小論・インマヌエル神学の個人的模索


インマヌエル浦和教会牧師 新垣重夫

 

 序・インマヌエル教団(イムマヌエル綜合伝道団)について

 沿革=1945年10月21日創設、翌年2月1日法人設立、故蔦田総理は元日本聖教会の正教師で日本基督教団第6部に属していたが、1942年ホーリネス教会に対する政府の弾圧によって教会を解散、終戦後、教義、機構の点で日本基督教団と相入れなくなり、独自の信仰および構想で再出発すべく新教団を組織するに至った。
 教義=系統的にはメソジストに属し、ジョン・ウェスレーの説く「基督者の完全」のたん明立証を以って教義的使命の中心としている。従っていわゆる正統的信仰に立脚し、聖書を誤まりなき神の言と信じ、信仰と生活の基準とする福音的信仰を堅持する。

 以上は「キリスト教年鑑」(2003年版)から引用したものです。私の教団(IGM)は、教義ではメソジスト派と言われますが、実践的には、成人洗礼(適礼を含む)を行ない、聖書主義に立ちなど、バプテスト、改革派の要素も含んでいます。
 ですから、「インマヌエル神学」と言う言葉の意味は、私が献身し、神学院に入学し、そこで教わり、また当所属の教師として当然もっていると思われている教理理解であって、決して大げさなものではありません。
 私が、1961年3月に聖宣神学院を卒業してから、55年伝道牧会に励んできましたが、牧会の苦労とともに、神学的な苦労も積み重ねてきました。特に聖書と歴史宗教と科学信仰と文化啓示と理性客観と主観偶然と必然などの事をつき合わせていくとき、自分なりの再構築をせざるを得ないようになって来ました。自分で聖書を読み理解し、納得し受け入れたものでなければ、確信のある説教をすることは困難でした。
 そうした七転八倒の中で模索してきたことを、この機会に整理しておくことも、あるいは有益ではないかと思い、僭越ですが、書かせていただくことにしました。実は、整理しておきたいことはいっぱいいっぱいあるのですが、全部を書くことはとてもできません。聖書観と聖書理解に焦点を絞って、時間がゆるされる限り、書けるところまで書くことにしてありますので、ご了承ください。

 

 1、 イスラエル宗教のはじまり

 モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」(出3:13
 歴史は1分前の出来事であっても、もうその真実を証明することは難しい。特に人の心の中の動機にまで至ろうとするとそれは不可能であります。記録があって残されて、それが信用の置ける人物のものである限りにおいて、ある程度のことを構築できるものである。ですから、歴史においては議論の余地はほとんどなく、あるのは推測だけである。これが私の歴史に対する認識です。
 イスラエル宗教において、神との経験を最初に記録に残したのは、モーセです。彼は荒野でイテロの羊を飼っていたとき、柴が燃えているのに燃え尽きないと言う不思議な現象を見ました(3:2)。もちろんこれは世にも不思議な光景です(自然現象には今でも説明不可能なことはいくらでもあります)。モーセは心引かれて近づいたときに、そこから神の声が聞こえてきました。ここに神との対話が詳細に記されておりますが、これがどのような経験であったかは、人間が一般的に経験する宗教経験の範囲で理解されるものであって、これを特別な経験とし、モーセだけにあった、あとにも先にもありえない、経験であったとすると、この物語は神話か童話、おとぎばなしの部類に入ってしまいます。そうするとこの経験は人間経験を超越したものとなり、人類全般に寄与するものでなくなります。
 この神経験は、モーセの心に火をつけるものとなりました。消しても消しても消えない火となりました。彼は押し出されるように、神が命じられたとおり、イスラエル人のもとへと行き、最初に民を説得し、次にパロと対面し、神の奇跡的な助力の後押しを得て、ついに出エジプトと言う大業を成し遂げました。彼の功績は、@イスラエルを奴隷から救出した。Aシナイ山で律法を授かり、それをもとに、礼拝形式、法律を定め、イスラエル宗教と民族の形成に努めた。B五書を書き残し、全能の神への信仰を、民族文化としていつまでも消えないものとした。以上のことから、イスラエル宗教の始まりは、モーセからであったとすることができます。

 

