙運動用に公設のサーバを提供するという提言である。この公設サーバ論は2通りの解釈が可能である。第1にネット選挙運動のワンノブとして公設サーバを提供する主張である。第2にネット選挙運動を公設サーバに限定する主張である。

前者の場合、ネット上の選挙運動は自由に行えるため、神倉山氏の問題意識への答えにならない。公設サーバには全候補者の主張が掲載されるとしても、資力と資金力を有する候補者は大量に情報を流し、自前のウェブサイトに有権者を誘導できてしまう。

これに対し、後者の場合は資力と組織力にものを言わせた情報操作の弊害は生じにくい。しかし、この場合でも神倉山氏の懸念を完全に払拭できない上、新たな問題が生じる。

先ずネット選挙運動を公設サーバに限定しても、資力と組織力を利用すれば特定の候補者を目立たせることは可能である。たとえば公設サーバ上にある候補者のリンクURLを掲示板やメール文言に大量に貼り付ける方法が考えられる。リンクが多いならば検索エンジンの検索結果でも上位に表示されやすくなる。

選挙活動をしていない第三者によるリンクや引用が自由であるべきことを踏まえるならば、公設サーバ限定論は選挙違反の取り締まりにおいて厄介な問題を引き起こす可能性がある。取り締まり当局の広汎な裁量を認めるような中途半端な自由は、選挙活動への権力の介入をもたらす危険がある。

さらに公設サーバ限定論には、ネット選挙運動を全面的に自由化した場合とは別の問題点がある。ネット上の選挙運動を公設サーバに限定した場合、公設サーバは有権者が候補者を判断する上で重要性の高い媒体となる。特に日中は選挙区外の勤務先に通勤する従業員層にとっては候補者の主張を判断できる貴重な媒体である。

そのため、何らかの技術的な問題によって、選挙期間中に特定の候補者のページだけが閲覧できなかった場合、それを根拠に候補者が選挙無効を主張しかねない恐れがある。類似の指摘は、福田氏の公設サーバ論を念頭に置いたものではないが、パネルディスカッション中に佐藤大吾・ドットジェイピー理事長が行っている。

候補者が各々サーバを調達して自由にネット上での選挙運動を展開する場合は、対立候補者による悪意ある妨害活動でも行われない限り、自己責任の範疇に入るであろう。たとえば選挙期間中に特定の候補者が病臥して、選挙運動できず落選したとしても、それ故に選挙無効とはならない。それと同じである。

しかし、公が選挙運動用のサーバを提供する場合、提供者としての責任が生じうる。これは選挙管理委員会にとって負担となる。実際問題として選挙の実施は地方公共団体に設置される選挙管理委員会が行っており、小規模の自治体の負担は軽くない筈である。

また、公設サーバに掲載可能なコンテンツを静的ページのみに限定するならば問題は少ないが、それではサイトとして見劣りする。動的ページを許容する場合、Apacheでの構築を希望する候補者もいれば、IISでの構築を希望する候補者も存在するだろう。それらの希望を満たすプラットフォームを全て用意しなければならないのか、アプリケーションサーバまで提供するのか、などと考えなければならない技術的な問題が生じる。

仮に中途半端に技術的な制約を付したならば確保しているIT要員のスキル分野が相違する候補者間に不公平が生じうる。これも公が選挙運動用のサーバを提供するために生じる問題である。

公設サーバ限定論はネット選挙の弊害回避策として提言されたものだが、公設サーバ限定論にはネット選挙運動を単純に自由化した場合には発生しない複雑な問題が生じ得る。多くの候補者に自前のウェブサイトを構築する能力がある現状では、ネット上の選挙活動を公設サーバに限定することも一つの規制になる。

 

平沢勝栄議員のミクシィ・オフ会開催

平沢勝栄 オフ会 政治

政治家と有権者の新たなコミュニケーション

平沢勝栄・衆議院議員のミクシィ・オフ会「平沢勝栄・ミクシィ会員懇親会」が2008723日、「かつしかシンフォニーヒルズ」(東京都葛飾区)にて開催された。平沢議員はSNSサイト「ミクシィ」の会員であり、マイミクも300人を超える。

オフ会は平沢議員自らがミクシィ上で呼びかけることで実現した。オフ会に参加したのは60名程度である。参加者の大半は平沢議員の選挙区である東京17区(葛飾区、江戸川区小岩地域)の住民である。

オフ会では冒頭で発案者の御堂岡啓昭氏が挨拶した。御堂岡氏はオーマイニュースの市民記者であり、記者(=林田)の東急不動産とのトラブルについて取材もしている。御堂岡氏は特に若年層の有権者と政治家のコミュニケーションの起点として、人と人との繋がりを促進するSNSに着目し、ミクシィ上でのオフ会開催を平沢議員に提案したという。

