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林田力『東急不動産だまし売り裁判』新聞 新着情報

 

新着記事... 5

プライベートブランドの明暗... 5

老人ホーム耐震強度不足で検査機関処分... 6

向ヶ丘遊園の跡地利用計画は大幅縮小... 7

政治... 8

高校無償化・朝鮮学校差別から外国人参政権を考える... 8

中国のプレゼンス増大は歴史的必然... 9

強いコリアが中国脅威論から日本を救う... 10

トヨタ自動車リコール問題へのアメリカ社会の怒り... 11

トヨタ自動車の大量リコールとコスト削減... 12

トヨタのタコマ・リコールの影響... 13

トヨタの大量リコールは日米間の政治問題にならず... 14

トヨタ・バッシングは普天間問題の報復か... 14

トヨタ自動車・豊田章男社長会見に改めて失望... 16

カローラのパワステ不具合報道に見る日米の差異... 17

遅すぎたトヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会出席決定... 18

トヨタ自動車はハイラックスでも欠陥放置... 18

トヨタ自動車はリコール抑制で1億ドル節約と自賛... 19

米連邦大陪審も証取委もトヨタ自動車に召喚状... 20

「トヨタ自動車は恥を知れ」被害女性が公聴会で証言... 21

トヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会証言への不満... 22

ニューヨーク州司法長官のトヨタ被害者救済活動... 23

北米トヨタ前社長がトヨタ自動車の変質を指摘... 24

トヨタ自動車・豊田章男社長が中国でも謝罪... 25

トヨタ自動車はオイル漏れ不具合でも失策... 26

トヨタ自動車・豊田章男社長の謝罪は形だけか... 27

プリウスの急加速とハンドル操作不能... 28

トヨタ自動車の大規模リコール問題の課題... 29

トヨタ自動車リコール問題で米中に消費者保護の動き... 30

トヨタ自動車のリコール問題は、だまし売りが争点に... 31

フェイルセーフに欠けたトヨタ自動車の傲慢... 32

トヨタ自動車を提訴した弁護士のエスプリ... 33

トヨタ自動車への高額制裁金は米国社会の健全性の証... 34

書評... 35

『蘭陵王』の感想... 35

【書評】『ミート・ザ・ビート』の感想... 36

 

 

「【書評】『会社を筋肉質に変える!ローコスト・オペレーション』の感想」JANJAN 2010124

「「景住ネット」第4回首都圏交流会、浅草で開催される」JANJAN 2010125

「【書評】『議会の迷走 小説フランス革命4』の感想」JANJAN 2010131

「不満が残った世田谷区砧のタウンミーティング」JANJAN 201028

「東急不動産だまし売り裁判から住宅政策を検討」JANJAN 201029

「【オムニバス】トヨタ自動車リコール問題へのアメリカ社会の怒り」JANJAN 2010212

「【オムニバス】トヨタ自動車の大量リコールとコスト削減」JANJAN 2010213

「【書評】『天駆ける皇子』の感想」JANJAN 2010214

「石原コンクリート都政の問題点を明らかにしたシンポジウム」JANJAN 2010215

「【オムニバス】トヨタのタコマ・リコールの影響」JANJAN 2010215

「【オムニバス】トヨタの大量リコールは日米間の政治問題にならず」JANJAN 2010216

「【オムニバス】トヨタ・バッシングは普天間問題の報復か」JANJAN 2010217

「【オムニバス】トヨタ自動車・豊田章男社長会見に改めて失望」JANJAN 2010218

「【オムニバス】遅すぎたトヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会出席決定」JANJAN 2010220

「【オムニバス】トヨタ自動車はハイラックスでも欠陥放置」JANJAN 2010222

「【オムニバス】トヨタ自動車はリコール抑制で1億ドル節約と自賛」JANJAN 2010223

「【オムニバス】米連邦大陪審も証取委もトヨタ自動車に召喚状」JANJAN 2010224

「【オムニバス】「トヨタ自動車は恥を知れ」被害女性が公聴会で証言」JANJAN 2010225

「【オムニバス】トヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会証言への不満」JANJAN 2010226

「【オムニバス】ニューヨーク州司法長官のトヨタ被害者救済活動」JANJAN 2010227

「【オムニバス】北米トヨタ前社長がトヨタ自動車の変質を指摘」JANJAN 20103月1日

「【オムニバス】トヨタ自動車・豊田章男社長が中国でも謝罪」JANJAN 201032

「【オムニバス】トヨタ自動車はオイル漏れ不具合でも失策」JANJAN 201033

「【オムニバス】老人ホーム耐震強度不足で検査機関処分」JANJAN 201034

「【オムニバス】JANJAN暫時休刊と反動工作」JANJAN 201036

「【書評】『蘭陵王』の感想」JANJAN 201037

「【オムニバス】トヨタ自動車・豊田章男社長の謝罪は形だけか」JANJAN 201039

「【オムニバス】プリウスの急加速とハンドル操作不能」JANJAN 2010310

「【オムニバス】宇都宮健児氏、日弁連会長選挙当選の要因」JANJAN 2010311

「【オムニバス】市民メディアは言論を守る闘いの最前線」JANJAN 2010312

「【オムニバス】トヨタ自動車の大規模リコール問題の課題」JANJAN 2010313

「【書評】『ミート・ザ・ビート』の感想」JANJAN 2010314

「住宅購入促進は景気回復に役立つか」PJ News 2010315

http://www.pjnews.net/news/794/20100314_8

「【オムニバス】トヨタ自動車リコール問題で米中に消費者保護の動き」JANJAN 2010316

「金銭着服事件発表の東急コミュニティーでは文書流出も」JANJAN 2010317

「環境問題と東西の思想の違う点」PJ News 2010317

http://www.pjnews.net/news/794/20100316_8

「【オムニバス】プライベートブランドの明暗」JANJAN 2010318

http://www.janjannews.jp/archives/2904085.html

「労働組合の政治活動について考える」PJ News 2010318

http://www.pjnews.net/news/794/20100317_6

http://news.livedoor.com/article/detail/4665446/

「【オムニバス】トヨタ自動車のリコール問題は、だまし売りが争点に」JANJAN 2010319

http://www.janjannews.jp/archives/2909239.html

「「科学的」論争の落とし穴」JANJAN 2010319

http://www.pjnews.net/news/794/20100318_8

「【オムニバス】高校無償化・朝鮮学校差別から外国人参政権を考える」JANJAN 2010320

http://www.janjannews.jp/archives/2912935.html

「【書評】『疑惑のアングル』の感想」JANJAN 2010321

http://www.janjannews.jp/archives/2916759.html

「投票率向上は「選挙運動自由化」で」PJ News 2010321

http://www.pjnews.net/news/794/20100320_5

「【オムニバス】ネット右翼の原動力は世代間差別への反感か」JANJAN 2010322

http://www.janjannews.jp/archives/2921859.html

「共産党と社民党の大きな溝」PJ News 2010322

http://www.pjnews.net/news/794/20100321_5

「【オムニバス】中国のプレゼンス増大は歴史的必然」JANJAN 2010322

http://www.janjannews.jp/archives/2928338.html

Web 2.0時代の告発者はインターネットの遊牧民を目指せ」PJ News 2010322

http://www.pjnews.net/news/794/20100322_7

「【オムニバス】中国脅威論には強いコリアが日本を救う」JANJAN 2010324

http://www.janjannews.jp/archives/2933500.html

「成果主義は何故嫌われるのか」PJ News 2010324

http://www.pjnews.net/news/794/20100323_7

「【オムニバス】「天皇をひっぱたきたい」と言えないネット右翼の限界」JANJAN 2010325

http://www.janjannews.jp/archives/2938583.html

「恫喝訴訟(SLAPP)対策は攻撃が最大の防御」PJ News 2010325

http://www.pjnews.net/news/794/20100324_8

「【オムニバス】フェイルセーフに欠けたトヨタ自動車の傲慢」JANJAN 2010326

http://www.janjannews.jp/archives/2943681.html

「宇都宮健児日弁連新会長の課題はモンスター弁護士の排除」PJ News 2010327

http://www.pjnews.net/news/794/20100326_2

「【オムニバス】トヨタ自動車を提訴した弁護士のエスプリ」JANJAN 2010327

http://www.janjannews.jp/archives/2947600.html

「【書評】『相続の「落とし穴」』の感想」JANJAN 2010328

http://www.janjannews.jp/archives/2951062.html

「地域活性化には外部の目を取り入れた柔軟な思考」PJ News 201042

http://www.pjnews.net/news/794/20100401_8

「商業地域の仮処分決定に見る日照権保護の積み重ね」PJ News 201043

http://www.pjnews.net/news/794/20100403_1

「トヨタ自動車への高額制裁金は米国社会の健全性の証」PJ News 201047

http://www.pjnews.net/news/794/20100406_4

「大阪弁護士会のアヴァンス刑事告発は改革か守旧か」PJ News 201049

http://www.pjnews.net/news/794/20100408_11

「向ヶ丘遊園の跡地利用計画は大幅縮小=神奈川・川崎」PJ News 2010410

http://www.pjnews.net/news/794/20100410_2

 

新着記事

 

プライベートブランドの明暗

長引く不況で消費低迷が直撃する小売業にとってPB(プライベートブランド)は活路となる。PBは小売店(グループ)が企画し、独自ブランドで販売する商品である。広告費をかけず、小売店が買い取るためにメーカーが自らのブランドで生産するNB(ナショナルブランド)よりも低価格で提供できる。価格を抑えたPBは節約志向を強める消費者のニーズに合致する。このPBの扱い方で小売業者の企業姿勢が見えてくる。

躍進したPBの代表例にセブン&アイ・ホールディングスの「セブンプレミアム」やイオングループの「トップバリュ」がある。セブン&アイはセブンプレミアムの売上高を09年2月期の2000億円から13年2月期に2.5倍の5000億円に伸ばすと見込む。

セブンプレミアムの特徴は製造元を明記し、アレルギー物質を目立つように表示するなど、低価格と安心・安全を両立したことである。これによってセブンプレミアムは「2008年 日経優秀製品・サービス賞 最優秀賞 日本経済新聞賞」を受賞した。

さらにセブンプレミアムはコミュニティサイト「プレミアムライフ向上委員会」も運営し、消費者の声を商品作りに活かしている。メーカーよりも消費者に近い存在である流通業者としての長所を活かした商品作りがセブンプレミアムの成功要因である。

トップバリュも直営牧場で育てたタスマニア・ビーフなど低価格だけでなく、品質面でも価値を持たせた点が特徴である。一方で1本100円という衝撃価格で販売した第3のビール「麦の薫り」は、価格設定などで製造元のサントリーと対立し、販売中止を余儀なくされた。消費者の支持を得ても、NBが売れなくなるメーカーの反発が障害になるというPBの難しさを示した。

これらに対し、東急ストアの「東急エクセレント」「東急セレクト」は低迷した。デフレの影響でNBの価格も下落しており、低価格だけのPBには優位性はなくなった。しかもPBはメーカーから買い切るために売れ残りがそのまま損失となってしまう。結局、東急ストアは東急エクセレントと東急セレクト品目数を2011年2月期中にピーク時(09年春)の2200品目から7割も減らす方針である。それでも東急ストアの混迷は終わらない。

PBを削減して売り場スペースに空きができたが、そこに売れ筋の商品を仕入れて並べることができなくなってしまった。東急ストアの木下雄治社長は「PBで数字ばかり追っているうちに、社員が考える力を失ってしまった」と嘆く(「安売りだけでは生き残れない」日経ビジネス2010年3月15日号24頁)。

東急ストアの失敗はPBの落とし穴を示している。消費者ニーズを満たす商品を企画するのではなく、NBよりも利益率が高いからPBを乱造する。乱造したPBを売り切るためにPBを目立つ場所に陳列するなど、売り場自体が消費者ニーズを無視したものになってしまう。従業員が消費者ニーズを無視して売り場作りをするようになってしまうと、PBを廃止しても後遺症が残ってしまう。

PB戦略の明暗はPBだけの問題ではなく、小売業そのものに対する企業姿勢が問われている。

 

老人ホーム耐震強度不足で検査機関処分

国土交通省は2010年2月26日に東京都世田谷区上用賀の老人ホーム「バーリントンハウス馬事公苑」の耐震強度不足問題で確認検査機関の財団法人日本建築設備・昇降機センターを監督命令処分にした。

「バーリントンハウス馬事公苑」はグッドウィル・グループ(当時)が開設した地上7階地下1階建ての老人ホームである。構造計画研究所が構造設計を担当し、東急建設が施工したが、柱の鉄筋本数が少ないなど約800カ所で建築確認を受けた設計図書と異なる施工があり、東京都の調査で2008年に耐震強度不足が判明した。

