現代神学小史

C.F.ヴィスロフ著
鍋谷尭爾・勝原忠明 共訳編

はじめに

 1974年のキリスト教年鑑の統計表を見ると、プロテスタント73万のうち、いわゆる福音派に属する諸団体が、いかに多くの教派、教団に分かれているかがわかる。それは、戦前に何らかの歴史を持つ改革派(5100)、インマヌエル(8500)、日本イェス・キリスト(8200)、アッセンブリー(5200)、ホーリネス(5700)などを除いて、ほとんどは、戦後に歴史を持ち、千名に満たない弱小教派である。その多くは、1949年の中国共産政権の樹立により、宣教地を日本に求めてやってきた宣教師たちによって始められた。

 四半世紀を経た今日、これらの小教団では、日本人教職が育ち、日本人によるりーダーシップが確立されようとする中で、いろんな形で孤立したままの小教派のままであってよいかという疑問が生じると共に、あらためて「福音派」とは何か、「聖書主義」とは何かという疑問が投げかけられている。そしてまた、自己の教派とか教団が聖なる公同教会の一部として、どのようなかかわりを持っているのかという根源的な問題意識をも提起しはじめているのである。

 こうした状況の中で、単なる伝道方策の協力から、神学的な一致を求めての機運が盛り上りつつあるのは当然であるが、実際には聖書神学部門を除いては、実り多い結果を見るに至っていない。それは、神学が、単なる個人の知性の産物ではなくして、教会という共同体の所産であり、教会史という時間と体験の重みを必要とするためでもあるが、今一つは、日本の諸教会の母体となっている欧米の諸教会と、日本の諸教会の連続性と非連続性が明らかに整理せられていないためと思われる。

 本書は、一昨年(1973年)来日されたノルウェー・オスロー独立神学校歴史神学教授カール・F・ヴィスロフ博士が、神戸ルーテル神学校で講義されたテープを、西明石福音ルーテル教会牧師勝原忠明氏と私が、前述の問題提起を念頭におきつつ、ひとりでも多くの福音主義に立つ信徒に読まれることを願いつつ、「現代神学小史」の形でまとめてみたものである。それゆえ、ヴィスロフ博士の許可のもとに、自由な編集を試みているので、文責はすべて私にある。

 ヴィスロフ博士(1908年生れ)は、すでに、『キリスト教教理入門』(聖文舎)、『説教の本質』(聖文舎)、『新カトリック主義?』(神戸ルーテル神学校)でよく知られているが、バルト、ブルンナー、ブルトマンの登場した1920年代に、ノルウェー・オスロー独立神学校でハレスビー、オラフ・モーなどの指導の下に教育され、戦時中は、ナチに抵抗して牧師職を投げうった経験を持つ。戦後、独立神学校実践神学教授となり、ついで教会史教授に転じ、ルター研究、特に、「聖餐論」によって世界的に知られている(ピノマ『ルター神学概論』聖文舎、15ページ)。同時に、福音主義の国際的指導者として活躍、1971年8月に聞かれたアムステルダム世界伝道会議では、ビリー・グラハムと共に主講演者として用いられた。また、国際キリスト者学生会連盟総裁でもある。

 本書についで、『ルターとカルヴァン』『公同信条の成立と現代への問いかけ』などを出版してゆきたいと願っている。

 終りに、このシリーズのために基金の提供をして下さったノルウェー・ルーテル伝道会と、出版の労を快く引き受けて下さったいのちのことは社に心から感謝したい。また、テープの整理を手伝って下さった神戸ルーテル神学校神学生池上安氏御夫妻に感謝する。

1975年2月1日  神戸ルーテル神学校  鍋谷尭爾

 

目 次

はじめに…………………………………………………
序 章 近代神学以前…………………………………
  一 プロテスタント正統主義…………………………
  二 敬虔主義と啓蒙主義……………………………
第一章 19世紀の神学…………………………………
     ――シュライェルマッハーと二つの流れ――
  一 シュライェルマッハー−………………………
  二 体験の神学――保守主義―−−……………
  三 評価の神学――自由主義−…………………
第二章 十九世紀から二十世紀へ……………………
  一 トレルチとハルナック………………………
  二 「イエス伝研究」をめぐる問題…………………
  三 暗夜――第一次大戦前後――………………
第三章 バルトの神学とその時代……………………
  一 『ローマ書講義』………………………………★
  二 『神のことばの神学』の意味………………★
  三 ブルンナー………………………………………★
第四章 教会と国家………………………………………
  一 教会闘争…………………………………………★
  二 ルターの『二王国論』をめぐって……………★
  三 ティーリケとモルトマソ………………………★
第五章 ブルトマンの実存論的解釈……………………
  一 ブルトマンの神学的背景………………………★
  二 ブルトマンの三つの主張………………………★
  三 ブルトマンの問題点……………………………★
  四 ブルトマン以降…………………………………★
第六章 文化と宗教――ティリッヒ……………………
第七章 世俗神学…………………………………………
  一 世俗神学の登場…………………………………★
  二 ボンヘッファーの歩んだ道……………………★
  三 世俗神学の人々…………………………………★
  四 教会と世…………………………………………★
終 章 福音主義神学の課題……………………………
  一 神のことばと人間の思想………………………★
  二 福音主義の人々…………………………………★
  三 福音の宣教………………………………………★
付 録 北欧の神学………………………………………
  一 キルケゴール………………………………………★
  二 ルンド学派…………………………………………★