 2、伝説としての創世記

 多分、榊原氏の文章であったと思いますが、「聖書の歴史は出エジプト記から」と言うのがありました。これはもう数十年前のことですが、当時の私としては大変な啓発でした。
 神学院では、トーレーの教理を学んでおり、ウォーフィールドなどの逐語十全霊感説に立っておりましたから、大変戸惑いながらも、創世記が民族に伝わる、またミデアンに伝わる口伝を集めたものであると言う説は納得のいくものでした。
 1章は「天地創造の神への賛歌」であって、教義ではありません。人間はだれも天地創造に立ち会ったものはおりません。だからその詳細は分かるはずがありません。しかし天を仰いで、天地万物を見ていると、なんと大自然は壮大なことでしょう。「神が創造されたのだ」と言う感慨が来ます。これを賛美したのが「天地創造」です。これは「賛歌」であって、教義でも教説でもありません。神が天地を六日間で創造し、七日目を休まれたとする記述は、古代人の直感によるものです。ですから、これが近代科学と矛盾するしないを論じることは、ナンセンスです。もしこのように考えますと、最近よく聞く「進化説」と対抗する「創造説」にまでこれを仕立てるには無理があると思います。
 最近、宇宙物理学において、「インフレーション理論」なるものが出てきて、宇宙の0(ゼロ)からの出現を論じる学説が出てきました。これによると、宇宙の生成も自然の一様性の法則に従って説明されるもので、必ずしも神を必要としない、と言います。(彼らはこれで、科学の限界である「一回性」を克服できたと考えているようです。)しかし、この理論を詳細に調べますと、ゼロ(0)の用法に誤りがあります。数字の「0」はもともと「無」をあらわすものと、「位」を表すものとの二種類あって、図書分類などでは早くから使われてきました。インフレーション理論では、振り子の通過点としての「ゼロ」をあたかも「無」からの出立のように、用いています。また、「ゆらぎ」(明らかにこれは「振動」である。)をエネルギーゼロ(0)の中で説明しようとしています。こうした無理を重ねた理論です。これは「数式の魔物」を使ったことになります。
 3章の「堕罪」の記事は、霊感によるものですが、古代人の知恵が集積したものです。はたしてエデンの園があったのか、そこで一体何が起こったのかは誰にもわかりません。蛇が音声を出してしゃべったと言うのは、現代科学のフィルターから見れば、ありえないことです(蛇の骨格は、言語を生成するようにはなっていない)。声は必ずしも、空気の振動だけではありません。聖書の世界を、現実世界を離れた別世界とすることは、現実世界に貢献させることを困難にします。しかし、この記事は、現在の人間の混沌とした実情(人間はなぜ、堕落した傾向を常に示すのか)を説明するのに、おそらくこれ以上のものはない。と言うのが私の確信です。
 1〜11章は、今の世界がどうしてこんなになった(相対的な中におかれている)のか、の説明です。堕罪の結果、人は堕落し、大洪水でもそれを改めることが出来ず、ついにシヌアルの地に人々が集まってバベルの塔を建設し、権力者を中心にした神不在の文明を築くに至りました。この時神は、人間の一致の力の偉大さに驚かれ、言語を混乱させ、以後、人間の計画がことごとく失敗するシステムを組み込まれました。真面目であっても、善意であっても、愛情に満ちた動機であっても、人間の願望から出たものは、すべて「混乱のシステム」の中で行き詰まる仕組みをつくられました。これはすべて混沌の中で絶望し、魂の目覚めによって神を求めさせるためです(参考:使徒の働き17:26,27)。
 人間の歴史においては、英雄が現われて、雄大な夢を描き、若者を扇動し、歴史を掻き混ぜてきましたが、何一つ完成したものはありません。これは神が人間の知恵、努力、団結力、目標、夢、理想に、「混乱」システムを組み込まれたからです。
 以上が私の説教の根底にいつも入れてあります。神を離れては人はただ行き詰まり、窮地に追いやられるだけです。しかしそこから助けを求めるなら、神は救い主として、ご自分をあらわしてくださいます。

 