続いて作家の村野まさよし氏が「今日は平沢先生が帰りたくなるような厳しい意見をぶつけて欲しい」と挨拶した。

平沢議員の挨拶では選挙や政局、外交問題など幅広い話題について深い指摘がなされた。特に印象を受けたのは政治家の心構えについてである。平沢議員は、政治家の問題として、特定の人の意見ばかり聞いているから間違えると指摘した。

招待された会合に行き、床の間に座って心地よい意見ばかり聞いていたらダメと言う。苦言を呈する人の声に耳を傾けなければならないとする。普段、接する有権者は年齢の高い世代に偏りがちのため、本日のオフ会で忌憚のない意見を聞きたいとした。

時間の関係で最後まで回らなかったものの、参加者からは一人ずつ自己紹介と議員への質問を行った。参加者の大半がハンドルネームで自己紹介したところにオフ会らしさがある。質問では格差社会や竹島問題、投票率低下、食料自給率、後期高齢者など様々なテーマから出された。参加者の政治意識の高さをうかがわせるオフ会であった。

記者は過去記事でも度々言及している不動産トラブル経験に関連して(参照「東急不動産の遅過ぎたお詫び」)、「困っている状況に置かれた人には自民党は敷居が高いのではないか。格差社会が深刻化する中で他党に遅れをとるのではないか」と指摘した。

これに対し、平沢議員は議員として多くの陳情や相談を受けていると説明した上で、格差の固定化は回避しなければならないと回答した。また、格差社会のセーフティーネットとなる社会保障制度では、たとえば医療制度の国民皆保険・フリーアクセスは外国に誇れる内容であり、維持しなければならないと主張した。

平沢議員は著書『政治家は楽な商売じゃない』の章題に「勝栄流・ドブ板選挙」とあるとおり、ステレオタイプ的な分類をするならば徹底したドブ板選挙を行っていた政治家である。その平沢議員がオフ会を行ったことは興味深い。

別記事「「ネット選挙運動」シンポに参加して(上)」で紹介したシンポジウムでは旧来型のドブ板選挙と新しい形態であるネット選挙運動を対比させる傾向にあった。

これに対し、平沢議員の場合は前者を徹底させた上で、後者も追求する。ドブ板かネット選挙かという二者択一の選択ではなく、両者ともに積極的であることを示している。平沢議員は新人として立候補した1996年の総選挙において韓国の政治学者バク・チョルヒーの調査・取材に積極的に応じている(バク『代議士のつくられ方 小選挙区の選挙戦略』文藝春秋、2000年)。ここにも平沢議員の積極性が見られる。

従来型の個人後援会では、地域共同体や職能団体と関係の薄い新住民、とりわけ若年層を組織化することには限界があった。彼らとコミュニケーションを深めることは政治家にとっても、地域政治から疎外される傾向にある彼ら自身にとっても大きなメリットがある。

そして彼らとの接点としてインターネットは有効なコミュニケーション手段となる。平沢議員は2回目、3回目と会を重ねたいとしている。有権者と政治家の新たなコミュニケーションを構築する試みに期待したい。

 

DSCF0268.JPG 挨拶する平沢議員

撮影者 林田力(2008723日撮影)

 

コメントへのレス

平沢勝栄議員本人と会っての印象では「バックグラウンドだけでは判断できないな」というものでした。議員の経歴から、どのようなタイプか判断したくなりますが、それだけでは割り切れないと思います。

奈良の鹿様の御質問に回答します。

1)平沢議員自身は当日、「自己の支持者は高い世代に偏っている。世代が上がるほど自分の支持者は増える」と発言していました。2005年の郵政選挙においても平沢議員に関しては自己の組織票で固めたものと考えております。一方、今の状況で平沢議員が選挙区の有権者(主に高齢層)から話を聞くと、「今回は民主党に投票する」という声が強いとのことです。かつての支持層からも自民離れが進行しており、その点が危機感となっていると推測します。

2)伝統的な保守系政治家の支援活動は、町内会や職能団体の人的つながりで個人後援会に加入することになると考えます。選挙区外に通勤する新住民などは選挙区内の団体との接点が乏しく、政治活動との接点とも乏しくなります。

3)「蟹工船」そのものは話題になりませんでしたが、格差社会については話題になりました。本文記載の通り、記者も質問しております。

 

平沢勝栄の書籍

【書評】『政治家は楽な商売じゃない』

本書(平沢勝栄『政治家は楽な商売じゃない』発行・創美社、発売・集英社、20071010日発行)は自由民主党所属の衆議院議員(東京17区)による政治家の生活や政局を述べたものである。本書は全部で7章まであるが、大きく分けると4つに分かれる。