日本建築設備・昇降機センターの処分理由は、所属する確認検査員が指摘事項への対応結果について十分に確認をせず審査を進め、建築基準法に違反する手続きを看過し確認済証を交付したことである。また、国交省は「本件に関与した建築士等の処分については引き続き調査中」とする。

本件の耐震強度不足は構造計算書などの建築確認申請には問題がなかった点で、耐震偽装事件とは異なる。むしろ、設計図書通りに施工されなかった点で手抜き工事や欠陥住宅と同種の事例である。故に担当した建築士は設計者としての責任は果たしているが、設計図書通りに施工されているかを確認する監理者としての責任は問われうる。

一方、設計図書通りに施工しなかったことが問題であるならば、実際に施工した施工業者の責任が最も大きいことになる。この点で国交省が調査対象を「建築士等」と「等」を付けていることの意味は大きい。耐震強度不足発覚当時の報道でも、以下のとおり、施工業者も処分対象として想定されていた。

「国土交通省も設計や建設に関係した事業者の行政処分などを視野にさらに調査を進める」(「老人ホーム耐震性不足 旧グッドウィル開設、都調査で判明」読売新聞2008年11月12日)。

手抜き施工や欠陥工事を見逃してしまったことと、積極的に行ったことでは反倫理性の度合いが異なる。その意味で検査機関の処分が先になったことは、検査機関の立場では釈然としない思いがあるかもしれない。「建築士等」への責任追及が厳正になされることを期待する。

 

向ヶ丘遊園の跡地利用計画は大幅縮小

小田急電鉄は2010326日、向ヶ丘遊園(川崎市多摩区長尾)の跡地利用計画をまとめ、「川崎市環境影響評価に関する条例」に基づく環境評価手続(アセスメント)に着手すると発表した。向ヶ丘遊園は「ばら苑」や「ブースカランド」で有名な遊園地であったが、20023月に閉演した。

小田急では2007年にマンション建設主体の跡地利用計画を発表した。地下1階地上5階建てのマンションを中心とする計画戸数850戸の大型開発であった。これに対し、緑地の保全を求める住民らから多数の反対意見が寄せられた。アセスメントでは3,786通もの意見書が提出された。その後、リーマン・ショックなどの経済情勢悪化もあり、小田急は200812月に指定開発行為廃止届けを提出した。

今回の跡地利用計画は2007年の計画から大きく縮小した。計画では跡地を複数のゾーンに区分し、ゾーン毎に整備方針を定める。具体的な整備方針は以下の通りである。

「ガーデンゾーン」:飲食・物販、研修施設等の多目的施設を含む庭園や広場を整備する。

・「緑地編入ゾーン」「樹林地ゾーン」:緑地を保全する。

「事業ゾーン(レジデンスA)」:戸建てを中心とした約60戸の住宅を整備する。

・「事業ゾーン(レジデンスB)」:約160戸の低層集合住宅を整備する。

また、跡地には「藤子・F・不二雄ミュージアム」も建設される。これはドラえもんなど藤子・F・不二雄氏の作品を展示するミュージアムで、201193日にオープンする予定である。遊園地の跡地利用としては夢のある計画である。

「レジデンスA」と「レジデンスB」を合わせた計画戸数は220戸となり、2007年の計画から約4分の1の縮減になる。開発規模を縮小した点も、緑地が残された点も、魅力的な施設(藤子・F・不二雄ミュージアム)が建設される点も、好感を持てる内容である。

但し、計画には懸念も残る。事業の中心が新築住宅の分譲である点は2007年の計画から変わっていない。小田急は社会情勢の変化を踏まえて2007年の計画を廃止し、新たな計画を策定した筈である。しかし、規模を縮小したものの、新築分譲というビジネスモデルは変えていない。

日本全体で見れば住宅は余っており、少子化による人口減少でストックの一層の増大が確実視されている。2007年の計画よりは縮小しても、まだまだ大量供給と言える水準である。それだけのニーズがあるかが問題である。売れ残ればゴーストタウン化し、周辺地域に負担をかけることになる。周辺住民としても無関心ではいられない。

この懸念は住宅のコンセプトによって一層増大する。都心近くの「別荘地を思わせる緑と静寂に包まれた街」をテーマに、「上質なゆとりある居住空間」「自然を感じる生活」「安心・安全な暮らし」を実現するとする。ここからは高級志向がうかがえる。依然として景気の見通しが暗い中で、高額な住宅となると販売のハードルが一層高くなる。

また、高級志向に関連して「安心・安全」を強調している点も気になるところである。「レジデンスA」の戸建てでは「タウンセキュリティによる安心・安全な暮らしを提供」と明言する。これはゲーテッド・コミュニティを目指しているように解釈できる。ゲーテッド・コミュニティは地域社会を分断するものであり、周辺住民の重大な関心事になる。

高級住宅街のゲーテッド・コミュニティとしては、千葉市緑区あすみが丘で東急不動産が開発したワンハンドレッドヒルズ(俗称:チバリーヒルズ)が失敗事例として有名である。向ヶ丘遊園の跡地利用が同じ轍を踏むことにならないか、注視したい。

 

政治

高校無償化・朝鮮学校差別から外国人参政権を考える

高校授業料の実質無償化の対象から朝鮮高級学校を除外する動きは日本社会の人権意識の低さを世界にさらけ出した。

騒動の発端は中井洽・拉致問題担当相である。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に経済制裁を科している点と整合性がとれないとし、川端達夫文部科学相に無償化の対象から外すように要請した。朝鮮学校を対象にするかの判断は先送りされたが、国連の人種差別撤廃委員会は2010年3月16日に朝鮮学校の除外は人種差別になると指摘し、改善を勧告した。

北朝鮮への制裁は政策(ポリシー)の問題である。無償化の対象化から朝鮮学校を除外することは、朝鮮学校に通う生徒を他の高校生から差別することになる。この差別を許すことは、政策を朝鮮学校生徒の平等権よりも上に置くことになる。これでは時の政府の政策によって、どのようにでも人権が制限されてしまう。

人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである(日本国憲法第97条)。政策によって左右してよいものではない。それ故に朝鮮学校差別は日本国民にとっても看過できない問題である。心ある日本人から朝鮮学校を対象に含めることを求める声が挙がることも当然の成り行きである。

政治の場で在日外国人の人権制限が決められてしまうならば、在日外国人にとって日本の政治に参加することは死活問題になる。もともと外国人参政権は必ずしも在日外国人の総意ではなかった。

在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は外国人参政権に明確に反対する。朝鮮総連の反対は外国人参政権反対派に都合よく利用される傾向にあるが、実態は複雑である。朝鮮総連は日本社会の差別によって民族的尊厳が損なわれている実態を問題視する。日本国民の延長線上にある参政権よりも、教育や生活・企業活動などで民族的な権利の確立を優先する。

しかし、政治の場において在日コリアンへの差別がまかり通るならば、民族的権利を守るためにも外国人参政権が必要という議論が生じる可能性がある。私は書評記事「『裁判の中の在日コリアン』を読んで」において「裁判によって権利回復を図ろうとしてきた在日コリアンが参政権に行き着くことは当然の帰結」と書いた。司法消極主義の傾向が強い日本の裁判所は法律による差別に鈍感であり、法律自体を改廃しなければ権利回復ができないためである。

高校無償化での朝鮮学校差別は法律が作られる現場で人権が軽視されていることを示した。在日外国人が自らの権利を守るために日本の政治に参画することは日本の人権状況の改善にもつながると考える。

 

関連記事:『裁判の中の在日コリアン』を読んで

http://www.book.janjan.jp/0805/0805257911/1.php

 

中国のプレゼンス増大は歴史的必然

中華人民共和国(中国)の発展には目を見張るものがある。近年の中国は油田やインフラ投資、経済援助などによってアフリカにまで影響力を拡大している。このような中国の海外におけるプレゼンス増大に対して、覇権主義と警戒する向きもある。しかし、現在の中国がプレゼンスを増大させることは中国史を振り返れば必然であり、その責任の一端は日本にある。

中国では明朝初期に対外プレゼンスを著しく増大させた。明代初期には琉球や日本(室町幕府)が冊封体制に組み込まれた。鄭和は大船団でアフリカ大陸東岸にまで遠征し、朝貢国を増やした。明代初期に対外プレゼンスを積極的に増大させた背景にはモンゴル帝国(元)の支配で傷ついた漢民族の威信の回復があった。

過去にも中国が北方騎馬民族に征服されたことはあった。しかし、漢民族は軍事的には支配されても行政機構・経済・文化面では優位性を保ち、騎馬民族が逆に漢化してしまう傾向にあった。これに対し、元ではモンゴル人第一主義を採り、行政機構・経済・文化面でも色目人(西域出身者)を重用し、漢民族は社会の最下層に置かれた。

この元を打ち破った漢民族の王朝が明である。元代に抑え付けられていた漢民族の威信回復が対外プレゼンス増大となった。この状況は現代中国にも類似する。現代中国も欧米列強による半植民地状態や日本による侵略から解放された状態である。この点で中国海軍によるソマリア沖への軍艦派遣が「鄭和以来の遠征」と称されていることも、単なる歴史的事実以上の重みがある。

明代初期は日本にとっても画期的な時代であった。足利義満が日本国王に封ぜられ、日本が冊封体制に組み込まれた。冊封体制に組み込まれることは勘合貿易による利益など当時の日本に大きなメリットがあった。

保守的な歴史観では聖徳太子の隋への国書「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」に見られるように、冊封体制から距離を置くことを日本の特徴と強調する傾向にある。しかし、状況に応じて冊封体制に入ることもできる柔軟さこそ日本の特徴である。

現代中国の対外プレゼンス増大を明代初期に重ね合わせるならば、現代中国を覇権主義と決め付け、中国封じ込めを画策することは賢明ではない。それは中国の矛先を日本に向けることになる(それが軍事的緊張状態を作出したい保守派の狙いかもしれないが)。むしろ中国のプレゼンス増大を歴史的必然と認識して、柔軟に対応することが日本にとって望ましい結果となる。

 

強いコリアが中国脅威論から日本を救う

対外プレゼンスを増大させる中国との関係は日本の外交上の大きな課題である。中国の対外プレゼンス増大は歴史的必然であり、中国封じ込めは賢明ではない(「中国のプレゼンス増大は歴史的必然」)。

一方で保守層には「日本が中国に飲み込まれてしまうのではないか」との懸念がある。真偽は不明であるが、中国の高官による「日本などという国は、20年後(2015年)には消えてなくなる」との発言もインターネット上に流布している。嫌中感情を扇動して緊張状態を作出する意図が隠されていることもあるため、この種の言説は割り引いて考えるべきだが、それでも中国のプレゼンス増大は事実として残る。

そこで本記事では中国脅威論の対策を検討する。結論を先に言えば強いコリアが解決策になる。本記事では大韓民国(韓国)・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の一方に肩入れする意図はなく、両者から中立的な名称として「コリア」を使用する。

仮に中国を脅威と位置付けるならば現代よりも前近代の方が、はるかに脅威であった。中国は軍事力だけでなく、経済力でも日本(倭国)を圧倒していた。それでも白村江の戦い後や元寇などの例外的時期を除き、日本が直接脅威を感じることは少なかった。それは朝鮮半島に独自の民族文化を持つ安定した国家が存在していた点に負うところが大きい。

実際、白村江の敗戦によって、倭国は都を難波から内陸の近江京へ移すほど唐の侵攻を恐れていた。しかし、唐と連合していた新羅が唐を朝鮮半島から駆逐したため、倭国は侵攻を免れた。また、元寇が元の失敗に終わった背景には、高麗で起きた三別抄の乱の鎮圧に時間を費やしたことが挙げられる。

コリアに対して日本の保守層は「中国の朝貢国」「事大主義」というネガティブなイメージを抱いているが、巨大な大国と接していながら独自の民族文化を維持する民族性は賞賛に値する。コリアのナショナリズムは植民地支配の圧政の歴史から反日と結びつきやすいが、中国に対しても独立の方向で働く。反日だから嫌韓になる、中国とコリアを特定アジアと一括りにするなどの発想は短絡的である。

強いコリアを作る上での障害は日本の北朝鮮敵視政策である。日本では拉致問題への怒りから、北朝鮮を徹底的に追い詰め、体制崩壊に追い込めばいいという無責任な言説が一定の支持を得ている。しかし、追い詰めた結果、北朝鮮は中国への依存を強めていった。今の状況で北朝鮮の体制が崩壊したならば、中国のプレゼンスが一層増大する結果になる。