 3、モデルとしての選び

 神はこの世界に混乱を置かれましたが、一方で新しい文明を創設するために、アブラハムに声をかけ召命されました。彼が、聖書も教会も牧師もいない時代に、偶像の真只中で、独力で「全能の神」を見出した、と考えることは困難です。多分、都会では権力の都合で偶像が発達しましたが、荒野では純朴な礼拝が行われていたのであろうと思います。彼は神の声(空気の振動ではない)を聴いてではありますが、荒野の純朴な信仰を求めて、旅立ったのではないでしょうか。
 アブラハムの偉大さは、宗教心の一方通行ではなく、「神の声を聞く」と言う双方向の信仰を見出したことです。これによって神と契約を結びました。これはイサク、ヤコブ、ヨセフの四代に及びましたが、その後、信仰の系譜がどうなったかは不明です。
 約400年後、イスラエル民族となったアブラハムの子孫は、エジプトの奴隷の苦役の中で呻きわめきました。彼らがどれほど宗教的自覚を持っていたか分かりませんが、その時、神はアブラハムとの契約を思い出されて、彼らの救出に動かれました。
 この時、モーセが選ばれた実際的な理由は、彼がエジプトの学問を修め、教養を備えていたからです。唯一神教は、個人の経験として、イテロやヨブといった人物のように、単発的には中近東の各地に散在しておりましたが、宗教文化として発展させることはありませんでした。モーセは野に下っていましたが、「燃える芝」の経験で、彼の心に火がつけられました。このことが、出エジプト、シナイ山での契約、レビ記による礼拝形式の確立、申命記によるイスラエルの宗教民族としての確立に尽力しました。また、彼は創世記の編集にも携わったと考えられます。
 その後の旧約聖書の歴史は、不信仰の記録に満ちていますが、それでも。モーセが残した五書は、イスラエルに教育熱を与え、宗教文化として発展させるのに充分な影響を残しました。以後、律法を読む人々が絶えなかったことは、学校が継続して経営されていたことを示しています。こうして「ヘブライズム」は世界史に大きな影響を及ぼした文明の一つに加えられるに至りました。他は近代的パラダイムとして知られる「ヘレニムズ」と、法体系を現代世界に残したラテンの文明です。
 王国時代には、預言者たちによって、律法の解釈として、イスラエル宗教は大いに発展しました。出エジプトの当初は、神は彼らにとって、氏神にしか過ぎませんでしたが、次第に至高の神としての神学が確立してきます。このため、偶像世界にありえない「不信仰」「不従順」「背教」と言った問題が起こってきました。このため、イスラエルの歴史は大変苦難に満ちたものとなりました。
 ついに預言者たちをも戸惑わせる事態が起こりました。背教によるアッシリヤとバビロン捕囚です。これによって、神の名誉は地に落ちたかに見えましたが、捕囚からの帰還という、イスラエル民族の復活によって、かえって、この神は「まことの神」として世界に輝くことになりました。このように、神はイスラエルを神の存在を示すモデルとして選ばれ、導かれたのです。

 

 4、告発としての律法

 モーセにとって、「燃える柴」の経験を燃えさしとしてしまうことは、絶対に許されないことでした。これをある形にして、イスラエルの民に転写し、子々孫々へと受け継ぐ遺伝子としなければなりません。しかしそれを教育もない、奴隷の民に施すことは不可能に近い作業でした。シナイ山で受け取った「十戒」のパワーは計り知れないものがありまた。図らずもこのパワーのすごさは、日本の昭和軍部によって発揮され実証されました。ご存知のように、国民を戦争へと駆り立てた「教育勅語」は。十戒そっくりです。そうであったからこそ、国民を一つにする力があったのです。これを奪い取られた今、日本は精神的に骨抜きになりました。戦前の指導者たちは、若者のために、何とかしなければと言う思いから、国体を立て直したいと言う思いを今でも持っています。イスラエルは「律法」を堅持する限り、驚くべきパワーを秘めた民族となるよう運命付けられました。
 まず神ご自身がイスラエルとともにおられると言う事実を民が実感することです。幕屋はそうして作られました。次に祭儀を通して、神の臨在に近づくことですが、これはそう簡単ではありません。モーセが用いたのは、人間がもともとから持っている感覚を通して教えることでした。動物の血によるなだめの感覚、きれい汚いを通しての神の聖の感覚、親子夫婦、家族の愛を通しての神の愛とあわれみの感覚、こうしたものを駆使して出来上がったのが、レビ記です。民数記は旅行中の記録であり、申命記は、死の前の遺言的説教です。このようにしてモーセの律法は出来上がりました。
 モーセによって与えられた律法を、イスラエルはどのように受け取ったのでしょう。敬虔な人たちにとって、それは情熱を燃やすものでした。しかし、多くの民衆にとっては、うるさい決まりにしか映らなかったことでしょう。偶像の方がよほど気楽です。結局律法はイスラエルにいのちを与えるよりも、苦役を課すものとなりました。彼らは律法の枷を振りほどこうとすればするほど、泥沼に陥るように、苦難へと突き進んでいきました。
 シナイ山からバビロン捕囚からの帰還まで、ほぼ一千年、律法は彼らの心の邪悪を告発し続けてきました。彼らは追い詰められて追い詰められて、これ以上追い詰められないところまで来たとき、再び神に叫びました。そこから見えてきたのが、「救いの神」でした。彼らはイスラエルを選ばれた神は、イスラエルを窮地で滅ぼすために選ばれたのではなく、究極的な救いを与えるために選ばれたに違いない、と考えるようになりました。こうして彼らの信仰は、メシヤ待望へと発展し、堅固にされていったのです。