 

序章 近代神学以前

 現代神学は、迷路のようなものである。それは、われわれが現代に生きている故に、現代を全 体的にみることができない、ということだけではない。19世紀から今日まで、世界は驚くよう な変革をとげた。交通・通信の発達は、西と東を結びつけた。二つの世界大戦を経て、人々は滅 びの武器「原子爆弾」を手に入れた。アメリカとソ連の二大国は、新生中国の力と、アジア、ア フリカ諸国の発言を無視しえないことを悟りはじめている。

 キリストの教会もまた「偉大な宣教の世紀」19世紀をへて、アジア、アフリカに新しい教会 の誕生をみた。聖書は1200余りの国語に翻訳され、世界のほとんどの人が、自国語で神のこと ばを読むことができる。西欧=キリスト教世界、というあのお定まりの図式は、世俗化の進展に よって、今や、深刻に検討されねばならないのである。

 われわれの課題は、19世紀から今日に至る神学の傾向を学ぶことである。神学は、神のこと ばでである聖書によって、厳密に自らを律しつつ、その時代の教会に仕え、世界に向って発言す る。その意味では、神学はきわめて公同的なものである。

 しかし、神学はまた個々のキリスト者の生活に深いかかわりをもつ。ルターが大胆に言ってい るように「祈りと、瞑想と、試練が神学者をつくるIのである。このきわめて非論理的なことば の中に、神学する者の姿勢か問われている。神学は、単なる机の上の学問ではない。すべてのキリスト者が、聖書に基づいて、生活の中で考え、祈り、戦うとき、そこで無意識のうちに「進学する」姿勢が整えられているのである。

 この二つの世紀の間に、神学は多くの課題にとりくんできた。理性と信仰、歴史と解釈学、広 がりゆく教会の宣教諭、戦争を契機とする教会と国家の関係、神学の基本となる聖書論、そして 世俗化の問題。これらの問題をめぐって、神学者たちの努力が続けられてきた。われわれは、シュライエルマッハーにはじまる、著名な神学者たちの主張の中心点を描くことによって、この二 つの世紀にわたる神学の流れを、たどることにしよう。だが、シュライエルマッハーを知るため には、宗教改革以後の神学の歩みを簡単にみておかねばならない。

一 プロテスタント正統主義

 宗教改革以後

 ルターによってはじめられた宗教改革は、カトリック教会に対して「信仰のみ、恵みのみ、聖 書のみ」という原則をたてつつ前進した。ルターその人は、多くの著作をしたにもかかわらず、 ついに体系的な神学を残さなかった。彼の課題は、整えられた神学をつくることではなく、福音 の純粋さを再発見し、人々に告げることであった。

 プロテスタント教会(この名称は、1529年シュパイエル国会が、宗教改革の運動を否認し たとき、宗教改革に味方する諸侯が抗議書「プロテスタティオ」を提出したところから生れた) において、神学の組織化、体系化を最初に手がけたのは、フィリップ・メランヒトン(1497〜1560)である。彼はすぐれた頭脳の持主であったが、1517年、ヴィテンベルク大学のギ リシャ語教授となり、ルターに協力して、宗教改革運動に生涯をかけた。1521年の『ロキ・ コンムネス』はプロテスタント教会の最初の体系的神学書である。1530年のアウグスブルク 国会に提出され、のちにルーテル教会の信仰告白となった『アウクスブルク信仰告白』および 『アウグスブルク信仰告白書の弁証』は彼の手になるものである。彼はルターの忠実な弟子、ま たルターの神学の代弁者として出発したのであるが、彼の人文主義的傾向は、自由意志の容認 と、聖餐論におけるカルヴァンヘの接近となってあらわれた。このことが、ルーテル教会に長年 にわたる激しい神学論争をもたらす原因となったのである。

 メランヒトンが、プロテスタント教会の最初の体系的な神学者であったとすれば、ジャン・カ ルヴァン(1509〜64)は、宗教改革の神学の最大の組織家であったと言えよう。フランスで 生れ、その信仰の故に母国をすてねばならなかったひとりの男が、スイスの宗教改革の中心人物 となったのである。その著『キリスト教綱要』においてに、神・キリスト・聖霊・教会、の四巻 からなる神学の体系づけと展開とがなされ、『聖書注解』においては忠実な釈義がなされ、それ らが「説教」[牧会]「訓練」において実践され、改革派教会の形成へと進んだのである。

