
第17回奥州涌谷金俳句全国大会記念講演
平成19年9月1日
宮城県・涌谷公民館
演題 「俳句―未完成の魅力」
一 はじめに
菅原鬨也でございます。今日の演題を「俳句−未完成の魅力」としましたのは、ただいま私を紹介してくださった司会の高橋彩子さん(涌谷町教育委員会)から電話をいただきまして、「事前の印刷物に必要なので、演題を最初に教えてくだい」とのことでした。ちょうど、私の机の上に「滝」の人の投句がありまして、そこに、
春の虹ロダン未完の地獄門 森田 美乗
という句があったものですから咄嗟にこの〈未完〉がいいと思ったのです。思いつきですね。で、「俳句の未完成」だけでは不十分な感じがしたものですから、その下に、恰好をつけて「未完成の魅力」としたのです。題はつけてみたものの、若干、勉強をしてみて、ロダンの地獄門と俳句のつながりはおろか、いろいろ考えてみたんですが、どうも演題にふさわしい話ができそうにない。困ったので、彩子さんと二度目の電話のとき、「彩子さん、羊頭狗肉というか、演題と話す内容が異なることになりそうなので、詐欺行為で涌谷警察署の人に逮捕状を用意して来てもらっておいてくれませんか」、と冗談申しあげました。でも彩子さんもたいした人で「ああ、講演って、大抵そんなものですからご自由に話して、煙にまいてください」って言うんですね。ああそうか、煙にまけばいいのかと、電話を置きました。しばらくして、煙にまいたら、警察署の他に消防署も必要だなあと思いました。どうぞ皆さん、火傷しないように聞いてほしいと思います。
よく〈俳句は下手でいい〉なんて言われますが、未完成と下手な俳句は紙一重、ちょっと違うんですね。しからば未完成とはどういうことなのか。レジメにも書いておきましたが、仁平勝さんが『俳句の射程』(富士見書房)の中で高橋睦郎さんとの対談の場面を紹介しています。
仁平さんが「句というのは、要するに歌の一部ですよね。だからもともと完成していない」という発言に対して高橋睦郎さんがこう応えます。「そうですね。完全性を追求す
る不完全性であるということ。しばしばそれが完全性であると思ってつくっているよりも、その希求の力によって、さらに大きなものを含み込んでいるということですね。」
仁平さんは、はたと俳句は基本的にそういうものなのだ、要するに、完全性を希求する、追い求める不完全性、その自立しないことが俳句の価値なのだと納得するんです。
自立しないということ、非自立性ということ、それを未完成と言っていいかと思います。しからば未完成の魅力とはどういうことなのか。私なりにいくつか、例を考えてみました。
二 未完成とその効用(例として)
1 短い手紙
世界で一番短い手紙は、ヴィクトル・ユーゴが『レ・ミゼラブル』を出したとき、出版社に「?」というマークだけを書いて出した。それが、一番短い手紙ということになっていますね。日本での一番短い手紙はというと、これは手紙ではないんですが、昭和四十七年、南極越冬隊員に家族からそれぞれ新年のいわゆる元旦のメッセージを打電しました。その中の新婚の奥さんが隊員の夫に「アナタ」と、それだけを書いて打電したそうです。それが南極越冬隊員に大きな感銘を与えた。その三文字に万感の思いを込めたんですね。夫を慕う気持ち、自分の切なさが十分すぎるほど表されていますね。南極だから言うのではありませんが、言ってみれば「アナタ」は氷山の一角、その下の巨大な氷山、膨大な氷の量、それがつまり「アナタ」に秘められた情報量と考えられるわけです。もしこの三文字の後に「お元気ですか。私も元気です」などと書いたら、それだけの情報になってしまいます。「アナタ」以外、何も言わなかった、それが完全性へ向かう、完全性を求めた不完全性です。
2 菩薩とは
もう一つ、これは太田義文和尚さん(本大会の実行委員長)のいる前で話しにくいのですが、日本にはたくさんの仏様がいます。如来、菩薩、明王、天などさまざまで、それぞれ信仰を集めています。そこで、「菩薩」について話したいと思います。仏教のことですから、見解が一様ではありませんが、私は菩薩をこのように理解しています。菩薩と言えば観音さま、観世音菩薩がいちばん身近に感じられますね。そもそも菩薩というのは、一度、仏(如来)として完成したのです。悟りを完成したんですね。ところが、一ランク下げて、といっても限りなく最高位に近いのですが、自分は修行を続ける身になって衆生(私たち人間)の近くにいたい、そう考えたんですね。そうでないと衆生を教化したり救済することができない。つまり、ご自身を永遠に修行する身にしたのです。修行する身とは、完成に向かう未完成の姿ですね。
チベットなどは観音信仰ですから、一口に観音さまと言っても理解の仕方が異なりますけど、未完成であることによって可能性を秘めたことに違いはないと思っています。殊に観音さまは「音を観る」と書きます。衆生の声を聴いていたのでは遅い、その声を目で見て素早く対応するということでしょう。その姿は三十三の姿に化身するとか、千手観音などは、千の手で救うなどとも言われています。ですから菩薩は如来の脇侍(きょうじ)という立場を取る場合があります。阿弥陀如来の脇侍は観音菩薩、勢至菩薩、薬師如来には日光菩薩、月光菩薩、釈迦如来には文殊菩薩、普賢菩薩といった具合に如来の両脇に付いています。
話が飛びますが、私の二番目の師・岡井省二は、「これまでの俳句はあまりにも顕教に過ぎた。今、求められるのは生を宇宙真理とする密教の世界、両者を一如とした表現体が求められる」といったことを主張していました。これは未完成を完成に近づけようとする省二独自の俳句観なのです。
3 甲子園
涌谷で本日の俳句大会の準備が整ったころ、昨日(8月31日)、仙台ではプロ野球で田中将大(楽天)が十勝目を挙げました。高卒ルーキーの2桁勝利達成の速さでは記録を塗り替える快挙でした。しかし、田中や江夏や松坂は別格です。甲子園における高校野球の魅力はプロでも通じるようでもとても追いつけない。そこにあります。プロの一歩手前、いや二歩も三歩も手前だけれどもプロの選手よりも、大きな可能性を秘めているというところにあります。
今年の夏の甲子園の決勝は劇的でした。広陵−佐賀北戦で広陵が真紅の優勝旗をほぼ手にしたと思ったのですが、まさかの逆転満塁本塁打。打ったのは佐賀北の副島浩志。ホームランバッターではありませんでした。しかもホームランになりにくいボールを採用した今大会最後の本塁打でした。副島は頭の中が真っ白だったと言っています。無欲無我、未完成が秘めた能力、いや、それ以上のものが未完成にはあり、考えられない力を発揮するということです。
他に、ダ・ヴィンチは最後まで「モナリザ」に筆を入れていたとか、音楽では未完成交響曲があるとか、陽明門は完成を表すと崩壊が始まるということでわざと一本の柱はだけ逆さにして未完成を表したとか、冒頭に申し上げましたロダンの地獄門だとか、その他、たくさんの文学作品の未完成が挙げられますが、次に具体的な俳句を挙げていきたいと思います。
三 曖昧性ということ
1 感慨や感銘の共有性
これから、具体的な俳句を挙げながら、未完成とその魅力を探っていくわけですが、俳句は基本的に言葉で作られるということ。当たり前じゃないかと言われればそうですが、これは本当に重要なことなんです。何で見聞きしたかは忘れましたが、ブラジルの日系一世か二世のおばあさんが、〈周りが日本語の中で死にたい〉と言ったそうです。自分が喋れない状態になっても、聴こえない状態になっても周囲が日本語だという安心感の中で死にたいという気持ちは、痛いほど分かります。言葉とは空気と同じほど重要な人間の命なのです。宗教学者の山折哲雄氏は〈日本人は七五調で呼吸している〉などと言っているほどです。
しかし他方、これほど脆いものもないのです。互いのコミュニケーション手段のはずの言葉はとても脆弱でその機能を十分発揮できないことが多いのも事実です。俳句のように短い詩形ではそれが顕著に表れます。例えば、
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