日本人は日米関係など二国間関係だけで考えてしまいがちであるが、外交は複数の国家が絡み合い、もっと複雑である。真の意味で国益を考えるならば、柔軟な発想が必要である。

 

トヨタ自動車リコール問題へのアメリカ社会の怒り

トヨタ自動車の大規模リコールが相次いでいる。アクセルペダルなどの不具合そのものの重大性に加えて、問題認識後の対応が遅過ぎて後手に回っている点が批判を拡大させている。この点で雪印食中毒事件や三菱自動車のリコール隠しなど既存の企業不祥事と類似する。トヨタも日本企業の悪い面から免れていないことを示した。

日本企業が不祥事を隠蔽したがる背景には、消費者の権利意識が弱く、隠蔽で済んでしまうケースも少なくないためである。しかし、成熟したアメリカ社会では事情が異なる。トヨタへの風当たりは厳しく、信用失墜の感がある。

格付け会社はトヨタ自動車の格付けの引き下げを始めた。また、トヨタを被告とした集団訴訟も相次いでいる。欠陥車両による損害賠償請求だけでなく、リコール対象車を売りに出す場合の価格低下で生じた損失を取り戻すための集団訴訟の動きもある。

米国で高まるトヨタ批判に対し、日本ではジャパン・バッシングの一環と反発する向きもあるが、事態は一層深刻である。トヨタの競合であるゼネラルモーターズ(GM)の役員であるマーク・ロイス氏は2009年2月10日に「トヨタのリコールは自動車産業全体に悪影響を及ぼす」と発言した。GMは自動車業界が健全な産業であり、公正な条件で競争することを望んでいるとした(Toyota's recall woes are bad for industry: GM exec, AFP, Feb 10, 2009.)。

GM役員の指摘はアメリカ社会のトヨタへの怒りを考える上で重要である。価値観の異なる人々から構成されるアメリカ社会では、最低限の条件として公正(フェア)であることを重視する。隠蔽体質が批判されるトヨタは、この公正さに反する存在である。そのような企業が存在することは業界自体にとって迷惑である。このような根源的な問題があるために「結果的にリコールは行われた」「欠陥は微細である」という類の言い訳は無意味である。

日本人がジャパン・バッシングと感じる批判は戦前から続く古くて新しい問題である。日米のすれ違いの背景には日本社会の公正さへの感覚の鈍さがある。たとえば日本の輸出企業批判には労働者を低賃金・長時間で働かせて低価格な商品を販売することはアンフェアであるという感覚が背景に存在した。この点に思い至らなければ、表面的な技術論で安全性を主張しようと、トヨタ自動車への信頼は回復しないだろう。

日本でもトヨタ自動車の品質保証担当役員である横山裕行常務役員が「お客さまの感覚と車両の挙動がずれている」と消費者側に責任転嫁する発言で反感を買った。日本社会でも健全な消費者感覚とずれてしまっている。トヨタ自動車はアメリカ社会との乖離が大きいことを自覚し、謙虚に反省する必要がある。

 

トヨタ自動車の大量リコールとコスト削減

大量のリコールが相次ぐトヨタ自動車への批判が高まっている。もはや「品質のトヨタ」は悪い冗談となってしまった。私はトヨタの失墜が他者の負担でコスト削減を図る企業体質に起因していると感じられてならない。

トヨタ自動車への大きな批判は、その隠蔽体質に対するものである。新型「プリウス」のブレーキ不具合問題ではリコールの直前まで「運転者の感覚の問題」と強弁していた。ところが、社内では2010年1月生産分から修正プログラムによる改善策を講じていた。これは「欠陥隠し」と受け止められ、強く批判された。

不具合を認識しながらリコールせず、新たに生産する車にだけ「改良」を加える。これでは既存ユーザーは品質保証プロセスに強引に協力させられていることになる。企業の論理を通せば、メーカーの責任で行うべき品質保証をユーザーに肩代わりさせ、品質保証のコストを浮かせることができる。

これはトヨタ好みの発想である。世界に知れ渡ったトヨタ式生産方式であるジャスト・イン・タイム(かんばん方式)もトヨタの在庫コストを下請け業者の努力と負担で減少させる仕組みである。トヨタにとっては効率的であるが、下請けイジメにもなる。同じく下請けイジメにもなるものに原価低減活動もある。トヨタは2009年12月に部品メーカーに2012年を目処とした納入価格3割引き下げを要請している。

そして、非正規労働者(期間工・派遣労働者)の使用を拡大し、不景気になると派遣切りを推進したのもトヨタである。トヨタ自動車九州では早くも2008年8月の段階で800人の派遣社員を削減した。2008年末の年越し派遣村によって経済大国と自惚れる日本で貧困が大きな問題であることを印象付けたが、リーディング・カンパニーであるトヨタが派遣切りの先鞭をつけていた。

リコール問題の渦中にある2010年2月4日においても、トヨタの伊地知隆彦専務は、コスト削減のやり過ぎで品質問題が発生したとする見方を否定し、「品質がいいものは原価もいい。これからもしっかり原価低減に取り組むし、それが品質にもつながる」と述べた。しかし、下請け業者を疲弊させ、貯金も住む場所も持てないような非正規労働者を生み出すコスト削減が品質につながるかは疑問である。ステークホルダー(下請け業者、非正規労働者、ユーザー)の負担と犠牲でコスト削減を目指す発想自体が行き詰っている。

トヨタの大量リコール問題への批判はまだまだ続くだろう。しかし、熱しやすく冷めやすいことが日本人の欠点である。実際、非正規労働者を取り巻く状況は大して変わっていないにもかかわらず、2009年初と2010年初では派遣村に対するマスメディアの論調は様変わりしてしまった。トヨタの問題を一過性の批判で終わらせないためには、深い視点が必要である。

 

トヨタのタコマ・リコールの影響

トヨタ自動車は2010年2月12日に北米で販売したピックアップトラック「タコマ」約1万台(米国内約8000台)をリコールすると発表した。プロペラシャフト(エンジンの動力を前輪に伝達する部品)に亀裂が入る可能性があり、最悪の場合には操縦不能になるためである。

トヨタでは2009年末以降、リコールが相次ぎ、対応の悪さが批判されている。タコマもアクセルペダルがフロアマットに引っかかる不具合で、既にリコール対象になっている。今回のリコールによって、「他にも欠陥を隠しているのではないか」「情報を小出しにしているのではないか」という疑心暗鬼は治まりそうにない。

一方で、今回のリコールは相対的には小規模である。2009年11月以降にトヨタが全世界で対応するリコールや改修台数は延べ800万台超になる。また、これまでの不具合内容はアクセルやブレーキという運転の基本に関するものであり、急発進してしまうことやブレーキが利かないことは運転者の心胆を寒からしめるものであった。

そのためにタコマのリコールについては影響を過小評価したくなるが、タコマが単独でリコールされることのマイナスは決して小さなものではない。もともと日本車は低価格・低燃費を武器にアメリカ市場に食い込んでいった。日本車の長所は多くの消費者から支持されたものの、一方では重量感やワイルドさを特徴とするアメリカ車を好む消費者もいた。そのため、日本車が市場を席巻しつつも、ある程度の棲み分けがなされていた。

トヨタとビッグ・スリーのバランスが崩れたのは近年のことである。ガソリン価格の高騰で大型車が敬遠されたことはビッグ・スリーの凋落を決定付けたが、トヨタも敵失を座して待っていただけではなかった。アメリカ車の得意分野に切り込んでいった。その一つがタコマである。

ピックアップトラックは馬車で大陸を駆け回った開拓時代を連想させるアメリカ的な車である。物品輸送の実を取るならば、より多くの荷物を安定的に運ぶために荷台をコンテナにした方がいい。それでも無骨なピップアップトラックはアメリカの精神的伝統にマッチしている。

そのピックアップトラックの販売は日本企業のトヨタにとって挑戦である。タコマの成功は本当の意味でアメリカの消費者にトヨタが受け入れられたかの試金石にもなる。ところが、そのタコマも単独でリコールされた。トヨタ側のロビー活動などによりマスメディアのトヨタ批判は表面上落ち着きつつあるものの、タコマのリコールでトヨタ離れが消費者心理に一層深く刻まれるものと考えられる。

 

トヨタの大量リコールは日米間の政治問題にならず

来日中の米上院外交委員会東アジア・太平洋小委員会のジム・ウェッブ委員長は2010年2月15日に日本記者クラブで記者会見した。米軍普天間飛行場移設問題が中心であったが、トヨタ自動車の大量リコール問題にも言及し、「トヨタの経営陣が協力すれば」との条件付きであったが、日米間の政治問題にはならないとの見方を示した。

トヨタ問題はアメリカ国内では政治問題化するだけの十分な理由がある。トヨタには不具合の報告を怠った疑いがある。アクセルペダルの不具合では車の急加速により、米国で10人以上の死者を出した。この不具合についてトヨタはリコールの1年以上前から知っていたとされる(「隠ぺい体質で道を誤ったトヨタ」ウォールストリートジャーナル日本版)。

また、トヨタは自社が採用した米道路交通安全局(NHTSA)元職員の働きかけによってリコールを免れたことも明らかになっている。日本国内の建設会社の天下りと同じような手法であり、米国議会としても看過できない問題である。

一方でトヨタ問題が日米間の政治問題にならないという見方は正当である。トヨタ問題は日米政府が対立する性質の問題ではない。両国政府とも国民の安全に責任を負っている。不具合を隠す自動車メーカーを容認しない点で利害が共通する。

前原国交相は2月5日の閣議後会見で、トヨタ自動車の「プリウス」のブレーキ不具合について、「トヨタの対応は顧客の視点が欠如しているのではないか」と指摘した。オバマ米大統領も「国民の安全に懸念があるならば、自動車会社は迅速にしっかりと対処する責務がある」と述べた。日米両国は後手に回ったトヨタの対応を問題視する点で共通認識にある。

トヨタ問題が日米間の政治問題になるとしたら、日本側がアメリカ社会のトヨタ批判に対して被害妄想的な過剰反応を示した場合が考えられる。一国だけでは外交問題は起こり得ない。アメリカ社会はトヨタに対して怒るだけの理由があって怒っているが、それだけでは外交問題にならない。

その意味では「政治問題化しない」というウェッブ発言には単なる見通しを述べたという以上の重みがある。日本の行政機構は伝統的に消費者利益を軽視し、業界の保護者として振舞ってきた。もしトヨタ問題でも同じような振る舞いをするならば、日米の対立は決定的になる。トヨタ問題で日米が対立するか否かは日本側の対応にかかっている面が強く、日本側はウェッブ発言を真摯に受け止める必要がある。

冷静に考えれば日本人にはアメリカ社会のトヨタ・バッシングで嫌米感情を募らせる理由はない。トヨタは自発的にリコールした訳ではない。アメリカ社会の精力的な追及がなければ、日本のトヨタ車も不具合を抱えたままで、リコールされなかった可能性が高い。日本人はトヨタを批判するアメリカ社会に大いに感謝すべきである。

 

トヨタ・バッシングは普天間問題の報復か

急加速やブレーキが利かなくなるなどトヨタ車の欠陥に起因するアメリカ社会のトヨタ・バッシングに対し、一部には米国による普天間問題への報復ではないかとの見方が出ている。

歴史的な政権交代を果たした鳩山連立政権は、従前の自民党政権が米国と合意した米海兵隊普天間飛行場(普天間基地)の辺野古(キャンプ・シュワブ沿岸部)移設について判断を先送りした。これに対する報復として、米国が日本の代表的企業であるトヨタ自動車をバッシングするように誘導しているとの見方である。

私は報復説をうがった見方であると考える。鳩山政権が成立し、辺野古移設見直しが唱えられる前から米国ではトヨタ車の欠陥が問題になっていた。自動車と同じく高級財であるマンションが問題になった耐震強度偽装事件を思い出せば、トヨタ問題の過熱報道は理解できる。むしろ日本のメディアや消費者がトヨタに遠慮している方が異常である。

マンションは自動車以上に高額で一生に一度あるかないかの買い物であり、欠陥品であった場合の一般購入者の打撃は甚大である。しかし、トヨタ車の欠陥では現実に事故が起き、何人もの死者が出ている。2009年8月28日にはサンディエゴ郊外でカリフォルニア州高速警察隊員マーク・セイラー氏の運転するレクサスが暴走し、乗員全員(4人)が即死する事件が起きた。事故直前に「アクセルが戻らない」と悲痛な訴えをした交信記録は痛ましい。死者や遺族の無念への共感力があれば、耐震強度偽装事件以上に過熱することも納得できる。