 メランヒトンおよびカルヴァンにおいて、プロテスタント正統主義への道が開かれた。ルーテ ル教会においては1577年の『和協信条』の成立によって、正統主義の時代が確立した。改革 派においては、カルヴァン自身の『キリスト教綱要』が神学全般にわたる、基本的なよりどころ となった。

正統主義神学者ヨハン・ゲルハルト

 ルター派正統主義神学者の中で、最大の人はヨハソ・ゲルハルト(1582〜1637)である。彼はイェナ大学の神学教授として、忠実で敬虔な生涯をおくった。その著『ロキーテオコギ キ』は九巻におよぶ大冊である。彼は、アリストテレスの哲学を、神学の中に再びとりいれた。 こうして「理性と啓示」という、昔からの問題がもう一度、神学の課題となったのである。

 ゲルハルトのもう一つの課題は、宗教改革における「聖書のみ」の原理を確立することであっ た。カトリック教会が、聖書とともに伝承の必要性を主張するのに対して、ゲルハルトは、聖書 こそが、そして聖書のみが、教会において唯一の権威をもつべきである、と主張した。聖書は神 の霊感をうけて書かれた神のことばである。したがって、聖書は、一つの教え、一つの教理によ って貫かれている。人は聖書から、神について、人間について、救いについて、永遠の生命につ いて、明確に知ることができるのである。

 今日、人々はこの時代の神学を「死せる正統主義」とよんでいる。しかし、この時代の人々の 努力を軽んじてはならない。特に、保守派、福音派とよばれる人々は、この時代の神学をもう一 度、注意深く学ぶ必要がある。ゲルハルトに関して言えば、彼が死せる正統主義者でなかったこ とは『敬虔の省察』という美しい著書によって明らかである。そこでは、ルター的敬虔がつつま しやかに花を咲かせているのである。

二 敬虔主義と啓蒙主義

 正統主義の時代は1600年代の後半まで続くのであるが、すでに、その時代自身の中に新し い時代の種が蒔かれつつあった。聖書は単に教理の規範ではなくて、信仰者にまことの敬虔をも たらすものである。ところが、正統主義が、啓示を客観的なものとし、教理体系を厳格にしてい くとき、人間の理性が次第に重要性をましてくる。しかし人間は教理や理性だけで生きられるも のではたい。感情や生活実践が必要である。こうして一方では主観と感情に重きをおく敬虔主義 か、他方では理性を中心とする啓蒙主義が誕生したのである。

 敬虔主義

 敬虔主義の運動は、神学的な関心から出発したものではない。ドイッ敬虔主義の開拓者である フィリップ・ヤコブ・シュペーナー(1635〜1705)の中に、それをみることができる。1675年に書かれた『敬虔な願い』では、正統主義に対する教理的な批判はなされていない。生 活が大切なのである。人々が真に回心し、聖化の生活をするために、私的な集会においても聖書 が学ばれ、訓練されねばならない。もちろん、回心と聖化の強調は、教理にも影響を与える。し かし、敬虔主義においては、教理は敬虔な生活の背後に退くのである。

 敬虔主義はハレ大学を中心に展開した。アウグスト・ヘルマン・フランケ(1663〜1727)は、ハレに多くの施設をつくった。フランケの指導のもとに敬虔主義はドイツの教会に新しいいぶきを与えたのである。

 敬虔主義の記念碑的存在は、モラヴィア兄弟団である。ツィンツェンドルフ(1700〜60) の保護と指導のもとに、この教団は成長したのである。モラヴィア兄弟団の精神は、イギリスの ジョン・ウェスレー(1703〜91)に影響を与え、更に、イギリスとアメリカにおける信仰覚 醒運動へと展開していったのである。

 ノルウェーもまた、モラヴィア兄弟団の恩恵をうけた。ハンス・ニルセソ・ハウゲ(1771〜1824)の中に、われわれは北欧的敬虔の典型をみることができる。彼は農夫の子であったが、1796年春、農場において霊的な体験をした。この背後には、彼の牧師であったモラヴィ ア派のシーバルグの影響が認められる。彼は、畑を耕しつつ、讃美歌を歌っていた。霊的な体験 はそのときに起こった。少し長くなるが、敬虔主義の特質を知る上で大切だと思われるので、ハ ウゲ自身のことばを記してみょう。