という有名な句がありますね。これを読んだ人は、明治の街のガス灯を思い浮かべる人もいるでしょう、人力車に乗った花街の女性を思う人もいるでしょう、日清、日露戦争を思い浮かべる人もいますね。明治天皇を思う人もいます。まあ、明治の世相、人情、町並みなど、人それぞれ数え上げれば際限がないほどです。このようにさまざまなものを包含するというのは未完成の魅力でもあります。ところが、人によって思い浮かべるものはさまざまで容易に一致しません。他の人も自分とたぶん同じようなことを想像しているのだろうと錯覚しているにすぎないのです。
それでも私たちは「ああ、この句はいいなあ」と思います。それは個々の具体的な事柄よりもまず「明治は遠くなりにけり」というフレーズに感銘し、言い知れぬ感慨を覚えるからです。この点で私たちは感慨を共有できるのです。そこが散文などとは根本的に違うところです。そして「降る雪や」という詠嘆と同時に表出される雪の降るさまを思い、過去のことに耽る状況を共有できるのですね。もう一つ。
さまぐなこと思ひ出す桜かな 芭蕉
という句がありますけど、これには前書きがあります。詳 しいことは省きますが、前書きはほぼ同じでも出典によって少しずつ違います。ここでは『笈日記』の〈故主蝉吟公の庭前にて〉を掲げておきました。芭蕉は伊賀藤堂藩士の藤堂新七郎良忠という人に仕えました。良忠は蝉吟(せんぎん)という俳号をもつ俳人で芭蕉はこの人に俳諧を学んだのです。蝉吟は若くして亡くなったので、主君の生前からあった同じ桜を見て、桜にまつわる思い出に耽っているという句ですね。これもどんなことを思い浮かべていたかは書いていない。そこが未完成なのですが、桜といえば日本人には特別な思い入れがありますので、こうした句も享受することができるのです。
2 言葉と時代
今、挙げた二句についてだけでも既に文法的な問題があることにお気づきだと思います。一つは「降る雪や」の句では、「や、けり」の切字が二つ使われていること。「桜かな」の句では「思い出す」のあとに「桜かな」がきていること。切字が二つあることについては「抱え字」という技法があることで説明がつくのですが、やっかいなのは中七の述語〈連体形〉に〈名詞+かな〉が来るケースです。先日も読売新聞で長谷川櫂さんが、
空海の流れ着きたる銀河かな 金森 眞吾
を解説していましたが、〈着きたる〉と〈銀河かな〉を切って解説していました。芭蕉の〈思い出す〉と〈桜かな〉と同じケースなのですが、これは切って読むことも可能だという俳句独特の文法があるということだけをお知らせしておきたいと思います。これも俳句の未完成につながる曖昧性に違いありません。言葉の難しさです。
それに言葉は時代とともに変化します。俳句では、貞徳が〈俗言を嫌はず作する句を俳諧といふなり〉なんて言ったものですから、芭蕉は〈俳諧の益は俗語を正す也〉という反語でそれを正そうとしました。最近では外来語の増加もそうですが、言語以外に携帯電話やパソコンのメールなどで使う〈顔文字〉などの記号がどんどん増えていることを私は憂えています。記号も広い意味で言語に違いないのですが、俳句は〈何でもあり〉にならないようにしたいと思うのです。また常に言葉の乱れが叫ばれながら、結局は変な言葉が他の言葉を凌駕してしまうんですね。
例えば最近、偉くなった言葉というのがあります。「ご議論いただきたい」、あれは何だと言いたいですね。〈議論〉も偉くなったものだと思いませんか。ほとんど議員さんが使います。あれを聞くと自分には責任がないと言っているように聞こえたり、どうか私に都合のいい結論を出してくださいと言ってるように聞こえてなりません。また、与党議員が野党議員に「首相から〈ご指示〉を頂戴しまして」などと言っている。子供の言葉の乱れを言う前に反省せよと言いたくなります。
3 言葉と虚実
脱線してしまいましたが、そうした言葉の乱れの原因は議員の資質もそうですが、基本的に言葉自体が〈曖昧性〉を抱えているということです。もう少し本質的な話をしましょう。
仮に言葉を二つに分けてみます。一つは「物や事の一般的概念を指す言葉」でこれは単独で意味は発生しません。一つは「具体的な状態・状況を指す言葉」で、これは他の言語と結びついて意味を発生させたり感覚に訴えたりしま
す。ここに例句を挙げてみました。
老鶯や重たき水を持ち歩く 谷口 加代
空瓶を春日の水のぼりけり 渡部美和子
「水」とだけ言っても意味や状況は発生しません。〈重たき〉〈持ち歩く〉、〈空瓶を〉〈のぼりけり〉が結びついて伝達が可能になります。しかし、この二句の言わんとすることは分かっても想像する情景は読者によって皆、違うのです。
同じ句を読みながら、百人百様、想像することがなぜ異なるのか。これは言語の持つ宿命と言ってもいいでしょう。少しむずかしく言ってみます。
蝶墜ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男
という句がありますね。この富沢赤黄男のアフォリズムに「蝶はまさに〈蝶〉であるが、〈その蝶〉ではない」というのがあります。私はこれを、一度見た蝶とは一期一会、自分の心のなかに入った後は抽象化され、すでにその蝶ではないという意味だと理解しています。ですから〈蝶墜ちて大音響の結氷期〉などという句が生まれるのです。当たり前と言えば当たり前ですが、このことが意外に理解されにくいのです。私は新聞社にいましたから、少しは「新聞学」をやったことがあります。新聞という媒体、フィルターを通して見るものを〈擬似環境〉または〈似非環境〉と呼ぶことがあります。いくら詳しく読んでも〈実環境〉と接することはできない、ということです。
ただ、〈実環境〉は一期一会ですが、〈擬似環境〉〈似非環境〉は(新聞を保管しておけば)何度も接することができ、その度に思いを新たにすることができるのです。俳人は活字に弱い、自分の句や名前が活字になることを期待しすぎると言われますが、これは決して卑しいことでも何でもありません。〈その蝶〉ではなくなった〈蝶〉を記憶または記録する手段として、結社誌、同人誌または総合誌に残しておくというのは、いわば本能に近いといってもいいのです。このことからも言葉の重要性を知ることができると思います。
とは言ってもですね、これは私の個人的な感想ですが、こうして俳句を作ったり、その言葉について論議したりする、そうしたことが出来ること自体、「何とぜいたくな」
と思うときがあります。ここでヘレン・ケラーの伝記を紹介しているいとまはありませんが、彼女が「モノには名がある」ことを知ったときの喜びはどんなだったでしょう。
彼女の伝記によく出てくるのは「水」ですが、彼女ははじめコップのことを水だと思っていたらしいですね。のみならず、自分の意思を伝えたり、聞いたりすることに計り知れないエネルギーを要したヘレン・ケラーのことを思えば、あだや言葉をおろそかにはできなくなります。言葉を酷使したり粗末にしてはならないのです。さいわい私たちの祖先は言霊を信じて、信仰にまで達していました。実にありがたいことです。私たちはもっと謙虚にならなければならない。そのことを俳人として、表現者として深く自覚しなければならない、そう思うのです。
四 思想のアイデンティティー
1 〈海ゆかば〉の発祥地は涌谷
そもそも言葉の曖昧性はどこからくるのか。それは思想的に曖昧な国民性が原因していると私は考えます。島国であるがゆえの〈暗黙の了解〉、これが極めて多い。言葉や詩情の〈共有感覚〉、お互いの生活や行動の〈許容範囲〉など、詳しくは述べませんが、これらを一瞥しただけでも曖昧性が発生し、増幅される素地は十分です。いや、これはわるい意味で言っているのではありません。こうした曖昧な国民性がまた一方で人間性を豊かにしているということでもあるのです。信頼という絆をもつくっています。