耐震強度偽装事件は時間の経過によって風化してしまったが、それは歴史性に欠ける日本社会の短所を物語るものであり、消費者にとって不幸である。過去を水に流し、焼け野原から経済大国にしてしまう前に進むことしかできない国民性と、リメンバー・パールハーバーの国民性は異なる。米国社会がトヨタ・バッシングを継続することはアメリカの消費者の健全性を示す指標になる。

より重要な報復説への反論はトヨタ・バッシングが日本と対立するものではないという点である。トヨタ車の欠陥が明らかになることは日本の消費者にとっても利益である。トヨタは下請け叩きや派遣切りなど日本国内で大きな問題を抱えている(「トヨタ自動車の大量リコールとコスト削減」)。賢明な日本人にとってトヨタ・バッシングは歓迎すべきことであって、日本への報復にはならない。以上の通り、報復説は説得力に欠けると考えるが、あえて普天間とトヨタ問題を結びつけて検討したい。

イエス・キリストは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と述べた。日常的に騒音被害や墜落の危険に晒される世界一危険な普天間基地の即時閉鎖や、貴重な自然を破壊する辺野古への移設反対が沖縄の民意ならば、海兵隊は撤収し、土地を沖縄に返すことが解決策になる。

一方、トヨタ問題ではトヨタの米国法人が情報も権限も有していなかったことが対応遅れの制度的要因とされる。米国でビジネスする以上、米国法人に責任ある体制を求めることは国民感情として自然である。これは切実さでは比較にならないものの、日本の公権力が及ばない在日米軍の横暴に心を痛ませている日本人にも共感できる問題である。ここでもトヨタ本社に集中させていた権限や情報を現地に返すことが解決策になる。

戦後日本はアメリカの植民地であると揶揄されるが、日米関係は戦前の日本が植民地や侵略地域を搾取したような一方的に収奪する関係ではなかった。日本は米国に従属する代わりに米国市場で金儲けができた。そのような従属意識を引きずっているならばトヨタ・バッシングは報復に映る。

これに対して、鳩山由紀夫首相は「日本は米国に依存しすぎていた」と語り、新たな日米関係を志向する。普天間問題もトヨタ問題も新たな日米関係を占う上で、ふさわしいテーマである。トヨタ問題を報復と受け止めて萎縮するのではなく、トヨタを生贄にするくらいの思いで、普天間問題では沖縄の民意を貫くべきである。それが健全な日米関係を築くことになる。

 

トヨタ自動車・豊田章男社長会見に改めて失望

トヨタ自動車の豊田章男社長は2010年2月17日、大量リコール問題について東京本社(東京都文京区)で記者会見した。しかし具体的内容に乏しく、最初の会見と同様に不安解消には程遠いものであった。

もともとトヨタ車の欠陥が大問題になっているにもかかわらず、豊田社長が表に出てこなかったことがトヨタ批判を拡大させた。ようやく2月5日になって会見したが、逆効果で「子ども社長」とまで揶揄された。焦点のプリウスのブレーキ問題は「調査させる」、米国議会の公聴会には「米国に行かないと言っている訳ではない」と要領を得ない回答であった。特に米国時間を意識して夜間に会見時間を設定したはずであるが、トップの率直さが感じられなかったことは米国の不満を高める結果となった。

それに比べると、2月9日の2度目の会見は及第点を与えることができる。「ニューヨーク・ポスト」は豊田社長のお辞儀について「たった40度だった先週末のお辞儀よりも誠意がこもっていた」と報道したが、9日の成功要因はブレーキシステムの欠陥で「プリウス」「プリウスPHV」「SAI」「レクサスHS250h」のリコールを発表したことにある。既にプリウスなどでブレーキが効かないというクレームは多数寄せられていたが、前日の4日に横山裕行常務役員は運転者の感覚の問題と主張した。

この時点ではアクセルペダルの欠陥は認めてリコールしていたが、ブレーキの欠陥は否定した。運転者にとってアクセルが戻らないこと以上にブレーキが効かないことは恐怖である。ブレーキを効かせたい時に効かせられなければ、即事故につながる。ブレーキの欠陥を認めないトヨタの頑迷さは強い反発を受けた。

それが9日の会見ではリコールすると態度を翻した。当たり前のことをしただけであるが、それまでの印象が悪すぎたために、社長がリコールを発表することで社長自身は批判を免れた面がある。特に日本人は歴史性に欠けるために、相手が少しでも態度を変えて歩み寄ると、簡単に過去を水に流してしまう。トヨタが狡知に長けていれば最初から下位の役員が憎まれ役を引き受け、創業家の社長に花を持たせるというシナリオを用意することも可能性だろう。

これに対し、17日の会見は踏み込んだ内容がなかった。アクセルよりブレーキを優先させる「ブレーキオーバーライドシステム」を今後生産する新モデルに搭載することが目玉であった。しかし、これはBMWなどの他社では既に標準装備となっている機能である。会見でも「これまでの車になぜブレーキオーバーライドシステムは搭載されていないのか」と追及された。

公聴会については「米国トヨタの稲葉社長を始めとする北米の経営陣を信頼している」とし、出席しない考えを明らかにした。これは豊田社長が公聴会出席を検討しているとの先行報道よりも後退している。会見で豊田社長は「一部報道に誤解がある」と述べたが、報道内容よりも後ろ向きの対応であることは事実である。期待よりも失望が勝った会見内容であった。

 

カローラのパワステ不具合報道に見る日米の差異

リコールが相次いでいるトヨタ自動車で新たな問題が浮上した。トヨタの主力車種「カローラ」のパワーステアリング(パワステ)に関する苦情が相次いでいる問題で、米道路交通安全局(NHTSA)は2008年2月18日から正式調査を開始した。

2009、10年型「カローラ」では走行中に直進するつもりでハンドルを操作すると、過剰に反応して左右に大きく振れる現象が報告されている。他にはハンドルが振動する、ハンドルを少し動かしただけで車体が大きく方向を変えるという苦情もある。NHTSAには165件の苦情が寄せられ、12件の人身事故が起きている(USA TODAY, Toyota may recall Corolla over steering; U.S. plans probe)。

このパワステ問題についての日米の報道スタンスの差異は興味深い。日本のメディアはNHTSAによるパワステ不具合の調査開始を見出しとする傾向がある。これに対し、米国のメディアは一歩踏み込み、パワステ不具合でカローラをリコールする可能性にまで言及した。

この差異には日本のジャーナリズムの後進性が感じられる。「当局が調査を開始した」という見出し構成は、役所の活動をそのまま伝えることを報道と勘違いするという記者クラブ批判で繰り返された日本のジャーナリズム批判に通じるものがある。それに比べるとリコールの可能性に言及する米国メディアは消費者の知りたい内容に応えようという意欲が感じられる。

アメリカ社会のトヨタ・バッシングに反発する日本人が一部に存在することは事実である。ここには日本のメディアの報道姿勢が抑制的で、トヨタ問題の深刻さをアメリカ人ほど知らされていないという側面があると考える。メディアの影響力の大きさと果たすべき役割の重要性が改めて実感できた。

 

遅すぎたトヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会出席決定

プリウスのブレーキ不具合などリコールが相次いでいるトヨタ自動車の豊田章男社長が米下院監視・政府改革委員会の公聴会に出席することが2010年2月19日に決まった。大量リコール問題ではトヨタの後手に回った対応が批判を浴びたが、公聴会出席の経緯もトヨタ批判を強化するものである。それどころか米国の日本へのイメージも損ないかねないものである。

豊田社長は公聴会出席に消極的であった。監視・政府改革委員会のアイサ筆頭理事は豊田社長に出席を要請し、一部報道では豊田社長が公聴会出席を検討と報じられた。しかし、豊田社長は2月17日の記者会見では米国法人経営陣に任せるとし、自身の出席を否定した。

この会見内容は当然のことながら米国社会の反発を招いた。公聴会出席は懲罰ではなく、信頼を訴えるチャンスである。そのような発想がトヨタに存在しないならば、信頼回復は覚束ない。アイサ筆頭理事は「豊田社長は、議会に会社は変わると誓約することができない、地位が低い者を送ろうとしている」と批判し、同委員会のタウンズ委員長は2月18日に豊田社長を正式に招致した。

豊田社長は正式招致によって、ようやく公聴会出席を決定した。これは最悪のパターンである。前原誠司国土交通相が19日の定例会見で苦言を呈している。前原国交相は「豊田社長には米議会から呼ばれれば積極的に説明をして欲しいと言った」とし、「これまでに判断が二転三転したことは残念」と批判した。

米国には日本の自発的な対応は期待できず、高圧的に要求を突きつけて追い詰めなければ動かないという日本観がある。これはペリーの黒船による砲艦外交以来の伝統であるが、トヨタの対応が改めて裏付けることになってしまった。この点でトヨタは日本の国益をも害している。

外国でトヨタ・バッシングが行われているとなると、ナイーブな日本人はトヨタ擁護に流されてしまいがちである。しかし、悪しき日本人像を体現しているトヨタを感情論から国を挙げて擁護するならば、日本のイメージがトヨタと一緒に失墜することになる。日本としてはトヨタを批判し、切り捨てることも辞さないことが国益に適う。

その点で前原国交相が公聴会出席の決定経緯を批判したことは適切である。また、日本自動車工業会の青木哲会長が18日の会見で、米政府やメディアに日本車叩きの意図があるとの見方を否定したことも妥当である。日本社会が隠蔽体質のトヨタとは異なる社会であり、自国企業のトヨタを批判する能力があることを示すことが日本への信頼を高める道である。

 

トヨタ自動車はハイラックスでも欠陥放置

大量リコールの対応で欠陥隠しを批判されているトヨタ自動車であるが、過去にも同種の問題が起きていた。

トヨタ自動車が1988年から96年までに製造したハイラックスにはリレーロッドの強度が不足していた。リレーロッドはハンドルの動きを前輪に伝える装置で、リレーロッドが折れると、ハンドル操作に不具合が生じる。

トヨタには92年以降、運転中にリレーロッドが折れるなどの苦情が多数寄せられ、96年には強度不足を認識していた。そこで96年6月以降製造の新車には強度を満たす部品を使用するようにしたが、販売済みの車には対応しなかった。

2004年8月12日には熊本県で、93年11月製造のハイラックスサーフワゴンのリレーロッドが折れてハンドル操作が不能になり、対向車線の車と衝突して5人が重軽傷を負う事故が起きた。トヨタが「ハイラックスサーフワゴン」「ハイラックス4WD」「ハイラックスサーフ」のリコールを届けたのは、この事故の後の10月になってからであった。96年から8年間も欠陥を放置していたことになる。

この展開は現在の大量リコール問題と同じである。プリウスのブレーキ不具合では対外的には「運転者の感覚の問題」と強弁しながら、影では新規製造分のプログラムを修正していた。これでは欠陥を認識しても、最初は誤魔化し、誤魔化しきれなくなった後に仕方なくリコールしているとの疑念を払拭できない。

ハイラックスの欠陥放置ではトヨタの品質保証部門の歴代3部長が2006年7月に業務上過失傷害容疑で書類送検された(07年7月に不起訴)。また、国土交通省はトヨタにリコール不要と判断した問題も、その後に不具合が生じてないか監視することや車両の品質に関する検討結果の共有などの業務改善を指示した。この時に本当の意味で業務改善できていれば、現在の大量リコール問題で対応が後手に回ることはなかったはずである。

トヨタの大量リコール問題に対して、日本には「米国の企業が製造した部品の問題」「最先端のハイブリッド車に不安定な面が残ることは仕方がない」という同情論がある。しかし、ハイラックスの欠陥放置を踏まえれば、トヨタの隠蔽体質を指摘する米国社会の洞察力は健全である。

ハイラックスの欠陥放置が判明した2004年は三菱自動車工業及びトラック・バス部門を分社化した三菱ふそうトラック・バスのリコール隠しも問題になった。しかし、トヨタと三菱自動車への風当たりは全く異なっていた。三菱自動車は激しく批判され、雪印集団食中毒事件などと共に企業不祥事の代表例と位置付けられている。

これに対し、トヨタのハイラックス欠陥放置は事件そのものの知名度が低い。この点が今日のトヨタの危機につながっていると感じられてならない。欠陥を放置しても三菱自動車のように社会的に批判されなかったことが、トヨタの隠蔽体質を増長させたのではないか。その意味では米国のトヨタ・バッシングはトヨタにとって膿みを出し切り、企業体質を改めるチャンスである。

 