 

 5、囲いとしての契約

 聖書においては、旧約、新約と、書名になったほどに、「契約」と言う概念は重要です。ノアと契約を結ばれた神は、アブラハムと、イサクと、ヤコブと契約を結ばれ、シナイ山ではイスラエルと契約を結ばれました。それは人間はすでに神から離れており、自然体では神不在の中におり、御心を行うことは不可能となったからです。すなわち、神とむき合わせなければ、話にならない状態となってしまっていました。依然として、世界は「混乱」のシステムの中に放置されたままです。人々は良いことをすれば良いことが返ってくると考えるかもしれません。しかし人生はそう簡単ではありません。何かにつけて相対的であり、混沌の中にあります。正直者は馬鹿を見る。真面目は「くそ真面目」と言われる。愛のために罪が犯される。平和のために戦いが行われる。善悪の基準は何なのか分からない。この世は要領のよいものが得をするように見える。こうしたシステムの中では、神を考えれば考えるほど分からなくなります。世界は神によって混乱の中に放置されたからです。そこで神は契約と言う囲いを設けて、人々を招き、ご自分をあらわそうとされました。
 ノアとの契約は、自然現象の中に、特に農作業の中に、神のひらめきを置かれたことです。人にここから、神へといたる道を見出すことが出来るようにしました。しかし、ここから出てきたのは、アミニズムのような、自然宗教です。
 アブラハムとその子らとの契約では、子孫が順調に信仰を継承すれば、祝福から祝福へと発展したであろうが、そうはならなかったために、子孫が窮地に陥り、その中から「叫び求めるときに助ける」と言う形となりました。アブラハムとの契約が、モーセによるイスラエルの救出となったのです。
 シナイでの契約は「律法を守れば生きる」と言うものですが、これは考えようでは、人生がはっきりすると言う意味で、すばらしいものです。祝福への道もはっきりしていますが、刑罰への道もはっきりしていると言う意味で、こんな分かり易いものはありません。迷うことはなかったのですが、彼らの堕落した心がことを複雑にしてしまいました。「律法を守れ」と言う囲いは、堕落した邪悪な人の心を矯正するほどの力を発揮することが出来ず、かえって、民を窮地へと追い込む結果となりました。

 

 6、人間の失敗の実証としての歴史

 モーセによる申命記の終わりと、ヨシュアによるヨシュ記の終わりに、二人は、民の離反を心配した説教をしています。
 「私は、あなたの逆らいと、あなたがたがうなじのこわい者であることを知っている。私が、なおあなた方の間で生きている今ですら、あなたがたは主に逆らってきた。まして、私の死後はどんなであろう。」(申命記31:27
 「あなたがたは主に仕えることはできないであろう。主は聖なる神であり、ねたむ神である。あなた方のそむきも、罪も赦さないからである。」(ヨシュア24:19
 結局、士師記には、七回の「背教」「苦役」「嘆願」「士師の任命」「戦いと勝利」が記されています。こうした繰り返しに疲れ果てた民は、サムエルの時代になって、王を要求しました。サウルに続いてダビデが選ばれましたが、本来王国は神が支配する王国ひとつでなければならないのに、イスラエルでは暫定的に神の代理人としての人間の王を立てることをお許しになり、王制が始まりました。しかし、王たちはこの代理人としての任務を果たすことができず、そのため、民を不信仰へと追いやり、預言者たちの警告も功を奏することができず、ついに北王国はアッシリヤへ、南王国はバビロンへと捕囚として連れ去られる結果となりました。
 この間の1000年の歴史は、エデンの園で始まった堕罪は、良識や制度、祝福や懲罰など、何をもってしてもどうしようもないほどの、深い影響を人間の魂に与え、全く新しい抜本的なことが行われない限り、これを癒すことが不可能であることを実証しました。次にこの問題と取り組んだ、預言者の探求を検証することにします。