ただ本日は、一つだけ、この曖昧性に挙げられる〈神仏混淆〉ということについて話します。ここ涌谷に関係したことだからです。事前に調べましたところ、軍歌で有名なあの〈海ゆかば〉の発祥が涌谷に関係しているということを殆どの方が知らないことに驚きました。レジメの最後にコピーを添付しておきましたが、『万葉集』の4094番(国歌大観)、この歌の前にこう書かれています。「陸奥國より金(くがね)を出(いだ)せる詔書を賀(ことほ)く歌一首并に短歌」。
以下は、佐々木信綱編『新訂新訓万葉集(下)』(岩波文庫)に従って殊に重要な部分だけを抽いていきます。
1行目 「葦原の 瑞穂の國を 天降(あまくだ)り……」
5行目 「鷄(とり)が鳴く 東の國の 陸奥(みちのく)の 小田なる山に 金(くがね)ありと 奉(まう)し賜へれ……」
11行目 「大伴の 遠つ神祖(かむおや)の その名をば 大來目主(おほくめぬし)と 負ひ持ちて 仕へし官(つかさ)」
12行目 「海行かば水漬く屍 山行かば草生(む)す屍 大君の邊にこそ死なめ 顧みは せじと言立(ことだ)て……」(以下略)
つまり、歌全体は「大君の悲願であった奈良の大仏に張りつける金が遂に涌谷で産出されたことを喜び、さらに大伴家は(佐伯氏とともに)代々天皇家を護る武門として仕えた誉れ高い家柄として〈海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍……〉の家訓通り、大君に仕えていく覚悟は更に強くなるばかりだ」という趣意です。
「海ゆかば」は1937年(昭和12年)、NHKが現在の東京芸大教授だった信時潔に依頼して作曲しました。信時は牧師の子として幼少から賛美歌に親しみ、だから荘重な曲を作ることができたのですが、学徒まで出征させられるに及び、言語に絶するほど苦悩したそうです。本当にいい曲だと思うのですが、遂には玉砕の歌と化してしまったのが残念です。
言いたいことは、廃仏毀釈までして神道の精神で戦争した軍部とそれに近い人たちが仏像の産金を讃える歌、つまり仏教に関わる歌詞を作曲したということのご都合主義的な節操の無さ、それに本来は大伴家の家訓であった歌詞を国民全体に押しつけた形にしたそのいい加減さを言いたかったのです。もちろん、あの時は殆どの国民が異常心理状態にありましたので、それが日本全体の国民性だとは言いたくはありませんが。
そして『万葉集』はこの長歌のあとの短歌の三首目、4097番に
すめろぎの御代栄えむと東なる
みちのく山に金花咲く(家持)
天寳元年五月二十日、越中國守の館にして大伴宿禰家持作れり
を置きます。涌谷町でも観光関係のパンフレットなどにはこの短歌を入れていますね。それに関連して思うのは、越中(富山)のことです。この歌の後ろにあるように家持がこの一連の歌を詠んだときは越中の国司でした。現在、涌谷の黄金山神社境内に大きな歌碑が建っていますね。北限の万葉の歌碑としても貴重なものですが、あれほど大きい歌碑は他には無いように思われます。それを揮毫したのが、何と山田孝雄先生(山田みづえさんの父)です。先生は富山尋常中学中退後、独学で国語・国文学の第一人者になり、東北大教授、神宮皇学館初代学長、貴族院議員などを歴任、文化勲章を受けました。実は彼は富山の出身で墓も富山にあります。およそ千二百年の時代は隔てても越中富山の同じ風景を見たであろう二人の奇遇を思うのです。
2 俳句の主語・主格
話を俳句の曖昧性に戻しましょう。俳句は主語・主格を省略するのが通例でそのときは作者が主語・主格になると私たちは教えられてきました。先程、言葉は時代とともに変わると申し上げましたが、私には心なしか最近、「は」の使用、つまり主語・主格をそれと分かる作り方が少しず つでが増えてきているように思えるのです。これは長い目で見なければなりませんが、私が感じた変化の芽を大切に見守っていきたいと思っています。さて、主語・主格の解釈が分かれ、さらに中七連体形+下五名詞(かな)の分かれる代表的な句と言えば、『おくのほそ道』に出てくる、
田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉
ですね。長谷川櫂氏によれば、解釈の仕方は五つ、ご自分の説を入れると六つになるのでしょうか。他の文献とも合わせて紹介します。
・「植ゑる」のは早乙女(農夫)、「立ち去る」のは芭蕉。
(大島蓼太以来の主張で櫻井武次郎ら。これが大勢を占めるものの主語は二つになる という反論あり)
・「植ゑる」のも「立ち去る」のも早乙女(農夫)。
(植えて立ち去ると言い下したものと見る解で江戸時代から根強い。内藤鳴雪ら)
・「植ゑる」「立ち去る」はともに早乙女だが、「立ち去 る」には芭蕉も含む。
(2、と同系列の解、久富哲雄ら)
・「植ゑる」のも「立ち去る」のも柳(柳の精)。
(植えて立ち去る柳かなを素直に読む。すると主体は柳。平井照敏、山下一海ら)
・「植ゑる」のも「立ち去る」のも芭蕉。
(西行ゆかりの柳を訪れることができた感激のあまり、早乙女に混じって芭蕉も植え 、そして立ち去った。尾形仂、堀切実、宮脇真彦ら)
・「植ゑる」のも「立ち去る」のも西行になりきった芭蕉。
(西行を偲んでいるうち、田を植えて立ち去る西行の幻を見た。長谷川櫂)
なぜこのように解釈が分かれるのか。「遊行柳」は謡曲で知られている名木です。謡曲では柳の下で遊行上人が一夜を明かしていると、柳の翁があらわれ、いろいろ苦しみを訴える。仏の教えを説いてやると謝礼の舞を舞って、風とともに翁は去って行ったという物語があるからです。ですから4の解釈は詳しく言うと、〈田一枚植ゑて立ち去ってゆく柳であるよ〉、〈この柳は田一枚植ゑて立ち去った柳であるよ〉と二つのニュアンスがあることになります。
ここまで意見が分かれるのはやはり俳句が不完全だからです。ここまでくると、あるいは7つめの解釈として遊行上人になりきった芭蕉、などという説も出ないとは限りません。
3 文化の継承
言語の曖昧性を国民の思想のアイデンティティーという面から見てきたのですが、結果、日本にはどんな文化が生まれたか。職業で言えば世襲制、家族で言えば家督制度、和算で言えば遺題継承(算額)、芸道で言えば家元制度、武芸などで言えば免許皆伝、すべて伝統を継承することを重視する精神で来たと言えそうです。この中には日本独自のものもありますが、こうした伝統継承は、世界各地で行われきたものです。
しからば文学や文芸ではどうか。語部による伝承、これも世界共通です。古代ギリシアのホメロスによる『イーリアス』『オデュッセイア』などは、紀元前およそ800年というのですから、日本は及びもつかないですね。実はホメロスは盲目だったそうです。そして一度聞いた話は忘れない、抜群の記憶力の持ち主だったと言います。日本で記憶力抜群だったという伝説の人に稗田阿礼がいますが盲人だったという記録はありませんので外しますが、盲人ということになると、ヘレン・ケラーも尊敬していた塙保己一がいます。その記憶力で和漢の学問に精通し、和学講談所を建て、『群書類従』を編纂したことは有名です。また、〈耳なし芳一〉のモデルとも言われる明石検校の覚一は琵琶法師とも言われ、その記憶力のよさで「平家物語」の弾き語りをしました。
話を脱線させるのは申し訳ないのですが、目の見えない人が主役のテレビドラマで私の好きなのは勝新太郎の「座頭市」、松たか子の「蔵」、最近の木村拓哉の「武士の一分」。共通しているのは、鋭い勘です。中で座頭市にはモデルがあったらしく、墓は福島県の会津市常光寺町の井上浄光寺にあり本名阿部常右衛門という説があります(中村彰彦編『会津の宿場』(昭和58年・歴史春秋社)。脱線ついでに申し上げますが、「盲」は差別用語、不快用語としてマスコミでは使用が制限されています。映画「座頭市」では使っていますが、やくざの親分の飯岡助五郎がこんな言葉を使う場面があります。座頭市がはるばる訪ねて行くと、「目がいけねえのに、よく来なすった」。「目がいけねえのに」というところに尊敬の念が込められています。今の国会議員の「ご議論」より、はるかにましな敬語だと思える場面です。