トヨタ自動車はリコール抑制で1億ドル節約と自賛

トヨタ自動車は米当局との交渉でリコール費用を1億ドル節約したと自賛する文書を作成していた。トヨタが顧客の安全よりも利益を優先していたことを示す証拠となる文書であり、米国で高まるトヨタ批判の正しさが裏付けられた形である。トヨタは次から次へと問題が明らかになるという典型的な企業不祥事と同じ経過を辿っている。

トヨタ自動車には意図せず急加速するとの苦情が多数寄せられていたが、2007年9月時点ではアクセルペダルがフロアマットに引っかかることが原因として、僅か5万5000件のカムリとレクサスのフロアマットを回収するリコールしか実施しなかった。

これについて「Wins for Toyota」と題する社内文書ではトヨタのワシントン事務所のロビー活動を紹介し、望ましいリコールの結果を勝ち取ったと賞賛する。具体的には当局との交渉でカムリとレクサスの装備品(フロアマット)のリコールで折り合いをつけたことで、1億ドル超を節約できたとする。

その後、2009年8月にレクサスが暴走して一家4人が死亡するという痛ましい事故が起き、ようやくトヨタ車の危険性が知れ渡るようになった。トヨタ自動車はリコール対象を拡大し、アクセルペダルそのものの不具合によるリコールも行い、リコール台数は全世界で850万台以上にもなった。

それでも急加速は未解決の問題である。新たに電子制御スロットルに異常や設計不良が存在しないか議論されている。これまでもトヨタには欠陥を隠蔽し、リコールから逃れようとしていると批判されていた。内部文書はトヨタが消極的に欠陥を隠しただけでなく、積極的に工作していることを示している。

トヨタにとっては自動車の安全性を担保するリコール制度も取引の場でしかなかったことになる。これはメーカーによる自主的な実施というリコール制度の根本を揺るがすものである。同業他社からの「トヨタのリコール問題は自動車産業全体に悪影響を及ぼす」との指摘も納得できる(「トヨタ自動車リコール問題へのアメリカ社会の怒り」)。

この社内文書に対するトヨタの言い訳が情けないものであった。「一つの文書から結論を導くことは不適切」とする。これは問題の社内文書に対しては何も言い訳できないために、それだけで判断するのではなく別の面で評価しろという御都合主義的な理屈である。歴史性に欠ける日本社会ならば都合の悪い事実は「誤りだった」で済まして、他の話題に転じることで誤魔化すこともできるかもしれない。

しかし、これは国際社会では通用しない。都合の悪い事実から目を背けて「顧客の安全を最優先」と語る資格はない。前に向かって運転する場合でもバックミラーが必要なように、過去の体質を真摯に反省しなければならない。トヨタは世界でビジネスする以上、批判への釈明や責任のとり方もグローバル・スタンダードに則ったものであるべきである。

 

米連邦大陪審も証取委もトヨタ自動車に召喚状

ブレーキやアクセルの欠陥で大量リコールが相次ぐトヨタ自動車に対し、米国ニューヨーク州南部連邦地裁の連邦大陪審は文書の提出を求める召喚状を送付した。米国証券取引委員会(SEC)も同種の召喚状を送付した。トヨタ自動車が2010年2月22日に明らかにした。

連邦大陪審の召喚状は連邦検察局からの要請を受けてのもので、大量リコール問題が刑事事件となる可能性も出てきた。また、証取委の調査で投資家に不利益情報を開示しなかったことが明らかになれば、ペナルティーを科せられる可能性がある。

トヨタ自動車にとって豊田章男社長も招致された米国議会の公聴会が正念場と位置付けられていたが、様々な組織がリコール問題を追及しようと待ち構えていることになる。ここに米国社会の奥深さがある。

社会には不正を追及する組織が必要である。しかし、組織を動かす存在は神ならぬ人間である。組織が不正を見逃してしまうこともある。そこで1つの組織に全てを任せてしまうのではなく、複数の組織が競合しながら不正を追及する。トヨタのリコール隠し疑惑に対し、様々な組織が動いていることは米国の自浄能力の高さを示している。

日本には公聴会の追及を議員の政治的パフォーマンスと矮小化する見方がある。しかし、たとえ動機に選挙民へのアピールという打算があったとしても、それによって不正が明らかになるならば社会にとって利益である。次々と各組織がトヨタの不正追及に動いている現状も、不正の追及者としての栄誉を求めて競争していると見ることができる。これらは個人の利己心を利用して公益を増進する優れた仕組みと評価できる。

この点は損害賠償などを求めてトヨタを提訴した原告の人々も同じである。トヨタ車の欠陥で被った損害の回復という個人的利益が裁判の出発点であるが、裁判によって不正が明らかになることは同種被害者の救済にもつながり、公益に合致する。そのような原告をPrivate Attorney General(私設法務総裁)と位置付ける理論もある。

これに対して、偏狭な日本社会には権力者の不正には寛大であるが、告発者の動機には過大な倫理性を要求するという倒錯した傾向がある。これでは不正の追及は進まない。現にトヨタのリコール問題への動きは鈍い。

日本が国を挙げてトヨタを擁護しなかったことは賢明であった(「【オムニバス】遅すぎたトヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会出席決定」)。これをしたならば、日本自体がトヨタと同じ隠蔽体質であると米国民から認識され、対米輸出産業全体が打撃を受けてしまう。消費者の利益を犠牲にして企業の利益を優先させてきた日本社会が感情的なトヨタ擁護に走らなかったことは進歩である。

しかし、トヨタの責任を追及する動きが国内で見られないことは物足りない。米国では複数の組織がトヨタの隠蔽体質を明らかにするために競争している状態である。自国企業の不正追及で米国に手柄を独占させることは恥である。日頃から「愛国心」を強調している人々こそ、このような機会に自慢の愛国心を発揮することが求められる。

 

「トヨタ自動車は恥を知れ」被害女性が公聴会で証言

米国下院エネルギー・商業委員会は2010年2月23日、トヨタ自動車の大量リコール問題についての公聴会を開催した。意図しない急加速の被害体験を語ったロンダ・スミス氏の証言がトヨタ問題の本質を突いていた。

スミス氏はレクサスを運転中に「死を覚悟した」と証言した。スミス氏が運転するレクサスはアクセルを踏んでいないにもかかわらず、唐突に急加速し、時速100マイル(約161キロ)に達した。必死でサイドブレーキをかけ、ギアをバックに入れたが、速度は下がらなかった。

この証言はトヨタ車の欠陥被害を理解する上で有益である。トヨタ車の欠陥はアクセルとブレーキという正反対の機能に広がっている。これはトヨタ車全般の低品質を印象付けるが、一方で欠陥のイメージが拡散して本質を認識しにくくしている面がある。そのために個々の欠陥を個別的に論じて、欠陥の一部を瑣末な問題と矮小化するトヨタ擁護論も出てくる。

しかし、アクセルの欠陥もブレーキの欠陥も「車が止まってくれない」問題である点で共通する。ブレーキが効かないというプリウスの欠陥が「車が止まってくれない」問題であることは明白である。同じくアクセルの欠陥による急加速も、運転者にとっての怖さは「車が止まってくれない」ことにある。ブレーキをかけても速度は下がらなかったというスミス氏の臨場感あふれる証言が、その怖さを物語る。

スミス氏の怒りはレクサスの急加速だけでなく、トヨタの不誠実な対応にも向けられた。スミス氏は欠陥車両としてトヨタに全額返金を求めたが、トヨタは急加速の責任を所有者に転嫁し、スミス氏を嘘つき呼ばわりしたという。スミス氏は危険性の訴えを無視し続けたトヨタに対し、「強欲なトヨタよ、恥を知れ」と批判した。

消費者への責任転嫁は、トヨタ自動車がプリウスのブレーキ不具合でリコールする前に日本の消費者に説明した理屈と同じである。トヨタの「運転者のフィーリングの問題」との主張には多数の消費者が反発した。スミス氏の怒りと日本の消費者の怒りは連帯できるものである。

公聴会での鋭いトヨタ批判に対し、日本では過剰な権利主張社会である米国社会の病理と否定的に評価する向きがある。しかし、消費者がトヨタに怒りを抱くことは自然である。深刻な消費者トラブルの背景には商品そのものの欠陥に加え、企業側の不誠実な対応が存在する。この点でトヨタ・バッシングは起こるべくして起きたものである。

 

トヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会証言への不満

トヨタ自動車の豊田章男社長は2010年2月24日、米国下院監督・政府改革委員会の公聴会に出席し、大量リコール問題について証言した。豊田社長は「顧客視点で品質問題を考えるという視点が足りなかった」と率直に認め、急加速による事故や事故後の対応の悪さを謝罪した。しかし、品質低下の原因や対応遅れについての具体的な説明に乏しく、議員の質問に「分からない」「把握していない」と回答するなど、信頼回復には程遠い内容であった。

不祥事企業は同じ過ちを何度も繰り返す傾向にある。これは豊田社長の対応にも該当する。本記事では2点指摘する。

第1に謝罪の誠意である。豊田社長は日本での謝罪会見で、お辞儀の角度から誠意が込められていないとニューヨーク・ポストから酷評された。公聴会での豊田社長の謝罪も死者へのremorse(自責の念、良心の呵責)が感じられないとマーシー・キャプター議員から批判された。謝罪が形式的であるとの批判が繰り返されたことになる。

remorse」が欠けている豊田社長の謝罪は、ルース・ベネディクトが『菊と刀』で分析した「恥の文化」の特徴を示している。豊田社長の謝罪は原因や問題点を示した上でのものではないため、どうしても「世間を騒がせて申し訳ない」的なものに聞こえてしまう。

「全てのトヨタの車に自分の名前が入っているから、安全性への思いは一番強い」との理屈も他人の目を気にする「恥の文化」の発想である。品質管理体制の確立など前向きな所信表明の繰り返しも、これまでの問題から目を背けて、他人の評価を期待する姿勢に映る。

これらは「罪の文化」を行動様式とする米国人から見れば、本当の意味で反省しているのか疑わしく思われることになる。その意味で「remorse」が欠けているとの豊田社長批判は正鵠を射ている。「恥の文化」と「罪の文化」の優劣とは別の問題として、米国で証言する以上、米国社会を研究すべきであった。「恥の文化」で通用すると考えていたならば無知か驕りのどちらかである。

第2に新たな情報の提示である。これまでと同じ所信表明の繰り返しならば、話を聞く意味もない。日本での3回の記者会見のうち、唯一及第点に達したものはプリウスのリコールを発表した2月9日の会見であった(「トヨタ自動車・豊田章男社長会見に改めて失望」)。これによってブレーキの不具合は、運転者の感覚の問題から欠陥として修理することに転換した。運転者に責任転嫁するトヨタの説明は強く批判されたが、リコールによって解決の道筋をつけることができた。これは会見する意味のある内容であった。

これに対して、公聴会の主要論点である電子制御スロットル・システム(ETCS)の問題は依然として疑惑が残った。トヨタ車にはフロアマットやアクセルペダルでは原因が説明できない多数の急加速事故が起きており、電子制御スロットルが疑われている。公聴会で豊田社長は「設計上の問題はないと確信している」と従前の主張の繰り返しにとどめ、消費者の不安解消にはならなかった。電子制御スロットルの問題は今後も指摘され続けると予想される。

 

ニューヨーク州司法長官のトヨタ被害者救済活動

プリウスのブレーキ不具合などトヨタ自動車の大量リコールは米国で大きな消費者問題になっている。消費者問題では消費者に損害を与えた企業の責任追及は当然であるが、行政が被害者救済に果たす役割も重要になる。この点でトヨタ問題でのニューヨーク州のアンドリュー・クオモ司法長官の活動は注目に値する。

クオモ長官は「nytoyotahelp.com」という独自ドメインのウェブサイトを開設してトヨタ車の所有者向けに情報提供している。行政機関によるウェブサイトでの情報提供は既に一般的であるが、NY (New York) TOYOTA HELPという意味の独自ドメイン取得にはトヨタ問題への意気込みを感じさせる。

このウェブサイトではリコール対象のトヨタ車には修理済みのものもある一方で、大多数のトヨタ車が修理されておらず、少なからぬ所有者にはリコールの通知も送られていないと指摘する。

全世界で850万台以上という大量リコールはトヨタの品質の問題を示すものだが、トヨタ贔屓をしたい層からは850万台もリコールできるトヨタの底力を逆に評価する声もある。しかし、それは全ての対象車を迅速に修理してから判断すべきことである。リコールは宣言しただけで意味がない。トヨタのリコール宣言で終わりにせず、修理状況を確認する姿勢は適切である。

自動車は「走る凶器」とも呼ばれる。欠陥車両による事故は運転者だけでなく、無関係な通行車両や通行人にも災いを及ぼす。故にラフード連邦運輸長官の「リコール対象のトヨタ車を運転すべきではない」との指摘は正しい。リコール対象車両の速やかな修理は社会的要請である。

