「パノラマエクスプレスアルプス上越線ラストラン号」(団体列車)

2001.07.14越後湯沢駅) 

 

1.パノラマエクスプレスアルプス号との出会い

 昭和61年12月中旬の新聞に「この電車に名前をつけてください」という記事があり「この電車は主に中央東線の団体専用に使用し、繁忙期には臨時急行として使用します」という内容だったと思う。さっそく、この電車の名前を考えた。新聞には記念にもらったオレンジカードと同一の完成予想イラストが載っていた。まず1番先に「パノラマ」と言う単語が浮かんだやはり車両の形状から一番ぴったり来る単語であった。そして、当時人気を博していたサロンエクスプレス東京号(現在は「ゆとり」に改称)が私のお気に入りだったので「エクスプレス」と言う単語をくっつけた。さらに中央東線で臨時急行といえば「アルプス」と浮かび組み合わせると「パノラマエクスプレスアルプス号」と案外しっくり来る名前になった。さっそくハガキ1枚に「パノラマエクスプレスアルプス号」と書いてポストへ投函した。小学5年生の頭ではせいぜいこの程度の名前しか思いつかないし、このような経緯で名前を考えたのでどうせ採用はされないだろうと思ったが後に、この1枚のハガキが大きな事件を引き起こした。

 3ヵ月後の昭和62年の2月下旬、ようやく日が長くなり始め春の足音が聞こえて来ようとしている時、当時小学5年生だった私の所へ1通の封筒が届いた。差出人は、国鉄東京西鉄道管理局からで内容は今春登場する展望電車の名称が決定し、あなたが応募した「パノラマエクスプレスアルプス号」に決まった事と完成試乗会への案内であった。

 昭和62年3月24日、ついにパノラマエクスプレスアルプス号に試乗した。試乗区間は新宿−甲府間であった。話を戻すと、3月に入り東京西鉄道管理局から電話があり「小学生1人ですけど大丈夫ですか?」。と言う内容でしたが、両親は新宿から後続の特急あずさ号に乗車すれば甲府駅には先に着くので、指定された席に座らせておいてほしい。あと、甲府から長野へ直接戻るので復路(上り:甲府−新宿)は辞退します。と伝えたところ、次の日に「それでは、席に余裕があるので3人でどうぞ」と言うことで家族で乗車(試乗)できました。当時は、まだ小学生が1人で120キロ近く移動するのは鉄道管理局側も心配だったのでしょう。まぁ、当然ながら記念品は1名分しかも貰えませんでしたが・・・。1号車のサロンへ行って名付け親の銅版を見に行った。確かに私の名前も刻まれていたのを確認してから一番驚いたのが、同じ名前を考え付いた人が大勢いたことであった。車内はゆったりしたシートが並び非常に快適で甲府まであっという間であった。甲府からは特急あずさ号で松本へ向かい松本から急行南越後号(松本−長野間普通列車)で帰路に着いた。

 

甲府駅に到着した試乗列車

1987.3.24 甲府駅)

 

完成記念弁当(試乗会参加記念品)

 

完成記念ベルト(名付け親のみ)

 

記念オレンジカード

完成記念試乗券

 

1号車に取り付けられた名付け親記念銅版

(プライバシー保護のため画像調整)

 

自分の名前部分の拡大

 

横幕表示

2.快速桃源郷パノラマ号

 私が、パノラマエクスプレスアルプス号の名付け親の1人に選ばれてから15年過ぎて時は21世紀最初の年、この間色々な事があった。国鉄がJRに変わり、昭和から平成に時代は移り長野新幹線が開業し碓氷峠が廃線になった。この時、パノラマエクスプレスアルプス号が碓氷峠を越えた最後の団体列車となった。

 月日が経つのは早く、パノラマエクスプレスアルプス号も足回りが老朽化してきたため引退が決定した。21世紀最初の春であった。その直後、中央東線でパノラマエクスプレスアルプス号を使用した臨時快速桃源郷パノラマ号が運転されたので、乗れるときに乗ろうと乗車を決意し指定席を探しましたがすでに満席の状態で乗車は無理かと諦めていた矢先の4月6日に4月7日の上りの指定席が確保できたため急遽出発することになりました。