さて話を戻します。物語の伝承ということの他に、文芸の世界では、これは中国から来たと言った方がいいかも知れませんが「本歌取り」「換骨奪胎」という伝統があります。「本歌取り」も「換骨奪胎」も立派な作品と見られ、先行の作品より優れていれば、称賛されたのですが、俳句の場合、形式が短くなったためか、情報化社会と関係があるものか、どちらかと言うと、やれ類型だ、やれ類句だ、やれ剽窃だと、批判が先立つ風潮があるようです。短い詩型だけに私たちは緊張感をもって対処しなければならないと思いますのでこの類型、類句問題は後に回します。その前に先程、「田いちまい」の主語が曖昧だという例に続き、俳句の未完成について若干、触れておきたいと思います。
俳句で問題になることの例。
【物語や説話が背景にあるケース】これは先に述べた「田一枚…」などのほかに、伝説や小説を知らないと理解できないという句は枚挙にいとまがありません。例えば、
雁風呂や海あるる日はたかぬなり 高浜 虚子
みちのくの雪深ければ雪女郎 山口 青邨
足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田 久女
【作者の境涯と関わるケース】
霜の墓抱き起されしとき見たり 石田 波郷
森澄雄の誤解訂正が有名です。もちろん澄雄は波郷が病床にあったことを知りながら、「波郷が見たものはまさに抱き起された霜の墓であった」と書きました。何しろ森澄雄の見解ですから反響は大きく、それに追従する人が増えました。しかし、後に「僕は重大な誤解をした。(略)当然波郷が抱き起されるのでなければならぬ」と訂正しています。これは俳句の読み方の基本にも関わる問題ですが、作者の境遇を知らないと回答が出せないケースでもあるわけです。しかし、全部の句がそうではありませんが、主語が分かりにくい場合、そして作者の境涯とは関係なく読むべきだという場合、まず上五で切って読んでみてください。そして中七と下五を続けて読むのです。それが解決法の一つです。同様のことは、
鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡 子規
にも言えるわけですが、この句は「霜の墓」と同じようには扱えませんので別に取り上げたいと思います。
【古典と関わりがあるケース】
花あれば西行の日とおもふべし 角川 源義
願はくば花の下にて春死なん
その如月の望月のころ 西行
を踏まえた句ですね。〈西行の日〉というのは、必ずしも〈西行忌〉の意ではありません。〈西行が死を望んでいた日、桜が咲いていたら西行のことを思い出そう〉といった意味でしょう。実は源義は、この句に自分の死をも重ね、死を明るく受けとめようとしていました。
五 再び俳句の曖昧性について
1 ミロのヴィーナス
冒頭で言いたいと思っていたことを一つ忘れていましたので、補足させていただきます。レジメにもありますように、未完成の魅力ということの例として〈ミロのヴィーナス〉のことを話したいと思います。今日の俳句大会で何人かの特選になった、
トルソーの背中のくぼみ山滴る 谷口 加代
という句がありますが、トルソーという不完全ないし未完成の彫刻にすぐれた造形美があることが見い出されたのはロダン以降だとされています。ミロのヴィーナスが発見されたのは、1820年ですから、ロダン以前にミロのヴィーナスは知れわたっていたのですが、どうも欠けた部分を補う試みにが目が奪われていたようです。その両腕の状態を想像したものはかなりの数になっていると聞いています。ついでですから申しあげますが、俗説としては左手にリンゴを持ちその手を台に乗せている、右腕は左の大腿部あたりあるアドルフ・フェルトヴェングラーという人の復元作が有名らしいです。
しかし、完成形を予想をしたり、復元することの無意味さを唱える人がたくさん出てきました。わが国では清岡卓行(1922−2006 芥川賞作家、詩人)の評論が有名で教科書にも引用されているそうです。清岡はヴィーナスの両腕の不在ゆえに想像力による全体への飛翔が可能なのだと力説しています。評論『手の変幻』には、「部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉薄」、「おびただしい夢をはらんでいる無」、「想像しうる無数の美の可能性を秘めている」などの文言がちりばめられています。ヴィーナスは、自らその両腕を隠したのかもしれません。あるいは未知の意思がはたらいたのかもしれません。
紀元前に造られたものがおよそ1950年後に発見されたという奇跡もさることながら、その発見された日が4月8日(釈迦生誕日、復活祭、虚子忌等々)というのも面白いですね。造形の破損(未完成)は、造形だけでなくさまざまな偶然性、神秘性をも秘めています。
性急とは思いますが、俳句がそもそも連歌・連句の付句以下を捨て、発句を独立させて始まったことと極めて似ています。
2 曖昧な俳句のつづき
繰り返しになりますが、・主語・主格の省略、・多義性、・叙述の曖昧さ、という観点から具体例を挙げてみます。
私の第一の師、藤田湘子のこのような句で悩んだことがあります。
・主語・主格の省略
水仙をまはり水底に行く如し 藤田 湘子
これも主語の省略ですから、「水底に行く」のは湘子本人だと思えばいいのですが、どうも湘子のイメージに合わない。湘子は内面的にはとてもナイーブなことは分かっていましたが、いつも健康的な笑顔を崩しませんでした。酒が入れば話好きで人を飽きさせません。作品は別、と思っても初心のころの私にはこの句の主格が湘子だとは思えませんでした。私は「水仙をまはり」の上に(うたかたは)とカッコをつけて書き込んで、自分を納得させたことがあります。もう一句。
羽抜鶏見て奥の間の磔刑図 藤田 湘子
これは完全に「羽抜鶏」が主語だと思っていました。そしてそのように「鷹」に書きました。あのころ扉で「湘子十二カ月」という企画をやっていて、私が担当させられていたのです。そうしたらまず星野石雀さんから主格は湘子と指摘があって、続いてどなたかが数ページも使って、石雀さんと同じ趣旨の大論評。これには参りました。私も数ページ借りて反論、そうしたらブラジルの鷹会員から、激励の文、「見事な若武者ぶり」と煽られました。日をへて湘子先生と会い、飲んだのですが、「鬨也なあ、作った本人が(主格は)オレだって言ってんだから……」としみじみ諭されたのです。とはいうもののいまだに、二、三割、納得していない私がいるのです。〈羽抜鶏〉が〈磔刑図〉を見た方がはるかに面白い、その思いがあるのです。
落葉松はいつめざめても雪降りをり 加藤 楸邨
最近、「は」の使用が増えているように思うと述べましたが、この句はちょっと違うように思えるのです。これは楸邨の墓前にも刻まれている、それほど重要な句です。私には楸邨の俳句に対する楸邨の心にだけある試金石的意味を持っているように思えてなりません。このまま読めば、主語は〈落葉松〉です。しかし〈落葉松や〉としたくなくて〈落葉松は〉としたとき、「は」に対して楸邨の心に何かがよぎったのではあるまいか。そんな気がしています。
以上、主語にまつわる作品を三句だけ挙げましたが、これに関連して、挙げておきますが、自分のことを客観的に詠む場合もあります。
うしろすがたのしぐれてゆくか 種田山頭火
これには「自嘲」という前書きがあります。
渡り鳥みるみるわれの小さくなり 上田五千石
・多義性
梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部 嵐雪
この句では、梅は一輪だけ、というのが私の考えです。私が、というよりこの句ができたころからそう解釈されてきたのですが、梅が一輪、また一輪と咲くほどに暖かくなってきている、という複数の梅の解釈が次第にふえてきて、今ではその解釈も大手を振って歩くようになっています。しかしですね、「霜の墓」のところでも述べましたが、俳句は原則として、上五で切って読むのがいいのです。文字通り、「一輪ほどの暖かさ」で、まだ寒さが残っている状態だと思うのです。俳句は時間や空間を切り取るというところに醍醐味があります。「一輪、二輪と咲くごとに」というのは経過の叙述です。俳句を批判するとき、よく〈報告句〉だと言われますね。それだけ俳句が弱くなるということです。この句の場合は潔く切る、という読み方を私は支持します。