しかし、所有者にとって自家用車は貴重な移動手段であり、修理に出したならば生活に支障が出るケースもある。そこでクオモ長官はトヨタにリコール対象となったトヨタ車所有者のレンタカー代やタクシー代などの費用負担を要請し、トヨタは2010年2月24日に応じた。

同日の下院監視・政府改革委員会の公聴会において、北米トヨタ自動車の稲葉良み社長が「ニューヨークだけでなく、全米で費用負担する」と信頼回復のためのコストを惜しまない姿勢をアピールした。これは全体的には不満が残った公聴会におけるトヨタの得点となったが、元々はクオモ長官の要請であった。

行政の積極的な活動によって、加害企業の被害者救済策を充実させる。ここには理想的な消費者行政の姿がある。日本では行政の企業寄りの傾向が反省され、消費者庁も発足した。日本の消費者行政にもクオモ長官のような積極的な活動を期待したい。

 

北米トヨタ前社長がトヨタ自動車の変質を指摘

プリウスのブレーキ不具合などトヨタ自動車の大量リコール問題の背後には、安全性よりもコスト削減を追求するトヨタの体質があると指摘されるが、米国トヨタ自動車販売前社長のジム・プレス氏から裏付けとなる発言がなされた。

プレス氏は「大量リコール問題の根本には、トヨタ自動車が反豊田家的な金融資本由来の略奪者にハイジャックされたことにある」と指摘した。プレス氏は略奪者の具体的な名前を明らかにしなかったが、「彼らには顧客第一主義は存在しない」と述べた。

プレス氏は外国人として初のトヨタ本社専務取締役になった。リコール問題が深刻化するまで表に出なかった豊田章男・トヨタ社長とは対照的に、新車発表会で司会進行役や商品説明役として登壇するなど自動車業界の名物経営者である。2007年9月に電撃的にクライスラーの副会長に移籍した。

1970年にトヨタに入社したプレス氏はトヨタ米国法人の生え抜きであり、「トヨタは人生そのもの」とまで言った人物である。米国人ながらトヨタ精神を体得した存在である。そのプレス氏による「トヨタがハイジャックされた」発言には重みがある。

日本では奥田碩・元トヨタ社長による「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」発言が象徴するように、トヨタは格差拡大を容認する新自由主義の推進者と認識されている。その意味で金融資本由来の略奪者によるハイジャック発言には説得力がある。

一方で「ハイジャックされた」とする論理は、昔のトヨタは悪くなかったということになる。特に略奪者を「反豊田家」と形容するところには、豊田創業家に罪はなく、「君側の奸」に問題があるという日本的な発想になってしまう。「トヨタは人生そのもの」のプレス氏が古巣を全否定できない立場にあることは理解する必要がある。

元々のトヨタ精神を体現した「かんばん方式」や「カイゼン」にも下請け業者の犠牲の上で成り立っているという側面がある(「【オムニバス】トヨタ自動車の大量リコールとコスト削減」)。ハイジャック論には元からトヨタに存在していた搾取性から目を背けさせるという落とし穴がある。

トヨタは変質したのか、元から問題を抱えていたのか。原因の解明なくして改善はない。米下院監視・政府改革委員会のタウンズ委員長が欠陥の意図的な隠ぺいを示唆する内部文書の存在を発表するなど疑惑が深まるばかりであるが、トヨタには全てを明るみに出すことを期待する。それがトヨタの復活に不可欠である。

 

トヨタ自動車・豊田章男社長が中国でも謝罪

トヨタ自動車の豊田章男社長は2010年3月1日に中華人民共和国の北京で記者会見し、大量リコール問題で謝罪した。中国では1月にアクセルペダルの不具合を理由に約7万5000台がリコールされた。米国などの世界各地のリコール問題も大きく報道され、トヨタ車の安全性に不安が高まっていた。

豊田社長は訪問先の米国から直接中国に向かったことは中国重視と分析されている。新興国の興隆により、米国の存在感は相対的に小さくなり、もはや日本も米国の顔色さえうかがっていれば済む時代ではなくなったことを示している。

但し、豊田社長は米国下院の公聴会への出席を直前まで渋っていた(「【オムニバス】遅すぎたトヨタ自動車・豊田章男社長の公聴会出席決定」)。今回の訪中も中国側の動きに対応したという他律的な側面がある。

中国の監督官庁・国家品質監督検査検疫総局(質検総局)は2月26日までにトヨタ車の保有者に対して、アクセルペダルや制御システムに異常があれば直ちに当局に報告を求める呼びかけを出していた。手を拱いていればトヨタ離れが進むという危機感が訪中に向かわせたものと思われるが、期待通りの成果を得られたかは疑問である。

米国ではトヨタは急加速の原因を矮小化していると批判されている。最初はアクセルペダルがフロアマットに引っ掛かることを原因とし、その後にアクセルペダルそのものの欠陥を追加した。現在は電子制御スロットル(ETCS)の欠陥が追及されている。

日本では米国のようなトヨタ・バッシングはないが、商業メディアが最大の広告主のトヨタに遠慮してトヨタを批判できないとの見方がある。現実に奥田碩・元トヨタ社長は2008年11月、マスメディアの厚生労働省批判に広告引き上げで報復すると発言した。

米国メディアの記事を直接確認できるインターネット時代に米国のトヨタ批判を隠すことは不可能だが、より巧妙な情報操作に留意する必要がある。たとえば今後の主力となる新型車種プリウスへのダメージを避けるために「急加速は問題だが、ブレーキ不具合は大した問題ではない」という類のトヨタ擁護論が考えられる。

これら日米の状況を踏まえれば中国の消費者がトヨタに不信感を抱くことは自然である。北京での記者会見でも「トヨタは何かを隠しているのでないか」という疑念からの質問が目立った。「米国では大規模リコールなのに、中国でリコールされたのは多目的スポーツ車のRAV4だけ。米国と中国のユーザーへの対応で差別しているのではないか」「海外向け製品は日本国内向け製品より品質が劣っているのではないか」などである。

加害者意識は希薄だが、被害者意識だけは強い日本人は米国のトヨタ批判に感情的に反発する傾向があるが、米国人の怒りには信頼していたトヨタに裏切られたという面がある。これに対して、中国人のトヨタ批判はシビアである。中国でのトヨタは米国市場におけるほどの地位を確立していないためである。

トヨタは米国に進出して半世紀経つ。この半世紀の蓄積によって高品質神話を確立していった。ここには後を追うヒュンダイ(現代自動車)などの競合企業と比べて大きな先行者優位性がある。これに比べると自動車販売の歴史が浅い中国市場ではトヨタとヒュンダイの差は小さい。中国人にとってはトヨタもヒュンダイも関係なく、中身が重要になる。この点において中国人は高品質神話に惑わされず、トヨタの実像を公正に評価できる状況にある。トヨタが中国で信頼を回復することは米国以上に険しい道である。

 

トヨタ自動車はオイル漏れ不具合でも失策

トヨタ自動車は2010年3月2日までにオイル漏れが生じる可能性があるとして、2009年10月以降に国内外で160万台を対象にオイルホース交換などの自主改修(サービスキャンペーン)を実施していることを明らかにした。

対象車種は「カムリ」「レクサス」「エスティマ」「ハリアー」などで、販売地域は日本や米国、カナダ、中国、東南アジア、欧州と世界中に広がっている。対象車はエンジンオイル用のホースに亀裂が入りオイルが漏れる恐れがある。

トヨタはアクセルペダルやブレーキの欠陥による大量リコールが大きな問題になっている。リコール問題ではトヨタの情報開示やリコールに消極的な姿勢が「隠蔽体質」「欠陥隠し」と批判された。その教訓は今回のオイル漏れ不具合でも活かされなかった。

トヨタはオイル漏れ不具合を「安全上の問題ではない」とし、リコール(回収・無償修理)は行わず、情報開示もしなかった。しかし、米国の一部メディアが3月1日にオイル漏れの可能性を報道し、これを受けてトヨタが事実を認めた。ここでもトヨタは同じ過ちを繰り返したことになる。この経緯は「やはりトヨタは不具合情報を隠す体質ではないか」との疑念を強固にするものである。

不具合を認めた後の対応にも問題があった。豊田章男社長は2日に中国から帰国し、名古屋市内で記者団の質問に答えたが、オイル漏れ不具合に対する質問には答えなかった。「顧客にとってかけがえのない1台を守る」など表面的な言葉だけは立派であるが、不都合な事実には沈黙するならば無意味である。米国や中国での謝罪も、その場しのぎの偽りと思えてしまう。

トヨタの不具合の公表が遅れたことは客観的な事実である。そこに欠陥隠しの悪意があったかは追及されるべき問題である。新規生産分だけは改修して出荷していることから、欠陥隠しの意図がなかったとは考えにくいが(「【オムニバス】トヨタ自動車はハイラックスでも欠陥放置」)、仮に悪意がなかったとした場合も恐ろしい。

トヨタでは自社がリコール対象外と判断すればリコール対象外になると本気で考えていたことになるためである。自社の独善的な判断を社会に押し付けることができるという発想は、傲慢と形容されるべきものである。プリウスのブレーキ不具合に対する「運転者の感覚がずれている」説明は、その傲慢さの表れであり、社会から厳しく批判された。

最終的にプリウスはリコールされたために批判は鎮静化したが、リコールに至るまでの経緯は依然として批判に値する。今でも「本来はリコールまでする必要はなかった」的な負け惜しみの主張があるが、その種の擁護論こそトヨタを腐らせてしまう元凶である。プリウスのブレーキ不具合対応への真摯な総括がなければ、今回のオイル漏れのように同じような言動を繰り返してしまうことになる。

 

トヨタ自動車・豊田章男社長の謝罪は形だけか

プリウスのブレーキ欠陥など大規模リコール問題でトヨタ自動車の豊田章男社長は日本や米国、中国で謝罪した。電子制御スロットルの欠陥の有無など未解決の問題は残っているものの、豊田社長の率直な謝罪は一応の評価を受け、トヨタ・バッシングは以前よりは落ち着いた。

ところが、豊田社長の謝罪は形だけと思わせるようなトヨタの動きが報道された。トヨタは社内文書を米議会の調査官に渡した内部告発者の元従業員について、精神疾患の経歴があり、仕事ぶりが良くないという評価を受けていたという文書を報道陣に配布する予定とする(The Wall Street Journal「トヨタ、反撃に動く」)。

トヨタは内部告発者を貶めるという手段を選ばない戦術に出た。精神疾患の経歴は事実ならばセンシティブな個人情報の暴露であり、虚偽ならば中傷である。ここには保身に走る組織の醜悪さしか存在しない。問題は内部告発者ではなく、社内文書に書かれている内容である。内部告発者を攻撃することは論点そらしにしかならない。社内文書に書かれている内容が事実であるから、告発者を貶めることしかできないということになる。

日本でもトヨタは内部告発を潰し、告発者に冷たい仕打ちで報いている。全トヨタ労働組合の若月忠夫氏らは2006年の時点でコスト削減と生産拡大を追及するあまり安全性が疎かになっていると警告したが、無視された。この経緯はThe Los Angeles Timesによって報道された(Toyota workers raised safety concerns with bosses in 2006 memo)。

品質保証部門の歴代3部長が業務上過失傷害容疑で書類送検されたハイラックスの欠陥放置を受けて作成された全トヨタ労働組合「リコール問題についての要請書」(2006年10月3日)では「競争の名のもとに、安全な車づくりに欠かせない過程が結果的に軽んじられて見切り発車されているのではないか」と指摘する。これは現在の大規模リコール問題で指摘されていることと同じである。

若月氏は堤工場(愛知県豊田市)で残業中に倒れて急死した従業員の過労死認定訴訟などトヨタの労働問題に精力的に取り組む人物であるが、日本では大規模リコール問題と関連付けての報道はなされていない。日本でも報道されていない内容を米国のメディアが報道するところに、トヨタ問題に対する米国社会の真剣さが感じられる。

トヨタが内部告発者の人格攻撃に走るならば、トヨタの告発潰しの実態を明るみに出すことが有効な対抗策となる。安全性を犠牲にして利益を優先する企業体質は労働者にとっても消費者にとっても敵である。そのような企業は米国人にとっても日本人にとっても有害である。日米の労働運動・消費者運動がトヨタ問題で連帯できる点は大きい。

 