 甲府市内で、武田信玄祭りと満開の桜を見物し甲府駅に到着し快速桃源郷パノラマ号の入線を待った。甲府駅は、列車の本数が多い割に中央線ホームが3つしか無いため入線は発車4分前という事で急いで撮影しなければ思った矢先に、人身事故でのダイヤの乱れが甲府駅まで及び快速桃源郷パノラマ号の発車時刻である16:03に遅れていた先行の15:58発の特急あずさ64号が発車し、16:05に快速桃源郷パノラマ号が入線しドアが開いたと同時に発車の音楽が鳴り始め撮影する暇もなく慌しく甲府駅を発車した。乗車後は、席につかずにまっすぐ1号車のラウンジへ行き名付け親の名前を記した銅版が飾られているので全景を撮影してさらに自分の名前の部分だけアップで撮影して席へ戻った。車内は、座席のカバーが変わったほかは当時のままでゆったりとした座席が並んでいる。途中の桃の花畑では徐行のサービスもして列車は夕焼けの関東平野を新宿へ向かっている。車内に速度計がついており平均速度は80キロぐらいで臨時特急かいじ182号のスジで運転されている割にスローペースで走っている。車内を一巡して車窓を見ていると全席グリーン車指定席が作用してか、この手の臨時列車(団体列車を使った一般客扱い)では珍しく車内改札があった。登場当時の様子を思い出していると1時間50分はあっと言う間で18:00に若干遅れて新宿駅に到着しました。新宿駅では、三鷹電車区への回送までに時間が15分ありゆっくりと撮影が出来た。

 

 

新宿駅に到着した快速桃源郷パノラマ号

 

 

快速桃源郷パノラマ号指定券

 

3.パノラマエクスプレスアルプス号上越線ラストラン

 21世紀最初の夏、いよいよパノラマエクスプレスアルプス号の引退日が9月2日に決定し各方面への「さよなら運転」が始まった。7月14日には、第1弾として上越線での最終運転が行われたので越後湯沢駅と越後中里駅へ撮影に行った。この列車は上野−越後湯沢間で運転され越後湯沢到着後は、JR東日本の485系リニューアル編成の特急はくたか号との並びも撮影できたが、停車時間が短かくすぐに越後中里駅へ回送されてしまった。越後中里駅へは、普通電車が3時間後まで無いのでタクシーで越後中里駅間で向かい撮影した。今回が多分ゆっくりと撮影できる最後の機会になるだろうと思い三脚持参で私も入れて記念撮影をしたり編成写真を撮影したり1両1両形式写真を撮影したりと納得できるまで何回も撮り直しをしたためフイルムの消費が予想以上だったがパノラマエクスプレスアルプス号の撮影が、寂しいやら楽しいやら複雑な心境で真夏の昼下がりを山間の小さな駅で過ごした。

 今度は、普通電車で越後湯沢へ戻り再びパノラマエクスプレスアルプス号の撮影をした。撮影中に、特急はくたか号が入線してまた並びが撮影できた。こんどは、681系北越急行車スノーラビットとの並びが実現した。この並びは、最初で最後なる貴重な撮影チャンスをわれわれ鉄道ファンにもたらしてくれた。これで、上越線での撮影は終了した。

 

−パノラマエクスプレスアルプス号形式写真−

1号車 クロ165−4

2号車 モロ164−804

3号車 クモロ165−4

4号車 クモロ165−3

 

5号車 モロ164−803

 

 6号車 クロ165−3

 

4.快速せせらぎパノラマ号(パノラマエクスプレスアルプス号さよなら運転)

 8月26日、夏休み最後の日曜日私は、立川駅にいた。今日は、パノラマエクスプレスアルプス号の一般臨時列車として休日最後の運転日である。

 今回の臨時快速せせらぎパノラマ号での運転では青梅線の奥多摩まで入るので4・5号車を外した4両編成で運転された。 臨時特急ひばり号の運転日と重なったにもかかわらず指定席は僅か3秒で完売した。当然車内は満席で列車は青梅線の奥多摩を目指して11:40に立川を発車した。これが、パノラマエクスプレスアルプス号最後の乗車になる。列車は、青梅まではノロノロ運転が続いたが、後半は速度を上げて運転した。このパノラマエクスプレスアルプス号もこれでいよいよ見納め・乗り収めとなる。私が、名付け親の1人となった列車が引退するのは非常に寂しいことでもあるが、よく15年間無事故で無事に走り続けてくれたと感謝もしている。列車は、定刻に青梅線の終点奥多摩駅に定刻に到着した。到着後すぐに写真撮影を開始したが6分後に列車は三鷹電車区へ回送された。これが、私とパノラマエクスプレスアルプス号との別れであった。

 パノラマエクスプレスアルプス号は、9月2日の団体列車を以って引退し富士急行電鉄(富士急)へ売却されパノラマ特急に使用される予定です。運転を開始したら試乗しにぜひ出かけたい。

 

   

奥多摩駅に到着した臨時快速せせらぎパノラマ号

(パノラマエクスプレスアルプス号を撮影した最後の1コマ)

パノラマエクスプレスアルプス号イオカード

せせらぎパノラマ号指定券