409年の歩み
  
専立寺の歴史と沿革
 @ 「専立寺と寺内町」
 この寺は、高田御坊といわれ、慶長5年(1600年)、本願寺第12世准如上人時の創建。蓮如上人による大和布教i以来の一向宗道場を、本願寺直属の掛所御坊として寺内町を形成し、大和五ヶ所御坊の一つとして重きをなした。
 このころ大和布施(新庄町)に進駐してきた近世大名桑山氏は、この地に城下町的施政を行い、古来の農村的本郷に対し、商工の町・寺内町として発展せしめた。文化・文政のころには、戸数200余、付近村落の経済的中心となり、近世商工都高田の母体となった。 
 享保7年(1722年)の『大和国葛下郡高田寺内町寺社帳』によれば、1,688坪の境内に、壮大な本堂をはじめ広間(対面所)・座敷・台所・鐘楼・鼓楼・表門・裏門など多くを備えていたことことが知られる。しかし、天保9年(1838年)9月24日失火のため焼失し、同11年(1840年)に対面所を再建、これを仮り本堂にあてた。その後、本堂の再建計画がなされたらしいが、実現をみなかった。太鼓楼は天明6年(1786年)、表門は寛政6年(1794年)に建立されたと伝えられ、天保の火災を免れたと考えられる
  現在は、表町(本町)通りに面して東向きに建ち、左寄りに豪華な彫刻を施した表門を構え、右側に二層二階・入母屋造り(一層4間・二層2間四方)の御坊格の真宗寺院にふさわしい規模をもつ太鼓楼があり、両者の間を重厚な五筋横線入り壁の築地塀でつなぐ。表門の前に石橋が残り、かつ築地塀は一段高めの石積み(石垣)上にあって、かつて境内の周囲に堀がめぐらされていた。
 これは、浄土真宗寺院が城塞的な伽藍をとっていた寺内町特有な構えの名残りをとどめるものである。奈良県では、この種、近世成立の寺内町で門と築地塀・石橋が残る例は少なく、門と太鼓楼も様式的にみて時代の特徴を有し、江戸時代の代表的な寺内町寺院遺構として価値あるものである。

○1996年(平成8年)12月24日 大和高田市指定有形文化材(建造物:第1号) 指定を受ける。
○上記の文は、市文化財審議委員会委員・近畿大学工学部(建築学)教授、櫻井敏雄氏作成の関係資料を参照した。


 高田御坊専立寺 寺内町町割り図  <江戸時代後期>