プリウスの急加速とハンドル操作不能

米国カリフォルニア州サンディエゴ近郊で2010年3月8日にトヨタ自動車のハイブリッド車・プリウスが急加速して制御不能になるトラブルが起きた。運転者が何もしていないのにプリウスのスピードが上がっていき、時速約150キロまで加速した。運転者は警察に「ブレーキが効かない」と緊急通報し、駆け付けたパトカーがスピードを落としたプリウスの前に入り、バンパーにぶつけさせることで強制的に停車させたという。

この日は電子制御スロットルの欠陥が急加速の原因であるとの指摘に反論するためにトヨタが公開実験を行っていた。トヨタにとってタイミングの悪い急加速トラブルとなった。

プリウスはトヨタの看板車種である。今後の主力となる車種であり、その欠陥は他の車種以上にインパクトがある。米国ではトヨタ車全般に対する急加速が大きな問題になっており、プリウス限定で注目されている訳ではなかった。しかし、サンディエゴでの急加速トラブルによって、プリウスが注目されるというトヨタにとって好ましくない結果になった。

一方、日本では急加速トラブルは米国メーカーの部品に起因するものとして、トヨタの隠蔽体質への批判になっても、欠陥そのものはそれほど重大視されていない。それよりもプリウスのブレーキが効かなくなるという欠陥が注目された。それはトヨタが「フィーリングの問題」と欠陥を認めない一方で、新規生産分のみプログラムを改修するという姑息な対応をしたためである。

最終的にトヨタはブレーキの問題でリコールすることになったが、新たにプリウスで走行中にハンドルが固まって動かなくなるトラブルが報道された(「走行中「ハンドル動かない」」)。問題のプリウスはトヨタの販売店無償修理され、パワーステアリング(パワステ)のモーターと制御コンピューターを交換した。報道では「リコールに相当する欠陥がこっそり修理されていたのではないか」と疑問を投げかけている。

これが事実ならば米国で批判されている欠陥隠しと同じ構図である。プリウスのブレーキ欠陥でも最初は「フィーリングの問題」と運転者に責任転嫁し、批判が高まってからリコールするという経緯を辿った。これと同じならばハンドルに問題があるとしても、批判の声が大きくならなければ対応しないのではないかと懸念される。

大規模リコール問題ではトヨタの体質が問われている。新型車のプリウスには従来と異なる独特なアーキテクチャが採用されているとしても、それを理由にプリウスの欠陥を矮小化することはユーザーの期待を裏切る逃げでしかない。プリウスが走る道路は路面が凍っていることもあるし、舗装されていないこともある。人によってアクセルやブレーキの踏み方も様々である。プリウスのブレーキ欠陥を例外扱いするのではなく、今後の主力になるプリウスへの対応がトヨタの本質を理解する鍵になる。

 

トヨタ自動車の大規模リコール問題の課題

トヨタ自動車の大規模リコール問題は一向に収束する気配がない。米国ではカルフォルニア(2010年3月8日)とニューヨーク(3月9日)で立て続けにプリウスが急加速する事故が起きた。

日本では3月12日にトヨタ車体富士松工場(愛知県刈谷市)の製造中のプリウスの中で機関従業員が硫化水素自殺したとみられる事件が起きた。これはリコール問題と直接関係するものではないが、トヨタにとってはイメージの悪い事件である。

第一報が報道された時点では自殺の原因が明らかにされていないが、わざわざ工場内で製造中のプリウスの中で死亡していることから、自殺の背景に労働問題が関係していないかが確認ポイントとなる。死者が非正規労働者(期間従業員)であることも労働問題への連想を補強する。この点で安全性よりもコスト削減を優先したという大規模リコール問題でのトヨタ批判と結び付けられる可能性は十分にある。

大規模リコール問題で対応が後手に回ったトヨタが批判されることは当然である。一方でリコール問題は社会の側にも課題を突きつけた。リコール制度はメーカーの自発的な申告による性善説に基づいている。しかし、トヨタの対応はリコール制度の前提を破壊するものである。

たとえばトヨタはプリウスのブレーキ欠陥を当初は「フィーリングの問題」と運転者に責任転嫁し、批判を浴びた後でリコールした。苦情の声が小さければ欠陥があっても「運転者のミス」で片付けてられてしまう危険がある。そのためにリコール制度の見直しが俎上に載ることは自然な流れである。

既に2月15日の衆議院予算委員会において、穀田恵二議員が「リコールの判断を会社の自主性任せにしていることが最大の問題」と指摘し、国の調査体制の強化を求めた。これを受けて、前原誠司・国土交通相は「大変建設的な御意見だと思います」とし、「改善すべきところは改善すべきだと思いますので、少し検討させていただきたい」と答弁した。

その後、前原国交相は2月23日の閣議後会見で「トヨタが国に対して情報をしっかり伝えていなかった」と述べ、リコール制度の見直しを言明した。具体的にはメーカーからの情報収集体制や国独自の技術検証、国からのリコール勧告制度の強化・充実を挙げる。

穀田議員はリコールの判断をメーカーの自主性任せにすることを問題視する。これに対し、前原国交相の見直し案はメーカーが自主的に情報を集めて対応するという枠組み内のものであり、両者には温度差がある。

耐震強度偽装事件でも特定行政庁や確認検査機関が構造計算書の偽装を見抜けなかった言い訳に性善説が持ち出され、制度改正となったが、改正内容に対しては根本的な対策になっていないとの批判も根強い。リコール制度の見直しでは同じ轍を踏まないように議論が尽くされることを期待する。

 

トヨタ自動車リコール問題で米中に消費者保護の動き

トヨタ自動車の大規模リコール問題に対し、米国と中国の当局による消費者保護の動きが活発化している。

米国ではカリフォルニア州オレンジ郡の検察当局が2010年3月12日、トヨタ自動車が不意に急加速する欠陥車を承知の上で販売していたとして、制裁金を求める訴えを同郡上級裁判所に提起した。トヨタは2002年から10年までに欠陥を認識しながら情報を隠して販売したことにより、事故で犠牲者を出し、トヨタ車の価値下落で保有者に経済的損失を負わせたと主張する。

中国でも浙江省工商行政管理局が3月15日に声明を発表し、トヨタ自動車にリコール対象車の所有者への補償を求めた。中国では修理を受けるためにはトヨタ車所有者は自らリコール対象車をディーラーまで運転しなければならず、交通費などの支出も自己負担で代車も提供されていないとする。

トヨタによる修理中のリコール対象車所有者への交通費負担はニューヨーク州司法長官の要請により米国で行われている措置である(「ニューヨーク州司法長官のトヨタ被害者救済活動」)。中国の消費者にはトヨタが中国ではサービスの質を落としているという不満が強い(「トヨタ自動車・豊田章男社長が中国でも謝罪」)。その意味で浙江省の要求は中国消費者の思いを代弁したものである。

米国と中国の地方自治体が共に消費者保護のためにトヨタを追及している点が興味深い。日本人は米国と中国を正反対のベクトルと考える傾向にある。その結果、米国との関係を深めれば中国とは疎遠になり、中国と関係を深めれば米国と疎遠になるという二者択一的なものと考えてきた。

古くからの「脱亜入欧」や「アジア主義」という言葉が二者択一を象徴している。最近では鳩山由起夫首相の東アジア共同体構想に賛否両論が噴出したが、これも米国を選ぶか中国を選ぶかという二者択一を前提としている。しかし、米国、中国、日本と三国を並べてみると、むしろ日本の異常性が際立つ。

近代日本は身勝手な脱亜入欧やアジア主義をスローガンにして他国への侵略を正当化した。これに対して米国と中国は連合国として、日本の侵略に共に立ち向かった。日本には中国の歴史認識の特異性を主張する向きがあるが、従軍慰安婦問題について米国下院が2007年7月30日に日本国首相に公式な謝罪を求める決議を採択したように、歴史認識で浮いている国は日本である。

トヨタ問題では米国も中国も消費者意識や行政機関の活動は活発である。日本だけが消費者意識も行政機関の動きも鈍い。プリウスのブレーキ問題では2009年7月に千葉県松戸市内で走行中のプリウスが信号待ちの車に追突して計4台が被害を受け、2人が負傷する玉突き事故が起きており、日本国内にも怒るだけの理由はある。トヨタ問題に怒らない日本は、米国と中国のいずれを選択するかという立場どころか、米国からも中国からも異質な国とされかねない。

 

トヨタ自動車のリコール問題は、だまし売りが争点に

プリウスのブレーキ欠陥などトヨタ自動車の大規模リコール問題は、米国ではトヨタが欠陥を認識していながら販売していたという「だまし売り」が争点となりつつある。

リコール対象車の中古価格下落に対する損害賠償を求めた集団訴訟では消費者(原告)側はトヨタが意図しない急加速など車両の欠陥を隠し、反対に安全性をアピールして販売したと主張し、経済・組織犯罪を取り締まるRICO法(Racketeer Influenced and Corrupt Organization Act)違反との主張を加えた。

RICO法では不正行為によって損害を与えた企業に対し3倍の賠償責任を負わせることができるために、トヨタの賠償額が拡大する可能性が出てきた。訴訟を担当するティム・ハワード弁護士は賠償請求額が総額100億ドルを超える可能性があると述べる(「トヨタの米集団訴訟、賠償責任が拡大する可能性」)。

この報道では賠償額の拡大が注目され、トヨタの株価にも影響を及ぼした(「トヨタが後場軟調推移、米集団訴訟で賠償請求額拡大の動き」)。2010年3月18日のトヨタの株価は後場で売られ、終値は前日終値から50円安い3530円まで下がった。

一方でトヨタが欠陥を認識していながら隠し、反対に広告で安全性を謳って自動車を販売したことを問題とする論理構成も注目に値する。既にカリフォルニア州オレンジ郡の検察当局も2010年3月12日にトヨタを提訴したが、そこでも不意に急加速する欠陥を隠して販売していたことを問題とする(「トヨタ自動車リコール問題で米中に消費者保護の動き」)。

欠陥の責任追及では企業が技術論に逃避できるという落とし穴がある。典型例がプリウスのブレーキ欠陥に対するトヨタの当初説明である。ブレーキが効かないことが2系統のブレーキ(油圧ブレーキと回生ブレーキ)などハイブリッド車独自のアーキテクチャから正当化され、「運転者の感覚がずれている」と運転者に責任転嫁した。

しかし、運転者にとってブレーキは一刻も早く停車させることが目的である。運転の基本機能であるブレーキが効かないことは大問題である。僅か1秒でもブレーキが効かない間に車は進み、事故になる。これはまさに安全性の問題である。このようにメーカーの技術論の土俵に乗っかってしまうこと自体が消費者にとって危険である。

その点で欠陥問題に深入りせず、欠陥を認識しながら隠して販売したという「だまし売り」アプローチは責任追及の手法として優れている。たとえばメーカーは「保安基準には違反しないから説明しなくても問題ない」という類の言い訳をすることが予想される。しかし、「だまし売り」アプローチでは保安基準に該当するか否かは関係ない。消費者の購入判断に影響を与える情報であるかが問題である。そのような情報を販売時に説明せず、反対にプラス情報(安全性)をアピールしていたならば立派な「だまし売り」である。

メーカーのごまかしを封じ込めることができる「だまし売り」アプローチは消費者運動にとって有用である。米国と日本の法制度は大きく異なるが、米国の考え方から学べるものは多い。

 

フェイルセーフに欠けたトヨタ自動車の傲慢

トヨタ自動車の大量リコール問題ではトヨタの隠蔽体質や後手に回った対応が批判されているが、その一方で運転者側のミスを主張する声もある。

元々、トヨタはプリウスのブレーキ欠陥について「お客さまの感覚と車両の挙動がずれている」と運転者に責任転嫁した。これは世論の反発を招き、トヨタはプリウスのリコールを余儀なくされた。ところが、米国ニューヨーク州でプリウスが壁に衝突した事故が地元警察から運転ミスと発表されるなどによって、「運転者が悪い」論は勢いを取り戻しつつある。

しかし、運転者にミスがあろうとなかろうとメーカーは安全な自動車を製造しなければならない。運転者にミスがあるから、事故が起きても構わないという発想自体が、ものづくりにおいて致命的である。反対に障害が発生することを予め想定し、起きた際の被害を最小限にとどめるように工夫する必要がある。この設計思想をフェイルセーフという。

トヨタ車の意図しない急加速はフロアマットがアクセルペダルに引っ掛かることやアクセルペダル自体の欠陥などが原因とされる。これらの原因を取り除くことは正しい問題解決のアプローチである。しかし、意図しない急加速の苦情は多く、全てが解析済みの原因で説明できる訳ではない。電子制御スロットルの欠陥が別の原因として指摘され続けているのも、このためである。

