長野県松本市で1980年に生まれました。いわゆる松坂世代です。もともと農業に関心があったわけではなく大学では世界遺産とか考古学の勉強をしていました。(土に関わるという意味では少し似ていますが)就職活動するものの自分の中で見出せるものがなく1年間フリーター生活。その間偶然アメリカ、カナダに行く機会に恵まれました。この時何軒かの大豆を生産する農家を訪れました。そして、帰国後私の中に沸いたのは農業への関心というより外国の暮らしへの憧れでした。当時やりたいことも見つかっていない私にとって何かを打ち破るきっかけになるのではと思ったのです。

とにかくなんの考えもなくビザを取りやすかったカナダ行きを決めました。期限は1年間でした。バンクーバーに到着するもののそもそも目的もなかったためどうしてよいかわからず、焦り、1週間もすると帰りたくなりました。それでも何か動かなくてはと思い、出発前に紹介してもらった現地の方に連絡すると、ブルーベリーの収穫の仕事を紹介してくれました。オーナーはインド人。働いている人はインド、中国、タイ、メキシコなど多国籍。本当にここはカナダか?と思ったほどです。
2日後偶然一緒に働いた、カナダ人とタイ人のご夫婦に私はホームステイをお願いしました。バンクーバーからその農場は遠いし、お金のこともあったからです。慣れない英語で突然交渉スタートです。最初はそのご夫婦も驚いていましたが何とか交渉が成立し、その翌日からは3人でブルーベリーの収穫をしていました。そんな日々が1月半くらい続きました。いつまでもブルーベリーの仕事があるわけでもなく次のことを考えていました。このころから農業にすこしづつ関心が向かっていました。そこで次の滞在先は農家にしようと思いました。そこでWWOOFという制度を利用することにしました。WWOOFとは登録農家の家でお世話になる代わりにこちらは農作業を手伝うというものです。(日本にもあります)滞在費はかからない上に農業を経験できる、まさに1石2鳥でした。リストを手に入れていたのでいくつかの農家に交渉し、1軒の農家が滞在をOKしてくれました。それまでお世話になったご夫婦とはここでお別れです。とても親切で家族のように接してくれました。奥さんのタイ料理もおいしかったです。敬虔なクリスチャンで人生で始めて教会というところで祈りましたが貴重な経験でした。本当に感謝しています。
そして、今度は海沿いの温暖な地方へと行きました。その農家は野菜と家畜の複合農業でした。(この後訪れた農家もこういうスタイルが多かったです)野菜の残渣を家畜が食べてその糞尿を堆肥として野菜を作る。牛やヤギのミルクが毎日ある、鶏が新鮮な卵を産む。りんごやプラムでジャムを作り、パイを焼く。この小さな農場で起こる循環(サークル)がとてもきれいで、そして、その生活が心地よく私には衝撃的でした。この時から自分も農業をしたい、自分もこういうライフスタイルを日本で再現したいと思うようになりました。
その後何軒かの農家を訪れ最後にたどり着いた農家では長期にわたりお世話になりました。春先の羊や牛の出産、野菜の苗の植え付けに始まり、秋の収穫祭まで過ごしました。この農家はカナダ人と日本人のご夫婦で、ご主人はとても陽気なカナダ人でした。そして、日本人の奥さんには特にお世話になりました。ビザの延長や畑のこと家畜のことなどを教えてもらいました。(奥さんはかつて日本で養豚場で働いていたことがあるそうです)そして、農業もいいなぁ〜がこのカナダ滞在期間で農業で生計を立てたいに代わったのです。

当初1年間の滞在予定は半年伸びて私は2006年秋に帰国しました。
帰国後私が最初に出会った農家が安曇野市三郷でりんごを栽培しているご夫婦でした。ここが私の日本での出発点になりました。ちょうどりんごの季節だったこともありりんごの作業を見せていただきながら、そのご夫婦が就農するに至った経緯や今の状況などを聞きました。そして、何軒かの農家さんを紹介していただきました。そして、季節は冬になろうかというころ、知り合った農家さんたちの1人に冬、日本酒を造る仕事を紹介していただきました。農業を始める上でお金も必要であるし、菌を扱うこの仕事は農業にも活きるということを聞いて働かせていただきました。日本酒造りは想像以上に肉体労働でしたが、非常に興味深いものでした。その一方で、どうやって農業を始めたらよいのかということはわからずにいました。そんな折その酒蔵で一緒に働いていたかたからのちに師匠となる方と現在も栽培をはじめ農業に関する多くの学びの機会を与えてくれている方(波田でスイカを栽培している農家さん)を紹介していただきました。小さなカフェに非常にユニークな人たちが集まっていてその中にそのお二人がいました。お二人とも新規就農者で実体験を交えながらいろいろアドバイスしてくれました。そして、酒蔵が終わろうとしていたころ私は師匠に農業を教えて欲しいと何も考えずストレートに話しました。そんな突然の申し出にも関わらず師匠は快諾してくれました。こうして、少しずつ道が見えてきました。そのシーズンで私は改めて農業の楽しいところだけでなく厳しさも教えてもらいました。栽培はもちろん、袋詰めして、値段をつけて納品。あるときは商品を引き上げて廃棄しなくてはいけないこともありました。栽培、販売の両面から本当に勉強になりました。時を同じくして、この時もう一つ出会いがありました。家庭菜園を人に教える、家庭菜園アドバイザーのかたとの出会いです。自分でも少しだけでも野菜を作りたいと思い週に1,2回ですが教えていただきました。こういうところで学べたのはよい機会でしたし、それを認めてくれた師匠にも感謝しました。時は流れてその年の秋偶然にも土地を借りれるチャンスに恵まれました。2006年秋でした。

そして、ついに2007年より自分の畑にて野菜を作り始めました。栽培に関してはまだまだですが、前述した波田のスイカ農家さんがその機会を今でも多く与えてくれています。販売に関しては安曇野市三郷で合鴨でお米を作っている方や周囲の方のおかげでスーパーや飲食店をはじめ多くのチャンスをいただいています。ここまでたどり着けたのは多くの出会いとその方たちの支えや言葉だと思います。これからもそういう縁を大切に少しずつ進んでいきたいです。
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