1章及び第2章で政治家の日常を語り、政治家は大変な仕事であると説明する。これが本書のタイトルにもなっている。

3章では20073月の参議院議員選挙で当選した丸川珠代氏の選挙活動を振り返る。この中で丸川氏の勝因と歴史的な大敗をした自民党の敗因を分析する。

4章及び第5章では参議院で連立与党が過半数割れした「ねじれ国会」下の政局を論じる。

6章及び第7章では集団的自衛権や拉致問題という重要な論点について持論を述べる。

最初の政治家の日常生活では、地元に顔と名前を売るドブ板選挙的な活動を赤裸々に述べている。まず、ここまで率直に述べていることに感心する。

平沢議員は選挙区の東京都葛飾区・江戸川区小岩地域とは無縁の俗に言う落下傘候補であった。1996年の衆議院議員総選挙で新人として立候補した際は、対立候補優勢の下馬評を覆して当選した。当選するための地道な努力の一端がうかがえる。政治家を志す人にとっても参考になる内容である。

平沢議員は新人として立候補した1996年の総選挙において韓国の政治学者バク・チョルヒーの調査・取材に積極的に応じ、その調査結果は書籍として公刊されている(バク『代議士のつくられ方 小選挙区の選挙戦略』文藝春秋、2000年)。

本書にしてもバク氏の書籍にしても政治家の手の内を明かしている面がある。にもかかわらず、堂々と公刊する平沢議員の開放的な姿勢には注目する。ドブ板選挙には批判があるものの、政治家が有権者とまめに接しようとすること自体は望ましいことであり、むしろ責務ですらある。

問題なのは旧来のドブ板選挙が町内会や職能団体などの人脈つながりで行われており、選挙区外に通勤・通学する新住民が疎外される傾向にあったことである。この新住民は大体において無党派層に重なる。この新住民を取り込むことが政党や政治家にとって大きな課題となっている。

無党派層の重要性を再認識することになったのは、2007年の参院選における丸川候補の当選であった。著者は丸川候補の選対本部長を務めていた。自民党は参院選東京選挙区に、現職の保坂三蔵氏と新人の丸川氏の2名を公認候補として擁立した。保坂氏は組織票をまとめ、丸川氏は街頭演説中心に無党派層を狙う形で棲み分けを図った。

組織票を固めた保坂氏の当選は確実視されたが、保坂氏落選、丸川氏当選という関係者にとって予想外の結果であった。この結果からは従来型の組織票が磐石ではないことを示している。一方で丸川氏の当選も知名度のあるキャスター出身故という単純なものではない。

本書に「最後まで本人が諦めずに頑張って戦った結果」とあるとおり(91頁)、ひたむきに街頭演説を続けた努力が反映された。ここからは町内会や職能団体のような既存組織の人脈つながりではなく、もっとダイレクトに無党派層に向き合う新しいドブ板選挙が有効であり、必要であることを示唆している。これは来るべき衆議院選挙への教訓として考えるべきであろう。

平沢議員の政局観は、本書が200710月出版されたものにも関わらず、1年が経とうとする現時点でも色褪せない内容になっている。平沢議員の慧眼を評価すべきか、昨年から国政が停滞している状態を嘆くべきか、微妙なところである。

平沢議員は自民党への逆風をシビアに認識しつつも、早期解散の可能性を覚悟する。「政治家は厳しい選挙で鍛えられる」との英国のサッチャー元首相の言葉を引き合いに出し、国民の目線に立つ必要性を強調する(122頁)。これが自民党の総意になっていないところが残念なところであるが、厳しい状況から逃げずに正面から立ち向かおうとする姿勢は好感が持てる。

最後の政策については激しい意見対立のある問題であるにもかかわらず、率直な主張が述べられている。ドブ板選挙は政策本位の選挙の対極に位置付けられ、否定的に評価されがちであるが、平沢議員は政策も明確に述べている。等身大の政治家を理解することができる一冊である。

 

積極的な政治家・平沢勝栄

平沢議員は自らをドブ板選挙で当選した政治家と位置付けるが、それは組織票に安住する旧態依然とした政治家であることを意味しない。本書を読めば有権者に自分を売り込むために地道な努力をしていることが分かる。

平沢議員は有権者と接触することに積極的で貪欲な政治家と言える。実際、本書出版後の20087月には日本最大のSNSであるミクシィのマイミクとオフ会を開催している。平沢議員という政治家のスタンスを理解できる一冊である。

 

【書評】政治家の成長『危うしニッポン!ズバリもの申す』(平沢勝栄 著)

本書(平沢勝栄『危うしニッポン!ズバリもの申す―番組じゃ言えない「アレ」や「コレ」』KKベストセラーズ、2001年)は自由民主党の代議士による政局や政策を論じたものである。外国の首脳が発言したとされる「日本は20年後に消滅する」への強い危機感が出発点となり、日本の方向転換を強く迫る内容になっている。

