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仏法紹隆寺歴代住職

当山の住職は多くの末寺や関係寺院で住職などを務めた後、その中の優秀な者が着任するのが通例でありました。
藩政時代には、藩主の任命を得ることも必要となりました。
住職は弘法大師のお身代りとして「法印」と呼ばれました。


大同元年
    開山
征夷大将軍坂上田村麿開基
弘法大師空海和尚草創
文和年中まで不記載により住職不明
*他説もあり
(醍醐松橋流を当山の法流と定めたため、醍醐松橋流を伝えた俊海を法流第一世とする)
中興第一世 俊海
第二世 長宥
第三世 恵海
第四世 快宥
第五世 覚超
第六世 俊尊(野州能延寺より入院)
第七世 俊円
第八世 尊純
第九世 俊応
第十世 尊剛
第十一世 尊朝(根来焼打により根来寺より入院。根来学頭。尾州万徳寺兼帯。智積院玄宥より学頭就任要請の書簡が来るが固辞。諏訪大社社務。寺号を仏法紹隆寺に改める。諏訪安芸守頼忠より判物。この後、高島藩祈願寺となる。)
第十二世 秀雄(更科専照寺を兼帯)
第十三世 尭尊(更科専照寺を兼帯)
第十四世 宥範(更科専照寺を兼帯)
第十五世 尭尊(更科専照寺を兼帯)
第十六世 俊鑁
第十七世 尊城
第十八世 円祐
第十九世 俊海
第二十世 盛可(薩州より甲立寺を経て当山入院。塚原惣持院へ隠居。)
第二十一世 頼俊(門下三徳を輩出・開善寺印識・玄国寺諦観・樹林寺浄元。当山金堂再建。)
第二十二世 清範(岡谷昌福寺より入院)
第二十三世 寛海
第二十四世 了範(岡谷昌福寺より入院)
第二十五世 憲英(藩主忠虎公の信徳力により、方丈・殿堂・書院・文庫を建立。高島城内諏訪家祈願所当山管轄の岡台山法正院を境内に移転、聖天堂とする。)
第二十六世 憲海(甲立寺より入院)
第二十七世 尊雅(開敷院より入院)
第二十八世 大孝
第二十九世 尭雅(古田真徳寺より小泉寺を経て入院)
第三十世 大寂(小泉寺より入院)
第三十一世 運栄(聖天堂の屋根大破に付き、屋根瓦葺きかえ。小泉寺より入院)
第三十二世 英真(岡谷平福寺をへて下社三精寺より入院)
第三十三世 宥瑞(宥字法類の祖。下社観照寺より入院)
第三十四世 宥中(朝日村上条家の子・大覚寺虚空蔵院(廃寺)が仏法紹隆寺永兼帯となる。明治維新の際の住職で、明治の混乱期には諏訪地域の多くの寺院を兼帯)
第三十五世 宥実(朝日村上条氏。開敷院より入院。塩尻常光寺兼帯。仏法寺大火により、本堂・開山堂・金剛殿・庫裡などを焼失。本堂・庫裡再建))
第三十六世 宥心(岡谷昌福寺より入院。岡谷小坂観音院等兼帯)
第三十七世 宥清 (開敷院より入院。開敷院蚕安塔建立。鐘楼再建、梵鐘再鋳造。成田堂改築。高野山真言宗東京別院本堂を移築、普賢堂とする。山門を移築。庫裡・開雲寺寮を改築。真言宗宗会議員。大僧正位拝命。
茅野社宮寺兼帯)
現住
第三十八世
宥昶(開敷院より入院。開山堂再建。寺号標新造。中僧正。高野山真言宗審議委員補。)

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