鶏頭の十四五本もありぬべし 正岡 子規
明治33年作、子規庵で行われた句会の席題「鶏頭」七句のうちの一句ですが、同席していた虚子も碧梧桐も評価しませんでした。虚子は昭和16年『子規句集』を編むのですが、その中にも遂に収録しませんでした。何十年たっても認めようとしなかった虚子の頑さは有名ですが、私が密かに期待している「虚子は引っ込みがつかなくなった」という仮説は、誰も言う人がいないようです。ある意味では虚子の根底に同質のものがあり、一体どうなのか、今や聞くすべがありません。この句を最初に認めたのは長塚節、斎藤茂吉らの歌人です。そこから俳人入り乱れての「鶏頭論争」に発展するのですが、大雑把に言えば、〈十四五本〉は動くか動かないか、この句は単なる〈即興偶感ではないか〉(志摩芳次郎)、いや子規(人間)の〈生の深処に触れている〉(山口誓子)、というふうに大別できるかと思います。
要するにこれも「多義性」が持つ俳句の宿命なわけです。
因みに私は、この句の〈十四五本〉は動かない、従って「向日葵」などに置き換えることは言語道断。鶏頭の生命感、物象感から言って〈ものの根源まで見透かす作者の心眼〉を感じるという側に立ちます。山本健吉の〈誤解される危険なくして芸術上の傑作は存在しえない〉という言葉が思い出されます。
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
私は「霜の墓」「梅一輪」のところで、より分かりやすくする方法として、まず上五で切るのがいいと申しあげました。しかし、この句の場合はどうでしょう。「赤い椿」で切れることは切れるのですが、同時に「白い椿」を思わないと違った解釈になることがあります。「赤い椿」で切るとどうなるか。粟田靖の解ですが「赤い椿が、と思った瞬間、白い椿がぽとりと落ちた。」ということになります。粟田は続けて「見ると、一本の木の下には赤い椿ばかりが、 また一本の木の下には白い椿が落ちている」と書いていますのでどこかほっとしますが、さてどうでしょう。「赤い椿」で切ることが絶対に間違いだというのではありませんが、殆どの人は無意識に「赤い椿と」の〈と〉が省略されていると解して読んでいます。全ての句を上五で切るのは危ういということです。
・叙述の曖昧さ
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡 子規
この句のどこが曖昧なのか不思議に思われそうです。当時、「柿などというものは歌人にも見離されていた。それが奈良と配合することなど思いもよらなかった」と子規は手放しで喜んだと言います。これに対し、碧梧桐は「柿食うてをれば鐘鳴る法隆寺」にすべきだと言ったそうです。結局、子規は変えることはしなかったのですが、「柿くへば」の設定という因果律で表現したことが碧梧桐には首肯できなかったのでしょう。どんな名句でも難点は挙げられるものです。
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
こちらは「古池や」で切ったにも関わらず、「や」の切字に反復性があるため、結局、「蛙」はその池に飛び込んだとされている句です。これについては、長谷川櫂氏の反対意見もあり、たくさんの文献があります。おそらく古今、この句ほど論議されている句はありません。
2 未完成ゆえの模倣性
俳句は、表現者としての自覚の持続が困難な詩型だとも言えます。韻文性に助けられていることを忘れ、切字と季語に頼る。ですからある程度の句はできます。形式に委ね甘えることが何とも思わなくなる。出当たりばったりの句が多くなる危険性があります。二物の取り合わせ、ということが言われますが、それは〈取り合わせ〉ではなく〈ありあわせ〉だなどと皮肉る人もいるほどです。その無自覚性、惰性的なことと模倣性(類句化、類型化し易い)は無縁でなさそうです。
というところで、まず本歌取りについて述べてみます。俳句の前に演歌から。私もカラオケで好んで歌っていた美空ひばりの「みだれ髪」(当初「塩屋岬」)。「赤い蹴出しが風に舞う」「憎や、恋しや」など、どこの歌詞も素晴らしいのですが3番になると「春は二重に巻いた帯、三重に巻いてもあまる秋」となります。歌う度に『万葉集』にあったはずだなあ、と思いながら、しばらくそのままでいました。この度、〈海ゆかば〉を確認するついでに見たのですが、これも大伴家持の歌でした。恋人坂上大嬢に贈る歌の2番目(742番)、
一重のみ妹が結ばん帶をすら
三重結ぶべくわが身はなりぬ
あまり大げさなので思わず笑いました。これでは家持の胴回りは女性より細いのか、坂上大嬢は身ごもっていたのかなどと思ったほどです。そこは歌のこと、大げさに表現
するくらいがいいのです。ほかに似たような歌で(3273番)
二つなき戀をしすれば常の帶を
三重結ぶべくわが身はなりぬ
がありました。
これは演歌が〈短歌取り〉をしたものですが、「みだれ髪」は、これを女性のことに置き換え、他の歌詞も良かったので、本歌取り成功といったところですが、俳句には、本歌取りならぬ〈演歌取り〉もあります。
五能線夕焼行きの女かな 今野紀美子
私はこの句を見るまで水森かおりという演歌歌手を知らなかったのですが、彼女の歌う「五能線」をヒントにしたことを偶然知ってしまったのです。選句は「五能線」を知らないときに終わっていて〈夕焼行きの女かな〉はいいフレーズだと思わず唸ったほどですから、そのまま「滝」の佳作に入れたのです。
それから、今年多かったのは「千の風」。短歌でも同じ現象が起こっていたそうです。「千の風」ほど有名な曲になりますと簡単に分かるのですが、演歌を全部知っているわけではないので、選者は〈演歌取り〉の俳句をかなり掴んでいるのかもしれません。亡くなった人が風になるという発想は特に珍しいものではなく、平成九年の春一番は特に荒々しかったので、私は、
春一番父の転生かと思ふ 菅原 鬨也
と作ったことがあります。さて、そこで風の話から。
海に出て木枯帰るところなし 山口 誓子
この句で思い出しされるのは、
凩のはてはありけり海の音 池西 言水
です。しかし、誓子の「なし」と言水の「あり」には大きな差があります。理屈の上では、誓子の「なし」は木枯が完全に消えます。しかし言水の「あり」はいかに「はて」とは言え、戻る可能性はゼロではありません。だから私は、
凩や馬現れて海の上 松澤 昭
は、言水の木枯が遂に馬になって現れたか、そう解釈するのも面白いと思って自分だけで愉しんでいました。しかし、この講演をするに当たって、自分勝手は許されない、そう思って昭氏の後を継いで「四季」を主宰している松澤雅世さんに電話で聴いてみました。作者の自解のコピーをもらい、詳しく教えていただきました。要点だけかいつまんで紹介します。これは実景、写生句だそうです。
宮崎県都井岬の野生馬(御崎馬)を見たとき、作者の位置からちょうど海の上に馬がいたように見えたといいいます。ところが師の蛇笏はこの句を認めなかった。昭氏の無念のほどがよく分かります。これは昭和28年の作で昭氏が「雲母」の同人になった年でもあるとのこと。蛇笏に心酔していたのですが、どうしても自分の手で抹消できなかった。時を追うごとに実景であることの自信と虚で解釈されても生きる句だと判断、代表句としたそうです。「松島芭蕉祭」の招聘選者の条幅にもこの句を書いています。この句から私は別のことまで知ることができました。御崎馬は純粋の在来馬で現存する在来馬はほかに道産子、南部駒、木曽駒、野間馬(愛媛)、対州馬、トカラ馬、宮古馬(沖縄)、余那国馬の9種だそうです。青森の寒立馬は在来馬ではなく寒さに強い馬を輸入し、食肉馬として放し飼いしたものです。
馬と言えば、北川冬彦の「馬」と題する一行詩
軍港を内臓してゐる。