 

 7、評論としての預言活動

   イスラエルの宗教制度は、初期にはシロにある幕屋を中心にして、アロンの子孫によって行われていたと思われます。しかしそこはレビ系だけでなく、広く律法を愛する人々が集まり、文字教育が行われ、そこから、サムエルのような逸材も輩出しました。すなわち、律法に準ずる制度のほかに、敬虔な人々による啓発活動も並行して行われていたと考えられます。
 次第に民の子弟に対する教育もこうした私塾に移っていったようです。これが預言者学校と言われるものです。こうした敬虔な人々には、民の不熱心と不信仰はゆるし難く、それは預言活動となっていきました。
 預言者たちは最初、王と民の不信仰と直面しました。彼らの啓発活動は、モーセの律法を再解釈し、神の約束に立ち返らせようとしました。現在でも伝道は困難ですが、彼らの種まきも、水の上に蒔くような、空しいもののように思われました。彼らの預言活動は、イスラエルの単純な信仰心に訴える、素朴なものであったと思われます。彼らが修辞学とか、組織制度を駆使したと言う痕跡は、見出すことは困難です。
 それでも預言者には彼ら特有の流儀がありました。それは、モーセの律法の研究と、神への祈りと瞑想、ことばや文章による啓発活動です。特に彼らの祈りは深いものでした。それは彼らが強い愛国心を持っており、彼らが感じた疑問をダイレクトに神にぶっつけると言うものでした。彼らは神と問答したのです。そして彼らは確実にその答えを得ていきました。これは彼らの預言を特異のものとしていきました(参照:Tペテロ1:10〜12)。
 こうしたパラダイムの中で、第二に、不信仰な民への神の怒りと懲罰と言う直感と直面させられました。ここで、特に一部の福音派といわれる人々の間で、誤解がありますので、それを説明しておかなければなりません。彼らは未来を透視したのではありません。もし、預言が彼らだけに与えられていた機能であるとしたら、人類全般との連続性はなくなり、世界に有益なものとはなりません。彼らの預言活動はあくまでも、本来人間が持っている霊的、知的、情緒的、肉体的機能の中で行われたものであると考えなければなりません。
 幼児が崖に向かってヨチヨチと歩いていく。それを見た母親は「危ない」と叫ぶ。それが、10m前であっても、直線で歩いていけば、崖であり、さらに進めば、転落であることは、見え見えである。預言者たちの預言は丁度これに似ています。かって、ある経済学者の評論を聞いたことがありますが、彼はこんなことを言いました。「現在世界が直面している、環境、核拡散、資源枯渇、防疫、民族紛争とテロの問題で、世界は共通の強制力のあるシステムで動く必要性が出てくる。そしてこのことは、世界的独裁者を生み出だす素地を備えることになる。」これも預言と言えば預言であるが、これは評論です。
 預言者たちは、イスラエルの背教の結果が神の怒りであり、大きな苦役を招くものであることを見ました。それは当然、最近のし上がってきたアッシリヤによる捕囚であったり、バビロンによる捕囚であったりします。彼らは説得力のある警告をするために、具体的な描写を行います。これらは彼らの文学的、詩的能力を動員して行われました。
 一方で、預言者たちは戸惑いました。イスラエルは確かに不信仰で罪深い、しかしこのまま神の怒りによって、この民族が滅んでしまうとしたら、神がイスラエルを選ばれたと言うことは、どうなるのか。彼らの選民意識は根強く、その愛国心はそのまま放置するのに許し難いものがありました。彼らは必死に祈りました。またモーセの律法を研究しました。
 そこから得た結論は、また神の声でもありましたが、民は深い淵の中で悔い改め、回復すると言うビジョンでした。これは最初、一筋の光としてさしてきましたが、この希望の詳細が知りたくて、彼らは熱心に調べました。それはバビロンからの帰還と言う驚くべきビジョンでした。
 もしイスラエルの神が民族の神であって、氏神でしかないとしたら、こんなことは考えられないことです。しかし、この方は「イスラエルの聖者」(これは世界の混沌からイスラエルを区別されて、信仰による祝福と不信仰による刑罰をはっきりとされた方と言う意味)であるとともに、世界の主でもあると言う認識に立ちました。そうすると、捕囚の民を見た異教の王ですら、感動されてイスラエルを解放すると言うビジョンも生まれました。これは預言者の信仰の当然の帰結として出来たものです。
 預言者の最後の課題となったのは、「イスラエルの究極的救済」でした。民に不信仰の根がある限り、これは不可能なことです。どうしても心、魂にまで届く救済が行われなければなりません。人間の努力はすべて混乱の中に投げ込まれてしまいました。どんなにあがいても、堕罪と言う泥沼から這い出すことは困難です。