「讃美歌を歌いおわったとき、私の気持はたいへん高揚したので、自分自身気づきませんでした し、何か私の心の中で起ったのかを述べることもできません。というのも、私はわれを忘れてい たのです。私は、われに帰るや否や、この愛にみちた、比べるものもない、すばらしい神に仕え なかったという後悔の念でいっぱいになりました。そして今や、私にとって何もこの世の中に注 意をはらう値うちのあるものはないように思われました。私の魂は、何か超自然的な、また、神 から与えられた祝福に満ちた体験をしたのでした。どんな舌も言うことのできない栄光がありま した。」

 ハウゲは、モラヴィア派の人々にときおりみられる、感情的な浅薄さに、倫理性を与えつつ、 敬虔な信徒説教者として生きぬいた。当時のノルウェーでは、法律によって、信徒が公に説教を することに制限が加えられていた。どのような集会も、牧師に通知をし、許可をえなければなら なかった。ここには、『アウグスブルク信仰告白』第14条のきわめて一面的な理解がみられ る。「何人も、正規に召されたものでないならば、教会内で公に教え、あるいは聖礼典を執行し てはならない」と言われている個所を、私的な集会の制限と禁止のために当局は用いたのであ る。

 ハウゲは、各地で開いた私的な集会のために、20年におよぶ獄中生活をおくった。にもかか わらず、彼は、死に至るまでルーテル教会(国教会)に忠実であり続けた。この北欧人らしいひ とりの農夫によって、ノルウェー国教会は、自らのうちに信徒による活発な運動と、国内、国外 への伝道団体を有することになったのである。

 敬虔主義は、内的な敬虔と、聖書自身から生活の導きをうけることにおいて、教会に霊的な力 をもたらした。しかし、中心は教会ではなくて、個人であった。正統主義も、敬虔主義も、近づ いてくる世俗の思想の激流に身をさらさねばならなかったのである。

 啓蒙主義

 啓蒙主義は、人間の「理性」への全面的な信頼である。18世紀を中心に、啓蒙主義はヨーロ ッパの思想的主流をなした。啓蒙主義は、ルネサンスにおいて用意され、正統主義の時代を通し て準備されつつあった。理性が、理性のみが人間生活を支配すべきである。イギリスが、ついで フランスが、そしてドイツが啓蒙主義の支配するところとなった。

 ドイツにおいては、十八世紀後半に、啓蒙主義が教会を支配した。明晰な理性と、理性にもと づく道徳とがすべてである。聖書における、非合理的なものはすてさられた。聖書の使信はゆが められ、キリストぬきの説教がはじまった。説教者は道徳の教師となり、生活改良普及員のよう になった。たとえば人々は、クリスマスの説教として「馬小屋の作りかた」について聞かされ た。教会でなければ聞くことのできない、神の恵みのことばは、ほとんどの教会で聞くことがで きなくなった。教会は、世と同一化してしまうように思われた。

 このようにして、聖書の霊感と権威の否定がはじまった。ヨハンーゼムラー(1725〜91) は、合理主義の立場から、聖書の成立過程を研究した。聖書は、いろいろな歴史的過程をへて、 徐々にできあがったものであり、神の霊感をうけて書かれたものではない。ここから、聖書の歴 史的・批評的研究がばじまる。聖書つ統一性を疑い、否定するところから出発する、この研究方 法は、今日まで自由主義神学者たちの武器となったのである。

 啓蒙主義は、超自然的なもの、非合理なものを排除しようとする。合理主義の立場からは、神 の啓示や奇跡は、否定される。だが人間は、理性をもってすべてを律しうるであろうか。人間の 感情や情偕は、すべてを理性によって解決することに耐えることはできない。人間は、自らの感 情を、情緒を、自由に躍動させてはならないのであろうか。こうして、ロマン主義が誕生する。 ロマン主義は、田園と自然へ復帰しようとする。神秘にみちた森の静けさ、はてしなく広がる 空、輝く星への憧憬。人々は、啓蒙主義の、そしてその中心である合理主義の理性讃美の中に、 実はひからびた人間観があることを、見出しはじめていた。「自然に帰れ」これが新しい時代の 一つのあいことばになった。

 しかし、啓蒙主義に対する徹底した批判はそれ自身の中から出てきた。エマヌエル・カント (1724〜1804)がその人である。彼は、合理主義の中にひそんでいる、独断性を鋭く見破 った。純粋な理性は、人間の経験の範囲内に限定されねばならない。理性は、自らの限界を知ら ねばならない。神や啓示などは、純粋な理性の範囲を越えるものであり、実践理性の立場からのみ、これらはろんじることができるのである。

 こうして、啓蒙思想は、ロマン主義と、ドイツ観念論の両者によって攻撃され、過去のものとなりつつあった。時代は19世紀を迎えるのであるが、ここに、これらの諸傾向に影響を受けつつ、新しいい方向を打ち出す人物が現われる。「近代神学の父」と呼ばれ、19世紀の神学に決定的影響を与えた、シュライエルマッハーである。

 

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