が有名です。そして大分お世話になっているような気がするのです。先日も「俳句」6月号に、
道産馬の腹に入りたる春の雷 菅原 鬨也
という句を出しました。北川だけでなく安西冬衛、村野四郎ら、詩人の作がヒントになって作られた句もあるだろうと思います。私は村野の『体操詩集』が好きでこれをヒントに作りたいと長い間、思っています。しかし一方、あまりにインパクトが強くて句ができないということもあります。これも北川ですが、「椿」と題する二行詩、
女子八百米リレー。彼女は第三コーナーで倒れた。
落花。
さて、誓子の句ですが、これを言水の真似だと思う人はまずいないでしょう。表現的に言水句より優れています。ところが自解がいけない。この句はいまだに特攻の比喩だと思っている人が少なくありません。そこへきて「木枯は行ったきりもはや還って来ることはない。その木枯はかの片道特攻隊に劣らぬくらい哀れである」(『自作案内』)
と書いています。どんな意図からこんな自解をしたのか、そもそも木枯と特攻のどちらが哀れかなどという比較は成り立つはずがありません。山本健吉のほかに名だたる俳人たちが折角いい解釈をしている句なのに、作者本人の弁の真意が分からないのです。真意が分からないといえば、
海に出て綿飴買えるところなし 大高 翔
という句があるそうです。あるそうですというのは、このような句を真面目な顔でつくるのだろうか。何かわるい冗談を聴いているようでもはや、類型、類想の俎上にも上るまいと思ったからです。でも現実らしいです。それは数の中ですから、この句を面白い本歌取りだという人もいるかもしれません。誓子ではほかに、
鶫死して翅拡ぐるに任せたり 山口 誓子
があり、しばしば、
凍蝶の翅をさめて死ににけり 村上 鬼城
が引き合いに出されますが、句としては誓子句が優位。ただ鬼城には、
冬蜂の死にどころなく歩きけり 村上 鬼城
のように、鬼城ワールドというしっかりした動機、背景がありますので一概に比較はできないでしょう。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村草田男
昭和4年の作ですから、「明治は遠くなりにけり」は、今よりも実感があったろうと思います。ほどなく、
獺祭忌明治は遠くなりにけり 志賀 芥子
という句が「ホトトギス」地方俳壇のページに発表されていると指摘した人がいたそうです。この志賀芥子は無名の少年俳人で一時、草田男句は類想ではないかと話題を呼びましたが、〈獺祭忌〉よりは〈降る雪や〉に軍配が上がります。ただ〈明治は遠くなりにけり〉は芥子の手柄に違いなく、五分五分の引き分けといったところでしょう。しかし仮に草田男句がなかったら、芥子句はどうなっていたでしょう。そうしたことを思うと有名な句になる条件とは何かについてあらためて考えさせられます。
こんな話があります。歌手の美川憲一があるときを境に人気が落ちたことがあります。それを救ったのがコロッケでした。いや、両人ともに人気が出たのです。コロッケという類句が美川の本歌を引き立てたように思えました。類句、類想問題を考えているうち、ふと思い出しました。
なお、最近話題になったものに次の句がありす。
いきいきと死んでゐるなり水中花 櫂 未知子
いきいきと死んでをるなり甲虫 奥坂 まや
まや句は未知子句との類句を認め、詫びて抹消しましたので無くなりましたが、このことで、まや句も注目され、〈水中花〉とともに〈甲虫〉の句もだいぶ人々に知られることになったのは事実です。未知子の人気は上げ潮にありましたので、まやの登場を必要としなかったのかもしれませんが、まや句の出現は少なくとも、「いきいきと死んでゐるなり水中花」を更に広く印象づけることになったとも言えます。なお、このこの句に関しては作者レベルでは解決済みなのですが、俳壇的にはいまだに賛否両論があり未解決の様相を呈しているようです。
三島忌の帽子の中のうどんかな 摂津 幸彦
三島忌の帽子の中の虚空かな 角川 春樹
この二句については成り行きを見ることにします。〈うどん〉という具体的なものと、〈虚空〉という概念的なもの対比がどう展開されるかということが焦点になるかと思いますが、なぜ〈三島忌〉なのか、忌日の基本問題を忘れないずに論じられることを期待するのみです。
なお、「浮野」(平成19年2月号)のおおば水杜氏によると、
愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田 湘子
と同じ発想の
愛されず黙々泳ぐ琵琶湖かな
愛されずして夜のプール泳ぐなり
というのがあったそうです。これは水杜氏の弁をまつまでもなく、類想句というべきでしょう。
また、氏は〈換骨奪胎〉は、中国の宋の詩人黄庭堅(山谷道人)の提唱した独自の作詩の手法であると言われていることを紹介した上で、
釣鐘に止まりて眠る胡蝶かな 与謝 蕪村
釣鐘に止まりて光る蛍かな 正岡 子規
を比較、子規句は模倣でもなければ剽窃でもないと述べています。象徴詩として、蕪村句をしのぐと評価されるからだそうです。しからば俳句における換骨奪胎とは何か。氏は季語が変われば別の作品だと主張、季語との新しい関係付け(新味)が加えられるか否かにかかると述べています私は〈換骨奪胎〉はニュアンスとしては、先行句のあとかたもなくなるものと思っていました。それに俳句の場合、季語を絶対条件としない人もいますので、その点は俄に咀嚼することができませんでした。私の句に〈換骨奪胎〉を見抜いたのは山田穣二でもう三十年前にもなります。以来二人の間では〈換骨奪胎〉は日常用語となっていたことが懐かしく思い出されます。穣二亡き後、使うこともなくなっていました。
六 非自立性の補強手段
いまさら私が言うまでもなく、連歌・連句の発句を独立させ、やがて俳句となるべく装置を確かなものにしたのは芭蕉です。中でも切字の見解を明確にたことが、俳句というジャンルを確立したと言ってもいいでしょう。しかし、それは常に不完全性を伴うものでした。その未完成の中の魅力を魅力たらしめるために、いまだに研究され続けているのが、韻文性と季語だと私は思っています。俳句に関するあらゆる研究は、結果としてこの二つに収斂されると思われます。切字のことは〈韻文性〉の文脈で論じられるべきですし、季語はその是非を含めて〈形式〉の中で論じられるべきかもしれません。しかし、ここで学術的なことを述べようとは思いません。それに基本的なテーマと技法の問題とは切り離せるものでもなく、以下はややランダムに思いつくままに話を進めたいと思います。
1 切字
霜柱俳句は切字響きけり 石田 波郷
は、俳句と言うより、諺に近く、今や警句、アフォリズムとして常に私たちを叱咤、激励しているかのようです。
切字については、余韻、詠嘆、声調、疑問、反語、存問強調、反復、強意等々、その効用はさまざまに述べられています。これだけでも時間が足りないほどです。ここでは
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
を例に、上五の〈や〉についてだけ触れたいと思います。ただし、あくまで私の見解です。上五の〈や〉を考えるとき、いつも思い出すのがフラクタルという概念です。俳句にまったく当てはまるという概念ではありませんが、全体は部分を表し、部分は全体を主張するとでも言いましょうか。数学の相似に似た概念です。
この「古池」の句で言えば、〈古池〉という言葉はそれだけでは、〈古池〉以上のものを表すことはできません。また〈水の音〉だけでは、全く不完全です。〈蛙飛びこむ水の音〉のフレーズによってはじめて〈古池〉の様子、状態がつかめるわけです。〈古池〉は単なる古池ではなかったのだ、古色蒼然とした荒れ果てた古池ではなく、年月を経た池ではあるが、〈蛙が飛びこむ〉季節の春の息吹、生命の躍動を秘めた明るい日差しに満ちた池なのだ、ということが分かるのです。なぜそう言えるのか。それが上五の〈や〉の切字の効用なのです。倉橋羊村氏は、道元の『正法眼蔵』の「有時」の研究でよく〈連続非連続〉という言葉を使っていますが、これは時間だけでなく、空間にも適用されるもので上五の〈や〉は〈切る〉という〈非連続〉の機能をもちながら、他方〈反復〉という〈連続〉の機能ももっています。すると、こういうことが言えると思います。〈蛙飛びこむ水の音〉という部分は〈や〉の切字によって、再び〈古池〉という全体性への反復を主張するということです。これに触発された〈古池〉は、読者をしてさらに〈蛙〉以外の部分を示唆することになります。蛙だけでなく他の生物も蠢きはじめていますよと暗示するのです。