タイトルに「ズバリもの申す」とある通り、著者の自説を前面に押し出している。憲法改正や終戦記念日の首相の靖国参拝など賛否が分かれるデリケートな問題に対し、臆することなく持論を展開する。また、二度の選挙で激しく戦った創価学会・公明党(一度目の選挙では新進党)への嫌悪感も表明している。

この点は2007年に出版された同じ著者の『政治家は楽な商売じゃない』とは対照的である。こちらでも自説は明確に主張している。しかし、本書に見られるような主張の押し付けがましさは抑制されている。これは現実の政治状況を冷静に分析した上で自説を出しているためである。本書は全く同意見の人からは熱烈に支持されるが、拒否反応を示す人もいる筈である。それに対し、『政治家は楽な商売じゃない』は、より幅広く受け入れられるだろう。

ここには本書出版時からの政治家としての成長が見受けられる。本書出版時、平沢議員は2期目であり、政治家の世界では若手であった。この頃は、たとえ敵を作ることになったとしても、鋭い発言で注目されることが有益である。

一方、『政治家は楽な商売じゃない』出版時は4期目で、参議院選挙では丸川珠代候補の選対本部長を務めるなど他の候補者の面倒を見る立場になっている。この頃になると幅広い支持を集めることが重要になる。

また、両書籍の出版時の時代状況も反映している。本書出版時は小泉純一郎が首相になり、国民の高い支持を得ていた。自民党改革派として改革を強く主張することが国民から支持された。一方、『政治家は楽な商売じゃない』出版時は参議院選挙で連立与党が過半数割れし、かつてないほどの逆風が自民党に吹いている。謙虚に反省し、国民の声に耳を傾ける姿勢が求められる。

時代状況を理解することは民意に応える責務がある政治家にとって非常に重要な能力である。安倍晋三前首相や福田康夫首相は共に「空気が読めない」ために国民の支持を失い、政権を投げ出すことになった。この点、著者の時代を読む目は評価できる。

著者のバランス感覚は本書にも萌芽がある。著者は本書で外国人参政権に強固に反対する。「政治家生命を懸けて阻止する」とまで書いている(110頁)。

著者の論拠には同意できない点がある。例えば在米韓国人が米国政府に参政権を要求しないのに日本にだけ要求するのは不当と主張する(106頁)。これは理由として成り立たない。出生地主義の米国で生まれた韓国人は米国籍を付与される。従って外国人参政権付与を主張する必要性自体が存在しない。米国の基準ならば在日コリアンの大半は既に参政権が保障されることになる。

上記点についての著者の主張は同意できないが、一方で著者は現在の問題点についても認識している。即ち、「日本国籍の取得は手続きが煩わしい」と認めている。その上で帰化要件について「特別永住者は自動的に日本国籍が得られるくらいに緩和してもいいではないか」と主張する(110頁)。

参政権を行使する者に他国ではなく、日本国の一員としての自覚を有してもらうことは当然である。一方で日本国民になることが自らの民族的アイデンティティーを否定し、日本人に同化することを意味するならば在日外国人が拒否するのも当然である。

外国人参政権が大きな問題になっている背景として植民地支配に由来する特別永住者の存在があることは確かである。従って特別永住者が自動的に日本国籍を選択できるならば問題の解決になる。

この点からは他人の主張を、全てを聞かなければ評価できないことが分かる。外国人参政権に反対であるとしても、在日コリアンが日本社会から疎外されて当然と全ての論者が考えているとは限らない。著者の場合、帰化要件の緩和という代案を有した上での主張になっている。

ここにはテレビでの断片的な主張では理解できない深さが著書には詰まっている。ワイドショーという形で国民が政治家に興味を持つだけでなく、政治家が政策を論じ尽くした著書を出版し、それを国民が読んで評価する。それが真の国民主権の実現のために有益であると考える。

 

代議士の主張が理解できる一冊

自由民主党の代議士による政局や政策を論じた一冊である。平沢勝栄議員はテレビ番組に積極的に出演するだけでなく、20087月には日本最大のSNSであるミクシィのマイミクとオフ会を開催するなどユニークな活動をしている。

評者もオフ会の末席を汚し、自己の経験した東急不動産(販売代理:東急リバブル)とのマンション紛争について話した。実際に会った代議士からは、物腰が柔らかく、人の話を聞く姿勢を持っているとの印象を受けた。

一方、本書では日本社会を舌鋒鋭く切り込み、自説を前面に押し出している。自民党と連立を組んでいる公明党と、その支持団体・創価学会に対しても明確に批判している。タイトルの「ズバリもの申す」は決して誇大広告ではない。代議士の主張が理解できる一冊である。