安全性を高めるためには、原因追及・原因除去のアプローチと並行して、アクセルペダルが戻らなくなった場合でも、暴走を回避する対策を検討すべきである。その対策となるものがブレーキ・オーバーライド・システム(BOS)である。これはアクセルとブレーキが同時に踏まれた際に、ブレーキの動作を優先する仕組みである。

急加速事故ではブレーキを踏んでも減速しなかった(「「トヨタ自動車は恥を知れ」被害女性が公聴会で証言」)。もし問題のトヨタ車にBOSがあれば危険を回避できた可能性がある。トヨタ問題が発端となって、日米の監督官庁がBOS義務付けの検討を開始したことは妥当である。

既にフォルクスワーゲンなど多くの自動車メーカーではBOSを標準装備している。この点でもトヨタは後手に回っていた。だからこそ深刻なリコール問題に見舞われたと位置付けることができる。「運転者が悪い」論がトヨタの擁護になると考えているならば、トヨタは製造業として大切なものを失っていることになる。

 

トヨタ自動車を提訴した弁護士のエスプリ

トヨタ自動車の大規模リコール問題は、法廷闘争という新たな舞台に移った。トヨタ自動車に対しては全米で200件を越える訴訟が提起されている。

訴訟の原告は意図しない急加速事故の被害者・遺族やトヨタ車の所有者である。トヨタ車の所有者はリコールにより車の市場価値が下がったことによる損害賠償を求める。また、欠陥を認識しながらトヨタが販売を続けたことを詐欺であると主張する。

これら多数の訴訟の併合可否を決定するための初審理がカリフォルニア州サンディエゴの連邦地裁で2010年3月25日に開かれた。審理には原告側の弁護士24人とトヨタ側の弁護士が出席した。当事者の多くは個別の審理は冗長で手続きを長引かせるとして、一括審理を希望した。

しかし、どの裁判所が審理を併合するかについては見解が分かれた。トヨタ側の弁護士は米販売子会社に近いロサンゼルスの連邦裁判所での併合を求めた。一方、原告側の弁護士からはオハイオ州やミネソタ州など様々な場所が主張された。審理が併合されると代理人となる弁護士が限定されるために、原告弁護士間では主導権争いが繰り広げられている。

消費者の権利回復のために立ち上がった原告弁護士の中で、知名度の高い存在がティム・ハワード弁護士である。そのハワード氏がトヨタ問題への意気込みを語った。ハワード氏はトヨタ自動車のリコール隠しを「自動車産業が成立して以来、最大の不正行為である」と断罪した。そして「トヨタ問題はタイガー・ウッズの評判の失墜に似ている」と付け加えた(US court to rule on Toyota accelerator lawsuits)。

当然のことながら、トヨタ問題とウッズの不倫スキャンダルは性質の異なる問題である。しかし、その異なる性質の問題を結びつけたハワード氏のセンスには妙味がある。ウッズのスキャンダルの発端は、ウッズが運転する車が自宅前で起こした衝突事故であった。これは現象面ではトヨタ車の急加速事故とイメージが重なる。

また、ウッズのスキャンダルは欲望というアクセルが暴走した結果であった。これもトヨタ車の急加速による暴走と重なる。しかも、トヨタ問題の本質はコスト削減・利潤追求という欲望が暴走した成れの果てである(「トヨタ自動車の大量リコールとコスト削減」)。

企業責任の追及では、企業の説明する技術論の土俵に乗っかってしまうのではなく、だまし売りの不誠実さを責めることが有効である(「トヨタ自動車のリコール問題は、だまし売りが争点に」)。その意味でウッズのスキャンダルと結びつけるハワード氏のセンスはエスプリが効いている。

 

トヨタ自動車への高額制裁金は米国社会の健全性の証

トヨタ自動車の大規模リコール問題に対し、米国のラフード運輸長官は201045日に「トヨタが意図的に欠陥を隠した」として、16375000ドル(約154000万円)の制裁金を科す方針を発表した。これは米国政府の自動車メーカーへの制裁金としては過去最高額になる。

ラフード長官はトヨタが20099月時点でアクセルペダルが戻りにくくなる不具合を把握していた内部資料があると指摘した。ところが、トヨタのリコール発表は20101月であった。トヨタは車の欠陥を知りながら少なくとも4カ月間にわたってNHTSA(高速道路交通安全局)への報告を怠り、安全のための適切な対応をしなかったことになる。これは不具合の認識から5営業日以内の報告義務を定める法令に違反すると認定した。

今回の制裁金はアクセルペダルが戻りにくくなる不具合に関してのものである。他の意図しない急加速問題やプリウスのブレーキ不具合でも法令違反が認定されれば、制裁金は増える可能性がある。

最高額の制裁金とは裏腹にトヨタ・バッシングには揺り戻しの動きがある。米国ABCテレビはニュース番組で電子制御スロットルの欠陥による急加速の検証映像を放送したが、そこに編集ミスがあったことが明らかになった。また、トヨタ車の急加速事故の一部について、ブレーキとアクセルの踏み間違えが原因である可能性も指摘されている。

このようなタイミングであっても、トヨタに過去最高額の制裁金を発表するところに米国社会の健全さがある。トヨタが意図的に欠陥を隠したという「リコール隠し」が制裁金の理由となっている点がポイントである。

欠陥を報告しないことは、欠陥が些細なものか重大なものかということは別次元の重大な問題である。たとえ些細な欠陥であっても、それを理由に欠陥隠しに寛大な姿勢を見せれば、重大な欠陥にも報告しなくなる。それ故にリコール隠しを理由とする高額の制裁金は正当化される。

これは日本にも当てはまる。日本では大規模リコールの中でもプリウスのブレーキ不具合が関心を集めた。当初、トヨタは「お客様の感覚の問題」として、不具合の存在を否定した。その一方で新規生産分だけはプログラムを改修した。しかし、トヨタ批判が高まり、最後にはリコールを余儀なくされた。この経緯は上述のアクセルペダルのリコールと重なる。

「ブレーキを強く踏めば、やがて車は止まる」との説明は、それが事実であったとしても消費者を欺くものである。ブレーキは効くか効かないかという二者択一的なものではない。ドライバーはブレーキの踏む強さで停車速度を調節する。プリウスに限って、強く踏まなければブレーキが効かないという制限事項があるならば最初から明らかにしなければならない。問題が起きた後で「強く踏めば止まるので不具合ではありません」は欠陥隠しの言い訳に過ぎない。

消費者意識が未熟で社蓄根性が強い日本では、消費者の被害よりも、不祥事企業の営業縮小で影響を受ける従業員への同情や共感が優先しがちである。また、安易に過去を水に流してしまう日本人は、それまで不誠実な対応を繰り返されても、最後に一定の対応がなされたならば最後の行動だけで評価するという近視眼的な傾向がある。しかし、火事に際して目の前の火を消すことしか考えず、鎮火すれば「良かった」で終わらせてしまうような日本的発想では反省も教訓の獲得もない。日本社会が米国に学ぶべき点は多い。

 

書評

『蘭陵王』の感想

本書(田中芳樹『蘭陵王』文藝春秋、2009930日発行)は中国の南北朝時代を舞台にした歴史小説である。著者はスペースオペラ『銀河英雄伝説』やライトノベル『創竜伝』で有名であるが、中国史にも造詣が深く、著作には中国の歴史小説も多い。

日本人の中国史への関心は非常に偏っている。三国志への関心が圧倒的に高く、残りが春秋・戦国時代で占められると言っても過言ではない。他は遣隋使・遣唐使や元寇、日中戦争のように日本史との関係で語られる。中国の悠久の歴史を踏まえると、この状況は非常にもったいない。

これは著者の問題意識でもあり、伝説的な女性武将・花木蘭(ディズニー映画「ムーラン」のモデル)を題材にした『風よ、万里を翔けよ』、中国最大の英雄・岳飛を描いた古典「説岳全伝」の編訳『岳飛伝』などを発表している。本書の主人公・蘭陵王(高長恭)も日本では雅楽・蘭陵王(陵王、蘭陵王入陣曲)以外には知られていない悲劇の武将である。

その蘭陵王の半生を軸に隋の統一へと向かう南北朝時代末期の動乱を描く。本書の特徴は正史に依拠している点である。正史とは国家が正式に編纂した王朝の歴史書である。編纂当時の王朝の正当性を示すために、前の王朝の君主が必要以上に悪く書かれることもあるとされる。

本書でも引用した正史により、蘭陵王が仕えた北斉の君主の暴虐や佞臣の専横がウンザリするくらいに書かれている。史料批判の立場からは北斉を貶めるための記述と割り引いて考えるべきとなるが、その記述には編纂時の王朝を賛美する目的よりも、権力そのものの醜悪さへの反感が感じられてならない。中国の史書には諫言によって理不尽にも罰せられた司馬遷(『史記』編纂者)に象徴される反骨精神の伝統がある。それ故にこそ多くの作品で権力に批判的な記述を繰り返している著者が正史を積極的に引用していると考える。

本書では正史に依拠することで、日本で使われている故事成語の誤解も指摘する。たとえば大本営発表で使われた「玉砕」という言葉は「死んでも節操を守る」という意味であって、「敗北」や「全滅」の意味は全くない(84ページ)。日本人の歴史歪曲や歴史美化は世界から批判されているが、中国人の歴史への真剣さに学ぶべきである。

本書は正史に依拠した「固め」の歴史小説である一方で、道姑(女道士)・徐月琴という架空のヒロインを登場させることで「軽さ」も出している。徐月琴は山中で修行していた設定であるため、社会の動きを知らない。そこで徐月琴を都に呼び寄せた父親の徐之才が北朝の歴史を説明する。これは南北朝時代の歴史に疎い読者に対する説明にもなっている。

有能な皇族や臣下が暴君の嫉妬や奸臣の讒言によって次々と虐殺される暗澹たる状況の中で、明朗でユーモア精神に富み、辛辣な皮肉も口にする徐月琴の存在は物語を華やいだものにする。蘭陵王は知勇兼備の武将であり、外敵には果敢に戦った。しかし、国内の政治の乱れには無力であり、改善しようともしなかった。そのために蘭陵王のみの視点では、やりきれなさが残る。徐月琴が言いたいことが言うことで、現代人も楽しめる小説に仕上がった。

 

【書評】『ミート・ザ・ビート』の感想

本書(羽田圭介『ミート・ザ・ビート』文藝春秋、2010年2月10日発行)は表題作と「一丁目一番地」の2篇の小説を収録した書籍である。表題作は予備校生を主人公とし、地方都市の若者の生活を描いた小説である。第142回芥川賞候補作となった。

予備校生ベイダーは自動車生活が当然という地方都市で、受験勉強しながら建設現場のアルバイトもしている。受験勉強よりもバイト仲間との交友に比重が傾きつつある生活を送っている。ホストもしているバイト仲間のレイラから軽自動車のホンダ・ビートを譲られることで彼の日常が変わっていく。

日本には一流大学を出て一流企業に就職することを目指す風潮があった。ベイダーは、そのレールに乗ることを目指している存在である。そのような固定的な価値観では、建設現場で働くフリーターであるバイト仲間は負け組である。

しかし、昼間は現場でのアルバイトで稼ぎ、夜はホストクラブで稼ぐレイラは既に金も女も手に入れている。ベイダーは「大学進学後、優良企業に就職し、金を得てから女も得るなんていう回りくどい道のり」の長さを思ってウンザリする。たとえ生涯賃金は少なくても、興味を持った仕事をぱっと始め、良いと思った女性にすぐに話しかけられる初速の速さに憧れる(17頁)。

ここには若年層の心理が見事に表れている。自分達の過去の体験でしか考えられない大人とは異なる。しかも今や一流大学を卒業しても就職できるとは限らない、一流企業に就職しても働き続けられるとは限らない時代である。勉強に目的意識を持てないとしても無理はない。大人が自分の学生時代を引き合いに出して、学生に「勉強しろ」と言ったとしても、若年層には響かないことを認識する必要がある。

同じ著者の過去の作品「走ル」は高校生が自転車で北へ向かうロード小説であった。本書に同時収録された「一丁目一番地」の主人公はジョギングする。疾走感が著者の小説の特徴になっている。本作品もビートを走らせている時の描写が細かく、クルマにかける青春小説の趣がある。

一方で日常から離れてクルマに没頭する訳でもないというところが作品世界の奥深いところである。ベイダーにとってビートはバイト仲間との交友の幅を広げるものであった。「走ル」の高校生も学校をサボって北へ向かうが、新たな出会いがある訳ではなく、高校の友人と携帯で連絡をとっている。非日常的な疾走間と繰り返される日常とのつながりという、相反する世界が同居した作品である。