その全体と部分の示唆するところをどれだけ受けとめられるかは、かかって読者の感性、資質にかかっているわけですから、後はさまざまな解釈、感想が出てくることになります。ただ、最低限、〈蛙飛びこむ水の音〉だけは、満遍なく共有できる詩的情景であり、〈古池〉のありようを明確にします。それが〈や〉のはたらきということになるのです。私はそのように考えています。
2 韻文性(声調性)
湘子が俳句の韻文性(声調性)を強調するため、何度も引き合いに出していた歌があります。
三条木屋町糸屋の娘/姉は十八妹は十五/
諸国大名は弓矢で殺す/糸屋の娘は目で殺す/
これを聴くたびに何度、殺されたいと思ったかしれません(笑)。これで思い出すのは、大橋巨泉のパイロットのマーシャルです。ボールペンの普及が主な原因でパイロットは経営困難に陥っていたそうです。話によればプラチナの台頭もあったとか。そこで当時、大人気だった巨泉(巨泉は早大時代の俳句愛好会で使った俳号)を起用、一挙挽回を図ったのです。はじめライターが作ったコピー通りの台詞で収録終了。そのとき巨泉が「こんなんで売れるのですか」と言ったそうです。〈新入学生にはパイロット〉みたいなものだったそうです。そこで巨泉は、「ダメもとと思って、オレにやらせてみてくれないか」と頼んだそうです。手にはパイロット万年筆があるだけです。何か書いている台のようなものが欲しいと言ったところ、譜面台ならあるということで、譜面台の前でやったのですね。
みじかびのきゃぷりてとれば すぎちょびれ すぎかきすらすらの
はっぱふみふみ、…分かるかな
これで人気爆発、売り上げを伸ばしたそうです。
つまり俳句は内容が無くとも、内容が乏しくても音韻だけで訴えることができる場合があるということです。どんなものがあるか、思いつくままに挙げてみます。
◆リフレイン
あめんぼと雨とあめんぼと雨と 藤田 湘子
一月の川一月の谷の中 飯田 龍太
夜のダ・カポ/ダ・カポのダ・カポ/噴火のダ・カポ 高柳 重信
ちなみに小沢澤實さんは『平成秀句選集』でこの重信句を挙げ、飯田龍太への影響を、山川蝉夫(重信の別名・有季定型句をつくるときに使う)も龍太の影響があったと指摘しています。
リフレインは畳句・畳韻とも言い、例えば同じ母音で終わる「逍遙」「連綿」「窈窕」などのたぐいです。それから韻文の始まりのところが同じ音になる頭韻などもあります。この畳韻を生かした句に
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
これは「イ」音が5つ入っています。それから私自身が長い間、気づかないでいたのですが、初期の私の代表句、
めんどりに真水が見ゆる祭前 菅原 鬨也
は、「マ行」の音が6つ入っていました。無意識にやっていたのです。
◆擬音(オノマトペ)
例句だけを挙げてみます。
一僕とぼくぐありく花見かな 北村 季吟 (天保3年)1646
馬ぼくぐ我をゑ(絵)にみる夏野かな 芭蕉 (天和3年)1683
(夏馬ぼくぐ我をゑ見るこころ哉)を改作
だば どぼ/だば どぼ/駄馬ゆく/ぼく ゆく/故郷の村道
高柳 重信
三月の甘納豆のうふふふ
坪内 稔典
甘納豆の句は一月から十二月まで作ったそうですが、この「うふふふ」だけが、抜け出したようです。
ただ、オノマトペは既成語では創作とは言えず独自性が求められます。例えば、萩原朔太郎の「遺伝」という詩に犬の遠吠えが出てきます。「のをあある とをあある のをあある やわああ」というものですが、詩人は「ウオーン」などとは書かないのです。
俳句でも擬音の句がたくさんありますが、特に、
厚餡割ればシクと音して雲の峰 中村草田男
大鯉のぎいと廻りぬ秋の昼 岡井 省二
鶏頭に鶏頭ごつと触れゐたる 川崎 展宏
は、出色だと思っています。
3 前書き
外したら句意が変わる、あるいは分からなくなる不可欠な前書きというのがあります。句意が幅広くなったり、意外な状況だったことが分かる前書きというのもあります。あれば理解に役立つけれども、外すことが可能な前書きというのもあります。
本来、前書きはその作者にとって記録(記憶)しておきたいという場合に使うべきだというのが私の考えです。日記的な意味合いが濃くなると思っています。
ただ、冒頭に挙げた、南極越冬隊員あての「アナタ」という電文については、前書きか後注が絶対条件です。結婚して四、五十年経った夫に松島あたりから「アナタ」って打電するか、ケータイメールしてごらんなさい。夫は鳥肌がたつか、蕁麻疹が出るか、寝込んでしまうかです。
前書きで咄嗟に思いつくのは、
ミヤコホテル
をみなとはかゝるものかも春の闇 日野 草城
これは、昭和9年4月、「俳句研究」改造社創刊号で発表したものです。初夜から翌夕までの新婚十句で物議を醸した作品です。「ミヤコホテル論争」にまで発展しました。
これは絶対前書きが必要ですね。
夫婦喧嘩で女性の殺し文句のひとつに「あなたってそういう人なのよ」っていうのがあるそうです。何でもいいのです。「オレのどこが」って聴かれても「そういうところよ、あなたってそういう人なのよ」と「あなたってそういう人なのよ」を連発して支離滅裂に闘うのだそうです。男は純情ですから真剣に考えます。そして、その後に、
をみなとはかゝるものかも春の闇
と作ったら、どうなりますか(笑)。「ミヤコホテル」の前書きは外せないのです。
また、私たち仙台人にも関係のある「仙台につく。みちはるかなる伊予のわが家を思へば」と前書きした
あなたなる夜雨の葛のあなたかな 芝 不器男
があります。この葛は、箱根か白河でもいい、夜雨のなかの葛のある所を起点としてそこから伊予を思ったのだと解したのは虚子です。その解釈でこの句は名句になりました。前書きを外しても分かる作品なのですが、虚子の名解釈になった前書きでもあったわけで、句と切り離せなくなったものです。仙台の連坊小路の瑞雲寺に立派な句碑が建っています。波郷は、写生的な観点から眼前に葛がなければならないと主張しましたが、それも一理はあります。参考までに瑞雲寺の場所は平野部でしたので葛はありませんでした。不器男という作家は、この句のように一つの境界を設定して詠むのが上手かったですね。
永き日のにはとり柵を越えにけり 芝 不器男
人入つて門のこりたる暮春かな 〃
それからもう前書きが不要になった句があります。昭和五年、「日本新名勝俳句」(東京日々、大阪毎日共催)の特選(帝国院賞)がそうです。
英彦山 谺して山ほととぎすほしいまゝ 杉田 久女
赤城山 啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋桜子
箕面滝 滝の上に水現れて落ちにけり 後藤 夜半
琵琶湖 さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝
4 比喩
俳句の不完全性を何とか補う手段として、切字、韻文性、前書きなどを挙げてきたのですが、一応、比喩も重要な技法として挙げておきたいと思います。比喩はその措辞自体が素晴らしい表現である場合、普通の言葉よりも比喩の方が自分の心象を表現できるという場合に使われます。私が好きな比喩の句。
火を投げし如くに雲や朴の花 野見山朱鳥
ぼうたんの百の揺るるは湯のやうに 森 澄雄
うすらひは深山へかへる花の如 藤田 湘子
最近、読んだ句で面白いと思った比喩
湯冷めとは松尾和子の歌のやう 今井杏太郎
5 季語