 

 結、イスラエル宗教の帰結としてのメシヤ待望

   神はイスラエルを選ばれたと言う確信にしがみつくとしても、それは民族の誇りを形成するものであっても、自動的に神の祝福を約束するものでないことがはっきりしてきました。確かに民族のどん底の運命の中で、なお神は救いの手を伸ばし、民族の存続を図られました。しかし、このような中途半端な状態で満足すべきでないことは確かです。もっと何か根本的な救済があるに違いありません。民の窮状はいつでも、神への不信仰、背信から来ています。それは人間の心の邪悪さが、大水や、約束や、律法や、神の時々の奇跡的な救出くらいでは、癒しがたいものであったからです。
 預言者の中には、神の火が魂に触れたときに、神に反逆する自我が砕かれ、不信仰は癒され、魂が清められることを経験しました。しかしそれは宗教心に目覚め、切に切に求めたときに、到達する経験であって、民一般に常習的に与えられることはありえないものでした。彼ら宗教的エリートは、もっと普遍的な神の救済の道を探り求めていました。
 確かにそれはモーセの中に捜し求めるべきものでした。神に近づくには動物の血が流されなければならないこと。民が罪を犯したときには、やぎを身代わりとすること。民が窮地に追い込まれた時には、救助者を送られたこと。などなどのことに接しながら、ひらめきのように、「メシヤ」(油注がれた者)と言う思いに至りました。神はイスラエルを究極的に救うため、メシヤを送られる。預言者たちは一斉に、「メシヤ」の探求に殺到しました。預言者たちはメシヤに関するさまざまなことをひらめき、民に語り、書き記しました。こうして、捕囚から帰還後に、イスラエルの情熱の中心となって行きました。  メシヤは祭司、王、預言者でありますが、そのうち王としてのメシヤが、浮き上がってきました。それは時に祭司としてのメシヤの影を薄める勢いを持ちましたが、それでも、祭司としてのメシヤから、受難のメシヤ、罪を負うメシヤも主張されることもありました。時には政治的メシヤが一人歩きすることもありましたが、メシヤ待望はイスラエルに浸透し、敬虔な人々はメシヤによる贖いを待ち望むようになりました。
 メシヤ待望は、イスラエルだけではありません。異邦世界にも、待ち望む人々が現われました。星占いによって、メシヤの出現を知ろうとする人々もあったことがルカの福音書に記されています。
 イスラエル宗教の最大の功績は、このメシヤの思想です。これがキリストの出現を準備しました。

 

 終りに。

 拙論に最後までお付き合いいただいて感謝です。いささか、消化不良のところもあると思いますが、私はこれが今現在、納得のいくものとして到達したものであって、絶対の真理と主張するつもりはありません。ただ、こうして聖書を理解し、説教の土台としているものです。最後に、以上は、ほとんどが主観と直感によってまとめたものです。客観的な根拠は何処にもありません。それでは不十分と言われるかもしれませんが、もともと宗教とは信仰に根ざしたものであって、客観的な根拠を出せるものではないと思います。

 

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