俳句の不完全性を補う手段として、「季語」を挙げることには問題があります。俳句は季語が絶対必要条件だという人が圧倒的に多いからです。季語は〈詩語〉でもあり、一句の決め手となったり、作者が言おうとしたこと以上に言葉の力を発揮してくれます。
ただ、手放しで〈季語〉が必要だというのではなく、一方で隠語的な性格をもっていることも知っておく必要があるでしょう。俳人がかなりの季語を知っていることは確かですが、知らない季語も多いのです。いわんや俳人でない人には、俳人にだけ通じる〈暗号〉のように思っている人が少なくありません。〈季語〉が俳句の未完成要素になっていることも否めないことを念頭におくことが大事です。
季語の出自は皆、違います、「山笑う」「山滴る」「山装う」「山眠る」や「万緑」は漢詩からきた代表的な季語です。「雁風呂」(雁供養)、「雪女郎」のように伝説、説話からきているも季語もあります。「亀鳴く」「みみず鳴く」のように気分からきた架空が季語となった例もあります。あるいは、諺、故事来歴、暦の言葉などのほかに、「とき草」「鷺草」のように鳥を語源とするもの、「満天星」のように天体を語源とするもの、そうした〈季語〉のことは、詳しい本に譲りたいと思います。
ただ、季語の中でも〈風〉は独特な面をもっています。地方語を含めるとおよそ800の呼び名があるそうです。仙台市東部の荒浜地区を紹介しているテレビを何気なくみていたら、南東風〈いなさ〉は白魚の漁期を伝える「情けのいなさ」だそうで、他方、「北風〈ならい〉のときは仇の子でも海に出すな」という諺があるそうです。また「やませ」は東北だけでないという説もあったり、「雪解風」「木の芽風」「雁渡し」「神渡し」のように〈季語〉との複合語の風もあり、多様すぎて、ここでは到底話し切れません。
季語は一句の豊かさを助ける一方、未完成性を増幅する諸刃の刃であることは確かです。
6 表現
氷が解けたら何になると思いますか。私は「水になる」と答える人を〈水派〉(意味派)と呼び、「春になる」と言う人を〈春派〉(詩人派)と呼ぶことにしています。ほかにも、踊りに喩えて〈編み笠派〉と〈鉢巻き派〉、買い物に喩えて、〈専門店派〉(寡作執着型)と〈量販店派〉(多作多捨型)などに俳人を分けて愉しむことがあります。
五十年ほど前、防衛庁(現防衛省)詰めの記者たちが暇なときに次のような定義づけをしたことがあるそうです。
陸上自衛隊=用意周到・動脈硬化
海上自衛隊=唯我独尊・伝統墨守
航空自衛隊=勇猛果敢・支離滅裂
これは記者たちが多分に皮肉を込めて考えた分類ですが、今でも分かりそうな気がます。そして俳人にも当てはまりそうな気がして吹き出したくなります。しかし、俳人にとって嫌なのは〈動脈硬化〉ぐらいなものでその他は、それぞれ長所があるように思えます。 要するに俳句の表現は既成概念にとらわれず、常に新しい表現を追い求めることの大切さを忘れなければいいのです。これは俳句ではありませんが、かつて、寺井谷子さんから聞いて分かったのですが、『不器男句集』の跋文に書いた横山白虹の不器男の印象を表した文があります。これはもう詩と言えるもので、私が感銘した表現の一つです。
焔はえんえんと燃えあがり
水はれいろうと澄んでゐる
水はえんえんと燃えあがり
焔はれいろうと澄んでゐる
俳句では、既成概念にとらわれず、常に新しい表現を追い求めることの大切さを教えている句、作者それぞれが自分の言葉を探って作った句を膨大な中から思いついた句だけ挙げてみます。
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ 能村登四郎
夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田 耕衣
銀河系のとある酒場のヒアシンス 橋 ・石
春の水とは濡れてゐる水のこと 長谷川 櫂
しづかなる水は沈みて夏の暮 正木ゆう子
七 芭蕉における〈物我一如〉
俳人はいまだに芭蕉の掌の上にあると言う人がいます。また、二言目には芭蕉、芭蕉と言うな、それは事大主義だという人がいます。しかし、芭蕉を超えられずにいることは否定できません。芭蕉は古今の和漢の文学、思想、哲学、論理、仏教など、ありとあらゆるものを読んでいたようです。それらを消化し、自分の考えを常に新たにしました。
レジメにもありますように、例えば「古人の跡を求めず古人の求めたるところを求めよ」は空海の言葉だと、芭蕉自身が言っています。芭蕉は空海を読んでいたのですね。
また、「見る処花にあらざるといふ事なし、思ふところ月にあらざるといふことなし」には、一遍(捨聖)の「よろず生きとし生けるもの、山河草木、(中略)念仏ならざるといふことなし」を感じさせます。
さらに、「俳諧は気先(きさき)を以て無分別に作すべし。また、この後いよいよ風体かろからん」は、おそらく『荘子』の「之を聴くに心を以てする無くして、之を聴くに気を以てせよ」からきたと思われます。
この『荘子』は芭蕉に大きな影響をあたえたらしく、あの「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」については宋学に裏付けられた『荘子』の物我の対立否定が根底にあると思うのですが、道元の「しかあれば松も時なり、竹も時なり」も気になるところです。このことについては、鈴木八洲彦さんを通じて倉橋羊村先生の書いたもののコピーをいただきました。倉橋先生によれば芭蕉と道元の『正法眼蔵』との接点はありません。しかし道元が唱えた「身心脱落」、即ち「仏法をならうというは、自己をならうなり、自己をならうというは、自己を忘るるなり」は、『荘子』の「物を忘れ、天を忘る。その名を忘己(ぼうき)となす。己れを忘るるの人、これをこれ天に入るという。」(森三樹三郎『老子・荘子』講談社学術文庫)にほぼ同じです。
芭蕉は参禅の経験がありますので、道元の「松も時なり…」は耳にした可能性はあります。芭蕉の「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」、即ち〈物我一如〉が『荘子』の影響か、道元の影響かは即断できないとはいえ、どちらの可能性もあることに私は興味を覚えます。
しかしですね、『荘子』を遡っていくと、紀元前7世紀に始まる「ウパニシャッド」、インド哲学までいってしまうんですよ。これには異論があると思いますが、空海が日本密教を確立したときの〈入我我入〉は、芭蕉も知っていたと考えられます。しかしこの〈入我我入〉の根源をたどると、「ウパニシャッド」や「リグ・ヴェーダ」、ヒンドゥー教につながる〈ブラフマン〉(宇宙=梵)、〈アートマン〉(個我=我)の〈梵我一如〉と同義です。〈入我我入〉の概念、即ち「我宇宙に入る、宇宙我に入る」という教義に引き継がれたと思われるのですね。
結局、極端な言い方になりますが、〈物我一如〉は、既に紀元前にその答えはあったと私は思っています。
以上はほんの一部ですが、芭蕉が天才的だというのは一面であらゆる文献に接し、それらをもとに確固たる〈俳句思想〉〈俳句哲学〉を持っていたということでしょう。
八 「俳人は思想したか」
数年前、岡井省二が存命のころ、森澄雄とともに「俳人は思想したか」と叫んでいました。〈俳句に思想は必要なのか〉などと、イデオロギーと同義に考える人もいるかもしれませんが、そういうことではありません。
今日は、「俳句−その未完成の魅力」という演題でしたが、かなり、逸れた話も混じりました。しかし、以上のことをひっくるめて「未完成の魅力」だと思っています。最後に私の好きなノヴァーリスの言葉を挙げておきます。冒頭にお話しした「アナタ」は氷山の一角であるということを思い出しながら、聴いていただければありがたいです。
「可視のものはみな不可視のものと境を接し−聞き取れるものは聞き取れないものと境を接し− 触知しうるものは触知しえないものとぴったりと接している。おそらくは思考しうるものは思考しえないものに−(接しているはずだ)」(カッコ内鬨也)。
(今泉文子訳『ノヴァーリス作品集1』ちくま文庫・P350断章)。(完)